2009年11月29日日曜日

11月最後の土日

11月最終土曜日に出身高校の同窓会があった。同窓会の副会長をしているので、準備や連絡に落ち度がないかと心配していた。世話人の皆さんの努力の甲斐もあり、36名が参集してくれた。最高年令は84歳、一番若くて30歳前後か?鹿児島から駆けつけてくださった全体同窓会の向く会長F先輩や、来年高校同窓会の会長Mさん、熊大卒で鹿児島在住のNさん、福岡からはMさんも駆けつけてくださった。私が卒業後何年かしてからできたという高校応援歌「蒼天駆ける」を知っている世代には皆で歌ってもらった。自分はCDを入手して練習していたので、若手に混じって歌った。14回目の同窓会で、1回目から世話人に加わっている。初代会長の大〇先輩は教育界の大御所。全て後輩の我々に任せてたててくださる。昨年集合写真を取り損ねたので今年こそと思っていたが、皆さんの思いが強く深く長引いたので今年も取り損ねた。同級生の昭和46年卒が5名集まったので、二次会で記念撮影をした。
 日曜は、午前中病院で入院患者さんの回診をして教会へ。今月は出席率4割(2勝3敗)だった牧師の山下先生とゆっくり話しができたので良かった。教会に行くといつも心が和む。この一週間優しくなれそうな気がする。  帰って12月5日に水俣市で講演を依頼されているので準備をした。いつも講演の1、2日前に準備は仕上がるのだが、講演準備責任者は高校の同級生。昨日もわざわざ水俣から駆けつけてくれた。準備を済ませ。パワーポイントをメール添付で送った。感心。
 夕は、長女のフィアンセのご両親と食事会をした。「味良」という和食の店はわざわざ日曜に店を開けて準備してくださった。食材を吟味して準備くださり、料理の一つ一つを説明してくださった。Y君のご両親もフレンドリーで娘をとても可愛がってくださる。来年の結納の打ち合わせもできたので良かった。お父さんは昔駅伝の選手だったとか、走る話題でも盛り上がった。お母様は私のブログをよく見て下さっていた。嬉しかった。
 お店の焼酎も美味しかったが、娘と家人に囲まれて座ったので、ほどほどでやめた。帰って「坂の上の雲」をテレビで観た。自分が大志を持って鹿児島から出てきた頃のことを思い出した。気付いたら、枡を出して、日本酒を飲んでいた。そうそう御鮨や和食に合うのはお茶と日本酒だ。

徹夜の後のジョッギング

11月25日水は麻酔科当番。その日は手術が長引き朝から始った手術が終わったのは翌朝の5時過ぎだった。研修医も良く頑張り、休んできなさいときつく言ってやっと休憩を取ってくれた。翌日は外来日で午後からは緩和ケア外来だった。また29日のペインクリニック研究会での発表パワーポイントを作るのに時間がかかり、結局家に帰ったのが23時だった。
25日から緩和ケア病棟に実習に来ているSJ大学薬学部の学生さん4名と、徹夜明けの26日走った。と言っても白川沿いの約3km。彼ら彼女らは何年ぶりかの長距離走だが、自分にとっては徹夜明けでの苦行だった。途中記念撮影をした。
27日は熊本ペインクリニック研究会。自分が線維筋痛症の話しをし、熊本詫麻台病院の平〇先生が脊髄電気刺激による除痛の話しをしてくださった。SJ大学の実習生の3名が聴きに来てくれた。会費が300円で終了後懇親会もあったので会費以上に楽しんでくれたようだ。ジョギングに参加してくれたご褒美か?

2009年11月15日日曜日

第2回役員会

ワイズメンズクラブ国際協会西日本区第2回役員会が11月14,15日神戸市で開催された。14日(土)は休みを取り、8時30分のリレーつばめに乗った。博多で新幹線のぞみに乗り換え神戸へ。12時21分分には新神戸駅に着いた。会場は神戸YMCA近くのホテル。駅から歩いて10分くらい着く。携帯の電池が切れ掛かっていたので充電器を購入したら、所持金が80円になってしまった。受付で旅費の7~8割をもらえるから・・と思い、会場を目指した。とんでもないことが起こった。YMCAと思っていった先がYWCAで、その周辺を探し回っていたら会議の開始時間になってしまったのだ。YWCAでYMCAを教えてもらった。感謝。走っていたら、肩に掛けていたバッグの紐が切れた。思いお手玉を入れていたから?会場には無事に着いた。汗びっしょりだったが・・・会議では役員の熱意が時には激論となり時間が過ぎていく。懇親会では遅れたお詫びに2曲歌を歌った。

