2012年11月30日金曜日

11月28日

11月28日水曜はリーダーの日、先週とは打って変わって静かな一日となる雰囲気の朝だった。午前中申し込みのあった耳鼻科の緊急手術は、11時には手術室に入るように段取りもつけた。

午後からは学生クルズスも担当した。どうしてか実習に来る学生さんは後からのグループの方が優秀だ。・・・恐らく勉強の量が後のグループ方が多いのだろう。当然か?
ところが、やはり落とし穴があった。正午過ぎに入室した血管外科の緊急手術が済まない。やっと後一例になったところで、M岡先生とさつきに行くことになった。

さつきに行くと、U野先生が医療安全部のスタッフと先に来て食事がほぼ済んだところだった。ここで記念撮影。すでにさつきにあるお肉はなくなっており、豆腐鍋をつついた。病院医療安全の話も聞くことができたし、ヘルシーな夕食で良かった。
帰りの各駅停車で寝てしまったが、鷺宮で起きたのでセーフだった。

2012年11月26日月曜日

第一回富士山マラソンとその後のお楽しみ

富士山を世界文化遺産にしようと、旧河口湖日刊スポーツマラソンを富士山マラソンに名称変更と規模拡大した第一回富士山マラソン大会が11月25日に開催されました。自分は申し込んでいなかっが、友人(心臓外科医でサブスリーの快速エリートランナー)が予定が入り参加できないので代わりに参加しませんか?と勧められ急遽参加。・・・ただしこれは勧められません・・・
 山梨県側からの裏富士を見たことがなかったので、二つ返事で快諾しました。前日は休みの土曜日だったので、前泊にしましたが、富士山の頂上付近は雲で覆われていました。昼食後、早速フルマラソンコースをドライブしてみました。紅葉が真っ盛りで青空に浮かぶ富士山があればどんなにキレイだろうかと楽しみになりました。夕食は炉辺焼きの店に行き、炉辺焼きと富士山麓の味噌と山菜で風味を添えた鍋料理「ほうとう」を楽しみました。宿舎はリゾートホテル(6)に泊まったのですが、夕食に出る前にかすかに揺れる気配を感じました。千葉県震源の深度4の地震があったようです。家人から大丈夫か?とのメールが来ましたが、河口湖周辺の揺れはほとんどありませんでした。
 日曜は朝から快晴、5時過ぎに朝食を食べて指定駐車場に向かいました。かなりの渋滞でスタート地点までのシャトルバス出発時間の5分前に、しかも指定駐車場が満杯で臨時駐車場に到着しました。しかし、5合目付近まで雪を被った富士山の美しいこと、心が洗われていくようでした。
 スタートはAグループで先頭近くからできるはずでしたが、スタート地点への到着が遅れたので最後尾からのスタートになりました。スターターは菅原文太氏で、司会者が仁義あるレースを呼びかけていました。スタートからスタートラインまで5分、走り出すまでに10分要しました。それもそのはずで、制限時間内にスタートした人がフルマラソン13,000人弱(エントリーは16,000人以上)、18km(河口湖一周)が5,000人強(エントリーは6,500名)だったようです。それから少しずつ前のほうに進みましたが、携帯の電池が切れて電池を買いにコンビニに寄ったり、河口湖から望む富士山を写真で写したり、寒くてトイレに二回寄ったりと、マラソンに専念できる環境ではありませんでした。ちなみにきつそうな人やうずくまっている人
 には「大丈夫ですか?」と声をかけていました。33キロ過ぎた頃に、足がよろけてばったり転んでしまいました。左ひざをすりむきリングタイツは破れ出血、左肩をしたたかアスファルト道路に打ちつけました。周りの人が5,6名大丈夫ですかと寄ってきました。なんと恥ずかしかったことか・・・
 無事に完走しましたが、記録は5時間20分ちょっと。これが今の自分の実力でしょうか。この後、駐車場までのシャトルバスに並び、見失った車をやっと探し当て帰途に着きました。しかしこのままでは終わりません。中央道事故のために渋滞です。大月インタから上野原インタまでは一般道に降り、八王子インタでまた降りてJR八王子駅近くの駐車場に車を停めて、特急電車で新宿に向かったのです。実は東京セントラルクラブの谷治ワイズと、目黒クラブの福島ワイズ一家が私の誕生日と還暦祝いを企画してくれていたのです。
かなり遅れて新宿西口のサンマルクに到着しましたが、皆さんパンを魚にワインを飲みながら待っていてくれました。それから本格的な会食の始まりです。ケーキやプレゼントまで準備していただき、感激でした。次の機会に皆さんを「さつき」にご招待することに致しました。
八王子駅に置いた車は後でちゃんと取りに行きましたが、首都圏近くの人気のあるマラソン大会の恐ろしさ、いや楽しさを満喫しました。

