2009年5月31日日曜日

日本ホスピス緩和ケア協議会九州支部会


 5月30日は日本ホスピス緩和ケア協議会九州支部会に参加するため福岡日帰り出張。下稲葉先生の基調講演「改めてホスピス緩和ケアを問う」と教育講演「スピリチュアルケア」に感銘を受ける。

先に帰った一人を除いて3名のスタッフを連れてキャナルシティーで父の日の(自分への)プレゼントを買った。噴水のショーやパフォーマンスが行われており、にぎやかだった。高級ロビーでコーヒーをいただいた。ここではピアノの生演奏を楽しみながら、外のショーが見れる。
昔、娘がアルバイトをしていた韓国家庭料理の店清道(チョンド)で食事。大将ご夫妻に挨拶した。熊本には21時半には着いたがそのまま緩和ケア病棟へ行った。患者さんと焼酎を飲みながら人生を語った。

 31日書類の入ったバッグが開かなくなった。3ヶ所での数字の組み合わせなので、1000通り試みたが開かない(元来111にしていたが全く動かない)。鍵の110番に持って行き、結局鍵を壊して開いた。これで教会に行く時間がなくなった。



12時半に家人と約束していたので、鶴屋の北海道物産展に行き買い物と食事、熊本城祭りで通り町の電車通りは歩行者天国だった。今日は朝、夕入院患者さんを回診し、花岡山8kmコースを走った。てれっとウルトラマラソンクラブのM原さんと出会う。仕上げは順調とか、後6日で阿蘇スーパーカルデラの日だ。
 31日が締め切りの同門会誌の原稿と業績集を書き上げ、編集長にメールの添付文書で送った。お忙しいのにありがとうございます・・との返信あり。編集長こそ大変なのに。

2009年5月28日木曜日

会議の合間に走る


今週のクリニカルクラークシップの学生のH君は、最初の2日間は手術室で鍛え、水、木と外来病棟で鍛えさせてもらった。なかなか走る時間が取れなかったが、18時に診療部会が修了し、19時からの担当者会議が始る間の時間を惜しんで、白川沿い+女子アナ+その他コース約7kmを走った。H君はバドミントンをしていたそうで、足も軽かった。大人しく礼儀正しい。来週から救急救命科の学生も来る。会議が終わり、週間サマリーを書いていたら23時が過ぎていた。

今日は俳句の日。Kさんが「ユキノシタ」を持ってきてくださった。「薫風が 愛娘(むすめ)の幸せ 運びおり」

大切な人

5月27日とうとうこの日が来てしまった。娘が「あって欲しい人がいる」と言う。お鮨屋さんで一席設け、家人と娘たちと会うことした。壊れて修理に出していたデジカメが帰ってきたので、丁度良かった。仕事をギリギリまでしていたので、10分くらい約束の時間に遅れた。いつもなら走って行くのに雨のせいか足が言うことを聞かなかった。

「背が高く 手足が長い 俺よりも」こんな川柳しか浮かばなかった。しかし、誠実な受け答えは好感を持てた。いつの間にか自分は饒舌になっていた。
「口惜しいが 初孫の顔 想像し」
帰りは飲まなかった家人が自分の車を運転する予定だったが、急遽タクシーで帰ることにした。彼を送りそして家に着いた。これまで随分行儀良くしていたので、娘はニコニコしていた。いつの間にか一人で二次会を始めていた・・・

