2009年7月31日金曜日

救急救命学科実習ラストラン

 最終グループは、自分の出張や外来・病棟の忙しさのために余り面倒をみてやれなかった。反省を含めて実習最終日は、花岡山歴史コース+女子アナコース約11kmに挑戦した。同じく今日で実習終了する大学からの「救急医療研修医」N嬢は19時から小児科救急外来実習のため、3kmだけの最初で最期のジョッギングとなった。

 型のごとく長六橋前で記念撮影。N嬢は祗園橋近くで引き返す。その後花岡山山頂へ官軍墓地、薩軍砲台跡、戸坂稲荷神社、日本山妙法寺、仏舎利塔、熊本バンド奉教の碑を説明、熊本駅に降り熊本朝日放送社屋へ。女子アナとの遭遇は無く、花屋に行った。何か食べようと提案したが、学生3名遠慮して食べない・・・食べた後走るのがいやだったのか?。前回のグループとえらい違いだ・・・と思いながら、病院に引き返した。

 明日土曜日と日曜日は夏休みだが、外来に10名ほど予約が入っている。11時ごろまでは仕事だろう。その後鹿児島に行く。高校の全体同窓会に出席予定。熊本地区の同窓会会長(熊本一鶴会)が欠席なので、副会長の自分が会長代理となり、貴賓席?へ座ることになるという。鹿児島に一泊して、朝早く新幹線で熊本へ、患者さんを診てから、家族サービスに入る。博多で「ライオンキング」鑑賞と食事を予定している。
 そう言えば、庭がきれいになった。余りにも家にいない夫に愛想をつかし、家人が知り合いのTさんに剪定と草取り、雨どい掃除をお願いしたのだ。これで今夏は草取りしないで済みそうだ。


2009年7月29日水曜日

18000本のひまわり


団地の公園の一角に18000本のひまわり畑が出現した。ひまわりは太陽に向かって顔(花)を向ける。早朝で曇りはひがしを向いて顔をうなだれていた。畑の横にはテントがあり、また畑の中心にはビールケースで作った見晴らし台がある。新名所になるだろうが、夏季限定ではある。

驚いたのが、団地東側にある階段の両側に突然現れたひまわり花壇。ひまわり団地と命名したいと思った。
この素晴らしい畑を育ててくださった皆様に感謝。

2009年7月26日日曜日

七夕と皆既日蝕

今年の七夕は晴れていた。娘が提案し七夕飾りを作った。家族の健康を願った。娘はこれでもかとばかりに沢山願い事を書いていた。
46年前?、鹿児島で祖母と姉と近所の家に行き、縁側で日蝕を観察するメガネ(といってもガラス板にススを塗った?)をこしらえた。こんな思い出がある。この時「あと50年した皆既日蝕を観れるけどわたしたちは無理だから・・・」と言った祖母の言葉が耳に残っている。皆既日蝕の日、外来診療をしていた。外は曇り時々雨。どのような状況だったかは知らない。家人はうす曇だったのが暗くなった・・蝉が鳴き止みカラスが山に群れて飛んでいった・・と教えてくれた。

折角のことを書き忘れていた。

7月20日~25日

毎週のことなのだが、あっという間に1週間が過ぎた。20日は日直で二次救急担当で10名の患者さんを診察し4名を入院させた。部屋の掃除とブログ書きの時間は吹っ飛んだ。夜はKLCCの反省会・暑気払いに参加。あっという間にほろ酔い気分になった。22日は病院将来検討委員会、23日は救急救命科の学生3名と救急救命士を連れて熊本城、藤崎台球場周辺を走った。24日のワイズ連絡会議では終了後の懇親会にはでず、早く帰って睡眠をとった。25日緩和ケア病棟のボランティア会と懇親会に参加した。病院に戻り、医局で休憩をしていたらそのまま寝てしまった。23時患者さんの状態報告の電話で起こされた。患者さんを診て、代行で帰宅が26日1時半、溜まっていた原稿を書いている。ブログも書かないと、皆が心配している。7月20日と23日の元気な姿を写真で披露してみよう。


入院中の患者さんと言っても友人だが、随分前向きに明るくなられた。
彼の枕頭台に飾ってあったのが「もういちど飛んでみっか」の画、自分にも当てはめたいと思った。

2009年7月20日月曜日

7/17~7/19名古屋そして広島

ペインクリニック学会は楽しい。興味のある分野ばかりでどの会場にいこうかと悩んでしまう。17日は学会懇親会があり、名古屋のからくり人形やトヨタのロボットのトランペット演奏が披露された。恩師のM先生と立〇先生ともゆっくりお話しできた。

