2009年12月31日木曜日

大晦日

 12月31日8時半には緩和ケア病棟のモーニングカンファレンスに参加。入院患者さんの回診や処置であっという間に12時が過ぎた。家に帰り早速風呂と洗面所の大掃除に取り掛かった。カビ取り剤をつけた伸び縮みする掃除ブラシを駆使して天井から壁、床をピカピカにした。温泉だったらいつも掃除するのになと思った。天井を掃除するのでフード付きのジョッギングウェアを着たがびしょびしょになり、優勝してビールかけしたNY松井状態だった。
 久々に立田山に走った。雪が降り始めていた。
「西日浴び 粉雪の中 ラストラン」
 立田山自然公園では秋のコースを選んだ。ほとんど葉っぱが落ちてしまった落葉樹を覚えようと走った。ナラ、カツラ、ナラガシワ、ケヤキ、クリ、ヤマガキ、クヌギ、ヒノキ、センダン、イロハカエデ、ポロポロノキ、コブシなど。7,8kmだろうか起伏が激しいので時々は歩いた。家に向かった時は、既に暗くなっていた。 立田山お祭り広場近くの池に満月?が写ってきれいだった。
 「日も暮れて 寒さ沁みいる 帰り道」 
 帰ったら、自分できれいにした風呂が待っていた。幸せ。
 明日は元旦。走って病院に行こう!
 紅白を観聞きながらブログを書いている。賀状は明日から。娘は広島にスノボーしに行ったが未だ帰らない。帰ったら家族で年越しソバを食べよう。 やはり引っ越さないと家は片付かない。来年は新居に引っ越す。
「来年は 新居で過ごす 夢を見る」
I DREAMED A DREAM がはじまった。音楽は素晴らしい。 

2009年12月29日火曜日

手術室忘年会


12月28日は恒例の手術室忘年会。毎年途中で撃沈しているので、体調を整えて望んだ。席順はくじ引き。1番でラッキーと思ったが、端っこで出入り口近く。寒かったので一旦脱いだ上着を着た。多分日本酒、ワインに手を出さず、ビールと焼酎のお湯割りに徹したこと、出てきた食事は温かいうちに食べたこと、ピッチを上げずに会話を楽しみながら飲んだこと・・・これまでの失敗経験を総動員した甲斐もあり、一次会は最後までしっかりしていた。二次会もしっかりしていた、と思う。
 二次会が終わり、外科の有〇先生から、もう一軒行こうと誘われた。家が近いから一緒に帰れると思い、久々に「バンバン」に寄った。暫くして大学病院の中央手術部忘年会の流れだろう。麻酔科の後輩たちがやって来た。お客の一人が焼きソバを美味しそうに食べていた。
 有〇先生を誘い、締めのラーメンで「なごみや」にいった。しょうゆラーメンハーフサイズを頼んだ。有〇先生は餃子やビールも注文した。2人でタクシーで帰ったが、しっかりと通りから自宅玄関までの29段の階段も上がった。
 宴会では斯くありたいものだ。29日は麻酔科当番で出勤。30日は患者さんご家族との面談と病院の大掃除が待っている。
 「年越しを 前に最後の 忘年会」

2009年12月27日日曜日

大掃除と年賀状

 病院の部屋がゴミ屋敷になった。整理する量に比べ入ってくる情報が圧倒的に多い。親のDNAを引き継いだのだろうか、要らない物をとっておく癖が直らない。机、テーブル、椅子の上にできた書類の山に果敢に攻め入った。どうしても捨てられず、いつか整理してからと思う書類などは袋に分けて入れた。6時間かかってようやく机の上が整理されてきたが床は未だ見えていない。
 10句+αを載せた年賀状印刷を始めた。家人に言わせると何のことかわからん句もあるようだ。正岡子規ではあるまいし・・・子規の「人生の 重荷を下ろして 昼寝哉」に対抗して、「人生の 重荷を背負い 年を越す」としたが絵が見えないので没。

