2012年5月30日水曜日

ナス、ゴーヤ(レイシ)とスイカが届く

日曜日に自宅に戻り、洗濯を始めた。午後8時過ぎに続々宅急便でナス、ゴーヤ(レイシ)とスイカが届いた。ナスとゴーヤはM永さんから、スイカはI本さんから。目下単身生活なので、病院に持って行くことにした。
月曜日、夕から検証委員会があった。症例担当医のT端先生が良く頑張って発表し、またO田先生も学会準備で頑張っているので、さつきに誘った。また3名が加わり、日向の美味しい焼酎は瞬く間になくなった。帰りはO田タクシーに乗せてもらった。自宅近くで降ろしてもらったが、これからもひいきにしたくなるようなタクシーだった。ねっつ!O田先生!!
火曜日はももちゃんちにナス、ゴーヤ(レイシ)とスイカを届けた。ももちゃんは寝ていたようで、家には入らずに長男に渡して帰った。帰ってナスとゴーヤを一本ずつ使った料理を二品作った。ご飯と味噌汁も直ぐにできるように準備をしたが、二品だけでお腹一杯になった。
しばらくはカーボローディングの期間なので良いことにした。
水曜日、長いこと溜めていた仕事がようやく出来上がり光が見えてきた。明日には一緒に仕事をする先生に送れそうだ。

2012年5月28日月曜日

長井さん記念会

名古屋ワイズメンズクラブで初代クリスチャニティー特別委員会委員長の長井さんが亡くなられて一周年の記念会が名古屋で開催された。
新幹線で名古屋駅まで行ったが、途中富士山のきれいなこと。さすがに日本一の山だと思った。名古屋駅から地下鉄東山線に乗り換え栄で降りると、会場の名古屋中部教会は目の前だった。
教会に入ると、ワイズの友人たちが受付をしていた。奥の部屋が記念会場になっていた。大阪の森〇さん、神戸の藤〇さん、和歌山の永〇さんご夫妻がおられるテーブルに吸い寄せられるように座った。長井さんの面影を残すお嬢さんが、ケーキをテーブルに運んでこられた。長女さんだった。奥様ともお話しすることができた。名古屋の皆さんとも話をして握手をした。名古屋以東からの出席は自分だけのようだ。
司会の成〇さんは長井さんの良き友人で、記念会の雰囲気作りに気遣いユーモアを交えながらの進行だった。紹介された聖句や讃美歌は長井さんが好きだったのだろう。牧師さんのお話しも聴きやすく、目を閉じていると長井さんの姿がうかんできた。

出席者の数名が長井さんの思い出を話すことになった。闘病中、抗がん剤がかなり効果があった時期があったので、長井さんに「抗がん剤は当然のこと、祈りと笑いとヤクルト・ヨーグルト(乳酸菌を補充して腸内で作られる免疫細胞を増やしましょうのつもりで免疫力を高めようね)」と話していた。長井さんはあちこちでその話しをしてくださった。他の人がその話しをされたので、自分はクリスチャニティー特別委員会に誘われた時、委員長に指名された時の裏話をお話しした。あと一年で次の委員長にバトンタッチをするが、難しい問題でもうまく解決してくださった長井さんのことだろうから、きっと〇〇さんが引き受けてくださるように天国から力を貸してくださるだろう。二次会は遠慮して帰ったが、新幹線の中でいろいろ考えていた。

2012年5月27日日曜日

スイカが届いた!

熊本の玉東町でスイカを作っているきよたファームの〇田啓治さんとは20年以上のお付き合い。大きなおいしいスイカ(吉次峠スイカ)を栽培している。家人に頼んで大玉を2玉大学病院に送ってもらった。早速U野先生から「スイカが届いたので、食べてよいですか?」と催促の電話があった。丁度医局隣の部屋にいたので医局に行ったら、伊〇先生、岩〇先生、金〇先生らとむさぼるように(失礼・・・)食べておられた。さすがに〇田さんのスイカだ!こんなに喜んでもらえると自分もうれしい。
あと一玉は手術室の麻酔医室にあるという。すでに無くなってるかな?と思いながら行ったら、リーダーの柿〇先生が、「先生が来られるまで待っていました。切っても良いですか?」との言葉。礼儀正しさに感激して目が潤みそうになった。
麻酔に従事している研修医の部屋に行き、10分間休憩!と言って交代した。帰ってきた研修医たちは、スイカが美味しかったと言ってくれた。
新都心集中治療懇話会と研修医のお疲れ様会が重なった。19時過ぎからの懇話会に先ず出席した。重症肺炎へのECMOの実践例がK大学から紹介された。20時半まで懇話会にいて、質問もした。そしてお疲れ様会に移動。
板〇先生、佐〇先生、猪〇先生に囲まれた席に座った。飲み放題コースらしく、30分しか残り時間がなかったようだが延長はできるようだ。折角なので皆と記念写真。A井先生が写真を撮ってくれたので、彼女を一人写してあげた。締めの挨拶は自分が担当した。



