2014年1月31日金曜日

1月31日の悲劇

締切が過ぎた翻訳の仕事がやっと終わった。この数週間、飲み会・研究会以外はほとんど最終電車での帰宅だった。メールに添付して出版社に送った。
ふと、日本緩和医療学会の演題締切日であることを思い出した。ネタはあったし、すぐに準備しようと、学会のHPを見た。何と締め切りは1月31日午後5時で、すでに6時間が経過していた。ショック・・・・

2014年1月30日木曜日

ファウト誕生日

1月30日、ユトレヒト大学からの留学生ファウトが24歳になるという。西新宿の「へぎ蕎麦」屋でお祝会をした。ファウトは肉が食べられないの、もっぱら魚、貝、エビなどの海産物の料理を楽しんでいた。



ラーメンの形をしたバースデイケーキがサープライズで登場した。お菓子でできたチャーシューの味はどうだっただろうか?




学生さんを返し、初期研修医の先生たちを連れて「さつき」での二次会に突入した。終電までには時間はあったが、K先生とともにタクシーで帰った。

2014年1月24日金曜日

東京ペインクリニック懇話会

東京ペインクリニック懇話会の勉強会と新年会が東京會舘で開催された。故若杉文吉先生は神経ブロックを治療の中心におくペインクリニック(痛みの治療)を確立し日本に普及した。写真は東京会館のロビーに飾ってあった羽子板。



そのお弟子さん、とは言え自分より先輩、のM田先生から若杉式神経ブロック療法の特別講演があった。その後は新年会で美味しい料理を堪能した。写真は講演会終了後の集合写真。

2014年1月19日日曜日

医局旅行


今年の医局旅行は江ノ島。貸し切りバスでT医科大学病院前を出発した。第三京浜から横浜横須賀道路に入り海沿いの道を走る。日の入り前に江の島着。写真は宿舎の岩本楼に向かう参道の登り道。





江の島神社に参拝しおみくじを引いた。小吉で「学成り難し、一層の努力を」だったが、当たっているような気がする。ひとっ走りして温泉に入ると懇親会の時間になった。






自分は「鉄砲伝来」と言う焼酎とO原先生にもらった古酒を持参した。S木先生は自分は知らない高級な日本酒を持ち込んで皆さんに振舞っていた。左からM岡、O原、たーさん、U野酔客たち。






ユトレヒト大学からの留学生ファートとキャスパーも楽しそうにおしゃべりをしていた。皆さんに倣って、U野先生、自分、O原先生が並ぶ席に来て正座してビールを注いでくれた。







今年入局予定の研修医も3名参加してくれた。彼女らとも記念写真。








歯科大学から研修に来ている3名も、H先生の引率でご挨拶。









会食が済んで集合写真。この頃には皆揃ったようだ。









会場のテーブルの配置を変えてカラオケ二次会となった。まあ芸達者な医局員の多いこと!無礼講なので、こっちも楽しむ。多分リンダリンダをS根酔客が絶叫している。







女医さんたちも恥ずかしがらない。








むしろくまモンまで呼び寄せて盛り上げてくれる。

いつの間にか二次会の時間は過ぎた。いつの間にか広間でうち伏して寝ていたようだが、大人しく部屋に戻りちゃんと布団の中で寝ていた。





翌朝の快晴、しかし風が強い。朝食を完食し、島内一周ジョッギングを始めた。海岸線の道は太平洋側は絶壁のため限られているので、神社の方に上ったところからの中腹の道を反時計回りに走った。階段が続きアップダウンで足が攣りそうだったが、良い汗をかいた。富士山がきれいに見え、写真をたくさん撮った。途中K沼先生と会った。自分を探しに来たという。9時から岡本楼玄関前で記念写真を撮るそうだ。もし、反対側に走っていたら会うことはなかっただろう。昨日の小吉は既に中吉の方に傾きつつあると思った。

もう一度温泉に入り、12時半まで江ノ島散策をした。太平洋側に岩壁と岩場があり大勢の釣り人が来ているところに行った。ここからの富士山もくっきりと見え美しい。
食事(江ノ島丼を食べたが、店の前にあった写真と実物の違いが大きいので写真を敢えて撮らなかった)、喫茶店でのブログ作成と勉強?に時間を使った。風がますます強くなってきた。

屋台にいた青年が、「江ノ島風速10mだって!」と話していたので、そんなものだろう。さっき海を走っているヨットが一艘倒れたようだが、元に復しただろうか?





