2016年5月30日月曜日

Purdon先生講演会


30日、ハーバード大学のP.Purdon先生が早朝の講義をして下さった。各種麻酔薬
による脳波の違いや加齢による脳波の変化にも解説をいただいた。

写真はU野先生からの感謝状贈呈。




2016年5月29日日曜日

日曜礼拝そして東京へ

29日、雨の日曜日になった。なかなか行けなかった母教会の日曜礼拝に参加した。皆さん熊本地震を経験され、やっと日常が戻って来られたようだ。皆さんのご苦労を熱心に拝聴した。牧師先生は震災後、仕事をするのに2倍時間がかかるようになりましたとお話しされていた。これは東北大震災の時もあったそうだ。写真は熊本駅新幹線口に設置されている「おてもやん像」地震を乗り越えた。

昼ごはん、炊き込みご飯にせんべい汁、をいただき家に戻った。1535分のJALで東京に戻る。忙しい日常に戻る。写真は駿河湾上空から富士山を写す。心でないと、富士山は見えない。

2016年5月28日土曜日

熊本大学医学部サッカー部新入生歓迎コンパ

2819時から熊本アークホテルで熊本大学医学部サッカー部の新入生歓迎コンパがあった。今回プレーヤーが8名、マネージャーが1名入部した。8名中7名が入学前からサッカー部に入ることを希望しており、1名はフットサルクラブかサッカー部に入りたかったそうだが、サッカー部の雰囲気が好きになり入部を決めたと言う。この中から数名が夏までにレギュラーになると思うが、部員はマネージャーを除いて40名を超えたそうだ。

自分はOB会をさらに発展させた組織である熊本ドクターズサッカークラブの高野前会長から4月から会長を引き継いだ。写真は高野前会長の挨拶。




会長として最初の公式行事であるが、会の組織はしっかりしているので、各部門のチーフに任せ相談にのることが大切な役割になるようだ。

新部長の谷口先生、監督の秀先生と共に学生さんが本分を全うしながら、サッカー部の中で社会を学びかけがえのない友人を得ることができるように応援したいと思う。

二次会ではサッカー部に子弟がいる幸せなOB3名とその子弟とで写真を撮った。

三次会に行く途中、プラスワンに寄ったが、まだ12時だと言うのに閉まっていた。電話するのだった・・・。一緒に行った桑原君は鶴丸高校の63回卒業で自分の41年後輩になる。夜道で二人で校歌を歌った。

三次会にはOBが3名残っていた。折りたたみ傘を最後までチェックしてくれた新入生たちの協力もあり、しっかりとした足取りでタクシーに乗り帰途についた。帰り着いたのは多分2時過ぎていたと思うが・・・。

2016年5月27日金曜日

日本麻酔科学会二日目

27日、ホテルから駅まで歩きタクシーで会場へ行った。ポスターディスカッションなので、発表7分討論5分。貼り終えたところに座長の先生が来られた。ここで事前ディスカッション。暫くしてコメンテーターのT医科大学八王子医療センター池〇先生が来られ、3人で盛り上がっていた。
発表は無事に済んだ。一番緊張したのが、続々T医科大の先生たちが来られたこと。失敗は許されない・・。などと思ったが、始まったら妙に落ち着いていた。写真は発表が済んで池〇先生と。

午後からは共同演者の石〇先生が発表。ここは優秀演題の発表なので発表時間は10分でディスカッションが5分。緊張はしていないと言ってはいたが、緊張していた。

無事に発表が終了し、ポスターの前で記念写真。感激して目を閉じてしまった・・。

 

 
麻酔科学会懇親会に顔を出す。外会長は同級生。挨拶とオープニングショー、高校生のダンスパフォーマンスまで会場にいて
 
 
 
T医科大学の懇親会会場に向かった。
U野先生が大切な所用で参加できなかったので開会あいさつと乾杯をした。今日は二次会まで準備されている・・とのことだったが、どうやら若手だけで二次会に行きたそうだったので?遠慮してホテルに帰った。いつの間に寝たのだろう。着替えたらすぐに爆睡したようで、目が覚めたのは5時半だった。一次会までで帰ったのは正解だったようだ。
 
