2017年9月30日土曜日

熊大医学部サッカー部幹部交代コンパ

30日、熊大医学部サッカー部幹部交代コンパ参加のために熊本に帰省した。この時期の会は、OB戦、OBによる講演会、コンパと三部仕立てになっている。空港から講演会会場の熊本大学附属病院までの間に桃也たちが住んでいる。寄ってもも、さく、いちごの二人と一匹を高い高いして、お土産と集めたベルマークを渡した。直ぐに家人が運転する車に乗ったが、桃也から「二分もいないよ」と言われてしまった。

講演会会場に入った時には、西名誉教授による高齢者の直腸・肛門機能についてー高齢者医療の現場よりー」の講演が始まっていた。80歳を過ぎても臨床疑問を解いていくエネルギーには頭が下がる。長崎大学寄生虫学の濱野先生は「熱帯感染症の克服を目指して」のタイトルでNeglect tropical diseaseやオルコセリア感染症の解説や対策への取り組みを話してくださった。世界を相手にするロマンを感じた。ワイズでRoll back Malaria (蚊帳を贈る運動)をしていたが、非常に有益であると喜んでくださった。

コンパはアークホテルで開催。交代する旧幹部は公式戦での成績は残せなかったが、少ない人数でよく頑張った。新幹部には多くの期待をかけ過ぎぬようにするが、是非自主性を発揮し後悔のない幹部の活動をしてもらいたいと思う。

締めを担当したが、故後藤賢治先生を思い出しながらの万歳であった。

二次会はケルンというパブに行った。10時半には失礼し、プラスワンへ。焼酎を飲むうちにこっくりしていたようで、マスター夫妻に車で家まで送ってもらった。幸せなひと時だった。

2017年9月29日金曜日

試験問題作成

29日、この時期になると5年生総合試験作成をせねばならない。症例問題Cという、検査所見やX線写真をいれた設問で一人の症例で2問作らねばならない。ペインクリニック学会の症例報告を作ったばかりだったので一晩で作り終えた。

2017年9月24日日曜日

慢性疼痛学会認定医申請

24日、慢性疼痛学会認定医申請書作成は今回が初めて。5年以上の学会歴と会費納入、5年間に1篇以上の学会誌への筆頭者での論文と学会発表、10例の慢性疼痛症例の症例報告が必要である。

がん性疼痛症例は数百人あるが、非がん性疼痛患者さんはこの5年間で数える程度しかいない。この患者さんを優先的に記載した。頑張ったので、28日に提出には提出できた。

2017年9月23日土曜日

横須賀に行く

 23日、東京薬科大へのドライブでは車が不満そうだ。きつくなくて日帰りでしかもおいしいものが食べられて・・・と考え、三崎口と横須賀へドライブすることにした。三崎口にある食料品センターの周囲には多くのマグロ料理屋がある。そこで、昼食を食べた。うん、満足。帰りに横須賀へ。イオンモールの駐車場に車を入れると、その横から横須賀港観光クルーズ船も出ていた。既に最終便が出発していたが今日の便は全て満席だった。

横須賀港には海上自衛隊の護衛艦が加賀が停泊していた。堂々とした風貌だった。イオンモールで夕食を買い込み帰った。

2017年9月21日木曜日

ペインクリニック診断研修会研究会

21日、ペインクリニック診断研究会が西新宿の会場であった。T大学の先生による痛みの基礎的な研究から臨床へ話があったが、結果がきれいなのは上手く対象を選んでいるからかなと思った。それはさておき、T大学病院の緩和ケア研修会の受講率は40数%だそうだ。大丈夫だろうかとよそ様のことながら心配になった。世話人会の時、日本慢性疼痛学会事務局長の田邉先生から、「慢性疼痛認定医の申請書類を出しましたか?」と尋ねられた。「日本ペインクリニック学会の専門医更新申請で忙しく未だしていません。」と答えると、「今月中に提出です」とはっぱをかけられた。

情報交換会では、熊本からNTT東日本病院ペインクリニック科に国内留学にきてる山田先生と会って近況報告をした。前回は荻窪で飲んで家まで来てもらったが。今回は遠慮された。若手の武藤先生を連れて「寿し居酒屋まえ田」に行って少しだけ飲んで帰った。

