2013年5月31日金曜日

柴又100Kmウルトラマラソンの前日


柴又100kmウルトラマラソンの前日、晴れて気持ちの良い日で早起きしたが電車で通勤をした。すでに5月の走行距離は205Kmになっており、疲れがたまっている。
病院に着きビルの隙間に見る青空が美しい。明日は曇って小雨が降ってほしいが、晴れのち時々曇りとか、最高気温は26-27℃になるようだ。
夕食は初期研修医で麻酔科をラウンドしているF田先生と近くの焼き鳥屋に行った。彼は学生時代から担当教官としてつながりがある。麻酔科にいる間に色んな勉強をしてほしい。ここではビールは小ジョッキ(グラス)二杯までとして、家に戻った。二度目の夕食は天婦羅うどん定食(ごはん付)のカーボローディングで明日に備えた。

ピンチヒッター学生クルズス

会議で遅れたU野先生のクルズスを埋めるべく、急遽クルズスを担当した。先日の初期研修医向けの麻酔科説明会用に作成した緩和ケア・医療のパワーポイントや、6月8日のバルーンフェスタin新宿で使う「緩和ケアってなに?」のパワーポイントを使っての約20分濃密な講義をして、U野先生に引きついた。
今週の学生さんたちは初日のチョンボのため全員追試の瀬戸際にいることを良く自覚し、熱心に反応良く参加してくれた。チョンボとは、朝カンファの後直ぐに手術室に行って指導教官と当日の打ち合わせをせねばならないのに、勝手に休憩時間を作って行方不明になった事件だ。
皆精一杯の笑顔を作ってくれたので、U野先生への「とりなし役」はまた自分になりそうだ。

2013年5月29日水曜日

ICU版たーさんを囲む会

「ICU版たーさんを囲む会」として飲み会が盛大?に行われた。参加したのはICU麻酔科スタッフのS根、M下、N美、(何故か?)I田先生たちに、看護スタッフのN尾、K山、I井、H山ナースと、ICUをスーパーポリクリで頑張って(評判の良い・・・具体的に褒めようのないときに使う褒め言葉)のT下君と自分の10名。本来はN尾さんの送別会とT下君のご苦労さん会で集まったのだが、結局「たーさんを囲む会」になった。ICUには40~50名の看護スタッフが働く。後日、前のICU師長K田さんに、会の話をした。今度誘いますよと言ったら、喜んでおられた。
この日、当然のように近所に住むT下君は「たーさん送り届け係り」に指名され、自宅(私の)での二次会に参加した。

2013年5月26日日曜日

日本麻酔科学会3日目、東京に戻る

 
学会三日目。9時からのM下先生のシンポジウムから聴こうと思っていたので、6時過ぎから北海道大学の構内を走った。途中散歩中のF重先生ご夫妻と遭遇した。今日は新渡戸稲造の像と遭遇した。そこには「I want to be a bridge across the Pasific.」と刻まれていた。.
ホテルに戻ってバスタブにお湯を張って、ゆっくりしていたら、8時半を過ぎていた。朝食はパスしてタクシーで会場へ行った。シンポジウムの開始に間に合い、最初から聴くことができた。M下先生も堂々とした発表だったが、質問の意味を取り違えていたようだ。しかし初めてのシンポジストだ。120点をつけてあげたい。
昼食は漢方薬の周術期の使用について勉強しながらいただいた。帰りの飛行機には乗り遅れるわけにはいかない。出発1時間以上前に新千歳空港に着いた。搭乗口前でブログを打ち始めた。


羽田空港で、熊本から上京する姉を待った。丁度出口から出てきたところで甥っ子の広君とも会えた。3人で宿舎の東京プリンスホテルに行った。そこでMadokaちゃんと合流し、御鮨の夕食になった。ここは姉が出してくれる・・・ので、ついつい日本酒も飲んでいたようだ。Madokaちゃんはとても可愛らしく、礼儀正しい娘さんだった。
広君と東中野まで一緒だったが、後は自力で帰った。





翌朝善福寺公園に走った。公園の池には蓮の花が咲いていた。










朝ご飯をしっかり食べ、掃除洗濯の後買い物へ。そこで花ラッキョウを買って昼食に添えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
柴又100kmウルトラマラソンで使用するヘッドライトがついた。ちゃんと電気がつく。

