2008年11月30日日曜日

地域ホスピス・緩和ケア研修セミナー

日曜日にも係らず70名近くの参加者を得て「地域ホスピス・緩和ケアセミナー」を熊本地域医療センターで開催した。主催者はうちの病院と、(財)日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団。開会のご挨拶とファシリテーターのお手伝いが今日の仕事。早朝から会場作りと受付準備、午前9時に主催者挨拶をする。
 写真は主催者挨拶をする筆者

 内容は、①がん性疼痛の評価と治療、②疼痛事例検討(グループディスカッション:GD)、③呼吸困難の評価と治療、④コミュニケーションの方法(悪い知らせを医師役、患者役、その評価者の3名一組でのロールプレイ)、⑤看取りの次期のケア(GD)、⑥地域医療と療養の場の選択(GD)と密度が濃い。黙って聴いていれば良いというセミナーでなく、自分から参加しなければならない。 写真はGDの模様
 今日の参加者やスタッフは平成19年4月に策定されたがん対策基本法にある緩和医療が早期から適切に実施され、また居宅でがん医療の提供をうけ、そのための連携協力体制を確保するためにこのセミナーに進んで参加されたのだから、モチベーションは高い。
 17時過ぎにセミナー終了。後方付けをし、病棟に入院中の患者さんを診て指示を出していたら18時を過ぎてしまった。明日から12月だ。忘年会は慎まなければ・・・

同窓会

 毎年11月最終土曜日に高校の熊本地区同窓会を開催している。始ってから13回目の同窓会だ。丁度別の会と重なったので世話人の特権?で会場を隣り合わせにして準備した。だぶっての参加が4名で同窓会には結局31名が参加した。

 高校同窓会会長を始め来年鹿児島で第60回の全体同窓会があり、その幹事の皆さんが駆けつけてくれた。準備をしっかりしていたつもりだったが、名簿間違いや出席の確認ができていなかったなど減点も多かった。
 毎回思うのだが、会の雰囲気がアットホーム。初めて参加された方からいつも言われる。自己紹介や近況報告の時間をとり、参加者全員のスピーチをいただく。お話の内容も、温かくユーモアがあり、時に格調高い。今回同級生で母校の教師をしていたMさんにも来ていただいた。申し訳ないことに、在職中の卒業生の参加が無かったが、教え子の熊本在住者への声かけに協力してもらえそうだ。
 写真は、会終了後の集合写真。会長は多忙で3つ目に会への出席のため中座して写っていない。

2008年11月28日金曜日

緊急情報伝達訓練・風のガーデンその2

昨夜緊急情報伝達訓練があった。 院長からスタートして連絡網最後のスタッフまで時間はどのくらいかかったか、情報が正確に伝わったかをみる。連絡網を書いた紙の準備と携帯に次の伝達者の電話番号登録をしていたので、3分以内に伝えた。次に伝える○群Drの反応が無かったので後○Drに飛ばした。私から外科Drにも連絡するが、外科の有○Drは丁度電車から降車した時にかかってきたとおっしゃった。結果が楽しみだ。
 「風のガーデン」に間に合うように22時前に自宅に到着。故郷を捨てていた主人公を同級生たちは温かく迎えてくれた。生前葬を歓迎会のイントロに使っていたが、ユーモアが溢れていたから、まあ良いか。これが流行っていじめ問題にならないように祈る。「むすんで ひらいて」の替え歌には唖然・・・ 緒方拳が扮する父親が、中井貴一扮する主人公の進行すい臓がんに気づいた。来週は親子の和解のシーンとなろう。「人は最期に何処に還るのだろう」をテーマにした作品。麻酔科医が主人公で多くの医療・医学のシーンは興味深い。今回の花は「フロックス」花言葉には、「あなたの望みを受けます。 一致、合意、同意、協調」があった。
写真のフロックスは http://hanadiary.blog15.fc2.com/blog-entry-656.htmlが出典
http://wwwz.fujitv.co.jp/garden/index.html で風のガーデン情報が見れる。
ご近所の玄関のキンカンはよく実っている(思わず満開だ・・・と打ち込みそうになった)
朝露に キンカン濡れる 散歩道

