2008年5月28日水曜日

慢性痛とリハビリ


痛みの定義をご存知だろうか?
「(世界疼痛会議 = IASP, 1979)では『痛み』とは、現有する組織損傷を伴った、あるいはそのような経験から表現される不快な感覚、または情動経験をいう、と定義されている。」
であり、本人が痛いと言えば痛みがあるということになる。
慢性痛を持つ患者さんは、経済的・社会的・精神的なダメージを受けており、それらがさらに痛みを増幅させる。単に鎮痛薬を投薬し、神経ブロックを上手く行えば痛みは解決する・・というようなものでない。
だから・・美しいものをお見せすると、素直に喜んでくださる。そして人同士の信頼関係ができてくる。
痛みがあると人は痛む箇所を動かさなくなる。動かさないと筋肉は萎え拘縮が始まる。体のリハビリそして心のリハビリは」慢性痛の患者さんにとって大切だ。
今朝は金糸梅(キンシバイ)の花と親子葱の写真を披露しよう。
先ずは金糸梅から
・開花時期は、 6/ 1頃~ 7/15頃。・中国原産。日本への渡来は1760年頃。 ・黄色が鮮やか。梅雨時に咲き、雨に映える。・いっぱいある黄色のおしべを「金の糸」に、 5弁の花を「梅」にたとえた。
「石垣に 金糸梅咲く 在家かな」      鶯 竹里
「金糸梅 水のひかりを ためらはず」 六角文夫

次は親子葱
葱の先端から葱が出ている。
二階葱(親子葱). 灯台葱・櫓葱とも言う。「この葱は 普通の葱のように 春先に 先端に葱坊主をつけず葱苗のようなものをつける。それをちぎって植えると どんどん成長し 真夏にたくさん収穫でき そうめんの薬味などに重宝する。
いずれもインターネット検索にて
また今日も新しい発見をした。登山を趣味とする娘は、野山の草花の図鑑を買ってきて見ていた。いつになったら教えてくれるようになるのだろう・・・

2008年5月26日月曜日

根子岳一周40(38)km



5月25日は阿蘇スーパーカルデラ100kmマラソン前の最後の練習会である根子岳一周40(38)kmに参加した。今回は練習会前2日間は完全にアルコールを断っての参加だったが、2日間で7から8時間睡眠で体調に難ありの状態だった。



姪の知○チャンをピックアップして、ぎりぎりの午前8時1分前に高森温泉館到着。皆で記念撮影後出発した。最初の10km は標高1000mをだらだらと上る。睡眠不足が応え足が進まない。





箱石峠を越えると一ノ宮や仙酔峡が眼下に広がる。 ここにも元気をくれる阿蘇の雄大な景色がある。

宮地駅のエイドでは冷やっこのサービス。元気が出たのだが、これから厳しい登りが続く。途中まで知○ちゃんと走っていたはずだが、いつの間にか孤独走になっていた。
日の尾峠手前のエイドでは奥○さソウメンを準備していてくれた。上り坂は60%は歩いた。昨年は全て走ったのだが・・・
日の尾峠では時々野生のサルと出会う。今日は姿を見せず。高岳と根子岳との境なので登山者の車や山菜採りの人たちの車が止まっている。
山頂が雲に覆われているのでいつもより少ない。
ゴールの高森温泉館に戻りやっと晴れてきた。右が根子岳左が高岳。
順位はビリ。時間は5時間かかった・・・
100kmに換算すると13時間15分余り・・ぎりぎりだ。
昨年の1月から4月の走行距離に比べて今年は100km多く走っているのだが、不安がよぎる。
スタート地点に立つ者は既に50%完走している(それだけの練習と意思を持って参加しているという意味)を思い出した。
明日からスーパーカルデラのTシャツを着よう!
釘○さんと知○ちゃんを家に送り届けて、病院に行った。患者さんを診て保○医協会の講演会と懇親会に出席した。これからは中負担中福祉の時代になるんだろうか・・・

