2010年3月31日水曜日

別れ

 恐らく今週末が桜は最後の見所になるだろうが、残念ながら今週末も来週末も熊本にいない。
 今日はまさに年度末。大切な会議が終わった後、待ってくれていた外科の本〇先生と会った。彼はサッカー部の後輩、明日からは別の病院に転出する。これまでお世話になったことの礼を述べてくれた。礼儀正しい好青年医師だ。記念写真を写した。
 写真は本〇先生と

 明日から会えないであろう仲間がいて、そして新らしく出会う仲間がいる。これが3月末から4月の変化。この春自分は残って見送り迎える立場だが、いつまでその状況なのだろうか?
 今夜開催された会議の後、新しく担当理事になられる豊〇先生から今期の市医師会国際交流委員会への協力を求められた。今期はサン・アントニオ市に訪問する年。毎年この頃になると英会話の勉強を頑張ろうと思う。

2010年3月30日火曜日

年度末

 3月もあと2日の今日、熊本県がん診療協議会の懇談会が大学病院であった。うちの病院を代表?して参加した。地域がん治療拠点病院は(熊大病院は県の拠点病院)7箇所あるが、天草や芦北地域にはない。熊本市地域でもがん患者の治療をかなり実施しているのに、うちみたいに拠点病院になっていない病院もある。その理由は、放射線治療ができる施設を持たないから。
 水俣市立総合医療センター病院長のS先生は、鹿児島県出水市立病院との病病連携を例に挙げ、水俣でできない放射線治療は出水市立病院に依頼していることを指摘された。熊本市内でも当てはまる病院が何箇所もある。うちの病院は、大学病院やC央病院に依頼している。そして消化器外科領域のがん患者さんはかなり多い。病病連携も考慮しなければ、ある程度の規模の病院は全て放射線治療のできる施設を完備しなくてはならないことになる。それこそ医療器械屋さんのための指定病院制度になってしまうだろう。県の担当幹部も来られていたが、そこを理解できなさったろうか?(ここは熊本弁)

2010年3月28日日曜日

東京で桃ちゃんに会う

 3月28日は東京で大事な会があり日帰りで行って帰った。自分は9時20分のANAで東京に向かったが、桃ちゃん一家は11:05のANAで東京に帰ったという。自分の帰り羽田発のANAが18時20分だったので、会が終わって桃ちゃんの家に寄った。息子が家には泊まれない位狭いと言うが、本当に凄く狭かった!
 桃ちゃんは少しぐずっていたが、ジージが抱いたらすぐに泣き止んだ。 退院した時はブカブカのお帽子が、もうキチキチになっていた。大きくなった!
「成長を 教えし帽子が 小さくなり」
 今日は将来のそして、今までの自分を考えるいい時間を持てた。
 家人に電話したら、桃ちゃんとのお別れで涙涙だったという。東京も寒かったが熊本も寒かった。病棟によって回診して帰ったが、BSの22時からの龍馬伝には間に合った。
 自分の人生を振り返り、これからのことを真剣に考える時間を持て感謝。

2010年3月27日土曜日

2つの歓送迎会と金のなる木?

3月24日は手術室送別会が桜庵であった。1次会では若手の中にしっかり入って飲んだが、管理職はあまりはしゃがず、二次会は一人でプラス1に行った。 写真はまだはしゃいでいる時と看護師長・主任・主役さんの3名




3月26日は病院の歓送迎会。しかしこの日は18時半から医師会の建設委員会、19時から20時10分までは歓送迎会、20時半から医師会の臨時代議員会に出席、それから二次会にいった。4月からA先生が我われに加わる! 写真は挨拶するY院長、4月からの新人医師右端がA先生








天草在の患者さんから、10年に一回しか花が咲かないという「金のなる木」が送ってきた。そう言えば、1年前受け持った患者さんが自分を占ってくれた。2,3年後には大金持ちになると言っていた。本当だろうか?来年からドリームジャンボは毎回購入しよう。
写真は金のなる木







大変お世話になっていたK先生が急逝された。27日葬儀に参加した。弔辞を聞きながら、K先生との出会いや最後にお話ししたことなどを思い出していた。息子さんが最後に挨拶をされた。参列者へのお礼の後に、K先生を目標に、いやいつかは越せるように精進したいと決意を述べられた。K先生安らかにお眠りください。ご家族に平安と癒しが与えられますように。

