2019年3月30日土曜日

さくらアート展 in 目黒雅叙園東京

30日、土曜の午後から目黒雅叙園東京の百段階段で開催されているさくらアート展に行った。友人のご主人が作品を出展しておられ、優待券をいただいた。作品が百段階段沿いの部屋に飾られていたが、素晴らしい作品の数々の中でも、彼の作品は贔屓目なく一際輝いていた。

雅叙園前の桜は満開だったが、目黒川沿いの桜は4,5分咲き。これからきれいに咲くだろう。

2019年3月29日金曜日

医療連携親睦会

29日、医療連携親睦会がKOプラザホテルで開催された。関根先生と講演会が始まる30分前に会場に到着した。
三木院長先生の新病院にかける熱い思いを拝聴し、平澤新宿区医師会の東医への期待の御言葉に感銘をうけた。

懇親会が始まったら、多くの医療従事者の皆さんと名刺交換をしてお話しした。30名以上とお話ししただろうか。会が終了し出席された連携医療機関の皆様が帰られた後、30分ほど食事タイムを作ってもらった。お腹が減っていたので欠食児童の様に食べていた。

2019年3月28日木曜日

種子島会

28日、久で種子島会。T主任が4月から病棟師長に昇任するので3人で急遽集まることにした。鹿児島で買った種子島の焼酎「甘露」も準備した。申し送りのために彼女は1時間ほど遅れたが、Eさんと話しているうちにやって来た。Eさんはわざわざ焼酎をプレゼントしてくれ、Tさんからはお菓子などをいただいた。
種子島弁を心おきなく使えるこの会は好きだ。Sさんが丁度別会に行って参加できなかったので、次又計画しよう。


2019年3月24日日曜日

八景水谷公園の花見と東京へ

24日、快晴でポカポカする陽気だ。庭のチューリップを鑑賞していたら家人から草取りのリクエストが来た。嫌がらずに草取り、少なくとも8年ぶりにしたか。桜が観たくなり、家人を誘って八景水谷公園に行った。ソメイヨシノはまだ12分咲きだが、山桜や陽光という桜は満開だった。公園駐車場のチューリップも満開、春爛漫を楽しんだ。

NHKの素人のど自慢は新宿で開催されているようだ。優勝者を確かめ熊本空港に送ってもらった。途中阿蘇中岳が白い噴煙を上げていた。飛行機の中から、息子一家が済む高森や阿蘇の五岳を写した。

関西上空に来ると雲が多くなってきた。

2019年3月23日土曜日

熊本大学医学部サッカー部追い出しコンパ

23日、休みの土曜日。ゴミだしとクリーニングを済ませ、一張羅に着替えて羽田空港に向かった。今日は熊本大学医学部サッカー部の卒業生追い出しコンパ、熊本ドクターズサッカークラブの総会が熊本で開催される。今日で熊本ドクターズの会長職が終了する。サッカー部60周年で作ったネクタイと50周年で作ったネクタイピンを身につけた。少し派手な気がするが、この日でないと身につけないだろう。  機材の到着遅れと強い向かい風のため熊本到着が20分遅れた。家人が空港に迎えに来てくれた。このような生活はあと2年続く、と思う。家に帰り、先日堀木先生に貰ったシュウマイをお昼ごはんに頂いた。

 
会場のアークホテルには受付開始時間がやや過ぎた時に着いた。先に着いたOBや卒業生たちと言葉を交わした。今年の卒業生はまだ発表のない放射線技師の国家試験を除き、医師国家試験をうけた5名と看護師国家試験を受けた3名は全員合格しており、喜びにあふれていた。
 
最初に熊本ドクターズの総会をした。田嶋事務幹事が総会資料をうまくまとめてくれていたので分かりやすくスムーズに終了後した。今回は会長交代となるので会の開会宣言の後、自分の会長としての最後の挨拶になった。卒業生の熊本ドクターズへの入会の歓迎、これまでの会の運営協力への感謝、川口次期会長への期待を述べた。川口新会長の挨拶と谷口部長の挨拶の後、西顧問の発声で乾杯になった。この会でも学生たちが列を作って乾杯に来てくれる。隣に座った宮城君と白石先生と話が盛り上がった。

卒業生一人ひとりを関係の深い在学生が紹介し花束を贈る。そして卒業生が思い出や感謝の言葉を語る。追い出しコンパの進行はこの数十年変わらない。一人ひとりに喜びや後悔がありこれからの希望がある。良い医師や看護師を目指して欲しい。
秀前監督の万歳三唱で会は終了し、二次会に移った。

小一時間ほど二次会にいて、学生やOBたちと語った。一次会に参加した10数名のOBに更に二次会からの参加者が加わった。皆に挨拶と握手をして、一人プラスワンに向かった。

プラスワンでは芋焼酎“佐藤”の水割りを飲みながら森さんご夫妻と語った。丁度姪っ子さんたちのグループが来店しており、短い時間ではあったが半紙もできた。東京の大学でバスケットをしているそうで、熊本時代の仲間と来られたようだ。帰りは森さんの車で送ってもらった。

