2010年1月31日日曜日

熊本バンド記念礼拝

 熊本バンド早天祈祷会に近い日曜日は、熊本草葉町教会では主日礼拝は熊本バンド記念礼拝となる。何と今日の礼拝司会は自分!病院から早めに(いつもはギリギリか遅れるのだが・・)教会に行き、礼拝の打ち合わせと、牧師の山下先生、説教をしてくださる原先生、奏楽担当の岡〇さんと礼拝前のお祈りをした。今日の聖書の箇所や交読文を読み返す。今日は熊本バンドの奉教趣意書を原文のまま読むことになった。さあ大変だ。交読文は読む場所を間違え、途中でマイクの調子が悪くなるなどハプニングもあった。同志社神学部の原誠先生が「倜儻不覊(てきとうふき)なる青年たちの息吹」と題して説教をしてくださった。
倜儻とは、自分の考えをしっかりと持ち、人の意見に左右されないこと、不覊とは物事に束縛されないで行動が自由気ままであることであるという。熊本洋学校廃校に伴い設立されたばかりの同志社に移った生徒たちは後に熊本バンドと称せられた。入学当初、熊本バンドの多くは,まさしく倜儻不覊(てきとうふき)なる青年たちであった。彼らは同志社に失望する。彼らはジェーンズに転校の相談をするが、返事は「不満があるなら自分たちでまず改革せよ」だったという。 熊本バンドの働きにより、同志社の校風は一変し、同志社が雇用した最初の日本人教員も、熊本バンドから輩出された。日本社会に対し、宗教、研究、教育、社会福祉、社会事業、マスコミといった領域で有為な人材を送り出す。熊本バンドの多くのエピソードを紹介してくださった。
 礼拝後原先生を囲んで昼食会が開催された。同志社大学神学部の現況や日本のプロテスタントの歴史についてのお話しは興味深く面白かった。

熊本バンド記念早天祈祷会と熊本麻酔学会・新年会

 熊本バンド134周年記念早天祈祷会が開催される1月30日が1月の最終土曜日に重なったので、土曜日は早朝から夜遅くまでの一日になった。  先ず、5時過ぎ起床し6時過ぎに花岡山山頂へ。約300名(新聞報道)の参加があり、「使命を与えられるー知った者の責任」とのテーマで同志社大学神学部教授原 誠先生の奨励があった。焚き火の煙と火の粉はいつも座っている場所に向かってきた。新聞報道の写真には自分が写っているのだが煙の向こうにいるので、よく判らない。豚汁が準備されているのでマイお椀とマイ箸を用意していった。数年前までは病院に車を置いて走っていっていたが、今はそこまでの元気は無くなった(往復約9km)。しかし1月30日は前日にどれだけ夜更かししても(飲んでも)早起きするというのはこの15年くらい続いている。
 8時前には病院に着き、ICUと麻酔科のモーニングカンファレンスに参加した。病棟での指示出しをしていたら、9時から始る麻酔専門医会役員会の時間が迫ってきた。慌てて会場の市民病院に向かった。昨年までは会長だったので議案や資料作りで大変だった。今年は満〇先生に交代したのでその分時間が取れた。39の演題全てが興味深く、またと埼玉から来てくださった照〇先生のランチョンセミナーは明日からの臨床に活かせるもので勉強になった。昨夜は遅くまで照〇先生たちと飲んでいたが・・・  学会の終了時間が30分遅れたので、場所をメルパルクに移した新年会も30分開始時間が遅れた。学会には今月うちで実習したクリニカルクラークシップの学生3名も来てくれたので当然新年会にも招待した。最近は若手の先生が交代でうちに手伝いに来てくれるので、若者の話しの輪にも加われるようになった・・?


