2011年3月29日火曜日

花見

29日午後5時20分から6時45分まで、白川沿い堤防桜並木、花岡山、熊本城の3か所花見をした。入院患者さんに桜の名所を写真に撮って届ける。あいにく雨だったが、ひるまず帽子をかぶって出発した。この花見は、桜の名所3ヶ所をまわるジョッギングのこと。
白川沿いは未だ5分咲きか、体が温まるまでは寒さを我慢してのジョッギング。
花岡山は7分咲きの桜も多く、今週末には満開か。途中枝垂れ桜もあったが、まだ木自体が小さいのでパッとしない。
熊本城二の丸公園で雨の中花見?をしているグループが3グループいた。何という・・と思ったが、向こうも雨の中走っている自分を見て、呆れたことだろう。
病院でシャワーを浴び、午後7時からの会議に出席、済んでから病棟の患者さんに桜便りを早速してきた。とても喜んでくれた。
 その前日は、ジャズピアニストのNさんから、夫婦で会食に招待された。以前はサン・アントニオ市に住んでおられた。国際交流委員としてサン・アントニオに行き来するようになり、親しくさせていただいている。食事のあと、ピアノ演奏もしてくださった。感謝。

2011年3月27日日曜日

痛飲

 25日は病院の歓送迎会、3月末で退職・転勤される職員と4月から採用になる職員のための会である。院長先生が定年退職されるので感慨も大きい。自分は4月末での退職なので主役ではないが、それでも多くの職員が別れを惜しんでくれた。
外来の送別会に医師会の代議員会と重なり出席できなかったので、外来のスタッフらと2次会に行った。思い出話は尽きず、3次会は「なごみ屋」さんでラーメン。代行を呼んだのが0時15分(携帯の記録確認)だったが、朝寒くて目が覚めた。パジャマに着替えて電気炬燵に潜り込んだのだが、電気をつけるのを忘れていた。1週間前に寝袋を買ったが、必需品になるだろう。
 26日は午後から市の医師会館・看護学校の竣工式に参加した。立派な会館と学校ができた。後は魂を入れなければならない。素晴らしい看護師さんが巣立つのだが、その多くが医師会病院・会員の医療施設以外に就職するのが悔しい。
 

サッカー部の卒業生追い出しコンパ。楽しみは卒業生の挨拶、年々上手になっている。E部長が自分のことも紹介してくださったので、自分の卒業生に贈った言葉は「情熱をもって誠意を尽くして仕事に向かっていれば必ず報われる。人生何が起こるかわからない・・・」。今年の卒業生は全員国家試験合格!素晴らしい!二次会では若手(自分より)のOBたちとも大いに語った。卒業するY君と二人で小料理屋の「月」に行ったが、やはり痛飲していた。
 27日は、病院・教会礼拝後、鶴屋でワイシャツを仕立て・購入ついでにケーキを買った。上通りでは震災の募金をしていたので協力。家に帰って、家人と大掃除。あきれるほど不要なものをため込んでいる。娘夫婦が夕方来てくれたのでケーキとお茶で良い時間を持てた。1ヶ月以内に家をきれいにしなければならない。宝くじは300円が2枚当っていた。

