2014年9月28日日曜日

創立35周年第25回日韓YMCA医師蹴球団交流

熊本と大邱の医師によるサッカー交流は熊本YMCAと大邱YMCAの少年サッカー交流をきっかけとして35年前に始まった。今年は我々が韓国を訪問する年になる。

T医科大に赴任したので、東京周辺にいる熊本大学医学部サッカー部のOBT医科大学麻酔科に籍を置くサッカー経験者にも参加を呼びかけている。今回は東京から自分の他に3名のサッカー部OBT医科大で麻酔を研修中の歯科の先生2名が参加した。27日朝4時起きで438分荻窪発の電車に乗り込んだ。

国際交流なので奥さんたちの参加もお願いしているが、今回は家人とT野先生の奥様が参加する。新宿駅では未だ5時前なのに多くの人たちがプラットホームにいたのでビックリした。これから仕事やレジャーに行く人、仕事や遊びから帰る人なのだろう。写真は混み合う新宿駅プラットホーム
6時前に羽田空港に到着し、635分発福岡行きに乗った。8時過ぎに福岡に到着したが、途中富士山の火口がきれいに見えた。この時点では御嶽はまだ爆発を起こしていない。






福岡国際空港で熊本から参加の7名と合流した。釜山空港にはNo会長ほか3名が迎えに来て下さっており、貸し切りバスに乗って試合会場に向かった。







試合会場はきれいな天然芝の会場で、大邱チームは準備運動代わりの紅白戦をしているところだった。時間がないので着替えてストレッチを始めた。開会式はハーフタイムにすることにして、25分-10分-25分の試合が始まった。






同級生のM瀬先生は「自分は石だと思って動かさないように・・10分しかピッチには立っていないから・・・」などと謙遜していたが、そこそこ走っており前半の25分出場した。前半はT医科大で麻酔の研修をしているA本先生のきれいなミドルシュートが決まった。M瀬先生によると起点になったパスはM先生からだそうだが・・・。




後半になると相手方はぐんと若返った。日本チームも結構形を作ってシュートを打ったが、相手方の連続3得点が響き完全アウェーの試合は13で完敗となった。







T医大麻酔科で研修中のA本先生、J先生も大活躍してくれた。また誘っても来てくれるかな?








優勝旗は重いから置いて帰ろうなど、負け惜しみを言いながらも良い汗をかいた。この後、30 分1セットの互いのメンバーを混ぜた紅白戦をしたが、マークが緩いので44のお互い大量得点で引き分けた。








宿泊ホテルで懇親会会場のインターブルゴホテルは大邱でも有名な高級ホテルだ。シャワーを浴びて着替え、懇親会に行った。大邱の団長の席と隣り合わせて、名誉団長が2名と通訳が1名、大邱市の医師会会長さんたちゲストが2名が同じテーブルになった。
韓国の中学3年生が歌う伝統的な韓国の歌の披露があった。





優勝旗の返還と贈呈、優勝および準優勝の記念品の贈呈、お互いのお土産の交換があった。







自分とT野先生に功労者表彰と記念品が贈られ嬉しかった。
テーブルでは日韓の交流が続いていたが、一番盛り上がったのは奥さんたちのテーブルのようだった。








皆さんと記念写真を撮ったが、光量が足らずに暗くなってしまった。









二次会場のビアホールに場所を移した。来年は東京付近で交流をしたいという韓国の希望があるので何とかせねばならない。
3次会のカラオケに向かう途中、ホテルの敷地で狸と出会った。カラオケのメニューには自分の18番がなかったが、それでも78曲は歌ったようだ。ホテルに帰ったのは1時頃で、家人によると上機嫌でフラフラしてはなかったそうだ。



28日、朝食は前日もらった韓国の饅頭で済ませた。フロントで清算とバス代の徴収をして、バスで大伽耶国博物館に行って見学をした。ガイドさんは70歳ごろから日本を独学で学んだという80過ぎの男性で、かなり詳しく勉強しておられた。






S石先生を大邱国際空港で降ろし、昼食会場へ。
会場には韓国チームの皆さんと奥さんたちも集まってくださった。韓国風豚肉の焼き肉をメインにした食事に、昼間からのビールとマッコリ。もう食べられない位、お腹一杯になった。当初は自分が団長招宴で参加メンバーに昼食をご馳走しようと思っていたが、自分の予定していた10倍ほどの質・量と値段だったのではないかと思う。