写真は若手優秀研究者賞を受けた二人。






2次会は若手と一緒に上通りの「おはこ」に行った。値段も手ごろで美味しかった。ひとつ良い店を開拓した。

2010年1月26日火曜日

当直明けの充実した一日

1月25-26日は当直だったが、午前2時から7時までは全く起こされること無くぐっすり寝ていた。奇跡としか言いようが無い。
 26日朝7時半には病棟に行って処方出し、8時からICU,麻酔科、PCUのカンファレンスに参加し、RI室で脳槽シンチの検査を行った。9時に入室した患者さんの麻酔を開始、10時からは熊本総合〇学院の学生講義へ、終了後引き返し13時入室の患者さんの麻酔を担当。15時から熊本市消防本部に熊大の谷〇先生と先だっての大学病院との救急連携の報告・挨拶に行った。
 16時に手術室に戻り、17時から今日麻酔科に転科した患者さんの診察。17時45分から今週クリニカルクラークシップで来ている学生のKさんを連れて白川沿い7kmの課外授業となった。Kさんは流石にフットサル部だけあり、キロ6分ペースのジョッギングに平気で着いてきた。日も暮れたので帰宅させ、病棟の患者さんたちと話したりカルテを書いていたら21時になってしまった。5時間睡眠が効いたのだろう、今日は一日元気だったような気がする。走るほうも少しパワーアップしてきたようだ。

2010年1月24日日曜日

妙泉寺公園 紫外線を求めて・・

 日曜日久しぶりに朝寝をした。そして朝風呂。流石に朝酒は控えた。病院では多発脳転移 のあるTさんに痙攣が出だしていたので抗痙攣薬の処方をした。教会礼拝に参加して癒され元気をもらう。教会懇談会に参加し掃除をすませたら3時になった。日が高いうちに紫外線を浴びなくっちゃとジョギングを計画していたので自宅に向かった。途中緩和ケア病棟から電話。痙攣が強くなってきたという。病院に戻り痙攣を止め、ご家族にこれから予想されることを説明した。  自宅に戻り、腹ごしらえ。日が傾きだした4時半に出発し、K高周回コースから北バイパスに出て須屋に向かった。

目的地は妙泉寺公園。外来で診ている患者さんから是非一度走ったらと勧められている公園だ。西須屋団地の奥に位置し少し判りにくかったが無事到着した。走り始めたら直ぐに日の入りとなった。高低差のある素晴らしいコースがある。また桜の木も多く、花見時にはとてもよさそうな公園だった。目標の紫外線には少ししか出会えなかったが・・・

金峰山へ1月23日

 てれっとウルトラマラソンクラブ(TUMC)の新年会は、坪井の鶴重駐車場から金峰山山頂を往復し、大福湯で疲れを癒して鶴重での大宴会となる。が、1月23日(土)外来診療を済ませて入院中の患者さんを診てまわったら既に午後1時半を過ぎたので病院から直接金峰山を目指した。  谷尾崎の登山道から15分走ったところでTUMCのUさんたちに抜かれた。本隊は遠回りをしているらしい。中腹手前で〇水さんと出合った。本隊とは別行動のようだ。2人で西側の車道を走って頂上に向かった。細かいみぞれが降りしきり次第に気温が低くなった。山頂近くの道には凍結防止剤(塩化カルシウム)が蒔かれていた。
「降りしきる ミゾレを顔に 山駆ける」
「山道で エンカルとアラレを 間違いぬ」



 山頂には本隊のトップグループが到着していた。最後に姪の千〇チャンがたどり着いた。
 帰りは途中まで皆と駆け下りた。病院の当直室の風呂にお湯を張り、ゆっくり浸かった。
その後市医師会北2部の新年会に参加し、会員の皆さんと大いに語った。緩和ケア病棟入院中のTさんの具合が悪く病院へ。TUMCの仲間から二次会への誘いがあったが遅くまで病院にいたので失礼した。
 今回の金峰山往復ができなければ、阿蘇100kmへの参加は止めようと思っていたので、自分で決めた課題がクリアできた。

