2016年4月29日金曜日

料理を楽しむ

29日、翌日の学生講義の準備を済ませご褒美に20日に行った天沼の八幡通り商店街にある店に行った。秘蔵の「侍士の門」という芋焼酎一升瓶を持って行った。カウンターも広く作っており、大将の料理を間近に見ながら時には会話をしながら料理を楽しめる。

 
 
稚鮎のふらい揚げ物は尾びれを伸ばして揚げるので、お皿に盛りつける時に泳いでいるように飾ってくれる。そんな工夫も楽しめる。

2016年4月25日月曜日

食事会

25日、昨夜北海道からホッケや毛ガニなどの食材が届いた。以前からこの日に自宅で食事会をしようと計画していた。この日だけはK中央病院から自宅にまっすぐ帰り、急いて掃除と片付けをした。写真は食事会会場小さなテーブルに焼酎ケース2箱足して作った。
19時前に5名到着、遅れて2名が来た。流石に厳選された北海道の食材だけあり美味しい。皆食欲おおせいで何より。熊本では・・・。と思うが、これを力にして支援の輪を広げていきたい。


翌日は朝5時に起き、シャワーを浴びゴミ出しをした。52日の航空券が取れているので、熊本に帰り行けなかった阿蘇YMCAや益城町の施設の状況を確かめたいと思う。

2016年4月24日日曜日

熊本地震

24日、熊本にしワイズメンズクラブの水元さんは小児科医で鶴丸高校の後輩になる。彼は熊本の全国の会員に熊本の情報を発信したり、小児科医として夜間診療当番医の仕事をこなしている。彼の好意で、自分と家人は熊本YMCA本部、全国のYMCAから届いた支援物資の仕分け倉庫、医師会館駐車場に設営された小児救急診療所、ながみねYMCAを訪問することになった。
熊本YMCAには日本YMCA同盟の島田総主事、熊本YMCA岡総主事やスタッフたちが集まり会議が終わりかけた時だった。震災被害を受けた熊本YMCAスタッフも多く、車で寝起きして被害者の支援をしているスタッフもいるという。本部の亀裂が生じた裏口や壁があったが、診断では建物は使用可能という。良かった。写真は対策本部、丁度京都YMCAのメンバーが応援に駆けつけてくれた。
指定管理になっている益城町や御船町の運動施設には多くの被災者を受け入れ、町、県、自衛隊、日赤、医師会、その他の団体とともに支援活動を続けている。被害の少なかったむさしYMCAではプールのシャワーを開放し、2000名以上はシャワーを利用されたと言う。写真は救援物資の保管所
熊本市医師会の臨時小児救急診療所ではチームの皆さんに赤飯お握りの差し入れをすることができた。
30年ぶりに高校の大先輩の息子さん(小児科医)に会うこともできた。

 
日赤病院近くのリハビリ病院に入院していられる元患者さんのお見舞いをし、益城町にある友人の調剤薬局に行った。大丈夫です、薬局の中も片付いていますと電話で聞いてはいたが、心配だった。調剤薬局は無事だったが、提携している近くの病院が被害を受け、赤いカードが貼られていた。その病院の駐車場のアスファルトには亀裂が入り、何カ所も盛り上がっていた。

できる限り訪問し、救援活動や仕事をしている仲間たちに声掛けをすることができた。水元さんの奥様にはお昼ご飯をご馳走になった。感謝。

余震が治まらないと自宅に戻れない人たちも多い。トイレやプライバシーの問題がある避難所も多く、また感染症の発生も報じられている。熊本YMCAは、今後避難所での子どもたちへのレクレーション活動などを継続していくと思うが、経営にも大きなダメージがあるだろう。何とかして支えていきたいと思っている。
帰りの熊本空港は発着便数が減っており、エスカレーターは動いていなかった。空港で島田さんと会った。同じ便で東京に帰るそうだ。写真は雨水をためたバケツやペットボトル。自宅に庭にあった。

