2012年8月30日木曜日

富士山の見える病院


F市立病院に行くことになった。水曜夜、西新宿から東京駅へ。東京駅からなら新幹線自由席に座れる。東京駅の駅弁販売の店は充実しているので、夕食も豪華にできる・・・?
盛岡の海鮮小わっぱ弁当には、うに、めかぶ、いくら、かにが入っている。
 
 
 

これにプラスして、米沢の黒毛和牛バラ肉焼きも購入した。ノンアルコールの日を補うような夕食を新幹線内で済ませた。

新幹線の駅からF市立病院まではタクシーで30分。事務の方に病院内を、遅出のNrsに手術室内を案内してもらいホテルに行った。シャワーを浴びたところで呼び出し。午前様にならずに仕事は終了した。写真は富士山本宮浅間大社。HPから借用。






翌朝はF市内のジョッギング。富士山本宮浅間大社に参拝し、湧玉池を観る。F市は富士山の伏流水で地下水が豊富。水がきれいで感激した。写真は湧玉池。富士山本宮浅間大社のHPから借用。





仕事は順調に進んだが、うれしかったのは高校の後輩Y口先生と偶然出会ったこと。彼は3回目の手伝いとのことだったが、先輩の導入を手伝ってくれた。高校の校歌は一節だけ歌った。
B級グルメの焼きそばが有名だが、これにお好み焼きをミックスした「しぐれ」?昼食に食べた。

手術室の壁には、今地震が起きた時、何をするのか!?が職種ごとに書かれたポスターがあった。

病院内や手術室内には東海地震を想定して、ヘルメットが掛けてあった。
麻酔科部長のI井先生とも親しくお話しできた。常勤医の減少で非常に苦労されているようだ。
病院の理解があり、非常勤の麻酔科医を何とか確保しているらしい。またNrs.もてきぱきと仕事をされるし、外科系の先生方も礼儀正しい方ばかりだった。

残念だったのは、いつもは正面に見える富士山が雲で隠れていたこと。
東京に戻って、やりかけの仕事をを始めた。今夜も遅くなりそうだ。

2012年8月27日月曜日

クルズス再開

夏休みを終えた最初の月曜日、学生実習が始まった。早速午後からのクルズスを担当した。土日に学んだ双方向講義(学習)のスキルを生かす良い機会と、張り切った。

最初に質問に答えてくれた学生さんを持ち上げ、講義のイントロダクションは「Railway」を使った。ざわめきやグループでの話し合いをちりばめ、ポイントでは笑いを取り入れた。
この努力は学生さんたちは良く分かったと思う。
が、午後3時からの1時間半の時間帯には強烈な睡魔が訪れる。何回も目がくっつきそうになるH君やMさん、一回だけだったが両まぶたがくっついたYさんの目を何とか輝かせたい!と最後のかけは、このグループのだれもが答えることができなかったクイズで締めくくった。これで目が覚めたのだろう。
最後の記念写真の時は、皆笑顔が爽やかな青年になっていた。
今日はS根先生には早く帰ってもらおう。家に帰っても食べ物はないし、夕食仲間のU野先生は海外出張なので、一人で「さつき」に行こうかな・・・

帰国

鷺ノ宮八幡宮の夏祭りの神輿を見た。夏休みの終わりに祭りがあり秋に突入する。






S根先生から無事成田に着きましたと昨夜の午後7時半ごろ電話をもらった。丁度その頃、一度見たいと思っていた高円寺の阿波踊り会場にいた。凄い人手で一方向にしか行けず、走ることもできなかった。

27日S根先生に早く会おうと病院には電車で出勤。すでにICUで仕事をしていた。軽い抱擁?の後、
「重大な任務成し遂げ月見酒」
「困難さ物語るかな無精髭」
の二句で労わり、今月中は大切にすると約束した。五日間ではあるが・・・

2012年8月26日日曜日

PEACEスキルアップ研修会


8月25,26日府中クロスウェーブにて日本緩和医療学会主催の第1回PEACEスキルアップ研修会が開催された。デスクワークの後、一番歩かなくてよいルートを選んだ。即ち、西新宿から丸ノ内線で荻窪、ここから中央線で西国分寺、武蔵野線に乗り換えて北府中で下車。ここから歩いて6分。府中クロスウェーブ全景。
しかし、待合を含めて1時間20分か。

