2012年6月29日金曜日

サッカーヨーロッパ選手権準決勝ドイツ敗退と仕事や余暇のこと

6月29日優勝候補のドイツが1対2でイタリアに敗れた。寝たのが午前1時過ぎで、TVをつけっぱなしにしておいた。後半15分頃に目覚め、そのまま観戦した。奇跡の逆転はならず。個人的にはドイツのサッカーが好きなので残念だが、今大会まとまりがあり全選手が最高のパフォーマンスをするイタリアと王者スペインも決勝も楽しみだ。
ヨーロッパ選手権を観るために早起きしたので、溶けるチーズをかけたトーストとハムエッグ、野菜ジュースにコーヒーの朝食を作った。
走って病院に行く途中、7時半からドイツ人の講師による講演会が入っていることを思い出した。それから全力疾走が始まった。記録を5分短縮して病院に着いた。汗が止まらないままにカンファレンスルームへ。前もって文献を読んでいたので内容は良く分かった。「ドイツがイタリアに負けて残念だった・・・」と話そうと思っていたが、話し損ねた。この日で6月も月間200㎞を突破した。
MitochondoristのM田さんがスウェーデンに帰ることになった。医局でUの先生と記念写真と撮った。M田さんとスカイプ会話ができるようWebカメラを購入した。他にもカリキュラム改編委員会でスカイプ会議をすることになり、スカイプが必要不可欠になった。
夕方恵比寿のアトレの屋上でももちゃんとデートした。すぐに慣れて一緒に走った。あとで一家が揃ったので記念写真を撮った。
K生中央病院の先生たちの歓送迎会に呼ばれたので、ももちゃんたちを残して焼肉屋に行った。飲み放題だったが、ビールは中ジョッギ二杯にとどめ焼酎に移った。話が盛り上がっていくのを聞きながらウトウトしていた。起こされて帰ったが、電車の中では復活して文庫本を読んでいた。
だからこの日の会の写真は撮っていない。今度また行きましょう!

6月30日医学教育推進支援センターのS原さんにお願いしてスカイプの環境を整えた。音声が伝わらなかったり聞こえなかったりと苦労したが、多分問題はクリアしたと思う。
午後からFaculty Developmentに参加し、学生教育の講習を受けた。何回も受講しているのだがその都度新鮮に思う。講師の皆さんの大変な準備へのエネルギーを感じる。今回のFDでは感想や思いを川柳に託しましょうというコーナーがあったので、3句ほどひねってみた。
「開発中睡眠学習プログラム」
「やることが多すぎ臨床後回し」
「i Pad 教官みんなに配付して」
弁当がでたが、すでに病院レストランで食べていったので夕食ができた!明日朝は走る。
「7月も目指せ月間200キロ」

2012年6月26日火曜日

学会と同窓会

6月22,23日に日本緩和医療学会が神戸で開催された。22日の金曜日の夜神戸に行った。宿泊は日本麻酔科学会と同じホテル。近くの居酒屋さんに行って遅い夕食になった。ここのお魚料理はおいしい。
23日はモーニングセミナーから貪欲に聴講した。が、高校の同窓会(東京鶴丸会)があるので、途中から東京に向かった。


会場の目黒雅叙園には開演前に着いた。22回、23回卒が一つのテーブルを使用したが、人数の多さと先輩後輩という変えることのできない定めによって、いつの間にか22回卒がほぼ独占していた。33回卒の辛島みどり(歌手)と記念撮影ができるという栄誉にも浴した。



22回卒のM田さんには連絡やネット文集などでいつもお世話になっている。前回は息子さんの結婚式の前日で、今回も大事な用件を翌日に抱えておられるようだった。いつもの元気であれば二次会・三次会と行くところだが、今回は本当にくたびれていたので一次会で失礼した。
翌24日は船橋に大きな家具を中心としたモールがありスウェーデンの食品が豊富にあると聞いたので、行ってみた。どうもスウェーデンの会社のようで家具もあか抜けていた。熊本時代からの知り合いのY根さん一家とであった。この近くに住んでおられるという。
帰って、し残していた掃除洗濯に精を出し、夕から12km走ってみた。最近サボっていたので6月の総走行距離200kmに赤信号が付き始めた。久々の自炊をしたが腕は一向に落ちていなかった。