集合15分前になり旅館に預けた荷物を取りに行った。江ノ島バーガーという名の店で、人気だというハンバーグを買った。シラスのツケアゲとシラスが入っていた。
15時無事にT医科大学病院到着。お世話くださったI橋先生、K沼先生ありがとうございました。医局旅行を企画して下さったのにご家族の急病のため参加できなかったK子先生大変楽しめました、ありがとう。

2014年1月17日金曜日

新年会

熊本のK先生の呼びかけで昨年から1月の中旬に新年会が行われるようになった。昨年は行くと言って行けなかったので、今年こそ参加した。丁度開始時間ピッタリに有楽町の御座敷割烹に着くと、K先生をはじめ数名が待っておられた。ほとんどが5月の同窓会で会うメンバーだが、数名は初対面だった。一番年長なのでできるだけフレンドリーに話したり飲んだりした。残念だったのは集合写真を撮り忘れたこと。代わりに有楽町のイルミネーションを載せよう。
帰りは府中に住む先生たちとタクシーで帰ったが、最後まで起きていて良かった・・・。

 

2014年1月12日日曜日

第一回東京都緩和医療研究会学術集会

第一回東京都緩和医療研究会学術集会が帝京大学病院で開催された。東京は各地区に緩和医療・ケアに関する研究会があるがバラバラな印象を受けていた。今回緩和医療は地域医療であり文化であるという考えのもとに東京都内で緩和医療を熱心に取り組んでおられる医療従事者が集まったことは喜ばしいことだと思う。写真は世話人会で出た弁当。
自分にも世話人として参画するようにとの依頼があったので、今日は午前中の世話人会から参加した。世話人会で要町病院の吉澤先生が研究会代表世話人に選出された。写真は研究会代表世話人の吉澤先生。




昨年夏から本研究会の準備を進めてきた発起人の先生方や、事務局の皆さんのご苦労には頭が下がる。写真は事務局の橋口先生。






会場の確保にご尽力くださり、第一回の学術集会を立派に企画・運営された帝京大学の有賀先生に敬意を表したいと思う。新しい帝京大学の講堂は約400名収容できる。企業展示も12社が集まってくださった。懇親会をちゅしし、コーヒーブレークの時⒛~30分確保して参加者の情報交換が行えるような配慮もされていた。写真は学術集会会長の有賀先生。


東京都医師会副会長の近藤先生から「東京都医師会の緩和医療分野における現状と展望」について特別講演があった。
シンポジウムは症例報告と教育講演の組み合わせで、告知に関することとAdvance care planningがテーマで、多くのお学びを得た。
前任の病院の緩和ケア病棟で一緒に仕事をした、中島Nrsも参加していたので、今努めている緩和ケア病棟の仕事のことなどを話す機会ができた。
帰りに家の部屋片付けのためにプラスチックの箱などを買って帰った。少しはきれいになるだろうか?そのためには去年の年賀状の整理を真剣にせねばならない。
年賀状ネタ尽き去年と同じかな

2014年1月11日土曜日

東京女子大近くのケーキ屋さん

11日、昨夜大掃除をしてゴミ出しをした。朝ごはんはお餅を焼いた。善福寺公園までのジョッギングは、少し遠回りをして東京女子大通りを走った。この近くに有名なケーキ屋さんがあると医局のH先生が昨日話していたから確かめてみたかった。写真は東京女子大正門。




少し走るとあった!アテスウェイ/a tes souhaitsがあった!開店前なので外から写真を撮るだけだったが。






ここから善福寺公園に走った。なんと上池が凍っていた!鴨たちは比較的水温が高いのだろう遅野井水源の水が流れて来る一角に集まっていたようだが、丁度池の氷が緩んできた方向に移動する場面に出会った。
今日は9㎞のジョッギング。明日は一日中研究会なので、できるところまで溜まった仕事を済まさねばならない。明後日は病院に閉じ籠りかな。

