2013年11月27日水曜日

燕三条お泊りと学生クルズス

26日の手術が長時間になるので、患者さんの手術室に入る時間が早くなるという連絡を受けた。そこで、昼食は東京駅で駅弁を買って食べた。




手術は22時過ぎに終わった。患者さんを無事にICUに返したが、帰りの新幹線は終了したので病院指定のビジネスホテルい泊まった。ホテルのレストランも閉まっていたので、駅近くの居酒屋に行った。新潟の美味い物が安くて美味しい!おまけに焼酎の赤兎馬がグラス一杯460円だ。しっかり食べて飲んだので、翌日の朝食はパスしてしまった。
27日は午前中に学生クルズスを担当した。このグループにはかつて自分と階段を駆け上がったM下君がいる。30分濃密な講義をし、質問攻めにしたが皆さんよくついてきた。このグループもなかなか優秀なグループだ。

2013年11月24日日曜日

第二回富士山マラソン

第二回富士山マラソンに参加した。昨年の失敗を回避すべく、宿舎を大会駐車場近くに取った(偶然)。前日も良く晴れており、車でコースを走り、撮影ポイントを選んだ。





夜行った居酒屋は雰囲気良く、おまけに「三岳」が置いてあった。
24日快晴!







朝食はコンビニで買ったノリ弁当となめこの味噌汁に野菜サラダ。しっかり食べておかないと走れない。ホテルから駐車場まで約5分で到着し、スタート会場までのシャトルバスにもスムーズに乗ることができた。北麓駐車場から見た富士山。





スタート約1時間前に会場に着いた。出店を覗いたりしていたが、スタート前にもう一度トイレに行こうとトイレの列に並んだ。泌尿器科のH田先生が自分を見つけて挨拶された。お互いの健闘を誓ったが、自分の目標は一に完走、二にキロ8分ペースだから、目標は低い。40分並んでやっと自分の番が来た。荷物預かり締切5分前にグランドコートや着替えの入った袋を預けた。写真は会場に続々集まるランナー。



4時間30分以上かかるランナーはEグループで最後のスタートになる。9時スタートであったが、95分に走り出し97分にスタートラインをまたいだ。約16000名が参加しているから仕方がない。
最初の8キロは市街地の大きな道を走る。河口湖大橋を渡る時、振り返って富士山とランナーたちを写真に撮った。渡り終えたら河口湖の湖畔に沿う道路をひた走る。交通規制で車は通らない。



コース沿いにある公園では紅葉祭りをしており、秋の紅葉も楽しむことができる。水分の取りすぎか?トイレに並んだ。約10分のロスになった。







河口湖から観る富士山は美しい。快晴で雪が6合目まで積もっているようだ。また河口湖に映る富士山も趣がある。河口湖から西湖へは登り坂になる。今大会の3つ目の目標は「歩かない」なので、ひたすら走った。西湖周囲からは富士山が見えなくなる。

30㎞地点のうどんサービスはパスした。最後の10㎞は辛い。自分が追い抜くランナーはほとんど歩いているか立ち止まってストレッチをしている。最後の2㎞は応援の声が大きくなり励まされる。そしてゴール!!5時間3940秒か。最初のスタート地点までの時間を引くと5時間33分位なので、キロ8分ペースは守ることができたようだ。

完走メダルを首に掛けてもらい、水のペットボトルをもらった。チップ回収地点は荷物預かり所の手前だった。上のシャツだけ着替え、グランドコートを着込んだ。この大会に初出場と自分で思い込んでいたT医科大学麻酔科の女医さんたちに電話した。自分の勘違いでこの大会ではなかった。手術室のYナースに連絡が取れた。初フルマラソンなので完走したかどうか気になっていた。何と!4時間48分のタイム、自分より1時間も早かった。

駐車場から荻窪への道はまた苦難の道だった。事故で40キロ断続的に渋滞とか。3時間かかってやっと高井戸の高速出口に着いた。帰りにスーパーに寄った。野菜と肉、キリタンポを買った。きりたんぽ鍋を作った。食べ終わって、あっという間に深い眠りについた。


