2014年7月26日土曜日

第48回日本ペインクリニック学会と第14回ペインクリニック診断研究会

T医科大学の大〇戸先生が会長を務める第48回日本ペインクリニック学会が7月24日から始まった。この日は自分が会長を務める第14回ペインクリニック研究会も開催され、熊本大学のT代先生が「心因性疼痛は存在しない」、T医科大学のE藤先生から「脊椎変性疾患の手術療法の適応と限界」と題して講演をしていただいた。お二人ともかなり準備をしてくださり、発表時間も守っていただいたので充実した会になった。会が終わった後も、フロアや廊下で質問者に囲まれている二人を見て、この二人を演者に選んだ自分をほめていた。お二人とも、お互いの発表に感銘を受けていたようだった。
評議員会の後、大〇戸会長の会長招宴があった。ここでは医局関係のU田先生の弟さん(シンガーソングライター)の歌を楽しみながらの懇親会でだった。






T医科大の先生たちとも大いに語り合った。




九州から来られた皆さんと楽しくお話しする機会を持った。
これだけでは飲みたらない?九州勢を連れて、すし居酒屋前田に行った。皆さん流石に良く飲む。熊大の他に、九大、長崎大、久留米大、佐賀大、宮崎大の先生方と懇意になれたのは良かった。皆で写した写真の白抜きの部分に関しては数年は真実を語らないようにしよう。




25日は、23日に羽田国際空港に迎えに行った、オランダのVisser先生の会長招聘講演があった。講演の全文抄録を翻訳してHPにアップしたが、おかげで良く勉強する機会をいただいた。英語で質問し、講演会の質疑応答を盛り上げるのも自分の役目だった。
その後、自分とがん研有明病院のH部先生が座長兼発表者、弘前大のS藤先生と佐賀好生館病院のK杉先生の4名がシンポジストでVisser先生がコメンテーターを務めた「がん長期生存者と遷延する痛み」のインポジウムを行った。ここで大活躍したのがS藤先生、かなりエネルギーを費やした発表には、Visser先生が感銘を受けておられたようだ。H部先生のさすが帰国子女というべき流暢な英語と通訳は、途中Visser先生にかかりきりになって肝心の通訳を自分に放り投げた一部分を除いて、聴衆に感動を与えていた。
懇親会ではT医科大の先生たちや、熊本のY本先生やY先生と話すことができたし、T医科大の先生たちとも大いに話した。
懇親会の目玉は、八神純子さん。その歌声は、40年の昔をほうふつさせた。彼女はアメリカ在住で英語も堪能なので、外国からのお客様のお相手も積極的にしておられた。皆で一緒の記念写真をせがんだが、これも許されることだろう。
会終了後、初期研修医の塩〇先生を連れて前田に行った。入局を口説きながら、記念写真を写そうとしたが、カメラの充電切れで写せなかった。




26日は、できるだけ発表を聴きに行った。昼までに市民公開講座の準備を済ませた。
自分が担当する市民公開講座「あなたは「がんの痛み」とどう付き合いますか?」には50名ほどの方々が聴きに来てくれた。ゆっくりわかりやすく丁寧に話すことを心掛けた。暗くならないように笑いも取れるように、しかし家族の支えの素晴らしさが伝わるように話した。二人の方から質問もいただいた。
このようにして3日間の学会が終了した。終了後の記念撮影では、皆の笑顔がはじけていた。

2014年7月22日火曜日

日本ペインクリニック学会に向けて

今週は、日本ペインクリニック学会、ペインクリニック診断研究会。神経ブロック手技研究会が開催される。火曜日の朝カンファレンスを利用して、オランダのバンベック先生の講演を聴くことができた。20年代え、世界麻酔学会がオランダのハーグで開催され出席したことを思い出した。質問にも丁寧に答えて下さった。

2014年7月21日月曜日

車検とフェイスブック

21日、車検に車を出す。エンジンオイルの漏れなど加齢による?劣化が多く見つかり、予算オーバーになりそうだ。車を一週間預かってもらうことになったので、ディーラーからJP中野駅に歩いて帰った。中野サンプラザは駅の正面にあるが、まだ中に入ったことはない。










