2011年9月30日金曜日

立つ鳥跡を濁さず

 9月30日までT医科大学病院で勤務し、10月から他の病院で研修を続けるM先生とH先生は最後まで仕事をした。H先生は今夜の研究会で発表までした。この数日、目の周りにクマを作っての準備で発表一時間前に準備完了という慌ただしさだった。緊張したのだろう発表の時はマイクのスイッチを入れ忘れていたようだったが、気づいたのは自分一人だけだった。
 会場は昨日の慰労会・説明会と同じホテル。研究会後の情報交換会は同ホテルの一階および庭で行われた。集まった皆で記念撮影。人数が少ないのはまだ手術室では4件の手術が行われていたのと数名が神戸に専門医試験を受けに行っていたから。
今日で初期研修麻酔科のプログラムを終え、5名が他の科に移る。皆の記念写真を撮ろうとしたが、3人ほど不在だった。麻酔医師室に貼ってあった写真を写して、これからアレンジしようと思う。
 雨が降り出した。明日はANAはストライキというが、14時10分羽田発で鹿児島空港経由種子島空港に向かう予定。
 初期研修医のU先生は地域医療プログラムで東京都の大島に行くそうだが、場所は違うが同じ離島で同じ星(月)を眺めよう! きっと麻酔科に入局することを信じて・・・

初期研修医慰労会・説明会

2か月毎に初期研修医が麻酔科の臨床のプログラムに入ってトレーニングを受ける。7,8人はいるのだが、1ヶ月のずれがあるメンバーもいるので、少し慣れた初期研修医とマダマダ不安な初期研修医に分けられる。
さて、9月29日初期研修医の慰労会・説明会を開催した。U先生が神戸出張なので、I医局長に麻酔科の説明をしてもらい、参加者にそれぞれスピーチをお願いした。
他の科に入局願いを出している初期研修医もいるが、一緒の釜の飯を食べた仲間には変わりない。それぞれの道に進んでもこの2ヶ月で学んだことを忘れないでほしい。さて写真には5名の初期研修医と5名の指導医がいるのだが、お分かりだろうか?
この後、さ〇きに行って、詰めの仕事??を行った。

2011年9月28日水曜日

敬老の日プレゼント

9月25日に桃ちゃん一家が遊びに来た。プレゼントをもらったのだが、「敬老の日」ありがとう・・のプレゼント。桃ちゃんから見ればジージとバーバだから確かに敬老かもしれないが、まだ60歳にも届いていない。









今日の桃ちゃんはママの帽子をかぶったりしてご機嫌だった。ジージは寝転んでおなかを叩いて桃ちゃんの関心を引こうと努力したが、当の本人はロフトへの梯子が大好きで上ったり下りたり。高所恐怖症の自分とは何か違う才能に恵まれた子に違いないと思った。

