2012年4月29日日曜日

東京に来て一周年

昨年の4月30日に東京に出てきた。今朝は長男の家で目覚めた。長男はまだ寝ていたが、病院に向かった。ICUと手術室を見て回った。昨夜はオールナイトで手術があったようだ。ご苦労様。
ICUも困難な患者さんの治療が続いている。看護師さんが熱心に患者さんごとの申し送りをしていた。
家に帰り、洗濯3回、ダスキン掃除(明日が回収日)をした。レトルトカレーに昨日作った男のスープでブランチにした。
一年前を思い出し、みっちゃんにメールをした。ひかりちゃんと公園で遊んでいるとの連絡があった。ひかりちゃんの小学校入学祝を兼ねて、食事を一緒にすることになった。話は進み、夕にピックアップしてもらい川越市隣にある日高市のサイボクハムまきばの湯に行くことになった。大型連休中「とこトンまつり」をしているようで、大勢の家族連れでにぎわっていた。この施設は家畜の育種からスタートし、美味しく安全な食肉づくりをしているという。特にハム・ソーセージ工場も施設内にあり、豚尽くのし感がある。例えば「ありがトン!」など。施設内にの着いたのが午後4時過ぎだったので、レストランも空いていた。
先ずは明るいうちにリンゴの花が咲くリンゴ園や、豚は既に疲れて豚舎に引っ込んでいたトントンハウスを見学した。
豚舎の上でポーズをとるひかりちゃん。ありがトン!
レストランサイボグでは豚肉の焼き肉を食べたが、ひかりちゃんはおなか一杯食べると張り切っていた。自分と香〇ちゃんがビールで、みっちゃんは運転するのでウーロン茶、ひかりちゃんはオレンジジュース。
もうこれ以上は・・・のところで、天然温泉「まきばの湯」に移動し、温泉三昧をした。東京の温泉施設にもいくつか行ったそうだが、どうしても熊本と比べると物足らないらしい。この温泉はひけはとらない。温泉から上がり、休息所で休んでいたら、携帯の地震警報が鳴りだした。所沢以北の埼玉は地盤が固いようで、ほとんど揺れなかった。
帰りは助手席でまどろみながら自宅まで送ってもらった。ひかりちゃんありがとう。一番喜んでいたのは「たーさん」だよ。ももちゃんやひなちゃんも連れて行きたいが、豚さんを見て喜ぶか豚肉を食べて喜ぶかはどうなのだろう?

2012年4月28日土曜日

27,28日

27日金曜は二か月目の研修医と食事会を予定していたが、当直、残り番、所用などで集まりが悪く急遽中止した。ICUの中堅?三名を誘ったら、二名が「喜んで・・」との返事だった。
さつきは週末なのに貸切になった。美人を二人も連れて行ったのでマスターは喜んで腕を振るってくれた。
28日は朝から井の頭公園往復ランをした。途中遠回りをして約20Km を楽しんだ。ハナミズキは咲き誇っている。
妙正寺川には、こいのぼりが泳いでいた。
井の頭公園は広く、「俺たちの旅」で若者たちがボート遊びをしていた池も回った。
帰って久々に、圧力鍋で男の料理を作った。少し塩気が足りなかったが、料理の腕は落ちていなかった。
昼から大学に行き、M下先生と実験をした。蛍光色素を変更したために、思わぬ結果が出ている。大発見かもしれないが、チョンボかもしれない。ここが実験の面白いところだろう。
実験が一段落したので、ICUと手術室に行った。I崎先生が、自分の血液を検体にして、実験をしていた。日頃激務なのに休日を利用して研究する態度に感心する。
長男から、恵比寿で焼き鳥を食べようとの誘いのメールがあった。そういった話にはすぐに乗る自分がいた。

