2013年6月28日金曜日

第12回ペインクリニック診断研究会


27日ペインクリニック外来に出向されていたY良先生の外来送別会が医局でやっているところに運良く遭遇した。ケーキとお茶のパーティーでケーキが数個余分にあったので、ご相伴に与った。
このメンバーと一緒に品川プリンスホテルで開催されたペインクリニック診断研究会に参加した。初期研修医のM先生とN井先生を誘った。テーマは骨粗しょう症の診断と治療で、痛みへの薬物治療を含み、様々な角度からの解説を拝聴できた。
会終了後の意見交換会ではペインクリニックに熱心な多くの医師たちが集まるので面白い話題を聴くことができる。少しだけおなか一杯に食べたところで、初期研修医二人と荻窪の自宅に向かった。
焼酎の赤兎馬をメインに、すぐに出せるつまみと豚肉と野菜のいためものを作って食べた。二人とも緊張していたようだが、30年後の単身赴任を想像するといいね・・・などと言いながら飲んでいた。

青梅街道まで行ってタクシーに乗って帰るところまで確認し、コンビニで朝食用の野菜サラダを買って帰った。28日朝はコンフェデレーションカップ準決勝スペイン対イタリアを観ようと早起きした。サッカーを見ていたら朝ご飯は手抜きになり、遅くなったので電車通勤になった。とは言え6月の総走行距離は200kmを超したので無理はしない。写真は朝ご飯、左上はアナゴの肝の佃煮、中上は野菜サラダにハムエッグ(ハムエッグは作った)、左下は冷凍していたご飯を解凍、右下はレトルトのシジミの味噌汁。

2013年6月26日水曜日

水曜日

水曜日午前中の学生クルズスはタイトなスケジュールで行わねばならない。麻酔科、ICUカンファレンス、麻酔導入維持覚醒指導に加えて、輸液剤MRさんとの話し合いと緩和ケア新患さんの診察を時間の合間を縫って行った。

〇君は時々気を失いそうな目になり下を向きそうになるが、質問には良く答える。記念写真の笑顔も良い。今週のグループは「できる」グループのようだ。
午後からは緩和ケア外来から病棟回診、緩和ケアチームカンファレンスと続き、18時からの手術室運営会議で19時頃にやっと予定が終わる。今日の会議は臨床講堂(階段講堂)であったが、意見を求められて一歩前に出た時、階段を踏み外してしたたか膝盆(膝蓋骨)を階段の角にぶつけた。

2013年6月25日火曜日

ワイズメンズクラブ国際協会西日本区大会 in 名古屋 一日目

ワイズメンズクラブ国際協会西日本区大会がウェスティンナゴヤキャッスルと名古屋能楽堂を会場に開催された。午前中の役員会、代議員会は予定通り進んだ。司会席の横には任期半ばにして逝去されたN瀬理事の遺影が掲げられていた。




大会オープニングセレモニーは、名古屋能楽堂で行われた。19974月、能や狂言などの伝統芸能の振興と文化交流の推進を目的として開館したという。この舞台で開会式が進行する。各クラブ会長の労いの場でもあるバナーセレモニーも皆からよく見える。会場のキャパシティーが630席なので、名古屋在住のメンバーと家族、役員の一部は別室でモニターを見ながらの参加になっていたようだ。
熊本むさしクラブW杉会長の堂々の入場。
河村名古屋市長も駆けつけ挨拶をして下さった。減税と社会奉仕を結びつけた挨拶は流石に上手で聴く者を引き付ける。




ワイズメンズクラブには奈良伝賞と言う個人特別賞がある。YMCAやワイズメンズクラブに献身的に奉仕しされた方を表彰する。今年は三〇さんが栄誉に与った。おめでとうございます!

この一年間に亡くなられた方を紹介する「メモリアルアワー」で遺影を見ながら親しくお付き合いしてきた方や指導していただいた方々を思い出した。自分も60歳になったので、健康には留意しようと思う。代議員会と部長報告のあと、狂言のアトラクション「狂言方和泉流」があった。
先ず、出演者から能楽堂の説明、能と狂言の違い、これから演じてくださる狂言「佐渡狐」の説明があった。出演は3名だが、一人一人のセリフや動きが面白い。狂言にはまり込みそうだ。残念ながら出演中の舞台は撮影禁止なので写真では説明できない。

大会一日目のプログラムが終了し、一旦ホテルの戻りしばらく休憩した。800名以上が集まる懇親会は迫力がある。ここでは熊本から参加のメンバーと同じテーブルになったので旧交を温めた。
 