2014年1月9日木曜日

萬龍軒でお腹一杯になる

9日、医局会、スタッフ会議などなどの会議が続いた。へとへとになったので帰ろうとすると、U野先生とK沼先生が萬龍軒に行きましょうと提案した。
萬龍軒は荻窪駅北口近くにあるラーメン屋さんで、ラーメンのみならず、どんぶり(菜肉丼)やチャーハン、餃子も美味い。荻窪駅近くに住む、K沼先生や自分は帰り道なので異論はない。







さて菜肉丼だけでもお腹いっぱいなのだら、餃子におつまみ、ビールに日本酒まで飲んだので、久々にお腹が緊満してしまった。U野先生にとって30年位前からの行きつけのようで、大将から「U野くん」と呼ばれている。
折角なので表に出て記念写真。大将にも出演をお願いした。

2014年1月8日水曜日

クルズス学生と

8日、今年最初のクルズス。1月からやってきた初期研修医の指導も面白いが、学生さんへの少人数講義も面白い。緩和医療を担当しているので、がん対策推進基本計画、がん性痛の種類とアセスメント、WHOがん性痛除痛三段階ラダー、緩和ケアの役割、切れ目のない緩和ケア(在宅医療を見据えた)がポイントになる。専門医レベルになると、オピオイドローテーションや鎮痛補助薬・神経ブロックを含むインターベンションの意義が入る。
今回の学生さんも、S根先生の魂のこもった(会を重ねるごとに長くなる)講義の後できつかったと思うが、だれひとり寝ることもなく熱心に講義に参加した。えらい!と思わず心の中で喝さいを送った。

2014年1月7日火曜日

ようこそT医科大学へ

三〇町病院の往復の新幹線では年賀状の整理をした。あて先不明で返ってきた賀状が10枚あったが、750枚出したので優秀な方だろう。






帰って続きをしていたら、消化器外科のT山先生から電話があった。「熊大卒の瀧〇先生の4月からの入局が決まりました。大変お世話になりました。よろしかったらお食事でも一緒にいかがでしょうか?」との丁寧なお誘いだった。お断りする理由はない。待ち合わせ場所の病院玄関に行くとT山先生と瀧〇先生がおられた。
OKプラザホテルのロビーには豪華な正月飾りが備えられていた。




地下1階にある焼肉屋さんで会食になった。消化器外科のミット長たちが集まってこられた。瀧〇先生が初期研修医の時に、前任の病院で一緒に仕事をした。よく課外授業と称して白川沿いを走った。外科の先生たちも瀧〇先生を歓迎して下さった。


T山先生と別れて、さつきに行った。そこには、呼吸器外科の大〇先生、島〇先生、内〇先生、乳腺外科の山〇先生たちが新年会をしておられたので、大変賑やかな二次会になった。他の外科の先生たちからも瀧〇先生は歓迎されていた。
ここで解散し、病院の自室に戻った。気が付いたら翌朝だった。今年初めてのお泊り・・・

2014年1月6日月曜日

一足早い七草粥

6日、久しぶりの現場で忙しかった。仕事が一段落し部屋で帰る準備をしていたらU野先生が来られた。暫く医局の現状につて意見交換をして、夕食を食べに出ることになった。新宿アイランドビルのロイヤルホストで(自分は)カレーを食べた。
二次会で?さつき?と言う話しになり、さつきに移動した。しばらくして赤い糸でつながるK沼医局長が加わった。一足先に七草粥もいただいた。




電話が鳴った。さつきのあっちゃんは「誰もおられません・・・」と話していたが
数分後消外のT花先生と秘書さん、すぐにT花先生のグループの二人も加わった。この日はK沼タクシーで帰ったようだ。

