2015年3月31日火曜日

花見その4

31日、神田川の桜をどうしても見たくなった。朝中野坂上で地下鉄を降り、そのまま病院に向かった。坂を降り切ったところに神田川が流れている。川岸から川の方にせり出す桜の木は勢いを感じ、また花が綺麗に自己主張をする。







上越新幹線でも車窓から桜を見ることができる。埼玉はすでに満開だが群馬はもう少しだろうか?写真は大宮付近の満開の桜。



さてトンネルを抜けると、まだ冬景色が広がる。




佐付近までは雪が解けていないし、桜らしい色も見かけない。
燕三条でタクシーの運転手さんに聴いたら、4月中旬が桜が満開になるとのことだった。あと2週間は桜を楽しめる。

2015年3月30日月曜日

研修医慰労会

今月で麻酔科研修が終了する研修医の慰労会を病院近くの鳥料理の店で開催。18人ぐらい参加?と思っていたが20数名の参加で大盛況になった。
自分の正面には、スーパーポリクリ(新6年生で一カ月麻酔科選択)の学生さんが座った。



左隣にU野先生、右隣には歯科麻酔科のマドンナ板〇先生が座り、幸せを感じながら少しのビールと、ほんの少しだけの芋のお湯割りを嗜んだ??



明日があると言うのに、研修医たちはお兄さんお姉さん先生と盛り上がりすぎていた??ようだ。その盛り上がりについていけない、U野先生とレジェンドO原先生と自分は近くのジョ〇サンで、あんみつ食べてお茶を飲んで頭を冷やして帰った。

花見そn3

30日、病院周辺の桜を写すことにした。まずは病院隣にあるヒルトンホテルの桜。





少し離れるが新宿中央公園に桜。中には入らず道路を挟んで写した。






そして厚生中央病院隣にある恵比寿南公園の桜。

2015年3月29日日曜日

花見その2

29日、善福寺公園コースを花見ジョッギングすることにした。
桜も3,3分咲きから5,6分咲きがある。木によっても枝によっても咲きぶりが異なる。

善福寺公園下池の桜。
多くの区民が花見を楽しんでいたが上野のように混雑していないのが良い。


上池の桜も数日しないと見ごろにならないだろう。



そのうちに雨がポツリポツリと降ってきた。
雨に濡れなお華やかな桜かな





帰りに和菓子の店に寄った。道明寺(左)と桜餅(右)を買った。
桜餅形違えど味は春
写真はあとで。

2015年3月28日土曜日

花見その1

28日、ない土なので花見ジョギングをすることにした。

 
家から善福寺川にでた。川沿いに環7まで出て、そのまま佼成会の施設を抜け神田川沿いに中野坂下に向かった。善福寺川沿いの桜は4,5分先だろうか?多くの人たちが花見を楽しんでいた。
神田川沿いの桜はまだ咲いていない。
ここから靖国通りを走り靖国神社に向かった。ここには東京の桜標本木がある。この機に5,6輪の桜が咲くと、東京の桜が開花。8割咲くと満開宣言が出る。
  
靖国神社は人がごった返し、そこから千鳥ヶ淵に向かったが、とても走れるような状況になかった。千鳥ヶ淵から皇居のお堀の桜を写した。 
  
脚が棒のようになった。九段下から地下鉄東西線に乗り、日本橋で銀座線に乗り換えて上野に向かった。上野の花見風景がTVに良くでる。今日は手術室のNrsたちが花見をしているはずだ・・。が行ってみると広いこと、また人、グループの多いこと。これでは探せるわけがない。ここはきっぱりと諦めた。 
JR上野駅から目黒に行き、目黒川に向かった。
目黒川沿いの桜もまた名所の一つになっている。まだ満開ではないがやはり桜だ。 
綺麗な桜をつけた枝が川に映っていた。
 
 
  
