2012年7月31日火曜日

会議

朝の出勤ランで体が重く感じた。夏バテなのだろうか?食事は良く入るのだが。
7月31日火曜日は出張の日だが早く仕事が終わったので緩和ケアチームの症例検討会と、カリキュラム改編委員会全体会の会議に出席することができた。
今日の新潟は暑く東京とほとんど変わらないくらいの暑さだった。しかし新幹線で見る景色は、緑豊かな田舎の景色が多く癒された。会議は白熱した?が、帰りは思いのほか早かった。写真は群馬新潟県境付近。



桃園川緑道沿いの花壇に「ひまわり」が咲き誇っている。熊本の岩倉台団地のひまわり畑は大雨で今年は良くないようだ。



サルスベリ(百日紅)は花を咲かせ、日に日に花の塊が大きくなってきた。サルスベリを見るとサン・アントニオのサルスベリを思い出す。




神田川沿いのアベリアの香りが朝ランの疲れを癒してくれる。ここを過ぎると、病院まであと一キロだ。

2012年7月29日日曜日

山形屋レストラン、ひかりちゃん一家と阿波踊り

家人の実家の表座敷にあるクーラーは水漏れで要修理となった。昨日空港リムジンバスに置き忘れたネクタイ(締めようとしたが暑いので、後から締めようとシートに置いたことを忘れていた。それで昨夜の同窓会はノーネクタイ。クールビズになった。)は見つかり、着払いで送ってもらうことになった。
鹿児島空港で山形屋レストランに入った。山形屋は鹿児島で一番のデパートで、子どもの頃はここのレストランで食事をするのが楽しみだった。自分はチャーシューラーメンを食べたが、家人は「山形屋の焼きそば(あんかけパリパリ)」を注文した。山形屋のネームに惹かれるのだろう。
東京に着き、モノレール、大江戸線、西武新宿線を乗り継いで帰った。
家まであと20mのところで、ひかりちゃん一家が車でやってきた。家でクーラーを全開にして冷えたジュースを飲んだ。都立家政通りから鉦や太鼓の音が聞こえてきた。都立家政の阿波踊りが始まったようだ。ひかりちゃん一家と家人は観に行った。



ひかりちゃん一家が帰った後、車を車検に出しに行った。帰ってピーコックに買い物に行ったがその時2つの連を観ることができた。あわてて携帯で写真を写した。




高校同窓会

28日土曜日、「ない土」ではあるが病院に行き、ICUの患者さんたちを診てP学会雑誌の査読を済ませて結果を送った。昼過ぎに大江戸線で大門浜松町に行き、モノレールで羽田空港へ。第63回鶴丸高等学校同窓会出席のためにANAで鹿児島に向かった。鹿児島空港周囲は丁度スコールの後のようで、あたかも打ち水をしたみたいで涼しかった。鹿児島中央駅からタクシーで城山観光ホテルに行ったが、過日の大雨でがけ崩れが生じ、暫く通行止めになっていたという新照院からの登り口は片側通行になっていた。会場には多くの同窓生が集まっていた。1000名を超える参加者を一堂に受けられる会場は同ホテルのエメラルドホールしかない。熊本一鶴会の代表と言うことで、赤いリボンを付けてもらい、貴賓席に座った。
33回生が幹事学年で代表のK山君は高校サッカー部の後輩でもある。例年は8月第一土曜に同窓会は開催されるが、今回7月最終土曜日に変わったので集まりを随分心配したらしい。しかし33回生の努力と願いが通じて盛会正解となった。写真はK山さんと。
会が進むと、22回生が集まるテーブルに移動した。ネームプレートを付けているのだが、覗き込むのは気が引ける。「あんたは誰(だい)やったっけ?」と聞くと、「〇組の◆だよ」と答えてくれた。この数年同窓会にもよく顔を出すので、皆さん自分を良く覚えていてくれた。K島大学麻酔科のK村教授は高校の後輩だが、いつも参加されて必ず挨拶に来られる。流石鶴丸だ礼儀正しいと思う。
3テーブルに22回生は分かれたが、次第に2テーブルに集約されてきたので参加者の皆と話すことができた。写真はテーブル毎の集合写真。