2009年12月25日金曜日

てれっと忘年会

12月23日はてれっとウルトラマラソンクラブの忘走会・忘年会。前夜の5階病棟忘年会での飲みすぎがたたり、仲間が参加している筒ヶ岳へのジョギング登山16kmを諦め、弁天山公園の一人ジョギングを楽しんだ。一周約1kmのコースだが、頂上から見る熊本・菊池平野はきれいだ。今年中に土地を決め来年は終の棲家を作ろうと考えていたが、未だ決められない。夕から病院に行き、患者さんを診てまわった。 忘年会は、味噌天神のさくら。行ったら既にほとんどのメンバーが集まり盛り上がっていた。 「二日酔い 朝は苦しみ 夜は忘れ」 T瀬さんから「熊本の日本酒を守らねば・・・」と言われ、男気を出して日本酒を飲んでいた。恒例の表彰式では練習会に多く参加したU働さんや、記録が飛躍的に伸びた小Bさんが表彰を受けていた。「来年は ウルトラ復帰を 宣言す」 姪っ子の千〇チャンも参加。一番の若手かな?帰りは釘〇さんを送って(代行)で帰った。忘年会は、あと28日の手術室忘年会を残すのみとなった。

 24日の外来で患者さんから手作りのマドレーヌをプレゼントされた。感謝。仕事が済まずにクリスマス蜀火礼拝に行けなかった。家に帰ったら、娘のフィアンセのお母さんからのプレゼントがおいてあった。感謝。


 今年は想像を超える忙しい一年だった。時々心が折れそうになったが、患者さんやご家族に癒されて立ち直った。今年も何度「今日もまた 打たれ強いと 言い聞かせ」を口に出したことだろうか。

2009年12月20日日曜日

緩和ケア病棟クリスマス会

12月19日緩和ケア病棟クリスマス会が開催された。スタッフ・ボランティアにより企画され患者さんやご家族の皆さんが楽しんでくださる。患者さんやご家族が出演してくださることもある。13時半から始まった病院(全体)のクリスマス会を覗き、家人の所属する秋桜倶楽部の演奏を写真撮影をして緩和ケア病棟に移動。準備を始めた。上○Nrsの指揮のもと、最初の仕事はシャンペンの栓開けだった。










演歌の大好きな患者さんが「さざんかの宿」を披露、自宅に退院される患者さんのご家族が中国の伝統楽器「二胡」を演奏。秋桜倶楽部がトーンチャイムの演奏をしてくれた。3月まで薬局で働いていた今〇さんが手品と患者さんもご家族も、ボランティアの皆さんも、もちろんスタッフも大いに楽しんだ。

こんなにアットホームな緩和ケア病棟であり続けたいと思った。

2009年12月17日木曜日

4階合同忘年会

 12月16日は4階南病棟と新棟4階(緩和ケア病棟)の合同忘年会があった。幹事の企画が素晴らしかったのと日本酒まで飲んだので、すっかりはじけてしまった。二次会に行ったのだが憶えていない。自分のカメラで看護師さんたちが寝ている自分を写していた。代行で帰ったが、変える寸前の写真はどうも怪しい顔をしていた。









翌17日は頭痛が続いた。二日酔い??午後の緩和ケア外来ではしっかりしてきた。大学で臨時麻酔科医局会があったので参加し、病院へ戻った。後15日間日記を書けば、5年日記の3年間が埋まる。1年前、2年前の自分と比べるのだが、あまり成長していない・・但し酒飲みに関して

2009年12月14日月曜日

サッカーとウルトラ練習会

12月12日は博多で九州サッカーメディカルミーティングが開催。熊本県サッカー協会医科学委員長の高〇先生と出席。各県の取組みに感嘆。よくやっている県は、熱心な整形外科医と理学療法士やトレーナーの存在が大きい。懇親会では一年ぶりの先生方と大いに語った。 「忘年会 予定表には 空きは無し」 熊本駅から代行で帰宅した。

12月13日は自宅から梶尾経由植木、そこから3号線沿いに山鹿へ、そして熊鹿サイクリングロードと菊池川沿いに鹿本の水辺プラザまで走った。30km強だろうか? てれっとUMCの8名は上熊本駅9時出発。13時前には水辺プラザに到着したようだ。自分4時間半の一人旅だった。今日は途中で完走を諦めるようであれば、来年の阿蘇100kmは登録しない・・と始めに誓って出発した。リュックには着替えとタオル、ゼリーの携帯食を詰め込み、ランニング用のウエストポーチにはお茶の入ったプラボトルとカメラを入れた。3号線沿いは排気ガスとの戦いだったが、孤独走でよく頭に浮かぶ俳句は中々出てこなかった。
「柿の木に 群がり遊ぶ 雀哉」
「白鷺の 終の棲家か 菊池川」
温泉で疲れを癒し、バイキングの昼食とビール・焼酎でエネルギーを充電してバスで熊本へ。病院で患者さんを回診記録を済ませてバスで自宅に帰った。「坂の上の雲」には15分遅れたが、22時からの再放送も15分観たので良しとしよう。

