2009年10月18日日曜日

熊本市医師会国際交流と「じゃがいも・カボチャ配送」

熊本市医師会は米国テキサス州サン・アントニオ市を中心として活動するベア郡医師会と姉妹医師会を締結し17年になる。姉妹締結を行った当時の医師会会長柏木先生は高校の先輩、ベア郡医師会長のGrey会長は麻酔科医であり、当然のごとく?国際交流委員会の一員に加えていただいた。以来、一年毎の交流相互訪問は、お互いの医療事情を学び、自分にとっては数年(いや10年)進んだ米国のシステムや高度先端医療を先取りしてインプットさせてもらっている。もちろんわが国のほうが良いシステムも少なくないが・・
 今年は10月15日に熊本着、16日の午前中に熊本市医師会表敬訪問と医師会病院の視察に来られた。毎回病院案内を務めている。今回は外科病棟のT看護師が英会話を一生懸命に勉強し上達しているのを知っていたので、夜勤が終わった後ではあったが居残りして病棟案内をお願いした。一行18名の中にはもう5回目?のツワモノもおられる。「If you have any question, do not hesitate to ask them (ツワモノのお二人の先生)anything!? Because they visited here five times.]と言ったら大うけした。外来患者さんの予約日を別の日に移していたので、1時間ほどの案内その他で外来不在になったが、それほど迷惑をかけずに済んだ。途中、白衣を1回脱ぎ着したのだが、ボタンが一個掛け違えていた。F医師会長に指摘されたが、いつもこのような掛け違えが多い。 
写真は医師会館での記念撮影
 同夜はホテルでの歓迎夕食会があった。家人も参加予定だったが、「じゃがいも・カボチャ配送」の準備が間に合わないので、急遽娘に代理で出席してもらった。訪問団一行の中に、Phycotherapistの方がおられたので(ジョン先生、アルコールや薬剤依存症の患者さんに催眠療法などもしているという)娘も良くおしゃべりしていた。
訪問団の小児科先生のタ〇ヨ先生は子どもさんをお2人連れてこられたが、時差疲れで2人ともパーティーの間テーブルにうち伏し熟睡していた。二次会はGTCから急遽FPに変更。ビールから焼酎となり、良く飲んだが、病院に戻り病棟によってから帰った。

写真は歌を披露下さったベア郡医師会訪問団と、二次会でのスナップ
 17日はジョン御夫妻・奥さんは看護師さん、タ〇ヨ先生親子を、竹〇先生ご一家、江〇先生ご一家、そして私とT看護師とで、お鮨屋さんの一室を借り切っての夕食会でもてなした。ジョン先生は 料理の一つ一つを興味深く鑑賞・味わいながら質問されるので、電子辞書が大いに役立った。ホテルにお送りし、一人で行きつけのショットバーに行った。久しぶりにマルガリータを飲んでいた。病院に戻り、緩和ケア病棟に入院中の患者さんの息子さん御夫婦と遅くまで話した(久々に談話室で飲んでいた・・何を?)
写真はお鮨屋さんで食後に記念撮影。
 10月18日は熊本むさしワイズメンズクラブの年間最大行事である「じゃがいも・カボチャ荷卸・配送」の日。15日に来熊されたサン・アントニオからのお客様のご接待を他のメンバー(医師会)にお願いし、いざむさしYMCAへ。お手伝いをお願いしていた熊本総合医療福祉学院臨床工学科の学生さんと共に900箱のじゃがいも・カボチャの荷卸が始りました。
これまで最大1500箱頼んでいたことを思い出せば、900箱は「おちゃのこさいさい」、
その後数グループに分かれて配送に当たります。私は熊本北・山鹿方面への配送で、一人の学生さんとペアを組んで行きました。残りのメンバーは宅配の準備です。2箱単位で荷造りし送付状を貼ります。
配送から帰ってきたらメネットさんからの温かい昼食が待っていました。学生さんには、いえ私にも大ご馳走でした。
 配送時点で、カボチャがかなり不足していましたので、緊急避難的に田渕さんのカボチャを使用させていただきました。あとから、各メンバーから余ったかぼちゃが戻ってきましたので、安心しました。
 仕切りを引き受け下さった米村さん、温かい昼食を準備下さった、メネット会の皆様、ご参加下さった皆様に感謝。ファンド委員長として「集金と支払い」はきっちりさせていただきます(メネットさんお願いします)。
18日は17時まで市内の配送を家人とした。家に帰りシャワー着替え、F会長宅に向かった。フェアウェルパーティーで会話と食事・アルコールを楽しんだ。
「友来たり 秋の夜長の 大吟醸」

2009年10月15日木曜日

鹿児島YMCA設立!