2017年9月20日水曜日

日本ペインクリニック学会専門医更新申請提出

20日、日本ペインクリニック学会専門医更新申請提出期限が9月中であり、その準備がやっと済んで学会事務所に送った。緩和ケアの担当をしているので、痛みで苦しむ患者さんを多く診ている。申請には、学会活動や学会発表などの報告の他、症例報告が10例と患者さん50例のリストアップがある。できるだけバラエティーに富む症例報告にしたが、忘れられない患者さんを記載する時には思いだして手が止まった。

2017年9月18日月曜日

Cancer Board

25日、9月のCancer Boardは緩和医療部が担当。乳腺科の山田先生にお願いし、併診した患者さんの経過を通して治療とアドバンス・ケア・プランニングについて学ぶ機会を作った。タイトルは「長期にわたる乳がん化学療法症例の在宅医療への移行に学ぶーアドバンス・ケア・プランニングはいつどこでー」とした。忘れられない患者さんであり、治療の選択や患者さんの療養先が決まるまでの話し合いの過程などを振り返る。総合相談・支援センターや看護師薬剤師・栄養士スタッフが加わった話し合いは熱気に満ちたものになった。

終わって山田先生と「寿し居酒屋まえ田」に行った。ご苦労様で特上寿しを注文した。キープしていた「佐藤の黒」は少ししか残っていなかったので、空っぽになった。次は何を持ち込むか?

 


 

ドライブとリゾット

18日、一カ月ほど車の長距離ドライブをしていない。掃除洗濯を済ませて東京薬科大学まで車を走らせた。中央道を使ったので往復で2時間弱か。帰ってトマトをミキサーにかけ、あら引きソーセージ、玉ねぎ、にんにくを入れたリゾットを作ったが、味が足らずに少し醤油をかけた。煮込む時にコンソメを入れるのだった!と反省した。
 

2017年9月16日土曜日

中澤先生教授就任祝賀会

16日、中澤先生教授就任祝賀会がハイアットリージェンシーホテルで開催された。中澤先生は気道管理や呼吸器系の集中管理で高名な先生。温厚で真面目で手術室の中でも日に日に存在感を示して下さっている。娘さんが帝京大学の麻酔科のDr.でご参加くださった。

東京医科大学の内野主任教授、臼井理事長、鈴木学長、土田病院長のご挨拶、日本麻酔科学会稲田理事長のご挨拶は格調高く、中澤先生のお人柄が伝わってきた。中澤先生の恩師の天羽先生は、自分の恩師森岡先生とは同世代の麻酔科のパイオニアである。ご出席いただいていたのでご挨拶をさせていただいた。

自分は会の締めの挨拶を担当した。荻原先生や医局の先生にも壇上に上がっていただき、関東一本締めで会を括った。二次会では稲田先生の隣に座っていろいろい話しすることができた。FBフレンドなので、話しが盛り上がって良かった。

2017年9月13日水曜日

家人新潟を楽しむ?

12日、三之町病院の鎌田理事長から、家人と一緒に食事をとお誘いを受けた。新幹線の切符も準備して下さったので、家人と新潟へ行った。燕三条駅近くの新潟へぎ蕎麦のお店で昼食をいただいた。自分は脳梗塞後の血管バイパス術の麻酔が控えているので病院に行った。前週の患者さんの術後回診と今日の患者さんの術前診察をして麻酔の準備をする。二カ所のバイパスなので最終新幹線には間に合わない。途中で二半亭の夕食も展望風呂も諦めた。2時過ぎに手術・麻酔終了し、ホテルのベッドに潜り込んだのは3時を過ぎていた。家人は理事長や総務課の若森さんの案内で新潟市内観光や日本海料理を楽しんだようだ。

2017年9月11日月曜日

蔵王から帰って

10日、松金屋アネックスさんのご厚意で温泉に入り汗を流し、近所のそば屋さんで昼ご飯をとった。蔵王バスターミナルまで送っていただくなど、非常にお世話になった。

山形駅で新幹線を待っていたら、家人が臨時列車で早いのがあるから席を替えてもらおうと提案。運よく隣り合わせの席は取れ、30分速くなった。プラットホームの売店でお土産と自分用の日本酒を買った。大勢の買い物客で大忙し、お土産を大切に抱えて新幹線に乗り込んだ。

荻窪の家に帰り、荷物を整理した。日本酒がない!!

