2017年2月28日火曜日

雪景色

28日、往復の新幹線で名残雪の景色を楽しむ。南国生まれなので、どのような雪景色でも胸がワクワクする。

2017年2月26日日曜日

東京マラソン応援

26日、東京マラソンを応援に行く、友人が何人か走るようだ。ヒルトンホテル前に行けば、スタート地点から最初の右折の場所になるので絶好の応援ポイントかなと思った。しかし行ってはみたが歩道内は立ち入り禁止になっており、大勢の人が邪魔になって見えない。先頭集団が通過した後、先ほどまでICUスタッフがいたT医科大の6階にあるカフェテリアに行った。ここのテラスからもよく見える。続々とランナーが走ってくる素晴らしい光景が目に入った。残念なのは、小さくて誰が誰かわからないこと。最後のランナーが走り去るまでずーっと手を振っていた。かなりきつかったが。
東京駅八重洲地下街にある行きつけの床屋で散髪をした。その後丸の内口に向かいマラソンのゴール地点に向かった。ゴール地点がどこにあるかは分るのだが、そこには近づけないようだ。ゴールしたランナーが出てくるところに回った。そこからタオルや飲み物、メダルやその他をもらい、預けた荷物を取りに行くようだ。そこに更衣室があるみたいだ。遠い更衣室は日比谷公園とか。完走したからといって、未だ難関が待ち受ける。チャリティーランナーはゴール地点近くに更衣室が用意されているそうだ。東京ビッグサイトがゴールだった時よりは交通の便が良いのだが。

2017年2月25日土曜日

熊本から東京へ ももさくと会う

25日、桃也と朔也に会いに行く。先日娘から預かっていた誕生祝を持っていくのを忘れていた。庭の広い家に移ったので、いろいろ花などを植えているようだ。
帰りの飛行機からは富士山が良く見えた。
帰って熊本で買った馬肉の辛口カレーと野菜サラダの夕食をとった。

 

2017年2月24日金曜日

鹿児島へ

24種子島から高速艇で鹿児島へ渡った。義母のお見舞いに施設に訪ねる。ここの施設はリハビリ部門が充実しており、寝たきりだった義母が車いすに座って自分で食事をするようになった。外泊もできるようになるだろう。
 

2017年2月23日木曜日

種子島への帰省2

23日、夜中から激しい雨が降ったようだ。サンルームに雨が降り込んで昨日干した洗濯物が濡れていた。早急に修理が必要だ。
叔母の家にお昼ご飯を招待されていたので訪問した。息子さん(従弟)が昨年夏に退職後帰郷し同居するようになったという。たまたま娘さん(従妹)も今日の高速艇で種子島に来ておられたので、懐かしい話しができた。
従妹に車で送ってもらい、サムズで買い物した後東建設にいった。昨夜のライオンズの例会で家の修理について相談していた。早速家を見に来てくれた。材料が入手でき次第、修理に取り掛かってもらえるようだ。3月中には安心して泊まれる家にリフォームできそうだ。
行く途中にある東町の玉川招魂碑に寄った。自分の曽祖父である田上権蔵をはじめ種子島の青年386名が1875年の西南戦争に参加した。戊辰戦争に参加していなかった種子島の若者はこの戦争では常に弾除けにされていたと言う話しを聞いたことがある。記録によると西南戦争で命を落とした108名を慰めようと1880年招魂碑が建立されている。
夕食は従弟や友人たちとホテルニュー種子島で豚肉しゃぶしゃぶの食べ放題飲み放題コースを予約してもらった。8階のレストランは貸し切り状態、元を取るべく食べたが6人中5名が60歳過ぎのメンバ-なので、レストランの方もホッとされたことだろう。税込で食べ放題が一人2500円、飲み放題が一人1500円、この値段も信じられない。

2017年2月22日水曜日

種子島への帰省1

22日、桃也の誕生日。ももちゃんには両親あてにお祝いメールを出した。ももやからは昨日渡したお祝いへのお礼の動画が送られてきていた。「プレゼントありがとう嬉しかったよ。本読む。お金貯金するおしまい。」
655分家を出て、725分には熊本駅新幹線口の駐車場に車を停め構内に入った。803分のさくらで鹿児島中央駅に向かうが、売店街の「えきマチ1丁目」は8時からの開店なのでファミリーマートで朝食を買った。鹿児島中央駅から南埠頭まではタクシーで移動。余裕をもって高速艇の往復券を買い座席指定をとった。桜島は良く見えるが曇っているので映えない。
種子島の自宅に着いて、草刈りをお願いするのを忘れていたことに気付いた。西之表市シルバー人材センターに電話をして見に来てもらったが、3月に入ってからになるようだ。