 鹿児島YMCA設立記念礼拝、式典、祝賀会が14日鹿児島市で開催された。水曜日の開催には理由があり、鹿児島県知事、鹿児島市長の出席が同時にできる日に合わせたという。知事も市長もアメリカ生活?の経験があり、青少年教育団体YMCAに対して共感を持っておられていることをうかがった。さて、15時には外来を済ませて新幹線で鹿児島ム向かう予定だったのだが、外来終了が16時過ぎで病棟の患者さんを診ていたら17時前の新幹線に乗り込むのがやっとだった。祝賀会には間に合ったので良かったが。
 鹿児島YMCAの初代会長は自分の親戚で、多分3代は4代前の先祖が兄弟同士だったつながりと思う。「種子島で離島医療に40年間尽くしてきたが、70ウン歳になるので病院は次世代に任せて、後はYMCAに捧げたい」と決意を表明された。西之表教会の池〇牧師先生も参加されていたので、3人で記念写真を撮らせてもらった。
自分の一族が、鹿児島と熊本でYMCA運動にかかわれることに感謝。20年にわたり、鹿児島YMCA設立のために尽力した来られた鹿児島ワイズメンズクラブの皆さんの顔が輝いていた。食前感謝をインターナショナルスクールの日本人の小学生が英語で、スクール教師の外国人の先生が日本語でされた。
今世紀になって日本では始めてのYMCA設立になる。島田日本YMCA同盟総主事は「全ての都市にYMCAを!」と祝辞で言われていたが、現状の経済状況では困難だろうが、我々は夢と幻を持たねばならない。
 最短時間で熊本に帰るために21時17分の新幹線に乗った。病院に戻り、カルテ記録・退院時サマリーなどを書いていたら24時になった。飲んだ焼酎のせいだろうか?声が枯れてしまった。

2009年10月14日水曜日

休みの次の日

3日も病院を空けたら・・・と思っていたら、昼過ぎから緊急手術の申し込みが3件あった。13日は麻酔科当番日なので、延長になった手術をH先生とY先生にお願いし、研修医のK先生と19時過ぎからはじめた。今2件無事に済んだところで、3例目の入室まで時間があるのでブログに向かっている。あと10分したら90歳代の絞扼性イレウスの患者さんが入室する。ご家族には、不幸な結果になるかもしれないことも話した。
午前中に、咽頭炎、結膜炎の内服薬やうがい薬などを手に入れたので、今日は数回の病棟外来行きを除いて手術室にこもっている。
緩和ケア病棟からケースカンファレンスを・・との依頼があったが、全てキャンセル。もう14日になったが、無事に仕事ができますように・・・

その後、無事に手術は終了し、患者さんも完全覚醒で無痛のまま4時50分部屋に帰った。さて家に帰って仮眠、そして元気に頑張るぞ!それにしても研修医のK先生は最後まで頑張った。たいしたもんだ。

2009年10月11日日曜日

学会旅行

10月10日早朝4時53分発のJRで熊本駅から長崎の浦上駅へ、九州麻酔学会参加ペインクリニックセッションの座長を務める。終了後17時28分浦上駅発の特急かもめで博多へ。しかし踏切事故のために予約新幹線に乗り遅れ、大阪のホテルには23時30分着だった。今朝起きたとき、寒気がした。あわててチョッキヲ着込み、セーターをバッグにしまった。S大学の麻酔科N教授が亡くなられたという訃報が入った。N教授は自分より2歳若い。過労死・・が頭をよぎった。
写真は会場前で、熊大麻酔科の若手の先生たちと。

10月11日朝のジョッギングは学会場の大阪商工会館往復。意外と近くだった。学会は極めてタフだった。9時から19時30分までトイレ休憩が一回だけ。最前列でメモを取りながら聴いていた。懇親会では三重、栃木、北海道、福岡から参加された先生たちとお話しができた。学会時間が長くなった分懇親会の時間が短くなった。
写真は会場近くにあった、新党日本の事務所まえの日本の借金についての掲示板

