2015年7月31日金曜日

第26回ワイズメンズクラブ国際協会アジア地域大会第1日目

31日夕第26回ワイズメンズクラブ国際協会アジア地域大会回に参加するために京都に行った。会場の京都ウェスティン都ホテルに着いた時は、宇宙飛行士毛利衛さんの基調講演は既に終了しており、直前Asia会長ナイトが始まったところだった。写真は岡野さん、但し2日目の写真だが・・・。
九州各地から参加したメンバーのテーブルに座り食事を始めた。テーブルには全国各地のメンバーが寄って声をかけて下さった。どうやら乾杯が済んだばかりのようで、直ぐに皆に追いついた。写真は舞妓さんと並んで写真を写してもらったところ。

2015年7月30日木曜日

区西部緩和ケア推進事業

30日に平成27年度区西部緩和ケア推進事業の会合をKO大学病院で行った。T医科大学とKO大学に事業の運営を委託されているので、6月に準備会を開き区西部の各施設などに呼びかけ初会合に至った。会議の議長の大役を担うことになったが、出席くださった委員の皆さんの前向きな発言のおかげで良い会議になった。これからは新宿、中野、杉並の各医師会との連携を取りながら各地区での緩和ケアのレベルアップ、連携の充実を図っていきたい。
会議の後、中野区医師会のU野先生たちと千駄ヶ谷の飲み屋に向かった。目的の店は二件とも一杯で入れなかったが、近くにあった店にたまたま入ったら料理が美味しくびっくりした。置いてある日本酒が凄く美味しく3人で一升??空けたようだが、きっとU野先生がたくさん飲んだのだろう。

2015年7月26日日曜日

くたくたになった日曜日

268時前から善福寺公園コースを走り始めた。既に太陽は昇り気温は30℃を超えている。8㎞走る間にペットボトル600ml1.5本空けた。



遅野井の水は少なくなっており、木々の葉からもれてくる太陽の光が眩しい。




ももちゃんが「お昼はおうちで焼き肉パーティーをしよう!」と提案してきた。早速恵比寿に行って、長男3世代で「ライフ」に買い物に行った。ももちゃんは、焼き肉に入れる野菜もちゃんと知っているし、ニンニクも必要のようだ。
焼き肉が始まった。ジイとパパは昼間からビールを飲み始めた。
食事が済んでひと眠りし3時過ぎに起きた。ももちゃんはジイが起きるのをずっと待っていたようで、「ジイ、カブトムシを見に行こう!」とねだった。
渋谷区ふれあい植物センターに行った。小さな植物園で、2回にカブトムシが沢山いる金網で囲われた部屋(カブトムシ広場)がある。ももちゃんは昨日はカブトムシを手でつかめなかったようだが、今日はしっかり手でつかんで場所を移したり、蜜のあるところに連れて行ったりしていた。そろそろ帰るかな?と思ったのが甘かった。
「ジイ。公園に行こう!」と言う。タコ公園に行ったらちゃんと靴下と靴を脱いで、水遊びが始まった。暑いのでこっちの方が水に入りたい。いつの間にか水の中に腰を下ろしている!パンツまでグショグショだろう。散々遊んで飽きたのか?靴下と靴を履いてブランコに走って行った。まだ立ちこぎが上手にできないようだ。
そして歩いて帰ったが、途中も万歩計では18500歩を超えていた。散髪から帰ってきたいちごちゃんは、明日が誕生日という。2歳だから人間でいえば14歳か。


家に帰って、あやちゃんが作ってくれた枝豆、昨日の残り物と鹿児島川内産の鰻のかば焼きの夕食にした。ビール2本飲んだところで、焼酎の水割りに切り替えた。今日はこのまま眠ってしまいそうだ・・・。

2015年7月25日土曜日

日本ペインクリニック学会3日目

25日学会最終日。8時から矢数先生の漢方のセミナーがあるので、朝ランは3.5㎞にして朝食をパスして会場に行った。しかしセミナーで豪華なサンドイッチが出されたので良かった。
午前中は、漢方の講義に出たり企業の器械展示を見ていろいろ質問したりすることができた。午後からN山先生の発表を見届けた。研修医たちも一生懸命に発表を聴いていた。

