2008年1月30日水曜日

上手く撮れない、やらせの写真その3


仕事と会議の合間をぬって、後○先生と研修医の小○先生、研修中の井○救急救命士、学生の藤○君と一緒に白川縁7kmコースを走った。とても走れそうでない体型・・失礼!・・・と思った井○救命士が気持よさそうにスイスイ走ってきたのにはびっくりした。名門K工の野球部員だったと聞き納得した。さて、5名で「一生懸命 走る」をテーマに、凝りもせずにタイマーで写真を撮った。スピードが上がるときれいに写らなかった。
研修医の小○先生と学生の藤○君は7kmなのでビビッていたようだったが、皆が走っている時にワザと歩いてみせながら、そんなに早く走っていないことを上手くアピールした。後○先生と会話をしながら走る様子を見て、二人とも安心した?ようだった。

悔しいので、走る前の集合写真も掲載することにした。ここには研修医は写っていない・・集合時間に遅れたのだ。

早天祈祷会


熊本バンド132周年早天祈祷会が開催された。夜明け前の6時半、花岡山山頂奉教之碑の前のたき火を約300名の参加者が囲み、讃美歌の合唱や奉教趣意書の原文や口語訳の朗読が行われた。同志社大学名誉教授土肥昭夫先生による奨励は、理屈は分かるが実行に踏み切れない時の第一歩こそが祈りであると、アウグスティヌスの告白や小崎弘道の改宗へのエピソードを交えて話をしてくださった。

会の間、写真を撮ろうとタイミングを狙ったが、たき火の勢いが強く、煙のために満足な写真が撮れなかった。


 会が終わり、熊本YMCAスタッフが準備して下さった豚汁を食べて急いで病院に向かった。



さて、写真は会の始まる直前と、煙越しに見た奨励してくださった土肥昭夫先生。

2008年1月29日火曜日

14年前の写真


ワイズメンズクラブの西日本区大会実行委員会があった。14年前熊本で開催した第一回西副区大会のビデオ(DVD)を観た。その時私は家内と司会をした。

DVDを観た皆が、「若い若い」と言った。「声が通って良い」と褒めてくれた。しかし14年前。今はロマンスグレーを通り越して白髪頭になりつつある。声はエコーを効かせたカラオケだけ・・・ まっいいか。14年前はこんなに若々しく、素敵?だったんだから・・・

2008年1月28日月曜日

かっちゃん結婚式二次会


 1月27日かっちゃんが結婚式を挙げた。渡○さんになった。ジョッギングクラブの仲間や、これまでかっちゃんと親しく付き合いされたお友達が二次会に集まった。お相手は長距離の自転車を愛するスポーツマンの好青年だ。なかなかお似合いで、ポーズをとってケーキカットをしたので、早速ブログ用に写した。

 かっちゃんは、仕事も良くできるし。周りに非常に気配りをして雰囲気をいつも良くしてくれる素晴しい女性だ。いつもかっちゃんと読んでいるので、実のところ本名は今回知った。お友達がギターを弾いて歌(コブクロ)の歌を歌ってくれた。皆で乾杯を歌った。会の初めに挨拶をした。挨拶を初めにするのはプレッシャーだが、済んだら飲めるので嬉しい。

2008年1月27日日曜日

熊本バンド奉教趣意書


熊本バンド奉教趣意書の写しが、草葉町教会から熊本大学YMCA花陵会に贈呈された。今から132年前の1月30日に花岡山山頂鐘掛け松に集まった30数名の熊本洋学校に学ぶ生徒たちが、キリスト教をもって日本国を救わんと誓った。その後熊本洋学校は廃止され、学んでいた生徒たちの多くが同志社に編入した。大学を卒業し、いろいろな分野で活躍する。同志社に移った生徒たちは優秀であり、また異彩をはなったことから、熊本から来た人たちという意味で熊本バンドと称されたという。


熊本バンドを継承する教会が熊本草葉町教会、学校がフェリス女学院、学生が花陵会、YMCAが熊本YMCAという。数人の署名が縦二本線で消されている。後に趣意に外れたとみなされた人たちという。2年前、熊本バンド130周年記念事業実行委員会委員長の廣○さんが記念行事の直前に召天された。その時私が主治医だった。廣○さんの最後まで毅然とした態度は私の記憶に残り、完成を見届けられた記念誌は私のデスクに置いてある。