朴東述先生は試合には仕事が忙しく参加されなかったが、懇親会と昼食会で存在感を示してくださった。
 






奥さんたちは、ここでも絆を深めたようだ。

バスに乗ったら、そのまま轟沈して釜山金浦空港で目覚めた。毎回ではあるが世話役のキム・ヒーハンさん一家には大変お世話になり空港まで送っていただいた。
空港免税店で沢山購入したメンバーもいたようだ。福岡国際空港で解団式をして博多ラーメンを食べて羽田に向かった。羽田ではA本先生とJun先生と一緒にタクシーで帰ったので、家に着いたのは2330分でシャワーと洗濯をする元気が残っていた。


写真は大韓航空の機内食。実際40分弱の飛行なのでおにぎりと水だった。

2014年9月25日木曜日

送別会

26日はS大学歯科麻酔科のK迫先生と、実験を一緒に頑張ったM田さんの送別会が新宿NKビルのパスタ屋であった。自分はペインクリニック診断研究会の幹事会に参加し発表を半分ほど聴いてきたので遅れたが、まさに宴も酣(または闌:いずれもタケナワと読む)だった。
K迫先生は1年間新しい環境で良く頑張ってくれた。彼女と組むと以心伝心で自分が楽をしている錯覚に陥るようになった。医局の行事には時々顔を出してくれるだろう。






M田さんはこの6カ月余り一緒に実験をしてきた。まだやり残しが多いので、「まむしのターさん」らしく、最後まで追い回すことにしよう。






皆でお店の前で記念写真を撮って、M田さんとS根先生を荻窪駅まで送った。

2014年9月23日火曜日

高尾山に登る

東京に来たら高尾山に登ろうと家人からいつも言われていた。そうしようと思ってはいたが、機会を逸していた。快晴の23日の秋分の日、早起きして中央線と京王線を乗り継ぎ高尾山口駅に着き、そこから第1ルートを歩いて山頂を目指した。






山頂まで3.9㎞のルートは途中急傾斜の区間があるが、舗装されていて歩きやすい。2㎞の地点には、ケーブルカーとリフトの駅があり、そこからは傾斜はかなり緩やかになる。

途中、たこ杉と言われる杉がある。根が張って登山道に邪魔な木だと言うことで切ろうとしたら、一晩のうちに根が幹を丸く囲むように曲がって切られずに済んだと言われる逸話のある杉だ。







この付近からお寺の施設が多くなる。杉の苗を寄贈した人の木版が飾ってあったが、100万本の中に北島三郎さんを名前を見つけた。1100円として1000万円だ。






山頂に着き、富士山の見える方の展望所に行った。良く晴れているのだが遠くが霞んで富士山は見えなかった。それでも満足できるのは日本でも有名なパワースポットである所以か?






家人の願いをかなえポーズをとった。

下山は途中まで第4ルートを選択した。舗装のない山道で、途中につり橋がある。








名もない?小さな花を見つけた。早速M上さんにメールして名前を聞いた。葉っぱの形からユリ科のヤマホトトギスか、ヤマジノホトトギスではないかな?との回答。高尾山には高尾山特有の植物が65種類ほどあるそうだ。





上りに90分、下りは45ほどかかった。上り口に近い蕎麦屋さんで、天ぷらとろろ蕎麦を食べた。紅葉の季節も来てみよう。
写真は蕎麦屋のデザート

2014年9月21日日曜日

家庭サービスの日曜日

朝ランの時、半袖では寒い感じがした。このところ蚊に刺されることもない。
デング熱媒介蚊も消ゆ秋来たり
途中善福寺公園近くの住宅で焦げ臭い臭い?消防車や救急車が来ていたが煙は見えなかった。



車で恵比寿に行き、スーパーマーケットでももちゃん一家を拾った。このままガーデンプレイスに行き、プレイスの出店を見て回った。







イタリアンで野外ランチを楽しんでいると、ウェスティンホテルからファンファーレが聞こえて、馬車に乗った新婚さんが現れた。
三越のおもちゃ売り場のKODOMO PARKでももちゃんを遊ばせた。外に出てももちゃんは家人とかけっこをしていたが、まだ手は伸ばしたまま走っている。




ももちゃんちに行って、お茶を楽しむ。息子が新聞を3種類取っているので、Y新聞を読むのが楽しみ。いちごちゃんは自分のことが好きなのでまとわりついてくる。これも癒し。
帰って、リゾットと野菜サラダを作り家人に振る舞った。何とよいジイジなことか・・・。