2008年5月24日土曜日

早起き

目が覚めた時、午前2時半だった。しっかり起き上がり外へ出た・・・・・しかしそれは・・

な、なんとそれまで寝ていたのは車の助手席だった。


昨日は朝早く起きていつもより長く走った。夕方外来患者さんのコンピューター入力をする時はかなり眠かった。そして第35回熊本ペインクリニック研究会に参加し発表。世話人のNTT病院の大○先生と特別講義をしていただいた桜ヶ丘病院の坂○先生の慰労会を『さくら』でした。『さくら』には熊大麻酔科軍団(研修医、学生を含む大勢)がいた。


飲んだそして学問的?激論があった・・・そして代行で帰った。代行の方にお金払ったのだろうか?財布を見たら減っていたので多分払っただろう。



6時半に目覚めたが、朝トレは中止にした。明日は根子岳一周40kmだし・・

緩和ケア病棟に素晴らしい青い花!ボランティアのリアさんの話では、デルフィニアムという花だそうだ。かの有名な女優「エルザベス・テーラー」の目の色をデルフィニアムブルーと言うそうだ。
また花に詳しくなってしまった。
17時半に病院を出て、自宅経由で奥○さん宅へ。地雷廃絶と被害者支援の会・熊本(KLCC:Kumamoto Landmine Clearance Campaign)の世話人会だ。飲む気満々で焼酎を一升と馬刺し持参で行ったのだが、途中で病院から電話。飲まずに世話人会終了後に病院に駆けつけた。
明日は久しぶりに前日飲まない状態での練習会を迎えられる。

2008年5月23日金曜日

タピアン

K高の隣の畑や石垣に群生し紫の花を咲かせているタピアンを見つけた。花オンチの自分には昨日の花リクニスとの区別がつかなかった。でも葉の形は違うし、丈も低い。桜芝の親戚のようだ。


こんな記事があった。「花茎の先端に径2センチほどの赤紫色をした5弁花を15から20ほどまとまってつけ、上から見ると丸くまとまっているのが分かります。日当たりのよう南側の斜面に半ば群生していました。バーベナには1年草と多年草があるらしいのですが、このタピアンはどちらなのか分かりません。」




今朝は5時半に起き、45分から走った。その為か16時半から17時までは夢遊病者のようにパソコンに今日の外来患者さんの記録を打ち込んでいた。


5時45分でも朝日は既に高く昇っていた。明日は5時起き?やめとこうかな・・・

2008年5月22日木曜日

リクニス(ナデシコ科)

6時過ぎたら日差しを強く感じ少し走るとすぐに汗ばんでしまう。そう言えばK高の周りを走ったり散歩したりする人も次第にその活動時間帯が早くなってきている。明日からは5時半起きで目覚ましをかけようと思うが、家人からヒンシュクをかうかもしれない。

さて紫の小さい花が丸く集まっている花が、畑の横に咲いていた。ナデシコ科でリクニスと言うそうだ。


『別名「アメリカセンノウ」とも呼ばれる初夏咲の草花です。ナデシコを小型にしたような花形で、10数輪まとめてボール状に花をつけます。タネを一度まく宿根し、冬は地上部が枯れますが、春、暖かくなると芽を出して元気に成長します。草丈は60から80cmで切り花にも向きます。花の色はオレンジ、赤などです。』とネットで調べたら書いてあった。


ひょっとしたら間違っているかもしれないが・・・  それにしても花に関心を寄せるようになった自分の変わりように関心している・・・

2008年5月21日水曜日

Basic Life Support for Healthcare Provider


新入職員を迎え、今期のBLS(Basic Life Support for Healthcare Provider:医療従事者用一次救急蘇生法実習)が始まった。麻酔科、循環器内科が中心となり、院内職員有志でインストラクターを育成して実習に当たる。

一回の実習に8名が受講し、4名づつで2つの班に分かれる。班毎にインストラクターが数名付き実習の進行と受講者の指導を受けもつ。






18時半から20時半過ぎまでみっちり心臓マッサージ、人工呼吸、AED(Automated external defibrillator 自動式体外式細動器)を用いて、心肺停止患者初期治療の実習をする。

