2013年1月29日火曜日

島流し

S医科大のT宮先生には、熊本にも何回も来ていただき講演いただいた。T宮先生は剣道の練習をよくされていると聞いていた。そこでT医科大剣道部出身のO原先生にお世話いただき会食することになった。O原先生行きつけの?魚料理のK瀬は新宿野村ビルの地下街にあった。 何回も熊本に来て下ったお礼を申し上げた後、乾杯し美味しい魚料理を食べながら緩和ケア・医療の話しで盛り上がった。お薦めの芋焼酎は八丈島の島流しという。なかなかおいしかった。ブログ用の記念写真を撮り…あっという間に時間が過ぎた。O原先生と新宿駅で別れた。 翌朝O原先生から途中寝ていて帰り際に起こしてもらったと聞いた。T宮先生は喜んでおられたようだ。どおりで昨日の帰りの電車は寝過ごさなかったはずだ。今日家人と次男が東京に来るが、掃除ができていない。洗濯機には洗濯物を突っ込んだままでクリーニングにだすワイシャツとズボンは階段に置きっぱなし。しかしトイレと風呂掃除はしたのでいいことにしよう。
今日も富士山がきれいだ。
そしてトンネルを過ぎると雪国だった。

2013年1月27日日曜日

東京ペインクリニック懇話会

東京ペインクリニック懇話会の新年会が東京会館で開催された。今回はペインクリニックの重鎮、M崎先生に「ペインクリニックあれこれ」と題したお話しを拝聴した。M崎先生がペインクリニックを始めた40年以上前、ボニカ先生の名著The management of painとの出会いやがんの痛みとの闘いなど、日本のペインクリニックの歴史を改めて学ぶことができた。数年前、自分が苦労していたことは既にM崎先生は40年以上前に経験しておられた。
懇話会では多くのペインクリニックスペシャリストと話すことができる。T医科大に来てO瀬戸先生と一緒に仕事をする機会を得たが、O瀬戸先生を通して人脈も広がり嬉しい。
会が済んでF井先生とさつきに移動し、まだ夕食を取っていないであろうU野先生に電話した。二次会と言うわけではないが、手術室で緊急手術と格闘していたK沼先生も加わり賑やかになった。帰りは先輩ぶってタクシーで送って帰った。
翌朝、頭が痛かったが、洗濯や朝風呂、風呂掃除や朝食の準備をするうちに治っていた。朝食はやっぱりレトルトカレーだった。
26日、満月が東の空に大きく見えた。新しいデジカメは16倍ズームができる。写したらきれいに写った。ブログ写真の創作意欲がわいてきた。