2012年4月26日木曜日

スーパーポリクリ

T医科大6年生の4月は、選択した臨床科で1か月間実習する。スーパーポリクリと呼ばれる学生さんの多くは志望する診療科を選ぶので、医局スタッフは熱心に指導し大切にする。
26日の昼食はHホテルのマーブルラウンジを予約していた。U野先生が麻酔に急遽つくことになったので、自分が代役を務めた。すでに昼食を済ませていたが、マーブルラウンジなら別腹機構が働く。K田さんはT医大に残り、K平さんは茨城医療センター、K川君は八王子医療センター、M原君は大学でない研修病院、W邉君はC大などと希望を聞きながら、30数年前を思い出していた。このような代役はいつでもOKだ。
翌27日は最終日、5月からは厳しい国家試験対策の日々を迎える。朝のカンファレンスを終え、U野先生とともに記念写真を写した。何回一緒に飯食いに行ったか覚えとっや??

今年は桜を1か月以上楽しんだ。熊本城の桜も良いが、神田川沿いの桜や新幹線から見る桜もいい。八重桜や枝垂れ桜はソメイヨシノより遅れて咲くので、花見のシーズンは咲いているところを見つければもっと長い。
今週の月火が新潟の満開最期の時期らしい。しかし山間部は未だ雪が残っているのでこれからだろう。
桃園川緑道の花壇にニラ花が咲いているが、この実を少しいただいて庭に蒔くとニラが楽しめるのかもしれない。もう4月の終わるが、上京して一周年を迎える。皆さんに親切にしていただいて、感謝している。依頼原稿のことを思いだし、資料収集と作成にピッチが上がる。
今日の朝も走って病院に行こう。また綺麗な花に出会えるかもしれない。

2012年4月24日火曜日

学生実習に命を懸ける??

月曜の今日、スーパーポリクリの学生さんは3週目に入り、また「新しい5年生のポリクリさん」が実習に入った。クルズスでは眠さををこらえながら必死に自分の講義を聞いている学生さんがいた。はっきり言って、学生さんたちはまじめに勉強していると思う。少なくとも自分が学生の時よりは・・・ 初期研修医も二か月目は仕上げの時期となり、一か月目はそろそろ難しいケースにつくことになる。この時期が一番忙しい。 ICUの呼吸不全の患者さんは、人工呼吸の治療が限界になりECLAの治療に踏み切ることになった。夕からはその導入でバタバタした。
スーパーポリクリのICU担当の3人はラッキーだった。ECLA治療を見学でき、しかも一緒に夕食を食べにさつきに行けたから。 U野先生も途中から合流した。食事がすみ、早く帰るかな・・と思いながら西武新宿線各駅に乗った。気が付いたら萩山駅だった。引き返したら23時を過ぎていた。睡眠時間が取れたから良しとしようと思った。

2012年4月22日日曜日

京都パレスワイズメンズクラブ40+1周年記念例会

京都パレスクラブ40+1周年記念例会に参加した。昨年4月に40周年記念例会が予定されていたが、3.11の東北大震災を受け例会を中止、準備していた基金にメンバーの浄財を加えた500万円以上をYMCAを通して支援のために送ったという。
しかし、メンバーから40年+1年のクラブ活動から多くのことを日本に世界に発信したいという機運が盛り上がり今日の40プラス1周年記念例会に至ったということだった。写真は右から山本第40代会長、森田41代会長と総合司会の大野さん。
自分の役割は、聖書朗読と開会祈祷。実行委員長の為國さんから、元気の出るような聖句を紹介してほしいというリクエストがあったので、イザヤ書40章28~30節 を拝読し心を込めて祈った。
「あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。
主は、とこしえにいます神
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
倦むことなく、疲れることなく
その英知は究めがたい。
疲れた者に力を与え
勢いを失っているものに大きな力を与えられる。
若者も倦み、疲れ、勇士もつまづき倒れようが
主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」
大野元西日本区理事を総合司会に起用し、40及び41代会長が要所を担当する進行。クラブ経験年数毎でのメンバー紹介、一番若手は入会歴一時間(記念例会で入会式をされた)、皆さんの拍手を誘った。メンバーを大切にするパレスクラブの特徴が随所みられた。
同じテーブルには、元西日本区理事の岡本さんご夫妻、森本さん、神谷さん、次次期理事の高瀬さん、元東日本区理事の原さんご夫妻、リーダーシップ開発委員長の藤井さんがおられたので話も弾んだ。写真はパレスクラブメンバー勢揃い。
DBCの京都みやびクラブのメンバーも来ておられたので、挨拶をして記念写真を撮った。写真には神崎京都YMCA総主事と福知山クラブの足立さんもご一緒に記念撮影。会は午後8時までだったが、午後11時には家に着きたいので午後7時20分に失礼した。
第40代会長の山本さん、41代会長の森田さん、何度も電話メールで誘ってくださった人見さん、京都パレスクラブの皆様、おめでとうございます!