日本麻酔科学会2日目

2日目、北海道大学構内を走った。札幌農学校は北海道大学の前身。クラーク博士の像が北大にある。
北大の中の花々も綺麗だが、寒い。牛たちは広い実習農園でゆったりしている。






ポスター発表のために8時過ぎに会場に行った。ポスター発表の順番で、自分の前の施設の部長は留学時代からの知り合いで、後の施設は熊大時代からの知り合いだった。後でお会いできた。さて、発表はぶっつけ本番で口が渇いて舌がまめらず困ったが何とか済ませた。写真は自分のポスター。

スマートフォンの充電が切れそうだったので、充電器の電池を大通公園沿いのコンビニで買った。天気が良く青空に既に散り始めた桜や木蓮が映えていた。。
 
 
 
午後から倉本聰氏の講演を拝聴できた。何とかメモをしようとスマートフォンに打ち込んだ。家人にも教えようとメールで6回に分けて送った。家人は迷惑にならないかと心配して?返信が来た。倉本氏の作品であるTVドラマ「風のガーデン」で麻酔科の医師や仕事をよく勉強されたようだ。中井貴一の熱演や、緒方拳の在宅緩和ケア医(完成後緒方拳は肝臓がんで亡くなった)の重厚な演技は忘れられない。
 

会員懇親会はサッポロビール園であったが、その前にペインクリニック学会の用語委員会に参加し、委員のK本大学のY本先生とご一緒して懇親会に行った。斜め前にO山大学の先生たちがおられたので、新入医局員獲得の秘策を尋ねていた。



二次会も準備したというK沼医局長からの連絡があり、すすきのに向かった。北海道でも芋焼酎のスタンスは変わらない。グイグイピッチを上げているうちにお開きの時間がきた。皆にタクシーに乗せられた?らしいが、ちゃんとホテルに着いて自室で一人三次会をしていたようだ。

日本麻酔科学会第60回学術大会前日と第1日目

5月23~25日に日本麻酔科学会第60回学術大会が札幌で開催された。22日水曜日の夕方時計を気にしながら出発1時間15分前に病院を飛び出した。予想では羽田空港の手荷物検査場まで1時間かかるので、丁度ぎりぎりセーフを狙った。が、西新宿、新宿で階段が込んでいて数秒差で次の電車になった。手荷物検査場では3分前に締め切りましたとの返事だったが、さすがにJAL!一時間後の便を無料で手配してくれた。この影響は夕食に響いた。札幌駅近くのKOプラザホテル札幌に投宿したが、食事は駅に近い雑居ビルの居酒屋での食事になった。しかし北海道の食事を満喫できた。写真は一人で食べた夕食。


北海道に着いた時も寒かったが、翌朝もっと寒い!!30分ほどホテルの近くを走り体を温めた。寒さに備えた下着の長そでシャツと合い物のスーツが役に立った。写真は道路わきに咲くチューリップ。

会場は4つのホテルや施設に分かれている。主会場のホテルロイトン札幌で出席登録を済ませて午前痛の講演を聴きに行った。熊本から参加された先生たちとは一年ぶりにお会いするので懐かしい?共同セミナー(昼食付き)の後、シンポジウムやポスター発表を覗いてみた。

予約していたセミナーの終了が19時30分で、19時から始まっているT医科大学の懇親会に急いで行った。発表者のほとんどが2,3日目なので安心して飲めるわけではないが、初期研修医も参加しているので盛り上げねばならない。
U野先生は大きな盃に酒?ビール?を注ぎ、縁固めをしていた。

初期研修医のフォローは若手に任せて年長組で「すすきの」を歩いていたら、K沼医局長から応援依頼の電話があり二次会場に行った。「ここまでしますか?」「当然でしょう」とばかりに大いに喋って飲んでいた。
3次会はホテルの自室でとコンビニでビール、酎ハイ、柿ピーを買った。しかし、スーツを着たままソファーで寝ているのに朝の4時ごろ気づいた。ズボンプレッサーでしわを伸ばし、体の皴は北海道大学構内ジョッギングとシャワーで伸ばした。

