2012年2月26日日曜日

東京マラソン2012大会

8時前に日比谷公会堂2階に着くと、既にランニングドクター(RD)たちは集まっていた。すぐに赤い帽子、医師と書かれた赤いビブスとゼッケン、荷物を入れる袋が配られた。自分は34.40名中34番目の走力と言う意味か?写真は出発前の全員での記念写真。
荷物を袋に入れ、9時20分には日比谷公園沿いの道路に向かった。最初は車いすマラソンのランナーが通過して行った。日比谷公会堂の前にBMWの自転車が数台おいてあったが、それらはAED自転車班に利用されたようだ。
9時30分過ぎに外国の招待選手とペースメーカーの一団が通り過ぎた。日本人選手はだれもいない。100m以上遅れて日本人選手を含む第二集団が通り過ぎた。



熊本の松〇さんからメールが来た。日比谷駅に一家で来られたようだ。息子さんが首都圏の学校に入られたので、一家で東京を楽しみに来られたという。その中に自分の激励も加えていただいたのだから、感激以外の何物でもない。


また阿蘇スーパーカルデラの仲間である高〇さんも応援に来てくださった。自分は10㎞地点の日比谷公園から10時50分にスタートする。一緒にスタートするS先生やゴール地点で待ってくださるRD責任者のK先生とも記念写真を撮った。
東京の大通りを走るのは気持ちが良い。
17-18㎞地点で心停止患者発生、自分が現場に来たときは既にAEDで心室細動は改善し意識回復したようだった。先にスタートした仲間のRDが付き添い救急車の到着を待っていた。
浅草に向かう途中東京スカイツリーが良く見えた。

この辺で折り返してくる前任の病院からの走友の清〇さんと出会う頃だな・・と思っていたら、向こうから見つけてもらって声をかけてもらった、。お互いに写真を撮りあった。
RDらしく、きつそうな表情のランナーには「大丈夫ですか?」と声をかけた。大抵、「大丈夫です、ありがとうございます」の返事があった。外国人のランナーには。「Are you OK?」「I'm all right, thank you.」「Keep your pace, enjoy!」の会話で話しては別れた。沿道からは「ドクター頑張れ!」の声援が思いのほか多くかけられた。
30㎞過ぎで体温低下で震えて吐き気を訴えているランナーがいた。意識ははっきりしているので軽症と言ってよいのだが、数100m前の救護所で気分が改善したからと言って走り始めたらしい。しかし、今回はもう走れないと言う。救急車を要請したが、軽症患者は民間救急車、中等症以上(入院治療が必要)は消防局の救急車が原則対応することを知った。
豊洲駅近くで、ひかりちゃん一家に出会った。わざわざ応援に来てくれていた。寒かっただろうに、ありがとう。これでまた元気が出てきた。
ゴールには15時7分過ぎに到着した。32㎞を4時間17分で走ったことになる。ただし患者対応の時間も入れている。キロ8分ペースはまずますと納得した。
RDとしての対応の報告書を出し、着替えて打ち上げ会場に向かった。昨年の10月に会場予約を申し込んだそうだ。飲み放題だったが、ビールが美味しかった。写真は打ち上げが終わって会場玄関前にて。
りんかい線、JR山手線で新宿に行き、U先生とさらに夕食??となった。U先生は明日の午後から学会で出張なのでその間のことについての打ち合わせ。当然のことながら満腹で帰宅した。
東京マラソンから学ぶことは多い。熊本城マラソンも日本を代表する人気の高いマラソンマラソン大会に育てなければならない。それにしても、T医科大学の皆さんは寒いからだろうか?誰とも会わなかった・・・