第115回熊本麻酔学会


第115回熊本麻酔学会が1月26日開催された。熊本麻酔専門医会会長として会の初めに挨拶をするのだが早5回目になる。今回の学会会長の熊本赤十字病院の定○麻酔科部長と話し合いながらこの学会の準備をしてきた。今回は特別講演に国際救援部の宮○先生に赤十字の活動を紹介していただいた。自分の10年後このような活動に参加できるのだろうかと想像してみた。また熊本麻酔学会の前身である熊本麻酔懇話会が創立されてから50年になるので、特別企画として熊本麻酔懇話会創立の頃と題して、熊本で初めて気管挿管をされた内○先生、初めて麻酔を米国留学で学ばれた本○先生、熊本麻酔懇話会の創立に活躍され熊本大学麻酔科の初代教授になられた森○先生の当時の状況などの興味深いお話を伺うことが出来た。次回はNTT西日本九州病院麻酔科の大○先生がお世話して下さることに決まった。


懇親会・新年会への参加者が主催者の予想反して少なかった。食べることも大切だが、ノミュニケーションも大切だ。臨床研修医を教授や大先輩に紹介したり、久しぶりに会う皆さんとの話しに花が咲いた。


さて、その後であるが、ショットバーで焼酎のマルガリータを飲み、病院戻った。ブログを書いて代行で帰る予定だった。医局のソファーに座り、サッカーで日本代表がチリ代表と引き分けたところまでは観た。眼が開いたら朝だった。ブログファンの古○先生がシッカリ記録をしてくれた。しばらくして家に帰ったのだが、一張羅のスーツとコートがグチャグチャになっており、家人からイエローカードをもらった。
写真は医局のソファーで寝ているとこ

2008年1月25日金曜日

送別会


うちの看護師さんが寿退職することになった。1月に結婚式をあげた。頑張り屋で優秀な看護師さんだ。今度は嫁ぎ先で良き嫁、妻、母となることだろう。送別会で記念写真を撮った。皆私の後ろにポジションを決め写真に写った。そうか、遠近法でに小顔写りたかったようだ。


今日は夕から会議が2つあったので、19時からの送別会だったが20時45分に合流した。食べるほうは30分で追いつき、飲むほうは30分で追い越した。麻酔科医として日頃訓練している早食いが役に立った。


それにしても今日は3つもブログを書いた。ブログ用に写した写真が出番はまだか?と待っている。明日は熊本麻酔学会と麻酔専門医会役員会がある。明日そそうしないように早。く寝よう

お出迎え


道路から自宅玄関に至る29段の階段。其の階段を守るのがセンサーライト。私が登りはじめると明るく階段を照らす。センサーの向きによっては道路を走る車に反応したり、登り終わり時にやっとついたりする。


第一代センサーが寿命となり、第2代センサーが就任した。ここのご主人は時々訳きゃ分からんで帰宅する。よく守って欲しい。

寒い朝


今朝は温水が出なくなった。水道は出るが温水が出ない。外に出ている水道管はストッキングでぐるぐる巻きにしているのだが、温めるとこを流れる管がむき出しだからだろう。それでもグランドコートと毛糸の帽子をすっぽり被って走った。





昨夜はきれいな満月に近い月が東の空に出ていた。今朝は右下がやや欠けた太ったアーモンド状の月に変わっていた。

地球を明るく照らしてくれた月の一晩のエネルギーが、欠けた部分なのだろうか・・・

2008年1月24日木曜日

ルーチンワークその1


朝6時に目覚ましが鳴る。5分おきに鳴るので2回目には根負けして起きる。直ぐに居間に行ってストーブのスイッチを入れる。風呂の追い炊き10分間をセッティング、お茶をいれて温ったか用のペットボトルに注ぐ。さっと上下ジャージを身につけ、玄関を出る。南東の空には明けの明星が輝く・・が、6時20分を過ぎるとだんだん小さく薄くなる。今日は北西の空に満月ではなかったが大きな月が輝いていた。


6時10分前後に階段を下りると熊日の新聞配達の小父さん(名前は知らない)と出会う。小父さんの単車のブレーキの音がしばし同じ間隔で聞こえるが次第に遠ざかる。
さっきまで熊本麻酔専門医会役員会の議案書を作っていた。これも毎年のルーチンワーク。しかし今回は楽しい。新入医局員が4名以上は入ってくれそうだと聞いたから。同士が増えるのは嬉しい。