江 弘毅先生の「大阪的食コミュニケーション」の講演を拝聴して東京に戻った。講演の要約はこのブログとは別に掲載。



この講演会はS光製薬がスポンサーについている。以前熊本で自分の病院を担当してくれていた岩〇さんが受付おられたので、43か月ぶりに再会した。
以上のことを帰りの新幹線の中で思い出しながらブログアップの準備をしている。明日はももちゃんを植物園に連れていくことになりそうだ。

学会特別講演「大阪的食コミュニケーション」

江 弘毅先生の「大阪的食コミュニケーション」の講演を拝聴した。以下その要旨。
パブリックな場所、喫茶店やレストラン、駅など、家でも職場・学校でもない第3の空間がある、この空間は1990年代に確立されてきたそうである。ここは誰とも会わないでも良い自由な空間であり、近くの人にはむやみに話しかけない場所(儀礼的は無関心を装う場所)であった。この空間では他人の会話でも文脈が分かれば何も嫌には思わない特別な空間だった。しかし今日では、ITの普及で誰かと繋がることのできる空間に変わってきた。都市空間のコミュニケーションにおけるかような変貌があったのである。
こうなるとレスポンスが必要で、連絡が来ていないかどうかが気になる。電車の中でもスマホを覗き込みメールのチェックをしてしまう。グロバリゼーションで、全国どの町にも同じような店が進出してきた。客が来ると「いらっしゃいませ,こんにちわ」と挨拶を受けるが、店員と決して友達になるわけではない。何回行ってもなじみにならない。

大阪人の食空間は上記の空間と真逆になるという。店側と客、酒場では客同士にコミュニケーションがある。客が注文をしながら料理が決まっていく割烹スタイルができたのが大阪の「浜作」であったと言う。大阪はカウンターの店が、スカイレストランよりも下とは意識していない。自分のコミュニティーの中にある店で家族のようなコミュニケーションができる店こそがお勧めの店である。匿名的よりも実名的が優先される。関西弁領域では、コミュニケーションができれば、知り合いばかりで皆いい人おもろい人の思想がある。実名的と匿名的を使い分けできるのも都会人の所以ではあるが、顔と顔に担保された実名的コミュニティー性を良しとするスタンスが大阪人であるという。

コミュニケーションを排したほうが時間軸を短くすることができ、経済的かもしれない。大阪の食文化においては自分の目の前で食べ物が作られていく時間軸を共有しており、そこには店側と客とのコミュニケーションが存在する。新梅田商店街の店を覗くと、大阪人の食文化を知る良い機会になるかもしれない。

2015年7月24日金曜日

日本ペインクリニック学会2日目

24日朝は飲みすぎがたたりやっと起きた。7時前から淀川べりに走り出したが、太陽がまぶしく汗が噴き出してきた。ペットボトル1.5本を飲みながら4㎞弱を走った。写真は淀川堤防に咲いていた花。

午前中の学会場で後輩たちの発表を見たが、予演会からは数段ブラッシュアップされていた。
ランチョンセミナーでマインドフルネスの勉強をし、午後からは緩和医療や在宅医療とペインクリニックのシンポジウムを拝聴できた。

会員懇親会では、九州からの参加の先生たちと交流を深め、マグロの解体ショーも観た。近大マグロ、近大鰻、近大豚と近畿大学は水産、農業分野でもユニークな活動をしている。
参加した初期研修医も大喜びだったが、入局の日までこの楽しかった思い出を忘れないように祈ろう。

二次会では北新地の焼肉屋さんで美味しい肉をたくさん食べた。ここに来るまでにタクシーが4つ筋を間違って降ろしたので沢山歩いたが、天神祭り帰りの浴衣のお姉さんを多く見ることができたので良しとしよう。

2015年7月23日木曜日

日本ペインクリニック学会1日目

23日から大阪で日本ペインクリニック学会が開催される。荻窪6時半発東京行きの通勤快速に乗車。7時過ぎの新幹線に乗った。
大阪駅再開発で大阪駅は超近代的になった(今も再開発が進んでいる)。駅の南側にはグランフロント大阪の高層ビルが3棟とOwner’s Towerビルが並んでいる。ここからすぐのところに大阪スカイビルが見える。淀川べりをジョギングする時見える高層ビル群がここなのだろう。

リフレシャーコース2題とランチョンセミナーを拝聴し、用語委員会に出席した。会場を間違い少々遅れたが。用語集第4版が出版されたので委員会のメンバーは皆さんリラックスされているように見えた。それからリフレッシャーコースとイブニングセミナーを更に一題ずつ拝聴した。
評議員会での話し合いの後、会長招宴があり、全国から来られた評議員の先生方とお話しすることができた。写真は森本昌宏会長。



