2011年1月31日月曜日

熊本麻酔学会・新年会と熊本バンド135周年記念早天祈祷会

1月29日(土)は熊本麻酔学会で外来患者さんを他の先生にお願いして行く予定だったが、受け持ち患者さんが急変されたので、午前中は外来診療と病棟での業務に追われた。昼から参加し、若手の発表や新装なったK病院の手術室などを見学させてもらった。
夜は新年会。恩師、大先輩、同期の仲間や若手の先生方と語るのは楽しい。終わったらサッカーアジアカップの決勝を観戦するつもりだったが、足はプラス1に向いていた。そこでアメリカから熊本の会社にきてコンピューター関係の仕事をしている人と隣り合わせになった。調子よく飲んでいたら、眠くなって11時30分過ぎに代行で帰宅。結局サッカーを見ずに寝てしまった。
1月30日(日)は熊本バンド135周年記念早天祈祷会が6時半から花岡山山頂で開催される。丁度娘が倉敷出張で6時15分発の汽車に乗るというので、うちに泊まっていた。6時前に家を出て、熊本駅経由で花岡山に向かった。家人は20年前に一緒に参加したという。と言うことは、自分は20年連続で参加しているのだろうか?同志社大学野本学長の奨励をお聴きしながら、何事にもあきらめず、高い志をもつ生き方をしたいと思った。
一旦自宅に戻り、病院へ入院患者さんを診た後、教会の礼拝に行った。ここでも野本先生のお話を聴くことができた。また病院に戻り実行責任者になっている「実習を伴う緩和ケア研修会」の準備と打ち合わせを行った。1っ週間前、船橋市での2泊3日の指導者研修会で学んだことが早速活かされた。参加くださった皆さんも喜んでくださった。N先生から緩和ケアを勉強したいとの申し出があった。うれしい。

2011年1月25日火曜日

2週連続で学生さんと走る

 今週クリニカルクラークシップで来ているHさんはバトミントン部の所属。先週のS君と一緒だ。今日は大事な会議があったので、18時からの白川沿いコース約5㎞を走った。キロ7分ペースで走ったが全く息も上がらず、さすがだった。
 熊〇医療リハビリテーション学院の講義では、双方向講義を意識して、ざわめき学習も取り入れた。来週は最終講義で2月8日が試験。
 桃ちゃんと会った。東京へは30日に帰るそうだ。ジージを見ても泣かなかったし、伝い歩きを一杯して見せてくれた。高い高いをしたら喜んで笑った。イチゴが好きなようでたくさん食べた。あと何か月かしたら「ジージ」と呼んでくれるだろう。

2011年1月24日月曜日

緩和ケアの基本教育に関する指導者研修会



日本緩和医療学会の緩和ケア指導者研修会受講に船橋市に行った。121日(金)午前845分受付で9時から始まるので、20日(木)の最終便で羽田に向かった。丁度羽田から船橋駅までのバスがあり、ほとんど直通でJR船橋駅前に行けた。熊本空港で出会ったT先生に教えてもらい同行できて感謝。T先生の宿舎は会場のクロスウェーブで自分はビジネスホテル、途中のコンビニで夕食と飲み物を仕入れた。

夕食?夜食?


翌朝6時起床し、南に向かって走った。大きな工場?群を回るように走ったら葛南港があった。研修会には63名の研修生が全国から参加。診療科、年齢も様々。昨年熊本市民病院で受講した内容に加えて、研修会を主催する際のノウハウや双方向講義、ざわめき効果(グループでの話し合い)、ロールプレイを活用した研修などを学ぶ。実にタフな3日間になった。楽しみは、食事。研修施設にしては(失礼)実においしかった。夕食後もプログラムがあり、21時から懇親会というのも嬉しかった。
初対面の研修生と話すのも楽しい。1日目は二次会まで参加、日本対カタール(アジアカップ準々決勝)が1対1までは知っているが、後は楽しく語り合っていた。

2日目は、懇親会の酒が残っており、鎮痛薬を飲んで競馬場方面に向かって走った。約30分で引き揚げ、研修会モードで集中した。3日目に精神科の先生に模擬講義をするという。緩和ケア概論やがん疼痛の評価と治療は以前講義をしたことがあったので、「呼吸困難」の項の模擬講義担当にしてもらった。実際に指導くださったS先生やO先生の実に爽やかな指導ぶりと、研修生の熱心な取り組みに感動した。もっと工夫してわかりやすく伝えたいという本気モードにしてもらえた。2日目の懇親会は精神科の先生方と合流したが、二次会には参加せず、直ぐにベッドに潜り込んだ。

