2013年9月29日日曜日

ワイズメンズクラブ西日本区九州部会

平山温泉から一旦家に戻り着替えた。
ユウベルホテルでのワイズメンズクラブ西日本区九州部部会に出席する。6月の西日本区大会や役員会でお会いした方が多いが、熊本の皆さんとは久々の再会になる。今期の役員席に座り、会話を楽しんだ。兄弟クラブの京都みやびの皆さんも56人、大邱琴湖クラブからの3名みえており、お話しすることができた。







恒例のワイズ劇団の寸劇には、いつも主役で出演していたが今回オファーがなかった。ちと寂しいが、若手?が一生懸命に演じていた。

途中、近くに住む娘が息子の「ひなちゃん(陽太)」を連れてきた。大勢のパーティー会場なので、ひなちゃんは最初緊張していた。ジイジと頬ずりしたり、他の人からクマモンのおもちゃを貰っていつものように元気になった。

会が終了し、後片付けを手伝った。家人に熊本空港まで送ってもらい、午後840分発のANAで東京に向かった。羽田空港から京急で品川へ、山手線で新宿経由中央線で荻窪に帰ったが、急いで歩けないので家にたどり着いたのが、0時近くになっている。密度の濃い2日間、いや一週間だった。

創立34周年第24回日韓YMCA医師親善蹴球交流

928日、ない土で4時過ぎに目覚め、534分の中央線各駅停車に乗った。75分発のANA熊本行きにはこれを逃すと間に合わない。新宿駅で降り、西口でリムジンバスに乗れば645分に羽田空港第2ターミナル出発階に到着する。ここから保安検査場へは数分なのでギリギリセーフになるはず。スマホでヤフーのニュースを読んでいた。ふと気が付くと、千駄ヶ谷に来ていた。神田から山手線、浜松町からモノレールに乗り継いだが、羽田空港第2ターミナル駅についたのが650分をまわっていた。655分過ぎ保安検査場に着いた時は、搭乗客が全員揃ったので、次の便でお願いします・・・とのことだった。ショック・・・。全ては新宿駅乗り過ごしに起因する

空港に家人が迎えに来ていた。一旦自宅に寄って上通りに行った。メガネの修理をお願いして、文房具店と無印良店で今夜の歓迎会の準備の品を買った。

創立34周年第24回日韓YMCA医師親善蹴球交流歓迎会会場の菊池ユーベルホテルには午後4時前に着き、席を決め名札を準備した。韓国の先生から依頼された動画がきちんと映ることを確認した。感謝状への署名を山鹿のG先生にお願いした。

午後645分大邱YMCA医師蹴球団の皆さんが入場し、歓迎会が始まった。総勢22名で半数は奥さんやご家族と一緒だ。同じテーブルにはNo団長、朴前団長ご夫妻、G先生ご夫妻、熊本YMCA総主事のTさん、自分の夫婦と若い先生が一人の9名。No先生と朴先生は英語が堪能なので話が弾んだ。






これまでの交流の中で、20年以上にわたって参加して下さった4名の方々への感謝状をG先生に贈っていただいた。Kimさんは元YMCA職員で医師サッカー交流の担当として毎回医世話下さる。既にYMCAは退職しておられるが、その献身的な働きは変わらない。思わずG先生が涙ぐまれたのにはこのような伏線がある。写真は朴承國先生への感謝状贈呈

記念品交換、両国選手の紹介など楽しい時間は瞬く間に過ぎた。


二次会は韓国の皆さんをプラス1にご招待した。ここは良く利用しており、マスターが写真を撮ってすぐに下さるし以前のスライドショーを流してくださる。Pyun先生と「君を忘れない(松山千春)」を熱唱した。

T群先生と二人でラーメンを食べて通町の電車通りで別れた。走ってわたる途中転んで左膝をしたたか打った。ズボンの膝がズタズタになっていた。ショック!