 

 

2016年5月26日木曜日

日本麻酔科学会第一日目

26日、5時半には目が覚めたが、グズグズしているうちに6時を過ぎた。キャリーバッグに着替えを、ジョッギングの道具も詰めた。リュックに学会資料やパソコンを入れた。こんな時に限って腕時計が見つからない。やっと探して家を出た。ハンカチとポケットティッシュを忘れたが途中で購入した。
品川駅で京急のプラットホームでは入構制限になり人が溢れていた。人身事故で東海道線、京浜東北線が運転中止になり京急が振りかえ乗車を受けたために乗客が流れてきたようだ。8時過ぎに回復したとの校内放送があったが、ぎっしり人で広い構内が溢れているのには驚いた。幸い15分ぐらいで羽田空港行の急行に乗ることができ間に合った。この凄い人波をカメラに・・・と思ったが、カメラも取り出せないぐらいの混雑だった。写真は飛行機から見えた湖。山梨県か?
 
無事に福岡空港に着いた。濱〇先生に空港到着ロビーで会う。一緒に会場に行って登録をしたら、初期研修医が福岡到着で昼食引率のために彼は博多駅に行った。
ランチョンセミナーを聴いて、明日自分が発表するマリンメッセの会場に行った。スマートフォンの電池がいつの間にか12%まで減っていた。電池を入れ替えた充電器からの充電が上手くいっていないようだ。会場にあったコイン充電器で充電した。

夕、研修医を連れて食事会があると聞いていたので幹事に電話したがつながらない、諦めて一人でホテル近くの居酒屋とラーメン屋の梯子をした。


帰って明日の発表の準備。何回も覚えるまで時間を測りながら繰り返した。結論は、ゆっくり話すこと。

2016年5月25日水曜日

日本麻酔科学会前日

25日、明日から日本麻酔科学会が福岡で開催される。麻酔科医の多くが今日の午後から福岡の方に移動する。午後からは予定手術はストップしていたが緊急手術が続々入ってきている。午後の外来、回診や会議を終え、手術室の麻酔科控室を覗いた。緊急手術2例の同時入室が可能かどうかで麻酔科医と看護師が話し合っていた。あと数時間で数名の看護師がOFFになるので、午後8時同時入室を逃すと直列になってオールナイトは免れないと言う。麻酔科の指導医が足らないというので、買って出た。

午後8時、消化管穿孔2例同時入室。自分が担当したケースは研修生が堂々のCrash Induction。開腹後、術野の状況を確かめバイタルが落ち着くまで付いた。もう一例の急患は無事に手術が始まっていた。脳外科のくも膜下出血クリッピングは終わったようだ。落ち着いたら本日多分最後の緊急手術の下顎骨骨折が入るだろう。

明後日発表する演題の電顕写真を差し替えて帰宅した。夕食はコンビニで買った野菜サラダに冷蔵庫のハムを添え、あとは冷凍食品オンパレード凄い手抜きになった。明日は7時には出発し、915分のJALで福岡に向かう。

2016年5月22日日曜日

緩和ケア研修会2日目

22日、午前中はK川病院のE藤先生から消化器症状に対する緩和ケアと療養の場の選択と地域連携の講義、メンタルヘルス科のM越先生から精神症状に対する緩和ケアの講義。この間は自分にとっても学びの時間であり、来週の講演のヒントを大分もらった。

午後からは“がん医療におけるコミュニケーション”の講義の後、“がん疼痛事例グループワーク”を110分行う。ファシリテーターもかなりのエネルギーを必要とする。振り帰りとポストテストを終え、修了式で修了証書をお渡しする時は参加者やファシリテータに笑みが溢れた。疲れた・・。

