2016年11月30日水曜日

合同懇親会とサープライズ誕生会

30日、国立国際研究センターの緩和ケアスタッフとの懇親会を新宿西口の鍋料理店で開催。




自分の誕生日から2週間も経過したのに、わざわざサープライズでケーキ付き誕生祝いまでしていただいた。




徳原先生とは新宿区や区西部の会で良くお会いしていたが,東京医科大が主催した緩和ケア研修会に先方のスタッフがファシリテータとして、また受講者として参加くださったのが会のきっかけになった。


プレゼントは芋焼酎だった。さすが・・・。

2016年11月27日日曜日

車の修理

27日、JAFにお願いして車の始動をしたが、どうやらバッテリーは取り換えた方が良いようだ。そのままディーラーに行って診てもらった。結果、取り換えることになった。丁度セール期間中で10%引きであったが。ガソリンを満タンにして、洗車をした。車へのお詫びを込めて。
青梅街道を通って帰ったが、銀杏の並木の紅葉も木々によって大分差があるようだ。

2016年11月26日土曜日

緩和ケア研修会 in 八王子医療センター

26日土曜日、東京医科大学八王子医療センタ-の緩和ケア研修会のお手伝いに行った。車で行くつもりだったが、バッテリーがあがって動かないのでJRとバスを利用した。

途中高尾駅の近くの眼鏡屋さんで、時計の修理ができた。バッテリートラブルのおかげか?

責任者の岩瀬先生、講義担当やファシリテーターとして参加される三枝、櫻井、窪田先生たちから沢山学ばせていただいた。



ループワークやロールプレイも無事終わり、最後の講義「悪心・嘔吐」を担当した。学生や初期研修医時代に授業や実習をした若手の先生方には、質問して講義を進めた。皆さんのご協力のおかげで一人も睡眠学習に至ることなく一日目の研修会が終了した。

帰って、善福寺公園コース8㎞を走り、豚しゃぶ鍋で体調を整えた。

2016年11月25日金曜日

TMRC(ランニングクラブ)忘年会

25日、T医科大学ランニングクラブの忘年会を我が家で開催した。21日に発案し急遽呼びかけたが自分を含めて6人参加になった。1Kなので皆座りことができたので良かった。
薬剤部の鮎〇先生にも買い物や下ごしらえの手伝いをしてもらった。小さなテーブルだけでは足りないので一升瓶が6本入るケースもテーブルとして利用した。

集合時間になったので、先ずはすき焼きから二人で食べ飲み始めた。次第にメンバーが集まってきたが、今日からメンバー?が半分か?




集合写真を撮り、自分の写真がラベルになった焼酎を出しているうちに、どうやら夢の世界に入っていた。

朝、台所は片付いており、ビールと日本酒は空っぽになっていた。

2016年11月23日水曜日

23日、久しぶりに長男のところに行った。孫たちから10日遅れの誕生祝をもらい。うれしくなる。お土産で持って行ったケーキにうちにあっただけのローソクをつけてくれた。
もも、さく、いちごを抱っこして記念写真。
長男夫婦に感謝して、良い祝日を迎えることができた。

2016年11月22日火曜日

地震

22日、559分既に目覚めていたが急に家が揺れ始めた。揺れる時間が長く感じた。震源地に近い友人にLINEをしたら親戚のところに避難したそうで安心した。

朝のカンファレンス、麻酔の導入指導、3名の回診を終えて、西新宿駅に急いだ。丸の内線もダイヤが乱れ、いつも以上に混んでいた。新宿駅で車内清掃でしばらく停車すると言う車内放送が流れ、新幹線に間に合わないことも覚悟した。

東京駅上越新幹線プラットホームには発車2分前に着いた。地震の影響で、東北、北陸、上越新幹線は軒並み遅れていた。自分の乗るMAXときは20分遅れで出発した。

津波は大きくはなかったようだが、それでも140㎝のところもあったようだ。
東京-燕三条間の上越新幹線の車窓から秋の深まりを楽しんだ

日曜日

 20日、マンションの排水口と火災報知機の点検日で,それぞれの点検が午前と午後に分かれるの。点検の合間にジョッギングや掃除洗濯買い物をすることにした。排水口の点検が済み、久々に善福寺公園に走った。上池公園ではイベントをしており、上池にはいつもより多くのボートなどが出ていた。