2011年9月25日日曜日

教授就任祝賀会

5月に赴任したT医科大学麻酔科学講座で教授就任祝賀会をしていただいた。祝賀会には夫婦同伴とのことで、熊本での祝賀会に続いて家人も参加した。
U先生の紹介は、自分が改めて自己紹介する必要のない程詳しく丁寧な紹介でで、仲人さんの紹介を受けているような感覚になった。
恩師森〇先生のご挨拶は、準備された原稿に一回も目を配ることなく、自分のこれまでの仕事を紹介してくださりまた自分の両親のことまで話してくださった。
鏡開きののち、枡酒での乾杯となった。
3回目の結婚披露宴(注:1回目は本当の結婚披露宴30数年前、2回目は4月23日に熊大麻酔科同門会主催の祝賀会を示します)のような感じで緊張していたが、各テーブルにご挨拶をしていくうちに次第に落ち着いてきた。I名誉教授のカルテットがジャズ演奏で花を添えてくださった。I先生は「酔っぱらいのために演奏するんじゃないよ、先生ご夫婦のために演奏するのだよ。」とおっしゃってくださった。祝賀会は和やかな雰囲気に包まれた。熊本からも、名古屋・信州・新潟からも参列くださった先輩方には感謝感謝だった。
東京と周辺に在住する同級生やかつての同僚も駆けつけてくれた。近々東京での同窓会もしようと言ってくれた。
謝辞の原稿をA4版用紙に2枚と数行準備していた。何回も何回も声にだし練習していたので、原稿なしで述べた。2,3か所飛び抜かしてしまったが、概ねよくできたと思う。この中で、「阿蘇スーパーカルデラ100㎞マラソンで最下位だったが完走したことで達成感を得たこと」、「「旧約聖書ヨエル書にある『老人は夢を、若者は幻を見る』とはどのような年齢に会っても、個人にしても組織にしても夢やヴィジョンがないと衰退すること」夢(目標)をもって諦めることなく続ければ結果は必ずついてくること」を話して「『58歳にして新しい挑戦』を始めた」と話を結んだ。
このような盛大な祝賀会をしていただいて、自分は本当に幸せ者だと思った。準備してくださった皆様、参加してくださった皆様に感謝している。
皆様をお見送りし、記念写真。
そして準備に当たってくれた医局員と記念撮影をした。

ここまではビールを数杯飲んだ程度。留学生のマー〇ンが、「今日は先生は酔っぱらっていない?!」と驚いたそうだが、気合が入っていたのだろう。
二次会には熊本・名古屋・信州からの先輩が来てくださったので、焼酎に切り替えいつものピッチで飲んでいたようだ。家に帰り、雑炊とカップラーメンを食べた。いつもの自分に戻っていた。

2011年9月23日金曜日

東京YMCAチャリティーラン

友人に誘われて木場公園で開催された東京YMCAチャリティーランに参加した。外国企業も含め、81チームが参加しタイムを競う。これらのチームの参加料にはチャリティー・募金が含まれている。会場の木場公園は東西線の木場駅の近く。遠くに東京スカイツリーがきれいに見えた。
ハンディキャップのある方々への支援プログラムの基金を作るために、チャック・ウィルソン氏の呼びかけで始まったチャリティーランは全国16か所のYMCAに広がり、東京YMCAでは25回目になるという。チャック・ウィルソン氏は今回で会長を辞任し、次のリーダーシップに引き継ぐと涙の挨拶が開会式であった。
家人と自分は、コースボランティアでコース作り(コーンを並べ一般の人の通り道と選手走るコースを分ける)や選手の誘導をしたが、MoFo, LLPチームが人数が足らないとのことで仲間にも入れてもらった。1周1.3㎞のコースを6名でリレー、スタートは女性、自分は第5走者になった。黄色のビブスはボランティアの目印。
第一走者のビクト〇アは途中でバテバテで後ろから2位、第2走者の岩〇さんと、第3走者クリ〇チャン、第4走者のYMCAのボランティアの若者で追い上げ、自分に引き継いだ。1.3キロは考えてみると中距離、途中までは良いが次第にバテバテとなり後半では若者たちに抜かれていた。そして第6走者のシー〇ーも頑張り、何と51位に食い込んだ。写真は走り終わって。
6周を31分48秒だから、一周 (1.3㎞) 5分そこそこのペース??こんなに速かったのだろうか?今日が東京でYMCAへのデビューとなった感じがする。
全力疾走1.3㎞は体に応えた。ほかの5人は皆20~30歳代だったが・・・きっときつかっただろう。
走っている時間よりも、開会式や閉会式、その後の抽選会がずっと長かった大会だった。抽選会では何も当たらなかったが天気は曇りで良かった。