翌日、JR東日本忘れ物センターに連絡したが、届いていない。お店に電話した。「その日、お客様(自分です)にお酒の袋を渡そうとした時、既にお店から出ておられました。外に出ましたが見失いました。新幹線の車掌さんに日本酒を預けお申し出があったらお渡しして下さいとお願いしました。誰もおられなかったとの返事があったので今日電話があると思いお待ちしていました。」のお話し。日本酒は宅急便で送っていただき、12日に無事届いた。何という山形の温かさ!すばらしい「べにはな屋」さん!

2017年9月9日土曜日

蔵王スカイランニング

 910日、ランニングクラブの耳鼻咽喉科のS藤先生と、蔵王スカイランニングに参加する予定を立てていた。奥様のお父様の実家が蔵王温泉で旅館をされているので、お願いして家人と泊まるようにした。東京駅から新幹線つばめに乗った。福島までは新幹線らしい?駅なのだが、その後は一般の駅みたいでスピードも遅い。構内に温泉がある高畠など凄い!山形駅からは路線バスで蔵王温泉に行く。山形大学病院から近いようだ。

松金屋アネックスに荷物を置き、蔵王体育館に受付に行った。山岳レースなのでウインドブレーカーが必携だという。女性用のLサイズのウインドブレーカーを買ったがきつかった。

夜は佐藤先生ご一家と一緒に夕食を食べた。佐藤先生は自分の長男と同い年、子どもさんは4歳と2歳の男の子なので、まるで自分の子どもや孫たちと夕食をしている感じだった。

明日は佐藤先生は21kmで体育館スタート蔵王山麓駅から上りで地蔵山頂駅から岩場のコースを上がりお釜から蔵王山頂を回って帰るコース。自分は蔵王山麓駅まではロープ―ウェイで上がりそこからは21㎞と同じコースの10㎞ファンランコースになる。下りの多い軟弱コースと思っていたが、実際に走ってとんでもないコースだと明日思い知ることになった。

さて、9時スタートの佐藤先生を蔵王山麓駅の駐車場で応援し写真を撮った。皆でロープ―ウェイを樹氷高原駅で乗り継ぎ地蔵山頂駅に着いた。ロープ―ウェイからは走っている参加者が見えた。

10時半前から21㎞参加者が次々に地蔵山頂駅横のチェックポイントにやって来た。佐藤先生も余裕の表情で駆け上がってきた。

11時に10㎞ファンラン参加者は最初は集団走(歩き)で200300m先の開けた場所まで移動し、そこからは自由走になった。

左足首に負荷がかかると痛いので、サポーター3個で固定したが、歩幅や高低差で左足関節曲がると痛みを感じた。下りでは左足で体重を支えるたびに痛いので、少しずつ歩いた。身の軽い人は岩場を跳ねるように走って行くが、自分はノロノロしかも3回ほど滑って尻もちを着いた。お釜を見ようとコースアウトして写真を撮りに行った。5分以上は時間ロスしたかもしれない。蔵王山頂から地蔵山頂駅のチェックポイントに下るときに滑って転んだのを家人たちは見ていたようだ。

そこからはほとんど草原の下り坂。時々溝があるが、Cautionと書かれた立て札があり危険を知らせてくれた。

樹氷高原駅のチェックポイントにスイカがあった。家人がおり、タレントの梅宮アンナさんがすぐ後ろからくるので写真を撮って行けと勧めてくれた。ここで約5分の時間ロスをした。

蔵王山麓駅にチェックポイントに余裕の走り?で到着。あと220分だから完走間違いなし!と思っていたら関門時間を間にが得ていて10分超過でチップを回収されてしまった!