昼、フェイスブックに自分の顔写真を載せたら、たくさんの友人から「いいね」のレスポンスがあった。SNSの威力はすごいものだ。









市民公開講座のパワーポイントをほぼ作り終えたので、ご褒美に握りずしを買いゴーヤ料理を作った。西友⇒タウンセブン⇒ルミネの順で値段が高くなるが高い方が美味しそうに見える。今回は西友で購入した。

2014年7月20日日曜日

阿蘇カルデラスーパーマラソン記録集

阿蘇カルデラスーパーマラソンの記録集が送ってきた。男子総合100kmの部で1031人中最下位、で男女総合でも最下位だった。中間地点は761位で通過し、ゴールでは657位だからたいしたものだと思った。ちなみに男子の完走率は69%だった。





夕食の買い物を済ませ、病院に行った。途中空が暗くなってきた。雨が降り出したが西新宿駅から病院までは地下道を使えば雨に濡れない。しかし帰りは荻窪駅から自宅までは雨の中を歩く。雷が鳴り始めた。覚悟を決めて帰らなきゃ。

ワイズメンズクラブ西日本区役員会

19日、浜松地方に豪雨があったようで、新幹線は通過の際に速度を落としていたので新大阪着が10分遅れた。しかし、役員会懇親会までに約1時間時間があり、シャワーを浴びてゆっくりできた。
昼ごはんを食べなかったので、食前感謝は短く(好評だった)した。乾杯で飲んだビールがお腹に染み渡った。岩国の日本酒「獺祭(だっさい)」と「飛翔」が振舞われた。このお酒はうまい!おまけに焼酎もお湯割りで飲んだ。むろん食事もしっかりとった。

 
 
 
写真は同じテーブルの皆さんと。
二次会はそれぞれが持ち込んだアルコールと渇き物で良くしゃべり良く聴く。しかしいつの間にか部屋に帰って寝ていたようだ。

 
 
 
 

 
朝は6時から淀川べりで6㎞ほどジョッギングをした。若者のグループが朝早くからゲーム?をしていたようだが、早起きしているので見るからに健康的だ。
早天礼拝には約8割の皆さんが参加して下さった。多〇さんのお話しはYMCAやワイズメンズクラブとの出会いをイントロダクションに、市役所でコミュニティー活動担当や家庭裁判所で調停委員を経験し人の話しは聴けたが神の話しをちゃんと聴けているのだろうかと思ったこと。塔和子さんの詩の話しと彼女の作詞を歌う沢知恵さんの「胸の泉(かかわらなければ)」に話が及んだ。塔さんは神の話しを聴いておられたからこのような詩を書けたのだろう・・・と締めくくられた。

役員会では多くの意見が活発に飛び交い?面白かった。時に議論の方向がずれるが、上手く誰かが修正してくれる。今回は審議事項が少なかったようだが、自由討論のような時間が持てて、かえって良かったのかもしれない。
 
 
 
 
 
このブログも帰りの新幹線の中で書いた。昼ごはんは駅でサンドウィッチと紅茶を買い、ゆっくり食べた。

2014年7月19日土曜日

今週も乗り切る

16日水曜日、今日の学生はF木君がいるグループ。彼とは2年前に相談教員として親しくなった。自分と会ってから随分勉強したようで、それからというもの試験も無事に乗り越えてきている。川崎から通っているので大変だが、もう少し頑張れ!クルズスの時は、真剣勝負なのでウトウトもできない。
午後8時過ぎ丸の内北口にある丸善に、Textbook of Painを探しに行った。ペインクリニック学会の用語集の改定作業をしているが、どのようなkey wordが必要かを探す目的がある。この本は5万円以上するので、緩和医療部の予算で購入することになる。確かに良い本だ!
この後、ももちゃんちに長男から頼まれていた焼酎の一升瓶を届けた。一升瓶をリュックに入れて、今日は家から病院に運び、東京駅を経由して恵比寿に来た。