台風15号

9月21日(水)昼過ぎから横殴りの雨が降り出した。周りの人たちは「こんな台風ははじめて・・・」と言っていたが、熊本や鹿児島にいる時は年に数回は経験した。やはり九州は台風銀座なのだろう。風雨が強かった時間帯が昼過ぎから帰宅時間帯に重なったために、電車はストップし一部開通していた地下鉄にも人が殺到して混乱したようだ。T医大病院は明け方まであった手術をはじめ22時頃まで幾つか手術が残っており、残り番のメンバーは帰る頃には電車が動き出すかな・・と冷静だったようだ。
  自分は麻酔科入局一年目の先生たちとの懇親会が表参道で予定されていたが、タクシーもつかまらず交通手段がなかったため、急遽病院近くのSビルでの懇親会に変更となった。19時半に病院を出て(この時は小降り)直ぐに地下道に入り、そのまま地下道を歩いて会場に行くことができた。会が終了した22時頃には、山手線が再開したようだった。しかし西武新宿線は未だ再開していなかったので、タクシーを確保し乗り合いで帰った。


 家に帰ると、家人から「二階の窓が完全に閉まっておらず、大変だった(ガタガタして壊れそう)」と報告があった。きちんと鍵を締めたらOKだったそうだが、これまでの「留守はセ〇〇にお任せください」は何だったのだろう。

 1991年平成3年の九州を襲った台風19号に比べると・・・と思った。あの時は病院の6階から下を見ると、周囲の家々の瓦が乱舞していた。高層ビルからリンゴが落ちても自動車の屋根に穴が開くかもしれない。災害は忘れたころにやってくる。今年の天地異変はいろいろな教訓を我々に示している。

2011年9月21日水曜日

東京での結婚披露宴デビュー

9月19日の祝日に後輩の結婚式・披露宴が目黒の〇ハウスであった。〇ハウスは以前外国人外交官の家を改造したもののようだ。
自分は濃紺のスーツにえんじのネクタイで参加したが、若者を除くほとんどの男性の参加者は式服(略式服)を着て白系のネクタイを締めておられた。丁度結婚式と披露宴の間に会場に着いた。庭で参加者と記念写真の最中だった。昨日病院近くの歩道で楽しそうに自転車で通り過ぎて行ったカップル(両人は気づいていなかった)だったので、安心した??
新郎側主賓(U先生)の挨拶は格調高く、医師としての責務まで言及された。新婦側主賓(H先生)は、ご自分のお孫さんが病気になられた時のエピソードを交えて、家族の大切さを話された。
感心したのは、ご両親のみならず、両人のGrandmotherに礼を尽し時間を取ってあげたこと。自分が「ばあちゃん子」だったので、この気遣いがうれしかった。
桃ちゃんもひなちゃんも「ジーバー子」にならんかな・・・

2011年9月19日月曜日

土日の思い出

9月17日(土)は「ある土」(週休二日の土曜日ではない日)。朝カンファ、DAM講習、ICUカンファ、スタッフ会議を回っているうちに、午前の時間が過ぎてしまった。締切書類の整理・提出後、「エコーガイド下区域神経ブロックハンズオンセミナー」会場に向かった。会場途中にある熊野神社ではお祭りで賑わっていた。
講師は青森からわざわざお越しくださった佐〇先生で、一つ一つ解剖、ポイントの部分を見つけるコツなど丁寧にご教授いただいた。





交流会ももたれたが、自分は他の会に出席のため中座した。写真は感謝状贈呈。


第二外科学講座主任教授祝賀会に麻酔科を代表して参加した。メジャーな科の主任教授なので、参加者も多く、ご挨拶をされる方も日本を代表する方々だった。O主任教授は教室員全員をステージに呼ばれ、夫々紹介された。また奥様のご挨拶もあり、O先生のお人柄を感じた。