チップ無しでゴールに走った。締め切り時間1330分だが、1324分に到着した。完走証なしの完走になった。写真を撮らなきゃ!は後の祭り。

2017年9月8日金曜日

新宿区主任ケアマネージャーの勉強会

8日、新宿区主任ケアマネージャーの勉強会に講師として呼ばれた。がんと緩和ケア、アドバンス・ケア・プランニング、東京都緩和ケア連絡手帳‐わたしのカルテ‐について、症例を交えてお話しした。約30分で話をまとめ質疑応答に繋いだ。

グループワークはモデル症例に対してどのような医療・介護の提供ができるか、在宅への移行に対してどのような配慮が必要かなど活発な討議が各グループで行われていた。最後に総括として意見を述べたが、このような機会は喜んで参加したいと思った。懇親会があったが今夕家人が上京したので失礼した。

家人と「久」で夕食。家人を連れて行くのは2回目だが、ゆっくり食べることができるのが良い。今日はカメラ紛失事件とその結末について報告した。

 

懺悔

8日、家人と「久」で夕食。家人を連れて行くのは2回目だが、ゆっくり食べることができるのが良い。今日はカメラ紛失事件とその結末について報告した。

2017年9月7日木曜日

東京メトロ忘れ物取り扱いセンター

7日、どうもデジカメを失くしたようだ。どこを探しても見つからない。そういえば三之町病院で午後にカメラを・・・とケースを見たがなかった。3日の夕方から5日の午前中に失くしたようだ。自宅や病院の他に、K中央病院や三之町病院にも問い合わせたがなかった。JR東日本の忘れ物取り扱いセンターでも無し。一番考えられない東京メトロ忘れ物取り扱いセンターに電話した。デジカメの特徴と最後に写した写真の内容を覚えていますか?との質問があった。黒のソニーのサイバーショットで落として欠けた部分をセロテープで補強していることと、「久」の大将と一緒に写真を写したことを話した。それらしいカメラを預かっているという。17時過ぎ忘れ物取り扱いセンターに行った。自分のデジカメだ!写真が決め手となり自分のもとに戻ってきた。センターからは飯田橋駅から荻窪駅までの通行証をいただいた。

恐るべし日本!誇るべし東京メトロ!

2017年9月6日水曜日

膵臓癌の勉強会

6日、がん診療拠点病院は5大癌の勉強会を地域に開放して行わねばならない。昨年は大腸がんで、勉強会終了後の懇親会で消化器内科のDr.と知り合い、それが縁で上下部内視鏡やピロリ菌の除菌に至った。今日のテーマはすい臓がん。疫学、診断、手術・化学・放射線治療などすい臓がんに関するアップデートを学んだ。コメントを求められたので、治療を支える立場と終末期に至る所での緩和ケアの在り方について私見を述べた。

懇親会への参加者は少なく、料理が余ったのでドギーバックに入れ夜食と明日の朝食のために持って帰った。

 

2017年9月5日火曜日

新幹線に乗り遅れた!

5日、病院を飛び出したのが1010分過ぎ。丸の内線では10時40分発のMAXときに間に合わないので新宿で降りて埼京線と湘南新宿ラインのホームに行った。雰囲気が違う!変電所の事故
による停電でJR東日本の遅れや運休が生じているという。中央線が動いているが、このまま中央線に行っても間に合わないので腹をくくった。

1時間遅れの新幹線に大宮駅から乗車する。三之町病院には1時間遅れるが駅弁を食べて直ぐに手術室に行けば入室30分遅れで少なくとも16時過ぎには手術が終了すると計算した。

大宮弁当(宇都宮の弁当屋で作っていた!)を買い新幹線の中で食べた。

手術前に術前診察や先週の術後診察もできた。手術も無事に終わり、久しぶりにブログ書きに励んでいる。近々写真を掲載する予定だが。

2017年9月4日月曜日

黒亭ラーメン

4日、午前は麻酔導入指導から病棟回診をし。K中央病院では朝から急患がたてこみ忙しく、6時前に出て病院に帰った。専門医更新用の症例報告を書き、帰宅。夕食は熊本の「黒亭ラーメン」をメインにした。