29日日曜、朝から替わりのズボンを探す。家人は呆れたを通り越し、次は何が起こるのだろうと達観している。山鹿市の後藤グラウンドに830過ぎに到着した。青々とした芝の素晴らしいグラウンドだ。今年の夏は炎天下にG先生は一日4回も水撒きをして育ててこられたという。学生たちがグラウンド上でラインを引いていた。本部席作りやテント張りをした。930分開会式。開会宣言、歓迎の挨拶、謝辞、優勝旗返還、祈祷のセレモニーをして、両チーム先発メンバーがピッチに入った。挨拶の後、一旦グランドに散ったメンバーが、始球式をしようとするG先生の周りに集まった。今日はG先生の79歳の誕生日。皆でハッピバースデイツーユーを高らかに歌った。サープライズだ!

試合が始まって気づいたのが、コンタクトレンズを付け忘れたこと。久々に靄の中のサッカーだった。G藤先生の2ゴール、Y先生の1ゴール、相手のオウンゴールもあり、4対1で勝たせてもらったが、得点したのは日本プレーヤー3点、韓国プレーヤー2点(1点はオウンゴール)であった。

公式戦の後、参加者を混ぜて紅白戦をした。参加したのは良かったが、10分後ボールを追いかけていたら右ふくらはぎに「プッチッ」と音がして激痛が走った。肉離れを起こしたようだ。プレーを諦め外に出てアイシングとテーピングをした。
閉会式では優勝トロフィー、優勝旗をいただいた。皆さん満足そうな顔をされていたので安心した。




グラウンドには多くの記念植樹がある。韓国の国花「ムクゲ」の前で。

韓国の皆さんをお連れして平山温泉に移動した。温泉では裸の付き合いだ。昼食会をしながら、これまでの日韓交流を振り返って思い出を話していた。






午後2時、皆さんを見送った。準備は大変なのだが、皆さんが喜んでくださるので努力は報われる。来年は9月末の土日に大邱市で開催することになりそうだ。

2013年9月27日金曜日

新しい医局での初めてのお泊り

926日、脱稿が遅れている原稿を急いでいる。孫引きの文献を入手し、引用例と適切かどうか、何ページの図(番号)をチェックする。図書館に行ったりインターネットで調べたりとタフな作業だが、なぜか楽しい。

ペインクリニック診断研究会が品川のホテルで開催され、その世話人会に出席せねばならない。来年722日の会では自分が当番世話人に推薦を受けているので外せない。世話人かは無事に終わり、研究会自体も「足、足関節の痛みと診断、治療」に関する内容だったので興味深かった。情報交換会にも出席し、参加者やスポンサー企業のMRさんとお話ししながら食事をとった。いつの間にかウーロン茶がビールに替わっていたが、それほど飲んでいない。

西新宿の病院に戻って、原稿を仕上げ宅急便に出すだけにした。92829日の日韓YMCA医師親善蹴球交流のパンフレット、優勝旗に付けるリボンの記載、感謝状の作成が終了したのが、翌27日の朝7時だった。結局徹夜していた。仮眠を取ろうとソファーに寝袋を敷いた。

2013年9月24日火曜日

22日良導絡の研究会終了後、一旦、病院と自宅に帰り改めて銀座国際ホテルに向かった。ベア郡医師会(サン・アントニオ市及びその周辺をカバーする医師会)の一行の到着を待った。一行の乗ったリムジンバスは大渋滞に巻き込まれ、成田空港から4時間かかって到着した。旅装を解いていただき、近くのO戸屋にお連れした。「日曜は混んでないので予約しなくても大丈夫です・・・」と言われていたが、行ったときはほぼ満員で入り口で待つことになった。何とかひとまとまりに席が取れ、写真付きのパンフレットで注文を貰った。カップルは意外と二人で一人前を頼んでいた。皆さん、味と値段には感心しておられたようだ。

ツアーコンダクターの弘子さんとは20年来の友人で既にサン・アントニオ在住が50年になるという。副会長のJH先生は今回で8回目の熊本訪問なので、自分のサン・アントニオ訪問記録7回は破られた。弘子さんとJH先生は食事後、JRパスの交換に東京駅に行かれたようだが、時間が遅くなりJRパスの交換ができなかったようだ。