2009年12月12日土曜日

むさしクラブクリスマス例会と病院忘年会

12月10日はむさしクラブのクリスマス例会の日。M会長の願いがかなって熊本草葉町教会でクリスマス礼拝を牧師の山下先生に説教をお願いして行った後、教会2階の集会場での例会となった。礼拝では、山下先生から、クリスマスの意義について話していただいた。そう言えば電車通り沿いにあるT屋デパートにはサンタクロースの電飾はあっても、マリアに抱かれているイエス・キリストはない。   本〇さんや山〇さんのご協力で、大鍋で煮込んだシーフードカレーライスと野菜サラダ、ケーキが準備されていた。 皆さん16時には集まり準備をしてくださった。感謝。例会は私が司会をしたが、姉が奏楽と食事準備で来ていたので緊張したのだろう。順番を少々間違えた。  例年YMCAスタッフがゲームを担当してくれるのだが、今年は新型インフルエンザが家族に発生したためスタッフが急遽自宅待機となった。その為、家人が担当した。 クイズ「私はだれでしょう? 」 例 「ゴリラ」と書いた紙を背中に貼って、貼られた人が、「私は動物ですか?」と尋ね、「イエス」か「ノー」だけを答えていくもの。私は2番目に指名されたが、家人の好む答えを直ぐに察し、2,3問目にて正解!次のクイズ「これなあに?」 目隠しをした人に、品物を手でさわってもらってそれを当てるもの。けっこう子供会では盛り上がるゲームとのことで、参加してくれた子どもさんが活躍してくれた。  チャリティーオークションでは 、「趣旨をご理解いただいて・・・」の掛け声で、各自持ち寄りの品に値をつける。最初進行役をしていたが、「一番買わにゃん人が人に買わせてどぎゃんすっと?」との指摘で、大〇さんに代わった。時間が限られ、2割ほどの品が後回しになったが、16000円の浄財が得られた。感謝。2次会では高〇副会長と最後まで残って飲んでいた。









 12月11日は病院の忘年会が日航ホテルで開催された。19時から某製薬会社の勉強会の講師として1時間ほど話しをしてきた。忘年会場には遅れていったのだが、直ぐに打ち解けビール、ワイン、焼酎とピッチは上がった。手術室の濱〇看護師が「能」の舞を、研修医とレジデント+若手看護師で嵐のLove so sweetの歌と踊りを披露してくれた。今年の出し物はかなり質が高かった。また参加者全員対象のクジで2等(WII)が当たった。周りから頂戴とねだられたが、一応家族に聞いてからと思い、持って帰ることにした。  2次会には、新館5階の看護師さんたちと「+1」に行った。皆それぞれ歌が上手でほとんど聞き役になっていた(珍しい)。代行で帰り、階段は千鳥足だったのだがWIIはしっかり抱きしめていた。












2009年12月9日水曜日

12月8日

今日は朝は病院朝礼で講話をすることになった。テーマは①帰属意識、②坂の上の雲にみる日本人の夢、③老人は夢を見、若者は幻を見る・・・少しはユーモアも入れたのだが、反応は?

 この話しは、熊〇総合医療福祉学院の授業でも話した。帰属意識という言葉を知らない若者は多く、貴族意識と意味を間違うこともあった。坂の上の雲を観ているあるいは読んだことのある学生はほとんどいなかった。聖書の中にある「老人は夢を見、若者は幻を見る」を知る人はクリスチャンでない限りいないだろう。今日は学生さんたちと記念撮影をした。ブログに載せるぞと一応断っている。



 
 夕からの会議2つ終わり、病棟回診をすませ、地域医療連携室忘年会に参加した。多職種の忘年会は面白い。室長の稲〇先生行きつけのスナックで二次会。大分酔っぱらって帰ったようだ。


2009年12月6日日曜日

街頭募金

熊本YMCA国際協力青少年育成年末募金の街頭募金が、ゆめタウン光の森で行われた。13時から14時半までの90分間を前半組みと後半組みに分かれ、計約90名が参加した。私と家人は後半から参加。むさしワイズメンズクラブからは、4名が参加した。少年サッカーの子どもたちは元気よく、「募金お願いしま~す!ありがとうございました。」と呼びかけていた。
90分で6万円以上の浄財が集まったが、他の場所での街頭募金はどうだったのだろう?毎年お手伝いをしているが、ゆめタウン会場は皆さん協力をしてくださる。感謝。