下池公園では紅葉の景色を写真に撮った。






玄海ラーメン(とんこつ)を作り腹ごしらえをし、部屋掃除を続けた。なかなか断捨離ができないので、書類がたまっていく。思い切って二袋の整理ができた。



夕食は鶏肉とキリタンポの鍋。すっかり温まり英気を養った。これで風邪は逃げ出すだろう。

2016年11月19日土曜日

東京医科大学100周年

19日、東京医科大学創立100周年記念式典。祝賀会がホテル・ニューオオタニで開催された。
記念式典には秋篠宮殿下、同妃殿下のご臨席を得て、厳かにも格調高い式典になった。100年前日本医学専門学校から理想の教育を求めて飛び出した約450名の学生が苦労を重ねて学祖高橋琢也先生に出会い、多くの人々の支援を受けて20169月東京医学講習所として開学したのが前身であり、建学の精神を「自主自学」とし、校是を「正義・友愛・奉仕」とする。2年後には東京医学専門学校として認可されたのは、学生の学問への高い志に共感された多くの人たちや教職員を派遣し支援して下さった順天堂医学専門学校があった。

東京医科大学100年の歴史の映写、フルオーケストラをバックに100周年記念合唱隊と共に歌う校歌など、東京医科大出身ではない自分も、心が洗われる思いがして感激した。


祝賀会が始まる前にユトレヒト大学のDr.Knapeにご挨拶をし、Alexが自分と「End of life care」について勉強したことや大変優れた学生であることを話すと、大変喜んでくださった。
祝賀会では鏡開きの後、高久文麿医学会会長の音頭で乾杯となった。





同じテーブルになった2名の医師や5名の看護師さんとは自己紹介後打ち解け、話しも弾んだ。




余興の和太鼓や、応援団の演武など東京医科大らしい?硬派の演出だったが、参加された皆様も十分に楽しまれたことと思う。

2016年11月18日金曜日

相談教員の会

18日、相談教員の会で5名の学生さんが集まった。鍋ぞうの6名席を占めた。最初に注文の仕方、野菜をとって来る時の注意、フリードリンクと飲み放題の違いなど、月曜日に仕入れた知識を披露した。学生さんたちは賢いので、全員飲み放題コースを頼んだ。鍋ぞうコースで旨辛キムチと豆乳コラーゲンでスタートした。自己紹介で一巡したら後は食べるは飲むはしゃべるは。あっという間に時間が迫った。しっかり記念写真を撮った。

皆、このままでは帰りたくない顔になっていたので、「すし居酒屋まえだ」まで歩き、焼酎タイムになった。この辺りで財布の底が見え始めた自分は、3回目の懇談会を約束して帰途についた。
 
翌日、学生さんたちからお礼のメールや写真が届いた。だけではなかった。カメラがないことに気付いたのだ!LINEで福西君に聞いたら、鍋ぞうは土日は11時半に開店すると言うので問い合わせることにした。「カメラが黒いので店の人も気づかなかったのでは?」と労りの言葉が返ってきた。その後、「宮川さんから先生はカメラをカバンにしまっていらしたですよ」との情報があると連絡を受けた。リュックをひっくり返すと奥からカメラが出てきた!冷汗・・・。

2016年11月17日木曜日

誕生日

17日、家人の誕生日なので朝からお祝いのメールをした。

朝冷えるので、寝袋を布団の上からかけることにした。今早朝に寝袋の中にもぐり込んでいたようで、汗をかいており朝シャワーになった。

2016年11月16日水曜日

学生クルズス

16日、この頃の学生クルズスの学生さんは知識もある。その整理と緩和ケアが患者さんを全人的に支え、がん医療も支えていることを大脳皮質の記憶野にすり込むことを優先して教える。今回の学生さんは、皆心が優しく。患者さんと共に歩む医療人を目指していることが分かった。
この日、サッカー日本代表はWCアジア最終予選リーグでサウジアラビアに2対1で勝利した。未だ油断はできないが・・。

2016年11月15日火曜日

牛鋤鍋膳

15日、吉野家の牛鋤鍋膳をテイクアウトした。店が混んでいて、10数分寒い外で待っていたので風邪を引いたようだ。しっかり食べて温まったが・・・。写真は15日真夜中の月。

2016年11月14日月曜日

鍋料理

14日、18日の相談教員の会で学生さんたちと食事をする場所が決まらない。一学生さんの希望と自分の希望としては鍋料理が良いのだが、値段が張らず食べ放題飲み放題はないかと探すがそんな都合の良い店はなかなかない。
20時過ぎに仕事をしているとドアをノックする音、内野先生から「夕食食べに行きましょう」とお誘い。鍋料理にしましょうと逆提案し、相談教員の会のことを話すと。「だったら〇ぞう」でしょうと、直球の答えが返ってきた。