2008年11月26日水曜日

医療安全に関する標語優秀賞に

11月から医療安全推進週間となったが、医療安全に関する標語の募集があったので応募した。昨年度がはじめての取り組みでポスター2件、標語3件応募したが賞には届かず残念な思いをした。という訳で今回のモチベーションは低く、「どうせ・・」と半分イジケて1件の標語を応募した。が、どういう訳か優秀賞に選ばれた。
 ブログ写真・・のカメラ目線の癖がついた私は、他の表彰者に「さあ笑って」とか「表彰状を見せて!」などと言いながら記念写真に納まった。

「活かしていますか? ヒヤリハットの経験を」が私の作品

去年の作品の方がずっと良かったと思っているのは自分だけ。
 Y先生がサッカー中に右橈骨遠位端骨折となった。右手が使えないので研修医と二人三脚で仕事をしてもらっている。牛乳を毎日飲んで、小魚を食べて早く良くなって欲しい。今日は8時から21時まで10分間の昼食(17時)、1.5時間の講演会と表彰式、1.5時間の会議、約8時間ほとんど休み無しの外来と残りが入院患者さんの診察・カンファレンスその他だった。待合室には電光掲示板に「麻酔科外来受付から2時間待ち」が表示されていた。患者さんはとても労わってくれた。感謝。23時から来られる出動協力医に挨拶して帰ろう。

2008年11月25日火曜日

鹿児島が熱い

11月24日病院での仕事を済ませ、リレーつばめ、九州新幹線つばめ、JR指宿枕崎線、タクシーを乗り継いで家人の実家を訪問した。今年になってはじめての表敬訪問。義妹の娘のさ○らちゃんは元気だった。義母手作りのお煮しめをご馳走になる。

今が旬の篤姫館に行く。NHK大河ドラマ「篤姫」は人気番組なので、ドルフィンポートにある篤姫館は多くの訪問者で溢れていた。 内容は盛りだくさんで、着物も着せてもらえる。加治屋町にある「明治維新館」とあわせて見学すれば、幕末・明治維新に詳しくなるだろう。館内撮影禁止で、入り口・出口ともにパッとしなかったので、パンフレットの写真を掲載。
鹿児島訪問の大きな目的は鹿児島YMCA設立発起人会への参加である。 25日の南日本新聞の記事から
「「鹿児島YMCA」の設立を目指す発起人総会が二十四日夜鹿児島市で開かれた。学校法人や社会福祉法人への展開も視野に、二〇一〇年四月の公益財団法人化を目指す。
YMCAは語学教育や国際交流など青少年の健全育成を進める世界規模の社会教育団体。「キリスト教青年会(Young Men's Christian Association)」の呼称で、一八四四年に英ロンドンで誕生した。
現在では世界百二十四カ国・地域で約四千五百万人がインターナショナルスクール運営や野外活動など、宗教や人種を超えてさまざまな活動に取り組む。鹿児島YMCAは大学以外の国内都市では三十五番目の発足となる。
鹿児島インターナショナルスクール講堂で 開かれた総会には、熊本YMCA関係者らを含む発起人約四十名が出席。記念礼拝を行った後、来年九月に任意団体として日本YMCA同盟加入を目指すなど今後の予定が報告され、会長に熊本市のアナウンサー中松禎夫さん(六七)を選出した。」
写真は記念集合写真 と 乾杯
総会の後は懇親会で親睦を深め、吉本熊本YMCA理事長運転の車で熊本市内へ、堤熊本YMCA総主事の車で病院駐車場まで送ってもらった。この二人はウーロン茶のみ。私はもちろん、ビール、ワイン、焼酎のフルコースだったので代行で帰った。 満足・・・