2010年1月21日木曜日

久しぶりの夕方ジョッギング

朝は走っているが、夕方のジョッギングはずっとしていなかった。今週クリクラのIさんは高校時代は中距離をしていたらしい。研修医の蓮〇先生も誘って白川沿い「花屋」まで往復4kmを楽しんだ。最初に記念写真。いきなり参加の蓮〇先生は半袖だったが、元気元気。Iさんは最初は快調だったが、ペース配分を間違え、途中アップアップ。しかし完走するところは流石だった。


明日も走れるかな・・? 来週は月曜が当直なので火曜日から毎日走ろうかな。

2010年1月20日水曜日

緊急手術

夕刻に外来運営委員会があり、済んでから入院患者さんを診てまわったら学生さんを連れて走ろう!と思っていた矢先、外科のM先生から「急患お願いします・・・」との連絡があった。走るのは明日以降にとっとくことにした。学生さんは「今日は雨が降っていましたから・・・」といったが、明日からは寒くなる。
あっつ。患者さんの入室のようだ。仕事仕事・・・
そして2時間半、患者さんは無事帰室した。おなかが痛くなって1週間我慢されていたとのこと、重症の急性虫垂炎穿孔で膿瘍形成していた。
学生のIさんは、今日一日G先生にお願いして在宅訪問診療や合同カンファレンスに参加してもらった。帰ってきていきなり急患だから手術室に行きましょう・・といったが、直に「ハイ!」と言って最後まで頑張ってくれた。教授に報告しよう。現在21時。

2010年1月18日月曜日

朝焼け

「寒緩み 山際赤し 日の出前」
まだ夜明け前のK高周囲を走りながら、自然のきれいな色を見ていた。

今日からの一週間どのような出会いがあり、人生のひとコマができていくのだろう。その多くは日常の生活であり、通常のルーチンワークなのだが。

今日から新しいクリニカルクラークシップの学生市〇さんが来てくれた。医局会が終わってから2人の術前回診と入院患者さんの回診をしたので、21時に「ご苦労様・・」の挨拶をした。初めから頑張ったので感心した。

2010年1月17日日曜日

大切な日

 未だ暗い中走り始めた。ペットボトルに入れた熱いお茶は直ぐに冷たくなった。今日は娘の結納の日。何か良い句をと・・考えながら走ったが浮かばなかった。朝は寒かったが素晴らしい天気になった。

  家内と娘は着物を着るので着付けのために結納会場のホテルに送った。自分は開始までに患者さんの回診をしようと病院に行った。着いたとたん電話、帯を忘れたので届けて欲しいと。家に引き返しホテルに届けた。1時間ロス。
 病院に行き、入院患者さんの回診をする。昨夜来病棟では激動の時間があったようだった。11時心を鬼(仏)にして病院を後にし会場のホテルに向かった。ホテルの駐車場で家人からの携帯が鳴った。「皆待っていると。」




 結納式での口上は係りの方から教えてもらった。が、最小限度を覚えていた。自分が話すとき、新郎のお母さんのト〇子さんは涙が出てきたそうだ。確かにお父さん〇二さんと自分が一番緊張していたかもしれない。会場から熊本城が、間近に見えた。
 無事に結納式が行われ会食となった。既に顔合わせをしているので、会話も弾みよく食べよく飲んだ。娘の笑顔を見て、幸せになって欲しいと思った。〇太君は優しい。
「冬晴れの 天守をバックに 祝い酒」 
「結納の 式終え共に リラックス」 
「結納日 愛娘(あこ)の笑顔を 写しおり」 

2010年1月13日水曜日

雪景色

「いつの間に 朝目覚めれば 雪景色」 目覚めたら寒かった。外を見たら雪景色だった。K高の周りを走りながら写真を写したが明るさが足らず、上手く撮れなかった。家人が雪景色をバックに写真を撮ってくれた。