かなりくたびれたが、U先生が「さつき」にいこうと誘われたので、喜んで行った。珍しい焼酎を持ち込んだが、あまり飲まなかった。明日はO先生と学会準備に命を懸ける。

2012年5月24日木曜日

ホワイトソックス

さてO嬢の予演会は予想どおり炎上し、灰になってしまった。その中から実あるものを取り出し再構築せねばならない。獅子は子を谷底に突き落とすが、T医科大では谷の上から石や岩を落とす・・・ 再挑戦までに準備せねばならないことは多いが、先輩たちから丁寧に指摘されたのできっとできるだろう。
最近、寝ていてもふくらはぎが攣るようになった。走りすぎだろうか?
「ふくらはぎ走りこむたび太くなり」の世界は良いとして、攣ると目が覚める。




日焼けの手足は一回脱皮したので「ちょっと日焼けが褪(さ)めたかな」と思ったが、靴下を取ると白いソックスを履いているように見える。これがホワイトソックスなのか・・?

2012年5月21日月曜日

日蝕とクルズス

今日は皆既日食。眼鏡屋さんでもらっためがねを持ち、病院近くのMでかったハンバーガーとホッとコーヒーを持って病院敷地にある図書館の前に座った。ここは観察には一等地。
隣に座った、多分患者さんの若い男の人や通勤で前を通る同僚にメガネを渡して、皆で観察した。写真は日食観察をしている職員たち?

意外だったのは、かなり太陽が月で隠されているにも関わらず、太陽が明るく周りが暗くならなかったこと。自分の一生で見るのは、これが最後だろうなと思いながら見ていた。



今日の手術は普通10時間はかかるだろう、Poly surgeryで癒着のひどい下部胆管〇の手術だったが、チームワーク良く7時間かからなかった。ICUに移動してスタッフに引き継いだ。
クルズスの学生さんはは6名のグループ。質問を浴びせながら鍛えた?が、みな頑張って答えたので、ご褒美に熊本で写したデジカメを披露した。
今日から日本麻酔科学会の予(行)演(習)が始まった。自分が指導している沖〇嬢から昨夜発表原稿(パワーポイント)が送られてきたが、まだまだの内容。7時過ぎから2人でやり直し作製をしたが、内容は大いに不満。明日の予演は大丈夫だろうか?彼女は楽天家なので心配はしていないが・・・

2012年5月20日日曜日

根子岳一周36Km

朝5時半起きでてれっとウルトラマラソンクラブの練習会の準備を始めた。自分で車を運転する予定だったが、金曜の夕に奥〇事務局長から電話があり、「練習会が終わったら(アルコールを)飲まんとつまらん(面白くない、男じゃないという意味か)」との指導だった。
水前寺駅前まで行き、仲間の車に便乗させてもらった。天気は曇りで時々雨がぱらついた。スタート地点の高森温泉館で着替えたが、風が冷たい。ジャージの上下を着て走ることにした。
走り出して数キロで、猛烈な腹痛が襲った。昨夜の暴飲暴食の付けが来たと思った。トイレは20km先なので、山中に駆け込み・・・・した。すっきりしたところで快調に走り始めた。最初のエイド奥〇さんご夫妻は店じまいをしようとしていたが何とか間に合い水分補給し、ジャージを預けた。
2番目のエイドでKさんに追いついた。田〇さんと平〇さんがボランティアエイドを担当くださる。
箱石峠で記念写真を撮り、下り坂を7-8キロ飛ばす。
途中ねむの木を見つけた。
鉄扇(てつせん)が咲いていた。東京は既に散っていたが・・・。「鉄扇や東京は散り阿蘇は咲き」
宮地駅でエイド、スイカとトマトが美味しい。
根子岳と高岳を結ぶ日の尾峠に向けて山登り。ここもKさんと伴走する。つつじが満開の垣根があった。
日の尾峠まで数キロ地点に奥〇亭(エイド)発見する。
ごちそうは、ソウメン!!そしてビール。もう少し上れば下り坂が続く。
峠を越え、食虫花のコブラ花を見ながら温泉館に到着。ショートカットの道ができていたので、36kmの練習会だった。
温泉の後の皆さんとの宴会が楽しい。
松〇さんに家まで送り届けてもらった。
娘夫婦は今日が引越しで、夕食にやってきた。ひなちゃんと遊んだが、18歩も歩いたのには感激した。
ママのピアノ演奏には興味を示し加わっていたが、上手く調和していた。ジジバカか?
最終便で東京に、明日から日常が始まる。