 
 
西日本各地に散らばっているクリスチャニティー特別委員会のメンバーが一同に会する貴重な日でもある。この45年は午後8時にステージ前集合として、全員の集合写真を撮っている。ここでは「今年は皆さんに宿題を出します!」と爆弾発言をした。
 
 
 
Pray(日本語では祈りで、東日本大震災ボランティア応援ソング)」を歌うSoah i(ソア)さんのミニコンサートやフラダンス、ドアプライス(お楽しみ抽選会)などがステージでは賑やかに行われていた。ソアさんと脚比べをしようと思ったが、今回はパスした。




弟クラブの「京都みやびクラブ」の皆さんと焼き鳥屋さんに移動して二次会となった。ここからは焼酎。話しは弾むし焼酎はすすむ。ホテルで一人三次会をしようと、缶ビールとカップ麺を買った。

2013年6月23日日曜日

ワイズメンズクラブ西日本区大会 in 名古屋 二日目

翌23日、サッカーを応援しようと早起きした。ビールは栓を開けたままでほとんど飲んでいなかった。メキシコに2点先行されたところで、名古屋城の周りを2時間ほど走った。シャワーを浴びカップ麺を朝食にした。
8時前に会場に行き、聖日礼拝の打ち合わせを済ませた。礼拝には300名近くが出席してくださった。西村先生のメッセージは「マタイによる福音書201-16節」で一見無計画で常識のないブドウ園の主人の行いは、収入のない人々に心を馳せる、より多くの人に人たちに恵みを与えようとする神様の計画がメッセージの内容のようだ。

事業主任報告と表彰式では、むさしクラブは主に献金達成で表彰を受けていたようだ。
特筆すべきは、理事特別賞で、ブリテン優秀賞を獲得したこと。最優秀賞は次年度にいただくとして、」ブリテン作成に努力された岩〇さんや若〇会長に感謝である。
任期半ばで逝去されたN瀬理事は気配りの人だった。皆さんへの感謝の言葉が理事キャビネットのメンバー作成のパワーポイント音楽付きから伝わってきた。集まったメンバーの目頭が熱くなった。

理事交代式司式担当は熊本のY本さんご夫婦に今年から交代になったが、これまでのM田さんの次期理事を気遣い可能性に期待する姿勢は受け継がれていた。


 
写真は退任のあいさつをされたM田さん。

T瀬さんが数カ月の理事代理を経て理事に就任されtた。40代の若い理事は経験者があ支えねばならない。

新理事のもとで働く役員の交代式では、EMC(会員・クラブ増強)事業主任のY村さんが人気を終え、

九州部長にはI佐さんが就任した。
涙の理事交代式、8月で定年を迎える事務所職員のK村さんへの花束贈呈など、随所に故N瀬理事のカラーがうかがわれた。
大会終了後に参加した熊本むさしクラブのメンバーと記念写真。
子クラブの熊本にしクラブのメンバーと一緒に記念写真を撮った。来年は岩国市で開催される。
写真は後で送ってもらうことにした。
 



2013年6月22日土曜日

日本緩和医療学会 in 横浜

日本緩和医療学会が横浜で開催された。この日は朝は病院の麻酔科カンファレンスに出て、金曜日午前中自分が担当する麻酔科術前評価外来の担当者の確認をして横浜に向かった。

午前の卒後教育に関するワークショップ、ランチョンセミナーの終末期の栄養管理、午後からの大学病院フォーラム、鼎談:いきいきと生きるために、医療人のための特別企画:マザープラネットでの秋山豊寛氏(宇宙飛行士、元ジャーナリスト)と中村幸昭鳥羽水続刊名誉館長のお話しを拝聴できた。大学病院フォーラムでは、座長のT宮先生と視線があったために、都心の大病院での緩和ケア・医療の現状を話すことになった。しかしそのお蔭で、T邦大学のN村先生やT医科〇科大学のM先生と名刺交換ができたので感謝。