2012年2月25日土曜日

ランニングドクター集合東京マラソン前夜

明日の東京マラソンを控え、日本ジョッギング医師連盟所属で東京マラソンで走る医療班を担う医師たちの説明会と懇親会が新宿で開催された。
皆さん確かな走力を持ち、BLSなどの救命研修を受けておられる。
熊本城マラソンを走られた方も自分の他に二人おられ、月数回のフルマラソンをこなしている強者も何人かおられた。真剣に愛するマラソン大会が無事故で行われることを願っている。近くに座られた皆さんと話しながら確信した。写真は会終了後の集合写真。
幹事長のS先生とは明日はペアを組んで中くらいのキロ7㎞ペースで走るが、S先生はろっ骨骨折の後とか骨折ブラザーズで走ることになる。会長のK先生はT医科大の整形外科のご出身で、何か縁の大きさを感じる。写真は集合写真とK会長とS幹事長。

初期研修医の慰労会

2か月間の麻酔科実習を終える初期研修医を、さつきに招いて慰労会をして。丁度鹿屋の中〇先生から大変おいしい焼酎を送っていただき、本物の焼酎を楽しむ会も兼ねた。さらにはサッカーキリンカップで日本対アイスランドが行われる時間帯になる。先日のようにゴールを「乾杯」で祝いたい。
前日阿蘇スーパーカルデラマラソンの申込書が送ってきたので、郵便局に行きATMでその支払いや軍資金に引き出しその他をした。
19時半にさつきに行くと、永〇先生(ニックネームはレイチェル)以外が集まっていた。永〇先生は急に都合がつかなくなったという。残念だが、ビールで乾杯し会食に移った。丁度サッカーの地合いが始まっていたが、開始2分のゴールは見逃した(ハーフタイムの録画でゴールを確認し「乾杯」を歌った)。写真は嬉しそうに甕を開く自分。
3回も「乾杯」を歌うことができた。甕に入った焼酎はまだ半分以上残っていた。残りはちょびちょび飲むことにしよう。写真は乾杯シーン。
研修医の皆さん!ハードだったけど楽しく充実した研究が終わりますが、どうかこの2か月間の勉強を次の研修に生かし将来の医師としての基礎としてください。最後は指導教官の顔になっていた・・・と思う。写真は参加した研修医の皆さんと。

2012年2月24日金曜日

東京セントラルクラブ2月例会

一ヶ月前から東京セントラルクラブ会長の谷〇さんから2月の例会卓話を依頼されていた。同クラブの石〇さんから宜しくと信州のりんごまでいただいた。熊本出身で目黒クラブの福〇さんや名古屋クラブの相〇さんも来られると言う連絡を受けた。一昨年に一緒に走ったTさんも八王子から参加したしていただいた。
会場に入ると、皆さん笑顔で迎えてくださった。2月はTime of Fast といって飢餓を憶える月。例会の食事を質素にしてその分献金する。この日は小さないなり寿司五個とみかんだったが、これが美味しい。皆さんの自己紹介をお聞きしながら、これから話すことを整理した。
卓話のタイトルは「何故自分はクリスチャンになったのか?」。これを話すには、母のことや自分が緩和ケア・医療に関わってきたことを話さねばならない、加えてサッカーのこと、ウルトラマラソンのことなども話したので、「切り口の多い」楽しい話しになったのではないかと密かに思った。しかし話しがあちこちに飛んだかもしれない。話しの後にはお土産までいただき恐縮した。このような機会を与えていただいた東京セントラルクラブの皆様に感謝。写真は例会終了後の集合写真。
例会後、真っ直ぐ家に戻った。二日分の郵便物を整理し、近所の豆腐料理屋さんに行った。お店のご夫婦と熊本城マラソンの話しをしていたら、隣に座っておられた二人連れが話しに加わってこられた。奥様は熊本出身で、ご主人は熊大のご出身で大学の後輩だった。これも奇遇。楽しい時間をいただいた。家に帰って風呂、洗濯を済ませ布団にもぐりこんだ。アーメン。

