2011年8月27日土曜日

桃ちゃんと遊ぶ

車を東京に持ってきて一番喜んだのは桃ちゃんだろう。今日は桃ちゃん一家を迎えに恵比寿まで行った。カーナビで一回迷っただけで無事についた。
早速恵比寿のガーデンプレイスに行った。地下の駐車場に車を停め、広場で桃ちゃんを遊ばせた。桃ちゃんはタフで30m位の坂を行ったり来たり走ったり、鳩を追いかけたりしていた。今日は特別な日、何と桃ちゃんが「ジージ」と呼んだのだ。後で「バーバ」も言ったが、明らかに「ジージ」が早かった。
お約束通り、三越で靴や絵本を買ってあげた。お手手をつないで歩いたし、良かった・・・
自宅まで連れて帰り、一緒に昼食を食べた。パパ・ママが散歩をするので、預かったが、泣かずにバーバと遊んでいた。お昼寝をしたが、30分しか眠れず起きてからグズルこと。ママが帰ってきてあやしたが、機嫌が直るのに時間がかかった。
ブドウが大好きなようで、ムスッとしながらご飯を食べていても「ブドウ」と言うと表情が一変した。また海苔が好きで、ご飯を海苔でくるむと良く食べる。
ママがシャボン玉で遊んであげると、不思議そうに見ていた。
今から桃ちゃん一家を送っていくのだが、ビールも飲まないので健康的だ。今日は隅田川の花火大会というが、見えるだろうか?

手術室麻酔科スタッフと語り合う

8月26日長かった一週間が終わる。第2,4土曜日は休みなので金曜日が実質今週最後の日となる。今週の緊急手術の多かったこと・・・。さすがにバテタ。ひょっとしたら今朝は走って病院に行った所為か?金曜日は比較的手術数や緊急手術が少ないので金曜に手術室麻酔科スタッフ会食を計画した。午後7時半スタートの予定が、集まったのは3名。午後9時15分にやっと予定の10名が集まった。美味しいすき焼きのお店での会食だったが、飲み物が高額だったので、飲むのは控えた(つもり)。やはり当直や、夏休み、外勤で全員集合は難しい。
参加してくれたメンバーから、いろいろな意見を聞きながら、自分のこれまでの歩みと比べていた。はっきりしたこと(してること)は、皆純粋に仕事に取り組んでいること。どのように支えて行ったら良いのだろうか?
それにしても、週末の都心は山手線の内外で交通量が違いすぎる。外が多い。

Y先生よくお越しくださいました

熊本からY先生がT医科大学病院に来られた。ロボット支援手術を一度見学したいとの連絡を受け、見学許可を「病院長にお願いしたところ、「麻酔科でご案内してください」との返事をいただいた。お伝えしたところ、わざわざご自分の夏休みを使って来てくださった。
見学前日は、U先生と3人で会食をした。病院近くの高層ビル48階での会食は、窓際にY先生とU先生に座っていただいた。病院や研修医の入局状況など情報・意見交換に花が咲いた。どこも同じような悩みを抱えている。
二次会では「さ〇き」に行き、焼酎を飲んだが、Y先生は球磨焼酎を第一選択で飲んでおられるとか。40年間も住んでいた自分よりよっぽど熊本人になっておられてた。
翌25日は、朝7時半から病院へ来ていただき、着替えて手術室へ。ロボット支援手術の担当ナースの準備状況などを見ていただいた。麻酔科勉強会や症例検討会、覚醒挿管後の患者さんがそのまま自分で腹臥位になって腰椎の手術を受けられる麻酔の導入には興味を持っていただいた。ロボット支援手術の機械の組み立てや麻酔・体位の準備など。術者の先生も好意的に説明してくださったので助かった。
昼食前には外来も見学していただいた。O先生指導下に非常に充実してきた麻酔科外来での診療などを見ていただいた。
ロボット支援手術の一例目が済んで二例目に移るまでの準備状況を見学していただいたところで、8時間にわたる予定が修了した。
若手の医局員は少し緊張していたようだが、他大学との交流は勉強になると思う。Y先生!またお越しください。いつでも歓迎いたします。