 朝は早めに家を出た。京町に上がる瀬戸坂は雪がなく問題なかったが、落とし穴があった。何と白川に架かる世継橋が凍結し、辛島交差点から世継橋を渡るのに20分もかかった。

 緩和ケア病棟のベランダのテーブルには雪だるまが作られていた。

今日は、入院患者さん、緩和ケア病棟への転棟患者さんがありその入院時サマリ作成、また昨日亡くなられた患者さんの退院時サマリ作成をしていたら22時になった。

 火曜からうちに来ているクリニカルクラークシップの学生寺〇さんは、よく頑張っている。彼女は世継橋を渡らないで来れたので、遅刻は無かった。麻酔科の病棟・外来を勉強して興味を持って欲しいと思う。 今日は麻酔科当番。呼び出されたらそのまま病院に泊まるつもり。だから早く寝よう・・と時計を見たら0時を過ぎていた。
「いつの間に 時は流れ 明日になり」

2010年1月11日月曜日

次期役員研修会

 1月10-11日大阪市でワイズメンズクラブ西日本区次期役員研修会が開催された。私の役割は1日目の開会の祈り、キリスト教理解A(わかりやすいレクチャー)、2日目の早天礼拝の司会だった。レクチャーの時間が30分だったので、どこまで伝えられたかはわからない。しかし参加してくださった皆さんは熱心に聴いてくださった。1日目の終了後に懇親会、フレンドシップアワーがあった。会場のホテルのご好意で昨年のボージョレが振舞われた。会を主管するリーダーシップ開発委員会のメンバーとして今回デビューした、米○さんも頑張っていた。あれっ、いつの間に寝てしまったのだろう・・・














 2日目、目覚めたら6時半だった。急いで淀川河川敷に走った。いつもより川縁を走っていたら、犬と遭遇した。どうも友好的な犬ではなく、吠えて追いかけてきた。「お座り!」と命じたが、理解できないらしく、また吠えた。「しっつ!!」と怒ったら、ちょっと離れた。離れた間合いを見て、全力走で走った。何時しか犬を振り切っていた。「鍛え方が違う!」と内心思った。


礼拝では大〇さんが、「イエス・キリストの招きに応える」と題して、マルコ福音書2章13-17節を解説され、賀川豊彦氏の献身100周年に言及してくださった。私は聖日早天礼拝とプログラムに記載していたが、月曜日なので、祝日早天礼拝に訂正させていただいた。研修会は定刻どおりに15時には終了した。家人がメネット事業委員会に出席するために15時に到着した。一緒に帰るというので、19時10分の飛行機になる。緩和ケア病棟におられる患者さんの状態が悪くなっているので、昨日来何回も病棟に電話をかけているが、今日は落ち着いておられるようだ。祈りがつうじたようだ。
熊本に着き、早速病院に行った。入院患者さんの回診をして家に帰ったら23時になっていた。明日からクリニカルクラークシップの学生が来る!

2010年1月9日土曜日

レポート評価

久しぶりに早朝ランをした。先日オークションでゲットした上村選手のウインドブレーカーとネックウォーマーを身に付けた。走りながら、日本代表になった気分がした。写真は帰宅後うつしたもの。



 熊〇医療福祉学院の救急救命科と臨床工学科の学生さんの実習レポートを土耀の午後6時間使って読み返し評価した。実習の目標設定や、その日学んだこと、自己評価が記載されているのだが、今年度の学生さんは例年に比べ良かったような気がする。
 特に学生さんたちとは、地雷廃絶被害者支援のためのチャリティーマリンバコンサート(救命救急科)、むさしクラブじゃがいも・カボチャ配送作業(臨床工学科)、地雷廃絶被害者支援のためのチャリティーラン&ウオーク(救急救命科)、スペシャルオリンピックス日本熊本の熊本大会開会式と交流会(救急救命科と臨床工学科)で一緒にボランティア活動も行った。その度に、一緒に参加した社会人の友人たちから、素晴らしい学生さんと絶賛された。とても嬉しかった。全ての学生さんの思い出がよみがえり、評価は甘口となっていた。学院の先生から手紙が添えられていることに気付いた。「前略・・田〇先生、今年も素晴らしい実習をありがとうございました。・・・」


