2015年6月30日火曜日

月末の日

30日、三〇町病院の手術も無事済んで患者さんを病棟に戻した。帰りは予定より30分早い時間の新幹線に替え座席をとった。東京に向かって左側の窓側の座席なのでいつもと違う景色を楽しむことができた。東海道新幹線では火災が起こって亡くなった人が出たというニュースが入った。上越新幹線は安全に走っていた。東京駅で広島駅あなご弁当を買った。病院に帰って弁当を食べ、アドバンストケアプランニングの勉強を始めた。

2015年6月29日月曜日

T医科大学サッカー部新入生歓迎コンパ

T医科大学サッカー部新入生歓迎コンパに参加した。今年の新入部員は7名で新マネージャー6名と共に新しくサッカー部に入る。3年前からT医科大に赴任していたが、今回Y本部長(整形外科主任教授)とK取監督の許しを得て参加させてもらった。T医科大学サッカー部は93年の歴史をもち、30名ほどの部員(マネージャーを除く)を擁する。OB会は約300名が名簿に連なるという。

関東医歯薬獣大学サッカーリーグの一部で昨年度準優勝、東日本医学部体育大会でも輝かしい戦歴の歴史がある。10月の日韓医師サッカー交流の紹介をさせていただいた。学生の相談教員担当にサッカー部の学生がこれまで2人いたし、今度も一人いるようだ。サッカーの交流は広がる。写真はK取監督挨拶。

新入生が一人ひとり「僭越ながら自己紹介をさせていただきます。名前は○○、出身は○□県、出身高校は○▽高校です。希望ポジションはGKです。以後よろしくお願いいたします。」とOBを向いて挨拶した。最後はエールと校歌で締める。茶髪や金髪、ピアスの学生はいなかった。やはりT医科大学はバンカラなのだろうか?写真は新一年生九州のK大附設高出身〇摩君の挨拶。

2015年6月28日日曜日

七夕

28日、朝からなでしこジャパンの応援をする。まるでバルセロナの試合を観ているようなきれいな試合で、1:0でオーストラリアに危なげなく勝った。次はイギリスとの対戦だ。
久しぶりに善福寺公園コース8kmを走った。途中百日紅が咲いていた。もう夏なんだ!!




公園には例年のように七夕飾りが準備してあり、願い事を書くコーナーがあった。「患者さんの辛さが取れ穏やかに過ごせますように」と「四人の孫たちがすくすく育ちますように」と書いて、笹の枝に取り付けた。

2015年6月27日土曜日

休日返上?

27日、25日の木曜の夜にカレーを作ったのでカレーが続いている。ない土なので午前中に杉並区役所に行って友人のビザ申請の保証人となるための住民票や納税証明書を入手した。

歩いてJR阿佐ヶ谷駅に行きそこからバスでネッツトヨタ中野店に車を取に行った。写真は阿佐ヶ谷駅北口のバス停。



最新のカーナビをつけてもらったので、遠出をして車にも喜んでもらわないといけない。しかしそのまま病院に行き、患者さんの回診と部屋の片づけで遅くまで仕事をしていた。何と真面目な・・・。

2015年6月25日木曜日

じょうじちゃん誕生

25日、4人目の孫が生まれた。12時33分娘が無事に二人目の男児出産。2824g名前は丈二。パパ方のおじいちゃんの一字をもらってインターナショナルな名前にしたのかな?出産にパパが間に合わず、家人が立ちあったようだ。それにしても母子ともに元気ならそれでいい。小っちゃくて可愛い!!

2015年6月24日水曜日

キラー・カーンの店

24日、O原先生と久しぶりにキラーカーンの店に行った。8月末には店を閉じ、歌舞伎町でカラオケの店を始めると言う。後輩がキープしていた芋焼酎「大森林」が残っていたので、勿体ないので二人で空けたようだ。この夜後輩たちは初期研修医を誘って勧誘会をしたようだ。

学生クルズス

24日、学生クルズス。クルズスのメンバーに鹿児島や熊本出身者がいると嬉しくなる。嬉しくなって沢山質問してしまう。それにもめげず、頑張って応えてくれる。記念写真の時、皆マスクを外し笑ってくれた。手術室や外来、ICUでも熱心に実習していると言う情報を得た。希望者がいれば半日でも緩和ケア外来や病棟回診を一緒にしようと思う。