2011年8月22日月曜日

夏休み

 自分の夏休みは、8月14日の週で、前半は東京でデスクワーク、後半は熊本へ帰省となった。17日熊本へ、入院中の大切なお友達二人をお見舞い。一人は丁度お姉さんご夫婦がお見舞いに来ておられ、話が弾んだ。もう一人は体調を崩したのに仕事を無理したらしくきつそう。元気になってブログへのコメントをしてねと励ました。夜は娘一家と夕食、ひなちゃんと遊んだ。
 18日は午前中に二人の友人に会いに行った。可愛いワンちゃんともお友達になった。そして自家用車で北九州門司にあるフェリー港に向かった。




予想外に早く着いたので、門司港レトロに行き、名物の焼きカレーを食した。フェリーには約34時間乗るので、食料と飲み物も調達した。
 豪華船旅のつもりで大型フェリーに乗り込んだ。讃岐うどんと肉巻きご飯、牛丼は船で注文できる。あとは自販機だが、種類も多く値段も陸で買うのと変わらない(割高でない)。自由に熱いお湯も使用できる。また船内にはお風呂もあり、大人で6人ぐらいは入れる。24時間使用OKなので嬉しい。
 乗船した日は雨模様で心配したが、19日は薄曇りで時々日が差した。甲板での日光浴としゃれ込んだが、甲板にプールがあるわけでなく、フライパンの上にいる感じだった。それでもベンチに寝そべって海を眺め潮風に当たった。昨夜来、千葉の男性と話す機会があった。高千穂の親戚のもとに行ったという。記念写真をうつした。
「甲板で日光浴して熱中症」
「飽きもせず海を眺めて夏休み」
伊勢半島だろうか?幾重にも山が連なる景色が見えた。海に近い方から順に高い山々があるのだろう。
「幾重にも重なる山や鰯雲」
さすがに沿岸フェリーと思ったのは、結構携帯がつながること。i modeでインターネットも観ることができるし、TVも付く。時々受信が悪くなるが、船旅と思うと気にならなかった。資料や小さなパソコンも持ち込んできたので、仕事もできた。
明け方、揺れを感じた。じっとしているとなかなか止まない。地震?と一瞬おもったが?考えたら船の上にいて航海中だ。安心した。
 20日5時過ぎ東京港のフェリー発着場に着いた。小雨が降っていた。初めての首都高速もナビが助けてくれた。無事に家に着いたが、法定点検の日が過ぎていることに気付いた。近所のディーラーに持っていき、点検を頼んだ。近所の道は幅が狭く、一方通行や時間帯での進入禁止が至る所にある。情報を求めて都立家政駅横の交番に行った。お巡りさんからは、自分たちも良く分からないので交通標識を守るようにとのアドバイスがあった? 
 20日の夕から医局主催の納涼会に参加した。たまっていた仕事もあり、飲んでいる時ではない!のではあるが、これも大切な仕事・・・



スウェーデンから研究チームも来てくれ、手術室やICUのナースも参加してくれたので大変華やかだった。
いつものように楽しく過ごした。





二次会では「さ〇き」へ。小さなお店が一杯になった。ここでは好きなだけ焼酎を飲み、気合を入れてタクシーで帰った・・・らしい。自宅近くのコンビニでカップアイスクリームを買い、舐めながら自宅に戻ったらしい。翌朝の家人のお小言が、心地よかった。

2011年8月16日火曜日

東京でのお盆

空き箱にきれいな風呂敷をかぶせた。いつもは書斎に置いている、両親と祖母の写真と位牌を飾った。昭和20年8月祖母は種子島で空襲をさけるように暮らしていた。父はチモール島で軍医、母は鹿屋の療養所で内科医として働いていた。それから66年、そして8月15日は終戦記念日。今週は夏休みをもらっているのだが、溜まった仕事で病院通いをしている。
8月15日朝、ジョッギングで病院に行ったが、いつもは混雑している環状7号線も青梅街道もガラガラ空いていた。10月にはお墓参りに種子島に帰ろう。

2011年8月14日日曜日

再び石神井公園へ

このところ、ズボンがきつくなってきた。体がなんだか重い。夏バテ?食欲は十二分にある。体重を測ったらベストから4㎏も増えていた。高尾山に上らなかったためか?
思い立って朝食後から石神井公園へ走り始めた。石神井公園の周りを走り、三宝寺池の周りはジョッギング禁止なのでウオーキング、往復で約12㎞か。この暑さだから汗の量は数㎏だろうか。




