2014年3月31日月曜日

満開

31日月曜日、 今日でT医科大学病院麻酔科研修が終了するN島先生に修了証書がU野先生から渡された。1年間ご苦労様!







午後、恵比寿南公園の桜は満開だった。







帰り強い西からの向かい風に逆らうように走って帰った。神田川の桜もほぼ満開になってきた。夜桜・・・と写真を撮ったがうまく取れなかった。天沼陸橋を渡り終えたころ、きつくなって萬龍軒に入り、ラーメンと餃子の夕食をした。明日は晴れるので桜の花が散らないことを祈った。
風吹くな満開の桜散るは惜し

2014年3月30日日曜日

外食なしの土日

29日土曜日は、夕から久しぶりに桃園川緑道を走って帰った。桃園川一帯ではは江戸時代桃の木を栽培していたのでその名前がついている。流石にきれいな桃が咲いている。
途中阿佐ヶ谷あたりで道を間違え、パールセンター(商店街)を通る羽目になったが、昔の天文館(鹿児島市)を思い出すような賑やかさだった。夕食は作り置きのカレーになった。

30日日曜日、朝ご飯は残りのカレーを食べた。Kノ瀬先生から高尾である東京マスターズの参加賞引換券をもらっていたので中央線で行った。
会場の綾南公園で大会の雰囲気を楽しんだが、昼前から雨が降り始めたので記念のTシャツをもらって帰った。





高尾近くのしだれ桜がきれいに咲いていた。









高尾駅近くにパン屋さんがあり、3種類のアンパンを売っていたので早速買ってももちゃんへのお土産にした。







渋谷のLifeで買い物をして買い物袋を一杯抱えたももちゃん一家を車に乗せて連れて帰った。家ではいちごちゃんが帰りを待っていた。ももちゃんとレゴブロックをして遊んだが、アイデアはももちゃんの方がずっとおもしろかった。あやちゃんの作った昼食は美味しくて、ももちゃんと二人でお替りした。





國學院大学の周りを散歩した。二人で歩く姿をあやちゃんが写してくれたが、後輩たちから「賞を取れそうな写真ですね」と褒められた。
帰りにガソリンスタンドに寄り満タンにした。午後8時頃、荻窪駅近くのAOKIでブレザーとズボン、靴を買った。しっかり増税前駆け込み購入をしてしまった。

2014年3月28日金曜日

アフターエイト

25日火曜。トンネルをぬけると雪国だった・・・はそのままだが、随分新潟山間部の雪も融けてきたようだ。新幹線の中では後輩の翻訳の手直しで時間が過ぎてしまった。





がん診療連携委員会に出席後、ICUでM下先生と夕食を一緒にしようという話がまとまった。O原先生が美味しいと言っていた、「亀鮨」に行くことにした。大将はO原先生の同僚だということで大変喜んでくれた。美味しい酒の肴をいただき、美味しいお酒を飲んだ。値段は「さつき」の3回分ぐらいであったが・・・



6日水曜。全ての会議が終了し、U野先生、O原先生と「さつき」で夕食をとった。月曜日に飲み残した赤ワインは直ぐに消えてしまった。帰りにタクシーに乗ったら、運転手さんから「お客さんは、鹿児島か、熊本か、宮崎の方ではないですか?」と聞かれた。びっくりしたが、運転手さんは宮崎の出身とか、合点がいった。そういえば長崎出身の患者さんに「先生は九州のご出身でしょう?」と聞かれた。月曜日の熊本県人会からなまりをあまり気にしないようになったようだ。

27日木曜、19時ごろまで手術室で麻酔。結局医局会には出席できず。20時過ぎから4月から入局する研修医4名と「さつき」で「緩和ケア・緩和医療」の勉強会をした。済んでから会食。荻窪からリュックに入れて走って持ってきた芋焼酎の佐藤(黒)一升瓶を開けた。
22時過ぎにG藤先生たち眼科の先生方が送別会の二次会のようで仲間に加わった。座が盛り上げたところで、明日の仕事があるので解散。





28日金曜。歯科麻酔科のS井先生が研修を終えて来月からN歯科大に戻る。良く頑張っていただいた。写真は研修修了書をもらったS井先生。







後輩と進めていた翻訳が完了して編集者に送った。関連病院会議の資料に目を通していたら、いくつか間違い発見したのでK沼医局長に連絡し訂正をお願いした。19時過ぎからヒルトンホテルで中華料理の会食をしながらの会議だが、K沼医局長はほとんど食べていなかった。
会議が終わり、K沼先生とI崎先生の3人で「さつき」に行った。丁度消化器外科のH田先生とE本先生がおられたので5人でいろいろ話すことができた。
今週は何とさつきにご縁があったことだろう。割引券の代わりに「秋うこん」をもらっている。