9月18日(日)は家族サービスに徹した。先ずは近所の鷺〇高校の文化祭を見学し、電車を乗り継いで築地市場へ。家人がファミリーハウスの会で9月25日に行くことになっているという国立がん研究センターに行った。センターの一階に入り場所を確認後、長男と落ち合った。
3人で築地外市場で食事をとった。海鮮の丼など結構な値段で確かに美味しいのだが、量が少ない・・・と思った。
それまで大分歩いたので、お腹が空いていたのだろう。10月に来られるサン・アントニオ、ベア郡医師会一行の宿泊予約先に寄り、レストランがイタリアンでベジタリアンにも対応できることを確認した。
今日は目黒での二回目のさんま祭りの日、気仙沼から5000匹のさんまが届いたという。焼き立てさんまに並ぶ気の遠くなるような行列を見て、いつしか目標はガーデンプレイスの恵比寿ビール祭りとなった。
世界のビール祭りが催されていたが、ここも長蛇の列、入り口付近のビアレストランでソーセージをつまみながら、大ジョッキでのどを潤した。
新宿の病院から荷物を取って帰ったが、丁度熊野神社のお神輿しが賑やかに繰り出していた。ちゃんと、「江」と「テンペスト」に間に合うように帰ったので、家人がご褒美に「さんま」を焼いてくれた。
タダの「さんま」や「ビール」をゲットするには、もっと忍耐が必要だと思った。よく熱中症にならなかったと一族の強さを感じた??

2011年9月17日土曜日

茨城に行く

9月15日T医科大学茨城医療センターを訪問した。T医科大学麻酔科の重要な拠点であり、霞ヶ浦に近い。バスの便の良い土浦駅まで常磐線で行き、路線バスで病院に向かった。
病院は八〇子医療センターと同系統の茶色がかった壁で外観が似ている。玄関から中央手術部のある東館へはやや複雑だが、麻酔科部長のM先生に手術部入口で待っていただいたので、迷うことなく着いた。
丁度交代で昼食を食べておられたが、手術室の中をA先生に案内してもらった。手術室は医療機器がすっきりと整理されており広く感じた。麻酔科スタッフ・研修医は、外科系の先生方やナース、コメディカルの皆さんと和気あいあいと仕事を進めていた。茨城医療センターに赴任し20年というY先生に病院を案内してもった。最上階から病院周囲の地理を勉強。霞ヶ浦までかなり距離があることが分かったこと、晴天でかなり暑かったことから、熱中症を避けるために日中のジョッギングは急遽中止した。Y先生が責任者を務められるICUや救急部、外来などを見学させていただいた。
ひょんなことから、看護部長さんが九州のご出身であることが分かった。それではと言うことで、N看護部長さんへの表敬訪問お願いした。宮崎県小林市のご出身とのこと、小林は鹿児島弁なので、二人で話すときは鹿児島弁となった。鹿児島弁でしゃべるのは久々らしく非常に喜んでくださった。
 再度手術室に戻り、全身麻酔の導入や抜管を手伝った。懇親会を荒川沖駅東口の酒亭「か〇くら」で計画していただいたので、荒川沖駅まで歩いて行くことにした。丁度強い地震があったようだが、気づくことなく自衛隊の基地に面した大通りを西に向かった。約5kmで45分ほどで着いた。昼食を食べ損ねていたことを思い出した。スーパーでゼリーを購入して胃袋に入れた。
「か〇くら」はY先生の行きつけとか、料理もおいしく各種の焼酎もあった。Y先生、M先生、H先生、A先生とA’先生の6人での懇親会では、チームワーク良く頑張っていただいていることにお礼を申し上げ、M先生に是非〇〇になっていただくように協力をお願いした。最初の乾杯で、ビールの冷たさがやけに胃粘膜にしみたが、あとは焼酎のお湯割りにして温度調節を行った。二次会も全員参加でスナックに行った。途中まではしっかりしていた・・・が。
荒川沖駅西口のビジネスホテルで5時過ぎに目覚めた。リュックやウエストポーチは部屋に置いてあった。シャワーを浴び、荒川沖駅に向かった。特急フレッシュ常陸に乗車し特急通勤気分を味わったが、特急券購入が必要だった。16日すっきりとした表情で午前中麻酔相談外来の仕事をこなす自分がいた。もちろんM先生には早速お礼のメールを送った・・・