2012年11月22日木曜日

忙しかった週:まだ終わってないけど

今週は忙しかった。

月曜日は午前中、3,4例の麻酔導入を手伝う。恵比寿駅東口の讃岐うどんの店でうどんを食べた。ガーデンプレイスはクリスマスの電飾が増えている。
火曜日は新潟へ。手術は早く終わったが病院に戻ったのは7時過ぎだった。
 
 
 
水曜は、手術室リーダーをしながら午前中は学生クルズス。今週の学生さんは皆さん優秀なようだ。また雰囲気の良いグループだった。
昼から大動脈解離の超緊急手術が入室、脳外科の超ロング手術もあり、手術室は大忙しだった。会議も入り、久々にバテテ、さつきに行く気力もなくなった。



木曜日は朝から9km走った。塔の上小学校前にある不思議なモニュメントは白鳥と思うがどうなのだろう。17時からの会議と19時からの研究会をこなし、22時過ぎにやっと部屋に戻った。それから電車で帰って風呂に入り洗濯をした。





土曜日の午前中は神経ブロック手技研究会のハンズオンに参加した。島根大かたS倉先生、西東京病院からF田先生を講師にお招きしての2時間半は大変勉強になった。締め切り間近い論文や後輩の論文のチェックなどすることが多い。

しかし、日曜日の第一回富士山マラソンが近場での楽しみ。かなり寒い日になりそうだが、着込んで走ろう。
 

2012年11月19日月曜日

還暦祝い

18日午前中5Km ジョッギング。前任の病院へH美さんのお見舞いに行き、教会の礼拝に出席した。
家に戻り、家人、次男と共に還暦祝いを予約した「ユーベルホテル」に行った。ホテルに着くと、娘一家も到着し直ぐに姉、姪っ子のCちゃんと先月生まれた民生ちゃんも到着した。
赤いちゃんちゃんこをは恥ずかしがっても話を進まないので、先に記念をした。
この席は、ひなちゃんの独壇場になった

 なちゃんは、広い和室の中を走り回った。民生ちゃんに時々興味を示すが、民生ちゃんは寝ていてひなちゃんの興味を満たすことはなかったようだ。ひなちゃんは長い廊下に関心を移した。廊下の方に走って出て行くので、太君はその都度連れ戻しに行った。久しぶりに会食に参加し次男も、沢山の料理をほとんど残さず食べたようだ。
ひなちゃんが還暦のお祝いのプレゼンターになったが、中味の水玉模様のネクタイよりネクタイ入れが好きなようでなかなかくれなかった。
昨日貰ったケーキは家人へのプレゼントだったが、ひなちゃんは大人と同じ量食べた。ジイジよりもバアバ、パパ、ママの方に抱っこを要求するので、抱き上げる回数が少ない分今日の筋肉トレーニングが足らないと思った。
姉は民生ちゃんの耳元で讃美歌を歌っていた。

高校同窓会

17日の「ある土」、朝は走って出勤しジョッギングウェアを部屋に干した。午後から熊本に行く準備をした。1515出発のANAは強い向かい風のために20分ほど熊本空港到着が延びた(10月までは15時発だった)。
家人が空港に迎えに来ており、裏道を通り1時間で熊本一鶴会会場のKKRホテルに入った。
丁度総会が終了し、Y下鶴丸高校同窓会会長の主賓挨拶の時に会場に入った。会長挨拶では、この2年間支えてもらった世話人の皆さまや歴代会長へ感謝と、集まった同窓の皆さんへのお礼を述べた。
今日が誕生日の家人へのバースデイケーキ贈呈のサープライズ(今週はケーキづいていた)もあった。
35名程の参加で声高らかに校歌「はろばろと」を斉唱し、A木新会長の一本締めで閉会し記念写真を撮った。
二次会は「+1」へ。15名ほどが集まり盛り上がった。AKB48の歌を二曲披露したが、今までで一番うまく歌えた・・・ようだ。