常宿?の西中島南方にあるホテルにあと少しで着こうとするとき、〇群先生から電話が来た。大阪在住の姜先生と飲んでいると言う。姜先生とは何年もあっていない。チェックインをして着替えて福島駅に向かった。改札口に姜先生が待っていた。黄色いアロハシャツを着た白髪頭の大阪の初老のおっちゃんになっていた。近くのスナックで懐かしい話しや、最近のことなど話が盛り上がった。約30年前のことを思い出した。帰りは安全第一でタクシーに乗ってホテルに帰った。

2015年7月22日水曜日

22日、朝麻酔導入指導、回診、少人数講義、外来、会議とタイトなスケジュールをこなす。終了後に東京駅八重洲地下街にある行きつけの散髪屋に行く。金〇さんとサッカー談義をしながら、さっぱりさせてもらった。体力回復にウナギを食べて帰ろうと思っていたので、ラストオーダー1時間半前の某デパートの鰻屋さんに行った。暫く外で待っていたら仲居さんが出て来て、「今日は鰻が全部出てご用意できません・」と言われた。仕方なく荻窪へ。
帰り道のコンビニで、1650円の鹿児島産ウナギを買った。サラダやお鮨で高級鰻屋さんに対抗した。明日から大阪で日本ペインクリニック学会がある。早朝の電車で行かねばならない。洗濯したシャツにアイロンをかけながら準備をした。

学生クルズスと反省

22日いつもは1時間クルズスの講義をするのだが、どうしても今日でないと来れないという患者さんの外来診察のために30分の短縮授業になった。一見無駄のない授業なのだが、間合いがなく冗談や脱線もできない。さぞかし学生さんは辛かったと思う。

今日は学生さんのノリと反応、正解率は散々だった。学生さんに考えさせながら答えを引き出すことが足らなかったと反省した。

2015年7月20日月曜日

長距離ドライブ龍王峡と日光江戸村

20日朝よく晴れていた!昨夜はよっぽど疲れていたのだろう。疲れ果てて汗びっしょりになって寝ていた。朝風呂で元気を取り戻し、車孝行をすることにした。目標は日光近くの龍王峡でブログの写真撮影と車を400㎞走らせるのが目標。行きの東北自動車道、日光宇都宮街道はスムーズ!3時間ほどで龍王峡に到着した。沢まで下りるか、途中の橋で写真を撮るかが問題だが、写真を撮るのを優先した。ここも外人さん観光客が多い。写真を撮ってあげたら、お返しに撮ってもらった。
日光は門前町で湯葉の産地でもある。龍王峡の駐車場横にある湯葉の専門店で、冷やし湯葉蕎麦を食べた。
近くにある日光江戸村に向かう途中から雨が降り出した。傘を持って来るのを忘れている。駐車場に車を入れた時には土砂降りになった。小雨になった頃を見計らい、中に入って傘を買った。傘は1600円だが、作りがしっかりして色合いも良い。入場券は高いが、中で行われているパフォーマンスは席が空いている限り観放題という。忍者屋敷のパフォーマンスや、栃木県の歴史、江戸時代から明治にかけての歴史など楽しむことができた。
「行きは良い良い、帰りは恐い」ではないが、帰りの雨、時々土砂降り(大雨洪水雷注意報が出ていた)と連休最終日で高速の車が混み時間がかかった。特に高速を降りて環状八号線に入るまでは、歩いたほうが早いと思った。

ぐったり疲れたが、車は大満足大喜びしていた。

2015年7月19日日曜日

世の中は狭い

19日、左下肢の怠さが続いているので朝ランはパスした。すると朝の時間がゆったりと使えた。朝食の時、京都部長の〇田さんと話していると、ふと高校の社会の先生・・ということを思い出した。甥っ子が京都で社会の教師をしている。まさかと思いながら、ご存知ですか?と聞いたら、良くご存じのようだ。〇田さんは同じ系列の高校の先生で、甥っ子は中学の先生だと言う。しかも甥っ子は学生時代〇田さんのもとで教育実習を受けたようだ。世の中は狭い?!と思った。
新幹線の中で、ゆっくりブログを書いたり本を読んだりしている。寝るのがもったいない・・と思うのは、体調が回復してきたからだろう。


