2013年8月26日月曜日

トイトイの結婚披露宴

8月25日、 朝5時起床、「ほろ酔い」を飲みながら畳で寝ていたようだ。ベッドに潜り込み体を温めた。7時前から人吉城址と球磨川の中州(大岩瀬)を走った。写真はホテルの窓から球磨川を眺めたもの。



本丸跡までは長い石垣の階段が続き、汗が噴き出す。
本丸跡には基礎石と休息所があるだけだ。

人吉ゆかりの文化人の歌碑が本丸に上がり口の石垣付近にあった。

人吉城は球磨川と〇川に北側と西側を囲まれる。〇川が球磨川に合流するのだが、水が澄み切っていた。これが良質の人吉米と球磨焼酎を育てるのだろう。

朝食前に自室に付いている露天温泉風呂に入り汗を流した。

朝食会場で熊本大学のY本先生とお会いした。昨夜出張先の札幌から来られたそうだ。




10時にはチェックアウトしてホテルのホールで挨拶原稿をチェックした。暫くして同級生の満〇先生が熊本から来たのでゆっくり話すことができた。新婦のトイトイが結婚に至ったのは大きく考えるなら自分たち二人の存在があったからという結論に達した。満〇先生の市民病院で出会い、自分のいるT医科大で遠距離恋愛が育ったのだ。写真は満〇先生、熊大麻酔科関係の後輩たちと。


新婦は和装が良く似合っていた。仲人の久〇大産婦人科のK村先生の両人と両家の紹介は丁寧で、自分の挨拶原稿の半分はダブっていたので削除した。

新郎主賓T中人吉市長の祝辞はユニークだった。「新郎はポチになってご主人(奥さん)に忠義を尽くし使えるべし。そうすればご主人は大変可愛がってくれるだろう。そうして家庭の基礎を築きなさい。子どもができたらご主人は鋼鉄の心臓をもつので、そこからは違った展開が生まれる。」東京から駆けつけられた大〇戸先生と大きくうなずいた。

自分の挨拶は、T医科大に来て苦労したが乗り越えてきたことを話し、ルーシー・モンゴメリー作の赤毛のアンの言葉を二つ送った。「明日はまた、まだ何も失敗していない真新しい日が来ると思うと愉快じゃない・・」これは辛かったであろう新しい職場でのことを労ったもの。「結局、一番、幸福な日と言うのは、素晴らしいことや、驚くようなこと、胸の湧き立つような出来事が起こる日のことではなく、真珠が一つずつ、そっと糸から滑り落ちるように、単純な小さな喜びを次々に持ってくる一日一日のことだと思うわ。」これは、毎日の生活が単調であっても幸せを作り上げていくものだということ。そして「元気が第一、第二に笑顔」で挨拶を閉めた。

その後音楽の演奏があり、大〇戸先生の乾杯に至るのだが、新郎新婦入場の前のスライドによるエピローグ開始から1時間13分経過していたので、乾杯のシャンペンが美味しかった。

久しぶりにお会いする熊本の先生方と親しくお話しすることができた。



二人のケーキカットを間近で写真を撮った。







お父様とも親しくお話しできた。

開始3時間後、キャンドルサービスが終わる頃、自分と大〇戸先生は会場を後にして鹿児島空港に向かった。

聞くと、今夜の6時から二回目の披露宴がエンドレス?であるという。熊本や鹿児島以上に結婚式披露宴に力を入れておられるが、新婦がくたびれないことを祈ろう。高い草履を履いていたか
ら・・・。
羽田について家人にメールをした。横浜のインターコンチネンタルホテルに来るようにとの指令が来た。ひなちゃん一家(娘一家)が学会で同ホテルに宿泊しているという。ホテル近くに来たら、皆が出てきた。ひなちゃんはベビーカーから降りて、「ジイジ!」と言いながら走って胸に飛び込んできた。抱っこして「ジイジが抱っこしてあげようね」というと、「いや!べビーカー!」と断られた。
近くの遊園地に行って、メリーゴーランドで喜ぶ孫の姿を見て安心した。