それだけではない。サンルームに干していた洗濯物に伸びてきた蔓が巻き付き、虫が卵を産み付けベタベタになっていた。洗濯やり直しと蔓の始末などをした。


いつも買い物をするサンシードが改装中で休みだったので、ダイワまで歩いてお墓参り用の柴や花を買った。母の命日212日に親戚がお参りしてくれたのだろうか?お墓はきれいだった。

夜は種子島ライオンズクラブの例会に参加。丁度西之表市市長選挙のやり直しの公募中とのことで、久しぶりに来られたと言う直前市長を交えて話が盛り上がっていた。



全投票者の20%以上の得票がないと、一位でも当選にならないという条例があるようだ。

2017年2月21日火曜日

孫と遊ぶ2

21日、朝散歩を2㎞してみた。下り坂では少し走ってみた。29段の自宅の階段も休まずに昇れるようになった。4050代の頃は100㎞走っても翌日は階段も平気で昇降していたので回復に時間がかかるようになっている。
昼からももやのところに、明日の誕生日のプレゼントを届けにいった。途中友人の税理士事務所に必要書類をとどけるつもりでいたのに忘れきたことを思いだし、家人は娘から預かったももやへのプレゼントを忘れてきたことに気づいた。物忘れの多さに嘆いてみたが、孫たちの笑顔に癒された。
久しぶりにあった「いちご」も元気だった。

2017年2月20日月曜日

孫と遊ぶ1

20日、足が痛くて動けず。自宅の29段階段が恨めしい。チョイスで頼んだ山形牛の焼き肉で傷んだ筋肉にたんぱく質を補給をした。夜はひなたと丈二を16時半には保育園にお迎えに行った。





U太君が返ってきたところで近所にある釜めしやで夕食をとった。娘は帰りが遅いらしく、釜めし屋さんに特別に一食分作っていただき持って帰った。娘が帰って来ると、孫たちはママ!と迎えた。皆が揃ったところで記念写真。頑張っているね。

2017年2月19日日曜日

第6回熊本城マラソン

19日、熊本城マラソンを走る。家人に上通りまで娘婿と一緒に送ってもらい、F ブロックで待機、スタートからスタート地点まで12分弱かかった。身体が冷えないようにポンチョを着ていた。


途中熊本市医師会やサッカー・ワイズ関係の知り合いから声援をもらいリズムが出てきた。
平成大橋には長男一家が応援に来ていた。ももや、さくやと記念写真を撮ったが高い高いはせず。ももやから「本当にジイジなの?」と聞かれた。いつもこんな格好せんもんね。


25km位まではmedical runnerとして、きつそうなランナーに「大丈夫ですか?」と声かけ。川尻市街地を走る時道路にあったコーンにつまずいて倒れたランナーあり優しく起こした。次第に誰かから声かけしてもらいたい・・・になってきた。チーム一口の堤先生や6時間のタイムセッター、ランスマの撮影クルーとも並走することで辛さを忘れることができたかも。また医師会病院の現・元職員さんからの声援もあり元気づけられた。
福田病院前では大分先にゴールした婿殿と娘と丈二が、





YMCA前では家人とひなたが声援。熊本城への坂をひなたが追いかけて走ってくれた。完走!タイムは6時間12分、ネットタイムは6時間5分。



熊本場横の広場に紅白の梅が咲いていた。





風呂に入って鶴重に行き、「てれっとウルトラマラソンクラブ」の打ち上げに参加した。釘島会長始めいつもはfbではよくお会いするけど話すことがなかった皆さんとお話しできて幸せ。てれっとでは完走したら優勝なので嬉しい。

2017年2月18日土曜日

慢性疼痛学会2日目から熊本へ

18日、朝早く起きたので朝風呂、熊本への移動準備と朝食を済ませた。京都駅にいって京都・熊本間の新幹線座席指定をとった。さて学会場に行こうと烏丸線京都駅から電車に乗った。横に大きなキャリーバッグを持った女性が座った。「うっつ!!キャリーバッグを忘れた!」。ホテルまで引き返し再度会場へ。
モーニングセミナー、教育講演、シンポジウム、ランチョンセミナー、ワークショップを完食?し、ペインクリニック学会用語委員会のある会場に向かった。烏丸線四条駅13番出口徒歩15秒と書いてあったが、烏丸線四条駅には6番出口までしかない・一番数の大きな6番からでた。13番出口は隣接する阪急京都線烏丸駅の13番出口のようで誤記であることが分かった。遅れて委員会に参加したが、集中して話し合いができた。
17:52分発で博多で乗り換えたが、トラブルがあって5分遅れ、家にたどり着いた時は22時を過ぎていた。明日はフルマラソン。
 