 


2013年11月22日金曜日

11月22日

11月22日は良い夫婦の日。
麻酔科術前評価外来には、2名はご夫婦で受診された。緩和ケアチーム回診では一人が奥様が丁度来られており、また幾人かとは良い夫婦の日の話題になった。家人は昨日から鹿児島の実家で親孝行をしている。
さて、今日はJ天堂大学病院で「神経ブロック手技研究会」の講演会がある。朝通勤ランをして、金曜なので精根尽き果てているが、頑張って頭のトレーニングをせねばならない。
翻訳の仕事は少しずつ進んでいるが、「地雷廃絶と被害者支援の会・熊本:KLCC」のS相代表に手直ししてもらおうと思う・・が忙しいかな?

2013年11月21日木曜日

城西ペインセミナー

21日、城西ペインセミナーが明治記念館で開催された。初期研修医のK原、S所、I崎先生を誘った。女子医大整形外科の村田先生と日大の加藤先生のお話は、実に情熱がこもった良い講演だった。慢性痛への弱オピオイドの応用の見極め、患者のフォローなど先生たちの経験や疑問を率直にお話しくださった。
情報交換会でT医科大からの出席者を数えたら9名もおり、一大勢力になっていた。そういうわけからではないが、自分が中締めの挨拶を指名された。偉い先生方が沢山おられるのに・・と恐縮しながら挨拶した。今日は、背広での通勤だったので走っていない。

2013年11月19日火曜日

満月?

19日、日曜から来日されている、スウェーデンのルンド大学のエスキル先生とマグヌス先生がモーニングカンファレンスでミニレクチャーをしてくれた。ホロボロスと言う器械を使ったミトコンドリア呼吸機能の測定と、この実験系の臨床応用についての内容で興味深かった。T医科大学麻酔科とルンド大学の研究室とは頻繁に交流している。若い医局員には是非研究のチャンスを生かして欲しい。




越後湯沢は紅葉真っ盛りだが、そろそろ散りそうだ。








帰りの新幹線から大きな満月が見えた。月齢は15.6日のようなので昨日が満月だったのかもしれない。1718日と夜のジョギングを敢行したが、今日もできるかな?朝、布団の中でグズグズしているので、朝通勤ランができていない。

2013年11月17日日曜日

熊本一鶴会から大阪での役員会へ

11月16日は熊本の鶴丸高校・鹿児島一中・一高女同窓会に出席のため、昼から羽田発熊本行に乗った。空港には家人が迎えてくれそのまま会場のKKRホテルに向かった。受付には世話人の仲間たちや、同級生のM尾君がいたので早速記念撮影をした。写してくれたのは姉。




皆さんと多くを語る時間もなく、とは言えM大先輩と鶴丸高校のE先生(高校の後輩)の間の席だったので、お二人とは良くお話しできた。
写真はE先生の挨拶。




K君はサッカー、YMCA活動でも後輩になる。一年に一回は必ず会うので活躍の様子が頼もしい。



20時38分のみずほを逃すと今日中に大阪には着けないので、午後8時には熊本駅に向かった。新幹線の中で日本対オランダの速報をインターネットでフォローしていた。写真は熊本駅のくまもん。





17日、二度寝をしたためか7時40分起床。あわてて朝食を済ませてワイズメンズクラブ西日本区役員会の早天礼拝の会場に行った。奨励担当のMさん、奏楽担当のFさん、司会担当のUさん、献金感謝担当のHさんと打ち合わせをして開会前の祈祷をした。
審議の中にはクリスチャニティー特別委員会を常置委員会する議題があり、資料作成などをしていたので説明や質問への回答を担当した。懸案は解決した。