2012年11月17日土曜日

学生教育

T医科大では准教授以上は、異なる学年の学生を数名担当学生として親身になって教育指導に当たる。そのための予算が配布されるが、食事を一緒にしながらの会をするには予算が少なすぎる。しかし、「さつき」での会食であれば、予算を言っておくと何とかなる。と言う訳で、3回連続での「さつき」での夕食会となった。

新病院建設のためのワーキンググループの話し合いを済ませさつきに行くと、既に3名が来ていた。しばらくして(多分明日試験の)F木君が到着した。乾杯の後、記念写真。

今回は、勉強の仕方(学生時代を振り返り、自分が言えることかな?と、ふと思った)や学生時代の失敗話などで話しは盛り上がった。N根君やN津君は6年生なので、今回が最後になるのかな?しかし、T医科大で初期研修すれば、まだまだドロドロとした人間関係が続く。H間君やF木君とはもう少し仲良くなれるかな・・・などと考えながら、ビールから焼酎にうつった。
西武新宿駅から各駅に乗った。気付いたら「田無」に来ていた。再び引き返し、午前様にならずに家についた。着いたら燃え尽きたが、翌土曜日は走って病院に行った。

2012年11月16日金曜日

ケーキ再び届く

昨日、会議や研究会で夕から忙しかったのだが、M田医局長や医局秘書のS田さんがケーキを準備してくれていた。





昼食時に、M田先生から「ケーキを準備しているので医師室にいらしてください。」と連絡があった。研修医のS水君と麻酔中だったが、任せて医師室に行くと、立派なケーキが準備されていた。
記念撮影第一弾。
ここでS田さんを呼んで、ケーキ入刀。
記念撮影第二弾。
手術が済んだと連絡があったので、皆に「食べてね」と言って、手術室に戻った。
患者さんを返し、医師室に戻った。自分のためにケーキが取ってあり、冷蔵庫に入っていた。
研修医たちと昼食をとり、ケーキを一匙だけたべ、皆に分けてあげた。全部食べると、カロリーオーバーになり、今日の学生さんたちとの飲み会で何も食べられなくなる・・・
T医大の麻酔科の暖かさが身に染みてくる。さつきにまた、焼酎をキープせねばならない。

新都心麻酔懇話会教育セミナー・運動器慢性痛

15日、新都心麻酔懇話会教育セミナーがヒルトンホテルで開催された。愛知医科大学学際的痛みセンターの牛田先生をお迎えして「運動器慢性痛の集学的治療」のタイトルで講演をうかがうことができた。

慢性痛の治療はしっかりと患者さんと向き合うことから始まる。痛みは主観的なものだから、患者さんの環境や精神状況によってかなり左右される。痛みを作りだす複雑な情況を、ある面ではナラティブに解釈して解きほぐさねばならない。診断を一旦つけた場合のPit fallもあり、適切な対応、ある意味では患者さんの訴えに対するneutral responseは難しい。
懇親会では、外来チームと一緒に記念写真を写した。親しくお話しする機会を得たことに感謝。

2012年11月14日水曜日

思いがけない誕生日のケーキ

水曜の手術室リーダーもまた忙しい。特に16時を過ぎると、予定手術で遅れてきた症例や緊急手術が込み合ってくる。
術前診察にメンバーが病棟に行くので、手術室内が手薄になる。この忙しく笑顔が消えていく時に、サープライズがあった。
熊本から来ているT端先生がバースデイケーキを持ってきてくれたのだ。しかもローソク6本持って。火をつけるわけにはいかないので、ついた火を消したつもりで記念写真を撮った。
いつの間にかケーキの周りに大勢集まった。二枚目の写真を撮った。どうやら気配りのK沼先生が段取りをしてくれたようだ。
後で、遅くまで残ってくれたスタッフとご馳走になった。感謝・・・。
残って頑張っている当直や残り番のメンバーのために、自分は切りそこなった端っこだけ食べた・・
M岡先生と、二人で夕食飲み会と計画していたが、3件の手術が長引き、某科の手術は翌朝までの長期戦となったので、夕食飲み会は中止した。研修医が食べずに帰ったので残った豚肉の生姜焼き定食を二人で半分ずつ食べた。これでM岡先生とは同じ釜の飯を食う関係になった。
その後、U野先生と密談?ために「さつき」に移動し、帰宅は午前様となった。
しかし、幸せな気分でいた。T端先生、K沼先生ありがとう!残って朝まで頑張った皆さんありがとう、そしてご苦労様。