Mitochondorist

スウェーデンからM田さんを迎え、麻酔科内のMitochondoristたちの争奪戦が始まった。自分は台風が来た6月19日の夜と25日月曜(この日は耳鼻科の長い手術についていたが優秀な後期研修医のS木先生にほとんど任せて)終日、S根先生と彼女を独占した。とは言え、経験のないマイクロピペットの操作や試薬の理解など、道のりは遠い。夏休みにもう一度来られるそうなので、2,3日は集中的に独占させてもらいたいと心から思っている。M田さんはスウェーデンでも自分のブログを時々見てくださるという。
今週の金曜日にはスウェーデンに帰るそうなので、少しでも勉強したい・・と思いながらも他の用事が押し寄せてくる。
マイクロピペットのメモリを読むのが苦痛である。虫眼鏡が必要だ!と思う。実験は若い時からすべしと思った。

2012年6月22日金曜日

パーカー先生講演会、今週の学生さんと山形大からのお客様

6月14日パーカー気管チューブの考案者パーカー先生がT医科大のモーニングカンファレンスでレクチャーしてくださった。先端が鳥の嘴のような形状をしたパーカーチューブを開発したきっかけやヒントなど、パイオニアの話しは興味深い。I崎先生と前もって質問を準備していたので、質問も盛り上がり30分の講演時間が短く感じた。次なる開発のターゲットは分離肺換気用の気管チューブのようだ。
U野先生がヨーロッパ麻酔学会で出張中のため、自分が感謝状を贈呈したがスペルが間違っていた・・・後で取り換えさせていただいたが。

6月18日から学生実習が再会。7名の学生さんが手術室、ICU,外来でポリクリ実習に頑張っている。月曜の昼過ぎからクルズスを受け持ったが、今回も2,3名の学生さんが睡魔と闘いながら食らいついてきた。質問を浴びせながら、何とか全員が正解2問以上になったところで終了となった。挨拶が元気よく気持ちの良い学生さんたちだ。このような学生さんはきっと伸びる。
この日の夜、山形大から見学に来られた岡〇先生と前〇先生を「さつき」にご招待して夕食。麻酔科医は全国的に不足しているが、東北地方はより深刻な状況にある。彼らのボスの川〇先生とは先月来られた折に親しくお話しする機会を持った。盛り上がったところで、リュックを担いで走って帰った。