2017年2月17日金曜日

第46回日本慢性疼痛学会

17日、46回日本慢性疼痛学会が京都三大学教養教育共同化施設{稲盛記念会館}で開催された。京都府立医科大学疼痛・緩和医療学教室の細川豊史先生が会長を務められる。興味深い講演、シンポジウム、ワークショップが目白押しで、朝から懇親会まで一時の居眠りもなく頑張った。京都の底冷えか、部屋にいる時は良いのだが廊下にでるとぐっと冷える。会場の外に出る気にもなれない。

懇親会では、京都府立医科大の若手の先生方や北里大の金井先生と親しくお話しすることができた。




東京医科大麻酔科OBの立原先生とはこの会でじっくりお話しできる。熊本のそして故森岡先生の大ファンだ。




その後、鴨鍋会へ移動し、参加してくれた初期研修医や教授会のために遅れて駆けつけて下さったU野先生も加わり英気を養った。

2017年2月16日木曜日

京都へ

16日、日本慢性疼痛学会評議員会が京都市で開催され明日から学会が始まる。評議員会に間に合うには、14時に病院を出ないと1450分東京駅発のぞみ115号にはギリギリの駆け込み乗車になる。なのに、1410分病院をでた。1416分西新宿発東京行き丸の内線に乗り遅れ、次は1422分発。丸の内専東京着が1443分なので荷物を持って新幹線ホームに移動する分、間に合わないリスクが大きい。中央線快速は事故で遅延の案内表示。そこで新宿で山手線に乗り換え品川駅へ。着いたのが1450分、新幹線ホームには1455分には滑り込み、1457分発ののぞみ115号には余裕?の乗車になった。
折角窓際E席確保にも関わらず、新幹線の中では疲れて眠りこけ、目覚めたのが掛川を過ぎたあたりだった。今日は霞がかかっているので富士山は良く見えない・・・などと自分を慰めた。

2017年2月15日水曜日

緩和ケア病棟紹介と交流会

15日、ルーチンの仕事、会議の他に困難症例に対する全体カンファレンス(患者さんや疾患に関係ある全ての臨床科スタッフに参加いただく検討会)の司会と取りまとめが加わった。無事に済ませ、クタクタの身体で都内にある某病院の緩和ケア病棟の説明会・交流会に参加した。T医科大学病院からの何名かの患者さんを紹介して受け入れてもらっているので、自分を含め5名が参加した。緩和ケア科と主科(疾患に関係のある臨床科)の二人主治医制をとっておられ、緩和ケア病棟入院だけではなかなか行えなかった治療も入院病棟を移動することで可能になることなどのメリットも説明いただいた。

病院レストランで交流会があった。このような会にあまり慣れておられないのだろう、こちらの方から挨拶に伺うことが多かった。紹介もしていただいたが、最初はT医科大病院のスタッフが参加しているのを忘れておられたようだった。挨拶に立った自分は、なかなか大人の挨拶をしていたが・・・。

2017年2月14日火曜日

チョコレート

14日、病院で手術室看護師ご一同様からと医局秘書さんからチョコレートをいただく。最近チョコレートを食べるようになったのでありがたい。

三〇町病院の昼の給食もバレンタインモードになっていた。




今日のケースは少し長引くと最終新幹線に間に合わない。宿泊ホテル確保しじっくり麻酔管理に取り組む。手術室横のスタッフルームにチョコレートを置き、また差し入れのプチシュークリームやエクレアも広げて、皆さんにカロリー補給をしてもらった。患者さんをハイケアユニットに移動始めたのが2130分だった。
嬉しいことに二半亭のラストオーダーに間に合った。今日のお薦めにのどぐろの焼き魚があったので注文した。
明日のゴミ出しができない。木曜には学会で京都に行き、土曜からは休暇で熊本、種子島に行くので、暫く生ごみは冷凍庫で31日まで待機となる。  
 
 