2015年6月21日日曜日

父の日

21日、父の日と息子の誕生日を祝って、ももちゃんのリクエストに応えガーデンプレイス(GP38階の焼肉屋を予約して昼食会をした。娘から父の日のプレゼントで貰ったポロシャツを着て行った。あいにく車のバッテリーが上がって修理に出しているのでGP集合にした。

自分は長男夫婦からお祝いカードと調理用塩コショウやタレをもらった。






長男はお店から誕生祝のアイスクリームをいただいた。

車じゃないので飲もうかな?と思ったが、科学研究費の書類提出を控えているのでノンアルコールビールにし、病院に寄って帰りはまた遅かった。

写真は帰る途中、スカイウォークで。
 

2015年6月20日土曜日

第20回日本緩和医療学会2日目

20日、大会2日目自分の発表は無事に済ませ、共同研究者のS藤先生や、





緩和医療部のS森ナースと記念写真を撮った。最後に大学病院フォーラムで「大学病院の緩和ケアチームによるEnd of Life Careの現状」に参加した。




東京駅八重洲地下で散髪をして病院に行った。昨日発熱した患者さんは熱が下り元気にしておられた。八重洲地下街には仙台の七夕飾りが飾られていた。

2015年6月19日金曜日

第20回日本緩和医療学会第1日目

19日、家人が日曜から来てくれたので、部屋がきれいになった。料理や洗濯をしてもらっているので助かっている。しかし仕事が一度に押し寄せてきたので、毎日帰りが遅い。ポスター発表の準備は18日に終わったが・・・。

今日から2日間横浜で日本緩和医療学会が開催されるので、朝早く荻窪駅から新宿三丁目経由でみなとみらい駅に行き、会場のパシフィコ横浜に着いた。昨日、処置をした痛みの患者さんが今朝から熱発しているようだ。ペインクリニック外来のN山先生に検査と処置をお願いした。
発表用のポスターを貼り、興味ある講演、シンポジウムを聴いた。写真は高宮第20回緩和医療学会会長と。
熊本の後輩の発表を聴いたが、頑張っている。将来共同研究ができたらいいなと思った。




懇親会では、大会テーマソングを歌う藤原友香さんの歌、昭和大学アカペラ部とのコラボが会をもりあげてくれた。
 



また次次期大会会長の有賀先生や懇親会であったY先生、杉並の病院のKさんたちとも写真を撮ることができた。

2015年6月16日火曜日

K澤先生送別会


16日、K澤先生がご主人の転勤に伴い関西の方に転勤することになった。T医科大学にも月に数回指導にきてくださるY谷先生のおられる病院だから心強いだろう。同期にはK沼先生やH林先生がいて働き盛りだ。戦力ダウンは否めないが、若い力が伸びてくるだろう。写真は同級生でおどけながらの花束贈呈。
ハイアットリージェンシーの高い階なので夜景がきれいな部屋だった。火曜日だったが、関連病院からも駆けつけてくれた。写真は集合写真。

2015年6月14日日曜日

区大会2日目

14日、大会2日目は礼拝から始まる。一木先生のメッセージは、困難な状況にある隣人のもとに出向いて寄り添うことの大切さ。献金感謝を担当したが、危うくフライング(献金を集めている途中で祈りを始める)しそうになった。


九州部は理事特別賞を受賞。K浦部長のリーダーシップと、部の団結が実を結んだ。






一年間にわたり西日本区をまとめ前進させてくれた松本理事キャビネットから、遠藤理事キャビネットにリーダーが交代する。ワイズメンズクラブの不文律は、「個人が役職を求めるのではなく、役職が人を求める」

重責から解放?される松本理事が大変爽やかに見えた。

ホテルからシャトルバスで大阪駅へ。JRで新大阪に移動して新幹線で東京に帰った。疲れ果てて、病院やももちゃんのところに寄る気力と体力は失われていた。

2015年6月13日土曜日

ワイズメンズクラブ西日本区大会

13日、ワイズメンズクラブ西日本区大会第一日目。朝は早くから目覚め5時半からホテルの周囲を走った。途中曲がり角を間違え8㎞の予定が6㎞+αになった。
役員会、代議員会での役目を果たし、弁当を持ってホテルの部屋に戻った。丁度なでしこ対カメルーン戦の前半がもうすぐ終わるところだった。2点の得点シーンを録画で後半のカメルーンの猛反撃を生放送で観ることができた。写真は理事キャビネット入場。