2012年6月18日月曜日

父の日・100㎞完走・祝長男の誕生祝

父の日・100㎞完走祝い・長男の誕生祝を兼ねて、長男が箱根一泊小旅行を企画してくれた。16日は「ある土」なので、午後からしか移動できない。長男一家はレンタカーで御殿場経由箱根へ。自分は家人と東名・箱根新道経由で箱根に向かった。
芦ノ湖畔のリゾートホテルにチェックインをしたが、雨で富士山も見えない。芦ノ湖名物の海賊船も寂しそうだった・・・
近くに箱根駅伝ミュージアムがあると聞いていたので行くことにした。ちょうど往路のゴールと復路のスタート地点にあるミュージアムに近づくと、駅伝中継の放送が聞こえてきた。中は写真厳禁とのこと。しかし箱根駅伝の歴史や各大会のエピソードが目に浮かぶように展示してある。外まで聞こえてきた実況放送は、中にあるテレビのダイジェスト版のようだ。
東洋大柏原選手の4年連続5区一位が始まった第85回大会から4大会分ゆっくり見せてもらった。次男に黒の長袖シャツを購入してお土産にした。
ホテルに戻ると隣の部屋からももちゃんの声が聞こえた。家人は早速隣に出張。どうやらももちゃんは車の中で吐いて長男のズボンを汚したようだ。あやちゃんが洗ってヘヤードライヤーで乾かしていたがすぐには乾かない、結局あやちゃんのすそ広がりのパンツを長男ははいて夕食に行くことになった。
夕食会場はイタリアレストランで、ももちゃんは両親に囲まれてジイジとバアバと向き合った。自分は生ビール、ももちゃんはオレンジジュース、あとの大人はノンアルコールのソフトドリンクで乾杯して食事が始まった。ももちゃんはあやちゃんの食事を分けてもらってニコニコだった。パンがおいしかったので満足だっただろう。
デザートには「父の日おめでとう」のお菓子のプレートがついていた。ももちゃんからは下腿用の弾性ストッキングのプレゼントでお手紙付。すべてあやちゃんのアイデアのようだ。感謝。
食事が済んでお風呂に行ったが、自分以外の大人たちはスパ?でマッサージを受けるらしい。その間しばらくももちゃんの子守?をしたがずっと寝ていたので楽だった。ちょうど「永遠の泉」という番組(阿蘇でロケ、寺尾聡主演)の放映をしていたので観ていた。
翌朝は雨風の音で目が覚めた。芦ノ湖を一周走ろうと計画していたが、霧でまったく見えず、大雨だ。仕方なくもう一度大浴場に行った。朝食は和食にしたが、ももちゃん一家は養洋食のバイキングだったようだ。
チェックアウトの頃、雨が上がってきた。ここからは別行動で、日本一のパワースポットといわれる箱根神社参拝。ここでももちゃん一家と会った。
強羅公園は駐車場に車が並んでいたので断念し、ガラスの森美術館でアジサイ展をしているとのことで行ったが、まだ咲いていなかった。しかしアジサイのパンフレットをもらった。
星の王子様ミュージアムでは、星の王子様のメッセージ「大切なものは目に見えない」(聖書にも同じような聖句がある)をかみしめた。





長男から教えてもらった暁庵でそば定食を昼食に食べて、自宅に戻った。病院に寄った時、U野先生に遭遇した。お元気そうだった。
帰って、男のスープを作り約約10km走った。気分は柏原選手だった。

第15回西日本区大会

ワイズメンズクラブ国際協会第15回西日本区大会が、長浜クラブを中心としたびわ湖部の皆さんの奉仕で米原市・長浜市で開催された。
あいにくの雨の中、一日目会場の米原市にある滋賀県立文化産業交流会館に向かった。第4回役員会の開会および閉会祈祷担当。代議員会を傍聴し、開会式に臨んだ。
バナーセレモニーでは大崎会長や西クラブの佐藤会長、ヤングクラブの河本会長の晴れ姿を写真に撮った。
開会式のオーケストラ演奏やリフレッシュタイムでの吹奏楽の聖日礼拝の司会を担当することがパンフレットを見て初めて知った!が、さすが高〇さん準備はすっかり整えられていた。
第一日目の最後は会場を長浜ロイヤルホテルに移しての懇親会。約1000名入る会場がなく3箇所に分かれての懇親会の進行だった。午後8時にクリスチャニティー特別委員会のメンバーにはステージ近くに集合してもらい記念撮影。
アトラクションでこられていた伊藤智恵理さんが歌を披露されたが、気になったのはその美脚!さっそく、ランナーのO野さんと三人で記念撮影。



もちろん足比べも一緒にさせてもらった。
京都みやびクラブの皆さんと二次会に行き、午前様でホテルご帰還となった。
翌朝は5時前には起床、琵琶湖湖畔を焼く5キロほどジョッギングした。朝食は近くのコンビにから調達した。
聖日礼拝は近江兄弟社学園園長の道城献一牧師で「一つとなるために」のメッセージをいただいた。
理事引き継ぎ式は毎年感動する。浅岡理事、キャビネットの皆さん一年間お疲れ様。成瀬新理事、新キャビネットの皆さん一年間よろしくお願いします。
大会を締めくくる実行委員長の挨拶では、時間が余程余ったのか?堂々の大演説(おもしろかったですよ)が始まった。感極まって泣くかな?と思ったが、参加者一同笑って閉会を迎えることができた。
会場を出て「むさしクラブ」の皆で集合写真を写したが、入〇さんが行方不明?だった。
長浜城と黒壁スクエアを散策した。黒いソフトクリームを発見。黒ゴマ、イカ墨などで黒くしているようだ。家人が食べたのは良いのだが、「口の周りが真っ黒になっていた。

