2009年3月30日月曜日

アヤメ、水仙、シャガ

うちの庭に咲いている白い花。調べたら「シャガ」という花。アヤメ、水仙、花菖蒲、アイリスと混同しそうなのでこの際勉強しておこう。







水仙と思うのだが、もう少し中の黄色がはっきりしても良い気がする。







これはアヤメと思う。
後数日のうちに訂正があれば、ちゃんとしとこう。
花オンチは未だ続いている。

2009年3月29日日曜日

熊本城と熊本ヤングクラブ設立総会

日曜で色んな予定を立てていた。が、日曜でないと片付かない仕事が山積してきた。八代・日奈久を走ることは3ヶ月前から予定を入れていたが・・・。心を入れ替え、病院へ9時から時間をかけて入院患者さんとの面接と溜まったカルテの整理を始めた。13時過ぎまでかかった・・・
 白川沿いの桜は満開。今日は最高の花見日和だ。

 遅れてワイズの九州部評議会へいったが、再び病院に舞い戻った。やり残した仕事があった。熊本ヤングクラブの設立総会まで時間があるので病院からYMCAまで熊本城経由で歩いていった。熊本城駐車場に向かう車で渋滞し、御幸坂は人で一杯だった。また坪井川には遊覧船がお目見えしていた。
 熊本ヤングクラブは20歳から35歳までの若者で結成された。ワイズメンスクラブメンバーの子弟とその友達が主体だ。会長のI君 は小さい時からよく知っている。副会長のYさんは職場の同僚、書記のAさんはむさしクうラブのメンバーのお嬢さん。ドライバー委員長のTさんもこんな小さい時からの知り合い。Kさんちのお嬢さん、KNさんちのご兄妹、そして自分の子どもたちはいなかった。
 堂々とした会長の決意表明を聞きながら、志の高さを感じた。

2009年3月28日土曜日

手術室送別会とKLCC総会

 3月27日手術室送別会。麻酔科のG先生、外科のI先生とT先生、そして研修医の皆さん。スタッフの高〇主任とMさんこれまでご苦労様でした。皆さんも働きは忘れません。一次会ではしっかりしていたが、酔っぱらい始めた一次会終了直後、武〇影の師長の英断により代行で強制帰還となった。

 28日はKLCC(地雷廃絶と被害者支援の会・熊本)の総会。約180名の会員はいるが委任状と出席者で過半数を超え、無事に総会が始った。結成されてはや10年が経過する。凄いことをやってきたと思う。代表の最相さんを中心に、奥田歯科(月出)の奥田さん私と佐〇さんが副代表として支えている(口を出している)。マドンナだった千〇さんは若きリーダーに育った。存在感のあるSさんとUさん、今日来てくれた若いパワーが会を引っ張る・・・というところで記念写真。

2009年3月26日木曜日

緩和ケア病棟送別会・激励会



 朝通勤する時、K高の横を通って桜を写した。満開だった。今日は21時以降の運勢に気をつけるようにと何かに書いてあったらしい。
 今日は二回目の緩和ケア外来担当。4名の患者さんのご家族と面接した。4名共に入院予約となった。
 G先生が8年間の緩和ケア病棟医長としての勤務を終え、在宅診療を専門に開業することになった。今夜のG先生の送別会・激励会には、現在のスタッフの他に、ボランティアの皆さん、元スタッフ、在宅支援の皆さんの参加があった。場所は緩和ケア病棟の忘年会などでよく利用させていただいているちゃんこ久光。

 参加した皆さんに一人一人から激励の言葉、思い出話などが披露された。G先生は、これからは経営者としての仕事もあるが、在宅医療・緩和ケアの先駆者として頑張って欲しい。うちの緩和ケア病棟の患者さんが在宅に移られるときには、是非在宅担当医としてお願いしたいと思っている。
写真は会場の模様。記念品(高級壁掛け時計)と花束はボランティアさんから手渡された。