2013年1月20日日曜日

熱海 医局旅行

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9,20日は医局旅行。大量のアルコールを集めバスに積み込む。バスの中で酔っ払わないようにと皆から言われた。熱海に着いたらジョギングしようと思っていたので、缶ビール1缶だけ飲んだ。写真は八王子から参加のK江先生と。
S根先生は海老名サービスエリアで買った焼き鳥の串焼きを丁寧にばらして、皆に配っていた。いつも周囲に気配りをする感心な先生だと思う。
熱海に到着後部屋割り発表。U野先生と相部屋となる。会議のために新幹線で遅れてこられるので、部屋番号とフロントに鍵を預けたことをメールして、来宮(きのみや)神社にむけて走った。ここの大楠はWikipediaによれば「本殿裏にあり、推定樹齢2000年以上、一部枯れているが樹高約20m、幹周り約24mの大楠で、昭和8年に天然記念物に指定された。これを1周すると寿命が1年延びるとか、願い事が叶うなどと信仰されている。」と言う。医局旅行だから、新入医局員がたくさん入ります様にと祈願した。 宿に帰ると、U野先生が着いておられた。さっそく大浴場に行き汗を流し温まった。塩化物で弱アルカリ性の温泉で、少ししょっぱいのだが身体はすぐに温まった。
宴会では、ユトレヒト大学の留学生のために挨拶は英語となった。さすがにU野先生は上手な挨拶だった。乾杯の音頭を任された自分は、挨拶は簡潔にまとめたが、インフルエンザや仕事でこれなかったスッタフのことも紹介した。
いつもビックリするのだが、皆さんよく食べるよく飲む。自分は焼酎「赤兎馬」と「茂木」の水割りを飲み吸収を遅くした。チャンポンにならないように、日本酒には手を出さないようにした。写真はアルコール類を取り仕切るS木先生と手なずけようとするK澤先生。
U野先生を挟むように留学生と自分が座ったので、皆がかわるがわる来てくれた。
歌が始まった。M本、M田先生も上手に歌うのには驚いた。失礼。
ステージ付の大広間なので、歌に合わせて(合っていないのだが・・)ダンスも始まった。留学生も浴衣姿で大いに歌い踊ってくれた。
二次会はホテルロビーの一角を借り切り、カラオケ装置とバー(中には医局員)を貸してもらっての大宴会。
一次会、二次会で三曲ほど歌ったが、最近の歌いこみの足りなさを反省した。 三次会は、若手の部屋に移動して、残ったアルコールを飲みながらおしゃべりが始まった。随分遅くまで楽しんだようだが、12時前には引き上げた。(連れて帰ってもらったらしい) 朝5時半に目覚めた。6時にロバートと朝日を見に海岸を走ろうと約束していたので、着替えてロビーに行った。が、待ち人来ず。同室の若手医局員に電話をしたが反応なし。そういえば彼らはずいぶん遅くまで楽しんだろうから、ゆっくり寝かせてあげようと思った。
熱海の海岸と言えば、小説「金色夜叉」(こんじきやしゃ)に登場する主人公「貫一とお宮」そして「お宮の松」が有名だが、朝日が目的なので親水公園レインボーデッキから熱海サンビーチを走った。
ここには熱海の義人と言われる釜嶋屋平七夫婦の像(漁民のまとめ役だったようだ)があった。
太平洋の水平線が次第に明るくなってきた。
太陽が昇る!オランダは地理的に水平線に上る朝日を見ることはできない。写真に撮ってロバートとカミュラに見せてあげよう。 早朝ランから戻り、温泉へ。体が温まっていたので露天風呂にも入った。
朝食後、U野先生といろいろお話をしているうちに集合時間になった。未だ全員で写真を写していない!ことに気付いた。ホテルの玄関前で、今回のツアー名「オロボロスセミナー2013」の看板とともに記念写真を写した。
自家用車で帰る、5名と別れ車は熱海を離れた。以前から熱海を知る人は、熱海のホテル、所管、保養所がどんどん少なくなっていくことを寂しがっていた。昨日も今朝も熱海市内の旅館街を走ったが、廃屋になったり営業を止めた建物もあった。
十国峠から見る富士山も美しい。ここはシャッターポイントのようで、何回も写真を写した。
留学生と4月入局が決まったN山先生の写真 結局十国峠のお土産屋さんが最終立ち寄り先となり、13時前には新宿西口に着いた。今回の旅行のお世話をしてくださった。勇〇山先生をはじめ多くの皆様に感謝。