2012年6月16日土曜日

学会準備と学生さんの相談教官

100㎞は完走を果たしたが、次の大きな関門があった。日本麻酔科学会でのO先生の発表である。患者さんのカルテを医室に持ち込み、降って湧くような皆からのリクエスト追加検討をこなし、何としたことのない統計処理をしていく。こんなにできるのなら何故3か月も余裕があったのにしないのだ?と言いたいところであるが、師匠に似ていといえば、そのとうりだ。
しかし!神戸で開催された日本麻酔科学会には一日目終了後のT医科大学麻酔科懇親会に参加ながらもノンアルコールを貫き、二次会にも行かず自分と大〇戸先生二人を従え、帰途についた。写真は懇親会後の集合写真。
さて、肝心の発表は・・・  なんと堂々の発表で、これまでの苦行を知っている皆が心配して集まっているのをかえって力にして笑顔の発表だった。運が強いのか?ただの偶然だったのかは分からない。

来年の2月にはT医科大学主管で日本慢性疼痛学会が開催される。大〇戸会長から宿題を仰せつかっていた。シンポジウムの企画と座長の依頼である。そのためには日本での現状について把握せねばならない。日本疼痛学会会員と日本ペインクリニック学会専門医のいる医療施設へのアンケートを作り発送する。発送先のチェックと宛名書きに時間が過ぎていく・・

6月15日は学生指導の担当教官として、学生とコミュニケーションをとり何らかの指導をする・・・ということで、「さつき」に学生さん4名を招待し、会食の時を持った。
なかなか個性のある熱い学生さんたちで、自分もヒートアップしてビールや芋焼酎の水割りで体を冷やしながら語り合った。留年を経験している学生、通学だけでくたびれてしまいそうなところから通う学生、部活命の学生と興味深い。自分は調子に乗って100㎞マラソンに挑戦し始めたきっかけから今年の完走までを序章から1,2,3、最終章と5つに分けて勿体ぶりながら話していた。
途中、関〇先生が学会で知り合ったというアメリカ人を連れて登場。また盛り上がったが、場所を「思い出横丁」(しょんべん横丁ともいうらしい)に移して二次会まで突入したのはやりすぎか?


続きは後で

2012年6月5日火曜日

闘い済んで

6月2日の闘いは済んだ。翌3日まだ引越し後片付けが済まず未だ闘い途中の娘の家に寄った。ひなちゃんがラッパを吹けるようになっていた。がその芸を見せてくれるまでに時間がかかった。ジージが良い人で優しいことを思い出すのに時間がかかるのだろう。
病院に寄って、M永さんに完走報告をした。自分のことのように喜んでくれた。
教会に行き、心を静めて平安になった。完走感謝献金を忘れず、姉や牧師さんたちにも報告した。
12時半には、てれっとウルトラマラソンクラブの打ち上げ会会場「さくら」についた。もう数名が開始時間を待ちきれずに来ていた。皆さん自分が完走、それも最終ランナー近くで、を知っておられ大変喜んでくれた。生ビールが運ばれ、一足先に会が始まった。定刻の1時には大半が集まった。岩〇会長挨拶、70を超えておられるのに私より速く強い鉄人だ。遠来の参加者ということで自分が乾杯の発声をとることになった。「やっと」「もう」「まだ」をそれぞれの走行した距離に当てはめると面白いことを紹介し、コースの途中で応援してくれた仲間や家族あっての完走、練習会でエイド班でサポートしてくださった仲間への感謝、を述べて乾杯とした。
周りには、サポートしてくださった方、一緒に参加した方、総勢50名弱だろうか。昨年今年と連続二位だったH手さんは毎日4時起きで25km(山道コースを含む)を走るという。84Kmで救いの声をかけてくれたM村さんが隣に座った。そのときの写真を現像してきてくれた。Y松さんにはK林先生を鍛えてくれたお礼を言った。K本さんには、仲間たちが初心者に気配りしながら走っていたと大そう褒められたので、自分のことのようにうれしかったと言った。
一人ひとり挨拶していったが、自分はもう一度挨拶の時間をもらった。クリス・ムーンの「Anything is posible, I never give up. Keep going on.」を紹介した。音楽を聴く余裕もなく走ったが、頭に浮かんだ曲はAKB48の「ヘビーローテーション」だったことと。
鹿児島から参加のYさんは、鶴丸高校の後輩。走力はずっと強いが、後輩は後輩。酔っ払いになりかけている時、迎えあり。「飛行機に遅れますよ・・」・と。皆に別れを告げていたら、O田事務局長から「待って!」との指示。今年還暦の4名に「一生青春」と書かれた赤シャツ(女性はピンク)が贈呈された。ありがとうございました。