2011年9月11日日曜日

結婚式・披露宴そして京都部会

9月10日姪のCちゃんの結婚式。熊本の草葉町教会でY牧師先生の司式で行われた。前日に熊本入りし、朝から家人と着物をKKRホテルに運び、息子と娘親子をタクシーにのせて会場に行った。教会には信徒さんも大勢来てくださっていた。Cちゃんは幼児洗礼をこの教会で受けている。桃ちゃん一家とひなちゃん親子(母子)は子ども連れ用の部屋から(防音ガラスの部屋)から参加した。
義兄がCちゃんをつれてバージンロードを歩いているのを見て、娘と1年4ヶ月前に歩いたことを思い出した。Y先生のお話は力強く胸に響いた。




子ども連れ用の部屋から泣き声が聞こえた。あとで聞いたら、桃ちゃんが2歳過ぎの女の子とおもちゃの奪い合いをして泣いたらしい。しかし桃ちゃんは一生懸命に拍手をしていた。





KKRホテルでの披露宴は、主賓で祝辞をくださったY牧師夫人(Cちゃんの育ての親)の話しを聴きながら、感激して涙が出てきた。アラカンになり、涙腺が緩みやすくなった。


姉とCちゃんをが並んでいる姿を見て、亡くなった母を思い出していた。ひなちゃんは披露宴に参加してくれたが、泣かず愚図らずお利口にしていた。
披露宴終了後、熊本駅に向かい、新幹線で京都に行った。



9月11日は福知山市でワイズメンズクラブ西日本区の京都部会が開催された。京都部長のMさんや、実行委員長のNさんは兄弟クラブの京都みやびクラブのメンバー、去年から参加することを約束していた。京都駅7時30分発のバスで会場に向かい2時間以上時間がかかるので、九州部からの参加は自分ひとりだった。写真はM部長の開会のご挨拶。

部会の目玉は体育館での大運動会。気合を入れて行ったが、出番がなく、競技を応援したり実行委員の皆さんの働き振りを見たり、会場の周りを走ったりしていた。
最後の方で、MさんNさんのご厚意で玉入れと複合リレーの中の借り物競争の借り物で参加させてもらった。玉入れでは3チームの中で1位(自分が投げたお手玉はあまり入らなかったが・・・)、リレーでも1位だった。最後まで気合を抜かずによかった。
部会の雰囲気は子どもたちのチアリーダーや各クラブも応援団が盛り上げてくれた。
部会の始めと締めの場面でプロのソプラノ歌手の方が歌を歌ってくださった。ここが、みやびクラブの皆さんの企画した格調高い部会運動会であろうと感心した。再び京都駅にバスで戻り新幹線で東京へ、22時過ぎに自宅に帰った。
2日間あっという間に過ぎた。この間、原発関連の単行本、釜山の観光案内ブック、後輩から送ってきた論文に目を通すことができた。疲れたのか、京都ー東京間の新幹線ではほとんど寝ていた。最近、時間の使い方が上手くなってきた感じがするが、どうなのだろう???

2011年9月8日木曜日

ラーメン屋

朝走って病院に行ったが、明日は夕方から熊本に行くので朝は走れない。ということで、勤務を終え午後7時45分に病院を出て速足で歩いて帰ることにした。野方の環状7号線沿いに評判の良いラーメン屋さんがあることを聞いていた。ジョギング姿で行くのは気が引けるので、ズボンに半袖ワイシャツで中に入った。
ラーメンは薄いとんこつ風だが、味が奥深く、スープはあっさりからコテコテまで5段階に、めんの硬さも数段階に分けられており選べる。キムチは自由に食べることができ、生のにんにくが置いてあり、自由に擦って加えることができる。
東京にも、こんなラーメンがあったんだ!と感激した。近くの陸橋から写真を写した。帰りはいつも電車を使っていたが、ラーメンを楽しみに歩くことも良し。しかしこれでは、ウエイトコントロールが難しくなる。