野菜は別の場所から好きなだけ取って来て、牛肉、豚肉、鶏肉の食べ放題で2400円のコースがある。飲み放題で1500円。これ以上食べれませんまで食べて税込8100円だった。そんなに飲まない子もいるから計算可能な準備ができる。

禁煙席を早速予約した。金曜の20時から予約できた。早速学生の世話人をしてくれている福西君にメールを送った。

2016年11月13日日曜日

誕生日の日曜礼拝

13日、半年ぶりに母教会の熊本草葉町教会の礼拝に出席した。今日が誕生日なので難波先生から祝福の祈祷をしていただいた。教会員の皆さんからもお祝いの言葉をかけていただいた。

今日は幼児祝福の日で、姪の子どもの民生ちゃんや甥のこどものあかりちゃんも姉と甥に連れられて出席してくれた。





1113日生まれの3名が出席していたので、ミニコンサートでは前に出てちょっとぱふぉ^マンスに協力し場を盛り上げた。

子ども代表の3名は壇上にあがり、歌を歌ってくれた。民生ちゃんは最初恥ずかしがっていたが慣れると大きな声で歌を歌い、皆さんから喝さいを浴びていた。

家に戻った。家人と娘と孫たちは団地のお祭りに出かけていた。迎えに行った。会場で作っていただいた焼き秋刀魚と焼き鳥が今日の昼ごはんになった。

陽太は早速電車の線路を組み立てて遊び始めた。丈二は同じことをしたいらしく、壊してばかり。陽太からしかられていた。無論丈二は何もしていないようだ。

1725分阿蘇熊本空港発の便で東京に戻り。20時過ぎに自宅に入った。途中鍋のセット一人用を2種類買ってきたので鍋料理で夕食にした。

2016年11月12日土曜日

熊本一鶴会

12日、熊本駅から市電で通町に行き、数年ぶりに鶴屋百貨店に入った。高校の同窓会(熊本一鶴会)がスタートするまで少し時間を使い、冬用のポロシャツと秋冬兼用のコートを買った。コートはぴったりのサイズがなかったので、取り寄せて送ってもらうようにした。

同窓会場のKKRホテルに入った。既に世話人の皆さんが受付におられた。母校から校長先生、同窓会担当の先生、同窓会副会長、来年の母校同窓会実行委員長、東京から榎田東京鶴丸会会長、福岡から森福岡鶴丸会会長らにも参加いただいた。両同窓会からは熊本地震の見舞金も贈呈された。これらの見舞金は同窓会世話人の話し合いで、熊本城復興支援金に贈られることが有木会長から発表された。

恒例の2分間参加者スピーチで雰囲気は和み、校歌「はろばろと」を歌うときには気持ちは高揚した。集合写真を撮り、今年久しぶりに参加した学生さんたちと二次会に向かった。

二次会の会場は「プラス・ワン」いつも良い焼酎を出していただくので嬉しい。一次会では話し足らなかったことも多く、最終新幹線などの時間の制約もあったが大いに語り合った。

帰りは有木会長の奥様が車で迎えに来ていただいたので送ってもらった。感謝。

日本蘇生学会2日

12日、会場の久留米シティプラザは今年の427日にオープンしたばかりできれいで大きな会場だった。「蘇生科学の近未来を考える」というテーマは、脳蘇生の研究をライフワークにしておられる牛島会長にとって熟慮の中から生まれてきたテーマなのだろう。

幾つかの教育講演や特別講演をお聴きしながら、この20年間に進歩した蘇生学の成果を勉強させてもらった。

14時半からはポスター発表のセッションに参加した。久留米大学の伊藤先生は熊大時代から後輩だ。沢山演題を出しておられたので「随分頑張ったね」と褒めたら、「牛島先生の最後を飾る学会ですから当然です」とハッキリ言われたので益々感心した。長倉先生も堂々と発表した。直前に発表された久留米大学の先生方と記念写真を撮った。

JR久留米駅まで内野先生とご一緒し、熊本に新幹線で向かった。

2016年11月11日金曜日

日本蘇生学会1日目

11日、日本蘇生学会が久留米大学麻酔科の主催で開催される。牛島会長は熊本大学や麻酔科の同級生であり、是非その雄姿を見たいと思っていた。前回の失敗を繰り返さず、羽田発福岡行の出発2時間前には病院をでた。途中「山手線内に人が入ったので一時停止する」という車内放送があった。5分ほどで解決したようで、搭乗口には搭乗20分前には着いた。昼食を食べていなかったことに気付いた。横浜豚まんを一個買って頬張った。