2012年6月2日土曜日

阿蘇スーパーカルデラ100kmマラソン完走!

毎回ではあるが、大会前になると出場することを皆に言って自分を追い込む。もう逃れない、完走あるのみと。木曜の夜は手帳に必要物品、持って行くものを書き込みリュックに詰めた。金曜は時計を見ながら、この時間はどの辺を走っているな・・とイメージを湧かせ思いを馳せた。
恵比寿で早速ウエストポーチを忘れたことに気付いた。時間がないので原宿に行き、ナイキスポーツショップで購入した。ウエストポーチには経過を知らせる携帯電話、記録の為のデジカメ、自販機でコーラを購入するため財布を入れる。天気予報は曇りで雨が40%あるようだ。ゴミ袋で簡易レインコートを作った。
昨年の験(げん)を担いで、羽田空港の中華料理屋で夕食を食べた。ゼッケン番号は96番(苦労)とも読める。
10時半には布団に入ったが、眠れない。ウトウトしているが、目が覚めまた眠っている。そうこうするうち起床予定の午前2時45分となった。着替えて餅入りの雑炊の朝食。餅はひなちゃんが背負った餅だ。家人の右肩の調子が悪いので、集合場所には自分が運転し帰りは家人にお願いした。
てれっとウルトラマラソンクラブの仲間が大勢集まっていた。
熊大麻酔科・関連病院からは100kmに4名、50kmに1名がエントリーしている。100kmの3名と健闘を誓う。写真はスタート前の余裕。



午前5時スタート。最初の上り坂は気合が入っているのかキロ6分ペースで駆け上がる。後輩が走るので負けられないのだろう・・キロ5-6分ペースで久木野の駆け下りる。応援に駆け付けたK島さんが、調子いいねと声をかけてくれた。9キロ地点のエイドではそうめんをしっかり食べた。

そのペースは22km地点まで。高低差500mの峠は8割方歩く。わずかに2キロ少々の距離だが35分要した。外輪山の走りは強い上りは元気よく歩き、他は走る。天気は曇りで風が冷たい。途中まで一緒だった後輩の一人が遅れているようだ。35km過ぎから雨が降り出した。自作のレインコートが力を発揮するが、寒い。去年は晴天で暑かったが、自分は暑い方が好きだ。42.195キロ地点は10時11分(5時間11分後)に通過、2月の熊本城マラソンより1時間早い。
11時までに50.8キロ地点(50キロランナースタート地点)に着くと完走間違いなしというが、50キロ中間地点は11時16分通過した。U野先生に途中経過を報告した。
50.8キロ地点のエイドは豪華だ。スイカ、そば、おにぎりと手当たり次第に食べたが、髪をタオルで拭いただけで5分休憩して走り出した。もう一人の後輩もリタイアしたようだ。体が冷えたのだろうと気遣う。K本先生がK林先生と走ってきた。K本先生は萩往還250km完走した猛者、K林先生は萩往還70Kmに今年挑戦し完走。この二人は大丈夫だろう。

