2014年6月29日日曜日

ももや荻窪に現れる

朝のうちに杉並区区長選挙と区会議員補欠選挙を済ませた。
ももやと長男が荻窪にやって来た。先ずはルミネのパスタ屋さんで昼ごはん。スパゲッティ-トマトソースを口の周りを汚しながら食べていたが、自分で時々ナフキンで拭いていたのには成長を感じた。




一旦うちに来たが、狭いのでケーキを食べたら再び荻窪駅の丸ノ内線に行った。






 地下鉄で新宿三丁目に移動した。窓から外を見ても駅以外は真っ暗なので、少しがっかりしたようだ。





伊勢丹ではポロシャツをジイジに買ってもらって喜んでいた。
自宅に戻って走ろうとしていたら、空が見る見る暗くなりどしゃ降りになった。今月は160㎞走っているので、無理をしないことにした。

2014年6月28日土曜日

第48回東京鶴丸会総会・懇親会

48回東京鶴丸会総会・懇親会が628SHINAGAWA GOOS開催された。東京鶴丸会会長海外出張のために、31回卒の千田副会長が会長代行として挨拶されたが、理事会メンバーの多くが社会の第一線で活躍しているので今後もこのようなことがあるだろう。





総会・懇親会の幹事学年第35回卒は100名以上参加し、案内や飲み物の提供などに一生懸命に頑張っていた。全体では700名弱の参加だっただろうか?

鶴丸高校の部活参加率は85%であり、文武両道の校風と校是の「For Others」は連綿と受け継がれている。



自分たち22回卒は前田さんの献身的な奉仕でまとまり良く、二次会を含めると20名ほどが参加した。







鹿児島の池田パンから昔あこがれた「シンコム3号」宇宙船の形をした菓子パン(昭和36年発売)やセイカ食品から白熊が提供され、懐かしく皆で味わった。鹿児島県のゆるきゃら「ぐりぶー」も登場したが、グリーンの豚??の意味で名づけられたのだろうか。

最後は参加者が肩を組み校歌「はろばろと」を歌い、幹事学年をねぎらった。

二次会は品川駅近くの居酒屋に移動した。二次会担当の栽原君や小学校の時でも同級生の北道君とは何年ぶりに会ったのだろうか?三次会では品川駅港南口のカラオケに行き、とことん歌った。山手線から中央線に乗り継いだが、目が覚めたら西荻窪に着いたところだった。一駅引き返し帰還できた。
 

2014年6月26日木曜日

東京セントラルクラブ10周年記念例会

東京YMCA山手コミュニティーセンターで開催された東京セントラルクラブ10周年記念例会に参加した。仕事が遅くなり30分遅刻した、ちょうど記念礼拝が終わるころに部屋に入った。
記念例会では、インドで起業し孤児院も開いておられる後藤理恵さんをお招きして、「インドの現状と未来」というタイトルで卓話を聴くことができた。


今日10周年の記念例会だが、「クラブの維持が困難になり最後の例会です」と、谷治会長から挨拶があった。24名の方々がクラブの歴史に名を連ねてこられたが、高齢化や病気による離脱でメンバー数が減っていた。しかしLibyの支援など多くの社会奉仕をされていた。
参加者の全員の記念写真の時から、自分のデジカメが動かなくなった。




二次会は近くの居酒屋に行ったが、種子島の焼酎「久耀」が置いてあったのには感激した。また料理もおいしく、また来たい店のリストに入れた。

2014年6月25日水曜日

新宿ゴールデン街

WCサッカーは今朝終わってしまった。心の中に満たされない空洞がぽっかりと開いた。それを察したのか?U野先生とO原先生が夕食を誘ってくれた。青梅街道向かいのビル地下にある中華料理屋さん。おいしかったが「さつき」のようにわがままが効かない・・・
O原先生と二次会に行った。だいぶ歩いて新宿ゴールデン街の「中村酒店」というお店。中は狭く、料理がおいしいわけでもない。むしろ乾き物。しかしママさんが良い、お客さんが良い。人生を飾ることなく話せる店だった。ゴールデン街なのに一人2000円で、キープ代が上乗せ(高くない)。しかし店に入るとなるほどと納得できる。写真はママさん、O原先生と。お客さんに写してもらった。この後、デジカメが壊れ修理に出している・・・