北府中駅から会場までの暑いこと暑いこと。途中に東芝府中の工場があり、ラグビー場が見えた。
 
 
 
 
 
事前アンケート、オリエンテーションの後、今回の研修であるワールドカフェの説明。自分は熊本YMCAで一度経験したことがあった。テーマを設け、皆でアイデアを出し合う。回答を求めるのではなく、アイデアを膨らませる。
第一クールのテーマは、「そもそも社会に講演できる緩和ケア研修会とは?」このテーマで4名グループで30分話し合い(アイデアを出し合い)、メンバーを変えてさらに30分、もう一度元に戻って2回目のラウンド情報などを交えてまとめる。さらに全体討論が30分ある。結局120分にわたって同じテーマで会話を盛り上げるのだが、ここにも教育手法などが生きてくる。

第二クールのテーマは、「魅力的な研修会を行うにはファシリテーターはどうすれば良いか?」。ファシリテーターが魅力的になるには?参加者を飽きさせず、参加して良かったと思わせる研修会は?など学生の講義とも共通する。

多くの意見を聴きながら、アイデアの豊富さに驚き感心した。
夕食後にも全体会があり、終了したのが午後9時を過ぎていた。懇親会はカフェごとに分散して懇親会。新しい出会いがあった。ビールを飲んで自販機で「ほろよい」を買って部屋に戻った。朝起きたら、ほろ酔いの栓を開けたまま寝ていた。


府中市内をジョギングした。甲州街道から府中駅に行き、大國魂神社参拝、
 
 
 
 
 
 

けやき並木を走って、市民球場(東京都のスポーツ大会があるようだ)を回り東芝府中工場のラグビー場を観ながらクロスウェーブに戻った。約5㎞。

二日目、第三クールのテーマは「患者・家族のための地域医療連携をすすめるために緩和ケア研修会で何ができるか?」在宅医や訪問看護師から事例検討を発題してもらい、地域医療連携のやり方やピットフォールを学ぶ、基幹病院の医師は在宅診療や緩和ケア病棟に出向いて、患者さんがどのような医療やケアを受けているのかを学ぶ。などの提案があった。
最後は「来年度に向けた目標設定」で、いくつかのテーマ別にグループ編成をした。ディスカッション形式で、ここではグループの意見をまとめて発表する。自分は「双方向生講義のスキルアップを図る方法」を選択した。全部で7つのテーマがあり、全体発表では多くの学びを得た。

このような新鮮な研修会を企画運営された、緩和医療学会のスタッフに感謝。

2012年8月25日土曜日

残暑酷暑


8月21日火曜日、新潟は晴天で暑い。早場米はあと数週間で刈入れらしい。稲穂が次第に重くなっていく。
朝夕の蝉しぐれが少し小さくなってきたように感じる。蝉も暑さでバテテいるのだろうか?それとも秋がすぐ近くに来ているからだろうか?
蝉しぐれ消えゆく首都に秋忍び寄り




8月24日金曜日、午後K中央病院に行く。8月一杯で麻酔科研修を終えるS井先生と一緒に麻酔を担当した。勉強したくなったらT医大麻酔科が待ってるぞ。一緒に写真を写した。少し笑顔を見せるようになった。
 
 
 
 
 
8月25日土曜日、ICUの患者さんを米国に搬送することになった。その任を担うS根先生、そして前夜担当ナースの〇野さんとMEの徹夜さんの努力のおかげで昇圧薬を一つ外すことができた。
 
民間救急車で羽田へ。チャーター機でロサンゼルスへ。滞在6時間で民間機で成田に戻る弾丸スケジュールという。日曜の昼には日本に着くので、月曜から仕事か?ハワイで数日遊んで来いよ!と言いたいが、ハワイに寄るには上空からパラシュートで降りねばならない。写真は同行チーム。
とにかく無事に任務を果たして来いよ!
 