2016年4月23日土曜日

陽太5歳の誕生日

4月23日は孫の陽太の5歳の誕生日。福岡の学会から熊本に移動しお誕生日を祝って日曜に東京に帰る予定をしていた。

孫の陽太と丈二、娘夫婦、U太君のご両親、自分たち夫婦の8名の誕生会になった。ステーキ、ピザ、野菜サラダ、特製コロッケと娘が準備してくれた。O塚のお母様から赤飯の差し入れがあった。大きな地震や余震が続いていたので随分ストレスがあったようだが、今日はとてもはしゃいでいる。食事が終わった頃、ピンポンと玄関のチャイム。ひなたは娘と家人と玄関のドアを開いた。誰もいない・・・。郵便屋さんかな?郵便受けを覗くと手紙があった。読んでみた。2階の部屋のクローゼットに何かが置いてあると書いてあるらしい。早速2階に上がった。暫くして、大喜び大興奮の陽太の声が聞こえた。
一番欲しがっていた地球儀が隠されていたようだ。大事そうに地球儀を持って降りてきた。満面の笑み。誕生ケーキを皆で食べて、記念撮影をした。

 
 
 
 
 
落ち着くと、誰が手紙を持ってきたのだろう?誰が手紙を書き、地球儀を隠したのだろう?の推理が始まった。こんなことができるのは、きっと忍者じゃないかで一旦は治まったが、この続きは暫くあるだろう。

 
夜眠ってから震度3以上の余震が2回はあったようだが、一度気付いたが直ぐに眠ったようだ。昨日に比べ余震の回数は半分ぐらいに減ってきたようだ。

熊本に入る

23日、熊本駅から前任の熊本地域医療センタ-に向かった。前日緩和ケア病棟長の安部先生から、被害状況などは聞いていた。駅から白川橋を渡ってまっすぐ進めば病院だが、白川橋がずれて?通行止めになっている。迂回してタクシーで行ったが、壁の壊れた家や全壊した家を見かけた。
病院の前には事務の方がおられ、断水や建物の損傷のために患者さんの受入れができないと説明に当たっていた。自分の顔を見てすぐに分ってくれた。
 
 
 
緩和ケア病棟に行った。仕事中のスタッフたちを労った。師長や事務長にも会うことができた。内科病棟に行き頑張っている看護師さんたちと話すことができた。皆とても喜んでくれた。写真は亀裂が入っている壁

病院から自宅へもタクシーを利用した。運転手さんからの情報は貴重だ。家に着くと丁度U太君が来てくれて、ガス回りを見てくれていた。都市ガスが復旧したらしい。昨日から水道も復旧している。家人からは「あなたは幸運な人だ、ライフラインが全部通じた・・。」と褒められた?

 

 

日本医療マネジメント学会2日目

23日、日本医療マネジメント学会二日目。モーニングセミナーに間に合い、「手術部各システム実施情報連携とその集積データ解析の可能性」について勉強した。

学会誌編集委員会に参加し、午前中に麻生グループ会長麻生泰氏による「明るい病院改革」の特別講演や横倉義武日本医師会会長による招待講演「日本医師会の医療政策」を拝聴した。写真は学会場から大博通り(突き当りがJR博多駅)を見たところ

ランチョンセミナーの名古屋第二赤十字病院石川清院長による「コーチング」の話し。人材育成とリーダー育成、対話による相手を動かす新しい形のコミュニケーションスタイルを身につけるにはコーチングが最適とのこと、病院の再建や安全な医療の提供にも貢献してきたことを話された。元気な先生だった。