2009年5月25日月曜日

広島往復新幹線

5月24日新幹線を利用して広島西ワイズメンズクラブの国際協会加盟認証状伝達式に参加した。リレーつばめでは目だ立たなかったが、博多駅からはマスクをした乗客が多くなった。新幹線のスタッフは全員マスクをしていた。さて、博多駅にもう直ぐ到着と言う時になり、Sさんが大騒ぎ・・新幹線の乗車券だけが見つからないと言う。皆で探すが見つからない・・・とうとう、その瞬間、「あった!」切符の裏は黒色で保護色となり床に落ちていたのが分からなかったのであった。Sさんたちはビールを飲んでいたので、見つからなかったのはそのせいだったのかも知れない。家人と私は、広島までの間、川柳作りに余念が無かった。「祝辞前 ビール飲むなら 二本まで」 「大騒動 切符なくして 酔いも醒め」
写真は見つかった切符を大事そうに持っているSさん。良かったね
広島西クラブの国際協会加盟認証状伝達式も無事に終わった。チャーターメンバーを27名もそろえたので凄い。新会長Yさんの表情は誇らしげでかっこ良かった。新メンバーにはYさんのお母様もおられた。Yさんとこは、お嬢さんのご主人も入会されたので3代にわたるメンバーとなられた。懇親会がホテルの中華料理レストランで開かれた。紹興酒もだされて、ビールと共にしっかりいただいた。新型インフルエンザはアルコールに弱いそうだ。「これでよし インフル対策 アルコール」

一日、好きなことをして過ごしたので、明日からの1週間が怖い。

2009年5月23日土曜日

会議は続く

5月19日YMCA理事会、熊本医療福祉学院救急救命科実習指導者会議
5月21日YMCA常議員会
5月22日熊本市医師会勤務医部会総会
5月23日線維筋痛症友の会医療講演会・交流会、熊本保険医協会総会

2009年5月20日水曜日

消防学校講義と救急救命士(学生)指導

 5月19日は当直明け(2時間睡眠)で県の消防学校に行き、気管挿管の講義を行った。今回で4回目で、講義用スライド(パワーポイント)は年々進化している。総合医療福祉学院出身の救急救命士さんやこれまでにうちで実習された、上球磨、天草、山鹿植木消防本部の救急救命士さんがおられると、嬉しくなる。ところで、デジカメを落として壊してしまったので(保険期間内で無料だが2.3週間かかるという)携帯カメラで熱心に講義を聴いている風景をヤラセで写した。昼食をご馳走になったら、新人消防士さんの研修期間と重なっているので、大勢の若い消防士さんと出会う。5名くらい教え子がいた。皆元気そうだった。


 17時過ぎから救急救命士の栃〇さんと今週クリニカルクラークシップで実習にきている尾〇君と7Km走った。良く体が持つものだ・・・
 夜はYMCAの理事会のあと、医療総合福祉学院の指導者会議に行った。会議は終わり、懇親会も終了直前ではあったが。麻酔専門医会の会長を引き受けてくれたM先生とプラス1に行って、黒糖酒を飲みながら引継ぎと愚痴を語り合った。6月からは学生がくるので楽しみだ。パワーアップしなくっちゃ。
 20日、外来・病棟で鍛えられた・・19時から市医師会国際交流委員会に出席10月15-19日に来熊されるサン・アントニオのベア郡医師会の歓迎計画などを話し合った。病院に戻り、論文の校正を済ませた。FAXで送り、その他の書類を書いていたら22時を過ぎてしまった。明日は日本麻酔科学会で神戸に行く予定だったが、新型インフルエンザの影響で8月に延期になった。折角の命の洗濯の日がまた現実に戻った。

2009年5月17日日曜日

日曜日


昨夜KLCCの地雷廃絶キャンペーン記念コンサートの話し合いがあり、7月4日土曜日に国際交流会館で吉田MIKAさんのパーカッションコンサートの開催が決まりポスター・パンフレット・チケットを貰った。世界的なパーカッション奏者MIKAさんのコンサートは最低4000円だが、今回か大人2000円学生1000円の破格の値段。是非聴きに来て欲しい。

午前中は至福の時。北バイパス沿いに約12km走った。プラタナスの木が風に揺れていた。そして教会礼拝へ。またすこし元気をもらった。これでこの1週間はもつだろう。患者さんとご家族の面談、今日緩和ケア病棟に入院される患者さん2名の入院しサマリー、今週早々に退院予定の患者さん3名の退院時サマリーと入院中の患者さんを回診してカルテを書いていたら18時を過ぎていた。