大会の最初は各クラブ会長のバナーセレモニー。吉岡会長も堂々と入場した。九州を始め全国各地からの参加者とは旧交を温め新しい友人を増やすことができた。



懇親会の前にはクリスチャニティー委員会のメンバーと記念写真を写すことができたが、事情で3名が欠けた。





出し物であった落語家の桂吉弥さんの小話は、患者さんとの会話の中でも生かせそうだ。残念なことに写真撮影は禁止だったが。もう一つのカントリーウエスタンはしっかり写した。



テーブルは所属クラブと宮崎からの参加者と同じテーブルだったので、沢山話ができて良かった。ワイズの大会は、同窓会のような雰囲気になる。

2015年6月12日金曜日

甥夫婦との会食

12日、待ち合わせの大阪大丸梅田店に向かった。家人姉妹が待っていた。丸ビルにある四川中華料理店が会食会場だ。甥夫婦が既に待っていてくれた。お嫁さんは、笑顔の素敵な方でユーモアがある。歌が好き(上手)で自分とも話が合う。

美味しい中華と冷えた生ビール、途中から芋焼酎の水割りで話も弾んだ。

義妹に大阪駅桜橋口にあるホテル行きのシャトルバス乗り場まで送ってもらった。

日本医療マネジメント学会

12日、やはり早起きできず(早朝ランはスルーし)御堂筋線と京阪電車を乗り継いで中之島の大阪国際会議場に行った。受付登録を済ませA会場に入り宮崎理事長の基調講演を拝聴した。
写真は宮崎理事長。

山根会長講演では「医療における不易流行~あるべき“こころ”を求めて~」と題して松下記念病院における取組が紹介された。故松下幸之助氏のモットーでもある、「物の前に人をつくる」、「お客様の心が大事、お客様が第一ではない」。「先義後利」などは、医療にも当てはまる。看護師の負担減のために「看護助手の夜勤や歯科衛生士の病棟配置」などは面白いアイデアだと思った。

評議会までの時間展示場を見学し、日本麻酔科学会地方会の抄録を書きK田先生に送れるように準備した。

評議員会の後に、京セラ稲盛会長の招待講演があった。広い会場がほぼ満席に埋まった。学会長が3年かけて講演をお願いし受けていただいたようだ。タイトルは「なぜ医療に哲学が必要か」。「医療の使命を果たすためには永遠性を求め、健全経営、適切な利益、十分な医療サービスを行うことは大切なことです。」と述べられ、経営で最も大切なこととして、経営哲学(やっていい良いことと悪いことといった普遍的な価値観の重要性、私利私欲でうまれる陰の説明があった。このような哲学を全員で共有し、「地味な努力を積み重ねる」、「常に創造的な仕事をする」こと。「組織を小集団に分け独立採算で運営してもらう(アメーバ―経営)ことで経営者意識をもったリーダーを育てることの大切さ」を穏やかに話された。経営哲学の必要性と管理会計(アメーバ―経営)は日航再建にも活かされたという。社風と社員改革など、すぐにでも病院経営に活かしたい話しだった。

尊厳死の話しや厚生労働省現役官僚の話しなど、医療マネジメントに必要なプログラムが続いた。

総会に出席した後、最近結婚した甥っ子とお嫁さんと会食をすることになっているので、大阪駅に向かった。

2015年6月11日木曜日

大阪へ

11日、日本緩和医療学会の発表準備と日本麻酔科学会地方会の抄録作成が重なり連日忙しくしている。今日も麻酔指導と病棟回診、患者さん家族への説明などなどをこなしながら、カルテをもう一度調べなおした。12日からの日本医療マネジメント学会のために大阪に行くが、毎日真面目に準備を続けねばならない。

さて、今日のチョンボ二つ。夏用スーツを着てきたと思ったが、上着を間違えていた。同じ濃紺で朝急いで着たのが原因。病院を出て一旦荻窪に引き返し着替えた。新幹線の中で読む資料やノートパソコンをキャリーバッグから別の手提げバッグに移し替え、急いで荻窪駅に向かった。プラットホーム手提げバッグを持って来ていないことに気付いて慌てて引き返した。ゆっくり東京駅で駅弁を買おうと前もって1時間の余裕を見ていたので、東京駅には出発20分以上前に着いた。ノースコートで二番目に人気のお楽しみ小箱という名の弁当と和風サラダを買った。新幹線の中で豪華な夕食になった。サッカー日本代表はイラクに4対0で勝ったようだ。あとでスポーツニュースを観よう!