さて午後の特別講演の演者が熊本地震の影響でキャンセルされたので、博多駅に向かった。午後から新幹線博多‐熊本間が再開通している。みどりの窓口で指定席を頼むと、全席自由ですと言われた。当然だが、1436グリーン車のドア前に先頭で並んだ。グリーン車に乗り込んでくる人が少ない!車内放送が流れた「グリーン車の10番から15番の席はグリーン券が必要です」と。乗っていた人たちは普通席に移動していった。自分は1番から9番のグリーン席に移った。人が少なく、一人で2席を使用した。各駅停車で新玉名から熊本間は徐行運転で、1時間15分要した。

 

 

2016年4月22日金曜日

日本医療マネジメント学会1日目

22日、日本医療マネジメント学会一日目。ホテルが会場近くなので、開会式から参加した。理事長の宮崎先生のご自宅も被災され、車中泊が続いたそうだ。学会のおかげでぐっすり眠れたと笑っておられたが、さぞ辛い日々を過ごされたことと思う。写真は宮崎理事長。

今回地域包括ケアシステムを学ぶことが目的。その前に九州らしい企画で「新たな鉄道の旅をつくる挑戦」と題した、JR九州クルーズトレイン本部次長の仲義雄氏の招待講演を拝聴した。デザイン&ストリー列車(例えば指宿枕崎線の玉手箱)からななつ星への取り組み。ななつ星プロジェクトと世界一へのこだわり。JR九州の生きざま(経営理念)の成実、成長と進化、地域を元気に、など、実に興味深く、ななつ星を応援ずる地域の人たちを収録した動画では思わず涙が出てきた。

教育講演1で、産業医科大学公衆衛生学の松田晋哉先生から「地域医療構想・地域包括ケアとこれからの病院の役割」を学んだ。地域医療構想と言えば、病床削減が頭に浮かぶ。確かに、機能分化を進める。療養病床に入院している医療区分1の患者の70%を入院以外で看る。療養病床入院受容率の都道府県格差を改善する。これらは地域包括ケアシステム、各地域dの在宅医療や介護サービスの提供体制、のいかんに依存する。在宅や施設で療養する要支援・要介護者の急性期対応をいかにするのか、慢性期患者の急性期疾患の発生(肺炎や骨折など)への対応が大きな課題として立ちはだかる。介護サービスの充実による家族の受入れの支援も重要でありこれからの施策を注目したいと思う。

評議員会で昼食をいただき、午後からシンポジウム「地域包括ケアとクリティカルパス」を聴きに行った。

総会の後、急遽特別企画「平成28年熊本震災」を組まれ、被災した診療所(宮崎理事長)や病院の状況、DMATで医療支援に参加した麻生飯塚病院などの報告があった。総会の時から多くの会員が会場に集まり、特別企画のあとは皆さんの心が一つになり、熊本を支援しようという盛り上がりを感じた。
懇親会に行ったが、熊本からの参加者は少なかったようだ。

友人の田中さんと待ち合わせ、10年来お世話になりこの数年ご無沙汰していた赤坂の「やま庄」に行った。
 
 
 
 
熊本の状況や東京での単身生活などの近況をお話しし、併せて学生時代からお世話になった長男や長女の子どもたちの話などをすることができた。当初熊本に帰る予定をしていたが、交通事情が未だ悪いので福岡に二泊することになった。

2016年4月21日木曜日

福岡へ

22日、危機一髪だった。ことの顛末とは・・・。数月前に早割で羽田・熊本間の飛行機のチケットを買った。ホテルは取らず、熊本の自宅から通うつもりでいた。よく考えると初日の開会式には出たいので時間に無理がある。そこで22日のホテルだけは会場近くに予約した。そこから往路は学会会場の福岡に行くと思い込んでいたようだ。
22日午前中に羽田・熊本便の欠航の知らせと振り替え便の案内が来た。午後2時半頃にメールチェックをして気づいた。まだ病棟回診も残っていた。とても間に合いそうもない!
丁度横にいたS根先生とO原先生に相談すると、「そんな時は即JALに電話して航空便の変更をお願いすると良い」言われた。JAL予約センターの方は、直ぐに手数料やキャンセル料もなく羽田・福岡便に振りかえてくれた。
回診の最後に熊本から今日入院された患者さんを訪ねた。ご自宅は大丈夫だったが、地震の時は慌てて家を飛び出したようだ。回診を終え、余裕をもって羽田空港に着き、」」無事に目的の飛行に搭乗することができた。JALが益々好きになってきている。
福岡に着き、家人に連絡を取った。熊本福岡間の在来線は通っているが熊本県内は徐行などで時間がかなり遅れているという。23日午前の会議に出席するには無理があるようなので、22日も福岡に泊まることにした。家人は「水道が復旧したのでホッとした」とは言っていたが。