2012年4月21日土曜日

麻酔科新人歓迎会

21日、平成24年度麻酔科新人歓迎会が明治記念会館で開催された。今年T医科大学麻酔科には本院6名、八王子医療センター2名の入局者があった。7名は後期研修医として1名は熊本から入局した認定医のT先生だ。
新宿から新宿外苑を経由して会場に歩いて向かった。集合時間は17時半だったが17時には到着した。なかなか素晴らしい会場で、料理も申し分なかった。麻酔科新人のほか、手術室とICUそして臨床工学士の新人さんも加わった。全ての名前を3か月以内に覚える宣言をしたので、メモを片手に勉強している自分がいた。
U野先生が所用で遅れて来られることが分かっていたので、最初の挨拶と乾杯の挨拶を担当した。新入医局員の先生たちやスーパーポリクリの学生さんと会話を交わし、新人看護師軍団に突入した。メモを片手に名前と出身県をチェックした。鹿児島県や宮崎県出身者とは鹿児島弁が使えるのでうれしい。孫と同じ桃ちゃんがいたので多分忘れないと思う。
ほとんど食べずに参加者の中をめぐるのは自分の役目。遅れてU野先生とO原先生が到着された。ご苦労様でした・・・
最後は明治記念館の中庭の芝生の中で記念撮影をした。人数が100名を超えていたので、中心に寝ころび真ん中を中心に写すように写真班に頼んだ。
来年もこのくらいの数の新人を迎えたいと思った。

ももや中華料理屋でマンゴープリンを食べる

20日、ももや一家と家人を連れて恵比寿駅アトレに新規開店した中華レストランに行った。開店記念コースは割安で2名分から注文できる。二人分注文して、あとは一品料理をいくつか追加した。
ももちゃんには、白身魚の料理とエビの入っていない五目チャーハンを頼んだが、本人は納得が出来かねる・・と言った顔をしていた。
しかし写真を撮るときはギュッと目をつぶってポーズをとる。目をつぶった写真は可愛くないので、少し時間をずらしてシャッターをきると、ちゃんとおめめが開いている。
マンゴープリンを頼んだ。ももちゃんがニッコリした。左手でスプーンをつかむとあっという間に食べてしまった。やはりももちゃんは子どもだ!。

2012年4月20日金曜日

第7回ペインクリニック診断研究会

18日、朝の桃園川緑道は八重桜とヤマブキが綺麗だった。もうじきツツジやチューリップが咲き誇る。






スーパーポリクリの実習も3週目に入った。来週からは指導医とマンツーマンの実習になる。U野先生と5名の学生さんを「さつき」に招待した。たまたまデジカメを忘れてたので携帯カメラで撮影。やはりずれていた。次回取り直すのでご免。さんざん食べて飲んだ後、明日は遅れないように病院に来なさいと言い残し、走って帰った。社会人の厳しさを教えるのも教育者として大切。東中野駅の入り口でO澤Nrsと会った。「走っているのですか?」とびっくりしていた。翌19日走って出勤。学生たちは全員朝カンファレンスに集合していた。感心!