2011年3月23日水曜日

帰省

3月20日~22日まで鹿児島と種子島に帰省した。20日教会礼拝後に鹿児島の家人の実家へ。家人の実家があるので家人の父母と夕食を共にした。
家人が母に携帯電話をプレゼントし、一生懸命に使用法を教えていた。久々に焼肉を食べたが、義父は良く食べ良く飲まれたので一先ず安心。
21日朝、6時前から約30分のジョギングをし朝シャワー。8時の高速艇で種子島に向かった。種子島は雨。先ずは家の掃除をみっちりし、「鶴瓶の家族に乾杯」で紹介されたことのある「風車」で昼食(トビウオ定食)を摂った。ご無沙汰している親戚や、家の管理をお願いしている方への挨拶をして墓参りに行ったが、雨が激しくなったので掃除は延期した。
夕食は、幼馴染のJ君と家人と3人で「味処井元」でいただいた。J君は昨年東京からUターンし広告関係の仕事をしている。高校の同級生で東京在住のH君に電話をした。彼も同郷だ。種子島は平家の落人の受け入れの時代から、多くの難民を受け入れてきた歴史を持つ。温暖で何を作っても育つ。決して飢えず、人情も厚い。大震災で多くの人々が家を失ったが、きっとその役割を果たしてくれるに違いない。
22日は晴れたので、朝からゴミ出しをしたり墓参りと掃除をした。11時の高速艇で鹿児島に行き、鹿児島の土地の件で市役所や法務局を回った。土地が遊んでいたので、駐車場にする準備を進めた。新幹線「さくら」で熊本へ。駐車場に着いて、車の鍵がないのに気付いた。後で新幹線の座席に落としていたことが分かった。着払いで送ってもらうことにした。病院に行き、入院患者さんを診てカルテ書きをしたら23時を過ぎていた。明日からまた忙しい毎日が始まる。

2011年3月20日日曜日

KLCC講演会と送別会

地雷廃絶と被害者支援の会熊本(KLCC:Kumamoto Landmine Clearance Campaign)の講演会で「救命から看取りまで」のタイトルで講演をした。会場のウェルパルは立錐の余地のない程にたくさんの人たちが来てくださった(と書いておこう)。何故麻酔科に入局したのか・・から始まり、体外式肺補助や救命例、留学時代の研究のこと、今の病院に赴任してから仕事、特に緩和ケアのこと・・など話は多岐にわたった。約1時間の話しの後、質問が30分以上続いた。

終了後、有志の主催で壮行会をしてもらった。会場は「さくら」、たまたまアマチュアの3名の女性グループ「カラーズ」の歌やTKU(熊本の放送局)のアナウンサーのアカペラの練習会場となり、時間があっという間に過ぎた。
てれっとウルトラマラソンクラブのメンバー10数名が、熊本から湯布院まで130㎞のランに出発する集合場所だったようで、多くの仲間とも出会った。

2011年3月19日土曜日

北海道十勝からの友人

 北海道は十勝から3名の友人たちが熊本に来られた。毎年秋にジャガイモ・かぼちゃを販売しその収益を地域奉仕に使っている。北海道YMCAでも障がいのある子どもたちへのプログラムのために用いている。何年か前に、北海道の天気が良くジャガイモが生育しすぎて、中が空洞のジャガイモが多く送られてきたことがあった。今ではそのようなことはなく、いつも美味しい。今年からは通信販売で売るように頑張りますとお伝えした。
 今年のホワイトデイは自粛した。その予算は全て東北関東大震災の救援募金に寄付することにした。

2011年3月18日金曜日

送別会2日連続



16日熊本一鶴会の医師・歯科医師の皆さんの会で祝賀会をしてもらった。今朝は桜の枝に蕾を見つけた。お世話になった、柏〇元医師会長、持〇院長、元倉〇元附属病院長からお祝いのお言葉をいただいたが、自分の結婚式のように褒めていただき、恐縮した。参加くださった皆様一人ひとりからご挨拶もいただき、感無量だった。家人と姉も出席し、挨拶をしたが、自分の挨拶より、(何を言うのだろうか・・と)緊張した。 2次会には5名で行った。緊急手術で遅れてきた谷〇先生とも会うことができた。
17日は手術室の送別会だった。会議が重なったために、外科の院長・副院長が欠席されたので、少し寂しかった。
自分は麻酔科当番なので、ウーロン茶で乾杯し、お湯のお湯割りでつないだ。手術室スタッフから記念の写真付き寄せ書きをもらった。宝物が増えた。手術室の師長に記念品代を贈った。コーヒーメーカーと何か良いものを買って欲しい。終了後病院に戻って、患者さんの状態を確認して帰った。
今日は俳句の外来日、どうしても震災のことが気になった。
「震災を生きながらえて春を待つ」
 「発火せし原発冷せよなごり雪」