2014年9月20日土曜日

第20回大学病院の緩和ケアを考える会総会・研究会

9月20日(土)第20回大学病院の緩和ケアを考える会総会・研究会が日本医科大学橘桜会館で開催された。緩和ケアチーム紹介の新患さんがあり、病院を出たのが11時を過ぎたが、ランチョンセミナー日本医科大武蔵小杉病院腫瘍内科の勝俣先生「診断時からの緩和ケアをどう実践するのか?」に間に合うことができた。化学療法を主にしておられる先生からの緩和ケア医へのメッセージは、転移や再発が見つかった時点で、患者さんの生活の質に注目し、緩和ケア・緩和医療という治療の選択肢の提案、身の回りのことができなくなった際にはどのように過ごしたいのかという終末期の生活に関しての話し合い、最善を期待し最悪に備えることを一緒に考える、患者さんを孤独にせず最期まで見放さないことの約束。治療医に対して意見をどしどし言って欲しいこと、予後は正規分布ではないので余命宣告は無意味であることなど。優しい先生ほど?最期まで化学療法を継続する現実など・・・
「在宅療養を希望する終末期患者への支援~実践例から学ぼう~」はT医科大のK谷Nrsが座長。価値観の違いを知ることや、患者さんの経過を予測できる医療者が患者さんの意思決定を待つことの大切さなど、患者さんに直接関わる看護師のキル口からの学びは多い。
シンポジウムの「もっと近づこう~大学病院と在宅緩和ケア」では日本医科大学の3か所の分院の看護師(退院調整とがん看護)および連携診療所医師がシンポジストであった。この中で在宅医療をしている医師が、大学病院で外来を週二回担当し病棟にも呼ばれて診療をすることで,入院患者さんの在宅療養への不安を軽減し支援しているという事例の紹介があった。
特別講演では山崎章郎先生から「在宅緩和ケア~小平の取り組み~」の特別講演では、家で死ぬということの良いことは、患者さんはいつでも主人公で自由、過剰診療を回避できる、家と言う空間が痛みの閾値を上げ苦痛が軽減、家族の力が変化を述べ、実際に山崎先生が実践しておられる患者・家族との会話の紹介もされたので大変勉強になった。それにしてもケアタウン小平は凄いことを実践している。


最後に、サープライズでこの会の牽引車として頑張ってこられた高宮先生に感謝の花束が贈られた。高宮先生は来年の日本緩和医療学会の会長を務める。

2014年9月19日金曜日

荻窪会

T医科大学の医師で荻窪周辺に住む医師の会(T医荻窪会)が9月19日、荻窪駅北口近く割烹「有〇〇」で開催された。言い出しっぺの眼科のG藤先生と永久幹事?(荻窪で生まれ育ち今もこれからも生きる)の〇崎先生の努力の賜物の会は今回が2回目。
次第に人数が増えていく(この先生の荻窪に住んでいたの?!)。女性医師も数名おられるようだが、今回はお誘いしたが振られたようだ。
さすがに、〇崎先生のお勧めの店だけあって料理もお酒もおいしい。が、芋焼酎の種類が少ないのは仕方のないことだろう。お店は貸し切りだったので無礼講・・えらい先生方も多かったのだが、若手も張り切って飲んで食べていた。昨年は近くの日本酒の居酒屋で二次会だったが、最初からビール、日本酒、焼酎が入り、家人が今日から上京しているというのに、後輩3名に支えられてのご帰還となった。家人はマンションの玄関まで出てきたが?どうして自分が帰るのが分かったのかわからない。目が覚めたのが翌朝だったが・・・ 写真は後で

2014年9月18日木曜日

東京西クラブゲストスピーカー

東京西クラブの9月例会にゲストスピーカーとして参加させていただいた。K谷さんやY田さんから9月号のブリテンを送っていただき、会場のアンサンブル荻窪は自宅から直線距離で300m程で近いことも確かめていた。木曜の夕方以降の医局行事はキャンセルになったが、緩和ケアチームで診ている患者さんで安定されていない方もおられるので、病院を出たのが18時少し前になった。しかし会場は荻窪駅南口のすぐ近くで、約束の18時20分にはセーフで到着し卓話の準備をした。

幾人かのメンバーは熊本にしクラブのチャーターなどを通して存じ上げていたが、ほとんどは初対面に近い。しかし。ワイズメンズクラブの仲間とは、ずーっと前から親しくお付き合いをさせていただいている気持ちになれるからうれしい。食事に出た浅草今半のすき焼き弁当はおいしい。担当の方が弁当には気を使っておられるという。その「おもてなし」がまたうれしい。木〇会長はしばらくの休養からリハビリ中で今は30ワットですと言われていたが、お元気そうで安心した。
 テーマは「あなたは『がん(の痛み)』とどう付き合いますか?」で、7月に市民公開講座で話した内容をさらにブラッシュアップし、ワイズメンの共通する話題を付け加えた。重い内容ではあるが、笑いも取り入れるように、また双方向になるように心がけた。参加された皆さんは、自分より先輩が多い。日本のがんサバイバーは500万人を超えており日本人の20名に一人は「がん」を体験している。話の後、皆さんの感想をお話いただいたが、今日の参加者19名中少なくとも3人以上はおられたようだ。