2013年8月22日木曜日

焼き鳥パーティーと夜遅く作る夕食

新潟から帰って、医局を覗くとこれから「こ〇ね」から焼き鳥をテイクアウトしてくるという。医局の引っ越しを前に、グッバイ医局パーティーをするようだ。この医局等は昭和37年に建てられたので50年の歴史を刻んでいる。東北大震災後、震度5強で崩壊するので強い地震の時は本館にすぐに非難するようにお達しがあった。せっかく寝袋を持ち込んだが、未だ数回しか使っていない。
こみねは病院近くにあり、T医科大学の関係者が常連の店だ。焼き鳥はうまいのだが、関東風の豚足にはびっくりした。九州ならこれからこんがりと焼く前の冷えたままの豚足だ。




意外と食べられる。ところ変われば品変わる。自分クマモンSを提供した。歯科口腔外科からの研修医も2名参加してくれた。写真はS根先生が豚足にかぶりつくところ。
Uの先生は一足先に新教育棟に移ったので、一人でさつきに行かれたという。もう一度「小夜内局パーティー」をしたいというリクエストが来たので、次の日2回目のパーティーをした。

21日、F島さんからご自宅で作られたというゴーヤとミョウガをいただいたので、冷蔵庫にあった牛肉とピーマン、豆腐を使って2品作った。

2013年8月18日日曜日

桃也泣く

午前中善福寺公園までひとっ走りし良い汗をかいた。池の鴨は涼しそうに泳いでいた。
夕に西友に行って桃也の好きなブドウなどの果物を買った。長男の引っ越しから4週間経つ。嫁のあやちゃんから夕食をご一緒にとのことで、車に果物などを積んだ。



ももちゃんははじめは恥ずかしがって隠れたりしていたが、一緒に果物を出そうと誘ったら笑顔でお手伝いをしてくれた。ももちゃんは待ちきれなくて豆腐を食べ始めたので、「こんばんわ、いただきます」と言う躾をした。



あやちゃんの夕食はヘルシーで玄米食。これなら太らないと思うが長男は夕食がいつも遅いようで腹が出てきている。
デザートはぶどう(デラウエア)でももちゃんの顔がほころぶ。ジイジには食べるスピードは勝てないが食べた量では勝っていた。




食事が済んで病院で仕事をするので帰ろうとしたら、桃ちゃんもジイジと一緒に荻窪に行くと言う。その辺を1周して帰ろうと思ったが、その後もジイジと荻窪から鹿児島に行くと言って車から降りようとしなかった。結局2周してパパ・ママお出まししてもらった。ももちゃんは車のベビーシートから引きはがされて大泣きしながらお家に帰った。
暫く放心状態だったようだが、1時間後には寝てしまったようだ。ジイジがそんなに好きなのかと嬉しくなったが、ブドウが効いているのかもしれない。
写真は放心状態の桃也(あやちゃん提供)

新都心麻酔懇話会教育講演と屋形船

17日は医局説明会、新都心麻酔懇話会教育講演と屋形船がある日。10時50分の鹿児島空港発羽田行きに乗った。空港までの高速道路はガラガラで嵐の前の静けさのようだった。




写真は羽田行のJAL






医局説明会では説明担当者ががんばり(良くしゃべり)、自分の番の時には時間がなくなった。自己紹介だけにして屋形船の時に個別に話すことにした。
新都心麻酔懇話会教育講演は自治医科大学のT内先生による、若い麻酔科医へのメッセージ、小児麻酔特に小児新生児麻酔についてのお話しだった。医局員たちの先頭に立ってがんばておられる先生のエネルギーを感じた。写真は感謝状贈呈。




品川に移動して屋形船に乗り込んだ。お台場沖で1時間停泊するコース。T内先生も参加いただいた。


乾杯は、酔っぱらう前の自分の役目。







途中サープライズでU野先生のハッピバースデイ!