15日(日)は早起きして北野周辺、異人館を外から見てまわった ホテルのチャペルで聖日礼拝を行った。 献金は水害で被害にあった子どもたちを神戸YMCAの余島キャンプに招待する支援に捧げられることになった。閉会の祈りを済ませ、1月の研修会で再会を約束し、新神戸駅に向かった。神戸牛がびっしり入った弁当(店頭の写真ではそのように写っていた)1500円を購入し、新幹線の中で開いた。おいしかったが、肉は少しだけだった。 17時には病院に着き、入院患者さんを診てまわった。途中ドクターハートコール(院内心停止)があった。その時病院内にいた医師が5,6名集まり、看護師と共にチームワーク良く蘇生を開始した。心拍再会。カルテ記載を済ませ20時前に帰宅したら、患者さんから誕生日祝いの"らん”が届いていた。娘がケーキを準備してくれた。家人の誕生日と4日違いなので、その中間日の今日にまとめて誕生祝をした。



明日からの1週間のうち、4日が麻酔科当番日、加えて土曜日の日直がある。風邪をひくわけにはいかない。

2009年11月8日日曜日

スペシャルオリンピックス熊本大会開会式とSON15周年記念交流会











スペシャルオリンピックス熊本大会開会式とSON15周年記念交流会を11月8日グランメッセで開催した。実行委員長として10回以上の実行委員会を行い、この日を迎えた。そこで、熊本日日新聞読者の広場への投稿からふたつ。最初は既に掲載、もう一つは投稿したばかり。
『スペシャルオリンピックスから学びたいこと
 今から17年前、知的発達障がいのある人たち(アスリート)に日常的なスポーツプログラムとその発表である競技会を提供し、彼らの自立と社会参加を支援するボランティア活動であるスペシャルオリンピックス(SO)運動が熊本から起こり全国に広まった。2年後にSO日本(SON)が設立されて15年になる。11月8日17時からグランメッセで開催される、2009年SON熊本大会と九州地区サッカー大会の開会式にバルセロナオリンピック女子マラソン銀メダリスト有森裕子SON理事長が参加することになった。開会式後の交流会では、アスリート・コーチ・ファミリー・ボランティアとのふれあいも計画されている。
 9日の10時からは、ウェルパルでSO熊本の生みの親でもある中村勝子SON熊本参与も参加してのシンポジウムが企画されている。有森さんは「世の中にたった一人しかいない自分の生き方にこだわること」「二度とやってこない一瞬一瞬を精一杯生きること」を信条としておられると聞く。今回の交流会やシンポジウムを通してもう一つの生き方を学びたいと思う。』

『スペシャルオリンピックス(SO)開会式・交流会の感激
 11月8日グランメッセで開催された、2009年SO日本・熊本大会と九州地区サッカー大会の開会式では、熊本県警音楽隊の皆さんの演奏のもと、アスリート・コーチ・ボランティアが胸を張って入場行進をした。SO旗掲揚、選手宣誓や火起こし、トーチランや聖火台への点灯といったパフォーマンスの度に、演奏が効果的に場を盛り上げてくれた。アスリートの顔は喜びに満ち輝いていた。有森裕子SON理事長は激励の挨拶で、自らの体験を踏まえ「人の可能性はいかにチャンスを与えられるかによる」と熱っぽく話された。
 交流会では、有森さんは参加者と一緒になって、歌にダンスにゲームに興じてくださった。司会や挨拶など役割を与えられたアスリートは堂々と役をこなしてくれた。
 交流会後の多くのボランティアが会場に残り後片付けに精を出した。6月に実行委員長の任を受け準備に忙殺されてきたが、この日参加下さった全ての皆さんへ感謝の思いで胸が一杯になった。会場の明かりを消しドアに鍵を掛ける時、アスリートの笑顔に癒されていた自分に気づいた。』

有森さんは交流会の時、飲み物を未だ準備していない参加者を回って 勧めておられた(ノンアルコール)、時々ゴミを集めて片付けを当然のようにされていた。さすがオリンピックメダリストだ。
ワイズメンズクラブの仲間たちと、教え子の熊本総合医療福祉学院の生徒たちには頭がさがる。黙々と仕事をお願いした以上にしてくださった。このような仲間や教え子に囲まれ、幸せ過ぎると思った。
 次の日9日、有森さんと中村さんの対談が小出さんの司会で行われた。中村勝子さんとの対談でも負けることなくお話し下さった有森さんは流石だった。終わって昼食会をしたが、家人が「SOのサポーター〇上(たーさん)のサポーターです」と自己紹介をした。家人もなかなかやると思った。