水俣での講演会

国立水俣病総合研究センターと水俣市・芦北郡医師会が共同開催している健康セミナーに講師として招聘された。タイトルは「緩和ケアについて考える~がんとうまくつきあうために~」。がんが見つかった時から、緩和ケアが始ることなどを、1時間30分質疑応答も含めて話した。高校同級の村〇君が企画してくれたのだが、人集めに難儀するそうだ。会場は200名以上は入ることのできるホールだったが、約60名くらいの参加だった。寒い日だったので、聴きに来てくださった皆さんに感謝しながら、できるだけ体験談とユーモアを交えるようにした。暗い話しにならぬよう笑顔をできるだけ絶やさぬようにした。
水俣 には今年の3月20日に高校同窓会で行った。その時は新水俣駅から湯児温泉まで走った。今回は講演なので走らず。






講演に日〇君がセミナーのチラシを持って来てくれた。同じ種子島出身で、兄弟のように過ごしたこともある。水俣に来て何年になるのだろう。ブログを観てくれているので、自分の近況はよく知っていた。次に来ることがあったら一緒に飲もう。



講演終了後、村〇君御夫妻と丸〇君の5名で食事会をした。村〇君の奥さんは家人と同級生。ミニ同窓会にになった。
新幹線で帰ったが、その辺から記憶があやふやで熊本駅で車に乗ってからは覚えていない。家人を連れて行って正解だった。





























12月に入って

今年も12月に入ってしまった。1日にはK大病院との救急医療に関する話し合いがあった。お互いの長所を出し合った救急医療連携を目指している。
3日は病院親栄会(互助会のような組織)の食事会があった。各地の旅行と食事会など幾つかのコースがあるが、最近は忙しくて食事会だけの参加で終わっている。予定していた日に急な会議が入ったりして延び延びになっていたが、ようやく参加できた。食事が終わり解散になるのだが、若手?に呼びかけ、ショットバーで二次会をした。




4日は3階病棟(内科が中心)の忘年会に行った。仕事が終わらず45分遅れたが、食べ物を確保してもらっていた。クイズ大会優勝し商品券をゲットした。この後病院に戻り、週間サマリを打ち込んだりしていたら12時を過ぎてしまった。やれやれ・・
明日は水俣で講演会だ。







2009年11月29日日曜日

11月最後の土日

11月最終土曜日に出身高校の同窓会があった。同窓会の副会長をしているので、準備や連絡に落ち度がないかと心配していた。世話人の皆さんの努力の甲斐もあり、36名が参集してくれた。最高年令は84歳、一番若くて30歳前後か?鹿児島から駆けつけてくださった全体同窓会の向く会長F先輩や、来年高校同窓会の会長Mさん、熊大卒で鹿児島在住のNさん、福岡からはMさんも駆けつけてくださった。私が卒業後何年かしてからできたという高校応援歌「蒼天駆ける」を知っている世代には皆で歌ってもらった。自分はCDを入手して練習していたので、若手に混じって歌った。14回目の同窓会で、1回目から世話人に加わっている。初代会長の大〇先輩は教育界の大御所。全て後輩の我々に任せてたててくださる。昨年集合写真を取り損ねたので今年こそと思っていたが、皆さんの思いが強く深く長引いたので今年も取り損ねた。同級生の昭和46年卒が5名集まったので、二次会で記念撮影をした。
 日曜は、午前中病院で入院患者さんの回診をして教会へ。今月は出席率4割(2勝3敗)だった牧師の山下先生とゆっくり話しができたので良かった。教会に行くといつも心が和む。この一週間優しくなれそうな気がする。  帰って12月5日に水俣市で講演を依頼されているので準備をした。いつも講演の1、2日前に準備は仕上がるのだが、講演準備責任者は高校の同級生。昨日もわざわざ水俣から駆けつけてくれた。準備を済ませ。パワーポイントをメール添付で送った。感心。
 夕は、長女のフィアンセのご両親と食事会をした。「味良」という和食の店はわざわざ日曜に店を開けて準備してくださった。食材を吟味して準備くださり、料理の一つ一つを説明してくださった。Y君のご両親もフレンドリーで娘をとても可愛がってくださる。来年の結納の打ち合わせもできたので良かった。お父さんは昔駅伝の選手だったとか、走る話題でも盛り上がった。お母様は私のブログをよく見て下さっていた。嬉しかった。
 お店の焼酎も美味しかったが、娘と家人に囲まれて座ったので、ほどほどでやめた。帰って「坂の上の雲」をテレビで観た。自分が大志を持って鹿児島から出てきた頃のことを思い出した。気付いたら、枡を出して、日本酒を飲んでいた。そうそう御鮨や和食に合うのはお茶と日本酒だ。