役員会終了後、13時10分ののぞみで東京へ。松茸べんとうを買ったが、どれが松茸かわからなかった。折角左窓際の席に座ったが、富士山は曇って見えなかった。




荻窪に着き、ルミネで買い物をして、カレーと豚肉の和風オイスターソース炒めを作った。約8kmのジョギングとシャワーの後、ごちそうに与った。今日は家人の誕生日だ。

2013年11月15日金曜日

二日遅れの Birthday Cake

15日朝、昨夜はU野先生と久しぶりにさつきに行った。寒くなったのでおでん、納豆ご飯に味噌汁と野菜炒めのヘルシーメニューではあったが量が多かったので、朝ご飯は控えめにした。




お昼休み時間に緩和医療部の部屋に呼ばれた。術前評価外来を済ませていくと、スタッフが手作りのケーキを準備して「おもてなし」をしてくれた。
ケーキを初めて作ったA薬剤師は、男の人のためにケーキを焼くのは生まれて初めてと感激していた。どうやら焦がしたりしぼんだりして三回目にやっと出来上がった苦心の作品のようだ。こんなに女子力があるとは思っていなかったので、そろそろ「嫁に来ないか・・」のオファーが来るだろうと期待している。
そのケーキにクリームを程よく塗ったT石ナースはなんだかうきうきしていた。どうやら就職関連雑誌のモデルを依頼され、チーム医療というタイトルで病棟のナースステーションでの撮影があるという。回診時にいつもと違うメークをしてきたが、メークによってこんなにおしとやかに見えるのだと感激した。
ケーキに乗せたホワイトチョコレートに「ただしくん すき」の文字が見えた。K谷師長が心を込めて書いてくれたという。「すき」という気持ちは分かるが、職場でそんな・・恥ずかしい・・・と思った。

2013年11月13日水曜日

また一つ年を重ねた

12日、ルミネでクリーニングを取ろうと、20時40分の丸ノ内線に乗った。気づいたら、中野富士見町に来ていた。荻窪行に乗らずに方南町行に乗っていたことに気づいた。中野坂上に引き返したがすでに21時を過ぎてしまった。荻窪駅近くの満龍軒に寄った。なぜか満龍軒の写真は横に寝てしまう。
焼き餃子とチャーシューメンにビールを付けた。■0歳最後の夕食は心を温かくした。
13日、昨年大台に乗ったので、50歳代が遠くに過ぎていくようで寂しい。もっと若いつもりだが、昨日のようなことが時々ある。学生クルズスで熱弁をふるい、学生さんを眠りに誘わないことは未だできている。
このグループもなかなか優秀だ。




昼食時、秘書のS田さんから医局に来てくださいと誘われた。皆さんでケーキを準備してくれていた。大好きなイチゴケーキなので、大人げなく一番大きくてイチゴのいっぱい入ったケーキを取った。




しかし、マンゴーケーキは皆さんで食べてもらった。








 
ももちゃんから、誕生日の動画メッセージが来た。隣にいるあやちゃんの言う通りに照れながらお話しするのが可愛い。動画をアップするのに、苦労した。年かな?。
夕食は、お昼に出た中華弁当とルミネで買ったモツ煮込み、野菜サラダにした。その前に善福寺公園往復8km走ったので、まさにHungry is the best sauce!

2013年11月12日火曜日

秋は去り冬へ

11日K中央病院を出たとたん、木枯らしに見舞われた。寒い!!
病院によって帰ったが、西友で野菜や肉を買い込み鍋料理にした。




12日、越後湯沢や浦佐は雪景色になっていた。長岡や燕三条は冷たい雨が降っており、街路樹の紅葉は来週にはすでに散っているかもしれない。秋の風情を楽しむ前に冬が来てしまったようだ。

2013年11月10日日曜日

走り食べる

 
10日、昨夜はご馳走だったので、「卵かけご飯」が食べたくなった。
11月初めの体調不調で走っていない。Slow Long Distance に挑戦することにした。善福寺川沿いにひたすら下流に走った。下流に行くほど「おながかも」が太ってくることに気付いた。



途中にあった二人の子どのもの像には、タイトルや作者、説明書きがついていない。環状7号線まで走ったが、時間を気にして引き返し善福寺公園まで行って帰った。GPS測定で23kmだった。