2016年4月20日水曜日

明日は九州に、熊本からの情報

20日、熊本では余震が続いている。熊本関係のメーリングリストから医療現場の苦悩が伝わってくる。断水は医療を提供する大きな障害になっている。閉じなくなった手術室の自動ドア、スプリンクラー誤作動に寄り水浸しになった病棟、医療機器の故障、散乱した医療材料や薬品など、厳しい条件の中熊本の医療従事者は必死に診療に当たっている。

明日夕に福岡に飛び、2223日に開催される日本医療マネジメント学会に参加するが、土曜の午後には熊本に帰り状現状を見てこようと思う。家人から、ヘルメットと長靴を入手してほしいとの連絡があったので、新宿ハンズと病院近くの作業用品の店を回って手に入れた。随分歩いてくたびれた顔をしているのを心配したK沼先生から夕食を一緒にしませんかと誘われた。丁度冷蔵庫をほとんど空っぽにしてたので、二つ返事で了解した
荻窪駅から天沼陸橋の方に歩き、天沼商店街の方に入った処にその店があった。22時を過ぎていたが、2組のお客さんがいた。値段は少々高めだが、一つ一つの品は丁寧に調理され、美味しい。飲み物は種類は少ない方だが、言い換えると厳選されている。丁度熊本出身のお客さんが一組おられた。情報交換をすることができた。ダメもとで芋焼酎の一升瓶を持って来てキープできるかと尋ねたら、いいですよと言われた。月に数回は来たい店を開拓した。

2016年4月17日日曜日

東京熊杏会

17日、熊本大学医学部の関東地区同窓会である東京熊杏会が開催された。地震が続いており、世話人の皆さんも開催するかどうかで悩まれたと言う。熊本へのアクセスが回復しておらず、皆で情報を共有し何らかの支援ができないかとの思いで開催に至ったと連絡があった。特別講演が予定されていた厚生労働省の健康局局長は地震対策の会議で急遽キャンセルになったが、その分参加者の話しの時間を多くとってもらえた。
熊大医学部サッカーOB6名参加した。情報の限りでは皆さんのご家族は無事なようだ。メーリングリストを通じて熊本の情報は刻々と入ってくる。今年は九州山口医科学生体育大会が熊大主催で開催される。4月末に開催なのでできないかもしれない。これまでの練習や準備への頑張りを知っているので心配しているが、その時の判断を尊重して次に備えると良いだろう。今年卒業した岩〇先生は、自分のマンションの目と鼻の先に引っ越してきたようだ。

 

 

2016年4月16日土曜日

熊本では?

16日、125分にマグニチュード7.3の本震があったようだ。夜から雨になると予報が出ている。家人に連絡を取った。かなり揺れたようだが、自宅のスチール製の本棚が倒れた程度で被害はないようだ。娘一家は庭の車中で夜を明かし、姉たちは近くの小学校に避難したらしい。親戚の皆さんも無事のようなので安心した。家の裏山が心配なので、夜は娘の家に避難すると言う。

U野先生から、熊本に帰ってあげてくださいと暖かい電話をいただいたが、アクセスが無いので、連絡を取りながら日常を続けることにした。朝は善福寺公園コースのジョッギング。桜の季節から、ハナミズキ、ツツジの」季節に変わっている。