23日月曜祝日は朝早くからホテルに行った。何人かのメンバーが朝食をとりにホテルの外に出てきたのでお会いした。ダタ先生がジョギングがえりだった。観光バス出発10分前に弘子さんとJH先生がJRパスを無事手に入れて帰ってきた。皆さんの大きなケースは到着日指定で熊本のホテルに送った。

都内観光一番目は、皇居。といっても二重橋が良く見える観光スポットに行き記念撮影をした。自分は正月の四方拝や天皇家の話しについて説明、弘子さんは11歳の時に聴いた玉音放送のことを説明していた。





二番目は国会議事堂、祝日なので中には入れないが、正面玄関で記念写真を撮った。






三番目は浅草の浅草寺。浅草神社と隣り合わせにあること、お賽銭や護摩焚きの煙などに興味を持たれたようだ。ただ人が多いことには驚いていた。

自分は人形焼を買って、一つずつプレゼントした。仲見世通りは途中までで引きかえし、観光バスに戻った。

そして東京駅八重洲口に着いた。入場券を購入して皆さんの昼食、多くは駅弁を買われたのでその、お手伝いをした。133分発の「ひかり」で一行は京都へ。乗車時に全員と握手をしてお見送りをした。そのまま中央線で自宅に帰り、ソファーにうち伏して寝ていた。

夕方起きて、ジョギング、洗濯、買い物をして夕食を作った。さて・・勉強に日韓YMCA医師サッカー交流のパンフレット作りと張り切ったが、体力は既に消耗していた。

漢方キャラバンセミナー2013と日本良導絡自律神経学会東日本支部研修会

22日土曜日、朝カンファと病棟回診を済ませて?(いつもPCTのスタッフにはお世話になっている)病院を飛び出し956の新幹線で仙台に向かった。全国医師向け「漢方キャラバンセミナー2013」の受講目的だが、東京での開催日は全て予定が入っていたので仙台出張となった。朝食は駅弁で、会場には1時間前に到着した。写真は食べた駅弁。1時間前に会場に着き、資料に目を通す。漢方薬の効果にも基礎、臨床のエビデンスが裏打ちされてきており、既に補完代替医療の領域から抜け出してきた印象を強く持った。

夕は一番街から壱弐参横町に入ったとこにある「すけぞう」と言う店を紹介してもらい訪ねた。旬の野菜や魚を安く美味しく提供してくれる。日本酒の「ひやおろし」もお願いし冷やで飲んでみた。ひやおろしとは(冬にしぼられた新酒は、劣化しないように春先に火入れ(加熱殺菌)た上で大桶に貯蔵し、ひと夏を越して外気と貯蔵庫の中の温度が同じぐらいになった頃、二度目の加熱殺菌をしない「冷や」のまま、大桶から樽に「卸(おろ)して」出荷したことから、このお酒は「冷卸(ひやおろし)」と呼ばれ、秋の酒として珍重されてきました・・日本名門酒会HP)とあった。

22日日曜日、6時前から青葉城に向かい走る。ひんやりとして少し寒いが走っているうちに丁度良くなってきた。伊達政宗騎馬像や土井晩翠の記念碑を写真に収めた。
仙台駅は混雑していた。日本医療薬学会と夕方から4,5万人が集まるサザン・オールスターズのライブコンサートがあるからだという。
12時前には順天堂医院に到着し、IT先生と打ち合わせ食事をした。日本良導絡自律神経学会東日本支部研修会で、緩和ケアと良導絡(がんの痛みの緩和法と針治療の役割)の講演を準備してきたのだが、新しい情報が昨日入ったので、結局食事中にパワーポイントが完成した。亡くなった父が残してくれた故中谷義雄博士の名著「良導絡自律神経調整療法」が大いに役立った。


 

第一回新宿周術期セミナー

19日木曜日、T医科大麻酔科を終日見学に来てくれた他病院の研修医の先生たちと、近くの焼肉屋で夕食会をした。いつもと違うのは、自分がウーロン茶だけ飲み、まったくアルコールに口を付けなかったこと。終了後病院の部屋に戻り、金曜日の発表準備で帰りが終電となった。と言うことは既に金曜日になっている。中秋の名月は19日だったから、0時過ぎた月は満月ではないのかもしれない。しかし荻窪の空に輝く月を写した。