2009年3月25日水曜日

外来送別会


 熊本市の救急医療に関する話し合いが県庁で行われた。会議に出席後外来の送別会に遅ればせながら参加した。幹事の努力もあり、OBOGもたくさん参加して大変素晴らしい送別会になった。
今〇薬剤師は送別マジックで皆を盛り上げた。
今回の主役はN看護主任とI看護師。二人とも素晴らしい働きで外来(救急・紹介外来)の質を高め頑張ってくれた。
幹事の3人のナースが二人のためにパワーポイントで思い出の写真集を作ってくれた。その一枚にわたしのメッセージも写っていた。
最後に全員で記念写真。きっと二人とも元気で次の人生に向かうことだろう。

2009年3月24日火曜日

WBC

庭にムラサキダイコンとスズラン水仙の花が咲いた。桜だけに目を奪われていると、庭の小さな花々を見逃してしまう。
昨年は全く忘れていた。



 さて、WBCとはWhite Blood Cell(白血球)ではなく、World Baseball Classicのこと。今しがた最後のバッターをダルビッシュが三振に討ち取り、二連覇を果たした瞬間を観た。日本と韓国のチーム力は拮抗していた。お互いが尊敬しあいながら切磋琢磨していけばアジア王者がWBCを連覇していくことだろう。侍Japanにチームとしての品格を感じた。

 さて今日は病院歓送迎会がホテル日航熊本であった。緩和ケア病棟医長として8年間病院の緩和ケアの基礎を作り発展させてくれたG先生の送別会でもある。自分にとっては右手を捥がれるほど辛いが新しい人生のためだから緩和ケア病棟のレベルを落とすことの無いように頑張らなければならない。




 研修医の5名もそれぞれの研修先に戻る。良く頑張った。評価は高い。







 外来のナースやK先生が集まったので記念写真を撮った。この後、緩和ケア病棟に戻って1ヶ月診ていた患者さんを看取った。

2009年3月22日日曜日

遅れてアップ

3月8日付けの次期会長・主査研修会を2週間ぶりに完成の運びとなりました。今日開催された東京マラソン抽選に当たらずに良かった!
 負け惜しみ・・・

2009年3月21日土曜日

高校同窓会と花見

3月20日鹿児島県立鶴丸高等学校22回卒業に同窓会が水俣湯児温泉三笠屋で行われた。水俣のM工業高校で校長をしている原〇氏や丸〇氏と村〇氏が幹事なっての開催だ。20日は9時から病院に出ていたので15時53分発の熊本駅発リレーつばめで行くことにした。が、リレーつばめは14分遅れ。新水俣駅には17時前に到着し、トイレで着替えて湯児温泉目指して走りはじめた。水俣の山々の緑の中に桜色がぽつぽつと鮮やかに浮き出ていた。

たんたん峠を越え水俣湾と湯野児温泉を望むが、海岸側では桜は未だ数分咲きだった。




17時30分過ぎに到着。18時からの同窓会開始の予定を送ってもらっていたので、温泉で汗を流してから・・と思っていたが、皆さんの到着が予定より早く、17時30分からスタートしていた。旅館に到着したら、会は既に始っているとの情報、走ってきた格好で同窓会に乱入?した。丁度女将の挨拶中で申し訳なかったが、走ってきたアッピールができた。19名の参加で、高校時代のマドンナ2名も参加してくれた。参加した皆さんと一巡話したが、当直やジョギングの疲れが出たのだろう一次会で部屋に帰り寝てしまった。
 目覚めたのは翌朝の5時前だった。6時からの温泉に入りあがったら、福岡から参加された中〇氏が丁度入ってこられた。6時30分にタクシーを予約していたが、朝食は7時からなので、結局朝食は熊本駅で買った出来立てパンになった。新水俣駅ではM工業高校の作品展や地域奉仕活動の新聞記事が掲示してあった。原〇氏も頑張っている・・と思った。

 21日の土曜日は外来患者さんが多く、14時過ぎまで外来診療を続けた。入院患者さんの診療を済ませ16時から花見の「はしご」に出発した。
 先ずは白川縁から。咲いているが未だ満開には程遠い桜とまだまだの桜がある。
次に花岡山へ駆け上がった。熊本バンド奉教の碑前で、寄贈された松と桜を撮影した。花岡山も熊本では桜の名所。何組かの花見みのグループが来ていた。