最後は様々な状況を設定して実習するが、横断歩道での心停止では信号が赤に変わって車がそばを通ったり、雨降りでびっしょり体が濡れた人だったりで、かなりの応用も必要になる。
とは言え、楽しい2時間だった。

受講者は皆熱心で、飲み込みも早く、良く声も出ていた。インストラクターを中心にして各病棟でもBLS実習をしている。

患者さんや来院者が安心を感じていただけるよう、こうした努力は続く。  ああしんど・・・

2008年5月20日火曜日

当直

夜間休日一次救急外来併設の病院であるが、病院当直では入院患者さんの急変への対応と一次救急担当医からの依頼患者さんへの対応(二次救急)が主な仕事になる。当然、当直中の災害や事故の際には、対策本部ができるまでは院長代理として指揮権が与えられるが全責任を負う。

さて、昨夜からの当直は、一次救急患者さん2名を担当し、二次救急で急性胆のう炎の患者さんを入院とした。病棟では急変2名。がん患者さんの出血によるショック(輸液で血圧は回復sしたので、輸血準備を指示した)とくも膜下出血後の患者さんの再出血(蘇生は施さないでくださいという指示:Do not Resuscitate Order DNRと略すがあった)で呼吸は止まっていたが脈は触れたので経鼻エアウエイを挿入しバッグ・マスク人工呼吸をしばらくしたところ呼吸が回復してきた。ご家族がそろわれるまではこのままマスクで酸素を与えるだけで待てそうだ。脳神経外科の主治医も直ぐに駆けつけてくれた。

各科の医師や主治医がon callでいつでも対応してくれるので心強い。研修医のK先生も今日も泊まってくれた。感心なのでいつか飲みに連れてってあげよう。その前に一緒に走ろう。

2008年5月18日日曜日

家族会


無事熊本麻酔専門医会総会を乗り切った。宿題も幾つか抱えたが、とにかく良かった。7名も新入医局員があったので、会員の皆さんもご機嫌が良かったのも追い風・・・か。


写真は退職記念講演をいただいた、M先生と同期のU先生



写真は教え子?いいえ元同僚?








ここまでは5月17日



今日5月18日は娘が登山に行く日なので、7時までに集合場所に送った。病院に行き、7時半から8時20分まで白川べりをゆっくり走った。熊本駅前の朝市に行ったが、すでに片づけが終わるころだった。

研修医のK先生と緩和ケア病棟のスタッフミーティングに参加し病棟回診を行った。麻酔科入院患者さんの横に座って話しをする。休日でないとなかなか時間が取れない。


10時半からの教会聖日礼拝に久しぶりに出席した。前横浜YMCA総主事の山○さんから『爽風』とタイトルのついた随筆集をいただいた。山○さんが総主事時代にYMCAニュースに毎月書かれていた文を本にしたもので、退職時にプレゼントされたという。この中には、詩、聖句、唱歌の歌詞なども紹介されている。読んでいるうちに今日の午後予定されている家族会(緩和ケア病棟でなくなられた患者さんのご家族と、故人を偲び思いを語る会でご家族のケアとして年2回開催している)で紹介したいと思う詩があった。


『秋の瞳』八木重吉から
かなしみは しづかに たまってくる
しみじみと たまりたまってくる
わたしの かなしみは
ひそかに だが つよく
透きとほって ゆく

写真は家族会終了後の集合写真



一年前私が担当した患者さんのご家族と、プライマリーナース
大変つらい時期を過ごされたのだが、今も家族のような気持ちで接することができる。

それぞれ就職や進学をされたという。頑張れ!