2011年3月14日月曜日

高校同級生の会

 日曜の夕方、熊本・鹿児島・福岡の同級生が集まってくれて送別会をしてくれた。震災の後だったが、敢えて東京に向かう自分を勇気づけてくれた。
皆さん、子どもさんや、親戚の方とは何とか連絡が取れたようだ。しみじみ今いのちがあることに感謝し、集まってくれた友人に感謝した。
 月曜は病院当直だった。救急車で搬送された患者さんが大人2人、小児科が数人おられた。重症の方はおられなかったが、病棟での急変その他があり、3,4時間の睡眠になった。被災地を考えると、恵まれた当直だと思った。福島原発の様子がとても気になる。今年の夏は東京では冷房はあきらめたほうが良いだろう。

2011年3月13日日曜日

悲しみの中での学び

3月11日朝K高の周りを走った。桜の木はまだつぼみもしっかりしておらず、今年の寒さを反映していた。しかしよその家の玄関の花は春を謳歌しているようにきれいだった。
外来診療の途中待合室のTVに想像を絶する津波の様子が放映されていた。ラジオをつけたら、東北地方で巨大地震が発生し、大津波が襲ったこと。多くの人々が被災されたこと、東京も震度5強の強い揺れが生じ、通信・交通がマヒしていることが分かった。東京の息子と家族の無事が分かるまでは気が気でなかったが、患者さんの前では気丈に振る舞った。
翌日の新聞のテレビ番組欄は、東京をキーステーションとする番組は白紙だった。
3月12日朝大阪に向かった。Y'sMen'sClub西日本区の次期会長・主査研修会に参加するためだが、同日御殿場で開催予定の東日本区の研修会は中止だとの連絡があった。開会祈祷で、震災被災者・ご家族の皆様のために祈った。東日本区の分も学びの時を持つことを誓った。13日5時に目が覚めた。5時20分から、淀川べりを河口に向かって走った。淀川の巨大堤防で大阪の街が守られるのだろうか?YMCA日本同盟で救援支援担当をしているMさんの話しを聴いた。平原綾香のジュピター、この曲は中越地震復興のテーマソングだそうだが、を流してくれた。涙が出てきた。悲しみを乗り越え、生きてほしい。

2011年3月11日金曜日

特別講演抄録

4月24日特別講演を頼まれていた。抄録と演題を送るように依頼されていたのだが、失念していた。外来が早く終わったので、これから!と思ったら、2つの会議が控えていた。終わる間もなく在宅で過ごしておられる患者さんが急変されて救急車で来院されることになった。
救急外来で手際良く診察をして、病棟へ。腎機能の悪化がありKが7.1まで上昇していた。ケイキサレート注腸で急場を凌いだ。次第に落ち着いてこられた。
帰って、抄録を書いた。タイトルは折角なので、かっこ良いタイトルにした。
患者さんにイチゴ大福をもらったので、美味しくいただき、仕事もはかどった。

2011年3月10日木曜日

地域医療連携室送別会

8日に地域医療連携室の送別会があった。5年間にできたが初代の室長を務めた。センター便りの発行、ソーシャルワーカーの導入、大学病院との救急医療に関する交渉など、思い出は尽きない。
多職種が参加しての会なので、アイデアもユニークで大変勉強になった。送られる自分とK先生のテーブルにだけ、鯛の尾頭付きがあった。
花束とともに、記念品にジョッギング用のシャツと帽子をいただいた。
代行で帰ったが、今朝参加した仲間から、大丈夫ですか?二日酔いではないですか?と声をかけられた。今朝は朝ジョギングして朝風呂の後出勤した。声をかけてくれた皆のほうが、よっぽど疲れた顔をしていた。二次会に行ってたようだった。