2010年3月22日月曜日

お花見

桃ちゃんのお宮参りと会食が終わり、数週間前に退院した患者さんの家に向かった。バレンタインデイのお返しクッキーを渡す機会がなかったので今日がチャンス。あっという間に近所に住む親戚の方も集まり、大事になった。小さなクッキーの箱だったのだが、帰りにはアサリや海苔やお菓子やザボンの入った袋を抱えていた。次に1ヶ月前に退院された患者さんの家に立ち寄った。お孫さんからチョコレートをもらっていたので1週間遅れのホワイトデイ。お孫さんは外出中で患者さんに預けた。今日外泊をしている患者さんの家にも立ち寄った。病棟回診で回ったときには既に外泊で病院を出た後だったので顔を見なくてはと思ったから。お孫さんが外で遊んでいたので、「先生外にいるけど入っていいかな?って聞いてね?」と頼んだら、子どもさんたちが出てこられた。丁度お友達が沢山集まって室内お花見の最中だった。お元気な顔を確認して病院へ。そして至福の時の準備を(着替え)した。  毎年のお花見コースは病院裏の公園の桜を愛で、白川沿いに下り花岡山山頂に駆け上がる。花岡山から横手、新町を過ぎYMCAから藤崎台球場横を通り二の丸公園へ。一口城主券を使って熊本城へ。御幸坂を下り辛島公園ロータリーから病院までの約10kmコース。

病院裏の公園は4分咲き、ここには入院患者さんも良く訪れる桜の名所?  




白川沿いの桜はまだ2,3分咲き。ボリュームが足らず、寒々しかった。  
花岡山は隠れた見所。人出は少なかったが仏舎利塔の周りの桜は6,7分咲きだった。




 熊本城に着いた時は、昼間花見をした人たちが丁度帰る頃だった。それほど人では多くなく、大多数は3月26日以降のタイミングを狙っているようだ。知った人は誰もおらず、花見グループに誘われることも無く、病院に戻った。シャワーを浴びて帰宅。途中友達の家に立ち寄り、チョコレートを下さった娘さんにお返し。この努力が大切か・・・



 夕食に娘のフィアンセが加わったので、ビールが美味しかった。

お宮参り

 桃ちゃんが生まれて一ヶ月、今日は健軍神社にお宮参りに行った。8時には病院に行って緩和ケア病棟カンファレンスや入院患者さん回診を済ませた。11時に集合だったが、10分以上前には到着し、強い日差しの中で桜を楽しみ、結婚式や御祓いなどで来ておられるグループを見ていた。
  家人が桃ちゃんを抱いて登場。家紋入りの着物でくるんでいるのだが、顔が見えない。日差しが強いので帽子を被せて日傘を差していた。娘に頼んで桃ちゃん親子、Aちゃんのお母さん、そして我われ夫婦で記念撮影をした。参拝御祓いではいろんな御祓い目的でこられたグループが一緒にお祓いを受けた。桃ちゃんはお腹がすいて途中でぐずり始めたので、家人がそっと後ろのほうに行ってミルクを飲ませていた。自分は頭を下げていたら、神主さんの一人の草履に「H22.2.22」と記されていた。桃ちゃんのお誕生日におろしたのだろう。
  無事に御祓いが済み、嫁の実家に移動して会食。桃ちゃんはたんとミルクを飲んでウンチを2回もした。ご機嫌が戻って笑顔を作ってくれた。
 ホントに孫は可愛い。
「春陽浴び 初孫桃也 宮参り」
「宮参り 桜と日差しが ウエルカム」
娘作「宮参り 初孫桃也 春を知る」
家人作「桃也には 初めての桜(はな) 宮参り」 「装いて お宮参りす 桜咲く」

2010年3月21日日曜日

山下先生お別れ会

熊本草葉町教会牧師の山下先生が退任されることになり、今日が最終説教となった。5年間の牧会だったが、先生によって多くの意味で自分は救われたと思う。10ヶ月前のワイズ西日本区大会での聖日早天礼拝での説教「熊本バンド無くば・・・・・ワイズメンズクラブ無し」や同志社大神学部との交流、草葉町教会のアイデンティティーの確立など、全てが的を得ていた。説教では「なぜならば・・・」のフレーズが多く、聖句の時代背景やその必然性を解説してくださった。
 自分が西日本区のクリスチャニティー特別委員会委員長を拝命し、初心者対象のキリスト教理解の講座を担当することになったが、先生の説教をお聞ききしてなかったら到底不可能だったことだろう。
礼拝終了後先生を囲んでのお別れ会があった。皆さんがお別れの言葉を述べたが、自分は二句披露した。
「師の門出 五年の奉仕に 桜咲く」
「愛唱の 讃美歌聞こゆ 春の風」

KLCC(地雷廃絶と被害者支援の会・熊本)の世話人会を挟んで、教会役員会主催の送別会に参加した。向かい合わせに座ったので思い出やお礼を話せた。「もう一度試みる」が最終説教のタイトルだったが、自分へのメッセージのように脳裏に刻み込まれた。