20日金曜日、T医科大とKO大学麻酔科、およびYo進堂KKが共催する第一回新宿周術期セミナーが開催された。K沼医局長から「麻酔科専門医試験のための緩和医療」の講義を依頼されて準備したが、準備をしているうちにどのレベルまで説明を加えるべきかを迷った。36枚を使って過去問(所謂、出た問であり出る問でもある)を中心に解釈を付け、この周辺が学べるようにした。
かくしてセミナー講師としての役割を終えるのだが、日本緩和医療学会専門医試験作成委員長のH口先生がご欠席だったので、良かったのか悪かったのか。写真はペインクリニックを講演したN山先生と演壇の横で記念撮影をする。
懇親会では昨夜の憂さ晴らし?の如く、はじけるように飲み、二次会の「さつき」ではICUNrs.が二人加わったので、更にペースが上がった。しかし、タクシーで送り送られちゃんと帰ったようだ。写真はさつきで。酔っぱらったのか、ピントが合っていない。 写真は後で

2013年9月20日金曜日

中秋の名月

19日木曜日、T医科大麻酔科を終日見学に来てくれた他病院の研修医の先生たちと、近くの焼肉屋で夕食会をした。いつもと違うのは、自分がウーロン茶だけ飲み、まったくアルコールに口を付けなかったこと。終了後病院の部屋に戻り、金曜日の発表準備で帰りが終電となった。と言うことは既に金曜日になっている。中秋の名月は19日だったから、0時過ぎた月は満月ではないのかもしれない。しかし荻窪の空に輝く月を写した。

20日金曜日、T医科大とKO大学麻酔科、およびYo進堂KKが共催する第一回周術期麻酔セミナーが開催された。K沼医局長から「麻酔科専門医試験のための緩和医療」の講義を依頼されて準備したが、準備をしているうちにどのレベルまで説明を加えるべきかを迷った。36枚を使って過去問(所謂、出た問であり出る問でもある)を中心に解釈を付け、この周辺が学べるようにした。
かくしてセミナー講師としての役割を終えるのだが、日本緩和医療学会専門医試験作成委員長のH口先生がご欠席だったので、良かったのか悪かったのか。写真はペインクリニックを講演したN山先生と演壇の横で記念撮影をする。

懇親会では昨夜の憂さ晴らし?の如く、はじけるように飲み、二次会の「さつき」ではICUNrs.が二人加わったので、更にペースが上がった。しかし、タクシーで送り送られちゃんと帰ったようだ。写真はさつきで。酔っぱらったのか、ピントが合っていない。

2013年9月11日水曜日

秋を感じる

心を入れ替えて走ることにしたが、朝はつらいことに気付いた。時間に追われ、病院に着いたら非常に疲れている。そこで月曜日から夜帰宅時に走っている。
火曜日は新潟に行く新幹線の座席が久しぶりに進行方向を向いて右側だった。初秋の浦佐を写真に写す。この辺は豪雪地帯だ。

水曜日の学生クルズスには女学生が2名いる。先週との違いを感じる。さて、質問にもよく答えたので一時双方向になり始めたが・・・。国家試験にはこの辺が問われると話すと、途端に目が輝く。
中学時代の恩師の訃報が届いた。Y原先生には2年間担任をしていただいた。技術家庭の先生で実直な先生だった。家人に頼んで弔電を送らせていただいた。
木曜日
スパイナルシンポジウムで外来チームと初期研修医のY本先生と勉強。勉強の後は美味しい会食が待っている。






 
 
金曜日をやっと切り抜け、3連休に入った。が、することは多い。
土曜日、緩和ケア関係の研究会に行く。がんの痛み治療ガイドラインの作成チームのY宮先生、緩和医療学会専門医試験担当委員のH口先生と専門医試験について情報交換。やはり緩和医療学会の方が、麻酔科専門医試験の緩和ケア領域の出題問題より難しい・・・当たり前か
近くのビルからライトアップされた東京タワーを見る。五輪の色を使っていた。