 来年度はもっとパワーアップして、課外授業(ジョギング)を充実させなくては・・

2010年1月8日金曜日

救急医療に関する調印式

 1年半前から熊〇大学病院と熊本地域医療センター医師会病院との救急医療連携の話し合いを進めた。診療各科の意見や要望を聞き、うちの病院の全権大使となって話し合いを進めてきた。昨年秋には骨子はまとまり具体的な診療連携マニュアル作成に入った。そして今日、院長、救急担当責任者、事務長、課長、担当医師会副会長とともに大学病院の病院長室に行き、調印式となった。
 目前で署名捺印をする2人の病院長を見ながら、これまでの苦労を思い出していた。大学の救急部リーダーの谷〇先生はサッカー部の後輩なので、率直に話し合いまた一緒に痛飲した。近接した地理的環境にある大学病院は高度医療三次救急医療を担い、当院は一次二次救急医療を担う。そして地域救急医療に貢献できる医師の教育育成に協力する。この夢を実現させるために頑張っていく。
 病院に戻り、今日応援に来てくれた後期研修医の石〇先生と麻酔科入院患者さんの回診をした。

七草粥と新年例会

 1月7日は七草粥を朝食でいただく。家人は生〇で七草粥セットを購入したようだが、七草はあるのだが春菊とほうれん草で量をふやしていると嘆いていた。しかしこの時期のお粥はありがたい(そう言えば昨日の夕食はおじやだったような記憶)。鍋に入った七草粥を写真で写そうとしたら、長男夫婦に貰ったお盆を準備して箸をそろえて写すように指示があった。了解。

 夜はむさしワイズメンズクラブの新年例会が日航ホテルで開催。1月はアルコールが話題。和水町の花の香酒造の神田氏をゲストにお招きし、焼酎と酒の話題となった。fu-caと命名された純米酒の何と美味しいことか。オークションで早速ゲットした。もう一人のゲストはロアッソ熊本のコーチ上村健一氏元日本代表のディフェンダーだ。氏のサッカー人生と人生哲学をおききした。流石に世界と闘ってきた選手の話しには含蓄があった。中田英寿選手との友情(そういえばよく似ている)やアトランタオリンピックでのエピソードなど興味深かった。上村選手の練習着とネックウォーマーはオークションで再びゲットした。今回のオークションでは4万円の浄財が集まった。 写真は神田氏と上村氏そして村上会長
 二次会で盛り上がり、高本副会長と上村氏と3人で三次会に行った。12時ごろ病院に戻った。緩和ケア病棟で週間記録を打ち込んでいたら、眠気が襲ってきた。ウトウトしながら、記録していたら看護師さんから、受け持ち患者さんの呼吸が止まりそうとの報告を受けた。ご家族に連絡し、結局6時過ぎにご自宅に帰られた。
 私は7時前に自宅に帰り、風呂に入りスーツに着替えて病院へ戻った。

2010年1月6日水曜日

麻酔科新年会

以前は自宅で新年会をしていたが、この数年は和風居酒屋「鶴重」で開催している。麻酔科スタッフ・臨床工学技士と家族、研修医が集う。今年は1月5日、緩和ケア病棟にいつも来てもらっている在宅医の後〇先生や自分の手術の時に助手をしてもらっている外科の本〇先生も参加してくれた。

計17名が集まり盛り上がった。ビールはジョッキ1杯で抑え、あとは焼酎のお湯割りに切り替えた。たっぷり食べながら良くしゃべった・・・ようだ。娘も後から参加した。
代行で帰宅し、バタンキュー状態だった。写真は全員集合の写真と、その30分前の写真。はじめの写真に写っていない3名が緊急手術で遅くなった。
6日早朝5時過ぎ携帯電話が鳴った。緩和ケア病棟の患者さんが急変。当番のY先生に看取りをお願いし、朝風呂に入って二日酔い?を払拭し、病院へ。患者さんは和服に着替えられ、凛々しい姿になっておられた。
写真は自宅玄関の正月用の生け花はお花屋さんから届けてもらった。