サッカー部還暦祝いと追い出しコンパ

 熊大医学部サッカー部のOBが中心になってつくる熊本ドクターズはサッカーワールドカップの年(4年毎)にその年の3月31日までに60歳になった先輩の還暦祝いと現役卒業生の追い出しコンパを現役サッカー部と協力して行う。今回は5回目なので16年前からの大切な行事。4年に一度は県外からも多くのOB・OGを迎える。   今回からは実行委員から引いたので、楽しませてもらった。自分の現役時代は九州山口大会での優勝・準優勝はあるが、西日本大会では2勝しかしていないし全日本大会なんか出たことも無かった。自分が監督時代に九山大会、西医体、全医体の完全優勝を2回果たした。OBが集まった時は少し自慢できる。優勝してくれた後輩に感謝している。
写真前列右2人は、完全優勝時の主将だったM君とH君。
 今回還暦を祝いの主役の3名の先輩方は一緒にプレーしたことがある大切な先輩たち。謙遜されて自分たちの時代は暗黒時代(部員も少なく負けが込んでいた)とおっしゃっていたが、そのような時代があったから今がある。


 写真は前3名が主役3名の先輩方。






写真は前列Eサッカー部部長と卒業生、後ろ右から2人目は現T監督。
 いろんな共通項のある仲間たちで記念撮影したが、こんな記録も良い。



写真は歴代マネージャーたち。


2010年3月16日火曜日

当直から当直明け

 3月15日は病院当直。週末の自由な時間から一転する。8時から麻酔科カンファレンス、ICUカンファレンスと続き、8時半からは院長室で各部署代表が集合しての情報交換ミーティング。今日は緩和ケア病棟カンファレンスはパスし、入院患者さんと少し話しをした後、RI検査室で脳槽シンチ検査に取り掛かった。検査が終了するやHot Line(救急車からの直接コール)があり、17時までに麻酔科ペインクリニック外来患者さんの他に、4台の救急車搬送患者さんと数名の飛び込み患者さんを受けた。熊大からY先生が手伝いに来てくれていたので何とか対応できた。
 それだけでは終わらない。今日は病院当直なので、24時間Hot Line担当になる。また夜間一次救急患者さんの二次対応も担当だったので、鍛えられたこと・・・
 睡眠時間3時間で火曜日の勤務に突入した。19時からの将来検討委員会が終わり、入院患者さんの記録が終わって病院を出たのが23時だった。連続39時間勤務だったが明日は麻酔科当番、何とタフなのだろう・・・
「今日もまた 打たれ強いと 言い聞かせ」

2010年3月15日月曜日

桜咲く

桜咲く 開花予想の 先をゆき」
「 桜咲く 開花予想の かいもなく」
久しぶりにK高の周りを走った。 熊本の開花予想は3月16日であるが既に桜が咲いていた。もっと良い句はできないかな、と思い推敲。
「桜咲く 開花予想を 翻弄し 」





この後3月20日土曜日朝に熊本城を抜けて病院に出勤した。熊本城の桜は2分咲きだった。この連休の週が見ごろだろう。


俳号を「粋駆」とした。粋に駆けるの意味。酔って駆けるの「酔駆」より粋かな。

2010年3月14日日曜日

この1週間

 月曜日からバテていたが、週の初めに確定申告ができたのが良かった。税理士の大〇さんにひょっとしたら泣きつくかも・・と話していたので、月曜の夜に大〇さんに事務所を訪ねた。流石にプロあっという間に申告書を完成させ電子申告してくれた。これで大きな肩の荷がおりた。
 火曜日は医師会中部会に出席した。童謡歌手大庭照子さんのお弟子さん「DOYO組」の歌声に心が和んだ。

  水曜日は熊本ホスピス緩和ケア協議会の世話人会があった。次年度の代表世話人に選出されたので早速春の集いの日時と場所だけは決めさせていただいた。
  木曜日は4階南病棟と緩和ケア病棟の合同送別会があった。麻酔科当番なので一次会だけで参加し病院に引き返した。

写真は顔を隠されたたーさんと茶目っ気のあるNrs.




 金曜日は大学のY教授とK都〇立医大のH教授の講演会に参加しその後会食した。H教授を見送った後、calmeに行った。丁度マスターの誕生日で他のお客さんとHappy Birthdayを歌った。 土曜日は朝入院患者さんを診た後、熊本空港へ。大阪市で開催されるワイズメンズクラブ西日本区の次期会長・主査研修会に参加した。開講の祈りとキリスト教理解A(初心者対象)の講義を担当した。夜の懇親会では、珍しく?22時過ぎには部屋の戻ってBedに入った。

日曜日は5時には目覚め6時頃から1時間ジョッギングを楽しむ。手袋を忘れていったので手が凍えてしまった。8時過ぎから聖日早天礼拝の司会。Nさんの奨励は素晴らしかった。次期会長の研修やロールプレイ、九州部での話し合いなど良く工夫されていた。19時20分には熊本空港に着いたが、病院に寄ったので帰宅は21時過ぎだった。 写真は白熱したロールプレイ。