2014年1月5日日曜日

鹿児島から熊本そして東京へ

5日は5時過ぎには起床し、義妹が大阪に帰るのを見送った。帰りの支度を念入りにした。2月には鹿児島に来る予定があるので、一部は残した。義母を見舞った。昨夜は付き添いはなかったのだが、良く眠っておられたようだ。「またお会いしましょう」と言うと、「アリガトウ」と手のひらにカタカナで書いてくれた。
指宿枕崎線谷山駅で、熊本までの新幹線指定席が購入できた。鹿児島中央ではまだ座席に空きがあったが、車内放送では指定席は満席なので荷物を座席に置かないようにとの注意があった。熊本には48分で着いた。
豊肥線とタクシーを乗り継ぎ熊本の自宅へ。台所の洗い物をしたり、たまっていた新聞を読んだり、年賀状のチェックをした。
16時前に娘一家が迎えに来てくれた。U太君が荷物を持って運んでくれた。熊本空港まで送ってくれる。ひなちゃんはチャイルドシートに座り歌を歌ってくれた。






空港に着き別れたが、その時ひなちゃんは睡魔に襲われていた。やさしい家族だ。今日はU太君のお父様の誕生日、今年還暦を迎えられる。おめでとう。






出発を待つ間、S藤さんに恒例の馬刺しを送った。熊本ラーメンの「うまか軒」でラーメンも食べた。これで東京では夕食は要らないだろう。今搭乗口待合室で登場を待っているが、搭乗開始時間が遅れているようだ。




羽田に着き、新宿へのリムジンバスの切符を買った。丁度K師長さんと一緒になった。熊本から同じ飛行機で東京に着いたようだ。明日から頑張る。

2014年1月4日土曜日

阿久根から水俣へ 出会い

8時過ぎに家を出発した。途中川内までは霧が立ち込めていた。阿久根に入ると霧は晴れ、海・水平線がきれいに見える。阿久根の出発点で記念写真。9時45分スタートだ。




大野さんの快走は続く。1㎞6分ペースはぶれない。

出水の鶴の飛来地は国道3号線から約2㎞入ったところにある。大野さんは自分が走っている間に行ったようで、「1万羽飛来しているようですよ」と教えてくれた。この付近で自分だけポーズ。




途中の田んぼに仲間外れ?孤高の鶴のグループがいたので写真に撮った。
出水を抜ける時、水俣に住む日高さんが自分を見かけたようだ。まさかここを走るとは思わなかっただろう。オレンジの帽子ではなかったですか?とコメントがあった。


鹿児島県から熊本県に入った。ここでも記念写真。






水俣市の袋に住む高校の同級生丸山君に電話をした。わざわざ自家製の「ミカンジュース」を差し入れしてくれた。無農薬みかんを栽培している。




ゴール地点の新水俣駅に高校同級生の村尾君が出迎えてくれた。丸山君から電話があり来てくれた。帰りの新幹線を待つ時間があったのでゆっくり話をすることができた。







大野さんのおかげで、すごい正月を過ごせた。国道3号線を走るなんて思ってもみなかったが、なかなか面白いものだ。写真は新水俣駅ゴール。






大野さんは神戸に向かう。帰りの無事を祈った。またどこかでご一緒しましょう!今日は全部で30㎞で自分が走ったのは14㎞だった。






今日はももちゃん一家が義母のお見舞いに来た。丁度義母は目覚めており、お話しができたようだ。長男は東京へ、ももちゃんとあやちゃんは熊本に帰る。偶然にも鹿児島中央駅で出会った。
長男夫婦がお土産を買う間だっこしていた。
義母を見舞う。インフルエンザで隔離の必要な患者さんが緊急入院するとのことで、一時個室から4人部屋に移ることになった。「お母さん、役立てて良かったね。」と言うと、微笑んでくださった。昨日より手が浮腫んできたようだ。今日熊本に移動する予定だったが、明日の様子を診てから熊本経由で東京に戻ることにした。義母の入院で、入院患者さんの家族の気持ちをもっと理解できるようになった気がする。今日も院長先生とお話ししたが、医師の笑顔は患者・家族を癒す。
3日間で117㎞走破。うち自分の走行距離は52㎞だった。