『風の旅』星野富弘から 悲しみをこえて
喜びがあつまったよりも
悲しみが集まった方が
しあわせに近いような気がする
強いものが集まったよりも
弱いものが集まった方が
真実に近いような気がする
しあわせが集まったよりも
ふしあわせが集まった方が
愛に近いような気がする

2008年5月17日土曜日

5月の朝

今日は熊本麻酔専門医総会総会の日。書類は仕上げと印刷を事務局(熊大麻酔科医局長)に既にお願いした。
5月になり、4月とは異なる草花が咲き誇っている。 朝走りながら、植物オンチのたーさんが解説。何方かからの受け売りに違いないが・・・

杉の木に 巻きつき見栄張る テイカカズラ

こんなに杉を覆ってしまうと、杉がダウンするのでは?と心配。






山道で 蜜香で応援 スイカズラ


サルビアの蜜を吸うようにして蜜が吸える。甘い香りがする。





ワニグチ
横から見るとワニが口を開いているように見える。なるほど・・・

2008年5月14日水曜日

書類準備・整理

熊本麻酔専門医会総会開催が迫った。総会開催にあたり、総会資料や議案の準備をせねばならない。

2008年5月13日火曜日

消防学校講義

救急救命士気管挿管実習を私の病院は引き受けているが、その前に実習する救急救命士さんは60時間の座学、実習、試験を受けなければならない。5年前から私は消防学校で午前中3コマの講義を引き受けているが、講義で使うパワーポイントの内容は年々充実し、うちで実習をされた救急救命士さんはモデルで出演する。




今回は先月全身麻酔を受けた叔父の承諾を得て、私が叔父に気管挿管する場面を動画に撮ったものを講義で使用する。この動画は叔父夫婦にも監修してもらったが、俺の顔が良く映っていない・・・とお叔父の感想だった。当然モデルの顔は出ないように配慮している。
さて今期の受講生は平均年齢34.5歳。熱心で眠っているものなし。質問攻めにしたりされたりで楽しかった。


講義の後、食堂に行き皆さんと昼食(給食)を食べた。美味しかったのだが、900Kcal強という管理栄養士さんの解説を聞き、愕然とした。

明日は倍走らなきゃ・・・
教え子の那○さんや濱○さんとも再会した。6月過ぎに実習にこられると思うが、楽しみだ。

2008年5月11日日曜日

広島へ第3回EMC事業委員会・2000推進チーム合同会議

5月10日第3回EMC事業委員会・2000推進チーム合同会議に出席した。いつもは大阪での開催だが、今回は西中国部の皆さんとの交流という大きな仕事がある。



写真は会議開始直前のスナップ。


会議が終わり、懇親会。2000推進チーム松○委員長から は鮒寿司の差し入れ。小生は焼酎『小松帯刀』 を持参し、篤姫の元彼であることを紹介する。




懇親会後広島の街へ。二次会では最初の乾杯までは起きていたがあとは寝ていたらしい。しかし!三次会ではお好み焼きをいただく。二次会で食べてないのでおいしかった・・・





翌朝5時過ぎに起床。6時過ぎから広島市内観光(ジョギング)開始。毛利元就が建てた広島城は鯉城(りじょう)の別名を持つ。この周囲を走る1.5kmのコースがあるが、2週走って平和公園へ向かう。




原爆ドームの上空600mで炸裂した原子爆弾は一瞬にして20万人の命を奪う。





広島平和都市記念碑(原爆被害者慰霊碑)や原爆の子像を見る。

資料館は数年前に訪れたがショックだった。

約10kmの市内観光で酒気はきれいに消失した。朝ごはんは味噌汁にジュース、コーヒー、お茶そしておにぎり一個にした。広島YMCAでウエルネス施設を見学し、12時からの佐藤理事を囲んでの西中国部の皆さんとの交流会の準備(新クラブ設立について話すことになった)をした。

20数名の西中国部の皆さんとともに、お互いの本音を曝け出しあいながら、どうしたらクラブや部を強くできるのかを話し合った。

写真は澤○事業主任の話を熱心に聴く参加者たち。


終了後、再びお好み焼き屋さんへ。私と内○さんは昨夜たくさん食べたので、二人で一人前を分け合った。
新幹線とリレーツバメを乗り継ぎ18時過ぎに熊本駅着。病院に戻り、入院患者さんを診て帰った。