2019年3月22日金曜日

ワイズメンズクラブ合同例会

22日、東京西ワイズメンズクラブと世田谷ワイズメンズクラブの合同例会に参加した。今日の卓話のテーマは「隠されつづけてきた原発のほんとうの怖さ」。卓話者は元原子力発電所で技術者として発電所の設計、建設や維持管理に携わっておられた方である。放射線の外部被ばくは地球で暮らしている以上仕方がないが、内部被ばくは防がねばならない。原発事故で生じた汚染地区と非汚染地区との比較疫学調査はぜひ必要であり、多くの示唆を人類に与えてくれるだろうと思った。
 会が終わり東京西クラブの皆さんと近くの焼き鳥屋に行った。村野さんのお孫さんでモーリシャスに住む17歳の女の子は7月からカナダの大学に進学すると言う。それまでお爺ちゃん、お祖母ちゃんと一緒に住むようだ。日本語はもちろん現地語、フランス語や英語も堪能なので有名なフレンチレストランでアルバイトもするらしい。このようなコスモポリタンに良く会う機会が増えた。


2019年3月21日木曜日

お彼岸

21日、今日はお彼岸。家人は鹿児島に行き親戚と義父母のお墓参りに行っている。自分は暖かな日和に誘われて、午前中善福寺公園コースを走った。カンヒザクラなどの早咲き桜は咲いている。帰ってシャワー、ブランチ、掃除や洗濯をしていたが、越生の霊園に眠っている従兄弟のお墓参りに行こうと思い立った。霊園までは往復で丁度100㎞ぐらいで高速道路を使うと3時間で往復できる。
 お墓に着くと、きれいに花が飾っていあった。皆さん来られたのだろう。


 帰って「久」に行こうかと思ったが、車から降りると強い風が吹いており、直ぐにその気を失った。大人しく駐車場からの帰り道にあるローソンでオカズ(つまみ)の食糧を買い込み帰った。

2019年3月20日水曜日

緩和ケア施設外研修

20日、神奈川県立こども医療センターの堀木先生が緩和ケアの施設外研修で当院にこられたのが2年前。毎月1回2時間程度の勉強会をしてきた。一日の勤務を終え来られるのだが、疲れておられるのにチェックの必要なケースレポートや論文や抄録など準備してこられた。
児の緩和ケア対象患者の経験がほとんどない自分にとっては、かえって勉強させてもらった感がある。今回が最後になったが、ご褒美に薬剤部でやっていたWEBセミナーに参加して美味しい弁当を食べた。来期からは成育医療センターで研修をされるという。日本緩和医療学会の認定医か専門医を取得したらお祝いをしてあげよう。


2019年3月16日土曜日

車の1年点検

16日、ある土で午前中は回診、午後からは事務的な仕事を済ませた。今日は愛車の1年点検。ディーラーに乗っていき預けた。やはり走行距離が短くバッテリーが減っていると言う。も少し乗る機会を増やしたいと思った。


2019年3月13日水曜日

がん教育勉強会

13日、都庁でがん教育の勉強会が開催された。がん教育が教育要項に採用され、東京都内の少中高等学校、特別支援学級な約2000カ所で授業が始まるという。自分は東京女子医大の林和彦先生の勉強会に参加し、また昨年は富久小学校6年生への授業の経験がある。
参加したがん教育に関心のある臨床医やがん経験者の皆さんと共に、熱心に勉強させてもらった。



2019年3月12日火曜日

事例検討会

12日、1620分燕三条発のMAXときに乗車すると18時には東京駅に着く。長岡、大宮、上野にしか途中止まらない。この新幹線に乗り19時からJCHO東京新宿メディカルセンターで開催された事例検討会に参加した。JCHOMCが地域連携で診た患者さんをJCHOMCのスタッフとかかりつけの訪問診療医や訪問看護師、ケアマネージャーが経過を報告し討論をしていく形式。何と4例の事例が報告された。基礎疾患に悪性腫瘍があった事例は1例で、慢性呼吸不全でHOT導入した事例や認知症の事例などこれから増えていくであろう在宅療養が困難と思われる患者さんたちだった。
それを見事に看取りまでケアをしていく努力には感動すら覚えた。
  会終了後懇親会もあったが、長旅?で疲れていた自分は珍しく失礼して帰宅した。

2019年3月10日日曜日

3月8-10日の帰省

810日、81855分のJALで熊本へ。家人の迎え有り、家にかえって豚しゃぶの夕食。9日、光の森のシネマに長男一家がどらえもんの映画を観にきている。ここの2回のフードコートで会う。久しぶりに桃也を高い高いする。随分しっかりしてきた。



ここから熊本駅に行き、新幹線で鹿児島中央駅へ。新幹線構内の焼酎販売所や2回の土産横丁の薩摩焼酎館には日当山酒造の千秀や朝日、高崎酒造の甘露は置いていない。AMU PLAZA地下の焼酎維新館には揃っていることを確認し、谷山へ。谷山タクシーで家人の実家の墓参りに行った。タクシーの運転手さんが種子島の人だとすぐに分った。叔父叔母のすぐ近くに住んでいる人で8年前から鹿児島にでて働いておられるようだ。