2008年11月23日日曜日

散髪

 教会聖日礼拝終了後、お誕生月の人は無料の昼食をいただいた。クリームシチューに酢の物、そしてパン。パンは一人二個までなのだが、私の分食べて良いですよ。と言ってくださる方がおられた。感謝。
 散髪に2ヶ月以上行っていないので、襟足がイライラして仕方ない。行きつけのオーパに行く。ここではご主人の枝○さんとの会話が楽しみ。髭剃りの間背中や腰をバイブレーターでマッサージしてくれるのだが、いつも気持ちよくなって眠ってしまう。オーパのサインポールは緑、白、赤になっている。その訳を聞いたのだが、いま書き込む時点で思い出せない。
 このサインポールの色についてhttp://www5.ocn.ne.jp/~bbmisima/i/mame.htmlによると、「人体を表し、赤は動脈、青は静脈、白は皮膚または包帯を意味し、理容店のシンボルマークとして、世界共通となっているようです。 理容店の歴史をたどってみると、中世のヨーロッパで、当時は、歯の治療や傷の手当てを行う「理容外科医」という職業でした。17世紀頃、イギリスで理容師と外科医のユニオン(組合)が分裂した際、外科医は「赤・白」に、理容師はそれに「青」を加えることが定められ、理容店のシンボル・サインポールが三色になったといわれています。」と記載があった。8時20分の眉毛を9時15分に揃えてもらい、後ろ髪が豊富に見えるように注文する。散髪した数日は自分の顔に違和感を持つ。2週間前の髪にして・・・と言ったら、切るとこないよと言われた
 散髪から帰る途中、近所の2階にサンタ・クロースがよじ登っているのを発見した。クリスマスイルミネーションのようだ。そう言えば家は去年からクリスマスツリーを飾っていない。



 家に帰り去年ワイズのクリスマス例会オークションでたった400円で購入した椎茸の原木を覗いてみた。写真を写したら、前に写した写真の方が沢山生えているからそっちをブログに載せるようにとの家人からの指令があった。

2008年11月22日土曜日

サッカー部コンパ

 本来なら9月中に行われるサッカー部の幹部交代コンパが今日になった。恒例のOB戦は昼からだったが、今日中に済まさねばならない書類がたまっておりOB戦はパスした。昨日の反省から、今日は朝起きが辛かった(二日酔い)が、何とか起きて走った・・・付け焼刃みたいだ・・「防寒着 着込んで飛び出す 早朝ラン」 
数週間前「さざんか」といっていた花は、実は「おとめつばき 」で、「さざんか」はK高脇にしっかり咲いていた。同じツバキ属なので、花オンチの自分が間違えるのも無理は無い。
 国際宇宙ステーションのHPにいくと、観察しやすい時間帯と方角を教えてくれる。今日は17時45分過ぎから西南西の方角で13度の方向から現れ、北北東へと進むとあった。白川縁を走りながら観ていたが丁度雲に隠れていた。明日は18時13分に北西10度の方向から北北西に進むとあるが仰角が小さすぎる。ISSが何処を通っているのか?仰角は30度以上かが観測の鍵のようだ。次回のチャンスを待つことにする。17時過ぎに走り出して18時半に病院に戻った。シャワーを浴びてコンパに行こう。


 さてやっとサッカー部の幹部交代コンパに行き着いた。先日逝去された小○先生へ黙祷をささげ始る。この数年チーム力は上がってきたが、幹部が目標とした優勝には届かずにいる。旧幹部は反省を込め新幹部に目標達成を託す。カリキュラムの関係で3年生から4年生にかけてが幹部学年のようだ。30年前は4年から5年生にかけてが幹部学年だった。6年生は卒業試験や国家試験を控え、部活から引退することも多かった。自分は最後の西日本医科学生体育大会8月までプレーした。実際には11月にあった長崎大との定期戦まで出場した。よく卒業できたものだと感心する。






二次会に移り、ボージョレヌーボが出てきたあたりで、先輩も後輩も和気藹々となった。二次会参加者では最年長になっていた。
ブログデビューをしよう!と写真を写しはじめたら、皆参加してくれた。年に数回若い人の中に入って大騒ぎ?してエネルギーを充電する・・・と思ったが、結構エネルギーを取られていることに気づいた。いつも思うのだが、サッカー部の現役(選手もマネージャーも)今風に言えばかっこいい!しかも礼儀正しいので将来が楽しみだ。麻生総理は「医師には社会常識が欠落している」と発言し取り消したようだが、サッカー部で数年間を経験した医師にはこの評価は当たらない。

さて、一人だけの3次会に行った。いきつけのショットバーCalmでは、サン・アントニオで覚えたマルガリータを注文する。時々ベースがテキーラから焼酎に代わるが・・・
翌朝携帯発信記録では代行に電話したのが23時58分だった。