クルズスと研修医慰労会

2月22日は桃ちゃんの誕生日。お祝いのメールを送ったら、ママから写真が一杯送ってきた。すっかり元気になったようだ。
今週麻酔科をラウンドしている学生さんたちは勉強しすぎてくたびれた顔をしている。MCQと言われる総合試験を受ける前で進級がかかっているという。水曜日は午後からクルズスを担当した。眠そうに目をつぶったり舟こぎを始めようとする学生さんには質問を投げかけた。一生懸命に喰らいついてきた。皆の目が開き清々しい表情になったのは、最後のブログ用記念写真撮影の笑顔の時だった。君たちは偉い!そして若い!
研修医の慰労会と言うことで、新宿アイランドビル地下のしゃぶしゃぶの店に行った。一番最初に到着したのはU先生と自分だったが、続々集まってきた。フリーダも来てくれた。
飲み放題なのでビールからスタートし、黒糖酒、芋焼酎に移った。食べ放題なので何皿もお肉と野菜のお変わりが続いた。これで儲かっているのだろうか?と心配になった。



皆の笑い顔を求めて写真を撮った。
二次会は近くの「さつき」に移動した。丁度オリンピック最終予選日本対マレーシアが始まった。日本が得点するたびに、どういう訳か長渕剛の「乾杯」の盛り上がりの部分を歌い、グラスを持ち乾杯した。後で聞いたら、自分はほとんど寝ていて、得点のたびに目覚めて起き上がり歌を歌っていたと言う。今日の学生さんを彷彿させると思った。試合終了後、関〇先生と医局に戻った。少しビールを足して、久しぶりにソファーベッド+寝袋で休んだ。

2012年2月19日日曜日

第一回熊本城マラソン

第一回熊本城マラソンの目標は(エイド以外は歩かない)ずーっと走る、キロ7分(7x42.195)で約300分なので5時間前後でのゴールとしていた。トレーニング開始が1月スタートなので、これもハードルが高い。しかも2月26日は東京マラソンで走る医療班(10km地点からゴールまでの32kmを走る)が控えている。そのような理由で6時間は切りたいなと心密かに思っていた。
朝は-1℃まで冷え込んだが、スタート地点から約800m離れた場所で待機しているうちに日が射してきた。写真は控室で、てれっとウルトラマラソンクラブの仲間たち。





写真は自転車AED部隊の出発もよう。







9時過ぎのスタート時点では2.5℃まで気温が上がったが未だ寒い。Dブロックからのスタートだったので、スタート開始からスタート地点まで到達するのに6分要した。通町筋に1万人がそろい走りだすのは圧巻だ。大甲橋が人で埋め尽くされている。九品寺交差点に姉がいた。携帯で写真を撮ろうとしたが失敗したようだ。



熊本市医師会館の2階には横断幕田〇先生ファイト!とあった。手を振って応えた。






熊本地域経センター前の四つ角から、緩和ケア病棟のボランティア控室にいて応援してくれているMさんを確認。写真をとり手を振った。






平成大通りに入り、JRをまたぐ大橋はきついが歩かず走り続けた。頂上からMx2さんのマンションが見えた。けやき通りに入ると、右側にひまわり在宅クリニックが見えた。2階で二人旗を振っていた。院長のG先生は自分よりずっと先を走っていることだろう。それにしても、トイレ事情が悪く、大勢の人たちが並んでいる。15~20分は待ち時間がありそうだ。
蓮台寺の地下道を抜けると、岩〇さんの自宅の前に出る。息子さんと応援、約束の梅肉入りおにぎりを準備してくれていた。ここで、「岩ちゃんトイレ貸して!」とお願いし、お借りする。娘のSちゃんは出産で実家に帰省中。まだ一月にならないU君とも面会した。元気にね!
熊本西大橋を越え、アクアドームから上護藤公民館までは地元の方々が大勢沿道の集まり熱心に応援してくださった。この辺からキロ8分を越えるペースになっていた。
川尻地区に入ると応援が一層にぎやかになった。もともと団結の強い地区で、隙間がないほどの応援で力づけられた。