2013年5月19日日曜日

ももちゃんと走る


午前中、学会準備をした。昼ご飯をももちゃん一家と食べることにしていたので恵比寿に行った。恵比寿駅近くの交差点のところでももちゃんたちにあった。ももちゃんは、最初は恥ずかしがってまともにジイジを見ようとしなかった。
ももちゃんはベビーカーの先端にちょこんと座っている。段差があると足を地面について巧みに段差を上がったり下りたりする。

フレンチのテラスで食べられるレストランに入った。ももちゃんはオレンジジュースを飲みオムレツを食べたが、一番気に入ったのはパンのようだった。
 
 
 
 
ジイジがパンのやわらかいところを分けてあげたら嬉しそうに食べた。この辺から恥ずかしがらなくなった。写真は慣れてきてふざけて笑い出したももや。
日赤医療センターの方を散歩した。

途中ももちゃんと走った。未だ両腕を振って走らないのでスピードは出ないが、うまくバランスを取って走る。いつの日か一緒にマラソン大会に出たいものだ。写真は途中までついていけたが、ばて始めたももや。
途中のスーパーでお買い物をして、ももちゃんのマンションの前で別れた。ももちゃんはジイジと別れるのが悲しくてあやちゃんの胸で泣いていた。
 
 
 

自分は西新宿でウルトラマラソン用のシューズとトランクスを買って帰った。
帰って善福寺川沿いに善福寺公園まで走った。往復で1時間かかったのは、川の蛇行が強いからだろう。往復+善福寺公園一周で約9km位ありそうだ。

週末がんばる


17日金曜日はぎりぎりまで仕事をして、白金台の八芳園で開催される日本ショック学会のイブニングセミナーに向かった。興味深い話で、情報交換会の時にはK屋先生ともお会いした。先生は明日は午後から熊大麻酔科の同門会に出席のために熊本に行かれるという。写真は桃園川緑道で写したバラ
情報交換会の後、I田先生、〇葉大のO田先生、F田大のN田先生と場所を移してワイン、焼酎を飲みながらお話しした。面白い組み合わせには訳があるが写真を写すのを忘れた。

18日は午前中回診をして、麻酔科医局説明会用のスライド作成に没頭していた。T医科大麻酔科の三本の矢(手術室の全身管理、集中治療部の救命・重症患者管理、ペインクリニック)に緩和医療・ケアを入れ込み救命から看取りまでを担える麻酔科医・・のスタンスでスライドを作った。パワーポイントを取り込もうと努力したが、背景が白くならなかった・・・。

AED講習会のチューターや当直業務に初期研修医は召集されていたようだが、それでも二人の研修医が来てくれた。感謝。
 
 
 
 

その夜、この一週間通勤ランで52.4㎞走って疲れ、風を引いて体調最悪になったため、浅草の三社祭りに遊びに行こうという誘惑を断りひたすら滋養回復のために豪華夕食を作った。日曜日は日本麻酔科学会の発表原稿を書き上げ、ももちゃんと昼ご飯を食べる。

2013年5月15日水曜日

駅弁夕食


上越新幹線で燕三条に向かう火曜日、浦佐から長岡の平野では田植えの準備が進んでいる。写真は田植えを待つ水田。
長い手術だったので、病院近くの八幡様のお祭りを覗きに行く時間が無くなった。帰りの東京着が22時30分になった。ラッキーなことに駅弁屋さんがまだ空いており、売れ残った(失礼)4種類の弁当が200円引きでお客を待っていた。
その中から、「かきめし」と「いろどりてまりべんとう」を買った。
家に帰って、コンビニ野菜サラダに冷蔵庫にとっておいた葉物の野菜とハムでアクセントをつけた。即席みそ汁をつけて、一見豪華な夕食になった。ただし食べすぎで15 日朝は牛乳とジュースだけの朝ご飯になった。