2013年1月19日土曜日

卯の花

金曜の夜は長男と食事・・と意気込んでいたが、「仕事が忙しくて会えない」とメールがあった。家に帰って風呂を沸かし「温泉風呂」にした。近所の和食の店「卯の花」の食事と温泉の組み合わせで、もう一度長男を誘った。かなり傾いたが、帰りが遅くなるからと断念したようだ。実際会社を出たのが午後10時を過ぎたようで、楽しみは次回に繰り越した。
とは言え、「卯の花」には行かねばならない。料理もうまいが、「赤兎馬」という美味い焼酎をキープしている。「卯の花」は都立家政駅から都立家政通りを南の方に3,4分歩くと右側にある。「心を込めて営業中」の入り口の表札がうれしい。 オーナーの鈴〇さんご夫婦は笑顔を絶やさず、お話もよく聞いてくださる。奥様はブログもしているとのことで、覗いてみた。http://ameblo.jp/unohana-suzuki/entry-11433686370.htmlここで、お店の情報が入る。 ついつい飲み過ぎた?のか、帰ってすぐに布団にもぐりこんでいた。風呂にも入らず、洗濯もせず。 翌朝、早起きして洗濯して朝ぶろにつかる自分がいた。

2013年1月18日金曜日

焼き鳥と朝ジョグ復活

17日朝ジョグ復活とした。家の車の出口は雪の吹き溜まりになり、雪が硬く凍り付いている。しばらくは車は出せそうもない。 さて、大きな道路の歩道は程よく走れるようになったが、脇道を見ると道が凍り付いているところも多い。と言うわけで桃園川緑道は封印した。
ユトレヒト大からの留学生にPalliative Careの講義を45分、その後阿蘇スーパーカルデラの写真を見せたら喜んでくれた。
昼過ぎに同郷のT木さんがMR活動も兼ねて?挨拶に来てくれた。彼と並んで写真に写るときはいつも背伸びをする。
夜は新病院プロジェクト小委員会の後、ICUスタッフ、初期研修医、留学生と「こみね」(T医大病院から近く、職員がよく利用する焼き鳥屋さん)に行き、歓迎会をした。
二枚目の写真が皆が集まったところなのだが、W先生は自分の顔をジョッキで隠していた。 済んでから一駅弱分走って酔いを醒ました??
18日、朝ランでは桃園川緑道を久しぶりに走った。神田川遊歩道では一面道が凍っている個所があり、そこは歩いた。
中野坂下は土地が低いので、雪の吹き溜まりのようになってまだ融(=解)けていない。 今日はカミュラさんの教育係で、麻酔導入中の各部屋に連れて回り指導をした。ユトレヒト大からの留学生は二人とも5年生で、手術室にやってくるT医科大の学生も5年生。中には英語の堪能な学生もおり、話しかけてくれる。14時半からI崎先生とK子先生に彼女の指導をお願いして退官教授の最終講演を拝聴した。 夜は息子と食事の約束をしていたが、「仕事が終わらないので、今日は無理のようだ」とメールがきた。がっかり・・・

2013年1月16日水曜日

デジカメ

実は昨日新しいデジカメを買った。良く働いてくれたサイバーショットの上のグレードだ。バッテリーもチップも前のものが使える。
ユトレヒトの学生さんの講義を担当したI瀬先生が被写体一号になった。
今日のクルズスの学生さんたちは、時にはっとするような答えを返す。多分優秀なのだと思う。ユトレヒトの学生さんとどちらが良く勉強しているのか、一度みてみたいと思う。

2013年1月15日火曜日

東京は雪景色

7,8cmの積雪と思ったが、もっとあるような気がする。自動車の轍や人が歩いて固まったところはアイスバーンのように硬くすべる。自宅近くの道は雪が残る部分を歩く。このような道路の状態だから、走ってはいけない。幸い西武新宿線は時間通りに動いていた。 朝のカンファレンス、麻酔導入を済ませて地下鉄で東京駅へ。上越新幹線は2分遅れで動いている。日本はさすがだと思った。
関東平野ははれているが、富士山は霞んでいる。 越後湯沢や浦佐は吹雪いていて、景色がよく見えなかった。長岡に来て雪がやみ明るくなった。
燕三条は雪はやんでおり、お日様がぽかぽかして雪も解けていた。三〇町病院から見る五十嵐川沿いに走る道路の雪は解けている。しかし、天気予報では夜から雪。風が次第に冷たくなってきた。
東京に戻った。むしろ新宿の歩道の方が凍りついている。病院に帰ると、U野先生がユトレヒト大学からの留学生二人を夕食に連れて行くところとばったり遭遇した。
と言うわけで、今夜も「さつき」で夕食。とてもフレンドリーな学生さん、ロバートとキャミルだった。明後日は二人に英語で緩和医療・緩和ケアの講義をしなければならないが・・・。