19日、第7回ペインクリニック診断研究会が19日赤坂で開催された。整形外科の先生から膝関節に関する疾患の診断についての講演をうかがった。研究会の後の情報交換会では熊本から来たT端先生を、東京でペインクリニックを頑張っておられる先生たちに紹介した。

2012年4月16日月曜日

Y's役員会と熊杏会東京支部総会・講演会・懇親会

4月14,15日と大阪でY's Men's Clubの役員会があり出席した。ない土だったが朝から冷たい雨が降っていたので、病院に置いていたスプリングコートを取りに寄った。品川で貝づくしという弁当を買ったが期待を裏切らなかった。




開会祈祷では急逝された次期役員のIさんの思い出も言及した。 日曜日は朝7時過ぎの新幹線で東京に戻るので礼拝の打ち合わせもきちんと済ませた。 講演会の発表抄録を書き上げてなかったので会議が終了後懇親会開始までロビーのパソコンの前に座っていた。午後10時にはズボンプレッサーにズボンを挟みベッドに潜った。

朝は早く目覚めた。5時過ぎには淀川の堤防や河川敷を走った。朝日が周りをオレンジ色に染めながら昇ってきた。




大阪の桜はこの土日が見ごろのようだった。造幣局の桜は後一週間後が見ごろになるだろうが。






7時過ぎの新幹線で東京に戻った。熊杏会東京支部会総会での講演がある。会場には幹事長のT村先生が新しいパソコンを準備されたがPowerPointが入っておらず、総会準備やダウンロードに大変のようだった。 21名の参加で講演も熱心に聴いて下さった。サッカー部の後輩達三名、同級生のU田先生、学生時代家庭教師をしたY先生などと会えて嬉しかった。

二次会は原宿のスナックに移動した。サッカー部の後輩達が3名加わり賑やかになった。三次会は自分のたっての希望で歌舞伎町のカラオケに行った。耳にタコができるほど聞いているAKB48の歌を歌いたかった。が、難しかった。受け狙いで振り付け付きで歌うには、元マネのM女史の個人授業が必要だろう。カラオケで解散?の予定だったが、緊急手術で来れないはずのW先生から「今から来ます」との連絡があった。新宿駅近くの「しょんべん横丁」の店に入った。我々は昼間から飲んでいたが、W先生はずっと仕事をしていたのだから歓待した。
午後9時過ぎには家に帰った。月曜から家人が熊本からくるので掃除・洗濯を始めた。

2012年4月10日火曜日

本間先生フロストバレーキャンプ殿堂入りを祝う

4月9日、神田川沿いの桜はほぼ満開となった。快晴で風も弱く暖かい。仕事をおいて花見に行きたいほどの気分になる。さて、NYフロストバレーYMCAキャンプで長年働き、日本と米国のYMCAの架け橋としても活躍された本間立夫先生はフロストバレーキャンプ殿堂入り(6人目で日本人としては初めて)と傘寿をお祝いして、もっとも本間先生ご夫妻が帰国されたので親しい友人が集まってお話ししたいのが一番、の昼食会が新宿駅南口近くの中華料理店であった。11時半から2時までの外出許可をリーダーにもらい駆けつけた。
ご夫妻はとてもお元気そうで、大きな声で笑顔で話される本間先生のお話に聞き入った。自分がYMCAやワイズメンズクラブとかかわり合うようになったのは、本間先生ご夫妻いやご一家が頑張っておられたNYフロストバレーYMCAキャンプに子どもたちを参加させたことから始まる。お付き合いを続けていくうちに、YMCAに係るもう一つの人生を楽しむことができた。写真は本間立夫先生。
恵美子先生もお元気で、隣に座ったが餃子をいくつももらった。
参加者の皆さんのお話がお上手でもっと聞きたかったが、午後からの患者さんの入室があるので走って帰った。しかし間に合わず既に麻酔導入が済んでいた。反省。写真は本間恵美子先生と。