2008年1月23日水曜日

クリニカルクラークシップ学生と走る


 今週からクリニカルクラークシップの学生を一週間づつ(月から金曜まで)大学麻酔科から預かっての指導が始まった。第一弾の青○さんはなかなか根性があり、しかも明るい。今日は私の外来に陪席として見学してもらった。外来や病棟患者さんの回診などがひと段落ついたのが午後4時でやっと昼食をとることができた。頑張ったのでとデザー トにお菓子とみかんをあげた。
 会議や翌日の麻酔患者さんの術前診察・救急救命士挿管実習のインフォームドコンセントが終ったのが、午後6時を過ぎていた。せっかくうちの病院で研修するのだから・・・と思い、ジョッギングに誘った。期待通り、喜んで?走ると言う。私は午後7時からの会議があるので、1km少しだけ走ることにした。ここでも記念写真を撮った。
 速く走れません・・と言って心配していたが、何も速く走ることは期待していない。ゆっくり、実習の感想などを話し合うことができる程度の速度で走る。
 どんなに忙しい時にも、健康・体力を維持することを忘れてはいけない。医者の不養生にならぬよう。と言いながら、自分の不養生を恥じていた。

2008年1月20日日曜日

寒かった雨のグラウンド

 当直明けできつかったが、自宅のパソコン無線ラントラブルをとしおさんに直してもらい、医局対抗サッカーが行われる坪井遊水地公園グラウンドに行った。冷たい雨が降り、ピッチにも水が上がっていた。麻酔科の後○先生と二人、主催者の学生、チームメイトや対戦相手を待った。しかし誰も来ない。開始時間の14時半を過ぎて主催者と連絡がついた。ピッチの状態が悪く12時過ぎに中止が決まったと言う。
 そういえば世話人に参加しますとの連絡をしていなかった・・・ 世話人の山○先生から電話があった。恐縮していた。私は、「できずに残念だったね。ご苦労さん。」と労わった。私の方こそ参加の連絡もしなかったのだから・・。


 これまで何回もいろいろな世話人を経験しているが、連絡のない人が一番困る。ただ予定が立たず、どうしようかと迷っているうちにその日が来る、そんな連絡の悪い人の気持ちも分からないわけではない。
写真は雨のグラウンド

2008年1月19日土曜日

先輩

 医師としてもワイズメンとしても大先輩である朝○先生が召天された。昨日(1月18日)前夜式(通夜)に出席した。式はキリスト教式で行われたので、司式をされた牧師さんのお話しで朝○先生の生き様が良く理解できた。先生はシュバイツアーの本によって医師への道を志し、幼少期の教会生活や壮年期のYMCA・ワイズメンズクラブの活動を通して心するものがあり、クリスチャンとして洗礼(幼児洗礼は受けられていた)を受けられていた。
 10数年前大分ワイズメンズクラブの第一回設立準備委員会が大分市で開催された時のことを思い出した。朝○先生は事前に何回も大分を訪問されていた。私は大分にはサッカー部の先輩や後輩がいるので、紹介できたら良いな・・位の軽い気持ちで大分に行った。一回目の話し合いが終る頃、設立準備委員長を決めることになった。私は当時入会して2年少しの未だ新人だった。誰に決まるのだろうかと思い、朝○先生のお顔を見ていたら、私と眼が合った。あれっと思い、回りを見たら出席者全員が私を見ていた。朝○先生から、「それでは(たーさん)お願いいたします。」のお声がかかり、決定した。それから毎月3時間以上かけて大分に通った(帰りも同様)・・・ことを思い出した。
 ワイズメンズクラブでは、「人が役職を求めるのではなく、役職が人を求める。」という原則がある。そして求められた人は決して断らない。以来、本職でもその他でも何度も過分な役職が与えられた。朝○先生はこれからも天国から「たーさん」の成長ぶりを見守って下さることだろう。

やらせの写真


1月18日、研修医をジョギングに誘った。トレーニングウエアの準備はなかったが、普段着でも走ると言う。なかなか根性があると褒めた。さて白川沿いを走っている写真を撮ったのだが、せっかくだから全員で走る写真をタイマー設定で撮ることにした。シャッターを押して10秒後だ。早く寄り過ぎたので写った瞬間は足踏み状態だった。やらせの写真はどこかチグハグだ。
時間は18時前。薄暗いので高感度にして撮影。やはり膝の上がりが少ない。