日曜日を使ってやっと追いついた。談話室のデルフォニウムの青が鮮やかだった。



外来に行ったら、発熱の患者さんへのお願いが掲示してあった。受付には自由にマスクを利用できるようになっていた。

2009年5月16日土曜日

緊急手術



 土曜日に外泊は嬉しい。患者さんはニコニコして自宅に戻られた。パソコンでこのブログを見るといわれていた。談話室にはカサブランカが飾ってあった。思わす「哀愁のカサブランカ」を口ずさんだ。
 うちの病院は24時間365日体制なので急患も多い。しかし周辺の基幹病院が急患をどんどん受け入れるようになり、緊急手術数は少なくなってきた。それでも年間300例近くが緊急手術になる。

 今日は麻酔科当番。外来が終わり14時ごろ病棟の患者さんを見て回り、15時10分入室の急性虫垂炎の麻酔を担当した。脊麻後頭痛予防のためにペンシルポイント針を使用して脊椎麻酔を行い、第5胸髄レベル以下の無痛域を確保した。(乳房の高さ以下の痛みが感じないこと)点滴回路から静脈麻酔薬を少しずつ注入し眠りについていただいた。若い健康な方なのでしっかり麻酔レベルが確保できると、ほぼ心配はない。間接介助NrsのTさんは非常に観察力のあるエキスパートNrs。自分にとってこの麻酔のストレスはない。せっかくなので記念撮影をした。手術は無事に終了した。所要時間は30分。明日は病棟内を歩いておられることだろう。

2009年5月13日水曜日

地域医療連携室の懇親会


5月12日ワイズの連絡会議が早く終わったので、地域医療連携室の懇親会に行った。皆さん出来上がっていたので、美人の横に座ってピッチを上げて飲んだら直ぐに追いついた。稲〇室長は二次会に行くと張り切っておられたが、連日の激務なので、ひっそりと行きつけのカラオケに行って歌って帰った。でもしっかり出来上がっていた。
13日二日酔いになりそうだったが多量のお茶を飲み、朝風呂に入って出勤した。外来患者さんが多く、新患さんが3名おられたので、最後の方では3時間待ちとなりひたすらお詫びしてからの診察だった。今しがた明日の会議資料の準備ができた。今から緩和ケア病棟に行ってカルテ書きになる。ああしんど・・・

2009年5月12日火曜日

轟沈



 23時過ぎ、延長した予定手術患者の血圧がやっと落ち着いてきた。出血性ショックかと判断し、輸血を続けるのだが血圧は上がらない。そこで恒吉先生にご講演いただいた、バゾプレッシンの持続静注を開始したとたん血圧が安定してきたのだ。Y先生がICUへの搬送準備をする間、ICUに行って人工呼吸器のセッティングを済ませた。いつでも迎えられる・・・
 緩和ケア病棟で患者さんの状況を聞き、当直室で入室まで仮眠をとろうと行った。ベッドの上に白衣のまま転がった。目覚めた時、既に6時を過ぎていた。朝だった。ICUに行って患者さんを診た。血圧は130-140台で安定していた。安心して白川縁を4km走った。
 写真は仮眠していたベッド(シーツにしわ)と、朝の風景(ニュースカイホテルと花岡山)
 酔っぱらって寝てしまうのとは違いなんだか充実していた。ところでY先生は大丈夫かな?

2009年5月11日月曜日

自分はストレスに強い!と思っている

 5月10日の夕方北バイパス8kmコースを走っていたら病院から携帯呼び出しがあった。仕事を済ませて21時には自宅に戻った。3月が締め切りの依頼原稿に取り掛かった。佳境に入った頃、麻酔科の高〇先生から電話があった。彼はYahooドームのソフトバンクの試合を応援に行っていたのでてっきりお土産の話しかと思ったら、調子が悪いので調べたらインフルエンザなので明日から休むとの連絡だった。うちの麻酔科は若い方から病気になる・・・次は自分の番なので休日を楽しみにしておこう。
 今週の前半は少なくとも毎日麻酔科当番かフォローになる。良く体が持つと自分でも感心する。これも厳しい体調管理の賜物か・・・少なくとも走ることや朝の体重によっての朝食調節はそうだろうが、夕食が22時以降になったり飲みに出るととことん飲んでしまうのは体調管理とはいえないだろう・・・