花岡山から新町に降り、YMCAから藤崎台球場横から熊本市博物館に行く。博物館前の桜が一番満開に近い桜だったので撮影した。





 熊本城に向かう。二の丸公園で2Gさんと出あった。故障も癒え元気にトレーニングに励んでいた。多くの花見のグループの横を走ったが、どのグループからも呼びかけなし、お誘いなしだった。期待して走ったわけではないから良いか・・・

2009年3月19日木曜日

リラックスした夜と仕事に生きる夜

3月18日は佐○さんの送別会。にしクラブとむさしクラブの有志が集まり、新土河原の「さくら」一大送別会になった。ITプロフェッショナルの佐〇さんが東京に行ってしまうのは寂しいが、ひかりちゃんや奥さんとの新しい生活を先ず祝ってあげたいと思う。
皆で32Gのメモリーを記念品として贈った。ビール、日本酒、焼酎と飲んでいたら、ずい分気が大きくなって資産運用の話しで盛り上がった。翌朝意気揚々と家人に話したら、 現実を見るように諭された・・・


 
 3月19日手術室での仕事、緩和ケア外来での仕事、大学にいって県のがん緩和医療部会での会議、緩和ケア病棟入院患者さん御家族との話し合い・・を済ませ、19時過ぎに熊本YMCAの会議に行った。予め電話をして弁当を確保してもらった。協議事項が済み報告事項に移ったところで携帯のバイブ(マナーモード)が着信を伝えた。外科のM先生からで緊急手術をしたいと言う。再び仕事モードに切り替えて、会議を中途退席し病院に向かった。
 患者さん診察と麻酔の説明をし、手術室で看護師さんと打ち合わせをする。麻酔科研修医も気合を入れて準備。21時50分手術室に迎えた。そして翌朝2時前に手術終了。手術室から集中治療室に戻ったのが3時前だった。患者さんはしっかり目覚めご家族と会話ができた。プロの仕事ができた。

終わってM先生が飲み物を差し入れしてくれた。サッカー部の後輩はすばらしい!
も少し手術が早く済むと良かったのだが・・

帰宅して4時過ぎに寝たが、8時に起きて病院へ。研修医は病院に泊まって既に患者さんを診ていた。凄い研修医だ。指導医は私だが・・

2009年3月17日火曜日

当直

月曜日の当直は医局勉強会の弁当がつくので当直夕食に加えてリッチな気分になれる。
 18時過ぎに咽頭痛・発熱の飛び込み患者さん。インフルエンザはB型がまだ流行っている。この患者さんはインフルエンザではなかったが。
 バタバタしていたら、医局に差し入れあり。お茶とスープ麺だった。きっと女神様みたいに優しい方からの差し入れに違いない。Yahoo プレミアム会員登録したので、音楽を聴きながら論文を書き始めた。
 下腹部痛の70歳代女性の患者さん。圧痛が強い。お腹が張ってガスが溜まっている。レントゲン写真でイレウス(腸閉塞)と診断、CTで閉鎖孔ヘルニアカントンと診断し外科医に連絡した。今日の午前中には手術できるように術前の準備を進め県外の家族に連絡を取った。
 救急隊からのホットライン。酒場で泥酔した若者が運ばれてきた。全身びっしょり(吐物、おしっこ?)ビニールの袋でくるまれている。保温に気を使かい搬送してきたことがわかる。点滴開始して、全身清拭して着替えさせた・・・一緒に飲んでいた友人は心配していたが、母親がやってきたら帰宅した。この若者の意識が戻るのは8~9時頃か? (7時に目覚め帰るという。しっかり説教をされた後帰宅。説教する方も、自分に説教していたが・・・)
 今夜も論文書きが一日延ばしになった。そう言えば、今日から送別会の連荘が始る。2時半過ぎた、少しでも眠らなければ。朝から3例の麻酔が控えている。
 6時過ぎホットライン。下血の80歳代女性・・・今日も一日が始った。

2009年3月15日日曜日

今日は麻酔科当番の日、朝から病院に行きICU、PCUの患者さんを診回った。教会礼拝に久しぶりに参加した。医学生のOさんは今年卒業して関西の病院で研修をうけるという。お別れの色紙には彼女が多分一番望んでいる言葉「合格!」と書いてあげた。