ベニハナトキワマンサクの名前は知らなかったが、花の師匠に写メールで教えてもらった。




お昼ごはんの弁当と野菜サラダを買って長男の家に行った。ももちゃんは。ジイと会ったら必ず高い高いをされると観念しているのでよいが、さくちゃんは抱っこしただけで泣いた。


こんな時は美味しいお菓子を自分の手であげる。最初は顔をそむけていたが、口に入れた途端笑顔になった。その数分後には抱かれても嫌がらなくなった。

大瀬戸先生退任祝賀会

16日、大瀬戸先生退任祝賀会がKOプラザホテルで開催された。





医局員の集合の時に、熊本の状況を話した。参加された先生方から温かいお見舞いの言葉をかけていただいた。大瀬戸先生はあと3年間特任教授として残ってくださり、ご指導いただけると言う。ありがたいと思う。




大瀬戸先生と自分の間に三之町病院の鎌田理事長に座っていただけた。たくさんお話しできて良かった。

二次会は遠慮して家に帰り、TVの地震特集を観ているうちに眠ってしまった。

2016年4月15日金曜日

先輩と地震

15日朝、電話履歴をチェックした。最後の方は話したのかどうか思いだせない?大学時代の先輩の堤さんに電話した。「大丈夫ですか?」、「お前こそ大丈夫や?呂律が回らんかったばい・・。」と言われてしまった。

2016年4月14日木曜日

平成28年熊本地震

14日、医局会終了後数名で飲みに行くことになった。リュックに芋焼酎「金峰」の一升瓶を入れ、すし居酒屋「まえ田」に行った。O原、K沼、S根、N山、N倉先生が加わり計6名は鹿児島のつまみと焼酎金峰を堪能していた。
仕上げの握りずしを注文した頃、群馬にいるO澤先生から電話があった。「熊本が地震で大変なようですが、ご家族はご無事でしょうか?」との内容だった。同時にT原先生からメール。TVに注目したら、熊本地方に大地震が発生したとのニュースが流れていた。家人に電話した。地震時には下から突き上げるような強い揺れがあり、テーブルの下に潜り込んだと言う。余震が続いて心配だと言う。幸い家具も倒れていない。熊本の友人たちが心配になり、スマートフォンの電話帳に登録しているところに次々に電話をした。半分以上は通じなかった。とうとうお鮨は食べることなく、芋のお湯割りを飲みながら電話していた。

2016年4月12日火曜日

桜と孫たち

12日、燕三条駅の桜は散り始めてはいるが未だ見応えがある。三条市内の大方の桜は、先の土日が満開だったが、月曜日に雪が降ったりして大分散ったようだ。



三之町病院の仕事を終え、病院近くの八幡宮の桜を観に行った。未だ数本の桜は誇らしげに咲いている。ちらちらと花びらが散る様は季節の移ろいを感じる。

孫たちの写真を紹介すると、ももちゃんは常盤松小学校に入学し、さくちゃんは立ってちょろちょろ歩き始めた。







ひなたとじょうじの家の庭には大きな鯉のぼりが泳いでいるようだ。

2016年4月10日日曜日

役員会礼拝と和泉教会での特別講演

10日、早天礼拝では小野さんが奨励を担当くださった。賀川豊彦先生の生涯の紹介を話の中に織り交ぜ興味深い症例だった。9時前に役員会会場を後にし、東京に向かった。和泉教会で特別講演を頼まれている。タイトルは「がんの医療を支える緩和ケア」、これまで何度も話してはいるが、その度にブラッシュアップし内容も濃く整理されてきた。確か聴いてくださるのが3回目になる友人もいるので移動中の新幹線でも遂行を重ねた。写真は車窓から見た桜。関ケ原あたりか?