5月第2土日

5月9日(土)は熊本麻酔専門医会と熊本大学麻酔学教室の同門会の日。木・金と急いで麻酔専門医会の前回議事録と今回の議案を作成した。今日の専門医総会で5年間務めた専門医会会長を辞す予定。専門医会役員の任期は1年間だが再任を妨げないという項があるので、再任が続く。今回は「但し会長は最長5年間とする」という項を追加提案し、役員会で承認されていたので無事総会でも承認され、会長選挙となった。新会長には副会長として支えてもらっていたM先生が選出された。ホッとした。
学位取得者の講演や宮崎大学の恒吉教授の記念講演を拝聴することができた。恒吉先生は鹿児島大学時代種子島の田上病院に出張したことがあるそうで、昔からの知り合いみたいな感じで懇親会の席では親しくお話しすることができた。
同門会の始る前には記念写真を撮るのだが、今回は写真館のカメラマンを逆撮影させてもらった。
懇親会では新入医局員の8名が出し物をして雰囲気を盛り上げてくれた。多くの新入医局員を獲得できたのはやはり教授の努力の賜物だろう。折角なのでY教授と新入医局員の記念写真を出し物を済ませたばかりの時に写真を撮った。
2次会3次会と回り、緩和ケア病棟に寄ってから帰った。携帯の発信記録を見たら0時4分に代行運転に電話をしていた。なかなか良いペースではなかったかな?

5月10日(日)は母の日。昨夜遅かったので久しぶりに朝寝をした。何と9時半起床。家人は自治会の廃品回収奉仕を済ませて帰っていた。10時半からの教会の礼拝に参加し、12時過ぎに上通りで家人と待ち合わせした。岡田洋食屋で昼食を摂り、鶴屋百貨店へ。義母へのプレゼントを購入して発送してもらった。

丁度四国・瀬戸内物産と観光展をしていたので、覗いた。覗いたらやっぱり買いたくなる。6000円分買ったので2回抽選ができることになった。一回目は残念賞、2回目は青い玉が出てきた。係りの人が当たりくじが出たというベルを鳴らした。四国・瀬戸内賞ということで別のくじを引くと出展されている店の名前が載っていた。そこで一番良い品をもらえると言う。
四万十産のチキンのグリルを頂くことができた。四万十川100kmウルトラマラソンが読んでいるのだろうか?
家人用ではないカーネーションを買って病院に行った。緩和ケア病棟と一般病棟に入院している11名の患者さんに一輪挿しにしたカーネーションをプレゼントした。病棟の看護師さんから、ママさんナースへのカーネーションかと誤解された。来年は考えとこうと思った。

2009年5月8日金曜日

5月例会

5月7日第1木曜日は月例会(と言っても6月は11日に変更)。今日は3名のビジターをお連れするので早めに会場に行こうと思っていたのだが、やはり到着は定刻数分前だった。ビジターさんは既に到着され、他のメンバーたちと自己紹介などをされていた。流石にアットホームなクラブだ。

さて今日は会員卓話。村〇さんが小国産の杉を使った家作りの話しを、中〇さんがYMCAの話しをしてくれた。家人と〇上さんが西日本区大会の準備状況を報告した。

ビジターのTさんはうちの病院で実習中の救急救命士さん、MさんとKさんは某製薬会社のMRさん。Mさんは小中学校の頃当時のYMCA南部センターで水泳や学習に通われていたそうだ。(写真は同テーブルの皆さんと記念写真と村〇さんの熱弁)

また5月7日は入院患者さんOさんのお誕生会が行われた。お姉さんがメンバーの3名グループの音楽会も開かれ、病棟にきれいな音楽が流れた。

Oさんは立派にお誕生ケーキのローソクの火を吹き消された。
 5月8日は外来を13時30分まで何とか済ませ、13時から始っている県主催の新研修医制度の会議に大学病院まで行った。帰ったら患者さんが一人待っていた。16時からは熊本市とその周辺の救急隊との救急システムについての会議、19時からは病院の運営委員会と、大事な会議が3つあった。その合間で終了後に入院患者さんを診てカルテを書いたり、ご家族に説明したり週間記録を書いたりしていたので23時15分にようやく全部が済んだ。手術室に電話をしたら、今日の予定手術(予定時間を大幅延長)をまだやっていた。スタッフを労い、高〇先生には明日の朝のカンファレンスは出ずに休むように言った。何という働き者なのだろう。