10月12日早朝トレーニングは大阪城周辺に足を延ばした。天地人でよく出てくる大阪城、なるほど大きい。大阪のど真ん中でびっくりしたのは、コンビニが多いこと。学会はこの日もタイトなスケジュールだった。昨日緩和ケア病棟の受け持ち患者さんが亡くなられたという知らせが入ったので、14時30分には会場を後にし、新大阪駅に向かった。旅行業の友人から連休最終日は混むからとわざわざ大阪から熊本まで指定席それもグリーン席を取ってもらったが、お通夜の時間に少しでも間に合うように2汽車早いのに乗ったので、半分は立っていた。お通夜には間に合わなかったが、ご家族の皆さんとゆっくり話すことができた。病院に戻り、受け持ち患者さんの記録を読んで帰ったら22時を過ぎていた。
写真は早朝の大阪城
3日も病院を空けたので、明日が恐怖だ・・・

写真は後で

2009年10月9日金曜日

最終日のジョッギング

臨床工学技士科の学生S君の最終実習日、直接指導をしてくれている清〇臨床工学技士と白川沿い7kmコースを走った。おしゃべりをしながら走るペースはキロ8分??今週忙しくて走っていなかったので、良い汗かきになった。明日から長崎、大阪と学会出張。

S君のことをもっと誉めなくては。

2009年10月6日火曜日

SON15周年記念行事実行委員会

 SON15周年記念行事実行委員会が今日で8回目を迎えた。第2回から参加だが、第1回目に既に委員長になっていたようで、ここまで苦労の連続だった。しかし実行委員の皆さんが非常に熱心なのでいろいろ助けていただき、何とか形が出来上がりそうだ。
11月8日(日)が熊本地区大会・九州ブロックサッカー競技大会の開会式&SON15周年記念交流会がグランメッセで開催。
11月9日(月)がSON15周年記念シンポジウムをウェルパルで開催。いづれ有森裕子SON理事長が参加してくださる。
さて、ボランティアとして参加するには・・・以下が呼びかけアピール!

 11月8日のSON熊本の地区大会・九州ブロックサッカー大会開会式&SON15周年記念交流会もボランティアは2グループに分けたいと思います。もちろん2つとも参加されても大歓迎です。SONはスペシャルオリンピックス日本の略。今回は15周年を記念して、有森裕子SON理事長が、交流会とシンポジウムに参加くださいます。
 8日にブランメッセから下関までジャンボタクシーを出してありもり理事長一行(2名)を迎えに行きます。お迎えボランティアも募集中ですので、有森さんと車中お話ししたいかはお申し出ください。

11月8日の場所はグランメッセで現地集合(Cゾーン)です。

①グループ
 13:00~17:00 主に会場設営の担当です。幕を張ったり、椅子や机の移動、アスリートの案内を担当します

②グループ
 15:30~20:00 15:30からのリハーサルに参加後、開会式、アスリートの移動の手伝い、受付、交流会会場設営、交流会後の後片付けを担当します。

 ②グループや①②連続グループに参加されるかたは是非交流会(参加費1000円、学生は500円)にもご参加ください。

参加される方の名簿(名前、年、連絡先)・・保険手続き上必要だそうです。

11月9日(月)のシンポジウム(開催場所ウェルパルで現地集合)9時から12時(最大延長時間)にお手伝いできる方も大歓迎です。また有森さんと一緒に朝食を食べたい方(昼食代は自己負担)あられましたらお申し出ください。
私のメールアドレスにご連絡いただいてもいいですよ。tanoue@bronze.ocn.ne.jp まで

2009年10月4日日曜日

中秋の名月

 10月3日の土曜日は当直あけだったが、花岡山まで走った。最近からだが重い気がするが、寝ていないからだろうか?夜は市医師会東1部会に医師会病院からY院長先生とI先生と3名で出席した。医師会の部会では珍しく、熊本市企画部門の方をお招きしての熊本市の将来についての講演もあった。懇親の席では、参加された皆さんと久しく歓談する事が出来た。そして閉会。代行を待つ間外に出たら満月だった。「中秋の名月ですね」とYO先生御夫妻に声をかけられた。
 家に戻り、玄関先で月の写真を撮っていたら、家人と娘が出てきた。酔っ払って門に抱きついているのではないかと心配したという。証拠の名月の写真を見せたら、感心していた。
「名月や 写真を撮りて 比べおり」
 さて現在10月5日午前2時。たった今緊急手術の患者さんが手術室を出て病棟に行った。家を出る時、家人から「帰らなくて良いよ」と言われて送り出された。弁当を作らなくていいからか?緩和ケア病棟の患者さんの一人が状況がかなり厳しくなってきたのでお言葉どおり帰らずに病院に泊まろう。