 
棒のようになった足を引きずって恵比寿の息子のところに行った。途中アトレでサラダやおかずを買うのを忘れずに。着いたらいちごちゃんが歓迎の挨拶、疲れ切った足を舐めてくれた。シャワーを浴びて夕食をご馳走になった。 
さくちゃんはウンチをしたりぐずったり、ももちゃんはご飯も少ししか食べずに寝てしまった。
自分は長袖上着をリュックの中に入れ忘れたことに後悔しながら荻窪に帰った。
 
 
 
 
 
 


2015年3月25日水曜日

別れ2


25日、昨年に退局し実家の手伝いをしていたのだが、週一日T医科大学手術部に手伝いに来てくれていたM岡先生が本格的に実家のある静岡に移ることになった。
自分がT医科大に来て手術室麻酔科リーダーを務めたときはサブリーダーとして、いつも支えてもらった。陽気な性格で、つらい状況になってもいつも明るく振る舞ってくれた。
静岡の名酒「女泣かせ」も美味しかったね。また会おうね、元気でね。
 

送別カンファレンス

25日、緩和ケアチームの開設2007年7月からその中心となって頑張っていただいた柏〇さんが3月一杯で退職になった。今日が彼女にとって最後の緩和ケアチームのカンファレンスになった。
柏〇さんは常に看護の立場、ケアを重視する。自分が調子が悪い時はそれを見抜いて厳しい指摘もしてくれた。ありがたかった。随分支えられた。彼女がいたからこそ緩和ケアチームの活動とレベルが保たれたと思う。
研修会など手伝いに来るので送別会はいらないと言う。彼女らしいのだがお礼は言いたい。急遽カンファレンス終了後、花束を贈呈し記念写真を撮った。

2015年3月24日火曜日

ダイヤ改正

24日、14日のダイヤ改正で新潟は燕三条行新幹線の出発時間が1016から1044になった。30分も時間をもらったので麻酔導入の指導や病棟回診に時間をまわせる。ただ、三〇町病院に着いてから慌ただしく昼食、術後回診、術前診察、麻酔準備をせねばならない。

写真は高崎駅近くから北東方向を写す。
さて、先週の二の舞をしないようにと急いだのだが・・・。病棟回診で4人の患者さんを診察し、3人分のカルテを書き、一人の持続硬膜外ブロックセットへの局所麻酔薬の充填をした。急いで部屋に向かったら安全管理部から呼び出し。用は直ぐに済んだ。秘書さんに人事課に提出する書類をお願いし、部屋を飛び出した。西新宿駅1020発の電車に飛び乗ったが、東京駅着が1040になる。あとは体力勝負で4分で上越新幹線プラットホームに駆け込もうと気とベルトを引き締めた。

新幹線改札を通った途端、上越新幹線MAXとき1040発のサインが次の電車に切り替わった。タッチの差いやあと1分差で乗り遅れたのだ。写真は浦佐駅付近

しかし、今度のダイヤ改正で良かったのは、次の新幹線が1056であること!各駅停車だが、13時には燕三条に着くので1330分入室の手術に間に合う。昼ごはんは車内でを食べたら良い。来週こそは、10時までに病院を出ようと思う。心を鬼にして。

月曜日のおまけ

23日、K中央病院の研修医U働先生が、T医科大学での開催された研修病院の紹介に行った帰りに、ヒルトンホテルのケーキを買ってきてくれた。大好きないちごが沢山乗っているケーキなので美味しくいただいた。二切れきった後のケーキ。

K中央病院から東京駅八重洲地下街の散髪屋さんに行き、一カ月ぶりに散髪をした。馴染みの理容師のK子さんとはサッカーの新監督ハリルホジッチ氏について話した。ここからラーメンストリートに寄って久々に美味しい醤油ラーメンを食べた。写真はラーメン屋さんの前で。

病院で書きかけの論文を見返した。時間をおいて読み直すと、直すべきところが沢山出てくる。遅くなって帰り着いたのが0時を回っていた。
24日朝、冷凍庫の玄米を解凍し、明太子に、賞味期限の切れたインスタントみそ汁、今朝買った野菜サラダとベーコンエッグで朝ごはんにした。今朝は寒い。10日ぶりに冬用のコートを取り出し出勤した。