2008年11月21日金曜日

気合と反省

 11月19日はにしクラブの企画例会があった。10時ごろまで話し合った。岩○さんのオフィスでの会でご一家でおもてなしを受けた。お礼にブログを紹介した。 奥様にはたいそう気に入っもらった。早速記念写真を写す。この写真が次のブログを飾る。気合だ。

 11月20日は消化器外科の手術の中でも普通8時間以上かかる手術とひょっとしたら1時間以内で済むが運悪ければ数時間はかかる手術の2件の麻酔を担当した。自分が担当の入院患者さんには朝の8時半ごろ部屋に行き、今日は一日中手術室だから・・・次にお会いするのは消灯前かな・・と話した。 そうそう気合十分で仕事に臨んだ!
 ところが! 初めの大手術は順調に進み4時間少しで終了。2例目も1時間以内に終わった。但し麻酔時間はそれぞれに1~2時間増し。18時過ぎには入院患者さんの回診ができたので、皆さん喜んでおられた。今週中に退院予定の患者さんの退院時サマリも半分書き上げた。手術室の中で、練習中の「守りたいもの」の歌も歌ってみた。反響が良く上手く聞こえる。
 ついでに、熊本YMCAの常議員会にも出席することができた(前もって委任状を出していたが)。
 ボジョ-レヌーボの解禁日でワインを飲む会があったが、麻酔科当番で飲めないので真っ直ぐ帰ることにした。ここは残念。娘に電話したら、まだ勤務先にいたのでピックアップして帰った。
 帰ったら、日本代表がカタールに快勝した試合をスポーツニュースで観た。こんなに強かったっけ?そして「風のガーデン」を観た。多分次週がクライマックスか?
 
 手術が予定時間以内に終了するとこんなに物事がスムーズに進む。きっと良い麻酔なので手術がしやすかったんだろう・・・と思うことにした。
 この3日間寒いのとハードワークで疲れたので早朝トレーニングができていない。反省して目覚ましをかけた。あっつもう2時だ。
 そして翌朝、完全防寒着に着替え走った。今朝は風も無く温かかった。おかげでたくさん汗をかいた。暗かったので自販機の明かりをかりて写したが、顔がボケてわからない。早朝の顔はこんなもんかな・・・


2008年11月18日火曜日

お誕生日の花

11月17日は高校同窓会の世話人会をした。今回は集まりが悪く世話人は危機感を持って連絡をした。うちに帰ったのが10時過ぎていたが、玄関に着くときにはパッと灯りが点きドアが開いた。家人が届いた花束をブログ用の写真に撮るようにと言う。
そうそう、うちのワイズメンズクラブでは奥さんの誕生日には花束が届く。罪の意識で我々が花束を届けるのではない。奥さんたちの会(メネット会)で数年前からこのようにしていると言う。このアイデアを出された山○さんは凄いと思う。


18日は4ヶ月ぶりに院内BLS(Basic Life Suport)講習会を復活した。受講者は新人ナース2名だったが、熱のこもった温かい講習会ができた。参加した真○さんも千○さんは飲み込みも早く、真剣にロールプレイにも挑戦してくれた。きっと将来看護部のリーダーとして頑張ってくれるだろう。

2008年11月16日日曜日

九州医師会学会記念サッカー大会

昭和52年熊本に、交流のあった神戸ドクターズを始め、九州内のドクターサッカーチームに呼びかけサッカー大会を熊本で開催した。翌昭和53年から九州医師会学会の開催地で記念サッカー大会を行うことになった。今回は第30回大会になる。愛称は九州ドクターズサッカー大会で熊本が開催地。世話人代表の○き先生を筆頭に、○永先生、○渕、そして私が世話人となり今日を迎えた。毎回そうではあるが熊大医学部サッカー部の現役諸君が裏方として大会を支えてくれた。弁当の残りからみて126名以上は参加したようだ。熊本チームはホスト役に徹して、久留米蹴和会と鹿児島ドクターズに0-1で敗れた。 写真は集まった熊本ドクターズのメンバーと熊大医学部サッカー部OB