来週はさつきで夕食はないだろう・・・と思う。

2014年3月24日月曜日

熊本県人会

第一回熊本県人会をさつきで行った。自分の生まれは鹿児島県だが、40年も熊本県に住んでいたので熊本弁の方が出てしまう。前任の病院で一緒に働いたEさん、昨年T医科大学病院に就職したOさん、今年産婦人科に入局するK先生の4名が集まった。
二人の師長さんたちにも呼びかけたが、詰めの連絡が甘く欠席だった。
彼女らは職場では標準語を使っているが、ここでは熊本弁丸出しのおしゃべりが続いた。熊本弁が懐かしく、自分が回診に病棟に来るとすぐにわかるそうだ。
今日の平均年齢は35歳ぐらいだが、自分が平均年齢を引き上げている。第二回目はもっと呼びかけようと思っている。しかし良く飲むなと感心した。

2014年3月23日日曜日

妙泉寺公園を走る

朝ジョッギングを桜の花見どころの一つである妙泉寺公園コースを選んだ。北バイパスを西合志の方に走り公園に入る。桜が咲いているのであれば家族連れで賑あう公園だが、桜は数本を除いてまだ12分先で散歩をしている近所の人たちが数名いる程度だった。


公園の周りを走り、公園を見渡す展望台から公園の全景を撮った。






梶尾の方をまわって北バイパスに向かったが、飛田バイパスを越える橋が架かっているのにびっくりした。しかし橋が架かっただけで道は延びてはいないようだ。






シャワー、の後トーストとサラダで昼ご飯を済ませ、帰り支度をした。熊本空港に向かう道の桜も、数本は5分咲き程度だったが、ほとんどは一週間後が満開のようだ。







羽田空港が込み合い、駿河湾~三浦半島上空で20分ほど待機した。何とか富士山を撮影することができた。

2014年3月22日土曜日

第6回熊大医学部サッカー部の先輩方の還暦および現役の卒業を祝う会

サッカーワールドカップの開催年に、その年の331日までに還暦を迎えるサッカー部のOBの還暦祝いをするようになって第6回目を迎えた。今回は自分たちの学年も対象になる。4年前に既に開催日と会場は決まっていたので超早割でチケットを確保していた。受付に後藤先生から預かったワインを届けた。還暦対象者は無料なので、会費の金額を寸志(御樽代)として包んで渡した。写真は会の前に写した集合写真。約100名が参加する大祝賀会になった。

 
 
 
 
 
この日は熊大医学部サッカー部の卒業生の追い出しコンパや熊本ドクターズ総会も兼ねる。
長尾初代主将の祝辞を受け、還暦祝いを受ける6名がステージに上がった。








自分はG藤先生の言葉、サッカーを通した社会貢献の必要性(日韓医師サッカー交流やスペシャルオリンピックス日本・熊本など)を伝えながら、このように充実したOB組織は他にないことやその組織が継続していくことを願いお礼の挨拶をした。

 
 
 



現役のマネージャーから記念品と花束をプレゼントしてもらったが、マネージャーたちが皆可愛い(きれい)なことにびっくりした。

 
 
 
 
 
 
 
卒業生には、個人的に関わりの深い後輩が紹介と祝辞を述べ花束を手渡した。卒業生からはサッカー部の思い出や感謝の言葉が述べられた。ユーモアに満ち先輩や同級生を尊敬し、後輩に温かい言葉をかける卒業生を見ながら、サッカーを通して随分成長したなと思いうれしくなった。

 
 
 
 
 乾杯はサッカー部でも麻酔科でも大先輩の尾方先生。70歳を越えられたが現役の麻酔科医だ。現役時代OBになられてまだ若かりし頃、随分ハードなプレーヤーだったそうだが丸くなられた。






再び卒業順に挨拶をしたが、還暦組はもう一度ステージに上り記念撮影をしてもらった。









万歳三唱は武内先生。一緒に合宿をし試合に出たことを思い出す。

高野先生の奥様と、満瀬先生と自分は昭和53年卒で同級生になる。先日の同窓会では会えなかったので記念写真を撮ってもらった。


家人も着物を着てきたので、一緒に写真を撮った。このような企画をしてくれた柳先生や貞松先生とはサッカー部30周年の祝賀会ではともに実行委員会を立ち上げたが、さすがに良く企画された祝賀会だったと思う。両先生や支えてくれた現役部員に感謝したい。






ここで、家人と別れ二次会場に歩いた。二次会には80人位来ていただろうか?祝賀会では時間の都合で挨拶できなかったOBから挨拶と現況報告がありまた旧交を温め合うことができた。村上先生からは麻酔科でもらったというシラバスのコピーや自分が書いた各科への人工呼吸器の使用に関する通達のコピーを貰ったが、良く保存しているものだと感心した。