2012年4月9日月曜日

相馬市訪問

4月7日Mさんの紹介で、相馬市のNさん宅を訪れた。満月が大きく西の空に輝き、Nさん宅に近づくと右手に広大な空き地?が見えた。昨年の3.11黒い大きな津波が押し寄せその空き地を埋め尽くしたという。Nさん宅の玄関先まで海水が来たとのこと。空き地側の道路には車や瓦礫が流れ着いたそうだ。熊本の松〇さんから送っていただいたナスとキャベツの御すそ分けと新潟で入手した日本酒・お菓子を手土産に持って行ったが、結局日本酒は自分の胃袋に消えて行った。
Nさんの手料理はまさに相馬のおふくろさんの味がした。相馬は漁業と観光(小松島)の地だそうだが、津波と原発事故の影響で漁ができなくなったとのこと、「本当は地元の魚を出してあげたかったんだけど・・・」と言われて、恐縮した。
8日は5時過ぎに起き、海岸の方に歩いた。恐らく津波が到達したであろうあたりのガードレールが曲がっていた。朝食後、Mさんの案内で相馬の海岸線に向かった。
堤防が壊れ一面の更地に家屋の土台だけが集落があったことをうかがわせる。Mさんは大きくため息をつき涙ぐんでおられた。子どもの時遊んだ砂浜や住んでいた集落は変わり果てていたから。


写真は破壊された堤防。





南相馬に向かった。途中検問所があり進入禁止になっていた。


広大な更地の中に瓦礫の山が幾つもあった。

多数の車が置いてある場所があった。その多くが激しい衝撃を受けた痕があった。あの日から車には〇や×の印しが付いていたことを教えてもらった。

相馬港の堤防に打ち上げられたら漁船があった。漁港や水産加工業の復興には大きなエネルギーと時間を要する。

相馬市会議員のKさんを紹介していただいた。kさんは昨年11月延期されていた選挙で当選した一年生議員。相馬の子ども達に負の遺産だけを残せない!と立候補を決意したという。地域起こしのアイデアを提案し実現に向け動き出したプロジェクトをいくつも持つ。信じられないような行動力と頭の回転があり、語る言葉に情熱と愛情を感じた。名刺を交換した。イメージキャラクターはウルトラマンいやウーマン。「3分では帰りません」と但し書きがあった。

まだ自分たちには住める土地や家がある。元に戻すより発展させたいと夢をを語り実現せようとする。津波の被害を受けた東北四県の海岸沿い八十八箇所の名所を巡る東北お遍路構想は動き出している。このようなリーダーを育てて欲しい。 
東北自動車を走り安達太良山パーキングに入った。福島の人々の中にはこの山を見ると帰って着たと実感する人もいるという。日が沈み薄暗くなってきたが写真に収めた。

2012年4月6日金曜日

U野先生お帰りなさい

朝はiPodランニングでスタート。神田川沿いの桜は昨日よりも満開に近づいていた。写真は神田川沿いの桜で中野坂下付近。一週間のヨーロッパ出張からU野先生が帰ってこられた。早速学生へのクルズスや口頭試問を担当された。このタフさには感心する。今日はリーダーではないが胆嚢の先生のお子さんが小学校の入学式なので午前中リーダー代行になった。昨夜からオールナイトで手術が行われており、当直医から今日の急患担当医への引継ぎ、一斉に始まる麻酔導入など8時から10時代までは大忙しだった。
火曜日の麻酔症例への担当医を割り振り、昼食を取ったのちK中央病院に行った。
恵比寿駅に着き、病院まで速歩・ジョッギング。恵比寿南公園の桜は見ごろの八分咲きでブルーシートが敷かれ、すでに花見を始めているグループもあった。写真は恵比寿南公園の桜
T中央病院では、M先生やO澤先生たちに迎えていただき、手術室やICUを見学させていただいた。院長先生にもご挨拶をさせていただいた。初期研修医で麻酔科に来ているM角先生は鹿児島の出身という。M角先生を確保して久々に鹿児島弁で術中EtCO2の変化に関することや、自発呼吸と人工呼吸の違いなどを話していた。
T中央病院は恵比寿ガーデンプレイスの山手線をはさんだ向い側、絶好のローケーション。もちろんレストラン、居酒屋さんなども選り取り見取り。ということで、JR恵比寿駅近くの「あ〇か亭」に場所を移し、懇親会となった。M先生は緊急手術があり涙の欠席。
O澤先生、〇角先生、新〇先生と自分の4名だったが、お互い出身大学が異なるので話しも面白かった。症例検討会などもできるようになると良いなと思った。