今日は母の日。久しぶりに「家族全員で夕食を囲んだ。私の母は亡くなって10年以上経つ。家人の母親が私がお母さんと呼ぶ唯一の人だ。

2008年5月6日火曜日

京都みやびクラブとの交流

熊本むさしクラブと国内兄弟クラブの関係にある京都みやびクラブの創立15周年記念例会と祝賀会に参加するために5月5,6日京都に行った。

5月5日出かけ際、家人が携帯電話とメガネを一緒に渡したのを携帯だけ受け取りメガネを落とした。その為?かメガネのツルが折れてしまった。熊本空港のインフォメーションでセメダインセロテープを借り、応急修理をした。

8時熊本発で9時には大阪(伊丹)空港に着いた。ここから京都までのリムジンバスは大変込み合っていたが、丁度われわれのグループ(10名)まで座ることができた。ラッキー

宿泊する京阪ホテルはなんと京都駅バス停のまん前にあった。徒歩0分を実感する。義妹が訪ねて来てくれたので、金閣寺・龍安寺に行くことにした。実は私は行ったことがないのだ。京都駅のバスターミナルから金閣寺行きのバスに乗る。丁度来た臨時直行便に最初に乗り込む。雨が降り出したが、金閣寺に到着したとたん止んだ。
写真は金閣寺入り口にあった『五用心』いくつか自分に当てはまるかも・・・



金閣寺が湖水に映る姿はさすがだった。足利義満が作らせたものだが、これを見ると黄金の国ジャパングと西洋人が憧れたのが良くわかる。
『新緑と 湖水に映える 金閣寺』




金閣寺から龍安寺までの1.5kmは歩く。龍安寺の石庭も有名。15個の石を見つけるのには苦労した。

帰りも市バス利用。駅で義妹と別れ、ホテルのチェックインを済ませる。シャワーを浴び、スーツに着替えて会場のホテルセントノーム京都へ。わずか数分歩いて到着する。

みやびクラブの皆さんとは5年来のお付き合いだ。メンバーも奥様方も良く知っている。チームワーク良く、お客様の受付や接待をされていた。私たちのテーブルは正面前にセットしてあった。貴賓席!そして初代会長で私たちの交流の生みの親である北○さんがこのテーブルに着いてくださった。 写真は(時間が前後するが、懇親会終了後に撮った記念写真)

アメイジング グレイスを歌う本田美奈子のDVDで会は始まる。M会長の挨拶は堂々として人並みな言い方だがかっこいい。

基調講演で京都市立堀川高等学校校長の荒瀬克己氏による「軸をまっすぐに」。昨年のNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で「『背伸びが人を育てる』・校長荒瀬克己」として放送された人だ。「教育は楽観的でありたい。何とかなる。これからだ。の大切さ」、「人は見たいように見、聞きたいように聞く」、「巧妙に敷かれたレールから外れるのがなまいき」、「なまいきは純粋さと向上心の裏返し」語り口も面白く、流石に国語の先生だった。

記念式典で入会式をしていただく、幸せな新入会員さんが2名。古○さんとTさんのこれからのご活躍とワイズライフのエンジョイを祈る。





第二部の懇親会では、みやびクラブが支援する児童養護施設の子ども達の踊りや歌が披露された。懇親会の中でわざわざDBC(Domestic Brother Club)タイムを作ってくださり、米○むさしクラブ会長の挨拶、記念品(芋焼酎『むさしの想いひ』)贈呈と一人ひとりの挨拶の時間を取ってくださった。

京都みやびクラブの地域奉仕にはしっかりとしたテーマと継続性がある。YMCAへの奉仕とおしてはサバエキャンプ場の緑化への取り組みとチャリティーラン支援。地域奉仕では児童養護施設や視聴覚障がい者施設への支援と鴨川を美しくする活動への取り組みだ。学ぶことの多い兄さんクラブである。
写真は遙学園の子どもさん職員の歌

2次会はホテル内の別会場で、3次会はワイズメンズク仲間のお店『アトランティス』であった。私は皆の計らいで、寝てしまう前にタクシーで帰還。帰還後すぐに寝たようだ。

写真は、ダウン寸前の作者





6日なんと5時前には起床。5時40分から鴨川沿いに上流に向かってチンタラ走り出す。肌寒く、長袖で手袋をしとくんだった・・と反省。しかし朝日を浴び気持ちが良い。
写真は先斗町歌舞練場
鴨川は上流に行くほどきれいになる。鴨川を美しくする会にみやびクラブは協力されている。100数十万都市の真ん中を流れる川であるが、熊本の白川よりずっときれいだ。