2015年7月18日土曜日

ワイズメンズクラブ役員会

18日朝カンファレンスで発表し、回診をして病院を飛び出した。関西地方は台風の影響で在来線が停まっているところがあるようだ。幸い東海道新幹線は全線開通と、インターネットで確認した。東京駅で「深川めし」を買い、昼ごはんにした。車中で各クラブ会長あてに実施したアンケート報告をまとめた。

大阪駅はびっくりするほど混雑しており新幹線切符売り場は長蛇の列ができていたが、13時前にはワイズの役員会会場に着いた。区大会以来の友人たちと再会を喜んだが、幾人かは交通機関の復旧が遅れ未着だった。いくつかの議案では多くの意見が出たが、ヒストリアンからの適切な助言もあり概ねバランスの取れた芯のとおった結論が導かれた。
懇親会には国際会議に来日しているデンマークからの友人たちが参加してくれた。

 
 
 
切り絵の達人の〇瀬さんが、川〇さんのバンジョー演奏をバックにゲストの名前をローマ字の筆記体で切ってくれたが、ゲストのみならず皆からも大喝采を受けていた。

二次会では、話し足らなかった友人たちと大いに話したが、21時半には自主的に部屋に戻ってベッドに入った。

2015年7月16日木曜日

漢方勉強会

15、16日と二日連続で漢方薬の勉強会に参加した。勉強も当然ではあるが、軽食(夕食)が出るので助かる。漢方薬を使用している患者さんを(自分も含めた)常時5名以上は診ている。勉強会では患者さんの経過を思い出し、改善点はないかと考えている。

2015年7月15日水曜日

学生クルズス

15日のクルズスでは、数年前から相談教員をして付き合い?の長いF木君や、ご両親が自分の高校の後輩という東〇△君のいるグループ。勉強した総量の違いか?良く考え答えてくれた。ちょっとだけ勉強方法を工夫するだけでも大きく伸びる。明るく授業に参加してくれた彼らをみて、確信した。死ぬ気になって勉強せい!!!

2015年7月13日月曜日

病棟勉強会

13日、婦人科病棟看護師さんの勉強会で、がんの痛みの評価と治療、くも膜下鎮痛法、亡くなられた患者さんの振り返りを発表する機会をもらった。皆さん熱心に参加して下さった。亡くなられた患者さんの経過を中心としたカンファレンスの積み重ねは必ずフィードバックされ、より良い医療・ケアそして病棟の看護力の充実につながっていく。この後、患者さんを担当してくれた看護師さんたち3名と近くの店で夕食を一緒にした。自分の家族のように患者さんを大切にしていることが伝わってきた。


2015年7月12日日曜日

ランドセル

12日日曜日。ゆっくり休んだので、体調が少し回復してきた。朝食を作り、シャワーを浴び、ゆーパックセンターに宅配物を取りに行き、日帰りクリーニングにシャツ3枚を出した。アイロンかけていると足にやけどした??

 
長男一家と表参道駅近くで待ち合わせをした今日はももちゃんにランドセルを買ってあげることになっている。


カタログを送ってくれたお店の一つに行くと、中は満員電車のように混んでいた。二番目の店は比較的ゆっくり選べそうだ。ももちゃんは二番目の店からもらったカタログにある黒に青の模様のあるランドセルを既に決めていたようだった。パパ、ママやお店の人が色んなランドセルを勧めたが、少しもぶれなかった。
ランドセルを注文をして(9月中旬に届くそうだ)、国連ビル前で日曜日にオープンしているフリーマーケットに行った。ここで昼食。ももちゃんはかき氷が食べたかったようだが、小さいサイズのピザを一枚食べ、かき氷代わりのアイスクリームを食べて満足していた。自分はビールを2杯のみ、カレーライスとトムヤンクンを食べた。ちょっと食べすぎか?