17時総合受付前で熊本から参加した看護師さんや薬剤師さんと待ち合わせをして、T医大の緩和ケアチームのスタッフを紹介した。最初3名で中華街の北京に移動した。北京は以前T医科大の近くにあったが移転した中華料理屋さん。T医大の皆さんが横浜の学会があると訪れる。後からT医大緩和ケアスタッフのT石さんが緩和ケア認定看護師同期の看護師さんを引き連れてきたので、テーブルをくっつけてご一緒した。A部先生も渋谷から駆けつけ8名のグループになった。ビールは何本飲んだか覚えていないが、紹興酒と芋焼酎(赤兎馬)が一本ずつ空いた。ここで記念写真。
隣のグループは都内の三〇病院のグループでただ一人の男性H先生はT医科大の第一外科のご出身であることが判明した。そうなると皆さん身内みたいなもの。ということで再び記念写真を撮った。

帰りは途中まで皆さんをお送りし病院に寄った。明日は名古屋に行かねばならない。朝が早い!気合を入れて帰った。
翌朝4時過ぎに目覚めた。不覚にも二度寝をした。5時半に起き超特急で準備をして家を飛び出した。朝ごはんは東京駅で買った駅弁「横浜オムライス」になった。



2013年6月20日木曜日

学生クルズス

月曜日から来ている学生さんたちに19日水曜日クルズス(少人数講義)をした。緩和ケア・緩和医療がテーマだったが、皆熱心に聴いてくれて参加してくれた。月曜日手術室は大忙しで、牛丼を20杯買い出しに行って皆で夕食にしたという。その様子を見て「麻酔科って雰囲気が良いんですね。」と言ってくれたグループだ。「こんなに忙しい科って・・」ではない、麻酔科の良いところに気づいてくれた学生さんたちに、◎二重丸をつけていた。あと1700名のアクセスで総アクセスが10万件に達する。我ながら翌続けてきたと感心する。

2013年6月19日水曜日

学生指導担当教官の仕事

学生指導担当教官の仕事は、年二回学生さんと会合を持ち適切な指導をすることである。自分は4年生1名、5年生1名、6年生2名の計4名を担当するのだが、一回目の会合の日取りがなかなか決まらずにいた。
単身赴任の時であれば、特に仕事や学会などを除けば夕食を一緒にとりながら話せば良い。という訳で、174年生のY川君と6年生のM松君と3名で「さつき」での会食になった。二人とも約束の時間前に「さつき」の前に来ていたが、「会員制」と入口に貼ってあるので入りにくかったのだろう、通りに立って待っていてくれた。
Y川君は準〇式〇球部の現役で、練習日との兼ね合いでなかなか日取りが取れない、即ちまじめに部活に取り組んでいる。M松君は学生側の取りまとめ役で、間に入ってマネージメントをしてくれた。今回所用で参加できなかった2名とM松君の3名は別の日に会食することになっている。写真は「さつき」の豪華な夕食。

 

今回は顔合わせで、悩み事などを聴くことができる関係になるのが目標なので、ビールと焼酎を片手に場を盛り上げた。二人とも礼儀正しく、学生生活をエンジョイしているようだ。写真は全員集合写真。自分を真ん中にして写しましょうと言ってもらったが、マネージメントに活躍したM松君を真ん中に据えた。

18日久しぶりに通勤ランで病院に行った。朝のカンファレンスで今朝方まで緊急手術があり、昨夜は遅くまで当直・残り番以外も残って仕事をしていたと報告を受けた。19時前に手術室を覗いた時は、この事態を想像していなかった。次回は何か差し入れでもしようと思った。
この日は新潟出張の日、長い手術で自宅帰宅が12時半になった。メールチェックしたら、M松君からお礼のメールがきていた。流石に6年生、このような学生を育てるのは教官冥利に尽きる。

2013年6月16日日曜日

第一回東北お遍路杯福島・相馬復興支援マラソン

第一回東北お遍路杯福島・相馬復興支援マラソンに参加した。土曜日に盛岡から仙台に移動した。相馬のNさんが車で仙台駅まで迎えに来てくれた。松島観光をしましょうとのことで連れて行ってもらったのだが、最終遊覧船出発の16時に間に合わなかった。

しかし、強運というか、団体参貸し切りの中型遊覧船に便乗できるという。ふつう50分で大人一人1500円のところ、30分短縮遊覧観光で1000円だそうだが次に来る機会のことを考えると当然OKとした。 風に浸食された小島が多くあるが、この小島が大震災の津波の被害を最小限にしてくれたという。
相馬のNさん宅は、2年以上前にもお世話になった。Nさんのお母様の相馬地域の地産地消田舎料理は美味しい。わざわざ馬刺しまで準備してくださったが、馬刺しを食べる習慣があるのは、熊本、長野、福島のようだ。土曜日の夕から雨が激しくなった。
日曜朝、まだ小雨が降り続いている。IHI事業所のグラウンドを会場として、一周5㎞のコースを二周する。Nさんは地元の看護学校の先生を4月からしておられるが、生徒さんにも呼びかけて救護班として参加されている。