飲み会の後で鼻声になった・・・

58日慌ただしい中クルズスの講義をした。外来が控えていたので、学生さんと記念写真を撮るのを忘れていた。10日金曜日医局長のK沼先生が学生さんに「先に、さつきに行っといてね。」というのを小耳に挟んだ。さつきで記念写真を写そうと思い行くと、二人学生さんがいた。K沼先生のバトミントン部の後輩という。後からK沼先生の来たのでこの日は4人で夕食をとり、荻窪に移動した。満龍軒でラーメン二次会、うちで焼酎三次会をして解散とした翌朝、ソファーで寝ている自分と傘がないのに気づいた。

513日、熊本時代から親しくしていただいているF島さんたちと鹿児島出身の研修医の金〇先生とさつきで夕食をした。F島さんは熊本から帰ってこられたばかりで、辛子蓮根と日奈久の竹輪をいただいたので早速食卓に出してもらった。自分は鹿児島で買ってきた焼酎「きばいやんせ」を提供した。

話しも盛り上がった頃、U野先生とO原先生が乱入し?、遅れて研修医のH松先生とMくん先生が加わった。M岡先生まで加わり盛り上がってきた頃、F島さんたちをお送りして金〇先生と荻窪に向かった。満龍軒でハーフサイズのラーメンを頼んだが、大将から「傘をお忘れでしたよ」と言われた。よくわかるように傘が壁に掛けてあった。感謝。
自宅に行ってのチューハイ・柿ピーで締めとした。金〇先生のご両親は高校の同窓生なので、しっかり研修をしているのか気になる。翌朝、床で寝ている自分がいた。
三次会を自宅でするのは、帰りの心配がないので良いのだが、ちゃんと着替えて布団の中で寝ているかどうかが心配だ。自分が医局長時代、時々学生さんを森〇教授宅に連れて行ったことを思い出した。奥様から高級なウイスキーを出していただいたが、うちではビールか焼酎しか出ない。
飲み会の後で鼻声になるのは、どうやらまともに布団の中で寝ていないからのようだ。これからは寝袋の中で寝たほうがよさそうだ。

2013年5月11日土曜日

PEACE SEMINER開催


T医科大学主催のPEACE SEMINERを11,12日開催する。KO大学から3名と民間病院から1名のファシリテーターの応援をもらって15名の受講者へ緩和ケア・医療の講習を行う。ワークショップ形式でロールプレイもあり内容はかなり濃い。



 
今回、これまで開催されたSEMINERの中でも受講者のレベルが最高?と他のスタッフが話していた。自分がここでSEMINERに参加するのは初めてなので比べようはないが、話し合いの内容を聴いていると確かにかなり勉強されていると思った。
ロールプレイではアドバイスや講評もさせてもらったが、むしろ自分の方が学ばせてもらったようだ。明日は2日目で今日に引き続き講義も担当する。


終了後、心臓血管外科の2名の教授就任祝賀会に出席した。いつも親しくお話ししていただいている先生たちだ。K瀬先生はマラソン仲間、S部先生は単身赴任仲間(K瀬先生は単身状態から解放されたようだ)で話も弾む。丁度テーブルの隣に循環器内科のOT先生が座っておられたので、カリキュラム改編についても話題もあり面白かった。

会場のKOプラザホテルに母の日のカーネーションの豪華花束が飾ってあった。写真に撮って身近な母親たち(自分の子どもたちの母親と自分の孫たちの母親)に送った。

翌12日セミナー2日目、今回の受講者はよく頑張ってくださった。皆さん真面目で討論に参加し、ロールプレイも熱がこもった。受講者を代表してA元先生に修了書をお渡しした。
この後竹橋に移動し、NPO法人ペインクリニック普及協会の総会に参加した。食事が出たので良かった。

西新宿から荻窪まで走って帰った。小腹がすいたのでオジヤを作って食べた。

2013年5月9日木曜日

日常に戻る、東京武蔵野多摩ワイズメンズクラブでの卓話



5月6日に東京に戻り夕食は持ち帰ったなすとゴーヤ尽くしのおかずにした。最近は手際が良くなり、30分あれば2,3品作れる・・・と書いておこう。

8日、東京武蔵野多摩ワイズメンズクラブの例会に参加し、「西日本区クリスチャニティー(CE)特別委員会の活動」という内容で卓話をさせていただいた。自分とYMCAの関わりをイントロダクションに入れて、熊本でのYMCA/Y'S活動や仕事のこと緩和ケアとの出会いと受洗に至るまでをお話しした。西日本区CE特別委員会で行ったアンケート調査からみた西日本区現状の論文を解説しながら、キリスト教に限らず他の宗教に対して寛大に尊敬の念を持って接することの大切さを話した。
20名と一匹のワンちゃんの参加だった。例会の最初、メンバーの皆さんのトーンチャイムのワイズソングの伴奏には感銘を受けた。