3日目は5時起床。年をとる?と早く寝た分早起きとなる。1日目にH先生が千葉まで走ったと言われていたので千葉街道をひたすら千葉市に向かって走った。往復90分、これで3日間で約20Kmは走ったようだ。午前中は模擬講義、昨日の練習とは別人のように講義をしている仲間たちを見た。皆良く勉強し、自分の物にしていた。自分も頑張ったが、時間配分が難しかった。午後は精神科の先生からBad Newsの伝え方のロールプレイの指導を受けた。最終の60分間の講義では、さすがに疲れて頭はかすんでいた。

修了時アンケートを記入後、終了証書授与。自分のクループ代表のM先生が修了書を企画責任者のTS先生から授与される時、うれしくて涙が出そうだった。いかがでしたか?TS先生からインタビューされた時、「このような研修会は1泊2日ではなく、すべての受講者が2泊3日で受けるべきではないでしょうか・」と答えてしまった。済んだから言えたのだろうが、本当にそう思う。タフだけど・・
この研修会のもう一つのテーマは「おもてなし」家路に向かう我々をファシリテーターの皆さんが全員並んで見送ってくださった。感謝。

飛行機の出発が遅れ、帰宅したのが22時半だった。自分の受け持ち患者さんを3日間も診てないので、月曜は十分時間を取って話し合った。

2011年1月20日木曜日

久しぶりに学生と走る

今週のクリニカルクラークシップの学生はS君。うちの病院のすぐ近くに住んでいるという。昨日は会議で走れなかったが、今日は院内会議に見学という形で残ってもらい、18時過ぎから走った。白川べりの7㎞コース。元気なうちに記念(証拠)写真を撮った。
さすがにバトミントン部員だけあって、軽く走っていた。約40分走り、筋トレ(斜め腕立て伏せと腹筋)まで行った。
明日は最終便で羽田経由船橋へ。1月21日からの2泊3日の緩和ケアの基本教育に関する指導者研修会を受講する。

2011年1月18日火曜日

なるほど

 当直明けの今日は熊〇総合医療リハビリテーション臨床工学科の講義の日。講義中に焼酎のお湯割りとお湯のお湯割りの見分け方を質問した。正解は1月13日のブログにあるようにお湯のお湯割りは湯気が多い。なぜならば温度が高いから・・・のつもりだった。
 ところが質問した同郷のN君はどうやら、対流の動きが見えることを言いたかったようだ。彼の答えを証明すべく、もう一杯のお湯割りを作って写真に写した。
 確かに少しの動きが見えた。写真では判らない。正統なお湯割りは、熱いお湯を先ずコップに注ぎ、次に焼酎を注ぐ。温度の高いお湯が上に上る。すなわち対流が生じる。
 来週講義に行ったら、N君の出席簿に◎をつけよう。
クリニカルクラークシップで来ているS君と5時過ぎから走ろうと準備した。が、17時からの会議を思いだし、急遽キャンセル。ごめんS君。明日か明後日は今日の分まで走ろう!

当直

 病院当直の朝、零下5℃まで冷え込んだ。K校の周りを走り、朝風呂に入り病院に向かった。フロントガラスが汚れていたので、ワイパーできれいにしようと水を出したら、とたんに凍りついて前が見えなくなった。慌てて温風を最大にして溶かした。
 今日からクリニカルクラークシップの学生S君が実習に来てくれた。8時からのカンファレンス3か所に参加し、脳せき髄液圧測定と脳槽シンチのRIをくも膜下腔に入れるところを見学、外来と病棟、手術室でのCVポート造設、17時過ぎに来院してきた一時救急のWalk In患者の診察を見学してもらった。
17時から外来の患者さんの診察と急遽入院になった患者さんの病棟での処置や指示出しなので1時を過ぎた。メールのチェックや返信、ブログを書いていたら2時になった。8時までにあと6時間だが、これから何時間眠れるかが問題。自分のブログへのアクセス数が開設以来12000件を超えたようだ。睡眠時間を少し短くしてでも、ファン??の期待に応えよう。

2011年1月16日日曜日

英気を養う

 朝から桃ちゃんからもらった(長男夫婦がプレゼントしてくれた)手袋をして、約12Km走った。12月1月はは外で食事をする機会が多く、ベスト体重より3Kgも増えた。朝は-2℃で水道管が凍っていた(お湯のほうが)。帰って朝風呂、これが至福の時間、に入った。
 11時から上〇さんのお父様の1周忌の法要に行った。お父様は私にとって、大先輩であるだけでなく、看取らせていただいた患者さんでもあった。1年ぶりにご親族とお会いし、お話をした。
 家に帰ると、桃ちゃんと嫁のAちゃん、娘が来ていた。「ジージにおいで」をしたら桃ちゃんはびっくりして泣いたが、30分もすると慣れてジージのほっぺを触ったり、おなかの上に乗って遊んでくれた。
 散髪に行って、高校の同級生と新年会で会った。日曜の夜なのにわざわざ出水や水俣から熊本まで来てくれた。ビールは乾杯までで、やはり芋のお湯割りになった。3月にも鹿児島と福岡の同級生に呼びかけて会をするという。2次会はショットバーに行って、本物のマルガリータ(ベースはテキーラ)とむさしの想いマルガリータ(ベースは芋焼酎)を飲み比べた。同級生は本当にありがたい存在だ。