2015年3月22日日曜日

むさしYMCA20周年記念会


22日、日帰りでむさしYMCAの開設20周年記念会に参加した。熊本行きの飛行機から眼下に河口湖と西湖が見えた。
河口湖西湖にかかる春霞
熊本空港には娘一家が迎えに来てくれた。せっかくの日曜なのにありがとう。北海道の空弁を2つ買っていたのでひとつあげた。
20年以上前にむさしYMCAの前身である熊本YMCAむさし台センターの開設準備委員長を拝命した。工事現場のプレハブで開設準備委員の皆さんと夢を語り合った。レイパーソン(委員)と職員がペアになって周辺の家々にパンフレットのポスティングと挨拶をしてまわった。開設後は初代の運営委員長を務め、YMCAは施設やスタッフではなくミッションを持った活動であることを実践した。一年後には、むさし台センターを支える熊本むさしワイズメンズクラブ設立の果実を得た。

思い出は懐炉を持ってのポスティング

それから20年経過した。当時思ってもみなかった人生を歩んでいるが、もう一つの、いやもう二つの人生を経験させてもらっている。感謝。

第一部の記念礼拝では、日本福音ルーテル神水教会の角本牧師から「チームむさしに幸あれ」のタイトルで奨励をいただいた。家族、血縁関係が無くても、もっと身近にいて欲しい人たちの集まりがチームむさしとしてさらにはファミリーむさしとして広がっていくのだろう。
菅YMCA会長からはYМCAの働きは会員を中心としたレイパーソンによって支えられていると言うYMCAの真髄から地域によって支えられるYMCAのセンターとして歩みたいという挨拶があった。
2部講演会では荒木義行合志市市長より合志市における健康づくり、地域おこし、未来を背負う子どもたちの教育などを協力して行いたいとのラブコール?があった。

3部感謝会において、むさしYMCAの開設準備委員長として挨拶する機会をいただいた。1995年阪神淡路大震災の年に熊本YMCAむさし台センターができた。この年はボランティア元年と言われ、熊本YMCAの使命ができた年でもある。これまでに支えてくれた皆様に感謝するとともに、これらもレイパーソンとスタッフが協働して地域の皆様に支えられ選ばれる働きをしてほしいと思う。
20周年の記念に職員スタッフによる将来むさしYMCAでどのような企画をするかについての公募があったようだ。優秀企画賞の2題が発表され、吉岡むさしクラブ会長から企画優秀賞として支援金が送られた。写真は吉岡会長。
開花待つ桜祝うY二十年
熊本空港で、羽田空港混雑のため出発が35分遅れるとのアナウンスがあった。羽田到着が22時50分になる。何とか荻窪までの電車はありそうだ。

2015年3月21日土曜日

ももちゃんはGP39階が好き

21日、東戸塚から恵比寿の息子の家に行った。途中一般道路に入ったら環八や玉川通りが渋滞しており、1km進むのに10分以上かかった。走ったほうが良さそうだったが・・。

もちゃんとあやちゃんは図書館に行っていて、さくちゃんと息子といちごちゃんが出迎えてくれた。いちごちゃんは自分が大好きなので大いに甘えてきた。
ももちゃんたちが帰って来ると、さくちゃんがお腹がすいたとぐずり始めた。そういえばお昼ご飯を食べていなかった。あやちゃんから春雨スープをご馳走になり、持ってきた安納芋を温めてもらって食べた。
ももちゃんはジイジたちが来たら、ガーデンプレイス(GP)の39階に行って遠くを眺め、焼き肉を食べるつもりでいたようで、皆でGPに行こうと言い張った。
ジイもバアも疲れていて、明日があるので、焼き肉は息子(パパ)の誕生日の頃に延期してもらった。しかし、パパはももちゃんを自転車に乗せてGPに行くことになった。流石に育メンパパだ。どうやら2時間以上GP39階で望遠鏡による周囲の観察をしていたようだ。高所恐怖症のはずだったが?高いところが好きなので違うかもしれない。