徹夜の後のジョッギング

11月25日水は麻酔科当番。その日は手術が長引き朝から始った手術が終わったのは翌朝の5時過ぎだった。研修医も良く頑張り、休んできなさいときつく言ってやっと休憩を取ってくれた。翌日は外来日で午後からは緩和ケア外来だった。また29日のペインクリニック研究会での発表パワーポイントを作るのに時間がかかり、結局家に帰ったのが23時だった。
25日から緩和ケア病棟に実習に来ているSJ大学薬学部の学生さん4名と、徹夜明けの26日走った。と言っても白川沿いの約3km。彼ら彼女らは何年ぶりかの長距離走だが、自分にとっては徹夜明けでの苦行だった。途中記念撮影をした。
27日は熊本ペインクリニック研究会。自分が線維筋痛症の話しをし、熊本詫麻台病院の平〇先生が脊髄電気刺激による除痛の話しをしてくださった。SJ大学の実習生の3名が聴きに来てくれた。会費が300円で終了後懇親会もあったので会費以上に楽しんでくれたようだ。ジョギングに参加してくれたご褒美か?

2009年11月15日日曜日

第2回役員会

ワイズメンズクラブ国際協会西日本区第2回役員会が11月14,15日神戸市で開催された。14日(土)は休みを取り、8時30分のリレーつばめに乗った。博多で新幹線のぞみに乗り換え神戸へ。12時21分分には新神戸駅に着いた。会場は神戸YMCA近くのホテル。駅から歩いて10分くらい着く。携帯の電池が切れ掛かっていたので充電器を購入したら、所持金が80円になってしまった。受付で旅費の7~8割をもらえるから・・と思い、会場を目指した。とんでもないことが起こった。YMCAと思っていった先がYWCAで、その周辺を探し回っていたら会議の開始時間になってしまったのだ。YWCAでYMCAを教えてもらった。感謝。走っていたら、肩に掛けていたバッグの紐が切れた。思いお手玉を入れていたから?会場には無事に着いた。汗びっしょりだったが・・・会議では役員の熱意が時には激論となり時間が過ぎていく。懇親会では遅れたお詫びに2曲歌を歌った。

15日(日)は早起きして北野周辺、異人館を外から見てまわった ホテルのチャペルで聖日礼拝を行った。 献金は水害で被害にあった子どもたちを神戸YMCAの余島キャンプに招待する支援に捧げられることになった。閉会の祈りを済ませ、1月の研修会で再会を約束し、新神戸駅に向かった。神戸牛がびっしり入った弁当(店頭の写真ではそのように写っていた)1500円を購入し、新幹線の中で開いた。おいしかったが、肉は少しだけだった。 17時には病院に着き、入院患者さんを診てまわった。途中ドクターハートコール(院内心停止)があった。その時病院内にいた医師が5,6名集まり、看護師と共にチームワーク良く蘇生を開始した。心拍再会。カルテ記載を済ませ20時前に帰宅したら、患者さんから誕生日祝いの"らん”が届いていた。娘がケーキを準備してくれた。家人の誕生日と4日違いなので、その中間日の今日にまとめて誕生祝をした。