 台風が接近する中、インターネットでスペアリブの作り方を調べた。圧力鍋があればすぐにできそうだ。雨の中を西友に買い物に行く。また近くの商店でブドウも買った。ももちゃんに差し入れしてあげようと思う。
スペアリブのレシピ通りに作る。なかなか上品な味だが、にんにくが少し足りなかったようだ。写真は次の日に残りを温めて作った夕食



月曜日は朝から雨風が強い。午前中大人しくし、昼過ぎにももちゃんちに行く。ブドウを持っていったら、美味しくて一生懸命ほおばっていた。「パパには?ママには?」と言うと一粒とって「どうぞ」と差し出す。優しいところはジイジゆずりか?


6月の父の日に準備していたというももやの額入り写真をプレゼントされた。敬老の日のプレゼントではない。




病院に寄って仕事の続きをして家に戻った。台風一過、晴れ間が出てきたようだ。満月ではないが月が美しい。善福寺公園周回+往復8㎞を走った。
嵐去り君観る月と同じ月観る

2013年9月10日火曜日

仕事に生きる?!


98日日曜日、ダブル学会・研究会の影響か朝寝をしてしまった。が、久しぶりに善福寺公園往復(上池は2周)を走る。下池の蓮の花が咲き始めきれいだ。洗濯の間にシャワーを浴びてカレーを作った。ブランチはカレー。締め切りの過ぎた依頼原稿を書き始めたが、襟足の髪が気になるので東京駅八重洲口地下にある理容室に出かけた。自分の担当のKさんは高校時代サッカーの選手なので、居眠りもせずサッカーの話しをしていた。
今日は柳屋のヘアクリームを持参したので、キープしてもらうことにした。ここで、ヘアトニックは地肌にすり込み、ヘアクリームは髪の表面をなでるようにつけることを教えてもらった。今までヘアクリームを地肌にすり込んでいた。





病院に戻り勉強の続きをして、帰宅は半沢直樹の開始時間に合わせた。

9日、娘の誕生日。忙しく働いていることだろう。できるのは労いと感謝のメール。娘からのメールに涙・・

10日月曜日、午後からK中央病院の手伝いに行った。麻酔科は女医さんが多いが、こんなに多くの女医さんに囲まれるのもよい。K澤先生に写真を撮ってもらったが、K澤先生が囲まれている写真を撮りそびれた。






帰りに東京駅丸の内北にある丸善に寄り。麻酔科専門医認定筆記試験問題集を2年分(2冊)購入した。次週に緩和ケア領域での専門医試験対策を、T医科大とKO大麻酔科の合同勉強会で講義しなければならない。することが多いこと・・・。

 

2013年9月7日土曜日

学会ダブルブッキング

家人が熊本に戻り?一人暮らしに戻るとともに朝夕がめっきり涼しくなってきた。
3日火曜日、三〇町病院では脳神経外科のSAHの手術は予定より1時間早く終わったが、念のために遅い方の新幹線に席を変更をしたので待つ時間の間に前回のブログ(あっという間に9月になった)を書き上げた。病院を出るとき、事務の方からW森さんからですと紙袋を渡された。中にはおにぎりが入っていた。感謝。
4日水曜日、今週の学生さんたちは男子だけで殺風景ではあるが、相談教員で担当しているF木君がいる。朝はちゃんと来ているか気になる。クルズスでも皆明るく、賢いとは言わないが、それなりの反応があったので一安心した(合格と言うこと)。彼とはまた飯食いに行く約束をしている。
5日木曜日、たまった仕事を今日こそと思っていたら、有志で志〇川に行くという。かくしてスタッフ4名研修医4名?の軍団が一瞬にして形成された。その匂いを嗅ぎつけたのか、S根、U野先生が遅れて乱入してきた。自分は御誕生席で大人しくしていたと思うが、写真を見る限り良く起きていたものだと思う。帰りはK沼医局長とタクシーで帰ったが、彼は無事に帰っただろうか?
6日金曜日、11時過ぎまで仕事をして西新宿駅に行くと、高円寺で人身事故で中央線と総武線が止まっているとの表示があった。予想通り荻窪行の丸ノ内線は遅れ、これまでに経験したことのない混みようだった。西友で食料を買い、遅い夕食になった。日本対グアテマラ戦を観ることができなかった。
7日土曜日、日本麻酔科学会関東甲信越・東京支部第53回合同学術集会のシンポジウムを覗き、川崎市の聖マリアンナ大学で開催されている第19回大学病院の緩和ケアを考える会総会・研究会に参加した。盟友のT宮先生が代表世話人をN木戸先生が当番世話人をされている。H口先生の「S和大学病院緩和ケアチーム活動報告」を拝聴しながら、T医科大の現状を比べていた。H先生を目標に頑張らねばならない・・。
14時から踵を返し、新宿へ。ポスター発表に間に合い、いくつか質問することができた。懇親会では会長で兄とも慕う〇上先生や大〇戸先生と歓談し、