2016年5月21日土曜日

緩和ケア研修会1日目

21日、22日はT医科大学病院主催の緩和ケア研修会。今週は学会発表準備や研修会の準備、学生講義や講演会準備が重なり目が回るほどに忙しかった。
これまで30数名規模の研修会をしていたが、がん診療連携拠点病院ではがん診療に携わる医師の90%以上、卒業後2から5年目の医師は100%が緩和ケア研修会を受講していることとの通達があったので、今年度は60名規模の研修会を3回開催することになった。ロールプレイやグループワークのファシリテータ-は少なくとも20名を確保せねばならない。T医科大学病院の緩和ケアチームは総動員で、協力関係にあるKO大学病院緩和ケアチームから3名、他の病院・施設から10名の協力を得た。数日前にキャンセルがあった1名を除き59名の研修会になった。
21日は午前710分集合。講義やワークショップを行う講堂や会議室の準備を済ませパワーポイントのチェックをした。午前820分から研修会開始、オリエンテーションの後、午前中の講義が始まった。

自分の担当の講義が終わって、入院患者さんの具合が悪くなったので見て欲しいとの連絡があった。主治医は外来で手が離せないという。病棟に走った。暫くお話ししただけで患者さんは落ち着きを取り戻した。

午後からは短い解説の後3名ずつのグループに分かれ、ロールプレイを2つ行った。自分はベテランの先生のグループに付いたので、こっちの方が学ぶことも多い。ロールプレイ終了後医師、患者、観察者の立場から振り返り意見交換をする。その後グループごとに発表してもらうので、3名+ファシリテータの話し合いの内容だけでなく、参加者全体の知識や経験をシェアできる。
一日目の終了後、手伝っていただいたK村先生、T實先生、休日返上で奉仕下さるK田さんの4名で荻窪の“久”に行った疲れを癒した。

2016年5月18日水曜日

学生クルズス2グループ目

18日、学生クルズスの2グループ目。今度のグループは少し余裕があるようで、ジョークも通じた。必ず誰かが質問に答えてくれた。どのように興味を持ってもらい、一緒に考えていくかが自分の課題。

2016年5月15日日曜日

日曜ラン

15日、久々に朝寝を楽しみ、善福寺公園コース8㎞を走る。昨日皇居210㎞と四谷半蔵門間1㎞走ったので、この土日で19㎞走った。
途中の白い花の木はうつぎだそうだ。M上さんがメールで教えてくれた。




下池ではカメラ同好者が何かを写していたが、自分はカメラの人たちを写した。





帰りの善福寺川沿いに綺麗な白いバラを育てている方とお話しした。ローズマリーという種類だそうだ。

2016年5月14日土曜日

T医科大学ランニングクラブ発足

14日、T医大に赴任して知り合ったラン好きの仲間に呼びかけ、第一回の練習会と懇親会を開催した。
半蔵門近くの銭湯に荷物を預け、集合場所の千鳥ヶ淵公園へ。ここでラン仲間の到着を待つ。ここは団体の集合場所としては使用しないように張り紙があるが、皆が揃うまでみなさんお邪魔にならぬようにひっそりと待った。さてK島夫人に写真撮影をお願いし、記念すべき集合写真を写した。

最初の一周は集団走としたが、若者は早い。自分のペースは下り坂はキロ6分、平たんでは7分、登坂は8分でそれ以上にも以下にもならない。研修医のM村先生と並んでしんがりを務めた。


二周目は自由走。迷惑にならぬようにと早めに出発したが、直ぐに追い越された。千鳥ヶ淵の手前でヒデ君に追いついたが、最後の踏ん張りが効かず締めのランナーになった。写真は走り終わって写した写真。


皇居周辺には、きれいなシャワーやロッカーを提供するところもあるが、湯船に入れる銭湯は最高だ。




ここから新宿3丁目に近いお店に移動して、会の発足に向けた話し合いと申し合わせ事項などを決めた。名称はT医科大学ランニングクラブで略してTMRC。ゴロが良い。齊〇Drの発案による。モットーは競わす楽しむ。ランを通して会員の親睦を図る。