2011年1月15日土曜日

地雷廃絶と被害者支援の会・熊本の勉強会

1月15日(土)の夜7時から、ウェルパルで地雷廃絶と被害者支援の会・熊本の勉強会が開催された。元RKKの田〇さんを講師にお迎えし、昨年9月のカンボジアスタディーツアーの報告をお願いした。フォトジャーナリスト安田奈津紀さんが企画したツアーに8名の大学生とともに参加された。タエサン村では元陸上自衛隊(地雷処理専門家)高〇さんの地雷処理作業などを体験、アンコール小児病院で働く赤〇看護師との出会い、などを話していただいた。これらの体験は一緒に参加した熊大生山〇さんのKABで放映された「大学生が見たカンボジア 爆破処理 地雷は今も」の番組で紹介されており、そのDVDも観ることができた。
次回の勉強会は3月19日(土)午後5時からウェルパルで開催。自分が「救命から看取りまで」のタイトルで話す。会場が一杯になればいいなと思う。

2011年1月13日木曜日

運営委員会懇親会

熊本むさしYMCAの運営委員会はいつもは午後7時30分からの開催だが、今日は懇親会をするので午後7時から始めるとの連絡がきた。麻酔科当番の日で緊急手術について入院患者さんを診てカルテ記入をしたら、午後7時を過ぎた。丁度娘に電話をいれたら交通センターに着いたところと言うので、花畑公園でピックアップして家まで送りYMCAに向かった。
午後8時着、既に懇親会場に移動したとのこと。直ぐに会場に行った。運営委員・スタッフの11名の会で、皆さんと親しく話すことができた。当然当番日なのでノンアルコールビールからスタートし、お湯のお湯割りに切り替えた。面白いので、お湯のお湯割りと芋焼酎のお湯割りを並べて写真に写した。違いが直ぐに判った。お湯のお湯割りの方が湯気が多かった。
懇親会で飲まないのは久々だが、肝臓もお休みでほっと一息ついたことだろう。

2011年1月11日火曜日

三連休??

1月8日はまだ年末年始の影響もあり、外来が終了したのが午後3時過ぎで入院患者さんを回診したら修了したのが午後6時過ぎになった。2時間待ってくださった患者さんもおられた。帰って明日からの研修会の準備をした。
9日日曜日、9時40分の日航で大阪へ。空港で大〇さんと会った。大〇さんは初めての研修会なので旅は道連れになった。新大阪駅まで空港リムジンバスで行き、そこから地下鉄御堂筋線で一駅で会場のホテルに着く。新大阪駅の蕎麦屋で「開運祈願そば」を食べた。
ワイズメンズクラブ西日本区の次期役員研修会(9,10日)でクリスチャニティー特別委員会委員長の仕事がある。開会の祈り、キリスト教理解講座、2日目の早天礼拝の司会、閉会の祈りが自分の役割。キリスト教理解講座は、ワイズメンズクラブはキリスト教を基盤とするYMCAとともに社会・地域奉仕をする団体なので、ノンクリスチャンのメンバーが自然体でキリスト教の精神を受け入れてくださるように話をする。 今回の研修会ではノンクリスチャンのメンバーから、チャプレンのメンバーまでを対象に話さねばならなかったので、前半でワイズメンスクラブとクリスチャニティーの話しと聖書の聖句の中で自分の好きな聖句を紹介した。後半では自分の母のこと、自分が洗礼を受けたいきさつや自分の仕事の話をした。ちなみに、ワイズメンズクラブ西日本区のメンバーでクリスチャンは約25%(2004年の調査)。
懇親会では、初めて親しくお話しする方も多く、とても楽しかった。
 10日は4時半に目覚めた。飲みすぎか?頭痛がしたので鎮痛薬を飲んで寝なおし。6時過ぎに起きて、淀川河川敷を約1時間ジョッギングした。日の出は7時20分、良い汗をかいた。
 8時に会場に入り、早天礼拝の奨励を担当くださった江〇さんと、奏楽の奉仕をしてくださった藤〇さんと打ち合わせ、8時10分から早天礼拝をおこなった。
 午後3時過ぎまでの研修会は非常にタフなスケジュールだが、多くの学びを得た。午後6時5分の全日空で熊本へ、病院に寄って入院患者さんを診てから帰った。家には午後10時過ぎに帰り着いた。新大阪駅のユニクロでヒートテックの上下を購入した。着心地が良ければ、もう1,2組買ってこの冬を乗り切りたい。