T邦医大の井〇先生や次期会長の寺〇先生、以前熊本でお会いした照〇先生や自分が参加したセッションの座長をしておられた前〇先生とも親しくお話しできた。

2013年9月3日火曜日

あっという間に9月になった1



今日まで家人が上京していたので、家事を全て任せて家では楽ちんさせてもらった。が、病院の方では医局の引っ越しが週末にあったので、その準備に大忙しだった。熊本から東京に来た時、医局の部屋に段ボール15箱送った。そのうち5,6箱は2年数か月開けてもいなかった。
新しい教育棟にある部屋はいままでの7割の広さなので、断捨離の真価が問われる。写真は引っ越し準備中の自室。




水曜日は学生クルズスをICUの医師控室で行った。このグループの学生さんは皆明るく、良く質問にも答えてくれた。5年生の後半になると、T医科大の学生さんの顔つきがしっかりしてくる。




水曜日に某製薬会社の社内研修の講師を依頼されお話をした。タイトルは「緩和ケアとがんサバイバー」で、皆さん熱心に聴いていただき質疑応答も活発だった。

木、金曜日は、仕事以外の時間を引っ越しの準備と部屋の掃除に費やした。家人は自分の帰宅時間があまりにも遅いことにあきれていたようだ。特に金曜は0時半まで掃除をしていたので終電に間に合わずタクシー帰宅。遅い夕食を済ませて寝たのが午前2時だった。

土曜は朝から職場健診に行った。寝不足のためか、血圧が138/88に上がっていた。心拍数は49/分で月200㎞走破の影響が出ていた。

9時前から引っ越し業者の方が部屋に来られたので、手際良く机やコンピューター、書籍の入った段ボール箱を部屋からだし、新しい部屋に運んでもらった。新しい部屋は3つのパートに分けた。

入り口より1/3は書棚、ロッカーを配置し、5リットルのバケツを置く。朝走ってきたらここで乾布摩擦をして洗ったタオルで体を拭き上げる。




1/3は応接のエリアとして、テーブルには新しく依頼のあった仕事の書類などを入れる箱だけを置く。





1/3は勉強とプライバシーエリア。IT、オーディオ、冷蔵庫を配置する。冷蔵庫にはスポーツドリンク、ソフトドリンク、少しのビールを置く。焼酎は「さつき」にキープする。夜のくつろぎは、午後9時半以降とする・・・などと勝手に決めた。



日曜日、久しぶりに善福寺公園までジョッギングをした。
家人と吉祥寺の有名な?フレンチレストランでランチを食べる。女性や子ども連れ(未就学の小さな子も多い)が目立つ。










子どもたちがお行儀よく食べている様子を見て、孫たちを連れてこれるのは何年先になるのだろうと思った。











中野に移動し、クマモンが時々やってくるというブロードウェイ商店街を歩き、






四季の森に行った。森と言っても木は数えるほどだが、子どもたちが水遊びをして喜んでいた。

夕食は、月曜日に家人が検診に行くので近所の大〇屋で夕食を食べた。922日の予行演習のようだった。

この間、締め切りの原稿書きやシラバスや業績集の作成に追われた。ブログには楽しいことしか書かないようにしているが、意外と真面目に暮らしていると思う。自画自賛。