加勢川沿いから飽田にかけては田園地帯だが、集落のあるところを中心に人々が応援してくれていた。田んぼには応援の横断幕が立っていた。





飽田から県道熊本南港線に向かう途中、Mさんの1番目のお姉さん親子と会った。写真とってMちゃんに送るね。とお互いに写真をとりあった。
熊本港線を西に向かう。西風が冷たく体力を奪う。右足をかばって走るので、この付近ではキロ9分を越えるペースになっていた。Mさんの2番目のお姉さん親子はここで応援。写真を撮ってもらった。


本大会ではゆるキャラのクマモンの着ぐるみを着た人が多く走っていた。その中でも大きな着ぐるみを着たクマモンは、走るの止めて太鼓を叩いていた。この間前任病院の水〇さんや工〇さんい会った。麻酔科の後輩の定〇先生は故障が多いとゆっくり走っていた。しかし3人とも自分より先に行った。
再び岩〇さんに会い、元気をもらって市街地に入った。南熊本の山〇歯科の山〇先生がビルから顔を出していた。手を振って声をかけると気づいてくれた。熊本地域医療センターの角を左折した。てれっとの三〇さんが、手を振って走るようにアドバイスをくれた。白川沿いの道に入った。ここは自分のテリトリー(ジョギングコース)だったところだ。幾人かの友人(ボランティアで参加)と出会った。
中央郵便局、福田病院、熊本YMCA、熊本市立博物館への道は、通勤道路だった。熊本YMCAの前で、家人が釘〇さんの奥さんと応援。この坂を上り、さらに二の丸公園横の催し物広場に駆け上がった。遠くの電光掲示板は6時間を超していた。フィニッシュ手前でRさんが手を振っていた。挨拶して写真をとってゴールした。6時間11分38秒は予定よりも随分遅かったが、歩かずにゴールで来たので満足。途中出会いがあったり、写真を撮っていたので思い出の詰まった大会になり満足だ。

二の丸公園ではショーやで店でにぎわっていた。完走率は93%だったようだ。
家に戻りゆっくり風呂に入った。足首の腫れはなく、ふくらはぎが少し痛む程度だった。




打ち上げ会場の「鶴重」に行った。仲間が既に集まり乾杯も終わっていたが、乾杯は何度あっても良い。






千葉から参加の飯〇さん親子と自分は遠来なので、皆さんにとっても気遣ってもらった。
翌20日、足はそれほど痛まない。26日の東京マラソンに気持ちを切り替えた。



最後に、今大会のお世話をしてくださった皆さん、ボランティアとして支えてくださった皆さん、応援をしてくださった皆さんに心から感謝いたします。大成功の大会だったと思います。

鹿児島から熊本へ

2月17日、鹿屋から鹿児島の家人の実家に行った。義父の86歳の誕生日と、姪の愛〇ちゃんの結婚披露を兼ねて昼食会を持った。義父は食欲もありローソクを一回で吹き消した。ビールは自分より飲んだ???



愛〇ちゃんのご主人は長身で優しそうな人だった。
鹿児島にいる叔母の家を訪ねた。掛け軸を自分たちに譲りたいとのこと。自分は「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」と書かれた掛け軸を選んだ。お茶会の時に披露する掛け軸のようだった。
熊本に帰り、むさしワイズメンズクラブの企画例会に久しぶりに参加した。3月の15周年記念例会の話し合いが丁度あったので、良かった。帰りは高〇さんに送ってもらった。
2月18日は、税理士の友人のところに行って確定申告の準備をしてもらった。前年は退職金や駐車場を新しく作ったりなど出入りが多く、申告をするには自分の能力を超えている・・・
前任の病院に行き、入院中の3名の友人(元患者さん)ともう一人の大事な友人をを見舞った。病院では院長先生や副看護部長、麻酔科部長、手術室師長に会うことができた。患者さんのMさんは病棟から手を振ってくれると言った。明日は写真を撮ろう。スポーツ用品店に行き、明日のリングタイツや足首のサポーターなどを購入した。
熊本城マラソンの受付に市民会館に行き、ゼッケンをもらった。7027番だった。
帰りにひなちゃんちに寄った。ひなちゃんはジッジのことを忘れたようで、キョトンとしていた。