会が終わり、二次会は同級生が家族で経営している「Rain」に行った。本〇君は高校時代A馬君とデュエットで歌を歌っていた。今でも変わらない、いやもっと艶が出て上手くなったかもしれない。
中学校からの親友の重ちゃんが来てくれた。ブログを見て、今日は鹿児島にいるなら一緒に飲もうと誘ってくれた。高校は違うが、彼がいるから中学校の同窓会とも繋がっている。重ちゃんと「のり一」でラーメンを食べタクシーで家人の実家に帰ったが、午前様にはならなかったようだ。しかし、ラーメンを食べたことやタクシーに乗ったことは覚えていなかった。無事に帰ったのが奇跡だと思った。

2012年7月28日土曜日

暑くて溶けそう

水曜日は手術室の会議がヒートアップした後、U野先生、O原先生とさつきに行き、ビールで頭を冷やした。
木曜日は臨床における横断的領域・新しい領域に関するスカイプ会議の前半参加して発言し、横浜で開催されたペインクリニック診断研究会に行った。脊柱管狭窄症がテーマで学びを深め、情報交換会・・・だったが、日本対スペインを生で観戦しようと早めに引き上げた。
金曜日はK中央病院の麻酔科歓迎会があり、恵比寿へ。恵比寿駅前ではやぐらが組まれ、夏祭りモードだった。
恵比寿駅近くの「たん」料理の店でU田先生の歓迎会。ここはK中央病院のナースおすすめのお店とか。女性が薦める店は、確かに美味しくで清潔でリーズナブルだと思った。
土曜日は鹿児島で高校の全体同窓会があるので、熊本一鶴会の代表として・・参加する。



ひかりちゃんからデコポンゼリーのお礼の自作絵葉書が届いた。夏休みは熊本に2週間くらい帰省するという。おじいちゃん、おばあちゃんは待ちかねているだろう。
それにしても暑すぎる!外に出ると溶けて蒸発しそうだ。しかし「ない土」の朝、家の窓をすべて開放して風を通し、洗濯掃除に精を出す。日曜日に家人が来るので片づけを始めたが、右の物を左に移すだけの掃除になっている・・・
今月もすでに月間200㎞を突破したが、階段を上がるとき右膝(膝蓋骨)が痛むようになった。水曜日からは走らず歩くだけにしているが家から病院まで1時間半かかってしまう。

2012年7月23日月曜日

Wellcome to Tokyo, Dr. Ngo!

米国テキサス州はベア郡医師会(サン・アントニオ市とその周囲をがバーする、熊本市医師会とは姉妹医師会)のDr.Ngoが来日し東京にしばらく滞在される。日本の病院を見学したいと相談があり、今日の午前中T医科大学に来ていただいた。予め1時間程度で案内できるようなコースを決め、担当科の主任教授と病棟師長には見学の許可をいただいた。
玄関で会った後、受付や会計に並ぶ大勢の患者さんたちを見てもらった。総合診療科の外来、小児科外来と病棟・NICU、内科病棟と内視鏡センター、ICUを回った。それぞれの科から案内の先生を出していただいた。大変喜んでいただいたが、待合室に患者さんが溢れていたこと、6人部屋や4人部屋があることや個室になると差額ベッドの料金がかかること、(熊本と違い)東京は高い!ことにはには驚いておられた。
自分としては、日ごろ行かないセクションを見学できたので良かったと思う。
彼女は家庭医で、ご自分のクリニックを持っておられるという。友人のDr.Viato夫妻は自分とも友達なので自分(たーさん)に相談してみたらとアドバイスされたようだ。彼女との連絡にはFayさんに間に入っていただき、行き違いが出ないようにしていただいた。満足していただいて、満足・・・。

