2010年10月31日日曜日

教育担当者のためのホスピス・緩和ケア教育セミナー

10月30日、31日福岡市で開催された「平成22年度第1回教育担当者のためのホスピス・緩和ケア教育セミナー(日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団主催)」を受講した。緩和ケア外来や病棟の患者さんを担当する自分にとっては、常に学びながら自分自身の力をアップする必要がある。この会に参加された皆さんは経験もあり、熱心な方ばかりだった。内容も、緩和ケアの真髄に迫るような詳しく、奥の深いものだった。写真は受講修了書。
教育担当の委員をしておられる昭和大学の高宮先生の熱意と工夫、ファシリテーターとして参加された二見、田村先生など全国的にも名を知られている皆さんが実に努力を継続されていることが、その指導ぶりやコメントからも分かった。写真はロールプレイの場面。

30日は懇親会があり、新しい仲間ができた。O師長とH主任を連れて赤坂の「やま庄」にお鮨を食べに行った。うちの子どもの縁で、何年も前から親しくさせていただいている。福岡に来てもいつもバタバタ日帰りなので、お会いできごちそうになれて良かった。

31日早朝、といっても6時過ぎから大濠公園を走った。写真は大濠公園にて。
そして15時45分、無事に講習会は終了した。グループ分けで親しくなった皆さんと今度はどこで再会するだろうか?18時過ぎに病院に戻ったので、入院中の患者さんを診回ってお話しした。ことさらゆっくり時間をとったのであっという間に2時間が過ぎた。
写真は31日会場の福岡市福祉プラザ前は折しも福岡Cityマラソンの給水地点だったのでその準備の様子

2010年10月28日木曜日

気管挿管実習終了おめでとう

阿蘇広域消防組合から気管挿管実習にうちに来られた山〇救急救命士の実習が無事終了した。27日は木枯らしの中、山〇さんや実習に来ている臨床工学科の学生さんらと白川沿い7㎞を走り、おなかを空かせた
。病院近くの韓国家庭料理の店でお祝い会をした。山〇さんは気合を入れて病院近くのビジネスホテルを確保、お祝い会の時流れていたTV番組に彼の近所の特集があり、お父上が登場するなどハプニング?もあり盛り上がった。チジミ、サンゲタン、キムチ鍋などビールや韓国焼酎にぴったりだった。
二次会はプラス1でカラオケ。歴代の実習された皆さんはほぼ全員ここで歌を歌った。マスターがこれまでの写真をPCに映してくれた。

三次会は二人でショトバーに行った。病院に戻り病棟を覗いた、医局に行って椅子に座った途端不覚にも眠りについた。目が覚めたのが5時、頭が痛かったので水分を多量にとり、緩和ケア病棟にある当直室のベッドにもぐりこんだ。8時前には目覚め、ICUカンファレンスに直行した。
山〇さんはうちで13人目の実習生、めでたく院長先生から修了書をいただいた。

そこで二句
向かい風 走っていても 肌寒し
実習の 修了祝い 鍋囲む

2010年10月26日火曜日

赤十字病院

 朝から赤十字病院に行き、心臓外科その他の麻酔につかせてもらった。この病院は自分が研修医時代を過ごし、今のメンバーのうち3名はうちの病院で研修した(当時の上司が自分)で2名はサッカー部の後輩なので、自分ではとてもフレンドリーな病院に感じている。
 今日もメインはM先生の大動脈弁置換の麻酔。昔の自分を彷彿させるような元気の良い麻酔?をしていた。手術の第一助手をしていたH先生から、サッカー部の後輩です・・と言われ、最初は分からなかったが後で思い出した。

 病院に帰ったら、緊急手術で友人が患者として手術室にいた。良かった寝てしまうまでに話せて。午前中会っていなかった入院患者さんを回診して、17時と19時から2つの会議に出席し、今までデスクワークだった。外が寒くなってきた。10月23日が霜降だったが、立冬も近い。
 霜降や 立冬待たず 冬支度