2015年7月11日土曜日

群有会

11日夕から群有会がハイアットリージェンシーホテルで開催された。今回はベルギーからのお客様があり、いつものテーブルではなく卒業年度の近いOB席をいただいた。おかげでOBの先生方とゆっくりお話しすることができた。


喉がむず痒く、一旦咳が出始めるとなかなか止まらず喘息?みたいに息苦しくなった。それでもしっかり食べ飲んでお話しをした。出席者一同の記念写真や、現役医局員の最後の締めまできっちりこなした。いつもは二次会・・・と頑張るのだが、今日だけは早めに帰って休むことにした。

お墓参り

11日は群有会の日。朝から頑張って朝ご飯を作り食べ、9時前から病院で回診をした。昨日から弱オピオイドで痛みのコントロールを始めた患者さんは、昨日の泣き顔が嘘のように明るくなっておられ退院支度をされていた。
1024分発あさま633号の20番プラットホームに行くと、丁度一緒に行く〇平、□田先生が弁当とお花を持って来るところだった。席に座ると二人は朝ごはんが未だらしく弁当を開き食べ始めた。自分は持ってきた書類のチェックをし終えて一時間遅れで弁当にした。金沢の金茶寮の弁当は品があって美味しかった。上田駅から乗ってきた関根先生とは長野駅到着後に会った。
長野駅は長野七夕祭りの飾りがきれいに取り付けられていた。長野電鉄の改札まではエスカレーターで地下に下りてすぐに着いた。信州中野までは各駅停車で行く。途中までは地下鉄になっている。善光寺下という駅があったが、この上に善光寺があるのだろうか?
信州中野駅からタクシーで法運時に向かう。手酌桶と柄杓をお借りして三宅有初代主任教授のお墓に行った。何方が来られたのだろうかお花が供えてあったが、この二日間の天気ですっかり萎れていた。


墓石を洗い、お花を供えた。4人でお参りし教室の状況をご報告した。待たせておいたタクシーに飛び乗り再び信州中野駅へ。特急に間に合った。信州中野滞在時間は全部で25分という弾丸墓参りになった。


長野駅ではしばらく待ち合わせ時間があり、駅近くのお蕎麦屋さんに寄った。3年連続同じ店だが、毎年違うそばを頼んでいる。帰りの新幹線ではぐっすり寝込んでしまったようだ。

2015年7月9日木曜日

東京サンライズクラブのキックオフ例会

9日、東京サンライズクラブのキックオフ例会に卓話者として呼ばれた。O田に会長からアドバンス・ケア・プランニングについて話して欲しいとのリクエストがあったので準備をした。
 O谷会長は10数年ぶりに会長をするので、進行に不手際があったらすみませんと謙虚にお話しされたが、なかなかどうして堂々の司会ぶり。ゲストで来られた北京在住の牧師さんの著書の紹介もあった。自分はアドバンス・ケア・プランニングについて、枕に日本のがん患者の状況、緩和ケアの現況についてお話しし、アドバンス・ケア・プランニングは自らが希望と意思を示す終活であること。元気なうちに考えておくべきことと締めくくった。
 会終了後に集合写真を撮り、希望者で山手YMCA近くの居酒屋伊丹亭に行った。本音を語る会として例会終了後の二次会を開いておられる。N津直前会長はモンゴルから帰国されたばかりのようだ。皆さんお元気なのにはびっくりする。次は、笑いの取れる話をしなければ・・・と思った。

2015年7月6日月曜日

相談教員の会

6日、週の初めではあるが相談教員の会を病院近くの焼肉屋で行った。6年生一名、5年生1名、4年生2名で全員が運動部に所属している(していた)。アイスバーンにために、出身地、高校、部活、趣味などを話してもらった。
食べ放題、飲み放題にしたので、遠慮なく食べ飲んでもらった。飲んだのは自分が一番多かったようだ。勉強の方法や困っていることなどの話しは相談教員の会らしい。記念写真を撮ったが、白髪がハーニエーションを起こして金髪のようになっていた。
荻窪の学生さんがいたので、荻窪駅まで一緒に帰った。今度は秋に!

2015年7月5日日曜日

熊本草葉町教会創立130周年記念礼拝

5日の日曜日、熊本草葉町教会の130周年記念礼拝に参加した。今年は元旦礼拝以来の礼拝で、久しぶりにお会いする皆さんと挨拶を交わした。
記念礼拝では同志社大学理事長の水谷誠先生が、「このばの力」と題して説教された。聖書は生きる糧として素朴に読むべきものであり、聖書にある私たちの心の琴線に触れる言葉こそが神様であり、私たちとキリスト教を繋ぐものである話された。
愛餐会では、無牧(担任牧師がいないこと)の時代に大分から説教に来ていただいた小野先生(今年88歳になられた)や以前草葉町教会に籍があった現在宮崎教会に在籍されている方と共に、県外からの参加者ということで挨拶をさせていただいた。