2012年7月22日日曜日

AWSと研修医懇談会

20日金曜日は研修医との懇談会。新宿アイランドの44階の居酒屋で開催。同日消化器内科の医局説明会が同時同会場であったので、何人かが遅れて参加した。前日に親知らずを抜歯して48時間禁酒・禁運動を指示されていたので、ノンアルコールビールとジンジャイールを飲み続けていた。
日ごろ組んで麻酔を担当していない研修医とも話すことができてよかったが、なんだか自分らしくなかったような気がした。21日から泊まり込みで大学・病院教育指導者に対するAdvansed Work Shopが開催されるので、早めに帰宅した。



21日は晴海グランドホテルに8時半までに行き、AWSに参加した。世界標準のカリキュラムが求められるようになったので、新カリキュラムに関する学びを深めるのが狙いとなる。1「一般教育、基礎医学、臨床医学を統合したカリキュラムの作成」、2「横断的領域カリキュラムの作成」、3「診療参加型臨床実習を導入するための方策」の三つのテーマについて話し合い、プランを立てた。1では司会を、2ではファシリを務めた。鹿児島大学の田川先生が「カリキュラムを改編する理由と成果を挙げるための工夫」と題して特別講演をしてくださった。千葉のご出身のようだが、最後に噴煙を上げる桜島のスライドを見せていただいたので、嬉しかった。
一番活躍したのは懇親会の時だろうか?禁酒期間が過ぎたのが良かった。多くの参加者と交流を持つことができた。びっくりしたのは、札幌ワイズメンズクラブの中田さんの御嬢さんがT医科大の職員でAWSに来ておられたこと。



22日は早朝ランで築地市場、浜離宮、竹芝桟橋?の方に走った。隅田川にかかる勝鬨橋を渡るとき、スカイツリーは?と思ったが見えず、東京タワーが見えた。しかし次第に曇ってきて見えなくなった。日曜なので築地市場は閉まっていた…残念。浜離宮も閉まっていたし、早すぎるから当たり前、周囲の堀の水は汚かった。
桟橋方面に走っていたら、劇団四季の四季劇場に遭遇した。またミュージカルを観に行きたいと思った。





AWSは12時半過ぎに終了した。昼食は出なかったので、帰って娘から送ってもらったレトルトカレーとローソンで買った野菜サラダで昼食にした。月曜日がダスキンモップの先の交換日なので、念入りに掃除、洗濯アイロンがけ、風呂掃除などいつものキレイ好きになった。
種子島の叔母から冷凍した魚の干物が送ってきた。熊本のSさんからお米も送ってもらったので、しばらくは食料は豊富にある。

2012年7月16日月曜日

善福寺川公園と和田堀公園を走る

五日市街道を南に走ると善福寺川を渡るが、その両翼に公園が広がる。川沿いのジョッギングコースは木々の木陰があるので、気持ちよく走れる。この三日間走るのをサボっていたので目指せ21㎞(7㎞x3日分)で走った。




途中から和田堀公園に名を変えるが、そこには噴水がありバードウォッチングを楽しむ人々がカメラを持ってきていた。






さらに進むとテニス、サッカー、野球場がある。野球場が広く2面取れる。すり鉢状の低いところにあったので、看板をよく見ると洪水のときは貯水池になると表示があった。
夏の花々が咲いていた花壇など目も楽しませてくれる。バーベキューをする場所もある。住宅街の中で車で乗りつけるような公園ではないので、ゆったりとした印象を受けた。ひょっとしたら〇の頭公園より優れものかもしれない。ただし周囲に面白いお店はないが・・・
久しぶりにゴーヤ料理に挑戦したが、やはり腕は良い。昨日の草は良く乾いて体積が小さくなったのでゴミ出し袋に入れて明日の可燃物回収に出すようにした。
在熊のワイズメンズクラブはこの連休中阿蘇の大雨被災地で泥かきなどの奉仕作業をしていると連絡があった。熊本YMCAはボランティアセンターとなって災害ボランティアの宿泊などのコーディネートも開始したようだ。もし自分が熊本にいたら真っ先に行っていただろう。仲間たちが頑張っているニュースを聞いて、頼もしく思った。