2011年1月8日土曜日

新年例会

1228日から14日まで自分の外来がなかったので、5日、6日、7日の外来は患者さんが多く、2時間以上待っていただいた患者さんもいた。外来診療の合間に、入院患者さんに会いに行ったり診察したり、記録をつけたりで、大忙しだった。1週間外来を閉じることのしわ寄せは大きい。
 その中日、6日は熊本むさしクラブの新年例会。今回は高橋酒造の那○さんとのぐち酒屋の野○さんに球磨焼酎や日本酒の魅力を語っていただき、数種類の日本酒と球磨焼酎の試飲会となった。
料理も和食で丁度良かった。オークションでは石川県産の大吟醸生酒「手取川720ml瓶と幻の芋焼酎「魔王」一升を僅か○○円でゲットした。例会には土○さんご一家が参加、昨年病気を乗り越えての参加で、皆さんに元気を与えてくださった。
昨年の新年例会ではゲストで参加された元サッカー日本代表上村健一さんから提供されたウインドブレーカーとネックウォーマーをオークションで入手し、それこそ高橋酒造の「白岳」の商標の入ったウインドブレーカーを着て走っている。地元サッカーチームに少しだけ貢献しているのかなと思った。
二次会には10名ほどが集まり、持ち込んだ酒や焼酎を楽しみ、三次会にはラーメンハーフサイズを食べた。四次会??はYMCAの大○さんとショットバーに酔った(寄った)。金曜の診療が殊の外きつかったのは、飲み過ぎたためか??今朝は赤米入りの七草粥をしっかり食べたのに・・

2011年1月5日水曜日

新年を迎えて


熊本では男の子が生まれた年のお正月に破魔矢を飾る習慣がある。桃ちゃんの破魔矢がお目見えした。なかなかの物だ。
患者さんから、新年のお祝いをもらった。不自由な手で「たまにはぶつかりあってもいい 人間はこわれない」と書いてあった。ぶつかると、研ぎ澄まされたり、角が取れて丸くなる。

2011年1月1日土曜日

三社参りと新年のご挨拶

午前7時出発で娘の自宅に走る。途中娘とU太君に出会い、娘を帰す。そして新年三社参りが始まった。昨日からの雪が積もり寒い。
「雪の朝 婿と一緒に 走り初め」
最初は龍田山にある世継宮。急坂の上にあるので、未だ参拝者は少ない。しっかりと家族、親戚、友人、患者さん、病院、麻酔科、Y&Ys'、サッカー関係、KLCC、SON等など、自分が関係している人々や団体の行く末を祈った。外は曇って雪がちらつく。龍田山を下り、子飼商店街を抜け藤崎宮へ。

藤崎宮では例年大勢の参拝者と出会うが、今年は少ない。まだ早い時間だからか。自転車の人が目の前で転んだ。幸い子どもを乗せていなかった。上通りを抜ける時、「アラモート」に寄った。まさかとは思ったが、新本さんと会う。これから初商いに出るという。雪なので遠出はしないと。
熊本稲荷神社の向かいにある、横井小楠の銅像に寄る、そこには地球儀を挟んで話しこむ、勝海舟と坂本龍馬の像もある。
加藤神社は熊本では一番参拝者が多い。が、出足は今からか。加藤神社を出たところで、雲の切れ間に初日を見た。
「午前九時半 雲の切れ間に 初日かな」

京町台を駆け下り、坪井・黒髪を抜け、堀川でU太君に風呂を準備してもらうように電話をさせた。ずいぶん膝が痛むようだが、23㎞の長旅なので、そうだろう。娘がベランダから顔を出してくれていた。健闘を称え、自宅に向かった。
麻生田交差点から、電話をして風呂の追い炊きを頼んだ。10時50分着。約25㎞の走り初めが終わった。
風呂で汗を流し、病院へ。入院中の患者さんに新年の挨拶をした。デジカメは白衣のポケットにあった。
帰って、階段の凍りついた雪をスコップで取り去った。桃ちゃん一家到着。続いて娘夫婦到着。新年の挨拶とお屠蘇、そして会食が始まった。そこでも桃ちゃんが主役を務めた。時々抱っこしたが、泣き出す前に息子に引き継いだ。

皆が帰る頃には睡魔が襲った。しかし22時過ぎに目を覚ましブログをアップする。昨年末にはアクセス数が1万件を超えた。ありがたい。麻酔科の仕事や、YMCA,地雷廃絶運動の広報に役立つと良い。