前回熊本で飲んだ折、タクシーに行先を教えられずに家人にSOSの電話をして迎えに来てもらったが、今日は家人も飲んだので車で迎えに来れない。午前様にならぬようしっかりしたままタクシーで帰宅した。(数分遅れた)

北バイパス朝ジョグと大先輩のお見舞い

22日、朝からよく晴れていた。K高に咲く桜は、まだ1,2分咲きのようだ。これから暖かい日が続けば来週には満開になるだろう。東バイパスの先まで走って約8㎞、いい汗かいた。





午後から、熊本市内の病院に入院されている大先輩のお見舞いに行った。今夜は熊大医学部サッカー部の卒業生追い出しコンパと先輩の還暦を祝う会(自分もお祝い対象)がある。先輩は出席できないのでと、ACミランの赤ワインを6本自分に託された。息子さんがチームドクターをしている川崎フロンターレの公式グッズ(タオルやマフラー)まで頂いてしまった。



先輩は熊大医学部サッカー部の卒業生を中心として作っている「熊本ドクターズ」の初代会長で現在名誉会長。これまで多くの人生の教えをいただいた。熊本ドクターズの組織としての充実ぶりを喜ぶとともに、34年も続く韓国大邱の医師サッカーチームとの交流やスペシャルオリンピックス日本・熊本への関わりをあげ、医師としてサッカーを愛する者として社会に貢献することは大切だねと言われた。奥様も会話の中に入ってくださった。

2014年3月21日金曜日

春分の日

21日春分の日で、午前9時過ぎまで寝ていた。ハムエッグ・サラダ、豆腐の味噌汁の朝食をとり、ジョッギングに出た。





善福寺公園には多くの親子連れが来ており、遊んでいる。大人の数の方が多いのは、少子化のためだろうか?







帰ってシャワー、掃除に洗濯をして午後1時前には家を出た。荻窪駅北商店街にはパチンコ店の宣伝のチンドン屋さんが演奏していた。
羽田空港からの飛行機は遅れて出発したが、定刻の午後3時には熊本空港に到着した。家人が迎えに来てくれたので、食料品店によって馬刺しを買った。

ひなちゃん一家がやって来た。ひなちゃんは玄関で靴を自分で脱ぎ靴を揃えていた。そして「ただしジイジ大好き」と頬を寄せてきた。なかなかできる孫である。
娘が運転手なので、U太くんとビールを始めた。自分はお誕生席にすわって焼き肉のプレートから離れていたが、U太くんがこまめにお肉や野菜を取ってくれた。優しい人だ。
家人が同窓会でもらってきたという、串木野の濱田酒造の焼酎を飲んだ。濱田酒造は串木野金山に施設を作り清酒も作り始めている。日本の清酒つくりの南限が熊本県津奈木の亀萬酒造から
ここに移った。
前任の病院で同僚で、ワイズメンズクラブでも一緒に社会奉仕をしていたK林さんが、南相馬市に移って老人ホームでボランティアをしている新聞記事をみせてもらった。
当初、「自分よりも苦しんでいる被災者のことを取り上げてほしい」と、取材に対して難色を示していたK林さん。それでも、遠慮がちに少しずつ思いを語ってくれた。
「これからも南相馬の人たちに寄り添っていきたい。1年ちょっと暮らしてみて、自分がここにいる意味が分かった気がします」
の記事を読みながら、K林さんの人柄がにじんいると思った。 

2014年3月20日木曜日

明日から熊本に帰る

20日、明日が春分の日で休日、明後日がない土なので3連休になる。木曜日がひとまず週の終わりになってしまった。腹臥位の脊椎手術に午前と午後担当した。研修医を指導しながら、手術が落ち着いている間にICUに行ったり病棟回診をしたり忙しい。当直医に引き継ぎ医局会に出席した。Uの先生は盛岡に出張されるので電話参加となり、早く済んだ。
M岡先生が4月から実家の静岡に帰るので、さつきに飲んべえたちが集まっての送別会をすることになった。自分は既に鹿児島の芋焼酎「金峰」を持ち込んでいたが、O原先生は宮崎のそば焼酎「マヤンの呟き」を、M岡先生はいろんな種類の日本酒や焼酎を持ち込んだ。写真はマヤンの呟きと金峰を入れたももちゃんからプレゼントされたボトルチョッキを着たボトル。

S根、N山先生の加わってなかなか賑やかな会いになった。T医科大学に赴任して1年以上水曜日のリーダーをM岡先生と務めた。いつも気配りをし、何かと立ててくれた。ペインクリニックに興味を持ち、術後鎮痛に神経ブロックを併用するなど、皆をリードしてくれた。おしゃべりも面白いので、地域の良いかかりつけ医になるだろう。
盛り上がってはじけそうになったところで、眼科のG藤先生たちがやって来た。話題は広がり大いに飲んだところで、丸の内線が動いている間に帰ろうとS根、K沼先生が提案した。後ろ髪を引かれつつ帰途についた。S根先生は荻窪から中央線に乗換える。来週は(夏)休みのようだ。K沼先生はしっかり自分んを送り届け帰って行った。本当に良い後輩に恵まれている・・・