開会・閉会式が行われるグランドは昨日からの雨でぬかるんでおり、一台のトラックがぬかるみにはまり込んだ。自衛隊福島駐屯地の音楽隊の皆さんがトラックを見事にぬかるみから救い出し、参加者やボランティア、スタッフからやんやの喝さいを浴びていた。



 
主催者代表のKNさんは、Nさんの従妹で前回相馬に来た時にお会いした。その時、復興支援お遍路マラソンの企画を熱っぽく話してくれた。大会が決まったら絶対に参加しますと約束していたので、約束が叶った。写真はKNさんとのツーショット。
医療班のテントにいたので、地元の医師会の先生や保健師の方ともお話しすることができた。
10㎞なので、一番後ろからスタートしキロ6分を維持する。医療班でボランティア参加の看護学校の学生さんの写真を撮る。コース沿いにある仮設住宅の皆さんに手を振って応える。を目標にした。
仮設住宅の前には多くの人たちが外に出て手を振って応援してくれた。

仮設住宅以外の通りにも、多くの人たちが応援に出てきてくださった。
走り始める前から雨がほとんど上がり、風も止んだ。時間は1時間14秒。写真を撮っていた分遅れたのだろう。

 
 

完走証明書には、小雨、気温20.6℃、湿度84%と書かれていた。第二回にも参加しなくてはと思いながら、ボランティアの学生さんやNさんと記念写真を写した。
 
 
 
 

医師会の先生の中に、走った若手の先生がいた。N先生はT大医学部を卒業後研修指定病院での研修を終え、地域医療がしたいと自ら希望して相馬の病院勤務をしておられるという。常勤医が足らず今日は今から、明日も二日連続で当直ですと言われていた。再開を約束して別れた。
今日は父の日で、長男からももちゃんの写真のメールが来た。娘も電話をくれたようだが、気づかずにいたようだ。次男からもメールをもらった。このブログの本文は東北新幹線の中で書いている。東京に着くころは、ひなちゃんは寝てしまっていることだろう。


2013年6月15日土曜日

第15回日本医療マネジメント学会学術総会 in 盛岡


14日は麻酔科術前外来をあと4名分残し、H林先生にお願いして、東京駅に急いだ。東北新幹線で盛岡に向かう。東京駅で買った駅弁、小樽の海の輝きと国技館のやきとり、で旅行気分を満喫しようとするが早すぎる。2時間半弱で盛岡に到着した。駅前のT横インにチェックイン、スーツケースを置き、駅前の会場のホテルで受付を済ませ、一旦外に出てマリオスロードなる歩道を通って別会場で特別講演「平泉の浄土思想と世界遺産登録」を拝聴した。
学会誌編集委員・査読委員合同委員会に出席、主に利益相反に関することや原著指定投稿論文への対応について話し合った。M崎理事長や熊本時代の先輩、S藤先生やS浦先生にお会いした。
懇親会会場に移動してしばらく喫茶店にてS藤先生と医療現場の状況について意見交換した。先生は大分の人口4万の地域中核病院に勤務されている。


懇親会会場では熊本だ学時代の先輩、Y下先生やT田先生とお会いした。岩手中央病院がこの学会のお世話をして下さるが、職員全員での温かいもてなしに感激した。ステージの踊りも職員さんたちが出演。
 
 

盛岡といえば「わんこそば」、M崎理事長も挑戦されたが、若者が一分間37杯の記録でぶっちぎり優勝だったようだ。
 
 

熊大麻酔科関係で記念写真を写したが、Y下先生とS先先生が別々になってしまった。
 
 
 
一時間半ほどで食べ物がなくなてしまったので、外に出て二次会の場所探しに歩いた。近畿大学のK文先生も加わり居酒屋で日本酒を飲んだ。
 
 
 

15日は朝寝坊を久しぶりにした。朝ランは取り止め、駅周辺を散歩した。石川啄木の歌碑を見つけた。「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」と記されていた。
一般口演「医療安全」のセッションではT医科大のCVセンターの演題や、K生中央病院の食中毒発生後の対応に関する演題を聞くことができた。二つとも良くまとまっており、高く評価されていた。ランチョンセミナーでは、N市大学の経営特に手術室の効率的運用による収益の改善の報告を聴くことができたが、T医科大学にも早速あてはめることができるのか、既に行っていることなのか調べねばならない。