2008年1月17日木曜日

不思議な世界

医師会の新年会で手品があった。手品は少しだけだが経験がある。種をさがそうと動画を撮りながら見ていた。が、分からなかった。テーブルに掛けてある布のマジシャン側がピンと張っていることに注目したのだが・・・
手品の種は、「なーんだ」誰でも考え付くのだが、なるほどそうなんだと納得するもの。または「へーっ」よくぞそこまで考えたのかと感心するようなアイデアや仕掛けがあるものに分けられる。この手品はどっちのほうなのだろう。もし種を知っている人がいたら、tanoue@bronze.ocn.ne.jp
まで、こっそりお知らせ下さい。とにかく、不思議に思った。

2008年1月14日月曜日

花岡山・二の丸公園コース


あまりにも良い天気なので、昼食をパスして花岡山・二の丸コースを走った。寄り道をしながらブログ用の写真を撮った。

先ずは白川縁のジョッギングコース、花岡山山頂を目指す。









途中陸軍埋葬地(官軍墓地)に寄った。ここは神風連の乱で亡くなった116名の熊本鎮台の兵士が眠る。









そのまま階段を駆け上がると「摩天楼」という喫茶店の横に出た。


花岡山には戸坂稲荷神社、熊本バンド奉教の碑、日本山妙法寺、仏舎利塔など複数の宗教の施設が同居している。熊本市の全域が見渡せる。数年前、江津湖で花火大会が開催されていた頃、花岡山から見物したことがある。良く見えたのだが、残念ながら遠くに小さくしか見えず迫力がなかった。















新町を通り抜け、二の丸公園へと走る。途中熊本中央YMCA、藤崎台球場、熊本市博物館の横を過ぎる。二の丸公園に入ると直ぐに熊本県美術館がありナスカ展をしていた。



家族連れが二の丸公園で遊んでいる。私にもこんな日があった。

熊本城の天守閣は、屋根の修理をしているので全容が見えず。残念。





熊本城観光の人も多いが、外国人観光客も多かった。ちらほら和服姿の新成人も見かけた。そうだ今日は成人の日だ。35年前の成人式で松の苗をもらったことを思い出した。

新年会第2弾

今日は麻酔科当番の日、臨床研修医と麻酔科入院患者さんと集中治療室(ICU)入室中の患者さんを回診した。18名であったが、カルテ、看護記録をチェック記入し一人ひとりを診て話をするので2時間半かかった。

昨日の新年会(八○副院長宅で毎年開催の恒例行事)のブログはできましたか?と参加者の一人から尋ねられた。ブログのファンが増えつつあると拡大解釈し、早速パソコンに向かった。







自宅から副院長宅まで6km。着替えをタオルをバッグに詰め、走っていった。皆さんに挨拶して洗面所をかりて汗を拭き着替えた。昨年も走っていったので、皆期待しているとひそかに思っていたが、期待と言うより呆れていたかもしれない。









ここでもお誕生席の狭いスペースにもぐり込む。そのまま寝てしまっても体をぶつけることもない。篤姫という名の焼酎を飲み、盛り上がっていた・・・と思う。16時スタートで18時にはシッカリして??ご近所の有○先生と帰った。タクシー代は有○先生が持って下さった・・・ようだ。


今に始まったことではないが、酒飲みのペースが速く、走った後などは直ぐにうとうと眠ってしまう。そして目覚めると元気になる・・・こともある。以前、ウーロン茶と交互に呑んだことがある。その時はいつでもシッカリしていた。いいことを思い出した。

写真は乾杯の様子、元研修医の橋○ご一家、もう直ぐダウンか?の3枚

2008年1月13日日曜日

料理に目覚めた頃を思い出す


昨年1月の熊本草葉町教会の礼拝後、2階ホールで島○さんと隣り合わせになった。島○さんは元料理人?料理をしたいとおもうけど、取っ掛かりの壁が高い・・などと話したら、冷蔵庫の野菜を鍋で煮てごらんなさい。味付けは塩・胡椒が基本。薄めで味を作り、薄口しょうゆ、みりん、酒などで味を調えるも良し・・、何でも先ず始めてみることが大切とアドバイスを受けた。それから1年。毎週のように週末料理にチャレンジした時期もあったが、最近は遠ざかっていた。