2014年3月19日水曜日

週の初め

17日、月曜日は何となく疲れる。いや火曜、水曜、木曜と次第に疲れは溜まり金曜の夕には倒れそうになる。が、O原先生を誘って小滝橋通りと税務署通りの四つ角の近くにあるすし居酒屋「まえ田」に行く。ここには鹿児島県は吾平(あいら)町の焼酎がある。ゆっくり飲み始めたところでK沼先生も駆けつけた。ここで記念撮影。
手術室はそろそろ落ち着くということなので、近くに住んでいるが月曜の手術室リーダーM岡先生を誘った。しばらくしてやって来た。随分盛り上がったらしく、同じ荻窪に住むK沼先生が自分をタクシーに乗せて連れて帰ってくれた。翌日支払いをK沼先生にしたが、O原先生にはまだしていない(18日現在)。が、19日支払った(K〇先生証人)。
持つべき者は良き後輩かな・・・。
18日、新潟の日、東京は良く晴れている。戸田市で荒川を越える時富士山が見えるのだがかすんで見えず。この日は長い手術で19時30分過ぎの新幹線で帰り病院にも寄ったので帰宅は0時を過ぎた。矢張り週末に向かって疲れていく・・・。

2014年3月16日日曜日

走って家事に勤しむ

朝寝ができる日曜日は月に一回か?
9時ごろまでベッドの中でうだうだしていたが、何を思ったのかチキンカレーを作った。
カレー、野菜サラダ、野菜チキン炒めでブランチにした。






善福寺川沿いに21km走った。
良く晴れており、暖かかった。家族連れが沢山公園に来ており、春のかっこう装いになりつつある。






和田堀公園の八重桜が花を咲かせ始めた。
野球少年たちも、スタジアムジャンバーは今日は必要ないようだ。






ご褒美にケーキを買った。シャワーを浴び、洗濯をしながらケーキと紅茶で休憩した。
そして掃除!電気掃除機、床拭き、マットはコロコロできれいにした。
ももちゃんは風邪をひいて熱を出したようだ。長男に差し入れしようか?とメールしたが今日はいいよとの返事だったので、ルミネに行ってクリーニングを出し病院に行った。
病院では鎮痛薬のe-learnigを受講し、たまった?ブログをアップした。
U野先生といろいろお話ししてたら、気づいたら12時前になった。早く帰ってカレーを食べよう!

2014年3月15日土曜日

緩和ケアフォーラム(公開市民講座)

15日、東京都区西部緩和ケア推進運営会議主催で緩和ケアフォーラム(公開市民講座)をT医科大の臨床講堂で開催した。
テーマは、切れ目のない緩和ケアを目指して、患者・家族の希望は?医療者は希望に応えているのか?
1)在宅療養の現場から
2)区西部の現状調査から








医療従事者連携強化のためにとして
3)新宿オレンジバルーンフェスタの開催
4)多職種研修会の現状
5)資料相談支援の現状
スキルアップの取組として
6)サポーティブケア部会の取り組み
7)薬剤師かいの取り組み
の7題の発表と、参加者とも質疑応答を行った。
50名程度の参加者でこじんまりとしたフォーラムであったが、参加された市民の方々には医療者の真摯な取り組みが伝わったと思っている。
終了後医師会の先生方と近くのビアレストランで会食をした。これがあるから元気がでる?

2014年3月14日金曜日

麻酔科送別会

14日麻酔科送別会がヒルトンホテルであった。T医科大学病院手術室は未だ7例ほどの延長手術や緊急手術が残っており、開始時間は30分ほど遅れた。次第に皆が集まってきた。
O澤先生とかK中央病院で一緒に仕事をさせてもらった。芯の通った麻酔と指導は随分学ばせてもらった。5月までは残ってもらえるという。O澤先生とは一か月に一度は会って飲もう?と約束した。





M田先生は、心臓外科専門の病院に出向する。彼の向学心と馬力は素晴らしいので、若手の医局員を送ることになったらしっかり指導してほしい。





F川先生とN倉先生は麻酔科を離れてそれぞれの道を歩む。元気で頑張ってほしい。






N本歯科大から一年間来てくれたN島先生とS井先生は明るいキャラクターで手術室の雰囲気をいつも陽気にしてくれた。歯科大の症例とは異なる症例も多く経験された。





皆で集合写真を撮った。今日の写真は手術室の麻酔科医室にあるコンピューターと医局のコンピュータにも保存した。