 
重患に付き添いし君はアメリカへ
機器運び機内は既にICU
 
今日はこれからデスクワークをして、11時には府中市で一泊二日開催される第1回PEACEスキルアップセミナーに参加する。終了後一旦病院に戻るが、S根先生と会えるかもしれない。

2012年8月19日日曜日

休日のルーチンワーク

目覚めは6時。未だ時差(熊本ー東京の体感時差は約一時間か?)が残っている。陽射しが布団に当たりはじめていたので窓を開けっぱなしにして、9時から中村橋~阿佐ヶ谷駅間のバス道路を走り始めた。随分走ったと思ったが7.5㎞だったので、日が陰ってからまた走ろう。
近所の家の垣根に咲く朝顔。




冷蔵庫に玉ねぎ、じゃがいも、ニンジンがあったので、ピ-コックでカレーを作るための材料の残り(カレー粉、牛肉、バター、トマト、なぜかチョコレート)を買った。
床屋さんに予約をして、洗車・洗濯・風呂掃除・シャワーと次々に今日の予定をこなす。早速昼食用に調理に取り掛かった。
カレーがジャワカレーの辛口。バター、にんにく、チョコレートが隠し味。圧力鍋の使い方も堂に入っている。
食事後は理容店で散髪し、アンケート調査の統計用ソフトつくりと格闘した。
17時を過ぎ、頭が腫れてきたようなので、少し走って明日からの一週間に備えようと思う。
20日朝、家を出たら道の真ん中に蛾の幼虫?が必死に這って土の方に向かっていた。手伝いけど、ここで止まると間に合わないのでそのまま走って行った。8月あと10日余りなのに未だ月間走行距離が100kmにしかならない。   この後、同級生から「コガネムシの幼虫で土の中にいます。」とのメールをいただいた。感謝。      

2012年8月18日土曜日

東京へ

東京に戻る日。朝K北高の周囲をゆっくり走った。空港に行くと、熊本市医師会の米国研修団の一行と出会った。同じ飛行機で羽田に行き成田経由でサン・アントニオに向かうという。
福島会長、松下先生、永江さんらと再会を喜びながら、一行の歌の指導をしている自分がいた??

空港で黒棒ドーナツをお土産に持てるだけ買った。病院に着いて早速新都心麻酔懇話会教育セミナーに参加した。香川から黒田先生をお招きし、低体温療法に関する勉強をさせていただいた。写真はU野先生から黒田先生への感謝状贈呈。
病院カフェテラスであった懇親会では、医局員に囲まれて何も食べられない黒田先生を見ながら、おなか一杯食べていた。

残りを少し持って帰り今日の夜食と明日の朝食にするつもり。

2012年8月17日金曜日

日韓サッカー準備へ

朝食の前に、3年前に亡くなられた橋〇先生のお宅に走った。ジョッギングと奥様に日韓サッカーのお誘いの手紙を届けることの一石二鳥になる。奥様は大変喜んでくださり、ついつい長話をしてしまった。近くにある大井手に蛍を呼び戻そうと地域奉仕を続けておられた橋〇先生を思い、懐かしくなった。写真は大井手。



帰りは龍田山越えのルートを選んだ。山頂で記念写真を撮ってお祭り広場から北バイパスに向かった。
山道には苔が生え滑りやすい。滑りにくい道を選んで走るうちに、道を間違えて万石の方に下りてしまった。






しかし長男の友人で交通事故で亡くなったM君を祈念した地蔵さんにお参りすることができた。行きつけの理容店オーパのマスター奥さんとも話すことができた。遠回りをしたために走行距離は15㎞になった。


優勝旗に付けるペナントリボン(優勝チームを記したリボン)が20枚を超え重く見栄えが悪くなった。リボンを保存するプラスッチクケースを100均ショップで買った。



クリックすると新しいウィンドウで開きます今日はU野先生の誕生日だ。医局員はちゃんと覚えているのだろうか?秘書さんは何かサープライズのケーキでも用意してあげただろうかと心配になり、電話をした。流石に「、ただ今まさにお祝い中です」の返事だった。
近くの高校に掲げてあったキャッチコピーを借用して、
「輝けU野先生・T医科大学麻酔科学講座!漲る(みなぎる)大志!」

YMCAに優勝旗を届け、堤スポーツでペナントリボンをその他ペナントリボン入れを買って帰った。夜はむさしY’s Men’sクラブの企画例会に久しぶりに参加した。W杉会長からワイズメンズクラブ西日本区クリスチャニティー特別委員会委員長委嘱状を受けた。
例会終了後は参加者全員で記念撮影をして、近くの焼き鳥屋に行って大いに語り合った。熊本代行で帰ったが、なじみの運転手さんで帰りの時間も楽しかった。明日は東京に帰る。