2013年1月14日月曜日

次期役員研修会2

二日目朝から雨でかなり激しい。ジョッギングは諦め、シャワーを浴びて寒中見舞いやブログ作成を始めた。朝食を済ませ、8時過ぎには会場へ移動した。早天礼拝では、江〇チャプレンが「御心がなりますように」とのタイトルで奨励をして下さった。目に見えない約束を信じて生きることの大切さを話された。沖縄戦でチビチリガマ(チビチリ鍾乳洞)で生き残った母子と父の約束の逸話など、心に響いた。YMCA理解や事務手続きに関する説明、各部長の部長方針発表があり、閉講式を迎えた。
2日間にわたる次期役員研修会は、内容が濃く充実している。これまでの積み重ねと、苦労をいとわないリーダーシップ開発(LD)委員会メンバーや各講師の奉仕へのエネルギーがこれを支える。写真はLD委員会メンバー。
研修会を終え、九州部関係者が集合し記念写真を撮った。
東京に雪が積もっていることを息子からの携帯で確認し、新大阪駅のユニクロでヒートテックの下着上下を購入した。関東甲信越は大荒れの様だが、明日の通勤は走る(歩く)としても、新潟には行けるのだろうか?品川駅には、航空機欠航のために新幹線に流れてきた人で一杯だった。山手線や西武新宿線は動いていた。品川駅で弁当を買ったが、既に売り切れ状態だった。写真は弁当。
都立家政駅から自宅までの道も、雪がアイスバーンとなり危険な状態だった。写真は自宅前。 家に帰り、風呂、夕食をとった。

次期役員研修会

良く飲んだ次の日は朝早く目覚める。13日は4時50分には布団から出て、風呂・風呂掃除、洗濯・洗濯物干し、海苔茶漬けとシジミの味噌汁の朝食をテキパキとこなした。ブログをアップし、昨年写したデジカメの写真を別枠ハードディスクに移した。今使用しているデジカメは少しずつ機能低下を起こしているので、そろそろ新しい機種へのかえ時か。 13,14日と大阪でワイズメンズクラブ国際協会西日本区の次期役員研修会が開催される。自分はクリスチャニティー特別委員会委員長をしているので、開講式の「開講の祈り」、14日の「早天礼拝の司会」、閉講式での「閉講の祈り」を担当する。午前8時30分自宅出発、37分の西武新宿線から高田馬場で山手線乗り換え、9時37分発の新幹線のぞみで新大阪に向かった。「10時15分に右手に富士山が見えます。」と車内放送があった。確かにくっきりと富士山が見えたが、通路側に座っていたので写真を撮ることができなかった。 新大阪に着き、帰りの指定席を取った。緑の窓口から出ると、蒲生野クラブの井〇上さんと会った。二人でお蕎麦の昼食をとり、12時45分には会場受付ができた。7月の役員会以来お会いしていない方が多く、皆さんから沢山声をかけていただいた。 次期役員会研修会の講師や次期キャビネットはかなり準備を進めている。実際役員の任期が始まると、次々に行事をこなしながら、多くの問題に対応しなければならない。準備を十分にして想定外を減らす努力は、麻酔科の仕事に似ていると思う。写真は成〇理事の西日本区現状報告
T瀬次期理事の次期理事活動方針は分かりやすく、江〇チャプレンのキリスト教理解は資料を噛み砕いで丁寧に説明しまた江〇さんご自身のことも紹介されたので心の中に素直に入ってきた。写真は参加者の集合写真
懇親会では、食前感謝を担当したが、短く「感謝していただきます。アーメン」でとした。皆さん良く食べる良くお飲みになる。2013-2014年に開催される役員会の礼拝担当も首尾よく決定できたので、自分も機嫌よく飲んでいた。が、ここから落とし穴が・・・ 写真はどう頑張って入れても思うようにならない・・・ 懇親会終了後、ホテル内で場所を移してフェローシップアワーがある。そこには参加する皆さんが持ち寄った各地のお酒や焼酎がある! 自分はホテルの部屋に帰って、服を着替えズボンをプレッサーにセットした。ベッドに座って・・・ 目が覚めたときは午前2時50分だった。「良く飲んだ次の日は朝早く目覚める」このまま起きているわけにはいかず、午前5時過ぎまでベッドの中で寝たり起きたりしていた。あいにく外は雨。折角ジョッギングの準備をしてきたが我慢しておこう。