2011年3月8日火曜日

睡眠不足

 今朝外来で患者さんから「先生目が赤い。飲みすぎですか?」との鋭い質問があった。昨夜は飲んでおらず、正解は睡眠不足。一人患者さんが入院されると入院治療計画書、DPC関連記録打ち込みなどが発生する。退院時にも退院時サマリー、退院される方へなどの書類作成。入院証明書、生命保険関連書類、主治医意見書などなど、ちょっと目を離すと書類の山ができる。昨夜(日曜夜)は担当患者さんが亡くなられたので病院に4時間ほどいた。、書類を整理する良い機会だった。ついつい日曜なのに帰りが遅くなった。
 今日(月曜)は大学でがん診療に関する各領域の代表が集まっての会議、済んだら病院で医療機器安全管理委員会があった。ぐったり疲れた体を癒 してくれたのが、イタリアインテルミラノの長友のゴールシーンだった。チョッと焼酎を飲んで寝よう。明日は早起きして走れるかも。
写真はY院長の最終手術の一コマ。術衣(手術着)に着替えてビデオ撮影をするS先生が存在感を示す。ただし3月1日の写真。

2011年3月7日月曜日

仕事酒仕事ワイズサッカー仕事

 昨日の記念講演会の後、実行委員のメンバーと会食した。二次会はショットバーに行き、3次会で病院近くの居酒屋にG先生と行った。午前中に救急車で搬入された患者さんが気になったので、病院に戻った。日単位の状況なので、病院に泊まることにした。ナースステーションでうつ伏していたが途中で当直室に移った。おろしたてのスーツがグチャグチャになっていた。
 日曜は麻酔科当番なので、朝7時過ぎから入院患者さんの回診を済ませ家に戻った。ゆっくり風呂にはいり、朝食を摂った。近所のオーパに行き散髪をしてすっきり。午後からワイズのYYYフォーラムに参加した。終了後17時から懇親会がインド料理店であったが、ウーロン茶で当番モード(休刊日が必要)とした。北九州クラブのメンバーが書いた本「小説田原淳 いのちの光」を購入した。田原結節を発見した田原先生の物語、ゆっくり読もう。19時からの市サッカー協会の理事会へ行ったが、途中病院から呼び出ありし。病院に行って昨日の患者さんを看取りに立ち会った。緊急手術が入りませんように・・・

2011年3月5日土曜日

熊本地域医療センター緩和ケア病棟開設10周年記念講演会

3月5日昭和大学の高宮先生をお呼びして熊本地域医療センター緩和ケア病棟開設10周年記念講演会を開催した。高宮先生には「緩和ケアの本質~全人ケア、死から生といのちを考える~」と題してお話しをくっださった。患者さんへの医療ケアの実践を通し先生が守り育ててこられた緩和ケアにとって一番大切なことが、自分を含め聴衆の心に響いたと確信する。自分は高宮先生のお話しは3回目だが、目頭が熱くなった。

航空便の関係で高宮先生のご講演の後に自分が「熊本地域医療センー緩和ケア病棟10年間の歩み」を話した。今緩和ケア病棟に入院しておられる患者さんやご家族、緩和ケア病棟で一緒に看取らせていただいたご家族も参加くださっていた。

4月からの体制については不安も多いが、ここを乗り切る力が求められている。

2011年3月1日火曜日

走然会送別会

未だ2ヶ月あるが、病院ジョッギングクラブ(走然会)」の送別会が2月28日「さくら」で開催された。15,6年前I先生の発案で創部し、活動してきた。懐かしいメンバーも参加してくれた。
このような仲間がいるから、ストレスの多い仕事も楽しくできた。一人ひとりと話しながら、今までの幸せを振り返った。
記念品はキーホルダー必需品だ。5月から使おう。

今日から3月。熊本日日新聞の読者の広場に、自分の投稿が採用された。丁度紙面の真ん中にあるので広報の役割もしてくれるだろう。3月5日午後2時から熊本地域医療センター新館6階ホールでの「緩和ケア病棟開設10周年記念講演会」にぜひ多くの方に来てもらいたい。学生さんたちが来てくれるのなら、全員合格にするのだが・・・
写真は後で