途中善福寺川沿いの遊歩道が木で塞がれているが、内側に通り抜けの小道がある。






夕ご飯を作ろうと思った。創作意欲が湧いてきたので、パスタ(ニンニクと鷹の爪をオリーブオイルで炒めたのを基本味として、あとで明太子を絡めた)と青椒肉絲(チンジャオロウスー:COOK Do利用)は、時間をかけた。あとはにぎり寿司と野菜サラダ。今日よく走ったご褒美になった。

2013年11月9日土曜日

シンポジウムと来季新人との会食

9日はない土なので、得をした気分になる。朝はレトルトカレーと野菜サラダにした。






食後、善福寺川に沿って善福寺公園から和田堀公園に走った。約17kmであったが、ゆっくり走り、途中で「おながかも」を写真に撮ったりしたので、2時間半ほどかかった。
写真はかもが逆立ちして餌をとっている様子。




和田堀公園の池の噴水は秋らしい風情を漂わせている。


午後からCross Cancer Research Synposium がホテルニューオータニで開催された。3題の発表があり、最初は医療訴訟に関する話し、次にがん悪液質に関する話しだった。3つ目はがん研究会有明病院の服部先生のがんの痛みとの戦いの話で、座長は細川先生(日本緩和医療学会理事長)なので楽しみにしていた。服部先生の発表はいつもユニークで聴衆を飽きさせない。彼のメッセージは良く理解できた。最後に質問したが、彼は「自分が大分時代に初めて他所の県に呼ばれたのは先生からで熊本だったのです。」と言ってくれた。礼儀正しい人だと思った。

Symposiumの後、来年入局する先生たちとの食事会に行った。「匠」は半年以上前に予約しないと確保できないお店だ。さすがに素材は素晴らしく、また調理も一級品だ。自分は、ゆっくりビール、日本酒とラダーを駆け上がり、芋のオンザロックで至福の境地に至った。写真は全員集合。
帰りは初期研修医を3名タクシーで送った。ちゃんと家に帰りついていた。

2013年11月8日金曜日

慶應緩和ケア研究会

慶應義塾大学に緩和ケアセンターが設立された。その記念会に先立ち11月7日に慶應緩和ケア研究会が開催された。特別講演が2題準備されていた。1題目はリハビリの宮田先生が「癌痛みの治療ー最新の進歩、当院での新薬使用経験をふまえてー」と題して、これまでなじみの深い鎮痛用オピオイドを紹介し、症例提示で使用法のポイントなどをお話しくださった。
2題目は「がん哲学外来とがん哲学教室」と題して金沢大学麻酔科蘇生科の山田先生の講演だった。スピリチュアルペインの意味すること、言葉の大切さ、文学や漫画から学ぶ生死の意味など、興味深く、これからの学生講義などに活かせる内容で自分にとっても大変為になった。
研修医を2名連れて行ったが、二人とも興味深く聴いてくれたので良かった。研修医の大嶋先生、小原先生、講師の山田先生、宮田先生。センター長の橋口先生、武田先生(前院長)たちと記念写真を撮っていただくなど、行って良かった研究会だった。
研修医(自分も)は明日の仕事があるので早く帰し、四谷の夜に9名で消えて行った。何とか0時前には自宅に帰りついた。家人は熊本に帰ったが、部屋はこれまでで一番きれいになっていた。

2013年11月5日火曜日

記念日

114日、家人の還暦祝いと、長男夫婦結婚記念日祝いを代官山のしゃれたイタリアンレストランでしようと長男夫婦が企画してくれた。代官山駅を出たら、若い女性が喫茶店をぐるりと囲んで並んでいた。何かのキャラクターが有名な店のようだ。


ももちゃんがパパ・ママに手を引かれて歩いてきた。そこから今度はジイジ・バアバと手をつないで歩いた。長男は個室を予約してくれていた。さすがに料理は洗練されていて、ウエイターの方も、会話や料理の知識などもびっくりするくらい洗練され豊富だった。こどもが料理がなかなか出てこないと駄々こねたら、「美味しい料理は時間をかけて作るから少し待たなきゃダメなんだよ」と教えてあげると良いとか。

