2009年9月27日日曜日

ゴールのリベンジ


一年ぶりに県サッカーリーグの試合に参加した。韓国との試合で得点できなかったリベンジを兼ねる。
結果は4対1での完勝。今年度県リーグ勝利。2点先行した後1点返され、苦しかった時小生のシュート決まる!喉から手が出るほど欲しい時の得点だから喜びは大きい。
終了後記念撮影をしたが、なぜか動画になってしまった。しかしブログには写真で掲載できた。

前半は久しぶりに参加したご褒美に先発となる。但しこの試合は公式戦ではあるが出入り自由。

一点目 オウンゴール(相手のが触ったボールが浮き玉で相手GKへ。柳Drが詰めたところ、GKがトラップ失敗しそのままゴール)
二点目 吉村さんのたてバスが抜けたところを近森Dr抜け出しGKをかわしてゴール ここで前半終了2対0でリード
後半開始早々
(相手方1点目・・詳細は覚えていない。前半残り10分からベンチだったので良く見てなかったがきれいなゴールだった。いやなムードとなる)
三点目(残り10分で再びピッチへ。右からのパスを受け、バックを一人かわしシュート。キーパーにはじかれたが、ボールは相手のバックに当たり未だゴール前にあり。そこを必死にゴールに押し込む。」所謂ゴキブリシュート。(ちっともキレイデナイという意味)味方は大喜び!!!後半の後半は若手で固めて50代は代わってもらいましょうと言ったのは誰だ!!
四点目 右から岩下Drドリブルで持ち込む。中央に走りこんだ小生、ここだ!と叫ぶが、無視してシュート。悔しいが一番きれいなシュートだった。勝ったから良いか・・

この後、家に戻ってシャワーと昼食。そして亡くなられた担当患者さんの葬儀に(娘さんのご一家とはお付き合いがあった)参加した。病院に戻り、診断書や介護保険の主治医意見書作成、患者さんを診てカルテを書いてたら18時過ぎた。19時に家に帰ったら、家人から早かったねと誉められた。日曜日はやっと終わった??夕食が済んで、託〇中学校の生徒さんからきたアンケート(救急医療に関する)の返事を書いてFAX送付、ワイズのブリテン原稿書き、SON15周年記念行事実行委員会の議事録を作っていたら1時になってしまった。日曜日は直ぐに終わってしまった。
実は夕食後、姉から電話があった。今日は教会の礼拝司会ではなかったの?と言う。絶句・・・怖いので予定表は確認しないでおこう。アーメン

2009年9月23日水曜日

日本医療マネジメント学会九州山口連合大会

 シルバーウィークの前半2日間は日韓親善試合の「弾丸ツアー」中一日は一日中病院で仕事で夜は長男夫婦と長女とフィアンセのU太君と会食をした。長男の嫁のAさんとU太君は非常に私に優しい。弾丸ツアーで疲れていたが、元気を取り戻した。
 後半2日間は福岡国際会議場で日本医療マネジメント学会九州山口連合大会に出席。朝早く出ないと遅れるので早起きが続く。
23日のシンポジウムで麻生前首相の弟さんがシンンポジストとしてお話しされた。顔は良く似ており声もそっくりだった。弟さんのほうが素晴らしく見えたのは間近で講演して下さったから?

2009年9月21日月曜日

日韓YMCA医師蹴球親善交流30周年第21回大会

 日韓YMCA医師蹴球親善交流30周年第21回大会が大邱で開催された。1979年9月16日熊本ドクターズ(熊本医師蹴球団)を中心とした九州の医師混成チームが熊本YMCA/大邱YMCAの交流をきっかけとして、大邱YMCA医師蹴球団と試合をしたことに始まる。以来紆余曲折、10年間の中断の時期を含めて21回目を迎えることができたことに感慨を覚える。
9月19日9時発のビートルで博多港国際ターミナルをあとにした。対馬海峡はおそらく3mの大時化で高速艇ビートルは木の葉のように揺れながら釜山港に向かった。「大波を 被りてビートル 釜山港」
今回のメンバーはプレーヤー7名(サッカーは7名以上11名で試合できる)家族9名うち子ども5名。大邱チームから4名メンバーを借りることになっていた。釜山港から釜山駅まではシャトルバス900ウォンで10分で到着。めいめい昼食を買い込みKTX(韓国の新幹線)に乗り込んだ。車中で昼食を摂り、メガネをコンタクトレンズに変えた。「車中にて コンタクトを付け 気合入れ」
 東大邱駅には大邱YMCA医師蹴球団の張団長ご夫妻と、金さんが出迎えてくれた。バスで会場へ。大邱市内にある素晴らしい天然芝のグランドに到着した。1年ぶりに友人(大先輩を含む)たちと再会を喜び合った。「再会を 喜ぶ間もなく 試合かな」開会式ではこの一年菅に亡くなられた小〇先生と橋〇先生の黙祷が行われた。