2014年6月22日日曜日

ももちゃんと絵本を読む

神戸の学会が終了し、新神戸駅でKANNONYAのチーズケーキを買った。ももちゃん一家と一緒に食べたかった。日曜は久しぶりに善福寺公園コースを雨の中走った。この季節は紫陽花がきれいだ。





雨のためか人影も疎らだった




午前中に東京駅八重洲地下街の床屋さんに行った。帰りに千疋屋によってマンゴープリンとマンゴーを買った。荻窪駅近くの店に寄ったら、マンゴーの値段は半分以下だった(同じ宮崎県産)だったが・・・)ここでは、スイカとブドウを買った。写真は八重洲地下街の仙台七夕の飾り物




ももちゃんちに行った。ももちゃん一家が出迎えてくれた。ももちゃんは盛んに風船遊びをして関心を引こうとした。



 

 

 
 
  
ジイジのためにコーヒーを入れると、コーヒー豆をパパの指導で引いてくれた。ももちゃんとマンゴープリンとチーズケーキを食べた。ももちゃんは早く食べるのが得意だ。
 
 
 
 
 
 
 
ももちゃんはお気に入りの絵本を床に並べた。どうやらジイジに読んでほしいようだ。5,6冊は読んであげたが、ほとんど覚えているようだ!









いちごちゃんはお膝に乗りたいらしく一生懸命甘えてきた。

ソファーに楽ちん座りをして、TVを観たり、新聞を読んだりしてリラックスした。
そして午後5時、日常生活に戻るべく、きりっとしたジイジは、病院に行き午後10時過ぎまで勉強とデスクワークをした。夕食を食べていないことに気付いた。さつきはもうない。駐車場近くのコンビニで買い出しをして、遅い夕食になった。日常に戻らなくては・・・。

2014年6月21日土曜日

第19回日本緩和医療学会学術大会その2

2日目、朝は海岸方面に走った。まだ眠っているような神戸港のようで、曇りの天気ということもあり、何かすっきりしないが汗だけは大いにかいた。

 
 
 
 
学会二日目の午前中は研究方法論のシンポジウム(初級編と中級編)を聴講した。研究における約束事項や、実際に海外誌に投稿した時の査読委員とのやり取りで気づいたことなど、実体験をもとに紹介してもらい大いに参考になった。20分だけだったが鳥越俊太郎氏の特別講演「がんと生きる」を拝聴することができた。「医療従事者にとっては日常的なことでも患者にとっては初めてのことだらけ」には説得力があった。

ランチョンセミナーでは「緩和ケア充実化に向けて~呼吸器症状を中心に~」の聴講をして、ポスターセッションに行った。ここで興味があったのは、緩和ケアチームと緩和ケア外来に関する発表で、チームの方はポスターを熟読し、緩和ケア外来では発表に注目して質問した。

最後にシンポジウム「緩和ケアの卒然教育」に参加した。することが、いやしなければならないことが多いとため息が出てしまった。
写真は本学会の抄録集の表紙

東京への移動は二日間頑張ったので、できるだけ楽ちんをしようと決めてタクシーで新神戸駅に行き、すき焼き弁当と枝豆、ビールを買い込んで指定席に腰を下ろした。
お土産にKANNONYAのチーズケーキを買ったので、明日はももちゃんちに持っていく。と長男に電話した。他に何かいるか?と聞いたら、果物やマンゴープリンなど一杯リクエストが来た。やれやれ。

2014年6月20日金曜日

第19回日本緩和医療学会学術大会


19回日本緩和医療学会学術大会が神戸で62021日に開催された。19日夕病棟回診出した。一週間前と同様に東京駅に向かい同じのぞみ119号に乗った。今回は駅弁と焼き鳥、ビールを買い込んでの乗車だったので、車中では途中寝ていたようだ。


 
 
 
20日朝早起きして生田神社に近いホテルから山手の方にジョギングをした。異人館はまだ閉まっているが、以前中に入ったので良いことにした。約4.5㎞だったが足の筋肉は大分張ってきた。