 
痛みをはじめとした諸症状をうまくコントロールすることは、治療を受ける上でも治療から離れて自分らしい最期を迎える上でも重要であることを理解いただけたと思う。数名の方からお礼のメールをいただいた。
会終了後、荻窪駅南口の「〇民」で二次会を開いていただいた。楽しそうにわいわい話している我々のグループを見て、先に来ていたお客さんが「どのようなグループの方ですか?」と興味を示してくださった。月に一度はここでの二次会に参加できるかもしれない・・・などど思った。東京西クラブの皆さん、また参加させてください!ありがとうございました。

2014年9月16日火曜日

富岡製糸場と伊香保温泉

マウスが動かなくなったので、こじ開けて息で吹いたら動き始めた。
13日、三度目のリゾットつくりに挑戦した。味が今一だったので、コンソメを溶かしてかけて混ぜたら味が良くなった。三度目の正直だった。

14日、車も長いこと長距離を走っていない。8月に車検をしたのでそろそろ可愛がってやらねば・・・と思っていたら、富岡製糸場の記事が目に飛び込んだ。ネットを調べると、関越自動車道を使えば2時間程度で着く。群馬だから草津温泉、伊香保温泉が近く?にある。

三連休の中日だけあって高速道路は混んでいた。オートバイの遠出も多く2.3件の事故処理を目撃した。2時間の予定が3時間半要した。富岡製糸場を回りには観光客を対象にした店が多く、駐車場も多いようだ。幸いに入り口近くの駐車場に車を停めた。





団体さんで既に入場券を持った人以外は発券場を先頭に並んだ。長蛇の列・・だったが、意外に順番は早くやっていた。






団体さんのガイドさんの説明に聞き入った。が、このペースだと時間がもったいない。説明ボードが数カ所に展示されているので、ボード利用の見学にした。

製糸を指導したフランス人の館跡は入れず、数カ所が復元工事中だった。




名物のシュウマイで腹ごしらえをし、伊香保温泉に向かった。温泉に続く一本道の渋滞には閉口したが、無事市営(渋川市)駐車場に車を停めた。

伊香保温泉名物の階段は360段くらいあるようで頂上には神社があった。








その先20分ほどで、アイススケート競技場や室内アイスホッケー場があるスポーツ公園があった。






階段から眺める下界の盆地や向かいの山々はきれいだった。日帰り温泉の施設も多く、一風呂浴びて疲れを癒した。

帰りは混むこともなく順調に帰ったが、くたびれた。

15日、風呂掃除でネット検索したら、浴槽にキッチンハイターを入れて汚くなった風呂のふた、腰掛、洗面器を入れると良いと書いてあったので実行した。塩素の臭いがきついので、換気扇を回して窓を開けた。1時間ほどできれいになった。



善福寺公園まで走った。途中見たこともない鷺が善福寺川にいた。患者さんに教えてもらったアオサギだ!手持ちのスマートフォンカメラでフラッシュ付きで写した。どうやら光量が足らず、妖怪のようなアオサギになった。しかし後日患者さんに見せたら、「なかなかきれいですよ」と慰められた。




16日、燕三条に向かう上越新幹線は埼玉県を縦断し高崎周辺を走る。前々日の関越自動車道などから見た風景と重ね合わせた。

2014年9月13日土曜日

秋らしくなった

夜になると秋の虫の音が聞こえる。
9日の新潟は、手術が6時間以上かかったので、最終新幹線で帰った。家についたのが翌日だった。スーパー満月は曇っていて見ることができなかった。娘の誕生日なのでお祝いのメールを送った。
10日、久しぶりにクルズスの学生さんに集中講義。聞きなれない緩和医療の言葉や薬が飛び交う。オピオイド鎮痛薬に最も多い副作用3つの質問に、コックリコックリしていた彼に「眠気」と答えてもらったので。落ちが良かった。皆快活に講義を受けてくれ反応が良い。個人情報があるので、写真は大きくならないが、集合写真を撮った。



12日、整形外科に新しい教授が2名就任され就任祝賀会に出席した。今日は麻酔科関連の研究会が複数同時開催なので、麻酔科・緩和医療部の代表として・・。同じテーブルの皆さんとはお話しできたし、アギーレジャパンのチームドクター、カトリーヌ先生ともお話しできた。


綺麗なお花をいただいたの持ち帰って自分の部屋に飾った。








13日、朝ラン1週間ぶり??ずいぶん涼しくなったが、まだ善福寺公園の蝉は元気に鳴いている。善福寺川沿いの家の塀に朝顔が咲いていた。










荻窪神社の祭りが今日あるようだ。休日だが病院に行き、術後患者さんを回診した。
遠くより聞こえる笛の音秋祭り