ミカエル送別会2と60歳最初の失敗

12日月曜日急遽ミカエルの送別会第二弾をさつきで開催することになった。ストイックなまでに研究に没頭したミカエルの最大の楽しみは、100円ショップでのカップラーメンの買い物と吉野家の牛丼特盛注文だったようだ。
さつきでは、今まであんなに嫌がっていた「納豆」に挑戦して食べていた。これでミカエルはインターナショナルな学生に名実ともに成長した・・・。当然ではあるが、高級?会員制居酒屋「さつき」の御代は全て自分が持った。50代最後の贅沢と見栄っ張りになった。
13日60歳最初の朝を迎えた。雨も上がり朝カレーを食べ、6時半過ぎ家を出発しジョッギングで病院に向かった。朝のカンファレンスと麻酔導入時の応援、一晩中行われていた手術患者のICU移送を手伝った。部屋に戻り、新潟出張の準備と着替えをした。「ない!!」ワイシャツを持ってくるのを忘れていた。

手術着の下に着たり、ジョッギングの時に着る、紺色のシャツ(ピチピチしたシャツ)の上にグレーのジャケットを着た。何か様になった。その上にコートを着て、紺色のシャツを隠しをした。東京駅では時間がなく、シャツを買えなかった。新潟は寒そうだが・・・
そして新潟の帰り、冷たい雨が降り出した。たまらず洋服のA〇〇に行ってワイシャツを購入した。病院に帰り、書類や学会の準備をしていたら、帰りが午後11時になった。写真は買ったシャツを早速着た試着室にて。

ももちゃんの七五三の時と同じケーキが準備されており、ももちゃんから音声付動画のメッセージが届いた。フェイスブックでの誕生祝などに返信していたら、あっという間に14日になった。しかし誕生日の家に帰れたから幸せなものだと思うことにした。

2012年11月12日月曜日

50代最後の週末


11月9日の金曜日、学生クルズス担当した。6名のグループなのに4名出席。二人は体調不良で欠席のようだ。実習評価の日なので、U野先生は「追試だな・・・」と一言。自分はいつものように講義をして麻酔科がカバーする領域の面白さを伝えた。





 
11月10日土曜日、ももちゃん一家を車に乗せて高尾山へ。途中の銀杏並木もきれいになった。

新宿よりも人口密度の多い人出に圧倒された。たまたまタイミングよく、氷川神社の駐車場に車を停めることができた。
 
 
 
 
 
ケーブルカーは40分待ちなので、もみじ広場の紅葉を楽しんだ。
 
 
20分待ちでお蕎麦屋さんに入り、蕎麦を食べた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ももちゃんからジイジとバアバに誕生プレゼント贈呈があった。あやちゃんが手を添えて書いたと思われる、メッセージが付いていた。
 
 
 
 
 
 
夕はミカエルの送別会でU野先生たちと、神楽坂の和食の店に行った。目の前で新鮮な海の食材を次々に料理してくれるのには感激した。聞くと、8か月前に予約が必要だそうだ。
 
 
 
 
 
金曜日夕食の持ち合わせのなかったU野先生に弁当代を建て替え、「明日の会食は先生が払ってね・・」と言ったが、良かったのだろうか?
11月11日日曜日は、義父が今年の三月に逝去した挨拶状作り、妙正寺川沿いから沓掛公園往復7kmをジョッギングした。家人はももちゃんのところに行き、あやちゃんから晩御飯のおかずをたくさんもらってきた。

2012年11月8日木曜日

新宿大酉祭 花園神社 


さつきに一回も行ったことのない家人とさつきで食事をすることにした。オーナー(あっちゃん)の出すヘルシーな料理に家人は驚き安心したようだ。食事も終わる頃、U野、O原、S根先生らが続々登場し、賑やかになった。

O原先生から花園神社の前夜祭に行きましょうとの提案があり、皆で行くことになった。




西新宿駅から丸ノ内線に乗り新宿三丁目へ。新宿通りを歩いていると、ロボットレストランの宣伝トラックが通り過ぎた。
靖国通り沿いが急に明るくなった。花園神社に向かう境内は出店がずらりと並んでいた。