重みが背中に食い込んだが、恵比寿駅から渋谷区郷土博物館に近い彼のマンションまでの往復は歩いた。すでにももちゃんは寝てしまっていたが、あやちゃんといちごちゃんが出迎えてくれた。
帰りにコンビニにより、いつもより豪華な食卓を準備した。



17日木曜日、U野、O原、K沼先生たちと病院近くの三〇一というお店で夕食を食べることになった。さつきが閉店してから、いろんな店を渡り歩いている。皆でうどんすきと単品を注文し、生ビールを2杯だけ飲んだ。K沼先生と帰る途中、眼科のG藤先生と電車で一緒になった。新高円寺で、部屋のカギを病院に置いてきたことに気づき、自分だけ(当たり前だが)引き返した。強く反省するために、この後荻窪まで走って帰った。1時間15分もかかった・・・。
18日金曜日、疲れはピークに達した。が、気合を振り絞り漢方薬の勉強会に参加した。今回は前から2列目で一睡もしなかった。感心だったと思い、ご褒美に一週間前と同じ「鮨居酒屋前〇」に行った。一緒に参加していたO原先生が付き合ってくれた。帰って服を着替えた途端、ベッドに倒れ込み爆睡していた。
19日土曜日、ワイズメンズクラブの役員会で大阪に行くので、キャスター付きスーツケースを持って病院に出勤した。朝のカンファレンスでは来週の日本ペインクリニック学会の打ち合わせが入念に行われた。午前中の緩和ケアチームの病棟回診を済ませ、用語集の改訂版を事務局に送った。
午後1時半過ぎから、麻酔科入局説明会がありU野先生の後に緩和ケア・医療の話しをした。
午後2時半医局を飛び出し、新宿・品川経由で新大阪に向かった。皆は浅草に行って美味しいものを食べている頃だなと思いながら、新幹線の中でブログを書いている。自分はまだ昼ご飯を食べていなかったことに気付いた。

2014年7月15日火曜日

ももちゃんにカットフルーツとマンゴーのアイスキャンデーを届ける

14日月曜日、朝目が覚めてテレビをつけたら、丁度ワールドカップの決勝戦で延長が始まったところだった。ドイツ、アルゼンチンの必死の攻防は見ごたえがあり、決勝戦に相応しい熱戦だったが、勝利の女神はドイツを応援したようだ。
K中央病院の仕事が終わり、中耳炎で熱が出たももちゃんに会いたくなった。もうすぐ「いちごちゃん」を含めた一家で熊本に行くので、しばらく会えなくなる。

アトレでカットフルーツを、近くのコンビニでマンゴーアイスキャンデーを買った。ももちゃんは、何のお土産だろうか?と興味を示したが、いきなり開けるような行儀の悪いことはしない。あやちゃんの言いつけを守って、ジイジに冷たい麦茶を持ってきてくれた。

次は「うんちっち」の絵本を一緒に読み、それからテーブルについた。

いちごちゃんが、何故が普段の倍ぐらい甘えてきた。いちごちゃんは7月28日がお誕生日だそうだ。

マンゴーアイスキャンデーは冷凍庫にしまい、カットフルーツ、スイカとメロンを食べた。




ももちゃんが最近作ったという七夕飾りを見せてくれた。願い事に「おおきくなったら、おいしゃさんになりたい」と書いてあった。ももちゃんは病院や白衣のお医者さんは大嫌いのはずだが・・・


あやちゃんから、鶏肉と野菜の煮付けをご馳走になった。おにぎりを添えましょうか?と言われたが、病院に帰って仕事をするので煮付けだけご馳走になった。あやちゃんは料理が上手いので、何でも美味しい。






病院で仕事をして、21時過ぎから走って帰った。適当にお腹がすいたので、レトルトカレー、野菜サラダ、冷奴の豪華な夕食を準備して食べた。煮付けも上手に作りたいなと思った。