2009年11月3日火曜日

結婚式・披露宴

 11月2日は仕事を終え最終便で東京に向かった。寒気団の襲来で飛行機は揺れた。着陸かな?と思ったら気流が・・・心配ありませんとのアナウンスがあった。23時過ぎにホテル到着。熊本空港で握り寿司+αを食べて飲んだのだが、お腹がすいていた。木枯らしの中。セブンイレブンに走った。宿舎の東京ガーデンプレイスホテルは恵比寿ガーデンプレイスの横(中)にある高級ホテルだった。  3日5時前には目覚めた。6時過ぎに式用の固い革靴で散歩、途中ジョギングで渋谷3丁目まで足を延ばした。ホテルの部屋でモーニングに着替えた。そこで気づいたのが、着替えの靴下を忘れてきたこと。仕方ないので二日連続で同じ靴下となった。結婚式・披露宴の会場は恵比寿ガーデンプレイス内にある、三ツ星レストランだ。結婚式はキリスト教式で行われた。私と姉と式場の聖歌隊?の歌声が目立った・・・と思う。新郎は少し緊張気味だった。  披露宴は、三ツ星レストランなので、食事を楽しんでいただくといったコンセプトがはっきりしていた。レストランでの披露宴なので、親戚も友人もかなり絞られていた。挙式前には新婦方の親戚への挨拶ができた。また披露宴前には新郎の友人・先輩への挨拶もできた。最後(本当の最後は新郎の挨拶)の挨拶なので、ワインを飲みながらも何回もあいさつ文を繰り返しそらんじた。  約2000Kcalnフランス料理はさすが三ツ星レストランだった。挨拶もほぼ満点の出来だった。新しいカップルが末永く幸せであるように祈った。
 無事に式は終了し、モーニングは他の荷物とともに宅急便で熊本に送った。恵比寿ガーデンプレイスの場からのバカラのシャンデリアの点火式を見てから帰ることになった。ところが、帰りの航空券を自分だけが持っていないことがわかった。なぜ?今回のチケットは往復が一枚に記載されているのに、行きだけと思いこみ帰りのチケットは娘が預かっていると思ったのが原因。ホテルの部屋の塵箱に捨てたと思っていたが、なかった。結局、モーニングをしまいこんでいたバッグに入っていた・・・式場の係りの方にはお世話になりました。シャンデリアの点火式を見学し羽田に向かい帰った。熊本には予定より15分早く到着した。熊本は東京より寒かった。
 家に帰り、暖房がなかなかつかず、ひやっとした。なぜかお腹がすき、ご飯を炊いた(自分で)。今日は3000Kcalは摂取しただろう。

2009年11月1日日曜日

日曜らしい日曜

今朝は町内会の廃品回収と災害訓練。廃品回収のときは曇り晴れ雨だったが、その後雨が降り出した。町内会は家人に任せて病院へ。入院患者さんを診てまわり、教会日曜礼拝に2ヶ月ぶりに参加した。11月第一日曜は永眠者記念日なので、日頃お会いすることのない方ともお会いできた。鶴屋に行って結婚式のネクタイを購入。持っているのだが、何処でつけたのか食事のシミが消えない・・・デパチカで夕食の惣菜を購入して帰宅した。

今日は九州医師会学会でサッカー大会に例年参加する予定だったのだが、未だ腰の調子が悪いので失礼した。代わりに体慣らしに来たバイパス沿いを約10kmほど走った。午後から4回ほど病棟から問合の電話があったが全て電話指示で済ませた。今日は麻酔科当番ではないのでゴメン。病院に出て行ったら今日も帰宅は夜遅くなるだろう。次第に体力が磨り減ってきていることを最近実感しているから・・・

11月3日の結婚式で着るモーニングを4年半ぶりに着た。サイズはぴったりだった。挨拶文はできるだけ短くするようにとの要望もあり、30秒以内にまとめた。
「30秒 家人のチェック 挨拶文」
久しぶりにブログに写真を入れたり書き込んだり、日曜らしい日を楽しんだ。

11月8日の日曜日にスペシャルオリンピックス日本・熊本の開会式と交流会をグランメッセで行う。ボランティアが不足しているのだが、熊本総合医療福祉学院臨床工学科の3年生がほぼ全員で参加してくれることになった。ありがたい。

地雷廃絶と被害者支援の会・熊本KLCC主催第10回チャリティーラン&ウォーク

 10月25日「、10年前から始った、地雷廃絶と被害者支援の会・熊本KLCC主催チャリティーラン&ウォークが下江津湖の旧広木公園で開催された。むさしクラブからは最相さんがKLCC代表で、たーさんが副代表で参加。丁度むさしYMCAのチャリティーバザーと日程がバッティングしたので、むさしクラブからの参加は二人であるが、協力団体として10年連続エイドの飲み物を供給し続けている。今回も大塚製薬の協賛を得て、しっかりスポーツ飲料の準備ができた。また、持参したじゃがいもを完売できた。
 私は激務腰痛で最悪の体調だったが、ボランティア参加でエイド担当する熊本総合医療福祉学院救急救命科の学生さんの手前、3周約15kmを走った。最後の1周はKLCC会員さんの愛犬リュウとともに走りった。おしっこ休憩が多々あり楽だったのだが、最後にウンチをしてその始末、ゴールで待つ飼い主をみつけてのラストスパートにはギブアップであった。
写真は、学生さんと記念写真、スタート風景、最相代表挨拶