ケーキには顔写真が・・・。結局顔は切られ(いいえ、ケーキはカットされ)、左半分は自分の胃袋に入って行った。






新入医局員候補者も何人か参加してくれた。このようにして、入局前から麻酔科の良い雰囲気を堪能していただけるようにしている。T内先生がおっしゃった、入局者を増やすためには情熱とお金が大切・・は良く理解できる。
二次会のあと、K沼先生とS根先生とタクシーに乗って病院経由荻窪に向かった。K沼先生がしっかりしているから・・とウトウトしていたら、彼は助手席で眠り込んでいた。今回は自分がしっかりしたので無事に自宅に到着した。彼は荻窪駅から自転車で帰ると言っていたが・・・K沼先生は如何に?

2013年8月16日金曜日

帰省その4 種子島を走り鹿児島へ

16日、種子島の市街地と裏山を走った。高低差で約100mだがアップダウンがきつい。統合合併された新しい種子島高校を過ぎた頃、




朝日が昇ってきた。






高台を軟式野球中学校鹿児島大会で優勝した種子島中学(ここも数校が統合合併した)の横を通り、海辺に下りていくと、美浜町の子どもたちがラジオ体操をしていた。自分も離れた場所で参加した。




海岸に沿って市街地を走った。途中猫を散歩させている同級生のH瀬さんと会った。大和スーパーまで走って再び山の方に駆け上がった。西之表の市街地を写真に撮った。




ハイビスカスの花がきれいたが、雨が少ないので木によっては元気のない花が咲いていた。





約10㎞を走り、汗びっしょりになってゴールの自宅浴室に飛び込みシャワーを浴びた。この間家人も汗びっしょりになって玄関周囲の草刈りをしていた。感謝。




午後1時の高速艇で鹿児島へ。タクシーの運転手さんによれば、風向きが変わってきて鹿児島市の方も桜島の灰が降ってきているらしい。
例年夏は桜島の火山灰は西方向に降ってくるので鹿児島市は灰だらけになる。今年の異常気象は極暑、極少雨、無灰のようだ。

帰省その3 種子島編

15日朝、5㎞ほどジョッギングするが体が重い。毎日ご馳走を食べているからだろう。9時の高速艇で種子島西之表港に移動し、レンタカーで自宅に行った。親戚のH高さんが窓を開放し、掃除機をかけていてくれた。
荷物を置き、昼食を食べに人気のラーメン屋に行った。なかなか美味しくボリュームもあり、リーズナブルな値段だった。
 墓は既に掃除が行き届いており、花も飾られていた。
自宅の庭(雑木林)にはバナナの木があり実がなっていたが、雨がずっと降っていないので実は小さくしぼんでいる。
能野(よきの)海水浴場までドライブした。自宅から車で10分でいける。砂浜はきれいだが、霞んで沖にある馬毛島は見えなかった。
叔父と叔母のそれぞれの家を訪問し、仏壇にお線香をあげた。叔父、叔母ともに元気そうだったが盆休みは誰も帰省していないと言っていた。
帰る途中コンビニに寄ったら「熊本うまかもんフェア」をしていた。クマモンが至るところで愛嬌を振りまいていた。
夕は、従弟のE本さん、H高さん、家人の教え子でたまたま種子島に出張していた石〇さんと我々夫婦で会食した。コース料理に生ビール7杯、焼酎2本キープで一人4200円(消費税込み)程度だった。途中、従弟が懐かしい後輩たちに電話をした。熊大サッカー部時代のD徳、H田さんたちと久しぶりに話ができて良かった。

2013年8月15日木曜日

帰省その2

14日はゆっくり朝寝をした。13時28分熊本駅発の新幹線で鹿児島中央駅へ。熊本駅にはクマモンがお出迎えとお見送りをしてくれている。




1時間弱で鹿児島についた。丁度土砂降りになっていた。高齢者マンションに住む叔母を訪ねた。自分の祖父祖母一家の写真を見せてもらった。体の大きさの順番で見ると、叔父叔母の子どもの頃の写真に面影がある。
マンションの共有レストランには叔母が活けたお花が飾ってあった。米寿になるが、元気でしっかりしている。
部屋の入り口には、「人生ゆっくりおもしろく」と書かれた暖簾がかけてあった。自分なら「人生たのしくおもしろく」かな?と思った。
家人の実家に向かうタクシーで、運転手さんから「この暑さで雨が降ってもサウナになるだけですね」と言われたが、木々草花は喜んでいることだろう。
義母はだいぶ体が弱ってきている。墓参りもおっくうそうだったので、家に残して墓参りをした。夕日が西の方に沈んでいくのが見えた。豚肉のしょうが焼きとゴーヤ料理を作り夕食に花?を添えた。