2009年5月6日水曜日

連休最終日

連休中に書き上げないとならない書類2つ書き上げ、未だあるのだが・・久しぶりに家人とK高と裏山周辺の散歩を楽しんだ。途中花を見ながら、名前について言い合うことができるようになった。以前は一方的な御伺いであった。
食料品を買い込み、オーパに散髪に行った。髭剃りに入ったらぐっすり寝込んでしまった。今日こそはブログに写真を入れなきゃ・・ソウ思いながら連休最終日が過ぎていく。しかし今から病院に行ってくる。

いのち

 患者さんや他の科からコンサルテーションを受けた患者さんを含めると15,6名おられるので全ての患者さんを回診してそれぞれ話していると2時間半は要する。昼過ぎに緊急手術の申し込みがあった。今を逃すとますます重症化する急性腹症の患者さんだ。手術室スタッフを呼び出し緊急手術の準備を始めた。かなりの貧血がある。いつもは患者さんには99.9%は大丈夫ですよ。と言うのだが、今日は99%大丈夫ですよと話し、通常の手術・麻酔の10倍危険性があることを伝えた。プロフェッショナルとして麻酔計画をたて準備薬品などの指示を出す。14時半手術室入室。硬膜外チュービングを速やかに行い、フルストマック(胃が空っぽではない)と想定してクラッシュインダクションで気管挿管を行う。麻酔維持は完全静脈麻酔に途中まで揮発性麻酔薬を低濃度加え、閉創から人工肛門造設時には硬膜外麻酔を併用した。・・・ここまでは医療従事者向け。手術は無事終了し、麻酔からもしっかり覚醒して抜管もできた。3日間持続硬膜外麻酔を続けるので明日には歩き始めるかもしれない。終わって帰室させたのが20時30分だった。
 昨日サッカー部の先輩が急逝された。通夜に出席するようにしていたが、もう終わっていることだろう。しかし斎場が病院の直ぐ近くなので挨拶に行った。奥様やご家族とゆっくりお話しすることができた。37年間のお付き合いで常に指導を受けお世話になってきた。余りにも悲しい。あと9年で先輩の年になる。奥様から、くれぐれも無理をしないようにとお願いされた。
 帰宅し、家人と話しながら当番なのにビールを飲んでいた。そして家族について考えていた。
「こいのぼり 家族の絆を 思い出し」
 5日朝7時前に呼び出し。緩和ケア病棟で担当させていただいていたTさんの呼吸が止まりそうと言う。急いで病院に行った。ご家族が皆さん集まられ、立派に看取りをされていた。Tさんは鹿児島市立西田小学校の22年先輩。小学校の校歌を歌ったら喜んで下さった。家族同様にひと月の間お付き合いさせていただいた。死亡診断書や退院時サマリーを書きながら思い出をたどった。
 サッカー部の先輩の葬儀に家人と出席した。先輩の人徳に感銘し心にポッカリと穴が開いた気がした。息子さんには、これから大変でしょうが、頑張ってこの試練を乗り越えてくださいと励ました。

 5月4,5日は連続麻酔科当番。朝8時半からの緩和ケア病棟カンファレンスから始る。麻酔科入院 昨日手術をした患者さんは、経過も良く既にベッドサイドに立ったりされていた。久しぶりに花岡山に走っていった。往復約8kmだ。途中工事中の新幹線熊本を花岡山中腹から写真に撮った。
 19時過ぎ小学校の先輩Tさんの通夜に行った。改めてご家族の皆さんとお話できた。ご親戚の中に、中高の同級生と高校の同級生がいた。また小学校の1年後輩もいた。話しが盛り上がり、ご家族や集まられたご親族からTさんが入院されていた時のお礼をご丁寧に何回も言っていただき、恐縮した。しかしこのことはスタッフに伝えたいと思う。このような感謝の言葉が医療スタッフを力づけ育ててくれる。