2014年7月12日土曜日

群有会

T医科大学の麻酔科同門会は群有会という。初代三宅有先生が、皆が集まって語り合い遊べる会を作りたいと提案されたという。最初は群遊会のおつもりだったようだが、お亡くなりになられお名前の一字をとって群有会になっている。我々は群有会の招待され出席することになる。
さて、前〇会長から、三宅先生の23回忌であり、多くの皆さんから思い出を話して欲しいと思い企画した旨の挨拶があった。


U野主任教授はこの会では緊張して挨拶される。
T医大出身でない自分にとっては、教室の歴史を学び、多くの同門の先生と語り合える貴重な機会になる。






今回は8名の新入医局員がいるので一層賑やかな会になったが、OB/OGよりも現役が1名多く出席した会となったとの報告もあった。新入医局員の山〇先生は法事のために今回は欠席になった。






多くのOBたちの挨拶から、三宅先生は医局員思いの人情の深い優しい先生であったことが窺える。事務局長森先生の締めのご挨拶をいただいたが、先生たちの思い出は尽きない。






会が終了し、高校の先輩の楠〇先生、今〇先生、同学年の池〇先生と世田谷の古畑先生のご自宅にお邪魔した。奥様が急遽食事を準備して下さり恐縮した。お嬢さんは池〇先生の教え子とのことで、後からお友達と駆けつけてくれた。

信州中野へお墓参りに行く

12日土曜日、朝1時間ジョッギング。久々に晴れ上がり、今日は暑くなりそうだ。






善福寺公園では太極拳のグループが練習をしていた。1





10時に東京駅新幹線プラットホームに行った。秘書の嶋〇さんが既にお花と弁当を買って待っていた。遅れて研修医の長〇先生とずっと遅れて今〇先生が到着した。三宅初代麻酔科主任教授のお墓参りは4回目になるが、今日は初めてのメンバーを3名連れて行かねばならない。しっかりしなくては・・・。



席について早速お弁当を開いた。そう、今朝は未だ朝食を食べていない。さすがの嶋〇さんの見立てた弁当は見栄えも味も一級品だった。







長野で長野電鉄に乗り換え、信州中野へ。そこからタクシーで法運寺に向かう。タクシーは境内で待ってもらい、水桶と柄杓をお借りしてお墓に行った。一週間前に新潟の、多分同門の先生がお墓参りをされたようだ。





日に焼けて歴史を語る墓石かな
お墓の周りを掃除して花を飾り線香をあげた。今日は良く晴れているがそれ程暑くはない。それでも汗びっしょりになった。信州中野駅前のミスタードーナツでひと時の涼を求め長野駅に移動した。




途中千曲川を渡った。沿線や周囲の山々の緑が美しかった。 
    

高原の涼を運ぶや千曲川
信濃路や台風一過で緑萌ゆ
 
信州中野駅ホームで写真を撮った。今〇先生は柱の後ろに隠れたが、サイズが大きくはみ出した。 


 長野駅前のそば屋で「戸隠おろしそば」を食べた。ひんやりとした食感は暑さで弱った体を生き返らせてくれた。
ここから善光寺までは遠くないのだが、未だ行ったことがない。慌ただしく新幹線乗り場に向かい、出発3分前に席に着いた。


2014年7月11日金曜日

今週の思い出


9日水曜日、昨夜は遅くに燕三条から荻窪まで一直線に帰ったので疲れが残っている。10時半から学生クルズスの時間をもらった。昨年度相談教員を担当したY川君がいるグループで、26日の市民公開講座用に作ったパワーポイントを使って、緩和ケア・医療の講義をした。市民の視線で話を進め質問をしていく。皆熱心なのには感心した。


夜は麻酔科スタッフ会議の後、ICUの医師たちとキラー・カーンの店「カンちゃん」に行った。焼酎「大森林」のお湯割りを飲んでいると疲れが取れてきたような気がした。帰りは山〇さんにタクシーで送ってもらった(いや、タクシーで送るついでに途中で降りた)。

10日木曜日、台風が近づいている。朝は早起きして実験室へ行った。兄弟マウスたちが、おはようと待っていてくれた。T医科大学の新病院建設は、順調に基礎工事が進んでいるようだ。

熊本の原〇郎先生から北熊の中華そばが病院に送くられてきたので持って帰った。生めんなので5日以内に食せねばならない。家人からは「4食分あるならお友達に分けてあげたら」とのありがたいアドバイスがあったが、こんな美味しいものは工夫して4通りに食べるのが食通と言うものだ・・・。などと呟きながらラーメンに添える野菜を炒めた。美味い!!さぶちゃんありがとう!