2013年1月13日日曜日

在京ワイズ合同新年会と長男さつきデビュー

在京ワイズ合同新年会が12日(土)青学会館アイビーホールで開催された。丁度恵比寿の長男にスーツケースと馬刺しを届けることにしていたことと、恵比寿から青山学院大学のある渋谷までは近いので歩いて行けるかな?と思っていた。青学会館への道はももちゃんのお散歩コースで、しかも長男は神宮外苑でジョッギングをするという。折角だから青学会館まで歩いて行こう!ということになった。
歩いて20分位だろうか?青学会館に到着し、一部「礼拝」に滑り込んだ。奨励は横浜つづきクラブの相賀ワイズ(牧師)で、巳年にちなんで、創世記のアダムとエバ、リンゴと蛇の話しから、ロダンの彫刻「神の手」が持つ土が人間が人間になる前の姿を意味し、「人間をとらえし離さない神の御手ほど、私を捉えて離さない愛の手である」と話してくださった。
二部の演奏会は、なんぶなおとさんの「盛春コンサート」で、彼のオリジナル(盛春歌、九頭竜の流れ、親父のグチ日記)、懐かしい歌(慕情、Only you, You are my destiny)、エレキギター演奏(ダイヤモンドヘッド、霧のカレリア)を堪能させていただいた。彼はラジオ日本金曜午後10:30-11:00の突撃日本の歌道中のメインパーソナリティーをされているという。彼のブログhttp://nanbunaoto.exblog.jp/を観ながら、人生の面白さを実感した。最後は「ええじゃないか」で締めくくり、さながら紅白のオオトリのごとく盛り上がった。
第三部祝会では、東日本区の多くの皆様とお話しすることができた。名刺交換だけで9名としたので、参加された150名のなかの20名以上とお話しできたと思う。流石に西日本区からの参加は自分ひとりであった。多くのクラブの会長さんやメンバーから、例会へのお誘いを受け、非常にありがたかった。しかし、(ここは仕事の話し)予定手術が18時までに終わってくれないと遅刻してしまう。
最後に、お誘いいただいた、目黒クラブの福島さんたちや東京YMCAの廣田総主事と記念写真を撮った。
恵比寿の長男のところに歩いて移動した。長男も嫁とももちゃんが熊本に行っているので、独身貧乏をしている。久々に恵比寿横丁に行って、串盛り合わせにビール、焼酎の夕食となった。 そろそろ帰ろうかな・・・と思ったところで、「さつき」に行ってみるか?と聞いたら「行く!」と言う。途中買い物したり病院の部屋に寄って熊本からの焼酎を持っていくことにした。
長男は、広い畳の間のある高級小料理屋をイメージしていたようだが、入り口にある「会員制」と中の様子のギャップに驚いていたようだ。偶然にもU野先生の夕食に遭遇したので、親父の食生活も良く分かったことだろう。U野先生とも良くお話をしていたので良かった。西武新宿駅の改札口まで送ってくれた。いい息子だと思った。