謝金をいただいたが、そのまま青少年健全育成のための基金に寄付させていただいた。良かったのは丁度東京YMCA西東京センターでの例会だったので、2年間の懸案だった東京YMCAに入会できたこと。会の後には二次会も準備されており、大いに食べて飲んで語った。帰りは中央線で国立から荻窪へ。部屋に入ってソファーに座ったのだが、ネクタイ、ジャケットを身に着けたまま朝まで寝ていた。

2013年5月6日月曜日

阿蘇スーパーカルデラ後半戦練習会


5月5日、熊本てれっとウルトラマラソンクラブの阿蘇スーパーカルデラ後半戦練習会は阿蘇駅集合しスタートする。K島さんに4時45分にピックアップしてもらって阿蘇駅に行ったが、着くのが少し早すぎたようだ。しかしきれいな朝日を見ることができた。



この練習会はT瀬さんがリーダーになり、K島、T畑、T本、赤シャツ、O田、K牧さんたちが固定または移動エイドを作って参加者をサポートしてくれる。写真はエイド準備風景



阿蘇駅で参加者と記念写真。エイドサポートスタッフを合わせると70名を越えるが、写してくれたT本さんには、「両端は写らんでもよかよ。」と言ったので、全員は写ってはいない。「あなたがたーさんですか、ブログを見ています!」と初対面の方から話しかけられると嬉しい。
本番でゴール地点の阿蘇市総合センターへ移動約6kmした後、本番コースを逆走する。9.2kmは平坦だが12.8kmはアップダウンが激しい道が続く。戦群(かしむれ)から再びゴールに向かって引き返す(44km)で合計約50kmのタフな練習会だ。
自分は最後尾から走り最後のメンバーを支えること、出来るだけ阿蘇の自然を写真に撮ることをこの練習会の目標にした。K野さんとT井さんが少し遅れだしたがペースは保っている。完走には問題ない。

折り返し地点近くにはライラックの花が咲き誇っている。桃のようにも見えるが・・・
 
 
 
 
 
 
 
高原植物?ウマノアシガタ?の黄色いかわいい花が元気づけてくれる。

高原の緑と青い空には黄色と紫の藤の花が似合う。

広々とした九州山地を一望しながらの至福のランだが、坂が多いので辛い。

残り11km地点にあるO田亭では豚汁やおにぎり、フルーツポンチを準備していてくれた。亭主は四国にお遍路ランに行っておられるとか。いつも心温まるサポートをしてくださり感謝。

象ヶ鼻の急坂をかけ下り黒川にでた。昨年の阿蘇・熊本大洪水の痕が生々しく残る。壊れて流された橋の横に簡易橋が架けられていた。写真は流された端。

田植えが丁度始まった時期だが、外輪山にはがけ崩れの跡が数か所見られた。
ゴールはK野さんと一緒になった。ちょっと後押しして、自分が一番ビリ。「たーさんより先に行けば完走する」のゲン担ぎをした。写真はゴール5m手前にて。
温泉に入り弁当をつつきながら、仲間たちとビールを飲む。これがあるから練習会は良い。帰りはK島さんに送ってもらった。
 

夜にひなちゃん一家が寄ってくれた。昨日はU太君は体調が良くなく一緒に結婚3周年記念日を祝えなかった。今日はジイジが酔っぱらっている。
 
 
 

翌6日熊日新聞の「わたしは赤ちゃん」の欄にひなちゃんの写真が載っていた。あと1時間半で東京羽田行きの飛行機に乗るが、H美さんのとこから送ってもらった「なすとゴーや」をリュックに入れて帰るので、他の荷物は宅急便で送ってもらうことにした。