2010年1月3日日曜日

正月3

 2日に3分の2ほど年賀状を印刷し、今日投函した。今日は15時過ぎに帰り、残り3分の1の印刷を始めた。600枚年賀状を買ったが、家族が70枚くらい使った。やっぱり70枚ほど足らないので、「竜馬伝」が始ったが、コンビニに無地の年賀状を求めて買いに行った。結果、6件回って無地の賀状は4件で売り切れていた。置いてあったのは2件、それも「ポプラ」にのみだった。
 今日で正月体制が終わり。年末年始の間に病院の部屋の片付けと学生さんのレポート添削評価をしようと計画だけはしていたが、家の掃除と年賀状で終わってしまった。しかし、毎日出勤して仕事をしたし、31日8km、1日16km、2日18kmでフルマラソン分走ったから満足。家族も揃って食事もできた。まだまだアルコールも強いことがわかった。
 今晩は呼び出しがありませんように・・・

2010年1月2日土曜日

正月2

 今日の通勤tランは二社詣でを兼ねることにした。行きは子飼商店街を抜け藤崎宮へ。家族が健康でありますように、患者さんやご家族が平安な日々を過ごせますようにと祈った。


 昨年6月に熊本城一口城主になった。認定カードが送ってきたので熊本市が管理する施設には無料で入れる。熊本城もその一つ。本丸の2階で城主になった自分の名前を見つけた。天守閣から自分の家の方向の写真を写した。窓が開いていて本丸前の広場の人たちを眺めた。足がゾクッとした。高所恐怖症であることを忘れていた。隣の加藤神社にも参拝し、坪井の遊水地公園を回って帰った。途中雨が降り始めたが残りあと500mくらいだったのでそう濡れずに済んだ。
 箱根駅伝では柏原選手が大活躍し東洋大は往路優勝。高校サッカーでは熊本のルーテル学院高校が一回戦の帝京に続き、二回戦の富山第一高校にも勝ち三回戦に進んだ。明日は麻酔科当番なので車で出勤する予定。この3日間走っているので体重は66kg以下に保てている。

元旦

 正月の1日と2日は通勤ランを計画した。朝6時半電話あり。友人の奥さんからでこの数日ご家族の具合が悪いという。当直医に連絡して、検査を依頼した。朝は曇っており初日の出は見れなかった。餅を一個食べ、ジョッギングリュックに着替えを入れ病院に走った。病院に着いたら、検査結果が出てきたところだった。即入院となった。  何人かの入院患者さんは外泊中だったが、受け持ち患者さんを回り新年の挨拶をした。帰りは天気は回復し暖かかった。足が棒のようになったところで一句。  「通勤ラン 初日に貰う エネルギー」  
熊本大学構内にある五高記念館に寄って記念写真。NHKテレビ「坂の上の雲」で陸軍本部?のロケを行ったとこだったと思う。
 家に着いたら年賀状が届いていた。医師会関係、サッカー関係、YMCA関係、親戚関係、麻酔科関係に仕分けした。2日に賀状を書き3日に送る。来年こそは元旦に自分の賀状が届くようにしたい。

 16時から家族の新年会をした。長男夫婦、長女とY太君、我々夫婦がそろい記念撮影。次男は恥ずかしがって出てこなかった。20時頃には長男夫婦は帰ったが、Y太君とさらにビールから焼酎に移り最後は日本酒を飲んでいた。来年もこんな正月が迎えられるといいなと思う。毎年参加人数が増えないかな。翌朝見たら、720mlの焼酎(魔王)と日本酒5合強を飲んでいた。