2013年6月12日水曜日

新橋で良い店を見つけた

月曜日は新橋に行き、インターネットで検索した大衆食堂2か所に行き、実際に食事をしてみた。1か所は狭くて全員は入れそうもなかった。もう1か所は広々とした店内で美味しかったが、残念ながら二軒とも日曜日は休みだそうだ。
火曜日はガード下の地下街にある食堂を偵察した。店の人に聞いたら日曜日はやはり休みと言う。

線路向こうで日曜も営業しているというお店に行ったが、開店時間なのに業員のミーティングで入れてくれない。通り向かいにある店に入った。チェーン店のようだが、中は広くきれいだ。
一品料理を3品注文したが、一つ一つボリュームがあり美味しかった。禁煙ではないが、お客さんで煙草を吸っている人はほとんどいないようだ。日曜は午後3時から営業しているという。良い店を見つけた。ベア郡医師会ご一行をいつも引率してこられるFさんにメールをしてお知らせしよう。
 

夕食は済ませたが、サッカーを観ながら、トマトの輪切りにマヨネーズを乗せ、カツオの削り節と出し醤油をかけた一品とハンバーグ(ひき肉に、玉ねぎ、人参、にんにくのみじん切りを混ぜて焼いた)を添えて第二の夕食とした。
前半を終わって、未だ得点がない。後半44分岡崎、遠藤のコンビで決勝点が入り試合は終了した。午前1位半ベッドにはいっった。
午前4時頃だろうか、消防車のサイレンとマンションの火災報知器で目覚めた。ドアをたたきチャイムを鳴らす音がする。ドアを開けたら消防士さんが大勢来ており「大丈夫ですか?」と聞かれた。内は大丈夫ですよと答えた。ドアの外を覗いたら、2件先からうっすら煙が・・でている。消防士さんたちはそちらに移動した。窓の外を見ると別の隊がベランダを越えてきたので、二件先だと教えた。
朝ゴミだしていた。けが人はなかったようだ。水で濡れたエントランスで警備員さんが自動ドアの点検をしていた。

2013年6月9日日曜日

新橋散策

オレンジバルーンフェスタでKO大学のK子先生からナイキのジョッギングアプリを教えてもらった。GPSで追いかけ距離や速度を出してくれるようだ。しかし、ちょっと触ると一旦停止になったりする。使いこなすまでは時間がかかりそうだ。
朝の善福寺公園までのジョッギング後、シャワー、朝ごはん、洗濯を済ませて新橋に向かった。9月22日日曜日に、サン・アントニオのベア郡医師会から熊本市医師会への訪問団が東京に到着する。新橋の銀座国際ホテルに投宿されるが、その時夕食を一緒にすることにしている。日本の大衆食堂での食事を希望されているのだが、新橋はサラリーマンの街で日曜祝日は休みが多い。この日はリムジンバスが停まる新橋第一ホテルから銀座国際ホテルの道順と距離、インターネット検索で見つけた食堂の位置確認をした。
東京駅八重洲地下街にある理髪店で散髪をした。すっきりしたところで新宿西口へ、丁度オレンジバルーンフェスタ in 新宿が終了するところで、後片付けを手伝うことができたし、K子先生にジョッギングアプリをもう一度教えてもらうことができた。

荻窪のルミネで串カツや野菜サラダを買い、餃子の王将で生餃子を一ダース買った。今日もカロリーオーバーになるような夕食になった。

オレンジバルーンフェスタ in 新宿

オレンジバルーンフェスタ in 新宿が開催された。緩和ケアを一般の方にアピールし理解してもらおうと言う試みだ。東京都区西部緩和ケア連携事業運営会議を母体として東京オレンジバルーンフェスタ協議会を立ち上げ、新宿、中野、杉並区の緩和ケアに関係する医療、福祉関係者が協力してフェスタ開催にこぎつけた。
流石新宿駅西口のイベント広場だ。通行人が入ってきて見てくださる。
自分は11時過ぎからのミニ講演「緩和ケアってなに?」と引き続く一問一答を担当した。




オレンジバルーンフェスタ in 新宿は土日の二日間行われるが、第一日目の土曜日にT医科大から自分と、K谷看護師、S田MSWの3名がミニ講演と一問一答を担当した。自分の講演の時にはテレビ局のクルーが取材に来ていた。翌日曜日に放映されたようだが、自分は観ていない。12日のNHKおはよう日本でも放送されるようだ。
13時から「ちょっと相談コーナー」で一般市民からの質問に答えた。
 