2012年7月15日日曜日

主夫ももちゃん一家と焼き肉を食べる

今日は良い天気で気温がぐんぐん上がった。午前中掃除洗濯アイロンがけに加えて、布団干しと玄関のデッキタワシでの清掃と家の周りの草取りまでした。
長男からコメがあるか?とのメールがあり、自宅の米とお中元でいただいたブドウ、海苔、ジュースを持って行った。
ももちゃんに異変が生じた、と言っても「おいで」と手を差し伸べると喜んで(多分)ジッジの腕の中に飛び込んでくるようになった!喜ばしい成長と言った方が良いだろう。









あやちゃんの携帯が壊れて修理に出ているので代わりの携帯を借りている。その携帯の充電器が断線しているようなので銀座の店まで連れて行った。その後夕食を皆で食べようということになり、ガーデンプレイス内38階にある焼肉屋さんに行った。


ももちゃんは肉には少し興味を示しただけで、ジュースやナムル、麺に興味を示した。終わりがけに大人しく座っているのに飽きて駄々をこねだしたが、アイスクリームが出てきた時点で態度が180度変わってお利口になった。
長男はこれで一週間は肉を食べなくていい・・と言っていたが、自分は昨日も肉を食べたので二週間は食べなくていいかもしれない。・・・冗談

群有会

群有会はT医科大学近くのハイアットリージェンシーホテルで開催された。席はM原会長とU野先生、大〇戸先生らと同じテーブルだった。ひな壇の横には三宅先生の遺影が飾られ、
後ろには校歌の歌詞が書かれた金屏風が立てかけてあった。
M原先生は教室の年誌を開きながら、教室員の働きを嬉しく思い誇りにしていると話された。U野先生からはこの一年間の教室の動きやいくつかの全国学会主催を控えていることへのご支援のお願いがあった。入局者が八〇子医療センターを含めて7名だったことは自分たちの大きな励みになるし、同門会の皆様もきっと期待をしてくださることだろう。
信州中野への往復の間にかなり食べていたので、できるだけ各テーブルを回るようにした。が・・・やはりおいしそうな食べ物があると手に取ってテーブルに運び食べていた。
途中、エール(応援団のエール)がOBから披露され、集合写真を撮って会は締められた。講師以上は二次会に移動し、日ごろお話をする機会のない先生方と親しくお話をすることができた。

目前には6年生麻酔科のスーパーポリクリを選択してくれたK田さんのお父さんが座っておられたので、「昨日は御嬢さんは講義室の一番前で熱心に授業に参加してくれたのですよ」とお話したら、たいそう喜んでくださった。写真は会終了後の見送りの様子。
三次会は「さつき」に行った。これ以上飲むと足元が怪しくなり、日曜の午前中に頼んでいる宅配を受け取れないと判断してしっかりと引き上げた。このあたりがこの一年間の成長を物語ると思う・・・。写真は三次会で左からN田、S根、K沼、M波先生らと。
翌日曜日、掃除洗濯アイロン掛けと主夫の休日が始まった。10時過ぎたのにまだ宅配さんは来ない。

2012年7月14日土曜日

群有会を前に

7月14日は群有会(同門会と説明してよ良いと思うが・・)が開催される。前日の13日6年生への集中講義を行った。前年4年生への系統講義では、遅れる・寝ている。途中退席が目立った。しかしさすがに6 年生皆(一人を除き)寝ることもなく熱心に注目してくれた。
医学教育の先生から指南された「どのようにして学生の興味を引き飽きさせない・集中力を切らせない講義をするのか?」を思い出して計画した。イントロダクションは松江のペインクリニック学会で観たRail Wayの映画のパンフレットのスライド。
丁度術中体位による合併症を教えている時、机に臥している学生がいた。横に行って顔を覗き込み、眼球圧迫はないので失明は回避されるだろうと解説した。
遅れてきた学生は一人ひとり教壇に来させて出席カードを渡した。学生講義のためにどのくらい我々がエネルギーを使っているかは彼らは知らない。今年の阿蘇スーパーカルデラマラソン100kmのゴールシーンのスライドを見せ、「トレーニングは嘘をつかない(勉強すれは確かな結果が付いてくる)」と締めくくった。