ジッジは、果敢にひなちゃんにアプローチした。伝家の宝刀で娘(ひなちゃんのママ)と一緒に写真を写したが、未だ固まったままだった。
夜は阿蘇のTさんから送ってもらった、新鮮な野菜のしゃぶしゃぶ、むろん肉もカーボローディングの為にうどんも入れ、準備を整えた。10時前には寝たのだが、12時過ぎに目が覚めその後はなかなか寝付けなかった。

2012年2月17日金曜日

鹿屋での講演会

去年の2月に大隅半島の高山で開業する南〇先生から電話をいただいた。1年後の2月16日に鹿屋市医師会館で開催する学術講演会で話をするようにとの依頼だった。当然ながら喜んで受けた。2月19日は第一回熊本城マラソンが開催されうことになったので、丁度良かった。
種子島から鹿児島空港に降り、大荷物を持ってタクシーで家人の実家に向かった。タクシーは納車されて4日目の新車らしく、運転手さんも長距離のお客さんなので喜んでいた。45分後にピックアップをお願いして一張羅のスーツと勝負ネクタイで身を包んだ。鹿屋には鴨池・垂水フェリーを利用した。普通なら乗船後は甲板に出て景色でも眺めるのだが、風が強く寒いので車内で本を読んでいた。垂水・鹿屋間はバイパスもできて快適なドライブだった。途中鹿屋医療センター(以前は県立鹿屋病院)に寄った。座長を受けて下さった原〇先生はここの副院長。広大な敷地で健康増進センターも併設していた。
1時間以上前に会場の鹿屋医師会館に着いた。医師会の学術委員を務められる南〇先生が早めに来られた。いろいろお話をしていたら、鹿屋星塚敬愛園の後〇院長先生が来られた。自分の母親が同園に勤務していた昭和16年から23年の記録があったことや、その頃ハンセン氏病の患者さんへの治験をしていたこと、患者さんからは優しい先生と慕われていたことを伺うことができた。感謝。
講演会には85名の医療従事者が参加して下さった。講演はこれまでやってきた自分の仕事を紹介する内容で、あまり学術的ではないが、分かりやすくて面白かったと評判は良かったようだ。質問もいくつか受けることができたし、大学6年の時に夏休みに研修させていただいた今〇病院の当時非常に若かった看護師さんと会うこともできた。
講演終了後場所を移し、熊本大学と鶴丸高校の同窓の先生方と懇親の席を開いていただいた。昭和44年熊大卒の隈〇先生はお世話になった加〇先生や親戚の池〇先生の同級生、自分の同級の南〇先生、坂〇先生、新〇先生、熊本で一緒に仕事をした諸〇先生など話に花が咲き、記念写真を沢山写した。二次会三次会ではほとんど芋焼酎のお湯割りを飲んでいた。
写真は講演会後の懇親会で。