前夜祭だそうだが、人では多い。
参拝して奥に行くと、商売繁盛の縁起物を売る店がぎっしりと並んでいた。さつきには小さい縁起物しかなかったことを思い出し、3000円の熊手を買った。
花園神社から西武新宿駅まで歩き、電車で帰った。日曜に次いで今回も家庭(家人)サービスができて良かった。

2012年11月5日月曜日

日本臨床麻酔学会

11月2日、金曜日の朝、郡山市は小雨が降り冷たい風が吹き荒れていた。走る準備はしていたが、こんな天気は想定外なので朝ジョグはパスした。スーツの下にセーターを着て、持ってきていたスプリングコートも着た。郡山駅東口から西口に抜ける通路は雨が風を防ぐことができるが、外に出ると寒い!
地元の人は冬用のコートやダウンジャケットを着ていた。学会で福島に来た人たちの中には、コート、セーターなしの人もいた。

聴きたい講演やシンポジウムにも参加できた。会員懇親会では熊本や鹿児島大学関係の先生方とお話ができたが、○上先生とは結局会えなかった。福島の美味しい日本酒をかなり飲んだようだが、外に出た瞬間、寒くて酔いが醒めた。写真は石○先生の発表風景。

11月3日、後輩達の発表もなかなか堂々としていた。面食らった質問もあったが、論文作成時に考察として加えられる内容なのでありがたかった。ペインクリニック学会の臨時評議員会と臨時総会に出席して東京に戻った。
写真はH先生の発表風景。
家人は、白河市と会津若松市を訪問して見聞を広めたようだ。

11月4日、大切な友人のお見舞いに八王子に行った。病院敷地の木々は紅葉していたので、帰りに高尾山のふもとから相模湖を回って中央自動車道で東京に帰るルートを選んでドライブした。が、紅葉は一週間ほど早かったようだ。
 
 
 
 
 

夕は、品川で本間さんご夫妻、小山さん、星さんら音楽家の皆さんと会食する機会があった。話は弾み、最後は尺八伴奏で「秋」をうたった。さすが!・・・


七五三


11月11日から福島県郡山市で臨時麻酔学会が始まる。1日はももちゃんの七五三で永田町の日枝神社へお詣りが決まっていたので年休を取って良きジイジとなった。凛々しい着物羽織姿に成ったももちゃんだが、しっくりしないらしく羽織を脱ぎたがっていた。 写真は男3代。

写真撮影の前に、すでにモデルになるのは飽きたようで、写真室にもママになだめられてやっと入った。パパママ、ジイジバアバとの5人の写真、パパママとの三人での写真は何とか撮影できたが、大変だったのは1人での写真だった。写真館のスタッフが手を変え品を変え涙ぐましい努力の結果、ももちゃんが笑っている貴重な一枚は何とか写すことができた。

御はらいに行くと、前のグループは数家族いたので10分以上待った。しかし次の御はらいは自分たちだけだった。その分早く終わりももちゃんも全くぐずらなかった。ももちゃんは少しご機嫌になり、開運碁盤に乗っての記念撮影にも応じてくれた。ここはももちゃんのサービスだろうか。
ももちゃんのお祝いではあるが昼食は大人本位で選んだ。ガーデンプレイス38階で東京タワーとスカイツリーが一望出来て和食ということで吉兆に行った。天気が良く、きれいに見えた。ももちゃんも二つの塔の違いが判るようだ。

車の運転と夕方から会議を控えているのでアルコール抜きだが、ももちゃんの愛嬌で楽しい時間が過ごせた。着物を脱いで普段着になった幸せそうな桃ちゃんも顔がまぶしかった。恵比寿に4人を送り病院に行った。17時からの会議は予想に反して早く済んだ。

丸の内線で東京駅に行き家人と落ち合った。東京駅のライトアップを見たがっていたが、期待が大きすぎたようだ。
構内天井に干支十二支の内八支しかないことや豊臣秀吉の兜のデザインの装飾など興味深かった。駅弁とビール、酎ハイを買って東北新幹線は「やまびこ」に乗った。1時間20分位で郡山に着いた。寒いこと!駅近のホテルだがタクシーで向かった。