公園近くに住んでいる佐〇さんに電話したら、お出かけだった。3ヶ月前にお世話になって以来会っていないが、ブログを通して近況を知っているのが面白い。
帰ってシャワーを浴びた。冷たい氷を浮かべた水をググイと飲んだ。体重を測るのを忘れていた。
お昼を息子一家と一緒に食べようと約束していたので、熊本から送っていただいたトウモロコシをバッグにつめて恵比寿に向かった。家の近くの木槿(むくげ)の花がきれいだった。
ももちゃんたちと、恵比寿駅近くの四つ角で一緒になった。ベビーカーに乗って足をバタバタさせていた。
個室のある焼肉屋さんで、定食3人前。桃ちゃんはまだ白ご飯ばかり食べていた。みかんをあげたら、手をべちょべちょにして口に入れていた。途中眠くなってきた。
ママ(嫁さん)がお買い物をしている間、パパとジージであやしていた。一番ご機嫌になるのは、山手線の電車が見えた時だった。笑い顔を撮るのに、何回も山手線が行き来した。
恵比寿駅の改札口までももちゃんたちがお見送りに来てくれた。バイバイしたら、とたんに泣き出した。ももちゃんにとってジージは大好きな家族になっていた。

2011年8月13日土曜日

高尾山(いやH医療センター)に行く

8月11日高尾山麓に位置するT医科大学はH医療センターを訪問した。
荻〇先生の案内で手術室全室を見せていただいた後、池〇先生のご案内でICUや救急部も見学することができた。
さて夕からの意見交換会に先立ち、高尾山登山道に行きジョギングを!と着替え一式を準備していた。午後の麻酔導入前頃から雷鳴が聞こえるようになり、あたりが暗くなってきた。麻酔導入中一瞬の停電、直ぐに回復し問題なかったのだが、病院玄関に行くと、雷を伴ったゲリラ豪雨が始まった。高尾山の辺りは真っ黒な空に覆われていた。それでもタクシーで高尾山ケーブルカー乗り場に行き登山道を少し登った。雨は小降りになっていたが、ケーブルカーはストップし登山した人たちが次々に下山してきた。気持ちを切り替え総合浴場「フ〇。ピー」へ。ゆっくり数種類の風呂を満喫した。

午後5時半から麻酔科・ICUの皆さんと意見交換会。お互いに率直に思うことを語り合うことができたが、若手には少々“激”を飛ばさせていただいた。

 自由闊達な意見交換会から、場所を高尾駅前「彦〇」に移し、もっと自由な意見交換会(懇親会)となった。「自分が居眠りを始める前に言いたいことを言うように」と前もってお願いしたのだが、気合が入っていたのだろう、全く眠くなることもなく右「平〇」左「金〇」前面「荻〇・池〇」の超御もてなし陣形?の中で大いに語り合うことができた。急患を済ませて駆けつけた若手ともいろいろな話ができた。

 彦〇を出て八〇子駅へ、宿舎として用意いただいたホテルに重いリュックを置き、池〇先生行きつけの「高級ワインバー」へ。、雰囲気がとても良くグラスを重ねつつそして記念写真。

 翌朝、飲んだ翌日の「早起き鳥」で、5時には目覚め6時過ぎの京王線で新宿へ帰った。H医療センターの皆様、良い意見交換会ができて良かったと思います。ありがとうございました。

2011年8月8日月曜日

土日は熊本で過ごす

麻酔科の大先輩伊〇先生の米寿のお祝いが熊本で開催され、参加した。伊〇先生は昔と変わらす、背筋を伸ばされ矍鑠としておられた。伊〇先生は、昔と変わらず矍鑠とされいる。M先生から伊〇先生との55年の交流人生の披露もあり、感銘を受けた。
翌日曜日は午前中教会の礼拝に行った。2ヶ月ぶりだが、皆さんお元気そうで安心した。
孫の陽太の待つ我が家へ急行した。ひなちゃんは時々モゴモゴお話しする。3ヶ月半で早くも8㎏だが、思ったよりスマートだった。ジージを見て笑ってみたり無視してみたりしていた。はっきりしたのは、パパ・ママと一緒にあやすと笑うこと。多くの大人の寵愛を受けていることが分かると嬉しいのだろう。写真を沢山写したが、タイミングがずれてNGばかりだった。
兄貴分の桃ちゃんのお下がりが入らなくならないように、もっと運動させねばならないだろう。娘が手足を動かして運動させていたが、ひなちゃんは嫌がっておらず、むしろ喜んでいた。運動が好きなのはジージのDNAのおかげかな?と良いとこは全部自分似という、唯の爺様になっていた。