2010年10月24日日曜日

仕事+アルファ

22日金曜日は第17回Cancer Pain Forumで、日本緩和医療学会会長のS先生をお招きしての勉強会だった。講演の前に精神科のJ先生とうちのA先生にも講演いただいた。
S先生は「新しいがん疼痛へのガイドライン」作成までの過程を、裏話を交えながら、また新しい推奨という概念の説明を加えながらお話してくださった。そもそもガイドラインは退屈な読み物であるのだが、裏話を知っていると楽しく読めると思う。終了後場所を変えて食事をしながらお話しする機会を得た。夜は熊本に泊まるそうだが、翌朝9時の飛行機で東京に戻り横浜で講演されるとのこと。日本の緩和医療にとって大切な方なので、体調管理をぜひお願いしたい(自分にも向かってつぶやいたが)。
 23日は午前中外来・病棟で、12時から10年以上慢性疾患を診てきた患者さんの葬儀に出席した。とてもユーモアがあり誰からも愛されたCさんだった。Cさんからの受診予約が土曜の午前中に入っていたのでキャンセルした  。14時から緩和ケア病棟の遺族会があった。1年前から1年半前に緩和ケア病棟で亡くなられた14家族17名が出席された。スタッフは医師2名看護師7名ボランティア2名看護師の子どもさん3名)だった。黙とうの後、挨拶をした。「最初は個人の思い出が、喪った寂しさとともに心を占めるので涙が出てしまうことが多いけど、お話をするうちに良い思い出や、精一杯尽し看取った充実感で笑顔に変わるのです」と・・お話しした。  出席者同士でまたスタッフを交えて話は弾んだ。終了時の記念写撮影には皆さんご参加くださった。また久しぶりに絵を描くことができるようになりましたと、ご自分の絵を寄贈くださったご家族もおられた。

 19時にはむさしYMCAに行き、24日のバザー(蚤の市:不用品バザー)の値付けをした。帰ったのが22時くらいだったが、良く体が動くもんだと感心した。

 24日は入院患者さんの回診の後、むさしYMCAに行き食バザーの手伝いに入った。うちの熊本むさしワイズメンズクラブからは焼き鳥(豚バラ、鳥身、つくね)と焼き芋、メネット会(奥さんたち)が蚤の市の担当。焼き鳥・焼き芋は駐車場にテントを張りそこで野外での販売なのだが、途中から豪雨となり、数回の突風でテントが持ち上がりそうになった。豪雨の中を買いにこられるお客さんには頭が下がった。次第にが風が静まったので大量に焼き、建物内に持ち込んで販売し、完売にこぎつけた。今年のYMCAは「雨と縁がある」。風雨の中でバザーの写真を撮ろう・・・なんて、すっかり忘れていた。

2010年10月21日木曜日

防火訓練


昨日病院の防火訓練があった。火元となる3階の病室近くの渡り廊下に、出演?スタッフが集まっていた。皆さん緊張しており、写真撮るよの声にも反応なかった。午後3時訓練サイレンの音が鳴り響いた。自分は緩和ケア病棟で少し興奮された患者さんに暫く付き添っていた。
昨日は体調悪く不覚にも20時過ぎには帰宅した。小雨の中を娘が車でやってきた。息子婿はうちまで雨に濡れて走ってきた。最近走り始めたという。負けるものか・・という気合というよりも、すこしでも長く走っていたい・・という穏やかな好々爺になりつつある自分に気づいた。婿殿には家の火災報知機を取り付けてもらった。

2010年10月20日水曜日

秋の夜長



 土曜日の不摂生と日曜日の肉体労働で、体は疲れ果てさて月曜日。何とか仕事をこなし、サン・アントニオから私用で熊本に来られたFeyさんを囲んでの会食に参加した。私は日本酒を持っていき、冷酒をいただいた。冷酒は喉をスムーズに通り抜け、美味しいこと美味しいこと。ご自宅を開放いただいたM先生のお心遣いでほろ酔いの至福の時が流れた。写真は集合写真とFさんケーキのロウソクの火消。
 病院に戻り、気になる患者さんをチェックし、医局に戻ったところでまた寝込んでしまった。起きたのが1時過ぎ、土曜のように朝にならずに済んだが、これではいけない。

 火曜日はS病院の手術室に行き、開心術や経食道心エコーを勉強した。さすがにこの病院の手術室はシステマチックで働きやすい。コメディカルの皆さんの意識とレベルが高い。設置しているエコー機器やポンプなどもよく手入れされていた。
 病院に帰って会議を2件済ませた。患者さんの退院時サマリーを書き上げ お亡くなりになって退院された患者さんの自宅に伺った。21時30分とずいぶん遅くなったが、ご家族がとても喜んでくださった。
 先週在宅に移られた患者さんの具合が悪くなったとの知らせを聞いたので、22時30分になったがご自宅を訪問した。ご家族が6時間前に亡くなられた患者さんを囲んでおられた。皆さんと思い出話をした。ずいぶん頑張られたことや、在宅に移る前や移ってしばらく不安だったことをお話しくださった。皆さんから患者さんを支えてこられた充実感を感じた。このようなご家族に看守られてとても幸せだったことだろう。