2017年2月13日月曜日

周術期口腔ケアと熊本城マラソンメディカルランナー

13日、第2回周術期口腔ケア歯科医科連絡会議に出席。周術期の口腔ケアの連携に関して意見交換を行う。

家に帰ると熊本市医師会から、熊本城マラソンメディカルランナーのゼッケンやビプスなどが届いていた。早速写真に収めた。出発地点がFブロックで、最後尾のグループからのスタートになっていた。今の走力なら納得のスタート地点だと思う。無理せず周囲のランあーに気遣いながら走るつもり。自分が救護されないように準備するつもり。

2017年2月11日土曜日

大阪なかのしまクラブ20周年記念祝会

 11日、大阪なかのしまクラブチャーター20周年記念祝会に参加した。雪のために大垣付近で徐行運転となり新幹線は40分遅れて新大阪に到着した。江見さんが司会をされる記念礼拝だけは・・・と思っていたが、会場に入った時にはアトラクションの「トーク&ピアノミニコンサート」が始まっていた。

障がいを抱えながらもピアニストとしてまた作曲家として活躍しておられる中村徹さんと指揮者で音楽家のお父様中村健氏のピアノ連弾、お父様の轍さんのエピソードを交えたトークは味わい深く、感激して聴いていた。障がいではなく、個性として受け止めたご両親の強さと優しさを見習いたいと思った。

帰りの新幹線は順調だった。以前貰った金目鯛の干物を焼いて夕食にした。

 


2017年2月8日水曜日

学生クルズス

8日、ゴミ出しをして荻窪駅に急いだ。冷凍庫に入れて保管した生ごみもある。毎日鍋料理を作っているが、便利な世の中で既に切った野菜が12名分入った袋入りも売っているので生ごみが溜まるわけではない。
今日は学生クルズス。この時点であればこの位は知っていて欲しいなと言う基準はあるが、よく知っている学生とそうでない学生の差が目立ってくる時期でもある。今日はポイントを細かく時間をかけて教えた。知らなかったことを死に物狂いで理解しようと努力するだろうと期待して、今日のクルズスを終わった。

2017年2月7日火曜日

東京駅燕三条までのトンネルと雪景色

7日、高崎から長岡まで5つトンネルがあるその前後の雪の模様を写真に撮ろうと思った。高崎市内には雪は積もっていない。遠くの北関東の山々や浅間山には雪が積もっている。

最初のトンネルを抜け、上毛高原の近くの谷川を見る。遠くの山には雪が積もっている。
上毛高原から越後湯沢までのトンネルが長い。越後湯沢に着くと一面の雪景色になる。
越後湯沢から浦佐までのトンネルが当に豪雪地帯の下を通っている。浦佐では吹雪きで視界が悪くなっていた。
浦佐から魚野川までのトンネルではワクワクする。魚野川の景色が好きで、一瞬のシャッターチャンスを狙っている。新幹線の窓枠まで写真に入ることがあり、がっかりしてしまう。5つ目のトンネルを抜けると長岡市に入る。雪は融けているようだ。
三条は雪やあられが降っていたが風が強く積もりそうではなかった。仕事が済んで、三之町病院から五十嵐川を見た写真。
 

 

2017年2月6日月曜日

すき焼き

6日、夕がたの義務研修を何とか受けることができた。K中央病院では初期研修医のN中先生にも講義をすることができたおまけに早朝の初期研修医セミナーもこなしたので、ご褒美のすき焼きを作った。わりしたが有るので牛肉と野菜、卵があれば出来上がる。少し味が濃くなるとお湯をつぎ足し、焼酎のお湯割りを飲んだ。

2017年2月5日日曜日

孫たちに会って東京に戻る

5日、東京行きの飛行機は1235分発なので、孫たちに会いに長女と長男の家に寄ることにした。娘の家に入るとひなたと丈二が飛び出してきた。丈二は嫌がることもなく高い高いを喜んでくれた。ひなたは少しやせて(締まって)ずんと重い。もうバイバイだよと言うと、丈二は悲しそうな顔をした。

息子のところに行くと、ももやが家の外まで迎えに来た。転校して未だ慣れていないのか、学校には行きたくないと言っていたが今日は漢字検定7級を受験すると嬉しそうに言っていた。ここでも二人を抱っこして高い高いをする。いちごも要求してきたが、抱っこだけにとどめた。