 試合には急遽、12歳のK君をメンバーに加え、3名をお借りした。1名はGK,1名はトップ下、1名は守備にはいてもらった。前半早々、K君が大人の突っ込みにひるむとそのまま右サイドを破られセンターリング中央でシュートを決められた。やはり子どもは無理なのか・・・しかしK先生(K君のお父さん)が俄然張り切る。中盤で溜めを作りK君やS先生とキープ、右からI、T先生が切り崩し、左から私が切り崩す。そしてトップ下のA先生(韓国からの借用メンバー)のシュート決まり同点。その後も韓国借用メンバーの活躍で3対1で勝利した。日本人ゴールが無いのでなんだか勝たせてもらったような気がした。私もドフリーでのシュートチャンスがあったが決められず・・・試合後に両国チーム連合と韓国の若手チームの試合をしたが、その時はアシストをした。しかし良く走った・・・二試合目の後半には退き、韓国のお酒を皆さんとピッチの外で飲んでいた。
「秋晴れや 勝たせてもらった 日韓戦」

 優勝旗をいただいたのだが、帰りの荷物が増えた(余裕)優勝カップは近々開業するI先生のクリニックに飾ってもらうことにした。懇親会ではこの大会の生みの親である宋先生や育ての親である朴先生からのメッセージが印象に残った。
この交流が始った頃の状況から、世代交代の時、私と張先生に後を託したいとの話しもあった。毎年VICTORY DANCEをしてくれる朴(東)先生は相方の小〇先生がおられないので、少し淋しそうに見えた。日本留学中にうちでホストファミリーをしていたムンさんが大田からわざわざ来てくれて通訳をしてくれた。若手の先生たちと二次会、三次会へと繰り出した。何時に帰ったのか憶えていないが12時前でしっかりしていたようだ。
 翌20日、張先生ご夫妻、朴(東)先生の奥様金さん、金さんご夫妻に見送られてバスで大邱を出発。
金さんご夫妻とムンさんも釜山までお付き合いをしてくれた。釜山で国際市場やチャガルチ市場を見学して買い物、ブルコギ定食を食べて釜山港に向かった。15時15分発のビートルが欠航・・思わずひやりとしたが、15時発のコビーに席が確保されていた。帰りは凪、博多港国際ターミナルで解団式を行った。
 5人乗りの車は途中山鹿の後藤先生宅に立ち寄り表敬訪問をし、熊本へ。帰宅したのが22時だった。日韓YMCA医師蹴球親善交流30周年第21回大会の弾丸ツアーはこうして幕を閉じた。

2009年9月8日火曜日

無駄な時間

 2003年8月1日~15日にかけ、ユーロッパは猛暑に襲われ、フランスではこの間に15000人が熱中症で亡くなったという。他のヨーロッパ諸国も同様に猛暑であったようだが、フランスのような数の死者は出なかったという。その理由は?バカンスの真っ最中で医療機関の機能が極度に低下していた時期に重なったからだ。
フランスでは夏に病気になってはならないという言葉はうそではないようだ。人生は楽しむ為にある、医療関係者も夏休みを楽しむ権利がある・・・またそれを許すフランス人の気質を感じる。
 官僚たちの夏という城山三郎の本を読んだ。命がけで将来の日本を思い仕事に打ち込む官僚を描いた小説であるが、その中に、仕事は要領よく自分の時間を自分のために使う、当時では(池田総理から佐藤総理にかけての時代)先進的な官僚も登場する。趣味や交流を通して人脈が広がり,仕事の面でも大いにプラスになっている。
 昨夜NHKテレビのプロフェッショナル・・で46歳慈○医科大学血管外科教授が紹介されていた。患者さんののために不眠不休で働く教授の力の源は、患者さんからの感謝の言葉だった。
 もうすぐ21時消灯時間だ。先ほど緊急手術の患者さんを病棟に帰した。入院患者さんの指示出しを早くしなくっちゃ・・。今日のやらねばと思っていたことがまた明日に延びた・・

2009年9月7日月曜日

あっという間の1週間

帰省したと思ったら1週間が直ぐに経ってしまった。月曜病院運営委員会、火曜SON熊本の世話人会、水曜麻酔科当番、木曜むさしクラブ例会、金曜坂本先輩のジョイントコンサート、土曜日胸腔鏡下交感神経遮断研究会(福岡市)帰りに桜〇字病院に転院された2人の患者さんのお見舞いと盛りだくさんの予定が入った。入院患者さんのカルテ書きは何時も21時を過ぎていた。
今日は早起きして北バイパスを10km走った。病院に行き回診し教会礼拝へ、13時~花岡山山頂にある熊本バンド奉教の碑周囲の清掃奉仕をした。暑かったが身体は紫外線を求めていた。そう言えば、金曜日のTKUの番組で先週インタビューを受けた熱中症の解説が放映されたと言う。土日と続けてゴーヤの味噌炒め(中身はゴーヤ、ニンニク、ニラ、玉葱、エンリギ、豚肉、麦味噌とミリン・塩コショウ)を作った。なかなか美味しかった。
11月8日のスペシャルオリンピックス日本(SON)・熊本が開催する地区大会と九州ブロックサッカー競技会の開会式で県警音楽隊に出演をお願いするための書類作成、9月19,20日に韓国にいって日韓医師サッカー交流をするので資料作りをしていたらまた1時を過ぎた。やはりギリギリにならないと動き出さないのは何故?今月中に申請書類を仕上げないといけないのが緩和医療学会暫定指導医、続いて日本麻酔科学会指導医更新がある。これで新型インフルエンザに感染したら眼も当てられない。うがい手洗い、咳が聞こえたら直ぐマスク。うちの病院は外来及びその周辺では必ずマスクが必要だ。
 咳聞こえ 直ぐにマスクを かけ直し