部屋に帰るとワールドカップのギリシャ戦が始まっていた。早々にギリシャの選手が退場したので圧倒的に攻めているのだが、最後のスピードアップがなくまったく攻めきれない印象をもった。それでも後半に入るまでTV観戦し大会会場に向かった。着いた頃、00の情報が入った。予選突破にはまだ5%の可能性がある日本代表に頑張って欲しい。
 

招待講演「救急集中治療と緩和ケア」、シンポジウム「サイオンコロジー入門」、ランチョンセミナー「がん疼痛緩和~チーム医療から地域連携へ~」を前列で拝聴する。
ポスターセッションでは、以前一緒に働いた熊本大学の〇武先生の発表とその前後を聞かせてもらった。ポスター会場は満員電車のようだった。



シンポジウム「緩和ケア現場で起こる意見の違い・対立をどう克服するか」では300名くらいのキャパシティーの会場に500名くらい入り、急遽別会場が音声映像を流すように作られた。

大学病院フォーラムでは緩和ケア病棟を持つ4大学とこれから作る予定の山梨大学からの発表があった。緩和ケア病棟は緩和ケアチームにとってはホームグラウンド。せめて緩和ケア病床が欲しい。

 
懇親会では今日一日で8200名が参加したと報告があった。斎藤会長の学会標語「これでいいのだ」の解説もあった。福山市から参加の薬剤師さんや阿蘇温泉病院緩和ケア病棟のスタッフと親しくお話しすることができた。写真は斎藤会長

ホテルに帰って、サッカーの後半戦を観た。スコアレスは分っているのでドキドキすることはなかった。

2014年6月18日水曜日

さようなら「さつき」

学会と西日本区大会の前の月曜日にさつきに行ったら閉まっていた。U野先生は「6月になると時々休むんだよね・・・」と言われたので、さほど気に留めずにいた。17日火曜日、20日からは「さつき」が閉店するという確かな筋からの情報が流れてきた。










早速夜にさつきに行くと、入り口に「諸般の事情により620日をもって閉店いたします・・・」の挨拶が張り出されていた。中に入るとS根先生を始めICUのスタッフの姿があった。既に新潟からの新幹線でおにぎりを食べていたので、やはり経営が難しかったのだろうな??と思いながらビールとキープの焼酎を飲んだ。暫くするとICUの看護師さんたちも仲間に加わった。S根先生は今日も自分ちにお泊りになった。








さつきの「あっちゃん」は「さつき」という名前の女性ではない。ブログ初公開のツーショットを写した。あっちゃんから、みそ汁の作り方や「新宿鮫」も教えてもらった。飲みすぎてそのまま寝込んだ時は、自分が目覚める午前2時過ぎまで本を読みながら待っていてくれた。







あっちゃん握手をして抱擁をした。

木曜は神戸に行くので、水曜と残すは二日間だ。

 
 
 
 
 
 
 

水曜日、U野先生やO原先生と行ったら病棟の看護師さんたちがいた。遅れてK沼先生の駆けつけた。お別れれを告げに勤務を終えた看護師さんたちがやって来た。
こんな店とは二度と出会えないかもしれない。わがままなお客さんでごめんね・・・と思った。来週から外食は何処でしたらいいのだろう??

2014年6月16日月曜日

ウェイさん

ウェイさんは中国の武漢で実業家として活躍している。彼の兄さんが自分の留学時代一緒に研究をした仲間だったのが縁で、彼は22年前熊本に来て熊本YMCAで日本語を学んだ。その時自分の家にしばらくホームステイし、アパートを借りて必要な寝具や台所用品を揃えて移った。アルバイトをしながら勉強に励むウェイさんを見て、感心していた。彼は東京に行き更に勉強をし、武漢に帰っていろいろな事業に挑戦している。





日本での身元保証人になっているので、必要書類を準備した。会うのは3年ぶり。病院の玄関前で待ち合わせして、近くの日本料理屋に行った。仕事のこと、国内国際問題など話すことは多かった。一番大切なのはお互いの家族が元気でいるかということ。わざわざ義母のためにお見舞いまでいただいた。彼の礼儀正しさには頭が下がる。兄さんは米国で心臓外科医として心移植術の仕事を精力的にしているようだ。中国の若手心臓外科医のために米国研修の手助けをしているという。またあと3年後に会えるかな。