そして昨日のカレーライス。今日は礼拝後お雑煮のサービスがあった。カレーを作った話を島○師匠に話したら、魚料理の話に発展した。


男の料理は、お金がかかる・・・と叱られない程度に楽しもうと思った。

2008年1月12日土曜日

金峰山


1月12日土曜日外来が済んで昼食を麻酔科のスタッフと摂った。さて今日は金峰山に走る!研修医を誘ったが、テニスの約束があると断られた。軟弱・・??
14時45分病院スタート山頂に16時45分着、山頂17時発で病院18時30分着で3時間半の至宝の時間だった。







谷尾崎にある熊本愛泉教会横を始め、かなり急勾配な道が続く。途中ボーイスカウトの一行と出会う。「こんにちわ!」と挨拶が気持ちよい。放牛石佛99体があった。


放牛石佛(放牛地蔵)の伝説については下記へアクセス下さい。http://www17.ocn.ne.jp/~rinrino1/densetuhougyuzizou.html



途中花岡山をはるか眼下に眺めた。標高は花岡山約125m、金峰山665m。写真を撮ったのは、少年自然の家の近くなので400~500mの高さだろうか?



この頃急に冷たい風が強く吹き、山頂に雲がかかってきた。





山頂は雲の中、景色は楽しめず。また茶店も都合により当分の間休みます・・との表示があった。

下りは快調に走ることができた。

一週間後に「てれっとウルトラマラソンクラブ」ぼ新年マラソン・新年会がある。金峰山往復を走るのだが、丁度病院当直と重なった。一足先に楽しんだ。



家内が大阪に行っていないので、家に帰ってカレーライスを作った。圧力鍋を使い、ルーは2種類をブレンドする。にんにく、チョコレート、バターは隠し味。絶品!!だったが、息子たちはカップラーメンや残り物をさっさと食べていた。娘は友達ともつ鍋を楽しんできた。一人で食べた。もったいない。

2008年1月11日金曜日

新春例会



昨夜のワイズの例会で村○さんが入会された。ボランティアに興味をもたれた時、出会いがあり入会を決意されたという。晴れやかな顔を見て、16年以上前の入会当初の頃を思い出した。



写真は会長からバッチ着装をうける村○さん



新春例会での卓話は、ワインと日本酒に関する話。試飲つきだった。6名のビジターをお連れしたが、皆さん喜んでおられた。出されたワインと日本酒が美味しかったので、早速デジカメで記録を残した。昨年も記録したのだが、生かされていない・・・ビールに始まり、芋焼酎のお湯割りで締める。この習性は変わらない。



写真は、お勧めの日本酒



2次会、3次会で帰りが遅くなった。以前家の鍵を置き忘れた反省から、鍵と指輪(一処置一手洗いのために外すのが面倒)をネックレスにつけていたが、朝付け忘れていた・・・  家内の携帯に電話して、ドアを開けてもらった・・・  これも反省が生かされていない。

写真は、肌身離さず着けないといけない鍵・指輪付ネックレス

2次会では寝ていたようだ・・・

2008年1月9日水曜日

ワイズメンズクラブ熊本連絡会議


ワイズメンズクラブ熊本連絡会議が1月8日に開催された。懸案であった火の国フェスタが2月の9,10日にYMCA阿蘇キャンプで開催すること、20歳から35歳の若いメンバーでつくるワイズメンズクラブ設立の提案があった。


ワイズは仕事から離れ、give and take でないgive and giveの世界だから好きだ。会議の後の2次会はまた格別だ。新町のみちば食堂はチャンポンで有名。チャンポン、刺身、おでん、ホルモンの煮込みを肴に一杯呑みながら喧々諤々の議論が続く。


私は朝6時起床K高2周のルーチントレーニングがあるので早めに失礼した。


帰ったら、家内から「あら早かったわね、どうかしたの?」と驚かれた・・・ 昨年から書いている5年日記を読むと、昨年のこの頃は飲んだくれて遅くなった記載があった。2年連続午前様にはならないでっしょう・・・

2008年1月8日火曜日

送別花束


田○さんが明日から御めでたい休みに入る。丁度緩和ケア病棟に行った時に花束を贈呈するということで、記念写真を撮った。
ブログを通して全世界に写真が流れる・・と言っていた人もいたが、堂々と写ってくれた。マスクをしている人は最初からしていたので、わざわざ顔を隠したのではない。
2回復帰してくれた田○さんなので、3回目の復帰も待とう。緩和ケア病棟のクリスマス会などに子どもさんを連れてきていただくと、場が華やぎ楽しくなる。
数分前に外来の看護師が花束を持って歩いていた。どうしたの?と聞いたら緩和ケア病棟へ配置転換です・・・と返事が帰ってきた。新年を迎えたかと思うと直ぐに年度末になり人の(職場からの)移動の時期になる。12月から3月にかけては毎年何となく落ち着かない。