55km地点ではスイカのごちそう。熊本はスイカがおいしいので嬉しい。
64.5キロの関門はわずかに15分余裕で通過。野菜スープとポタージュスープをごちそうになった。ここからは声援する人もほとんどいない、孤独走(には慣れている)だが、話しかけてくれる人もいる。72.4キロ関門は10分の余裕、去年と同じ状況になってきた。
75キロでうどんをいただく。これを過ぎたら山登りが始まる。ずっと歩くわけにはいかない。余裕がない。歩いているご婦人に、完走を目指すのであれば84キロの関門の突破をすれば光が見えるから頑張りましょう!と話すと、怪訝な顔をされた。昨年の完走最下位ですよ。と言うと、納得された。
84キロ関門の800m手前にM村先生が走ってきた。この調子で走り続けるように励ましてくれた。萎えそうな心に力が入る。84キロ関門は3分前に通過した。85km地点にT畑さんがおられた。固い握手をする。いつもならこの場所で私設エイドを開設しているのだが、今年からは禁止になった。写真は85km地点。
88kmからの象が鼻の下りは、すり足でなく力いっぱい大股?でかけ下った。時間がない!
下り終わって、92キロ関門は20秒前に通過。この間全力疾走だった。あと8kmを90分と思うとゴールが見える。が、昨年の危機感がよぎる。そこにT瀬さんが現れた。今年は出場していないが、てれっとウルトラマラソンクラブの麒麟児(褒めすぎか?)。「大丈夫ばってん気を抜くとあぶにゃーですばい!」と伴走?してくれた。とは言えお節介(面倒見の良い)T瀬さんのこと、色んな人やグループに声をかけていた。
94キロ地点の最終エイドにはコーラやスイカがあった。75-94キロのエイドには、バナナと水、キャンデーだけだったので、生き返った。
1キロを10分で走れば良いのだが、辛い。
残り500mの曲がり角には家人とお友達のTさん、てれっとのM浦さんがやんやの応援。ゴール前には熊大の後輩たちが、ゴールには今回も最下位だろうと期待していてくれた仲間たちが待っていてくれた。6分半も余裕を残してのゴールだった。
公式記録13時間23分29秒(前半50Kmは6時間11分35秒、後半50Kmは7時間11分54秒)だった。
S村総院長のご厚意で阿蘇温泉病院桃花水の風呂を使わせてもらった。幸せを感じながら十分に痛んだ脚をマッサージした。
今回の完走で、阿蘇スーパーカルデラ100kmは10回目の完走。通算10勝1敗。100kmウルトラは国東半島100kmを加えて11勝1敗となった。今回の完走には、多くの皆さんのご支援を得た。ありがとうございました。

2012年6月1日金曜日

5月最後の日

5月最後の日、今日までで2か月研修の初期研修医3名をさつきに招待した。サンマ先生は所用のため欠席だが、先日さつきに一緒に来たのでよいだろう。だがしっかり携帯番号を教えてくれた。いつでも誘ってくれとの意味のようだ。
西〇先生と眞〇先生はどちらも麻酔科入局のことを頭の片隅に持ってくれているようだ。それだけでも嬉しい。持ち込んだナスとゴーヤが残っていたので、お願いして料理してもらった。写真を撮るのは忘れたが、入局したらいつでも撮れるから良い。
30年近く前に一緒に働いていたAさんから突然電話があった。東高円寺に住んでいて、当時の仲間が来週東京に来るので会えないか?とのことだった。丁度学会で神戸に出発しているので、次の再会を約束した。
泣いても笑っても次の土曜日は阿蘇スーパーカルデラマラソンの日。阿蘇温泉病院のS村総院長にゴールの後のお風呂の借用をおねがいしたら、「そろそろ連絡があると思っていました。どうぞご利用ください。」と返事が来た。土曜は年休を取っている。皆に支えられて完走を目指す。