2015年6月10日水曜日

学生クルズス

10日、学生クルズスの時間を11時過ぎから1時間もらった。学生さんの講義への反応を見て、このグループはここまで、このグループはもう一歩踏み込んで・・・と考えているが。
今週のグループは、月曜日のスタートが想定外の出来事がありゴタゴタしたため、うまく乗ってきていないという情報があった。そこで講義の前にブログ用の写真を撮った。これ以上楽しいことはないという表情を作ってもらった。硬さが取れ、講義にみんながくらいついてきた。緩和ケアに非常に興味をもっている学生もいた。興味を引き出すことは学問の世界では大事だ。今日のやり取りから、自分も次の講義の改善点を学んでいる。卒業試験や国家試験の勉強の仕方を教えたが、納得したかな?

2015年6月6日土曜日

高校同窓会

今年は6日が鶴丸高等学校の同窓会(東京鶴丸会)の日になった。医学会総会を優先したので、22回卒の二次会から出席した。この3年間で何回か会っている同級生が多いのだが、最初は分らない仲間もいた。すぐに思い出したが。

お店の方で横断幕のサービスをしてくれていた。それに応えて、芋のお湯割りを一生懸命に飲んでいた。全体幹事のM田さんが写真を撮ってくれていたので、良い方を貼り付けることにしようと思った。

医学会総会

6日、阿蘇スーパーカルデラマラソンの日だが自分は東京にいる。MRI検査で腰椎椎間板ヘルニアによる脊柱管狭窄症が見つかった。これで足のしびれや痛み、走っている時の足のだるさが生じていたのだろう。無理せずに治るのを待たねばならない。

ある土の今日は、T医科大学医学会総会があり、赴任以来初めて参加した。自分が担当教員で指導することになっているY田さんがフランスのモンペリエ大学に留学した体験を発表していた。英語の発表なので、自分も英語で質問した。神経ブロックが盛んな麻酔科での実習だったが見学が主だったとのこと、麻酔科に入局すると沢山神経ブロックをする機会がありますよと締めくくった。すごいことを若者たちはしている。

麻酔科のN山先生の研究の発表をした。堂々とした発表ぶりで質問にも物おじせずに答えていた。ものすごい成長だなと思った。

2015年6月3日水曜日

学生クルズス

3日、学生クルズスの時間を1時間ももらったので、いつもの1.5倍は時間をかけて学生さんと向き合った。正解率はいまいちだが、考える姿勢は素晴らしい。


常の生活や家族の問題として、緩和や介護を考えるともっと理解しやすくなるのだろう。自分もその姿勢を持とうと思った。

2015年6月2日火曜日

体調戻る

2日、昨日は体調が最悪で眠前に飲んだ総合感冒薬の影響が残って午前中はボーっとしていた。火曜日になり体調が少し戻ってきた。上越新幹線で燕三条に行くが、つい数か月前まで雪で覆われていた浦佐では田植えの準備が始まっている。

 

手術も予定通り早く終わり、K村師長とW森さんと新幹線の時間まで二半亭で夕食を一緒にした。地方中核病院のスタッフの確保や育成のことなど課題を抱えている中頑張っておられる。

2015年6月1日月曜日

体調崩す2

1日、昨日から咳が出て喉が痛くなった。咳がでるので負けてはならじとばかり8㎞走り、夕食にも力を入れた。市販の同号感冒薬を飲んで寝たのは良かったが、汗びっしょりで明け方目覚めもう一寝入りした。電話で目覚めたら・・・。体がだるかったが、痛みと咳は取れてきた。

U野先生たちはヨーロッパ麻酔科学会に行かれている。今日から始まるポリクリ学生さんの講義をスカイプでしておられる。そのタフさと責任感にはいつも感服している。

昨日の残りがブランチになった。夕から医療安全の義務講習を受け、久々にNerve Blockの書きかけの続きを始めた。体調が戻ったのか?結局最終電車で帰った。