明日からの1週間のうち、4日が麻酔科当番日、加えて土曜日の日直がある。風邪をひくわけにはいかない。

2009年11月8日日曜日

スペシャルオリンピックス熊本大会開会式とSON15周年記念交流会











スペシャルオリンピックス熊本大会開会式とSON15周年記念交流会を11月8日グランメッセで開催した。実行委員長として10回以上の実行委員会を行い、この日を迎えた。そこで、熊本日日新聞読者の広場への投稿からふたつ。最初は既に掲載、もう一つは投稿したばかり。
『スペシャルオリンピックスから学びたいこと
 今から17年前、知的発達障がいのある人たち(アスリート)に日常的なスポーツプログラムとその発表である競技会を提供し、彼らの自立と社会参加を支援するボランティア活動であるスペシャルオリンピックス(SO)運動が熊本から起こり全国に広まった。2年後にSO日本(SON)が設立されて15年になる。11月8日17時からグランメッセで開催される、2009年SON熊本大会と九州地区サッカー大会の開会式にバルセロナオリンピック女子マラソン銀メダリスト有森裕子SON理事長が参加することになった。開会式後の交流会では、アスリート・コーチ・ファミリー・ボランティアとのふれあいも計画されている。
 9日の10時からは、ウェルパルでSO熊本の生みの親でもある中村勝子SON熊本参与も参加してのシンポジウムが企画されている。有森さんは「世の中にたった一人しかいない自分の生き方にこだわること」「二度とやってこない一瞬一瞬を精一杯生きること」を信条としておられると聞く。今回の交流会やシンポジウムを通してもう一つの生き方を学びたいと思う。』

『スペシャルオリンピックス(SO)開会式・交流会の感激
 11月8日グランメッセで開催された、2009年SO日本・熊本大会と九州地区サッカー大会の開会式では、熊本県警音楽隊の皆さんの演奏のもと、アスリート・コーチ・ボランティアが胸を張って入場行進をした。SO旗掲揚、選手宣誓や火起こし、トーチランや聖火台への点灯といったパフォーマンスの度に、演奏が効果的に場を盛り上げてくれた。アスリートの顔は喜びに満ち輝いていた。有森裕子SON理事長は激励の挨拶で、自らの体験を踏まえ「人の可能性はいかにチャンスを与えられるかによる」と熱っぽく話された。
 交流会では、有森さんは参加者と一緒になって、歌にダンスにゲームに興じてくださった。司会や挨拶など役割を与えられたアスリートは堂々と役をこなしてくれた。
 交流会後の多くのボランティアが会場に残り後片付けに精を出した。6月に実行委員長の任を受け準備に忙殺されてきたが、この日参加下さった全ての皆さんへ感謝の思いで胸が一杯になった。会場の明かりを消しドアに鍵を掛ける時、アスリートの笑顔に癒されていた自分に気づいた。』

有森さんは交流会の時、飲み物を未だ準備していない参加者を回って 勧めておられた(ノンアルコール)、時々ゴミを集めて片付けを当然のようにされていた。さすがオリンピックメダリストだ。
ワイズメンズクラブの仲間たちと、教え子の熊本総合医療福祉学院の生徒たちには頭がさがる。黙々と仕事をお願いした以上にしてくださった。このような仲間や教え子に囲まれ、幸せ過ぎると思った。
 次の日9日、有森さんと中村さんの対談が小出さんの司会で行われた。中村勝子さんとの対談でも負けることなくお話し下さった有森さんは流石だった。終わって昼食会をしたが、家人が「SOのサポーター〇上(たーさん)のサポーターです」と自己紹介をした。家人もなかなかやると思った。