懇親会終了後大雨の中をM先生とホテルに帰った。
18日午後からペインクリニック専門医指導者講習会(医療安全、感染対策、倫理)を終え広島に向かった。
 広島では、日本ホスピス緩和ケア病棟協議会の全国大会がある。7月18,19の開催だが、18日の懇親会からの参加・・と思って、会場にタクシーでいたのだが、懇親会は既に終了していた。
以前広島に来た時に開拓した「みやまえ」にうちの病院から参加している3名と一緒にいった。お店の方も喜んで迎えてくださった。3人は懇親会でお腹一杯だったようだが、ぺこぺこの自分はあっという間に酔い、お好み焼きを食べに行ったことも忘れていた。
 翌19日早朝、比治山公園に向かって走った。 
多聞院やまんが図書館など興味ある施設がある。時間を作ってまた訪れたい。
学会ではスピリチュアルケアについて深く学んだ。患者さんのスピリチュアルな言葉の表出を解析する学問にはなるほどと思いながらも、スピリチュアルな訴えを温かく包む心を養いたいと思った。
 学会終了後新幹線JRをつかって熊本へ。そのまま病院に行った。入院患者さんを診て回りカルテ書きをしていたら22時を過ぎていた。20日は病院日直,21日は麻酔科当番の日。つかの間のお楽しみはあっという間に消えていった。

多聞院(たもんいん)は、広島県広島市南区の比治山にある真言宗御室派の寺院。山号は吉祥山。本尊は毘沙門天。境内に頼家一族(頼山陽)の墓所などの史跡、被爆建物である鐘楼があることで知られる。(Wikipediaより)

7/16~7/17名古屋そして長浜

 7月16日、4時に目覚ましが鳴った。3泊4日の学会出張の始まりだ。病院に車を走らせ、駐車場近くでタクシーと待ち合わせ熊本駅に向かった。4時53分熊本駅発の特急に発車2分前に飛び乗った。日本ペインクリニック学会は名古屋国際会議場で開催される。早速リフレッシャーコースを受講した。自分は十年前に講演したことがあるが、今さら拙い話しだったと思い出した。終了後、西高蔵駅から金山駅まで地下鉄で、JRに乗り換え名古屋駅から新幹線で米原に向かった。米原駅に長浜クラブの松岡さんと杉本さんが迎えにきてくださった。車で宿舎の長浜ロイヤルホテルに行き、荷物を置いて長浜クラブ例会場の北ビワコホテルグラッツィエに行った。
 長浜クラブ水谷宏会長とは3月の次期会長研修会で初対面。いきなり、長浜クラブの例会の卓話をお願いされた。最初は、平日はとても無理ですよ・・・と言ったのだが、丁度学会出張で名古屋に来ている日時と長浜クラブの例会日が一致しする日(7月16日)があり、今回のゲストスピーカーとしての参加になった。水谷会長からは、クリスチャニティーに関することを・・との要望があったので、「緩和ケア病棟は今」のタイトルで、7月11日の講演で使用したスライドに幾つかのワイズバージョンスライドを組み合わせ、話すことにした。幸いにコンピューターに詳しい吉村ワイズの骨折りで事前にパワーポイントで資料を送ることができた。長浜クラブは、40名を越える勢いのあるクラブで若いメンバーも多い。臼井元西日本理事を輩出したクラブであり、西日本区の委員会では松岡ワイズがEMC2000推進チームの元委員長、渡壁ワイズがLD委員会の委員として活躍している。

 例会に出席して、先ず感激したのが、中川ワイズ(書記)がわざわざ準備してくださった座席表。また食事もおいしくいただいた。丁度浅岡びわこ部部長の公式訪問でもあり、近江八幡クラブのメンバーや井之上LD委員会委員長も駆けつけてくださり、にぎやかな会となった。

 クリスチャニティーと緩和ケアの関係、自己紹介から何故自分がクリスチャンになったのか・・などをお話しし、がん対策基本法の成立から変わりつつある日本の緩和医療について言及した。緩和ケア病棟の紹介を通して「笑顔+ユーモア=癒し」についても話すことができた。卓話の後、参加者の皆さんから多くの質問を受けて嬉しかった。
 後日松岡ワイズから「田上さん、早朝より熊本・名古屋・長浜まで遠方よりありがとうございました。講演では「緩和ケア病棟」の貴重なお話、本当に参考になりました。充実したキックオフ例会になりクラブのメンバーも大変喜んでいました。また、2000推進チームの講演リストにも登録お願いします。」のメールをいただいた。
 二次会には、5名のメンバーと居酒屋に・・・程よく酔ってホテルに戻った.