11日金曜日。週末になると、階段を上るのも息も絶え絶えになる・・・。それでも、区西部緩和ケアネットワークの講演会のあるJOHO東京新宿メディカルセンターに行った。途中、ビッグカメラでデジカメ修理済を受け取った。地域連携による高齢者の緩和ケアがテーマで、T医科大消化器外科のO田先生の発表もあった。5の各演者はそれぞれ異なる職種だった。それぞれの立場で多職種の連携を緩和ケアの充実に生かそうと努力しておられる。ここから真の多職種連携が発展するきっかけが生まれると思った。
お昼にもらった弁当を病院の冷蔵庫に入れていたのを思い出し、病院に寄って帰った。家の冷蔵庫にあったゴーヤ、トマト、卵(ゆで卵にした)で贅沢な野菜サラダを作った。

2014年7月7日月曜日

51画

K中央病院で今週から麻酔科に回ってきている研修医の名前の字画は51画という。自分は13画だから4倍近くある。「試験の時、名前書くのは大変だったね。」と言ったら、「えらい迷惑でした・・・」と笑っていた。
名前は秘密だが、とても可愛い良い名前だ・・・。

2014年7月6日日曜日

瞬く間に一週間が過ぎた

7月1日(火)、もう今年になって半年が過ぎた。東京はぐずついた天気が続いていたが。新潟は晴れわたっていた。





2日(水)、U野先生と病院近くのロイヤルホストで夕食。カシミールビーフカレーを食べた。辛くておいしいのだが、インドでは牛肉が食べられるのだろうかと疑問が残った。




4日(金)、週末で疲れきった体に鞭打ち、漢方の勉強会に出席した。ご褒美に「すし居酒屋前田」にO原先生と行った。熊本のY下先生は月一回は来られるそうだ。Y下先生からの贈り物?の焼酎をいただいた。




5日(土)、久しぶりに桃園川緑道を走って帰った。阿佐ヶ谷駅近くの中央線の高架下の商店街を走ったら、アニメストリートと書いてあった。昼に来るともっと楽しそうだ。

夕食は久々にしゃぶしゃぶを作ったが、焼き鳥と鮨は買ってきた。サラダは野菜を買ってきてトマトを添えた。ずいぶん豪華な夕食になった。
 
 
 
 

6日(日)、朝はワールドカップ準決勝オランダ対コスタリカを観たが、トップクラスの試合には鳥肌が立った。日本がこのようなチームに育つには、まだ時間が必要だ。朝ごはんをつくり、布団乾燥機でベッド周りを乾燥させた。
 
 
 
善福寺公園コースを走った。上池には七夕飾りが置いてあり、自由に願い事が書けるようになっていた。家族・友人の健康と患者さんが良い時間を過ごせるように願い事をした。
 
 
 
 
お中元で鹿児島の焼酎一升瓶で6本届いた。また竹輪の詰め合わせもいただいたので、前にもらっていた海苔のセットを持ってももやに持って行った。
 
 
 
 
 

冷蔵庫に残っていたスイカの切れ端も持っていったが、ももやは喜んで食べてくれた。また幼稚園で作ったアジサイの工作を見せてくれた。
 
 
 
 
新しい絵本「うんちっち」をあやちゃんに読んでもらっていたが、ジイジにも読んでもらいたいようで絵本を持ってきた。いちごちゃんは毛をカットしたらしくすっきりしていたが、写真を撮っていない。