2014年6月15日日曜日

ワイズメンズクラブ国際協会西日本区第17回西日本区大会

第17回西日本区大会が岩国市のシンフォニアいわくにで開催されるので、岡山から広島まで新幹線で、広島から岩国まで山陽線で移動した。会場のシンフォニアいわくには岩国駅から歩いて10分弱の距離で近かった。
役員会と続いて開催された代議員会では開会と閉会の祈りを担当した。大きな議案はなく、これまでに十分に討議されていたので円滑に審議が進んだ。昼食の時に「折り鶴ラン」の大野さんが到着するという知らせが入った。汗びっしょりになった大野さんが登場。1月2日~4日の鹿児島中央駅から新水俣駅、5月4日の鹿北町から大野城市まで一緒に走ったことを思い出す。よく頑張ってこられたと感心し労った。写真はお迎えしてくれた高瀬理事の娘さんたち。



室内合奏団の弦楽演奏や小2と小6の姉妹のバイオリン演奏、2台のピアノのための協奏曲などを堪能した。各クラブ会長が入場するバナーセレモニーでもBGMはすべて生演奏で温かい感じを受けた。







熊本むさしクラブの入佐九州部部長、秋吉会長も堂々の入場をしてくださった。










メモリアルタイムでは2月に亡くなられた石田さんの紹介があった。天国で先に逝かれた北村さんと酒を飲みながら我々をきっと見守ってくれていることだろう。









各部の部長報告や各事業主任の事業報告では、上手くスライドショーや動画を組み入れた報告は素晴らしい。中には全くスライドと発表の合わない方もおられたようだ。

懇親会は錦帯橋の近くにある岩国国際観光ホテルで開催された。









チェックイン後錦帯橋と菖蒲園や佐々木小次郎像のあたりを散歩した。
錦帯橋が架かる錦川は水が澄み、川で泳ぐ鮎が見えた。












懇親会では、復活した宮崎クラブの皆さんとテーブルが一緒になった。穴が9つあり見通しが良いといわれる岩国蓮根や鮎料理、岩国にある5つの酒造から提供された日本酒など、食べることや飲むことにはおもてなしの心が溢れていた。
フラダンスチームの演技やトランペット演奏、京太郎さんのパフォーマンスなど参加者を飽きさせない工夫が徹底していた。





午後8時にステージでクリスチャニティー委員会の集合写真を撮る予定だったが、皆忘れているらしく集まらない。仕方なく各テーブルを回って5人揃ったところで写真を写した。後の二人は○枠写真となる。






二次会はBrother Clubの京都みやびクラブの皆さんとホテル1階の喫茶店でビールを飲みながらお話しした。
2日目の15日は早天聖日礼拝に出席した。日本キリスト教団岩国教会の大川清牧師から「真の平和を求めて」と題して説教をいただいた。基地の町岩国で米兵犯罪被害者の会の活動を紹介して「加害者もまた被害者なのです」、「私たちの活動は微力ではありますが無力ではありません」の言葉には強いメッセージが込められている。





各事業主任からの表彰と、理事表彰があった。
EMC最優秀賞は、クラブ拡張とメンバー増員に圧倒的な力を発揮した熊本ひがしクラブが受賞した。最優秀クラブ賞は京都トップスクラブだったが、今年の受賞クラブは全てレベルが高かったと思う。






理事引継ぎ式では毎年感動を受ける。成瀬前理事の突然の逝去によって1年4カ月理事を務められた高瀬理事の頑張りやそれを支えてこられたご家族には感謝申し上げたい。


理事引継ぎ式の司式は今年から、吉本・佐藤ご夫妻が執り行う。吉本さんの挨拶は素晴らしい。








松本新理事の所信表明を拝聴しながら、各メンバーが一つひとつは小さくても各自の持つ賜物を大いに生かして無理せずとも精一杯のことをすれば、組織は大きく動くことを考えさせられた。






 

理事引継ぎ式の後、各部部長と各事業主任の引継ぎ式があった。入佐九州部部長から亀浦部長に引継ぎのバッチが装着された。





閉会式での坂田実行委員長の挨拶は実直で素晴らしかった。
挨拶の後にはスタンディングオベーションが続いた。
こうして今年の大会の幕が下りた。