井の頭線の永福町でおりたら、特別講演を企画された吉田さんが迎えに来ておられた。駅中では子供たちに電車・線路の模型を使って、交通システムの勉強をするイベントをしていた。


和泉教会では、山下牧師を始め役員や係りの皆様に迎えていただき、昼食もご馳走になった。講演には50数名の方が集まってくださった。一時間余りの話しを熱心に聴いていただいた。聴衆の皆様の熱意が伝わった自分は立ったまま話をしていた。会場での質疑応答や、場所を移してお茶菓子付きの質疑応答は続いた。山下先生は、自分の所属する熊本草葉町教会の難波先生とは京都梅花教会でつながるので、親しみを感じた。
近くで蝋人形のアトリエをお持ちの松崎さんのご厚意で、数名で見学させていただくことになった。家に誰かがいる!と思ったら、夏目漱石の蝋人形だった。
アトリエには作品が並んでいる。ここで松崎さんと記念写真。

作業場も見せていただいた。日本をいや世界を代表する蝋人形師であり、これからどこかで松崎さんの作品と出会うことだろう。

午後4時過ぎからではあるが、永福町駅近くの中華料理屋で夕食となった。吉田さん、高島さん、村野さんご夫妻、長谷川さん、恒石さん、たちと、賑やかな宴会になった。まだ旅装を解いていない自分は、講演が済んだ解放感を出すことなく?しっかりしたまま帰途についた。帰ってたら洗濯、アイロンがけ、真田丸鑑賞と続いた。

2016年4月9日土曜日

9日、ワイズメンズクラブの役員会が新大阪駅近くのホテルで一泊二日の日程である。昨日のうちに準備していた荷物を点検し、余裕を持って荻窪駅に向かった。四谷から座ることができ、東京駅で凄い混雑の駅弁屋さんで仙台タン豚弁当を買った。温められる容器に入っており、豚肉のタレの味付けが絶妙。タンも塩味が程よく美味しかった。

役員会では各役員の報告の他、多くの議案が提出され討議が行われる。皆さんの意見を聴くと興味深い。自分は今年度のクリスチャニティー委員会の活動報告と、次年度の委員の追加・チャプレン交代などを報告した。



遠藤理事のトレードマークの赤いジャケットは岩本次期理事のオレンジのジャケットにつながっていく。
懇親会では、日曜の礼拝や講演会のことがありアルコールは控えた。しかし二次会に移動したら、その規制は緩んだようだ。

2016年4月8日金曜日

歓迎会

8日、新入医局員や初期研修医の歓迎会(公式には15日にあるが)を病院隣のビルにある中華料理屋で行った。いくつか手術が残っており遅れてくるメンバーも多かったが、それでも大いに食べて飲んで語り合った。
隣に座ったM藤先生は熊本とも縁があり、学生クルズスの印象が残っていた。
初期研修医のS藤先生は、ハンカチ王子と同じ読みなので覚えやすい。女医さんたちが加わると華やかに賑やかになった。M島先生は担当学生で4年生の時によく話をした。
一日一日成長しているので頼もしい。


2016年4月7日木曜日

夕食は中食

6,7日、日曜日に作ったカレーをベースに、中食で夕食とした。一見つまみ中心だが、ちゃんと野菜サラダを付けている。



荻窪駅から自宅まで遅くまで開いているスーパーやコンビニが数件あるので、帰りの電車で夕食は何にしようかとアイデアをひねるのもまた楽しい(強がり)。

2016年4月5日火曜日

桜つれづれ

5日、上越新幹線から東京から埼玉、群馬の桜を楽しませてもらった。





新潟の三条は未だ3分咲きだが、気温が上がると今週末には満開になり散り始めるだろう。
今日の手術は7時間予定、午後10時過ぎにはハイケアユニットに患者さんを無事に移すことができた。最終新幹線に間に合わず、アクアホテルの二半亭に直行しラストオーダーで夕食となった。