翌朝、豊公園周辺と琵琶湖沿岸をジョッギング。あいにく小雨が降っていたので4,5kmに止めた。9時には学会場に行く予定だったが、近くの長浜城にある長浜城歴史博物館の石田三成歴史館で「三成と兼続」の展示会をしていたので見学した。学会、ワイズとの交流、歴史の学び、そして長浜でのジョギング・・・これだからワイズは楽しい。

2009年7月13日月曜日

大阪にて

大阪までの飛行機では爆睡していた

7月9-11日

9日朝4時携帯電話の呼び出し音がなった。Yさんの呼吸が止まりそうだと緩和ケア病棟からあった。Yさんが緩和ケア病棟に移ってこられたのは3ヶ月半前、前主治医からは「数週間ひょっとしたらそこまで持たないかもしれません。」と言われていた。Yさんはチャキチャキの江戸っ子。お若い?頃は旅行が好きだったようで、旅行をした時の話しや東京の話しを良くして下さった。「先生に東京のアサガオを見せなくっちゃ・・・」と息子さんに言われたらしい。亡くなる数日前にアサガオが届いた。
「間に合った 江戸アサガオや 母看取り」
「三月半 楽しき思い出 梅雨涙」

10日実習に来ていた第二グループ学生たちのラストランをと前〇救急救命士と一緒に行った。明日の講演の準備は未だ済んでなかったのだが、学生たちは18時過ぎてもじっと待っていてくれた。熊本駅の裏側を走り、花屋にいった。ここは年中無休の飯屋だ。ボリュームや味は間違いない。予算の制限もあり、2名が焼きソバ、3名がチャンポンに分かれた。そして記念撮影。なんと学生さんの嬉しそうな顔だこと。その後、11時まで週間記録を書き、家に帰った。そして、スライド作りを始めた・・・

11日の朝4時スライド(パワーポイント)が出来上がったといっても、写真を幾つか入れ込まねばならない。「江戸朝顔」をデジカメで写していなかったのだ。病院に行って写そうとしたのだが、昨夜の豪雨で花はクシャクシャになっていた。11時前まで外来をして、講演会の会場に向かった。
第37回肥後医育塾熊本県がん診療連絡協議会公開セミナー会場のホテル熊本テルサホールは満員だった。山本教授の司会でがんと緩和ケアのテーマでパネルディスカッションは始まった。最初は国立がんセンターの下山先生が日本の緩和医療の現状と今後の展望を、熊本大学病院緩和ケアチームの本間先生が緩和ケアチームの活動を紹介した。私のタイトルは緩和ケア病棟は今。話が暗く湿っぽくならないようにユーモアを入れた。その時々に作っていた俳句川柳は聴衆の笑いを誘った。ひまわり在宅クリニックの後藤先生は、在宅ケアについてスライドなしで聴衆に語りかけた。聴衆の反応は良かった。担当している患者さんご家族や友人の顔が目に入った。新聞社のカメラマンが盛んに写真を写していた。
「話しより 写真写りが 気にかかり」
公開セミナー終了後熊本空港に移動した。これからワイズメンズクラブ西日本区の役員会に集積するために大阪に行く。睡眠時間2時間だったので、飛行機に乗ったとたん爆睡した。
「乱気流 眠りこけてて 気がつかず」

2009年7月6日月曜日

地雷廃絶と被害者支援のマリンバチャリティーコンサート

KLCC主催でむさしワイズメンズクラブとてれっとウルトラマラソンクラブが協力して、地雷廃絶と被害者支援のマリンバチャリティーコンサートが7月4日開催された。
マリンバ奏者は吉田ミカさん。天草の出身で、ニューヨークで演奏活動をしておられる。16時がスタッフ集合時間で、準備・打ち合わせに大忙し。
ミカさんはリハーサルに集中。むさしクラブからは、秋〇ご夫妻も応援に駆けつけ、受付や会場整理に活躍してくださった。熊本総合医療福祉学院の学生さんたちも20名ほど来てくれた。観客が増えて満席になりそうだったので、席を譲って奥のほうに方でたって観てくれないか?とお願いしたら、「喜んで・・」と移動してくれたこと。KLCCのスタッフもこれには感心していた。指導教官として自分は嬉しかった。
演奏は、世界のMIKAだけあって、迫力があり、ピアノ演奏とのコラボレーションも流石だった。良くあれだけ動き回っての演奏ができる体力があるものだと感心した。
また最相代表とのトークも面白かった。演奏終了後、マリンバは解体され、パーツごとにバックに入れられた。学生さんたちは搬送も手伝ってくれた。余りに感心だったので、「なごみや」さんでラーメンを食べるように手配した。KLCCのスタッフとミカさんは「もったいない」に場所を移しての反省会。280名ほどが来られたが会場の都合で幾人かがホールのモニターでの鑑賞になったようだった。