種子島への帰省

2月15日は8時40分にタクシーに乗り込み羽田に向かった。鹿児島空港では乗り継ぎに1時間余裕があったので空港のレストランでバイキングの鶏飯と豚汁うどんを注文した。鶏飯のスープに鶏肉が入っているはずだが、ほとんど残っていなかった。二杯めのおわかりの時にはスープが新しくなり鶏肉が豊富にあった。ここがバイキングの良さか??
種子島行きの飛行機はSAAB340Bでプロペラ機だ。種子島空港(「コスモポート種子島」の愛称あり)へはわずか25分のフライトだが、霧が発生して見通しが悪く引き返すかもしれないとのアナウンスがあった。写真はSAAB340B。
無事に種子島空港に着陸しレンタカーを借りた。サンシード(スーパー)でお花と柴を買い、先ず西之表教会・幼稚園の池田先生を訪ねた。不在だったのでスタッフの方に訪ねてきたことを伝えて下さるように頼んだ。
墓参りをして花と柴を飾った。教会の共同のお墓にも行き、花を供えた。写真は供えたお花。
種子島の家に帰ったら大掃除が必要だ。箒も古くなり、藁がポロポロ落ちる。掃いた後電気掃除機で埃を吸った。電気が3か所で切れていたが、今回は取り換える余裕がない。



夕食は歯科医の従兄と〇省君と自分たち夫婦の4名で港に近い酒菜屋「源」に行った。種子島にしては寒い夜だったので従兄は初めから焼酎のお湯割りでスタート。刺身や鍋料理で温まった。お店の壁には懐かしい写真が沢山貼ってあった。




橘丸は鹿児島・種子島間を約8時間で結ぶ旅客船で小学校令学年頃に乗った記憶がある。
写真は集合写真と橘丸。
翌朝、叔父の家に挨拶に行ったが、外出中だった。しかし数十年ぶりに叔母にあうことができた。
種子島空港では飛行機が30分遅れるとのアナウンスがあった。空港には宇宙から見た鹿児島などの写真が展示してあった。黒砂糖入りの生姜茶と〇〇のマークの入ったクッキーを買った。
写真は宇宙から見た鹿児島・種子島。桜島の噴煙が種子島の方向に流れているのが分かる。

2012年2月15日水曜日

鹿児島・熊本への帰省を前に

冬なのに何故夏休み?の質問があった。T医科大学の夏休みは、年間に5日ずつ2回に分けてとる(これに上手く土日をくっつける)。お盆に熊本に帰り車をフェリーで運んだのが一回目で、今回が二回目。しかし冬に休みを取っても慣習的に「夏休み」と呼んでいる。
昨日は手術室の麻酔科医控室やICUの医師室、医局のテーブルにチョコレートやお菓子が沢山置いてあった。自分だけの特定のチョコでなくても、男性はやはり嬉しいと思う。
新潟の三〇町病院の昼の給食にはチョコレートケーキがついていた。脳外科のK先生と会った。「あっつ!先生は今日いらっしゃる日だ!」と言われた。控室にいたら、チョコを届けに来てくれた。そして隣の部屋をノックしておられた・・・。
T医科大の麻酔科医局に戻ると、U先生とO先生がおられた。これから1週間不在なので、医局の事情や動向などのお話をした。
帰って新潟のラーメンを作った。麺がうどんみたいでスープは魚の味がした。おろしにんにくとの相性はとんこつラーメンほどではないが美味しかった。家人は「またレンジを汚している!」とブツブツ言っていたが、食べる時は幸せそうな顔をしていた。桃ちゃんはまだお腹をこわしているらしい。(桃ちゃん)ママから手作りチョコが届いた。手が込んでいろんな味がした。桃ちゃんも「食べたーい!」と言ってったそうだが、まだ無理だろう。有難うあやちゃん。写真はもらったチョコレート。
旅行の準備、確定申告の準備、熊本城マラソンの準備などを始めた。荷物が多くなったので、タクシー会社に電話して、中野区内ー羽田空港のパックを予約した。デジカメが見つからず、病院に忘れた!と大騒ぎしていたら、家人から「ここにおいてあるでしょう!どこを探しているの?!」との指導・躾があった。