2010年10月17日日曜日

サッカー部幹部交代コンパとジャガイモ集配

 10月16日秋の集いの後、サッカー部の幹部交代コンパに参加した。今年の西日本医学部体育大会でベスト8まで勝ち残った。ワールドカップのベスト16より良い成績で近年では一番の成績を残せたので集まったOBも多かった。
 西医体の成績発表では、DVDで得点シーンや失点シーンの紹介がなされた。大したものだ。参加OBの中では3番目の年長になった。現役の時に優勝経験があるOBはやはり元気がいい。自分は九州山口大会で1回優勝と数回準優勝なので、少しは良いのだが。
写真は、退任幹部の挨拶と 紹介された得点シーン相手のGKが横っ飛びしているがゴール!
二次会にも参加しワインを飲んだ。病院に寄って代行で帰ろうとしたが、医局のソファーに座ったとたん、深い眠りに入った。







 5時に目覚めた。家人からメールが来ていた。まだ酒気が残っているようなので、代行を呼んだが、丁度ブラックボックスの時間帯で反応なかった。タクシー会社に連絡をとり、1000円程高くついたがタクシー代行で帰った。帰ってシャワーを浴び朝食をとったら、すっきりした。着替えて、むさしYMCAに行った。
 北海道YMCAからジャガイモ460箱とかぼちゃ300箱を送ってもらい販売する。北海道YMCAでは収益を障がい児のプログラムに活用する。我われは収益をたんぽぽハウスの支援、スペシャルオリンピックスの支援、北部タイの少数民族の里親などの資金に活用する。ところが今年は追加注文がダブってしまい、100箱余分に届いた。大変なのだが、完売でお断りしたところに連絡したところ何か所から「それならお願い」と温かい返事が来た。頑張って販売を頑張ろう。今日は総合リハビリテーション学院の学生さん7名が手伝ってくれた。手伝ってくれた学生さんたちは皆礼儀正しくよく働いてくれた。メンバーからまた褒められた。指導者としては鼻が高い。追加の宅配申し込みや、できるだけ配ろうといろいろまわっていたら、帰宅したのが19時半になった。家人には最後まで付き合ってもらった。感謝。
 さて100箱余りのジャガイモが残った。明日からも頑張って営業活動をしよう。10月になると暫く、ジャガイモ販売員との二足ワラジを履く。写真は昼食の会場で、と 参加した学生さんたちと


2010年10月16日土曜日

熊本ホスピス緩和ケア協議会秋の集い

 熊本ホスピス緩和ケア協議会秋の集いを御幸病院で開催した。熊本地区のホスピス緩和ケア病棟で抱える問題を話合い、互いの連携を深めるこの会の今年度から代表世話人を務めさせてもらっている。参加者の自己紹介施設の現状報告の後、5つの問題点を提起し3つの分団に分かれて討議し合同協議でまとめと学びを行った。
 この会に参加とのされる皆さんはまじめに緩和ケアのことや患者さんご家族のことを考えてくださる。がん診療連携拠点病院などとの病診・病病連携など課題は多いが熱心な話し合いは状況を改善するに違いない。写真は会議の後で全員で記念写真。タイマーをセットして皆の中に入った。真ん中の特等席を空けてくださった。皆さん良い人ばっかりだ・・・

2010年10月12日火曜日

龍田山を歩く

 10月11日祝日の昼過ぎ、家に戻って昼食(鹿児島ラーメン)を摂った。娘が来ており、家人は楽しそうに話していた。庭のキンモクセイの匂いに誘われ、龍田山に散歩に行くことにした。



 途中、枝豆の畑があった。将来は自家菜園をして作ろうかなと思った。


 カラスウリやムラサキシキブなどの実のなる植物に出会い、メランポジウムの黄色い花を観賞することもできた。お祭り広場から幸の森に行こうとしたが、「スズメバチの巣あり 立ち入り禁止」の看板があった。あれ以来スズメバチのことを研究している家人ではあるが、予定変更で、丘の上の分譲団地を突っ切って家路につくことにした。龍田山で見る夕日もきれいだった。







 以前、家を作ろうかとこの辺はよく歩いた。残り物に福ありはあるのだろうか?

2010年10月11日月曜日

この週末と連休

10月8日はサン・アントニオでいつもお世話になっていたNさんが熊本に35年ぶりに引き上げてこられたことを記念してささやかな歓迎会を開催した。歴代医師会長や国際交流担当理事、国際交流に参加された皆さん方が参加くださった。
M発起人代表の繊細な気配り、Sさんの名幹事、そして自分の名(迷)司会で会は上品かつ和やかに行われた。一番よかったのがプロジャズピアニストのNさんの演奏だった。料理も美味しかった。

翌土曜日は熊本地区ホスピス緩和ケア病棟秋の集いのつもりで御幸病院に行ったら、なんと来週であることが判明した。手帳をよく見たら、9日または16日と記入していた。決まったらすぐに書き直すこと!反省
10日は教会礼拝に行き、役員会に出た。花岡山山頂の熊本バンド奉教の記念碑の状況が話題になったので、病院に戻り患者さんを回診した後走って登った。途中ハナミズキの葉が色づいていた。
それほど草は生い茂ってはなかったが、焚火をするホールは枯葉で埋まってきていた。