再び鹿児島中央駅に戻り、千秋と甘露の一升瓶を東京に宅配を頼んだ。朝日の五合瓶は持って帰ることにした。

東急REIホテルには16時直ぐには着いた。会場の3階あずまは依頼した通り和室でテーブル椅子の会場を作ってもらっていた。1回ロビーに下りると姉夫婦が来ていた。暫くして叔父夫婦と従兄弟が着いた。会場に戻り着席するうちに従兄弟夫妻がきて予定の9名が揃った。叔父の挨拶、従兄弟の献杯の発声で会が始まった。叔母の思い出話し、近況報告などを話した。以前従兄弟会をしたことがあるが、何時かいとこたちがみんな集まる会をしたいものだと思う。

ずい分酔っぱらったのだろう。新幹線の中のことは覚えていない。ぐっすり眠っていたようだ。姉夫婦と熊本駅で別れた時からはっきりしている。

10日、9時過ぎに家人と娘の家に行き、孫を2時間ほど預かることになった。陽太がぬる絵をしている間、丈二とボール遊び。褒めながら上手く遊ばないといけない。続いて3人でかくれんぼ、いきなり見つけると具合が悪い、一旦は見逃すようにした。飽きたところで海賊ゲーム。海賊虎ひげの人形が、樽のナイフ入れの隙間にナイフを入れると、飛び出すゲーム。陽太と家人が良く引っかかっていた。そうこうするうちに婿殿が仕事から帰ってきたのでバトンタッチができた。疲れた・・・。

家に帰りチキンラーメンで昼食、熊本空港から羽田に向かった。霧が出て来て、自分の次の便は結構になるとか・・?飛行機はかなり揺れたようだが、自分はぐっすり眠っていた。

荻窪に帰り、クリーニング出しして病院へ4目鵜の患者さんの回診と学会抄録づくりやがんプロの仕事をして23時前に帰宅、それから夕食を準備しシャワー後に食べて寝た。眠る前の食事は身体に悪いのだが・・・

2019年3月3日日曜日

東京マラソン

3日、朝から冷たい雨が降っている。自分にとっては最悪の天気だ。左足首のテーピングを念入りに行い、朝食には予定通り焼き餅2個とポタージュスープを取った。ランニングの着替えをして、ジャージを着て病院に向かった。自室で熊本城マラソンで貰ったオレンジの雨除けポンチョを上から着てクマモンの被り物をかぶった。ジャージや着替えを荷物預け用のビニールの大きな袋に入れた。
Gate4からランナーエリアに入り、指定のトラックに荷物を預けた。自分のスタートブロックはL。最後のグループだ。できるだけ前の方に行った。フットサル施設管理棟の横から森先生にLINEをした。直ぐに森先生が来られた。横に知り合いの先生もおられ、話しは盛り上がっていたようだ。自分は雨に打たれながらひたすら身体が冷えないように細かく動いていた。



スタートの号砲は910分、3040分スタート地点まで行くのに時間を要すると思っていたが、予想外に25分でスタート地点を通過した。すぐ前に東京医科大病院があり、6回のレストランのテラスで応援をしているスタッフが見えた。大きく手を振ったが、誰か気付いただろうか?既に25分ロスしているので、とにかく前を向いて走った。ここから飯田橋まではなだらかな下り坂が続く。9.9㎞の第2関門では15分の貯金ができた。このままいけば一回分のトイレ(10分前後を予想)タイムが確保できる。

冷たい雨と風は予想外に身体を冷やした。16㎞地点でトイレの数が多い場所でトイレに並んだ。並んでいる人数が半端ない。結局20分間のタイムロスになった。心が折れそうになったが、沿道からの「クマモン頑張れ!」に何回も励まされた。

一番の危機は34.5㎞関門でした、8分前に通過しました。品川折り返しで少し走ると向かい側から最終ランナーが走ってきた。お腹が空いて沿道の応援の人たちからチョコレートや飴をもらうのだが、手指がかじかんで袋が開けられない。開けて取り出してもらうこと数回。38㎞付近で「クマモン頑張れー!」の黄色い声援、思わず手を挙げて応える。あれっ!?確か綾瀬はるかさんでは?隣を走っていた人が「綾瀬だ、綾瀬だ」と言っていた。自分もそう信じて残りの4キロ少しにエネルギーを傾注。

最後の丸の内仲通りを走る頃は感激で涙が出そうになったが、それよりも寒さが辛かった。

ゴール!グロスで6時間40分、ネットで6時間15分だった。クマモンも被り物のおかげで応援を沢山貰い、保温にも役立った。2週間の間隔での2回のフルマラソン、達成感を強く感じた。

2019年3月2日土曜日

東京マラソン前日

2日、東京マラソンの受付に台場に行った。快晴で気持ちがいい。ガンダムの大きな構造物?があった。明日の天気ははかばかしくないようだが?

帰って鳥鍋を作った。最後はみそ仕立ての雑炊で締めた。カーボローディングのためにイチゴショートも食べた。今日を含めて3日間の禁酒をした。明日の服装の準備、ゼッケンをつけたり靴にチップを付けたりして休んだ。