2008年1月7日月曜日

七草粥


せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ これぞ七草。
今日は七草粥の日。夕食で食べた。正月は寝正月だったが、昨日は新年会だったので消化器の良い休日だ。

フリー百科事典ウィキベディアによると、七草(ななくさ)は、人日の節句(1月7日)の朝に、7種の野菜が入った粥を食べる風習のこと。本来は七草と書いた場合は秋の七草を指し、正月のものは七種と書いて「ななくさ」と読むが、一般には正月のものも七草と書かれる。気を払い万病を除く占いとして食べる。呪術的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もある。とあった。

人日の節句を調べると、この日は新年になって初めて爪を切る日ともされ、七種を浸した水に爪をつけて、柔かくしてから切ると、その年は風邪をひかないと言われている。 と書いてあった。

昨年末からイ夜間休日外来でンフルエンザの診断を受ける患者さんを見受けるようになった。1月5,6日にはインフルエンザを疑って調べた患者さんの3割が陽性(インフルエンザの診断がついた)だったようだ。中にはワクチンを接種していた患者さんもおられる。

来年は1月7日に初爪切りをしよう。

新年会

6日に新年会をした。参加者は麻酔科スタッフとその家族。研修医そして唯一私たち夫婦が仲人をした佐○ご一家。例年我が家で行っていたが、手狭になり(全く片付いていない)鶴重さんをお借りした。飲み物は、ビールとノンアルコール以外は持ち込み。全員自己紹介の後、乾杯が午後5時過ぎ。途中○藤ジュニアの手品あり・・・ 締めは午後8時だったという・・・


帰ってお腹が減った。鍋を頼んだのに食べていないのに気付く。家内に聞いたら、出していただくタイミングを逃したようだ。



新年早々、「飲み会は最後までしっかりする」の誓いが守れなかった。反省・・・



写真は乾杯と、ひかりちゃんに「ジージー」と呼ばれて喜ぶ私。

2008年1月6日日曜日

立田山を駆ける


ようやく胃腸炎のダメージから回復し、久しぶりに立田山山頂まで走った。晴れた日が続いたので落ち葉を踏むとサクサク音がする。










お祭り広場では北○中の陸上部がトレーニングをしていた。











山頂には昭和天皇・皇后陛下が昭和34年に訪れられた記念碑がある。暖かな日で10数名が山頂にいた。昨日は、南阿蘇の皆さんに、今年も阿蘇スーパーカルデラ100kmに挑戦すると宣言した。このホームコースを6月7日までに何回走るのだろう?

2008年1月5日土曜日

披露宴の挨拶と赤毛のアン


職場の看護師さんの結婚式と披露宴に出席した。披露宴では新婦側の主賓挨拶を頼まれた。彼女が努力して看護師となり、第200回滅菌業務研究会で発表するに至った過程を示し、支えてくれた職場の先輩や仲間に感謝していることを彼女のメモを引用しながら話した。





また女性側の代表らしく、ルーシー・モード・モンゴメリー著の「赤毛のアン」からアンの話を2つ紹介した

 「明日はまた、まだ何も失敗をしていない真新しい日が来ると思うと愉快じゃない・・」これは辛かった新人時代の彼女が自分自身を励まし ていたことを表した言葉として紹介。












 「結局、一番、幸福な日というのは、素晴しいことや、驚くようなこと、胸の湧き立つような出来事が起こる日のことではなく、真珠が一つずつ、そっと糸からすべり落ちるように、単純な小さな喜びを次々に持ってくる一日一日のことだと思うわ」 今日の日は、素晴しいことが起こった日ではあるが、これから暮らす平凡な日々が幸せを築いてくれるのでは・・と言う意味を込めて紹介。



彼女が幸せな家庭を築いてくれることを祈る。


 両家のご両親をはじめ、南阿蘇村村長さんやJA阿蘇の代表理事組合長さんともお話しした。今年の阿蘇スーパーカルデラ100kmマラソンは、やるしかない・・・と決意を新たにした。