その後18時から病院当直で鍛えられたが、龍馬伝を観ることができたので、良かった。そのまま11日の麻酔科当番に突入した。麻酔科のA先生が日直なので、夕方までは一安心か、それでも救急医療委員会の書類作成をしていたらもうすぐ13時だ。帰って鹿児島ラーメンを作って食べよう。それと原稿がいくつかたまっているので片付けよう。

2010年10月4日月曜日

男の料理・いつもこれ10月3日

鹿児島からの帰りに鶴屋のフーディーワンに寄って材料を買い込んだ。ムンヒョさんが韓国料理を作ってくれるという。私も自慢のゴーヤ・豚肉・玉ねぎ炒めの韓国風(塩コショウの味付けにコチジャンを加える)で一品増やした。それほど辛くはならなかったが、美味しいと韓国の人に褒められたのでうれしかった。娘夫婦も加わったし、2週間ぶりに「龍馬伝」を観たので、良かった!

2010年10月3日日曜日

日韓YMCA医師蹴球交流

日韓YMCA医師蹴球交流の懇親会・歓迎会が10月2日、交流試合が3日に開催した。交流会・歓迎会は鹿児島サンロイヤルホテルで、開会の前に鹿児島県サッカー協会事務所に大邱YMCA医師蹴球団団長のC先生と表敬訪問をした。S事務局長が対応くださった。今回の交流には鹿児島県サッカー協会のK,E常任理事に大変お世話になった。

前回の団長代理から一歩進級した私は団長歓迎挨拶を述べ、C先生が答辞で応えてくださった。交流の生みの親であるS先生は都合で不参加だったが、歓迎会では韓国からの皆様との再開を喜びあった。交流を支えてくださった、K先生やH先生たちの追悼のスライドショーの後黙とうをし、食前感謝・乾杯へと移った。乾杯はP先生とG先生のダブル乾杯。それぞれ感慨深い挨拶だった。鹿児島YMCAのT常議員会議長やN評議員会会長も臨席いただきそれぞれご挨拶をいただいた。各テーブルで話の花が咲き、これまでの思い出や明日の健闘を誓い合った。互いに国の歌を披露し、記念写真や専門科ごとの集合写真を写した。
通訳は韓国の娘(熊大留学時代うちがホストファミリー)ムンヒョとG先生がスカウトしてきた熊大の留学生パクさんが立派に務めた。
二次会はホテルのラウンジに移動した。どのようにこの交流を維持発展させていくのか、来年の開催地のことなど話は尽きなかった。
若手の韓国の先生たちと8名で天文館の小金〇というラーメン屋に行き、鹿児島ラーメンを楽しんだ。友人が経営しているスナックで再び飲んで帰ったが、12時30分だったようだ。

翌3日天気予報では豪雨?しかし桜島の横から上る朝日を見た。午前中は天気が持ちそうというほのかな期待を持って会場の吹上浜海浜公園人工芝サッカー場に向かった。地元のU先生がすでに到着していた。コーナーポストをたて、優勝旗やトロフィーを飾った。開会式は9時から時間通りに始まった。記念撮影のとき、大粒の雨が降り出した。人工芝なのでボールの滑りが速くなるがゲームはできる。韓国チームが1名足りないので、日本チームで一番活躍の期待できるH先生(元国体選手)を韓国チームに加わってもらった。
雨はますます激しくなり、雷鳴がとどろき稲光が見え始めた。韓国チームが1点先取したが雷が近づいてくるのが気になった。15分経過したところで前半を切り上げ、中断となった。着替えが入ったバックはびしょ濡れになった。30分中断後雷が通り過ぎたので再開、自分は若手に後を託して閉会式の準備に取り掛かった。何と恐れていたことが・・・H先生が1点入れてしまった!(点は入れるなと指示し忘れていた)。ここから日本チームの猛反撃、K先生のロングシュートが決まり追い上げムード高まった。が、そのままタイムアップ。我々は友好に徹した。
二試合目は日本韓国で合同チームを作り、地元チームと戦った。疲れもあり、1対1で引き分けたが、これはこれ。
閉会式で優勝旗と優勝トロフィーは韓国チームにに行った。私は準優勝カップだったが、優勝旗は重いので、来年のことを考えると良かった(負け惜しみ)。

近くの温泉で汗を流し、皆さんと昼食をとった。13時前に韓国の皆さんを見送った。17時に福岡国際空港に到着し、19時30分の飛行機に間に合われた。23時に大邱に到着されたことを確認した。
来年は韓国に行く年になる。こっちのほうが気楽だが、人数を集めるのに苦労する。