2009年11月3日火曜日

結婚式・披露宴

 11月2日は仕事を終え最終便で東京に向かった。寒気団の襲来で飛行機は揺れた。着陸かな?と思ったら気流が・・・心配ありませんとのアナウンスがあった。23時過ぎにホテル到着。熊本空港で握り寿司+αを食べて飲んだのだが、お腹がすいていた。木枯らしの中。セブンイレブンに走った。宿舎の東京ガーデンプレイスホテルは恵比寿ガーデンプレイスの横(中)にある高級ホテルだった。  3日5時前には目覚めた。6時過ぎに式用の固い革靴で散歩、途中ジョギングで渋谷3丁目まで足を延ばした。ホテルの部屋でモーニングに着替えた。そこで気づいたのが、着替えの靴下を忘れてきたこと。仕方ないので二日連続で同じ靴下となった。結婚式・披露宴の会場は恵比寿ガーデンプレイス内にある、三ツ星レストランだ。結婚式はキリスト教式で行われた。私と姉と式場の聖歌隊?の歌声が目立った・・・と思う。新郎は少し緊張気味だった。  披露宴は、三ツ星レストランなので、食事を楽しんでいただくといったコンセプトがはっきりしていた。レストランでの披露宴なので、親戚も友人もかなり絞られていた。挙式前には新婦方の親戚への挨拶ができた。また披露宴前には新郎の友人・先輩への挨拶もできた。最後(本当の最後は新郎の挨拶)の挨拶なので、ワインを飲みながらも何回もあいさつ文を繰り返しそらんじた。  約2000Kcalnフランス料理はさすが三ツ星レストランだった。挨拶もほぼ満点の出来だった。新しいカップルが末永く幸せであるように祈った。
 無事に式は終了し、モーニングは他の荷物とともに宅急便で熊本に送った。恵比寿ガーデンプレイスの場からのバカラのシャンデリアの点火式を見てから帰ることになった。ところが、帰りの航空券を自分だけが持っていないことがわかった。なぜ?今回のチケットは往復が一枚に記載されているのに、行きだけと思いこみ帰りのチケットは娘が預かっていると思ったのが原因。ホテルの部屋の塵箱に捨てたと思っていたが、なかった。結局、モーニングをしまいこんでいたバッグに入っていた・・・式場の係りの方にはお世話になりました。シャンデリアの点火式を見学し羽田に向かい帰った。熊本には予定より15分早く到着した。熊本は東京より寒かった。
 家に帰り、暖房がなかなかつかず、ひやっとした。なぜかお腹がすき、ご飯を炊いた(自分で)。今日は3000Kcalは摂取しただろう。

2009年11月1日日曜日

日曜らしい日曜

今朝は町内会の廃品回収と災害訓練。廃品回収のときは曇り晴れ雨だったが、その後雨が降り出した。町内会は家人に任せて病院へ。入院患者さんを診てまわり、教会日曜礼拝に2ヶ月ぶりに参加した。11月第一日曜は永眠者記念日なので、日頃お会いすることのない方ともお会いできた。鶴屋に行って結婚式のネクタイを購入。持っているのだが、何処でつけたのか食事のシミが消えない・・・デパチカで夕食の惣菜を購入して帰宅した。

今日は九州医師会学会でサッカー大会に例年参加する予定だったのだが、未だ腰の調子が悪いので失礼した。代わりに体慣らしに来たバイパス沿いを約10kmほど走った。午後から4回ほど病棟から問合の電話があったが全て電話指示で済ませた。今日は麻酔科当番ではないのでゴメン。病院に出て行ったら今日も帰宅は夜遅くなるだろう。次第に体力が磨り減ってきていることを最近実感しているから・・・

11月3日の結婚式で着るモーニングを4年半ぶりに着た。サイズはぴったりだった。挨拶文はできるだけ短くするようにとの要望もあり、30秒以内にまとめた。
「30秒 家人のチェック 挨拶文」
久しぶりにブログに写真を入れたり書き込んだり、日曜らしい日を楽しんだ。

11月8日の日曜日にスペシャルオリンピックス日本・熊本の開会式と交流会をグランメッセで行う。ボランティアが不足しているのだが、熊本総合医療福祉学院臨床工学科の3年生がほぼ全員で参加してくれることになった。ありがたい。

地雷廃絶と被害者支援の会・熊本KLCC主催第10回チャリティーラン&ウォーク

 10月25日「、10年前から始った、地雷廃絶と被害者支援の会・熊本KLCC主催チャリティーラン&ウォークが下江津湖の旧広木公園で開催された。むさしクラブからは最相さんがKLCC代表で、たーさんが副代表で参加。丁度むさしYMCAのチャリティーバザーと日程がバッティングしたので、むさしクラブからの参加は二人であるが、協力団体として10年連続エイドの飲み物を供給し続けている。今回も大塚製薬の協賛を得て、しっかりスポーツ飲料の準備ができた。また、持参したじゃがいもを完売できた。
 私は激務腰痛で最悪の体調だったが、ボランティア参加でエイド担当する熊本総合医療福祉学院救急救命科の学生さんの手前、3周約15kmを走った。最後の1周はKLCC会員さんの愛犬リュウとともに走りった。おしっこ休憩が多々あり楽だったのだが、最後にウンチをしてその始末、ゴールで待つ飼い主をみつけてのラストスパートにはギブアップであった。
写真は、学生さんと記念写真、スタート風景、最相代表挨拶