福岡空港から地下鉄で天神へ。天神から西鉄大牟田線で西鉄久留米駅に移動した。投宿ホテルを探しながら歩いていると、25分前の飛行機で羽田を出た長倉先生と偶然に会った。これからICUスタッフと食事をするという。仲間に加わることを伝え、チェックインの後に居酒屋に向かった。
今泉先生や既に発表を終えた岡田先生は先に出来上がっていたが、自分と長倉先生はたくさん食べて飲んだ。明日は朝から気合を入れねばならない。店の前でお世話になったお店の方をいれて記念写真を撮った。

2016年11月10日木曜日

漢方

10日、医療安全研修会(出席義務あり)、当院耳鼻科主催の漢方フォーラムに出席した。遅くなったがT医科大学病院漢方外来を担当していただいている矢数先生にお願いして、難治性疼痛を抱えた入院患者さんの診察に行った。漢方医学を基本にした問診や視診など勉強になる。この痛みを何とかbreak throughしたいと思うのは患者さんに関わる全員。

2016年11月6日日曜日

ワイズメンズクラブ役員会2日目

6日、4時過ぎから目が覚めた。5時半までウトウトしたりスマートフォンでインターネットサーフィンをしていた。5時半には起きて、朝ランの準備を整えた。ロビーに行くと浅岡さんが朝のウォーミングアップをしておられた。早朝礼拝の奏楽をお願いしている平山さんが早くも来られた。
6時に大野さんが来られたので、二人で走り出した。





目的地は普通になっているJR豊肥線をこの目で確かめること。確かにミルクロードから車帰に降りてきた道と国道57号線を結ぶ道路を交差する豊肥線は土の下に埋まっていた。

途中にある橋は地震のために1mずれたという跡があった。




早天礼拝では堤さんが「神様のご計画」というタイトルで奨励をして下さった。どんなに一生懸命にしても最後は神様の計画に委ねよう、彼のこれまでの人生の歩みを対比しながら話してくださった。
堤さんを始め、司会の福島さん、献金感謝の宮崎さん、奏楽の平山さんお世話になりました。
役員会二日目は喧々諤々の議論もあったが全てはワイズダムの発展のためにベクトルを合わせると収拾がつく。と思う。役員会が終了し、昼食が済み、記念写真を写した後、バスで131日に避難所が閉鎖になった益城町総合体育館に移動した。
ここでは熊本地震後に昼夜を問わず支援奉仕をしておられた宮崎さんが当時の模様やその後の支援活動の状況を説明して下さった。これまで報告されたことを東京で、様々な会や学生講義の時に紹介してきたが、大きな決断がいくつかあったことを知ることができた。
その後、熊本YMCAが委託管理者になっている木山の仮設住宅に寄って見学した。丁度日曜日で責任者の日野さんにお会いできなかったが、拠点にしている家を覗くことができた。

阿蘇熊本空港1725分発の飛行機には余裕をもって間に合った。京都の大槻さんや船木さんと待合の間いろいろお話しすることができた。

2日から今日まで失敗を含めていろいろなことがあったが、全て神様のご計画なのだろうと納得した。

2016年11月5日土曜日

ワイズメンズクラブ役員会

 5日、早めにホテルを出てリムジンバスで高知空港へ。バスには途中で田島先生が乗り込んできた。空港では杉田先生とミャンマーからの留学生アヤ先生ともお会いした。福岡空港から地下鉄で博多駅へ。熊本行きの新幹線にすぐに乗ることができた。
熊本に着き、熊本YMCA中央センターで開催されるワイズメンズクラブの役員会に向かう。タクシーに乗ろうとしたところでキャリーバッグを新幹線に置き忘れたことに気付いた。引き返し、駅の係りの方に今到着した博多発の新幹線の3号車進行方向の左側で2号車に近い荷物置きに黒のキャリーバッグを置き忘れたことを告げた。幸い熊本止まりで電車はプラットホームに停車したままだった。

このような失敗を乗り越え、役員会に滑り込んだ。議事は順調に進み、16時半には懇親会と二日目の会議がある熊本YMCAキャンプに移動した。



懇親会には次期理事の大野さんが来ておられた。前っ九州部部長の五嶋さんが肥後の赤牛の肉塊の丸焼きを振舞ってくださった。
大野さんや堤さんというギターセミプロのおかげで懐かしい歌を心ゆくまで歌うことができた。

地元でしっかりしなきゃと誓った自分は21時過ぎには2段ベッド4人部屋に戻り、 布団に潜った。