2012年8月16日木曜日

お見舞い

この7月の熊本水害で大きな被害を受けた熊本市龍田・下南部地区にH山さんの印刷所がある。729日にはYMCAやワイズメンズクラブの仲間たちが20数名集まってご近所を含めて廃土作業に精を出した。丁度義父の文集の作成を計画しているのでH山さんの印刷所に走って行った。写真はK北高サッカー部の練習風景

北バイパスが白川を渡るところから下南部を見ると、あたかも海辺のように砂泥が川辺に入り込んでいた。

「床上浸水で印刷機の基盤がやられて調整中なんですよ。」と奥さんは笑って言われたが、どんなに大変だったことだろう。写真は白川から泥水が上がった痕

熊本YMCAに預けておいた日韓医師蹴球親善試合の優勝旗を取りに行った。陰干ししてアイロンがけをし、10月の親善試合に備える。

済生会病院に入院中のH山さんのお見舞いに行った。想像より元気になっておられたので安心した。H山さんとはYMCA・ワイズメンズクラブ、サッカーでつながる。二人でお祈りをして別れた。写真は萩の花。

鶴〇病院は10月の緩和ケア病棟オープンを目指している。担当医は麻酔科の後輩で、担当薬剤師は前任の病院で一緒に働いた。緩和ケア病棟の見学をさせていただいた。スタッフの名簿に良く知っているK山さんの名前を見つけた。夜勤入りでいなかったので電話をして励ました。お父さんは自分のウルトラマラソン仲間。今日四国の八十八か所お遍路参りから帰ったとのこと、楽しく話すことができた。写真は白い百日紅。

今日は是非、7月の水害で被害を受けた阿蘇温泉病院の緩和ケア病棟「桃花水」にお見舞いに行かねばと思った。I師長さんに電話をしたら日勤でおられるという。花屋に寄って胡蝶蘭を・・と思ったが、丁度盆休みで綺麗な花がなく、観葉植物の「ドラセラ」を持って行くことにした。

「桃花水」に着いて、スタッフに声をかけて集まってもらった。S村総院長もお忙しい中来て下さった。師長さんから、「先生と思って大事に育てますよ。」と言っていただいた。感激!!

水害が726日で腰まで水に浸かったという。30日には本館一階での診療再開にこぎつけられたそうだ。しかし本館と緩和ケア病棟を結ぶ地下道は未だ復旧していないという。「全ての復旧には数億円必要になるかもしれません。」と言われたが、S村総院長の凄さは病院だけではなく内牧の復活を考えておられること。内牧を流れる黒川の氾濫と言うより、遊水地公園からの氾濫が水害に直結したようだ。もし遊水地公園の水を氾濫前に放流したら、熊本市内の被害はもっと大きくなったようだ。
帰る途中阿蘇スーパーカルデラマラソンのコースを通った。遊水地公園は泥だらけになっていた。

水害で片づけられた瓦礫の保管所も痛々しかった。

夏休み 熊本にて

午前中は車庫に積み上げていた不用品の整理をした。姉親子が来ると言うのでお迎えの準備。娘とひなちゃんに電話をして二人にも来てもらった。娘はCちゃんに赤ちゃんのおんぶ紐、おむつ、チャイルドシートなど経験談を教授していたが、多くはあやちゃんから教えてもらったことの様だった。


ひなちゃんに絵本を読んだ。途中で飽きてあくびをした?
夕食に来るという娘一家のために買い物に行った。エコバック(買い物袋)を4個持って行ったが全部満杯で日頃の筋トレが役立った。

朝〇野総合病院に入院してリハビリ中の後輩のお見舞いに行った。まったくの寝たきりだったそうだが、自転車こぎのメニューにまでになったそうだ。ゼリーなら少しずつ口から食べることができるようになったという。気管切開しているので彼の饒舌な会話を聞くことはできなかったが、ハイ、イイエは首を一生懸命に振って教えてくれた。絶対に諦めないことを約束して別れた。