 この大会での楽しみは女子チームと試合ができること。今回の相手はなでしこリーグの2部で頑張っているルネッサンス熊本。最初はGK以外は50歳以上のプレーヤーで対戦したのだが、強いこと強いこと。まるでルネッサンスのフォーメーションとシュート練習をさせてあげたようにスカッと負けてしまった。せっかくなので、15対15でのPK戦も行った。ここでは一番に蹴らせてもらった。インステップキックで思い切り蹴った。ボールはGKの左上を通りネットに突き刺さった。が、PK戦でも負けてしまった。さすが全国レベルと脱帽。 写真はルネッサンスと対戦前の記念写真 例年この大会に東京から駆けつけてくださる小○先生が4日前に急逝された。大きな声を出していつも我々を励ましてくださった。名マネージャーで大会のマネジメントについていつもご指導いただいた。また「あなにはいつも世話になるね・・・」といつも労いの言葉を掛けてくださった。もうあの声を聞くことはできない。開会式では黙祷をささげ、喪章をつけてのプレーをした。
 全ての試合が終わり、世話人4名と学生さんが最後まで残って片付けをした。県総合運動公園のサッカー場は芝がきれいで気持ちよく試合ができた。22日は学生の幹部交代コンパがある。高○新主将を見ていると一生懸命さが伝わってきた。今年も頑張って支えなきゃ。

2008年11月15日土曜日

災害医療福祉訓練と役員会

11月15日熊本地区の災害医療福祉訓練が行われた。8時30分に熊本市を中心にM7.2の地震が生じ、多数の傷病者が地域医療拠点病院に殺到するという設定だ。各医療機関は、熊本市の対策本部との連絡を密にし、医療スタッフの確保、傷病者の治療・収容・高次医療機関への搬送を行う。

 7回にわたる実行委員会と、過去2回の経験からポイントはいかに手際よくトリアージを行うか、軽症者は建物に入れない。動線はシンプルに。今回は声かけ「心配要りませんよ。大丈夫ですよ。etc」や痛み対策(鎮痛薬の投与)は特に注意した。現場から続々くる報告を本部のホワイトボードに書き込んでいく。軽症者が中等症にかわったり、重症が中等症に変わったりする。見落としが無ければよい。何人救えるかの勝負。予想に反して予定時間より前に終了し、検証に来られた○○熊本地区病院の方を交えて反省会を行った。

 反省会の後、外来患者さんと入院患者さんを診て、阿蘇に向かった。熊本YMCA阿蘇キャンプでワイズメンズクラブ国際協会西日本区の役員会が行われる。開始時間に若干遅れたが、自分の発表には間に合った。こんなに熱心に協議できるのか・・と思うほど皆さん真剣に議論される。また皆さんの博識には驚かされる。討議の後は白雲山荘で温泉を楽しみ、さあ懇親会だ。14年前熊本で開催された第1回西副区大会の模様がDVDで紹介された。


食事もキャンプ場(研修会場)でこんなに良いの?というくらいの美味しい豪華な料理が並んだ。差し入れの日本酒、ワイン、焼酎が次々に飲み干されていった。いつものことなのだが、翌朝メインホール(懇親会場)に敷かれた布団で目を覚ました。





 折角なのでもう一つ紹介。11月14日麻酔科の研修医が熊本ペインクリニック研究会で発表したこと、後○先生が特別講演を無事おこなったこと、救急救命士の光○さんが無事実習を済ませたお祝いで打ち上げ・ご苦労さん会をした。明日が災害医療訓練なので深酒しないように・・と思ったが、やはり飲みすぎた。楽しいことが重なると酒がすすむ。

2008年11月13日木曜日

お誕生日とその前の日

珍しく目覚まし1回目で起きた。今日から○6歳だ!近所の玄関に葉っぱみたいな花みたいな植物があった。随分インターネットで名前を探したが見つからなかった。


 5●歳最後の日(11月12日)に、以前ホストファミリーをしていた韓国のMさんが病院に訪ねてきてくれた。彼女は私を「日本のお父さん」と呼んでくれる。礼儀正しく良い娘さんだ。
夜には光○救急救命士と約10km走った。思いつくまま白川沿い、田崎陸橋入り口、二本木商店街、湯ラックス、白山通り・・・ しかしジャンボバーガーの店や老舗のカレー専門店が閉店していた。