水では水鳥が遊ぶ。 『鴨川の 自然を愛で舞う ゆりかもめ』 1時間10分後出雲路橋に到着、引き返す。約13kmのトレーニングは無事終了。

10時にみやびの皆さんがホテルに来てくださった。先ずは城南宮へ。方角の災いを除く方除、旅行安全の信仰に影響を与えてきた城南宮には曲水の宴で有名な平安の庭もあり、ツツジやアヤメがきれいに咲いていた。
『アヤメ咲く 平安を想い 句をひねり』

一路伏見に向かい寺田屋浜から三十石船に乗る。宇治川・高瀬川・が合流し淀川に注ぐ場所に古く栄えた港町。薩摩藩同士の切りあいや坂本竜馬が幕府側に襲われた場所でも有名な寺田屋を見学した後昼食となった。

伏見桃山駅から京都太秦(うずまさ)の映画村へ。紹介している展示映画自体が古く邦画がメインでありアトラクションもあか抜けていないのだが、古き良き時代が楽しめる。17時まで歩き回ったので足が張ってきた。

ホテルに預けた荷物を取り、リムジンバスで大阪空港へ。予想に反してスムーズに到着した。が、また事件が起こった。私の携帯電話が無いのだ!飛行機に預けた荷物に間違って入れたのか?まさかリムジンバスに置き忘れたのか?結局バスにあったことが分かった。これから携帯電話は首にぶら下げることにしよう。

出だしと最後に問題はあったが、とても充実した休日を過ごさせていただいた。みやびクラブの皆々様に感謝!!

2008年5月4日日曜日

阿蘇100km後半


5月4日7時過ぎJR滝水駅集合。今日は阿蘇を100kmの後半52kmの練習会だ。30名弱が集合サポート隊4台(藤○、浜○、寺○、田○)の支援を受け8時に出発した。小生び病院看護師の川○さんを誘い参加。川○さんは5年前までは陸上部長距離だが現在何もしていない。


写真は今回の世話人高○さん後ろの左側3名はサポート隊


出発前の川○さんと私。まだ元気・・・当たり前か



滝水駅から波野村役場(本番では52Km地点)を通り国道57号線を横切るまでは上り坂が続く。




後、産山村役場前の数キロ、産山北部小学校のあたり、合戦群(かちむれ)から外輪山への上りはかなりハードだ。


写真は産山北部小学校前。70kmのエイドが準備される場所。ここからやまなみハイウエイまでの2.5kmは上りがきつい。72.5kmの関門は午後2時40分(9時間40分後)だが、ここでギブアップの参加者が多い。


さて、川○さんもここでリタイアとなった。一緒に走っていたのだが、ここからヤッパリの孤独走となった。





外輪山に駆け上り(急な坂では歩いたが)しばらく平坦な道を進むと、根子岳と高岳(阿蘇の五岳のうちの二つ)が見えてくる。カメラが広角度で撮影できれば、五岳が仏様の寝た姿に見える「涅槃像」と言われる。





89kmから300mの標高差を一気に下る。遠くから見ると象の額から鼻に見えるこの一帯を象ヶ鼻と言う。




駆け下りる時、大腿部や膝にかなり負担がかかる。




駆け下りると、ゴールまでは平坦。しかし下り坂の直後は上り坂に感じてしまう。田植えの最中だった。


しばらくは記録部長さんと併走できたが、すぐに遅れてしまった。



ゴールの崇城大学研修施設に15時過ぎ到着!たーさん7時間で完走!!!なのだが、昨年の日記を読むと6時間35分でゴールしていた!そう言えば昨年の本番前は調子良かった。今からだ。

温泉に浸かり、お弁当を食べ、ビールとワインを少しだけ飲み、JRで内牧から南熊本へ。入院中の叔父さんを見舞って帰った。