会長は言い出しっぺの自分が、幹事には今回の会をお世話して下さったウルトラランナーのS藤Drが、副幹事には齊〇DrとT谷Nrsとなった。
懇親会だけ出席のN田Nrsも駆けつけた。皆から次回は7月に・・・。という話しが出た。そんな暑い時に?と思ったら、ビアガーデンでの懇親会だそうだ。直ぐに賛成した。
二次会で失礼したが、皆さんは三次会まで行ったようだ。元気だこと・・。



2016年5月11日水曜日

学生クルズス

5年生の学生クルズスが始まった。6年生スチューデントドクターのスーパーポリクリや初期研修医の指導などすることが多い。
4年生の10月下旬に緩和ケア・緩和医療の講義をしたが、どの程度頭に残っているのだろうかと質問をしてみる。できたらしっかり褒めて興味のモチベーションを上げる。
最初のグループはまだ遠慮がちだが、次第に慣れてくるだろう。

2016年5月8日日曜日

バラ

8日、昨日は多分飲みすぎ。バナナでエネルギーを補給し、善福寺公園コースを走る。善福寺川沿いのバレエ教室の入り口に、薔薇を発見。五月は薔薇の季節だ。赤いバラ。


白いバラも奇麗だ。






このバラはカクテルというそうだ。(M上さん「ありがとう!」)





下池には水蓮が咲き始めた。




下池公園の木立は絶好のかくれんぼの遊び場か。





上池には鯉のぼりが飾られている。






池の畔には黄色いアヤメが咲いた。

ブランチをしっかり食べ、散髪に行った。理髪師の金子さんから熊本地震のお見舞いを言われた。

2016年5月7日土曜日

新入医局員歓迎会

7日、T医科大学の新入医局員歓迎会が明治記念館で開催された。今年は8名の新入医局員と歯科麻酔科医3名を迎える。
写真は会が始まる前の早く来たベテラン麻酔科医。


以前働いていて今年度で戻り?の歯科医のO野先生は別格?で、むしろ婚約宣言の方がメインだった。




忘れないように記念写真はU野主任教授と新入医局員、参加者全員を写した。





自分は会の最期の挨拶を託されたが、それまでに酔っぱらわないようにするのも大切な準備。U野先生を中心にT医科大学麻酔科学分野の文化を創っていきましょうと呼びかけた。





二次会はOZという新宿3丁目のカラオケスナック。アッと言う間にウイスキーと芋焼酎のキープが空いていたようだ。偶然に耳鼻咽喉科のT原先生も中に加わっていただき盛り上がった

2016年5月5日木曜日

平成27年熊本地震阿蘇YMCA

5日、朝早起きして阿蘇YMCAキャンプに向かった。8時半ごろからスタッフ、ボランティアが集合し、阿蘇市社会福祉協議会から依頼のあった支援希望の場所が紹介され担当の割り振りが行われる。


自分は八代ワイズの守田さんと共に、的石地区の民家の倉庫の片付けを手伝うことになった。

途中。佐藤阿蘇市市長が激励視察に来られた。このお宅のすぐ近くに江戸時代に細川公が参勤交代の折に利用したお茶屋敷がある。今度の地震で完全につぶれていた。


裏手にある菅原道真公を祭った隼鷹八幡宮も大きな被害を受けていた。





被災地にクライマーを送る会の皆さんは、全壊した家の屋根瓦を外す作業をしておられた。瓦は廃材と一緒に処分できないので、貴重な作業になる。



別の民家では倒壊した家や納屋から荷物を運び出す作業をしていた。
途中震度4の余震が来た。半壊した家がミシッと音をたてた。家の中から住民の方々が飛び出してきた。


午前中の作業を終え、阿蘇キャンプで美味しいカレーをいただいた。まだ残って奉仕作業をされる守田さんと握手を交わした。




無事であることは確認した南阿蘇村の友人
や親戚を訪ねようと、南阿蘇村に向かった。通行止めになっていないはずの道が通行止めになっていた。このあたりの家々もダメージが大きい。


山肌は地滑りで剥げ落ちており、悲しくなる。
 
また来ることを誓って熊本に戻り、東京に帰った。