聖歌隊の皆さんとの記念写真には、今だけ聖歌隊となって加わった。


もう一度病院に行ったら、月曜日に退院した患者さんが救急外来に来られたので、ちょうどのタイミングで診察治療ができた。知り合いの患者さんが二人入院されているのでお見舞いに行った。一人は今朝亡くなられていた。毎日部屋を訪れていたので悲しくなった。一人の患者さんとは、暫くお話しをした。早く元気になってね・・と励ました。
友人から紹介された土地を見に行ったり、スーパーでの買い物の後、久しぶりにK高の周りを走った。 桜は数輪が咲いているだけだったがつぼみ(お花予備軍)がたくさん控えていた。明日からだいぶ暖かくなるので今週中には見ごろになるだろう。

苺の白い花や、ホトケノザの紫の花を 見つけた。小走りができるようになったが、明日は当直。二日間は禁酒なので肝臓も喜んでくれるだろう。

「肝臓を 守っておくれ 春ウコン」



2009年3月14日土曜日

木金土三連チャン

木曜日、うちで実習をしていた救急救命士のMさんが無事30例の実習を終えた。今日はお祝い会をした。病院真向かいの「とり家」で会食の後、プラス1でカラオケ送別会に移った。今日から3日連続懇親会などが続く。
 写真は修了書を受けたMさん。麻酔科スタッフとの記念写真
金曜日、出動協力医総会がKKRで開催された。うちの病院は熊本方式といって、熊本市から委託された休日夜間一次救急医療を医師会員、大学病院の勤務医、常勤医が三位一体で実施している。長年協力いただいている会員の皆さんの代表が表彰を受けられていた。常勤医は二次患者さんへの対応と、救急車から直接かかってくる電話(ホットライン)への対応を担当しているので当直の時はかなりハードだ。
 KKRのロビーに飾ってあったお雛様を写した。
 土曜日、朝のカンファレンスと入院患者さんの診察を終え、K看護副部長とI薬剤師を車に乗せて日本医療マネジメント学会第11回熊本支部学会が開催されるに人吉カルチャーパレスに向かった。この日は寒く、人吉に近づくとミゾレが降っていた。ランチョンセミナーでは済生会病院のM先生による「医療における新規事業のあり方」について学んだ。医療経営に詳しい方とは知っていたが、その情熱を目の当たりにして目からウロコの感を持った。自分の発表は「ホットラインを稼動して」と題して熊本地域医療センターで始ったホットラインの現状と常勤医への負担状況について紹介した。シンポジウムでは「チーム・病院・地域の分担と連携モデル」と題して5名の演者が発表されたが、Y総合病院の改革と建て直しをされたS先生の発表を聴きながら、職員の意欲を先ず高めることの大切さ「医療連携は院内連携から」を改めて学んだ。埼玉済生会栗橋病院のH先生の特別講演「医療崩壊はこうすれば防げる!」では、予算の裏づけも無いまま医療の質が守られているのは医療従事者の献身的な働きがあるからと改めて実感した。懇親会では懐かしい先生たちと話すことができた。皆さん苦労されている。アルコールは口にせずウーロン茶とお湯のお湯割りをのんだ。朝連れてきた二人に加え、〇下先生をお連れして熊本に帰った。
 病院では緊急手術をしていたが、電話で励まし、サッカー部追い出しコンパの二次会に馳せ参じた。もう直ぐ医師国家試験の発表があるが、全員合格して欲しい。二次会ではもちろんビール、ワイン、焼酎を飲み、学生2人を連れて3次会に行った。帰りは当然ながら3日連続代行となった。そう言えば私はK代行の優良会員だと思う。

2009年3月11日水曜日

雪柳

数日来右のヒザボン(膝蓋骨)が痛く、階段の昇降が辛い。走るというよりも歩行訓練をするので、春の花を楽しむ。坂道の横に白い花が咲いていた。柳のように揺れていた雪柳、日曜までにはジョギング復活をしたいと思った。
「 ヒザボンの 痛みを癒せ 雪柳」