 再び13日、光○さんの気管挿管30例目の患者さんは、かなり難し方だったが、落ち着いて挿管された。本当は実習終了祝いと誕生祝を兼ねて走れなくなるまで走りたかったのだが、土曜日の訓練準備や病院会議(医療安全対策委員会とICU運営委員会)があり、外来患者さんが具合が悪くなって飛び込みで来られたりで走れなかった。20時半に病院を出てむさしYMCAへ。むさしYMCAの運営委員会にもなかなか出席できないでいる。15分の出席であったが、皆さん気持ち良く迎えてくださった。夜空には満月が美しく輝き、まぶしかった。
家に帰ると、バースデイケーキがあった。チョコレートケーキは家人の好み。大きいローソク5本と小さいローソク6本で年齢を表しているのだろう。年齢は教えるわけにはいかない。サッカー日本代表はシリアに3対1で快勝した。先週観れなかった「風のガーデン」をゆっくり観た。満足・・
誕生日の今日、数名の友人から電話やメールをもらった。またプレゼントしてくれた友人もいた。感謝。友人たちの誕生日は悲しいかなほとんど知らない。何とかしなくっちゃ・・
息子と姉からもメールをもらった。ありがとう!

2008年11月9日日曜日

スペシャルオリンピックス熊本ゴルフ大会

阿蘇ゴルフ倶楽部でスペシャルオリンピックス日本・熊本地区大会ゴルフプログラムが開催された。大会医として参加した。阿蘇は寒く風が冷たかった。ズボン下・長袖下着を着込み、トックリシャツ、トレーナー、ジャージに加えてグランドコートを着込んだ。天気は曇り時々雨、とにかく寒く、ホッカイロが手放せなかった。
 開会式、準備運動、練習そして一旦昼食を済ませてスタートとなった。医療班に控えテントで待機の予定だったが、オルタネーションショットチームプレイ(アスリートとコーチが交互にプレイ)の2組について廻った。日赤病院の内○ナースも応援に来てくれた。共通点が2つもあったので(出身県、走っている)楽しくお話できた。薄着でこられたので心配したが若いから大丈夫だろう。幸い、アスリート・コーチ・ファミリー・スタッフ・ボランティアに治療の必要な傷病はなかった。ボランティア・コーチ・スタッフには多くのワイズメンがいたのでホームの感覚で参加できた。

 表彰式ではプレゼンテーターの役目も果たした。たまたま今日の天候は寒かったが、この季節はゴルフ場は大盛況の時期だ。貴重なコース9ホールを提供下さった阿蘇ゴルフ倶楽部に感謝。そしてThank You Card をくださったアスリートにありがとう!

日本医療マネジメント学会九州山口連合学会と若山牧水

 日本医療マネジメント学会九州山口連合学会に参加した。先日からの開催であったが,
Cancer Pain Forumと重なったので土曜だけの参加になった。熊本から宮崎の会場サンフェニックスまで車で2時間半。九州高速道路の山江付近では紅葉が楽しめた。

  地域医療連携室の働き(中核病院,クリニック,地域の病院、地域におけるNPOとの協働など)、医療の安全特に院内感染対策、口腔ケアの重要性など、多くのことを学んだ。

特に興味深かったのが「あくがれと寂しさと~若山牧水の歌と人生~」と題する伊藤一彦先生(宮崎県立看護大学)の講演だった。牧水をこよなく愛する先生は、満面の笑みを絶やすことなく彼の彼の歌の魅力を語ってくれた。牧水の二面性、大和言葉で歌う和歌のわかりやすさ、家族を愛しながらも自然に呼ばれるように旅にでる牧水・・57577の31文字で表現する世界に一度挑戦してみたい。写真はレジメと自分のメモ。
再び車を飛ばして病院へ。患者さんの家族との面談。済ませて帰ったのが20時半だった。疲れた。