2012年4月5日木曜日

桜、茄子・キャベツ、相馬

通勤の桃園緑道沿いに中野区立塔山小学校がある。そこの桜は7分咲きのようだ。神田川沿いにも桜の木が植えてあるが未だ二分咲き、今週末から来週にかけて見頃になるだろう。



留守中に宅急便が来ていたので、再配達を今日の夜にお願いした。すると、熊本の松〇さんから茄子とキャベツがひと箱ずつ届いた。早速料理にとりかかった。茄子は剥いて縦長に切り、シリコンスチーマーにいれ、にんにくのスライスと味噌を乗せた。電子レンジで3分後、鰹節と醤油をかけた。キャベツ、茄子、トマト、ジャガイモをざっくり切って、圧力釜に入れ水と塩コショウをかけた。しっかり煮込んで味わい深い野菜スープとなった。豚肉をオリーブ油で炒め、野菜とくにキャベツの千切りと炒めた。卵を溶いて加えた。ソフトチーズに玉ねぎのみじん切りを混ぜて、ポテトチップスに乗せて食べた。今日もプロ(自分のことではあるが)の味を楽しんだ。
土日相馬市に行くことになった。日曜日は相馬市会議員のNさんとお会いする。相馬の再生を願い頑張っている方だ。T医科大学は大震災発生後相馬の医療支援を担当していたが、自分が赴任した後しばらくして終了した。相馬に行き、日本人として何ができるのかを自分自身に問いかけてみたい。

2012年4月4日水曜日

爆弾低気圧

「爆発的に発達する」ことから名付けられたとされる温帯低気圧。一般的に北緯60度付近では中心気圧が24時間で24ヘクトパスカル以上、北緯40度付近では18ヘクトパスカル以上発達するものを指す。気象庁は気象用語として使用していない。用語新設も検討されたが、「『爆弾』という表現は不快感を与える」との理由で見送られたという。以上は毎日新聞4月3日から引用
爆弾低気圧の接近通過の予報があったので新潟から早めに帰った。三条市の雪はほとんど解けていたが、山に近づくと雪が積もっている。上越新幹線は風に強いそうだ。トンネルがおおいからだろうか? 東京駅や新宿駅は午後4時半~5時半は非常に混み合っており、運転を見合わせている電車もあった。 写真は長岡市から雪山を望む。
病院に戻り、明日の手術症例のチェックをした。会議は暴風雨のために延期になっていた。折角二組の着替えを持ち込んでいたので、泊まることにした。デパ地下で購入した生春巻きレトルトチャーハンが夕食になった。O原先生、K沼先生、S根が加わった。K沼先生が帰ると、いつの間にかお泊りモードとなった。久しぶりにソファーベッドの上に寝袋を敷き、もぐりこんでいた。
翌朝、台風一過の快晴。6時過ぎから起き出し、シャワーを浴びたりICUの患者さんを診たりしていた。4月から水曜日の手術室リーダーになったが今日が水曜日。一日中目の回るような忙しさだった。朝予定されていたU野先生のスーパーポリクリへのスカイプ授業は、オランダのインターネット環境が悪く中止。急遽自分のクルズスに変更にした。ここでも学生さんたちの瞳の輝いている「(朝なので眠っている学生はいなかった)のに感激した。写真はスーパーポリクリの学生さん。麻酔科を選択しただけに、皆熱心で賢い! (中略) 
もう午後9時なのに予定手術が2件残っているし、あと2件の緊急手術申し込みがある。手術室も爆弾低気圧のような日だった。病院から一歩も出ていないのに6500歩歩いていた。