7月15日「ない土」なのにあわてて病院に行った。朝カンファレンスに行ったら部屋は閉まっていた。当直医のU内山先生に「今日のカンファは何時から?」と聞いたら、「先生今日はない土です」と微笑んでいた。
さて、U野先生、大〇戸先生、石〇先生の4人で午前10時20分過ぎ東京駅発の長野新幹線で長野に行き、そこから長野電鉄で信州中野に行った。駅からはタクシーでお墓のある法雲寺「にいった。昨年は炎天下でのお墓参りだったが、今年は曇っていて涼しかった。
墓石をきれいし洗い、花を飾り線香を供えた。
「梅雨明けを待ちくたびれて墓参り」
「紫陽花や師の墓に咲き慰めぬ」
帰るころから晴れてきて強い日差しが射し気温が上がってきた。長野駅横のホテルの喫茶店で新幹線の待合時間を過ごした。
「別世界涼しいホテルの喫茶店」
信州長野駅で記念写真を撮った。
新宿の小田急に寄って3 Wayのバッグをクリアランスセールで買った。きいっとお気に入りになると思う。

2012年7月9日月曜日

朝カレー

朝からカレーを食べて、通勤ランで病院へ。月曜はリュックの荷物が多く肩に食い込む。午前中の症例はP先生がパートナー。彼女はなかなか器用だ。術後はIV-PCAでフォローする。
午後2時半からクルズス。びっくりしたのが今週の6名のグループは誰一人も寝なかったこと。うつらうつらさえせず、熱心に話しを聴き質問にも一生懸命に答えてくれたこのような学生さんだと講義する方も疲れない。閻魔帳には〇印しが沢山ついた。今日中に依頼原稿の校正と講義用のプリントを仕上げよう。と再び心に誓った。明日まで晴れで明後日は雨のようだ。今夜の夕食日ひよっとしたら明日の朝食までカレーになるかもしれないが、美味しいから良い。

2012年7月8日日曜日

第一回役員会


飛行機機材の故障で遠回りを余儀なくされ、開始時間にも間に合わなかった自分を皆さん温かく迎えてくれた。協議の合間に自己紹介の時間まで取って頂いた。
協議や報告の後は懇親の時を持つ。東京に赴任してから、飲み方が随分スマートになったような気がする。午後10時までには自ら切り上げ、部屋に戻って就眠する。これまでのことは恥かしくて言えない。写真は成瀬理事とチームて描いた似顔絵。

さて8日日曜日、大阪は晴れ。すがすがしい朝を迎えた。午前6時から淀川河川敷とスーパー堤防の上を走り始めた。太陽も上がっている。汗腺から汗が噴出すが、昨日のアルコールを洗い出してくれているような気がする。
部屋に戻ってシャワーを浴び、着替えて荷物の整理をした。聖日早天礼拝の準備をし、奨励、司会、献金感謝、奏楽を担当してくださる皆さんと打ち合わせ、感謝の祈りの時を持った。
F永さんの奨励は、タラントンの話。与えられた賜物を活かし皆さんにつくし喜ばれることについて話された。F永さんのYMCAとの関わりなどをお聴きする。F永さんの穏やかで誠実な人柄がにじみ出ているお話だと思った。
正午過ぎに会議は終了した。東京品川行き新幹線に乗り込む前に「スタミナたっぷり蒲焼き豚重」を購入し昼ごはんにした。今年は鰻が高値なので穴子や豚肉の蒲焼が売れるそうだ。
病院に寄って溜まったメールや書類をチェックした。気になっていたICUの患者さんはS根先生たちが良く診ていてくれた。看護師さんも何度もベッドサイドに足を運びご家族と話してくれていた。
自宅に帰り新聞受けから新聞数日分や郵便物を取り出した。散髪に行きたかったが、予約で一杯と断られた。冷凍していたカレーを解凍し温め、これ以上美味しいカレーはない!と言えるカレーを食べた。お中元が届いた。中には留守中に3回も届けに来られて自分がいなかった物もあった。宅配の方も日曜の遅い時間がチャンスということを気付いてこられたようだ。