2012年2月13日月曜日

一日早いチョコレートと手作りケーキ

2月14日は新潟に行き、15日から種子島、鹿児島、熊本に行く(夏休み?)。午前中緩和ケアチーム回診、ICUカンファレンス、脳神経外科の麻酔、クルズスをしていたらもう夕刻になっていた。18時からは症例の検証委員会などを控えていた。
一番奥の手術室から手術室入口に向かって歩いていたら、遠くからN看護師さんが手を振っていた。そして走ってこられたので、思わず後ろに誰かいるのだろうと振り返った。誰もいなかった。Nさんは「明日は休みなんです。いつもお世話になります。」と言ってチョコレートをプレゼントしてくれた。そういえば明日はバレンタインデーだ。「こちらこそお世話になります。一週間夏休みでいないので・・ありがとう。」と答えた。
ICUの医師室に行った手作りのケーキが二切れお皿にのっていた。誰もいないことを確認して一切れ口に頬張った。おいしかった。すぐにドアが開いて、N先生とS先生が入ってきた。N先生が「S先生が皆のために作ってきたケーキですよ。食べてください。ただし3月14日の件(クッキーデイのこと)はよろしいですね。」と言った。「すみません。今食べました。了解です。」と答えた。
一緒に麻酔をしていた研修医のK先生が、「明日は手作りチョコレートを持っときます。」と言った。「明日は新潟に行くので、朝早く配ってね。」と言った。日曜日に作ったそうだ。えらい!と思った。

2012年2月11日土曜日

桃ちゃんの誕生会

ももちゃんのお誕生日は平成22年2月22日。2月22日は家人は熊本にいるので、11日早いが今日桃ちゃん家族とジッジとバァバと一緒のお誕生会をすることにした。
朝は6時には起きて朝食を食べ、7時45分にはジョッギングに飛び出した。妙正寺公園から上井草駅に向かった。途中から井草遊道に入った。少し足を延ばすと上石神井駅や石神井公園に着く。妙正寺川沿いに石像や銅像があるが、「春」のタイトルの着いた女の子の像には、寒いからだろうか帽子がかぶせてあった。寒さも緩み、それほど寒くなかった。
「寒ゆるみ耳あてなしで早朝ラン」
約8kmから帰って朝風呂に入り、電車で病院へ。
出かけ際、宅急便が届いた。熊本のOさんからチョコレート(ありがとう!!)と東京のIさんからりんご(ありがとうございます!)。
「如月やチョコ届ける宅急便」
途中MACに寄った。ラスベガスセットは10時半からでないと準備できないという。注文して二階に上がってできるのを待つことにした。10時半ごろ地震があった。
「建国の朝コーヒー揺らす震度3」
実験室では内〇先生と臼〇先生が手術着に着替えていた。手際よく、実験を進めた。24時間後宮〇先生が計測を行う。と言うことで、医局に移り昼食となった。デザートは内〇先生が準備してくれたので豪華な昼食となった。
原稿整理やICUと手術室を回っているうちに16時半になった。
17時過ぎに桃ちゃんちに着いた。先に来ていた家人は桃ちゃんと遊んでいた。もう二語や三語の話しができるようだ。桃ちゃんは何か良いことが起こると察したらしく、ご機嫌だった。桃ちゃんはパパの小さい時にそっくりだ。パパ(長男)は小さい時、自分似で一卵性親子と言われたことがある。DNAが受け継がれているのだろう。家人の意見は、「ママの影響を受け、もっと優しいお顔だ」だが、自分もそう思う。
恵比寿西のイタリアレストランの個室を長男夫婦が予約してくれていた。桃ちゃんはママの作ったおにぎりやお味噌汁持参。乾杯はスパーリングワインで。食事に合わせてワインを頼んだ(のは自分だけ)。




桃ちゃんはお店のパンとスパゲッティー、そしてアイスクリームを美味しそうに食べていた。
桃ちゃんのお誕生会は、大人がイタリアンを楽しむ会も兼ねたとても良い会になった。11月には還暦祝いをしてくれるという。嬉しいが、50代のままでいたい。
充実した土曜日になった。
「二歳の誕生祝う桃也哉」(桃也の桃は季語にならないかな?)