会場には布団やベッドを想定した和室と洋室の部屋と介護用品や医療機器が展示されていた。
またポスターコーナーでは各がん診療連携拠点病院のポスターが展示されていたが、T医科大学のそれが一番よくできていたと思うのは自画自賛か?
今回良かったのはもう一つある。KO大学病院のK子先生から、ナイキのジョッギング用アプリを教えてもらったことだ。

終了後に荻窪のルミネによって食材を購入し、きれいに盛り付けて夕食にした。

2013年6月7日金曜日

さつき3連ちゃん

U野先生は土曜にヨーロッパ出張から帰国だが、その間スカイプを使った初期研修医への講義などをされている。すごい人だ。今回の出張で、予約しているはずのホテルが取れていなかったいう。旅行会社に依頼した秘書さんは責任を感じて心配している一方で、旅行会社は担当者がいないので・・・とかわしているらしい。しかし、U野先生は逆境に強いので、掘り出し物のホテルを見つけておられることだろう。
6日も「さつき」で一人夕食。チーズ豆腐、冷奴と藻屑を食べたところで荻窪に移動した。西友で値引きになった食料を買い、二度目の夕食は豪華にした。
朝は4時過ぎに起き、ズボンにアイロンをかけた。トースト、ハムエッグに昨日買った野菜サラダを盛り付ける。朝ごはんの準備もなれてきた。久しぶりの雨だ。今日は電車出勤にしよう。

2013年6月6日木曜日

ちょっと良い話


5日は一人で「完走祝い」に「さつき」に行った。豚肉の生姜焼き、焼きオクラ、納豆ごはんにみそ汁と、豪華ディナーフルコースを食べビールと冷酒を飲んだ。
途中、病院のナースから「さつき」に電話があった。明日手術を受ける患者さんのご家族と食事に来たいとのこと。暫くしてK原ナースが女性を連れて店に来られた。どうやら自分が先週の金曜日に麻酔科術前評価外来で診察した患者さんの奥様のようだ。F島県からこられ、遅くなってどこで食事をしようかと困っておられたのでお連れしたようだ。
奥様は、K原ナースの気遣いに大変感謝されており、また自分がご主人を診察したことに縁を感じてくださった。

朝は早起きして朝ご飯の準備をした。昨夜の方は朝ご飯を食べられただろうか?本日自分はその患者さんの担当ではなかったが、手術室に入られるとき出迎えて昨日のお話をした。

2013年6月5日水曜日

祝ワールドカップ出場

新潟から帰り、手術室に行った。予定手術はほぼ終了し、当直・残り番以外解散になっていた。若手に「さつき」でサッカーを応援しよう!と呼びかけたが、当直医では外出できない。サッカー観戦が好きな若手は渋谷のスポーツバーに行ってるのだろう。

一人でさつきに行って応援していたら、S看護師さんがひょっこり現れた。試合は辛くも引き分けでブラジルワールドカップ出場を世界で一番目に決めてくれた。PKが決まった時は乾杯を歌い、グラスを飲み干した。写真は翌日のスポーツ新聞の表紙(一番最終面と続いている)。Sさんが帰る頃、K沼先生が到着し、再び感激を分かち合った。K沼先生は自分が一人で寂しいのではと、きっと気を使ってくれたのだろう・良い人だ。

と言うわけで、荻窪に場所を移して二次会の後帰宅。独身貴族の夜は更けていった。写真はK沼先生と盛り上がる。

2013年6月4日火曜日

家人熊本へ

母親の介護のために鹿児島にいたが、柴又100Kの応援にわざわざ来てくれた家人が今日熊本に帰る。6月1日は朝早くから、明朝までよく付き合ってくれた。
90㎞地点では、カレーパンを差し入れしてくれた。残りの10㎞が走れたのは、この時のエネルギーチャージのおかげだ。感謝。
昨日、K中央病院に行ったら、K澤先生が祝完走のポスターを作ってくれていた。感謝。
さて、今日はサッカー日本代表がブラジルWC出場を決める日だ。さつきをスポーツ居酒屋兼「たーさんの完走祝い」の会場にせねばならない・・・。若手を誘ったら、渋谷のスポーツバーに
行くと言う。一人で応援、祝うことかな・・・。