2013年8月14日水曜日

祝熊大医学部サッカー部西医体準優勝と帰省

13日熊本に帰った。目的は熊本大学医学部サッカー部西日本医学生体育大会の打ち上げに参加、自分が担当した患者さんH美さんの初盆へのご挨拶、姉に教会の献金を託す、子どもたちや孫が元気なことを確認など。

さて、羽田空港は混雑し手荷物預かりに長蛇の列ができていた。30分ほど並んでいたら「810分熊本行きのお客様・・」と呼び出されショートカットさせてもらった。




熊本空港から熊本駅までリムジンバスで移動し、駅からはタクシーで孫代町のH美さんのお宅に行った。前もってハガキを出し、駅から電話をしていたのでご兄弟・姉妹・姪っ子さんが待っていてくださった。仏壇にお参りし、H美さんの思い出などを話した。昼前だったがお鮨やビールをご馳走になった。また自宅まで車で送っていただいた。

家に帰り、次男と会話を交わし高校野球を聞きながら昼寝をした。

バスとタクシーを乗り継ぎ姉宅へ。姪っ子の息子のT生君が愛嬌をふりまく。義理兄とビールを飲み、姉に8か月分の教会月定献金を預けた。

タクシーで打ち上げ会場に移動した。13日の決勝では惜しくも2:1で負けたが、学生たちの黒光りした研ぎ澄まされた顔を見ながら、何年間も勝利に恵まれず苦労してきた歴代幹部や監督、コーチを思い出した。





学生やOBたちが自分の席に来てくれた。ビールでの乾杯をしながら、各テーブルをまわった。

今の6年生が入学した頃、彼らには素晴らしい可能性があると直感した。「君たちが現役の時に九州山口大会や西日本医学生体育大会で優勝するようなチームになるよ。」と言ったことがある。石〇君や〇西君は覚えていたようだ。






勝った試合で一番危なかったのが一回戦のF岡大学戦のようだ。1週間前に練習試合で完勝していたようだが、本番で炎天下の第一線は気持ちが乗らず体が動かない。一回戦を突破すれば、このチームは上まで行くかなと思っていたがその通りになった。他大学の試合前のアップや気持ちの切り替えの素晴らしさを学んだようなので、これからの進歩も楽しみだ。

現役や応援に行ったOBたちから試合の話しを聞いた。堂々とした試合をしていたようだ。

自分の後輩の息子さんや娘さんがサッカー部の選手やマネージャーで活躍している。

夕に山鹿のG藤先輩に電話をした。9月の日韓医師サッカーを交流での話が目的だったが、当然現役サッカー部の活躍に話しが及んだ。丁度大切な御用があり打ち上げ会には参加できないことだった。G藤先輩の分まで楽しまねばならない。

OBで自他ともにサッカー狂と認めるS石先生は夜行バスで東京に戻るという。不遇な前監督T口先生や今後常勝熊大を託された権蔵監督と記念写真を撮ったが、皆笑顔がはじけていた。





本来は現役だけで打ち上げを計画していたようだが、一次会だけでもOBも参加できるようにと配慮してくれたようだ。当然ながら一次会での学生の負担はない。






一次会が終わり、一人で味噌天神の「さくら」に行った。8月で店じまいをするという。店主の田代さんは「てれっとウルトラマラソンクラブ」で知り合ったウルトラランナーだ。ゆっくり走られるので、一緒に走ったことも何度もある。但しスタミナは自分の数倍はある。また練習会や大会で会えることを願って別れた。

内容の濃い、そして熱い・暑い一日だった。