北朝鮮の水爆実験についての特別番組を聴き、洗濯をしてベッドに入った。

2017年9月3日日曜日

日曜日と飛騨牛弁当

3日、9時過ぎに起床した。冷凍お握り、ソーセージと目玉焼き、冷やしトマトとレトルトのなめこ味噌汁をブランチにした。洗濯、布団干し、クリーニング出し、掃除をして、東京薬科大までドライブした。時には車を走らせないとバッテリーがあがる。
帰って、JR新宿駅南口に近いJAビルの「飛騨の食フェア」に行った。久の大将が飛騨牛弁当を販売している。
会計には見たことのある美人さんが二人いたが、久のスタッフだった。最後の弁当とソーセージなどを買って病院に行った。
ペインクリニック学会専門医更新に必要な症例報告を一人分書き帰宅。
飛騨牛弁当を夕食にした。
 

2017年9月2日土曜日

日本麻酔科学会地方会と皇居ラン


2日、日本麻酔科学会の関東甲信越・東京地方会が京王プラダホテルで開催された。自分は11時過ぎまで病棟回診をして、会場に移動した。

柳君は学生証を持って行ったが、受け入れ先の先生が一緒でないと受付をしてくれなかったようだ。しかし荻原先生が気付いてくださり、無事に受け受けできた。着いた時は清水先生が麻酔関連器械展示に連れて行ったようだった。

佐藤先生が「緩和ケアチームと血液内科の診療連携」について発表した。なかなか落ち着いて発表したと思う。ポスター発表が終わり、内野先生、佐藤先生、清水先生、柳君と自分の5人はNSビル29階のレストランで昼食を共にした。

午後から講演を聴いた後、柳君と都庁南庁舎の45階展望所に行った。202mの高さにあるTokyo Caféは見るだけ、周囲の景色を楽しんだ。富士山は裾野は一部見えたが山自体は雲に隠れていた。

皇居ランをしたいか?と尋ねたら、走りますと元気な返事があった。18時に半蔵門出口1で待ち合わせして、ロッカー付き銭湯で着替えて千鳥ヶ淵公園から反時計回りに走った。キロ7.5分ペースでゆっくり走ったので、余裕を追って走ることができた。風呂で汗を流し、腹ごなしに四谷まで歩いた。「何が食べたい?」、「お肉です」、「焼き肉?ステーキ?」、{ステーキです・・・}の会話が続き、いつの間にか荻窪の「かしこまり」着いてしまった。桑原君とほぼ同じメニューで夕食にした。まさか・・と思いつつ、「ラーメン食うか?」と聞いた。「食べたいです!」と元気な返事。一応春木屋に行ったが、既に閉店だったので横浜系ラーメンに行った。自分はハーフサイズであっさり。柳君は普通サイズのようだった。

明日の皇居ランは今日済ませたので中止を告げ、荻窪駅北口で別れた。明日は14時の飛行機で熊本に帰るという。自分には掃除、洗濯が待っている。

2017年9月1日金曜日

三之町病院の急患とランニングクラブ


91日、金曜日は午前が麻酔科術前評価外来、午後が緩和か外来だが急遽三之町病院に行くことになった。朝早くから病棟回診を済ませ、柳君の一日のスケジュールを立てて10時には病院を出た。
三之町病院では、リスクのある大腿骨頸部骨折の患者さんに人工骨頭置換を行う。患者さんは先の火曜日に術前診察をしている。
病院に着くと、脳神経外科の急逝硬膜外血種の患者さんが朝方搬入されたという。時間をずらしての入室にし、整形外科の患者さんの皮膚縫合が始まる頃に脳外の患者さんを入室させ麻酔導入を開始した。麻酔維持に移り皮膚切開が始まりバイタルが落ち着いて整形外科の部屋に行った。丁度皮膚縫合が終了したので覚醒・抜管することができた。以後は脳神経外科手術に集中できた。この患者さんもリスクが高い。
帰りの新幹線ではくたびれて眠ってしまった。
病院に帰りメールチェックをし、ランニングクラブの練習会に自分の名代として参加した柳君と病院近くの焼き魚専門の居酒屋に移動した。走る走らずに関わらず16名が参加した。特に薬剤部の若い女性や、看護部のスーパーランナーも参加したので会は盛り上がった。皆が「先生ひとりで帰れますか?」と心配始めるころ、中締めとし真っ直ぐ自宅に帰った。