2012年7月7日土曜日

日本ペインクリニック学会そして走る

7月5,6,7日松江市で日本ペインクリニック学会が開催された。
7月4日水曜日夜羽田発島根県出雲縁結び空港へ。リムジンバスで松江駅に着いたときは駅周囲の店が閉まりかける頃だった。F井先生と近くの居酒屋で山陰名産の魚料理と日本酒を堪能した。写真は居酒屋さんのお品書き。締めは駅近くのラーメン屋さんであっさりした塩ラーメン。
5日は早朝ランは宍道湖湖畔を走る。因幡の白兎のモニュメントあり。
嫁が島をバックに記念写真を撮った。午前中は用語委員会での話し合いの後、リフレッシャーコースを受講した。
午後からRail Way(錦織監督)の上映会があった。幼い時の夢だった島根県一畑電鉄の電車の運転手になるという夢をかなえたエリートサラリーマンの物語。転職が49歳で自分より10年若い。同様の思いを持ったことを経験している自分には心に染みるストーリーだった。会長招宴では、佐倉のT上先生や滋賀の福〇先生ご夫妻らと親しくお話しする機会を得た。ヤマタノオロチのパフォーマンスを観たが、ここは神話の国出雲だ。その後焼肉屋さんで二次会でやはりラーメンで締め。
6日の早朝ランは松江城一周往復で約8km。町並みが綺麗でチリが落ちていない。残念だったのは天気がどんよりとした曇りで途中から雨がぱらつき、宍道湖が波立っていたこと。シジミ採りの小船が何艘もでて漁をしていた。
午前中は講演を聴き、午後からポスターセッションの座長「痛みの評価」を務め、後輩たちの発表を3題見せてもらった。予演会でかなりもまれているので完成度が高く。後輩たちは堂々と発表していた。右からM岡、K子、U井先生の発表。

学会懇親会は場所を移して松江フォーゲルパーク(日本最大の花と鳥の楽園。中略。世界最大級の展示温室は一年中ベコニア、フクシアなどの花が満開です。と観光案内に記載)で。
ふくろうがお迎えしてくれた。二次会は松江市内の料亭に移動。その頃になると雷雨となり大雨洪水警報が発表されていた。
料亭は宍道湖畔で波が高くなってきた。雨が止んだ時間を狙って?記念写真を写した。
7日ホテルを朝6時過ぎに出発した。K子先生のレンタカーに自分とU井先生が乗り込み出雲大社に行った。神楽殿の巨大な注連縄(しめなわ)をしっかり観ることが出来た。HPには、「またここに掛かる注連縄(しめなわ)は長さ13メートル、重さ5トンの巨大なもので「国引き神話」の出雲を象徴するかのようです。 」と記載されている。

ちょうど雨上がりで裏山には霧が発生し、まさにパワースポットにいる実感を持った。




出雲縁結び空港に移動し降ろしてもらった。JALカウンターに行くと、9時発の大坂行きが機材故障の為に欠航という。13時までに新大阪駅近くで開催される国際協会ワイズメンズクラブの役員会に行かねばならない。写真は空港のレストランで食べた出雲そばの朝食定食。
時間通りにつくことは諦めて連絡を入れ、羽田経由で大坂伊丹に向かうことにした。写真は羽田伊丹間のJAL機から撮影した富士山。