明日は病院当直。飛行機の中で腫瘍精神学の本を半分まで読んだ。もっとアカデミックな時間を増やそう。

2010年3月8日月曜日

滋賀蒲生野クラブ20周年記念例会

 滋賀蒲生野クラブ20周年記念例会に参加した。熊本駅4時53分発の汽車に乗る予定だったが、寝過ごして6時16分発に乗り11時32分に近江八幡駅に着いた。会場のホテルニューオウミは駅のすぐ近くにあった。会は既に11時から始っていた。九州部の評議会の日程と重なったので、九州からの参加は自分ひとりだったが、その分蒲生野クラブの皆さんや参加者から親しく声をかけていただいた。格調高くしかもアットホームな手作り記念例会だった。 写真は水野会長から滋賀YMCA総主事へカヌー2艇他の目録贈呈の模様。
記念例会後EMC2000推進チームの会議があった。今期で今のチームは一旦解散し、新しい体制を作ることになった。九州からは新しいメンバーを推薦したいと提案した。新リーダーの高〇さんと帰りが広島まで一緒だったので、いろんな話しをすることができた。家にたどり着いたのはその日のうちだった。写真は後で。

2010年3月7日日曜日

久しぶりに会う

 毎日遅くまで仕事など予定が入るので、とうとうブログアップも土曜日になってしまった。今日は午後から日本医療マネジメント学会熊本支部学術集会があった。座長を依頼されていたのと、シンポジウムや特別講演に興味があったので、最後まで学会場にいた。病院までバスで戻って今日入院の患者さんの診察とカルテ入力をし、それから桃ちゃんちに行ったため、着いたのが19時前だった。
 2月25日以来9日ぶりに再会した。寝ていたのを起こすみたいで申し訳ないのだが、ぐずっている時に抱っこするとスヤスヤ穏やかな顔になる。さすが・・と思ったら顔をしかめる。父親(息子)が東京から来ていた。ジージが抱っこすると、桃ちゃんが安心していると盛んに誉めてくれた。何回も写真を撮ったが、数回あったお目目パッチリ写真はタイミングが合わなかった。しかし家人が写した写真に可愛いのがあったので早速コピーした。お宮参りに着て行く着物も見せてもらった。家紋が5箇所に入っていた。  明日は(既に今日)4時53分熊本駅発の汽車で近江八幡市(滋賀県)に日帰りなので、早く寝なくては・・  


2010年3月1日月曜日

いちごマラソン写真の追加

いちごマラソンのブログを編集したが、3枚の写真が上手く載せられなかったので追加。

コースにはいちごやミニトマトが置いてあり、自由に食べられるが、そんなには入らない。




優峰園で、若手男子と記念撮影(うち2人は壮年)




学生銀輪部隊を写す。



いちごマラソン

2月の最終日曜日は横島いちごマラソン大会の日。病院のジョギングクラブの唯一の大きな行事だ。マイクロバスをしたてて横島にむかい、走った後は優j峰園でバーベキューを楽しむ。

今年は参加者が多かったのでマイクロバス1台では足らず、自分の車も出した。マイクロバスの運転は元職員のKさん、いつもお世話になります。全員集合写真をとり、個々で準備をする。 今回はハーフマラソン参加者は、放射線技師のNさんと自分だけ。
てれっとウルトラマラソンクラブ(TUMC)の精鋭たちと久しぶりに会う。自分だけ色が白いが、これから紫外線を満喫するからいい。スタート後キロ5分ペースを守ろうとしたが、最初の1kmまででギブアップ。後はひたすらキロ7分ペース(いわゆるウルトラマラソンモード)を貫いた。8km手前で折り返してきたトップとすれ違った。次々とTUMCの仲間とすれ違った。ほとんどがオレンジシャツを着ているので遠くからでも良く判る。

















 熊本総合医療福祉学院救急救命科の学生さんたちが、AEDを載せた自転車でコースを巡回したり、要所要所に待機していたので、走っている学生さんも写真に写した。 2時間30分でゴール。完走はしたが、昨年より20分以上記録が落ちた。この1年間の練習量が反映されていた。6月の阿蘇カルデラスーパーマラソン100kmに赤信号がともった。 待ちくたびれた仲間と共に優峰園に向かった。








優峰園では、バーベキューをひたすら食べ、ビール、日本酒、焼酎を飲んだ。さくらのマスターTさんも参加してくれた。16時過ぎに代行運転の方々が迎えに来てくれたので、意識のあるうちに帰ることができた。帰ったらそのまま撃沈。2時と4時に目が覚めたのでブログ作成に取り掛かった。