2009年3月8日日曜日

次期会長主査研修会

 ワイズメンズクラブ西日本区に次期会長主査研修会が3月7,8日大阪で開催された。さて7日朝のカンファレンス出席後入院患者さんを診てから空港に行こうとしたら、時間が過ぎ9時20分出発便なのに病院を出たのが8時45分だった。空港まで車で30分かかるので既に搭乗を締め切った後に空港に着くことになる。一緒に行く仲間に一便遅れるかもしれないと電話した。ところが、土曜日ということもあろうか?信号機の運も良く、とはいっても途中スピードがかなり出ていたようだったが・・9時15分空港駐車場から建物に走って飛び込んだ。ANAの職員の方が、田○さんですか?との問い。そうですと答えたら、急いでいきましょうと機内まで連れて行ってくれた。仲間がもうそこに来ているので乗せてくださいと頼んでくれたのだった。感謝。しかしデジカメに電池を入れていないことに気づいた。
 新大阪駅で昼食を食べ、会場へ。13時10分からの開講式の祈祷に十分間に合った。今回の役割は開講式での開講の祈り、キリスト教理解レクチャーA(ノンクリスチャン・初心者向け)の講師と聖日礼拝での奨励。開講式まで時間があったので、2ヶ月ぶりに会う西日本区の役員の皆さんや久しぶりに会う西日本各地の皆さんと言葉を交わした。開講の祈り担当なので佐〇理事と二人貴賓席?に座った。2日間の研修会で次期会長次期主任としての学びが深まるように、そしてこの研修会のために奉仕してくさらる皆さんへの感謝を祈った。
 ワイズ読本という、ワイズメン活動の指針となる論文を収録した本がある。ワイズ読本から学ぶクリスチャニティー、および聖書から学ぶワイズメンの理想主義について学びを深めた。イントロでは自己紹介も交え、笑いを誘った。2005年7月の統計ではワイズの約24.6%がクリスチャンである。ノンクリスチャンの皆さんにワイズメンズクラブ・YMCAのバックボーンであるキリスト教精神を理解していただくのが目的のレクチャーなので、宗教の押し付けにならないように、キリスト教という西洋文化の理解に繋がるように配慮した。参加者から後ほど「目からウロコ」だったとの感想をいただいたが、この言葉も聖書から伝わった言葉だ。
 九州部各クラブ会長と部長との懇談会では鋭い質問が飛び交っていた。次期九州部長にとっては辛い時間帯だったようだが、この時間帯を経ることで次期の準備は飛躍的に進む。





研修会で何が楽しいかといえば懇親会。私はEMC(会員を増強しましょう)とCE(クリスチャニティー特別委員会)にテーブルん着いた。それにしても皆良く飲む。
九州部各クラブ次期会長のテーブルも盛り上がっていたようだ。


 6月の西日本区大会や熊本にしクラブチャーターナイトの宣伝もしっかり行ってきた。




直前クリスチャニティー特別委員会委員長の長〇さんご夫妻が名古屋から駆けつけてくださった。事情があり明日の聖日早朝礼拝の奨励を長〇さんに行っていただくことになった。長〇さんとの打ち合わせもあり、いつものように酔っぱらってしまうわけには行かない。緊張していたのだろうか?遅れて会場に疲れた10時過ぎまで実にしっかりして起きていた。
 翌朝早起きして十三方面に走った。大阪の小さな商店街(未だ閉まっていたが)を数箇所走りながら観察した。礼拝に行こうと荷物をまとめていて気付いた!車の鍵が無い。しかし礼拝はもう直ぐ始る。
 奨励では私が少しはなしをした後、長〇さんに交代した。長〇さんの命がけの奨励は参加者の胸に届いたことだろう。献金感謝で村〇次期会長の祈りの中に、長〇さんへの労わりの言葉があった。思わず涙が出た。礼拝に和歌山の永〇さんがご夫婦で駆けつけてくださった。礼終了後吉本にお連れすると言う。祈りと笑い、ヨーグルトとヤクルトは免疫力を高める。笑って送り出した。
 さて、車の鍵だ。フロントに行き鍵の落し物は無かったかどうか尋ねた。ない。丁度部屋掃除の頃だとのことでお願いして部屋の戻った。ベッドの下まで見たが無い・・・家人に空港まで迎えに来るようにお願いしたが・・笑顔??が見える。あきらめかけた時、服をかけていた場所の床に丁度少し開いたドアで隠れるようにして落ちている鍵を見つけた!!
 昨日搭乗時間までに空港についていなかった罰かな・・と思ったりしたが、日ごろの行いで守られていたようだ。