YMCAやワイズメンズクラブとの出会い、終末期の患者さんを診るうちに緩和ケア・緩和医療の大切さに気付き精神的バックボーンを求めて教会に通い受洗したこと」などの思い出を語った。熊本草葉町教会創立130周年記念誌が出来上がっており一冊いただいた。自分は19931219日に矢崎先生から受洗を受けた。あれから216か月以上経ったが、困っている隣人に寄り添える優しさが身についただろうか?
愛餐会の後、家人の車で空港に向かった。東京羽田行の飛行機はマイレージバンクでJクラスの座席を取った。サービスが良い!座り心地も良い!ただ雲の中の飛行のため外の景色を楽しむことはできなかった・・・。
東京に戻り、病院に寄った。気になる患者さんを3名回診しかえった。冷蔵庫にあった賞味期限が1か月過ぎたおでんを食べたが、お腹は大丈夫だった。

2015年7月4日土曜日

忙しい日

4日、朝から日本疼痛学会に参加した。受付ではY本会長を始め熊本大学麻酔科のスタッフと50周年記念祝賀会以来一か月ぶりに再会した。午前中しっかり聴講したが、内容は奥深い。ランチョンセミナーでは石巻でペインクリニック診療所を開業されているK井先生の話は興味深かった。市民公開講座までの時間、熊本時代の患者さんが開いている喫茶店に行った。コーヒーをご馳走になり、小一時間いろいろ話しすることができた。

市民公開講座のタイトルは「緩和ケアを誤解していませんか?」日本緩和医療学会の細川理事長のお話しは分かりやすい。熊大緩和ケアチームの精神科Dr.や管理栄養士の方のお話しも興味深く聴かせてもらった。T医科大学でも市民公開講座を予定しているので、大変参考になった。
娘の家にバス、電車を乗り継いで行き、バスから降りる途中に傘紐に引っかけて取れたボタンの補整を家人にしてもらった。ひなたと相撲をとったり、じょうじを抱いたりして束の間の「じいじ」を満喫し再び中心街へ。


熊本赤十字病院の医師同窓会はホテルキャッスルで開催された。同級生のH先生が4年前に院長に就任しているので是非会いたいと思っていた。懐かしい先生たちにもお会いすることができた。研修医の皆さんの余興はなかなか良く、このアイデアをT医科大学麻酔科の研修医に伝えたいなと思った。集合写真の後、足は行きつけの「プラス ワン」に向いていた。

2015年7月3日金曜日

じょうじに初対面

3日、日本疼痛学会に参加しようと準備をしていたが、入れたはずの書類などが見つからない。随分余裕で病院を出る予定が、急遽荻窪に引き返す時間が入ったので、いつものようにギリギリになった。しかし、生ものの宅配が来たようだったので、宅配電話サービスに、再配達の電話をすることができた。
羽田空港に着いたら、1855分発の飛行機にお乗りのお客様はいらっしゃいませんか?と係りの人が呼びかけていた。セーフだった。飛行機の中で、ブログを書き、論文の査読をした。
空港に家人が迎えに来ていた。新しくできた道なら30分で娘の家に着くと言う。しかし夜道。いつの間にか知ら
ない住宅地に入り込んでいた。途中で道を聞いて何とか到着した。
ひなたは、じょうじと並んでTVを観ていた。小さい!かわいい! 写真を撮って、そうめんと豚カツとから揚げをたべさせてもらった。U太君がわざわざビールを買ってきてくれた。優しい婿さん(パパ)だ。
 
四人目の孫愛おしき夏帰省
 

2015年7月2日木曜日

WEIさん

2日、中国のウェイさんがビザの期限が切れるので久しぶりに来日した。25年前から彼の身元保証人をしている。住民票、納税証明書、在職証明書と身元保証人の引き受け書が必要になる。
彼は熊本YMCAの日本語学校で日本語を学んだあと、東京で服飾の勉強をして中国に戻った。いくつかの起業を繰り返しながら頑張っている。熊本時代には逞しい生活力を見させてもらった。病院近くの魚の美味しい店で夕食をとった。
米国留学時代、彼の兄さんと同じ研究室で仕事をしたのが縁でお付き合いさせてもらっている。日本の運転免許証を取得し、家族で車旅行をしたいと言っていた。自分が東京にいる間に何回会えるだろうか?彼から中国でお生活の様子を聞くのも楽しみだ。