東戸塚フットボールパークに行く

21日、10月に予定している日韓医師サッカー交流の試合会場になる東戸塚フットボールパークに車で行った。荻窪からナビ推奨で行ったが、1時間半は時間がかかるとみておいた方が良さそうだ。横浜スポーツマンクラブでナビに入力すると道筋を教えてくれる。
グラウンドでは子どもたちのサッカースクールが開催されていた。イギリスのマンチェスター・ユナイテッドと提結しているのだろうか?M.U.のシャツを着たイギリス人の指導者の方が沢山いた。
サッカーのクラブハウスを見学した。シャワーや更衣室もあり、雨に備えて会議室も借りる予定にしている。

気になったのが、周辺に食事をするところがないことだ。隣のゴルフ練習場のレストランはあるが、せいぜい20名ぐらいしか入らないし予約はできない。また周囲にも大人数入るレストラン見当たらなかった。
東戸塚駅からスポーツマンクラブへのシャトルバスがあり、時刻表も確認できた。

2015年3月19日木曜日

麻酔科送別会

19日、麻酔科の送別会がヒルトンホテルで開催された。昨年度から既に麻酔科を離れていた先生たちで送別会を正式に行っていなかった先生たちや、1~2年間T医科大学病院麻酔科で研鑽を積んだ歯科麻酔科6名の先生たちを含めて12名の送別会になった。

U野主任教授から温かい励ましの言葉を受け、先輩、同僚、後輩たちから花束の贈呈があった。




歯科麻酔科の先生たちには、皆の寄せ書き色紙も贈られた。

自分は閉会の挨拶を担当したが、夫々の先生たちの思い出と将来の活躍を願う挨拶をした。送別された先生たちとはT医科大学麻酔科で学び、仕事をした共通項を持つ。これからの健康と発展を祈った。


 

2015年3月15日日曜日

鎌倉観光

15日、江ノ電に乗って鎌倉観光をしたいという家人のリクエストに応えて9時半過ぎに出発した。荻窪から新宿に出て、湘南新宿ラインで鎌倉へ、そこから江ノ電に乗った。

江ノ電や窓を過ぎゆく春の庭

長谷駅で降り、鎌倉の大仏様の見学に歩いた。15分弱で到着した。
大仏様の胎内を見学したり、俳句の募集があることを確認したりした。

卒業の子らを見下ろす仏かな

桜待ち寒さに耐える仏かな

次に長谷寺に行った。6月の紫陽花で有名なお寺だが、由緒ある仏像や観音像の他に、庭園の花々が綺麗で落ち着いて見学できる。

和み地蔵があった。いつの頃からおられるのだろうか?





展望所から由比ヶ浜方面を眺めた。
その昔、新田義貞と北条高時の軍勢がぶつかった稲村ケ崎から由比ヶ浜の古戦場だ。
昼食をガイドブックでお勧めのお握り屋さんに行ったが、休みだった。
近くのイタリアンで、昨日漁が解禁になったばかりの名物のシラスを使った洋風シラス丼とシラスピザを食べた。美味しかった。

2015年3月14日土曜日

神戸ワイズメネットクラブ50周年感謝の集いに

14日、神戸ワイズメネットクラブ50周年感謝の集いに参加した。50年間にわたり神戸ワイズメンズクラブを支えてこられた。会場の神戸外国人クラブは、歴史を感じさせる重厚さがある。写真は元メネット事業主任キャビネットの皆さん。メネットクラブの50周年の歩みのスライド上映では歴史と、多くのメネット事業を支える方々を輩出してきたことが分かった。

特別講演の前広島女学院学長長尾ひろみメネットからは、フィリピンの子どものあしなが叔母さんをしたことや日本の1/6の子どもたちが貧困の中にあることを憶えて生きていこうと呼びかけられた。

元メンバーの頼広真冴さんのシャンソンメドレーで心も豊かになった。



6年前熊本むさしメネットが引き受けしたメネット事業主任キャビネットを神戸のメネットさんたちが引き継いでくださったことを思い出す。

朝から、熊本から新神戸に新幹線で移動、会に2時間参加して再び東京に新幹線で移動した。新幹線に6時間、中央線に30分に乗ったが、随分疲れた。