 家に帰り、夕食の続きをはじめた。病院から電話。Hさんの呼吸が止まったと言う。当直医に確認をお願いし病院に向かった。死亡診断書をはじめ書類を書いて帰宅した。6日になっていたが菖蒲湯が準備されていた。感謝。

2009年5月3日日曜日

今週末そして象の背中


土曜日の外来と病棟患者さんの診察は14時までに済ませ、ワイズメンズクラブ西日本区メネット支援事業の発達障がい支援事業YMCAリーダー研修会が1泊2日で開催される熊本YMCA阿蘇キャンプに向かった。最初の二人の講義を拝聴でき、またリーダーたちの真剣な表情を見ることができた。
 きびすを返し熊本ひがしワイズメンズクラブ創立5周年記念例会の会場テルサに向かった。昨年の最優秀クラブ賞を受けたクラブだけあり、通常の例会形式の中にも多くの振り返りとアピールを示してくれた。
またオレンジの記念演奏も素晴らしかった。アルコールが入ったので、代行で病院へ行った。
 緩和ケア病棟で患者さんYさんと患者さんTさんのご家族と談話室で飲んだ。患者さんやご家族とのノミュイニケーションは時々している。できるだけ笑顔を絶やさない。
 翌朝(5月3日)7時過ぎ回診をして、今日急変するような患者さんがいないことを確認して波野村に向かった。てれっとウルトラマラソンクラブの阿蘇スーパーカルデラ100kmウルトラマラソン後半戦練習会には50名以上が参加した。今年は阿蘇100kmに参加しないのでモチベーションが上がらず練習会にはほとんど参加していなかった。

今回の練習会に姪の千〇チャンが参加するので伴走エイド支援をしようと動機付けをした。
トップグループが57号線を横切るあたりで出会い、エイド支援の豊〇さんや濱〇さん塚〇さんたちに挨拶した。3台の支援車プラス私の車の応援体制になった。
50名以上の参加は初めてか?裏方の仕事を手伝いながら、また 走りたいと思った。走る人が食べたい、飲みたいと思うものを提供するスタンスは素晴らしい。
 阿蘇での練習会の楽しみは、山野花々を見ることができること。マムシソウ、
カキドオシ、キンポウゲ(ウマノアシガタ)、ヤマフジなどを楽しんだ。


エイドへのこだわりの姿勢を貫くのがてれっと事務局長の奥田〇さん。奥様の協力を得てそのために前夜に下ごしらえをされた「ぶっ掛け丼」の具を見せていただき写真に撮った。千〇ちゃんは途中3kmほどワープしたが無事完走した。


 土曜日14時半に仕事が一段落した。阿蘇YMCAキャンプに向かう。発ゴールの崇城大学研修施設で温泉に入り、打ち上げ懇親会に参加した。当然早くゴールした者は長く、遅れてゴールすると参加時間が短くなる。今日は千〇ちゃんに懇親会で飲むから運転免許証を持ってくるようにと言っていたが、付かれきった顔を見て自分で運転することにした。

 夜に「象の背中」という映画がTVで放映されていた。肺がんで余命6ヶ月と言われた仕事人間の主人公は会社を退職し人生の整理を始めた。海の見えるホスピスに移り残された時間を過ごす。この中で夫婦で手紙を出し合うシーンがあった。妻が主人公の手紙を読む。あわててキーボードをたたいた。
「振り返っていればずっと君に支えられていた。仕事ばかりで失格の父親だったが、家族のことは君が全てを支えてくれた。これから二人の生活をと思っていたが、この手紙が届いた時には僕の声は君には届かない。生まれ変わっても君にプロポーズをしたい。僕にとってこれ以上の妻はいない。子どもたちを頼む。・・・」アルコールを飲みながら観ていたので涙腺が緩みボロボロ涙を流していた。