2008年11月6日木曜日

まだ走れる・・・

昨日は当直明け(連続34時間勤務)で、にしクラブ仮例会・二次会行った。代行で帰ったのが12時ごろだと思うが、今朝は寝坊して6時半起き。走れなかった。6日は珍しく予定手術が時間内に終わり、会議も19時からなのでY先生と救急救命士の光○さん白川沿いを走った。
最初はキロ7分で胸が痛くなったが、次第に慣れキロ6分でも平気になった。光○さんが、自分は走る機会が少ないのでは・・・と気にしておられたが、私の仕事が忙しく走る時間を取れないだけ。オクトーバーランの集計をしたが100kmに満たず公表するのも恥かしい。
7日早朝はすごい霧だった。K高の中の施設もやっと見えるほど。
写真は朝霧に埋もれたK高の野球観覧席。
夕方は災害医療訓練の話し合いの後、Cancer Pain Forumで筑波大学の木○先生をお招きして勉強させていただいた。木○先生は癌診療医への緩和ケアプログラムの教育に第一線で働いておられる。毎日の緩和ケアチームの仕事も人一倍されている。緩和ケアプログラムの仕事は毎朝3時30分起きでされるそうだ。すごいスーパマンと親しくお話できて感謝だった。8日は朝から宮崎に行く。医療マネジメント学会九州・山口連合学会だ。

2008年11月3日月曜日

部屋の片付け

今日は病院当番、午前中2時間かけて研修医と入院患者さんの回診を行う。目線の高さを合わせて笑顔で話す。さて、緊急手術が無かったので部屋の片付けを始めた。要らない書類やパンフレットを準備したダンボール箱に次々に入れていく。大切な書類はファイルに綴じていく。
 昼食は「山海倶楽部」で家人と娘と一緒に食べた。3種類のランチを頼み、少しずつ分け合った。その後デパートへ。誕生プレゼントのYシャツを買ってくれるという。選んでもらったが、お金の出所はやっぱり自分の財布だった。まっついいか・・・
 再び病院へ。 A4 サイズの書類が楽々入る竹製の籠を2つ準備した。一つには未決の書類を、もう一つに既に終了したがこれから何度も使うであろう書類をいれた。書類で埋まっていた椅子が座れるようになった。この間、外来の急患診察もできた。
 明日は当直だ。がんばろう。
 ちなみに昨日買った「超整理法」はG-mailを利用した書類整理なので今日の片付けには全く役に立っていない・

2008年11月2日日曜日

EMC事業委員会2000推進チーム合同会議

 11月2日5時50分起床し3kmジョグ。サザンカが咲き始めている。つぼみがたくさんあるので暫くは楽しめる。 



朝の8時ANAで伊丹.へ、新大阪にリムジンバス高槻へJRで。高槻駅には大谷さんが待っていて下さった。感謝。そして摂津峡温泉かじか荘へ。
 会議開始2時間前に到着したので、温泉に行く。ここには大浴場・露天風呂そしてむし風呂(サウナのようでサウナでない)がある。京都の廣○さんはアッと言う間もなく上がったが、澤○さんはむし風呂で長時間寝ていた。思わず「大丈夫ですか?」と尋ねた。


 食事も結構美味しかった。車を熊本空港に停めてきたので、ささやかな乾杯はお茶にした。一番遠くからは私だったが、四日市、蒲生野、長浜、京都、岩国そして今回の世話人森○さん(地元高槻)の計9名が集まった。各部の現状報告、例会・入会式の持ち方を紹介するDVD,クラブ紹介やオリエンテーションのやり方など、それぞれの工夫・アイデアが紹介され、それをまとめていく。
 岩国の高○さんや京都の新○さんには次期会長研修会での役割が、井○LD(leadership development)委員長からお願いされていた。EMC事業通信の12月号のショートコラムと1,3月の研修会のキリスト教理解セミナーと早朝礼拝の奨励は私の仕事になる。
 阪○事業主任は55歳まで少年サッカーの指導をしておられたという・・共通点発見。阪○さんの車で長浜の松岡○さんと井○さんと共にJR高槻駅まで送ってもらった。新快速で新大阪まで直通。新大阪駅のユニクロでセーターを購入。リムジンバスで伊丹空港へ。空港の本屋で野口悠紀雄氏の「超整理法」を購入した。10時過ぎには自宅に着いた。楽しい一日だった。