ついでではないが、自分たちの結婚記念日は1022日で誕生日は1113日と17日なのでこれらも一緒にしてのお祝い会になった。長男夫婦には何も用意していなかったが、長男一家からプレゼントをもらった。ももちゃんからのメッセージ付だが、あまりにも上手な字(あやちゃんは書道の師範)なので、ももちゃんも大きくなったらこんな字を書けるといいなと思った。

2013年11月3日日曜日

臨床麻酔学会3日目

11月3日、いよいよ本番の日となった。一晩熱が高く震えもきたりしてよく眠れなかった。朝ごはんはおかゆと味噌汁、梅干しにした。しかし金沢駅のシンボルともされる伝統芸能に使われる鼓をイメージした「鼓門」を撮影し、8時には会場に着いた。ポスターを貼り始めた。すぐにH松先生が来たので、後は任せた。そして予行演習を始めたが、なかなか堂々とした発表になっていた。

座長のO川先生やS山先生とはセッション開始前にお話しした。準備万端でH松先生発表となった。メモも見ることない堂々とした発表だった。S山先生から「初期研修医の発表で、これだけ解剖学的な考察を深めておられますから、先生がかなりご指導されたのでしょう・・」と褒められた。そのとおりではあるが・・・彼女は他にも放射線科の先生にも画像の見方を習っており、こちらの方が勉強になったのが本当の話しである。発表が済み、記念写真を撮るところになって、やっとH松先生に笑顔が出てきた。

小松空港へのリムジンバスは直通は⒓時代はなく、135分と15分がある。駅で昼食を済ませて発着場に行くと、既にリムジンバス乗り場はお客さんで長蛇の列になっていた。幸い1315分のバスに乗り込み空港へ行ったが、その後の荻窪までの帰りは順調だった。
きつかったがそれでも日本シリーズ最終戦を観戦し、眠りについた。まだお腹の調子が悪い。

2013年11月2日土曜日

臨床麻酔学会2日目

今日はY本先生発表の日。ポスター発表セッションは15時過ぎからなので、それまでは金沢を楽しむことにした。朝は金沢駅近くのホテルから金沢大学病院・医学部まで走った。約9㎞だが上り坂もあり結構きつかった。丁度医学部祭があるようで、学生さんたちがその準備をしていた。写真は高安先生の像。


金沢大学医学部構内には。高安病で有名な高安右人先生の銅像やオ5ランダ人医師から医学を学んだ金沢医学館第一期生9名の銅像があり興味深かった。




一旦帰り風呂、朝食後に駅前のチケット売り場でバス一日周遊券を買い(500円)近江市場、兼六園にいった。蟹漁の解禁は117日だそうだが、豊富な海の幸や、金沢ならではの野菜などが豊富に陳列されていた。



兼六園では雪吊りの設置が始まったようで大きな木の横に高い柱を立て、とっぺんから縄を卸して枝と結んでいる。




根上松は、人工的に根を土から掘り出し、松の下にはこのように立派な根があることを示したもののようだ。その前で記念写真。
前田家の奥方たちの資料館である成巽閣を見て、21世紀美術館に行った。21世紀美術館は、興味深い作品もあるが全体的に理解するのに苦労した。年をとったからだろうか?近江市場で遅くなった昼食(海鮮ひつまぶし)を食べホテルに戻った。
Y本先生の発表に間に合うように会場に着き、最後まで頑張った成果を聴かせてもらった。最後の3日間の筆舌に尽くしがたい頑張りは、T医科大の語り草となるだろう。

 
 
 日本ペインクリニック学会用語委員会に出席後、寒気がしてきた。Y本先生の発表ではないがシバリングと共に熱が出てきた。懇親会出席を諦めホテルに戻った。何も口に入らないほどお腹も痛くなった。家人は私が観光に連れまわしたからだろうかと心配していた。結局金沢駅構内の店から、前田利家御膳と言う名の弁当を買ってきて夕食にしていたようだ。この間自分はベッドの中で震えていた。