娘のとこで写真を撮るのを忘れていた。二カ所ともお小遣いは上げた。ひなたとももやに「ジイは好きか?」と聞いたら「好き!」と答えた。

東京行きの飛行機は雲の中と上を飛んでいたので、富士山見えず。帰って病院に寄り、明日の初期研修医セミナーの準備をした。

ルミネと西友で夕食の買い出し。今夜は海鮮鍋にすることにした。鱈、ホタテ、牡蠣、エビ、白子、餅、野菜が入った豪華な夕食になった。

2017年2月4日土曜日

熊本ドクターズ理事会

4日、マンションの換気扇の点検が9時から11時まであるので待機するようにと連絡があった。一番最初に点検をしてもらい病院に行けば少なくとも10時からは回診できる。業者に連絡したら、2番目に点検に伺いますと言われた。しかし9時には来てくれすぐに終った。病院へ行き、10時から12時半まで予定の回診をすることができた。

今日は、医局旅行とワイズメンズクラブの東西日本区交流会もあったが、自分が会長を務める熊本ドクターズの理事会が熊本市で開催されるので優先させていただいた。1240分に病院を出た。乗り継ぎがスムーズで、品川では特快にすぐに乗れたので1330分には手荷物検査の前に着いた。70分あるので空港内にある南国酒家で担々麺を食べた。ここの担々麺はシンプルで味もまろやか。辛さは控えめだがしっかり辛さを意識できる。ちょっと気取った味がすると思った。中野の「ほおずき」の担々麺にはワイルドな魅力がある。この世界も奥深いと思った。

さて飛行機の中では直ぐに寝てしまい、折角晴れて右側の窓際の席に座ったのに富士山の撮影機会を逃してしまった。

熊本ドクターズ理事会は定刻の1815分に始まった。委任状を含め過半数の理事出席で会は成立、学生さんは医学部サッカー部の活動報告や会計報告のために陪席する。3時間15分にわたり、活動計画、予算組みなどの熱い議論が続いた。予算を執行する組織なので、会費の滞納は大問題になる。後藤グラウンドの今後についても、しっかりとしたビジョンを打ち出さねばならない。写真は理事会後の集合写真。

会議を終え、20名弱で松竹五右衛門という名の居酒屋に行き夕食兼飲み会になった。さっきまで議論を戦わしていたが、ここでは和気藹々。写真はK内副会長とHサッカー部監督。

一人でプラス・ワンに歩いて行った。店を閉じようとしていたマスター夫妻が温かく入れてくれた。そこまでは覚えている。焼酎を飲んだのか飲まなかったのか?カラオケを歌ったのか歌わなかったのか?分かっているのは翌朝、すっきりと目覚めたことなのだが?

2017年2月3日金曜日

第10回区西部がん医療ネットワーク

23日、第10回区西部がん医療ネットワークが東京医科大学病院講堂で開催された。今回は「がん対策加速化プラン」がテーマで、東京女子医科大学の林先生が「学校における『がん』教育」、慶應義塾大学の久住先生が「就労支援」、そして自分が「がんの疾患軌跡からみたアドバンス・ケア・プランニングのあり方 と 東京都緩和ケア連携手帳の有効利用について」を話した。
写真は講演した林先生、久住先生とのスリーショット。

がん対策加速化プランは、「がん対策推進基本計画」の全体目標である「平成19年度から10年間でがんの年齢調整死亡率を20%減少させる」ことの達成が難しいと予測されたため、平成2761日に開催された「がんサミット」で基本計画に示されている分野の中で1)遅れているために加速することが必要な分野、2)加速することで死亡率減少につながる分野に絞って、短期集中的に実行する具体策を明示した「がん対策加速化プラン」を策定した。プランの3つの柱は「がんの予防」、「がんの治療・研究」、「がんとの共生」であり、林先生の発表は「がんの予防」、久住先生と自分の発表は「がんとの共生」の大事な部分に相当する。会の終了後に交流会があったが、参加された多くの皆さんと親しくお話しできた。この二日間の禁酒と頻回のうがいと二枚重ねマスクの甲斐があり、しっかり発表できた。
司会を務めて下さった池田呼吸器甲状腺外科主任教授。

2017年2月1日水曜日

学生クルズス

21日、5時に起き始発新幹線で燕三条駅から東京駅に帰った。
そのまま病院に行って回診、11時からは学生への少人数講義を担当。
学生クルズスの学生さんは、ちょっと大人しい印象だったが熱心に参加してくれた。3日にある区西部がん医療ネットワークの内容を講義した。緩和ケアのトピックスが入っているので、かなり集中していないと理解できない。これに加えてWHOがん疼痛の三段階除痛ラダーの解説を詳しく行った。