2011年9月7日水曜日

クルズス

 水曜日はクルズス(少人数臨床講義)担当になった。麻酔科では今週から5年生の医学生6名が実習に来ている。午前中は麻酔科のモーニングカンファレンスから始まり、手術室での麻酔導入などを見学したりICUカンファレンスに参加する。月、火の麻酔・ICU症例の担当となり、指導医とともにケースレポートを作成する。レポート評価はU先生の担当だが、レポートの内容は学生さんばかりでなく指導医の評価?にもつながる。ここまで書くと、皆頑張るだろう。
 さて、6名に90分の講義をしたが、始めの50分は患者さんの診察から、リスク評価、麻酔計画までの流れを解説し、レポートの足りない部分に加えるように指導した。
 後半は、昨年熊〇大学の4年生に講義した内容(ペインクリニックと緩和ケア)についてパワーポイントで解説した。
 6名の学生さんは90分間眠ることなく(午後3時からの講義なので、大抵1,2名はコックリする)一生懸命質問に答え、筆記していた。一番盛り上がったのは、自分が阿蘇スーパーカルデラ100㎞マラソンのゴールシーンの写真を見せた時だった。
 反応の良い学生さんの講義をすると、自分も気合が乗ってくる。しかし一番求められているのは、いかに学生さんに麻酔科学・周術期医学に興味を持ってもらい、自学自習の方向にもっていかせるかだ。自分の学生時代はこんなに熱心だったのだろうかと(サッカーには熱心だった)ふと思った。

2011年9月5日月曜日

日曜日の静と動

 8月28日は、10時自宅を出て名古屋へ。ワイズメンズクラブ西日本区中部部会出席。部長の長〇川さん、実行委員長の橋〇さん、ホストクラブの浅〇さんたちとは親しくお付き合いさせていただいている。
写真は長〇川中部部長。
部会のあとの講演会では、東海テレビアナウンサーの高井一氏による「テレビと私とことば」を拝聴した。言葉の持つ怖さや表現の面白さなどを話してくださり興味深かった。
朗読(「雨ニモ負ケズ」と南米「ハープ」の演奏は東北の被害に思いをはせながらも、ハープとは異なる音色の妙を楽しむことができた。中部部会へは二度目の出席だが、格調高い。いつもは元気で挨拶を交わすべきNさんが6月に召天されたので、少しさびしかった。往復の新幹線では読書三昧だった。

9月3日は、「意識下挿管」のハンズオンセミナーと続いての懇親会があった。20時過ぎに宅急便の配送をお願いしていたので、内〇先生に初期研修医と学生さんの「詰め」を託して帰宅し、無事に叔母から送ってもらった「東京ぶどう」を受け取った。写真はハンズオンセミナー講師のK先生への感謝状。

9月4日は、病院に書類を取りに行った。自家用車があるので便利だが、駐車場代が480円だった。
東京の友人に紹介された、荻窪清水教会の日曜礼拝に参加させていただいた。母教会(熊本草葉町教会)と同じ日本基督教団で、礼拝の進行や使用する聖書・讃美歌が同じなので溶け込みやすい。隣に座っている信徒さんは讃美歌の歌声がきれいだった。後でお聞きしたら鹿児島のご出身とか。東京の教会めぐりも良いかもしれない。昼食は荻窪駅近くの春〇屋で中華ソバを食べた。醤油ラーメンの美味しさを、ここや〇福で何十年も前に知った。懐かしかった。

冷蔵庫の中に、賞味期限が切れそうな食材がいくつかあったので、久々に夕食を作った。この一週間で一番豪華な夕食になった。写真は夕食のおかず。デザートにぶどう、納豆ごはんと味噌汁が続いた。ぶどうと言えば、桃ちゃんが熱を出したという。心配だ。
ところでどちらの日曜が静で動?

写真はあとで。