熊本地域医療センターの緩和ケア病棟に入院中のMさんのお見舞いは、ノートパソコンを持ち込んでデジカメのスライドショーをするように計画していた。デジカメにバッテリーを入れるのを忘れていたので、急遽携帯でブログを出して解説を加えながらこの二か月間のことをお話しした。
家に戻ってゴーヤ料理を二品作ったところで娘一家がやってきた。ひなちゃんとは昼間も会ったので、ひなちゃんはそれほど固まったりしなかった。U太君とビールを飲みながらひなちゃんの成長を話してもらうのは楽しい。まだ断乳していないようで、ご飯をたくさん食べた後は「おっぱいで締め」のようだった。

ひなちゃんの得意の技はハーモニカ演奏。将来アーティストになるかもしれない。
次男が食事に二階から降りてきた。いつも遠慮をして部屋から出てこないのだが、一緒に食事をしてくれたので嬉しかった。ひなちゃんが電気コードに引っかかりそうになると、「ひなちゃん危ないよ。」と言っていた。
ひなちゃんがお風呂から上がってきたところで、男組三人で記念写真を撮った。

2012年8月15日水曜日

初盆

昨夜家人の実家のすぐ近くに住むもう一人の義妹に、「明日の朝6時から走るから、大ちゃんに一緒に走ろうと言っといてね。」と頼んだ。

大ちゃんは中学3年生で野球少年。中学最後の試合が終わったそうだ。45歳のころに小学校の校庭を十数周一緒に走ったことがある。泣きべそもかかず、黙々と走ってついてきたことを思い出す。キロ78分で78キロ走ろうと提案した。写真は走る出す前。身長が高いので、坂の下側に立ってもらった。

東谷山から桜島方向に向かった。途中コンビニに寄りトイレ休憩しスポーツ飲料を買った。宇宿から引き返したが、高校・大学サッカー部の後輩U町君のクリニックを見つけた。昨日から休診のようだ。彼は熊大医学部サッカー部が西医体優勝の時のスーパーサブだった。クリニックの看板の前で写真を撮った。

15歳の走りに付いていくのは骨が折れた。大ちゃんは気遣いながら時々スピードを落とした。ゴールして再び記念写真。心なしかお腹がへこんでいた。携帯万歩計では8㎞約9000歩を示していた。



昼ごはんは近所のラーメン屋に行った。谷山地区では有名なラーメン屋だが、満席で20分ほど待った。
「盆休み何故か混み合うラーメン屋」

シニアケアハウスに入居している叔母に会いに行った。鹿児島市内中心部の循環器科病院が運営しているハウスで9階の部屋は眺めも良く風通しも良い。叔母らしく、ハウスの住人のまとめ役の様だった。



近くの電停「高見馬場」を始め鹿児島市電は緑の軌道敷が有名になっている。管理のために営業運転終了後に芝刈り電車を走らせているという。



帰って墓参りを、家人と甥っ子姪っ子と。4人で行った。昨日は義母と義妹が行ったのだが途中でゲリラ豪雨に会い、掃除途中で引き返した。4人できれいに掃除した後、記念写真を写し帰った。




13日朝7㎞ジョッギングをした。永田川には鯉が沢山泳いでいた。
ケアハウスの叔母とともに昨年10月に亡くなった叔母の精霊祭に参加した。神道の祭りで行ったので神棚の飾りつけにも意味がある。魚は海腹川背で頭を神棚の方に向け海の魚であれば腹を神棚に向ける。祭りの最後には神主さんから盂蘭盆(うらぼん)と精霊祭の意味について教えていただいた。人間以外の生き物も死に直面すると悲しむが、10数年たって亡き人を偲ぶ催しをするのは人間だけである。

精霊祭の後、参加した親戚たちで記念写真を撮った。
昼からは義父の初盆の食事会があり、近い親戚10名ほどが集まり義父を偲びながら食事を楽しんだ。お吸い物や酢の物を義母が作っていたが、届いたのは豪華会席料理。どうやらお鮨を頼んだのに会席料理と間違えたらしい。食べる方としては、種類が増えたので嬉しかったが。写真は食事の前に皆さんと。







夕にお墓参りをし、再び記念写真。












墓参りを済ませ、新幹線さくらで熊本に移動したが、指定席は満席だったが自由席はガラガラだった。