2009年10月18日日曜日

熊本市医師会国際交流と「じゃがいも・カボチャ配送」

熊本市医師会は米国テキサス州サン・アントニオ市を中心として活動するベア郡医師会と姉妹医師会を締結し17年になる。姉妹締結を行った当時の医師会会長柏木先生は高校の先輩、ベア郡医師会長のGrey会長は麻酔科医であり、当然のごとく?国際交流委員会の一員に加えていただいた。以来、一年毎の交流相互訪問は、お互いの医療事情を学び、自分にとっては数年(いや10年)進んだ米国のシステムや高度先端医療を先取りしてインプットさせてもらっている。もちろんわが国のほうが良いシステムも少なくないが・・
 今年は10月15日に熊本着、16日の午前中に熊本市医師会表敬訪問と医師会病院の視察に来られた。毎回病院案内を務めている。今回は外科病棟のT看護師が英会話を一生懸命に勉強し上達しているのを知っていたので、夜勤が終わった後ではあったが居残りして病棟案内をお願いした。一行18名の中にはもう5回目?のツワモノもおられる。「If you have any question, do not hesitate to ask them (ツワモノのお二人の先生)anything!? Because they visited here five times.]と言ったら大うけした。外来患者さんの予約日を別の日に移していたので、1時間ほどの案内その他で外来不在になったが、それほど迷惑をかけずに済んだ。途中、白衣を1回脱ぎ着したのだが、ボタンが一個掛け違えていた。F医師会長に指摘されたが、いつもこのような掛け違えが多い。 
写真は医師会館での記念撮影
 同夜はホテルでの歓迎夕食会があった。家人も参加予定だったが、「じゃがいも・カボチャ配送」の準備が間に合わないので、急遽娘に代理で出席してもらった。訪問団一行の中に、Phycotherapistの方がおられたので(ジョン先生、アルコールや薬剤依存症の患者さんに催眠療法などもしているという)娘も良くおしゃべりしていた。
訪問団の小児科先生のタ〇ヨ先生は子どもさんをお2人連れてこられたが、時差疲れで2人ともパーティーの間テーブルにうち伏し熟睡していた。二次会はGTCから急遽FPに変更。ビールから焼酎となり、良く飲んだが、病院に戻り病棟によってから帰った。

写真は歌を披露下さったベア郡医師会訪問団と、二次会でのスナップ
 17日はジョン御夫妻・奥さんは看護師さん、タ〇ヨ先生親子を、竹〇先生ご一家、江〇先生ご一家、そして私とT看護師とで、お鮨屋さんの一室を借り切っての夕食会でもてなした。ジョン先生は 料理の一つ一つを興味深く鑑賞・味わいながら質問されるので、電子辞書が大いに役立った。ホテルにお送りし、一人で行きつけのショットバーに行った。久しぶりにマルガリータを飲んでいた。病院に戻り、緩和ケア病棟に入院中の患者さんの息子さん御夫婦と遅くまで話した(久々に談話室で飲んでいた・・何を?)
写真はお鮨屋さんで食後に記念撮影。
 10月18日は熊本むさしワイズメンズクラブの年間最大行事である「じゃがいも・カボチャ荷卸・配送」の日。15日に来熊されたサン・アントニオからのお客様のご接待を他のメンバー(医師会)にお願いし、いざむさしYMCAへ。お手伝いをお願いしていた熊本総合医療福祉学院臨床工学科の学生さんと共に900箱のじゃがいも・カボチャの荷卸が始りました。
これまで最大1500箱頼んでいたことを思い出せば、900箱は「おちゃのこさいさい」、
その後数グループに分かれて配送に当たります。私は熊本北・山鹿方面への配送で、一人の学生さんとペアを組んで行きました。残りのメンバーは宅配の準備です。2箱単位で荷造りし送付状を貼ります。
配送から帰ってきたらメネットさんからの温かい昼食が待っていました。学生さんには、いえ私にも大ご馳走でした。
 配送時点で、カボチャがかなり不足していましたので、緊急避難的に田渕さんのカボチャを使用させていただきました。あとから、各メンバーから余ったかぼちゃが戻ってきましたので、安心しました。
 仕切りを引き受け下さった米村さん、温かい昼食を準備下さった、メネット会の皆様、ご参加下さった皆様に感謝。ファンド委員長として「集金と支払い」はきっちりさせていただきます(メネットさんお願いします)。
18日は17時まで市内の配送を家人とした。家に帰りシャワー着替え、F会長宅に向かった。フェアウェルパーティーで会話と食事・アルコールを楽しんだ。
「友来たり 秋の夜長の 大吟醸」