家族会と熊本麻酔学会・同門会

5月19日熊本地域医療センター緩和ケア病棟の家族会と熊本麻酔学会・同門会参加の為に熊本に行った。
家族会ではこれまでにない多くのご家族が集まってくださった。この一年間は離れていたので1/3の方々は,初めてお会いするご家族だった。自分が担当した患者さんのご家族が5名来られていたので嬉しかった。
また、リピーターのご家族も増えてきた。同じ頃ご家族を看取られたご家族は、いわば戦友みたいな気持ちになれるのだろう。皆さんのお話しを伺いながらそう思った。
ボランティアの方々も参加してくださる。家族会に参加されて、自分たちこそ勉強させていただいていると話してくださった。患者さんやご家族に、まさに「スピリチュアルコミュニケーション」を実践しておられると思う。
病院から歩いて上通りに向かった。途中のめがね屋さんで、日食眼鏡を買いたいと言ったら、一個分けて下さった。自分の眼鏡は別のめがね屋さんに頼んでいたので、そこに行くと既に出来上がっており、調整をしてもらった。
麻酔学会・同門会の会場はキャッスルホテルで、U野先生の招待講演から参加した。朝に大学でM下先生の研究発表を聞いていたので、ほとんど理解できた(自分の成長が判った)。
懇親会では主賓席に座らせていただいた。同門会なので先輩方も沢山来られていたので、できるだけ各テーブルを回り挨拶をした。
主賓席の先生方と記念写真を撮ったが、足もすくみそうな大先輩ばかりだ。
懇親会が終わり、馬肉の店にY本先生とM瀬先生と一緒にU野先生をお連れした。さすがに専門店だけあって、種類も多く堪能できた。
締めは熊本ラーメンということで、銀座通りの味千ラーメンに行った。アラカルト?ラーメン一杯1000円だが、さすがにこの値段だけのことがある!ニンニクが味を引き立て、U野先生好みの口の中にいつまでも味が残るようなラーメンだった。
帰って、スーツを脱ぎ捨て、直ぐに寝たようだ。が、翌朝大ひんしゅくが待っていた。家中がにんにくの臭いで鼻が曲がりそうだと言う。朝ごはんを少しだけ駆け込み、ウルトラマラソンクラブの練習会に向かった。

2012年5月17日木曜日

新入医局員との会食

5月16日新入医局員との会食があった。会場は病院近くに移転新装なった〇福、以前ふぐを食べたところだ。今回は鴨料理アラカルトで、大変おいしくいただいた。
U野先生は、自分と4月からT医科大にK大学からきてくれたT端先生の3名での写真を撮って、K大学での講演の時に紹介すると・・言われていた。が、仕事中の時の写真も紹介しないと、毎日宴会をしていると誤解される。




今日の会を企画してくれた濱〇先生は当直で不参加、病院を出る時、2件の手術が行われていた。






そして翌日、病院に行ったら次々に緊急手術が来てオールナイトで頑張ったようだ。ご苦労様、こんど「さつき」に連れて行ってあげよう!

統計を診たら、これまでのアクセスが57000件を超えていた。感謝。

2012年5月14日月曜日

ファミリーハウス講演会とスカイツリー

5月13日ファミリーハウス講演会が銀座の十字屋ホールで開催された。ファミリーハウス(FF)は東京地区の「長期入院している子どもの親のための宿泊施設」をボランティアで組織されているNPO法人だ。家人が熊本のたんぽぽハウスのボランティアを15年以上しているので付いていくことにした。講演会の演者が聖路加国際病院緩和ケア部長の林章敏先生で、しかも一般向けに「大切な人とのスピリチュアルコミュニケーション」がタイトルである。スピリチュアルを説明するのは難しい。どのように語られるのか非常に興味があった。
会場に入ると、FFの事務局長の方から、理事長や林先生を紹介していただいた。演者席から遠い前から二番目の席に座った。初めは稲川美穂さんのハープ演奏で会場は穏やかな雰囲気になった。演奏会だけで満足・・・になりましたので、もう帰ろうかなと思った方もおられるのでは?との林先生のイントロは、聴衆の笑いを誘った。




林先生のお話をお聴きしながら、スピリチュアルとは、「魂を揺さぶられるような」ことを言うのだと思った。身の回りのことができす、寝たきりになったとしても、医療やケアを通して自分たちはその人の人生を学ぶ。「ありがとう」の言葉で勇気と喜びをもらう。
FFの活動自体が、子どもたちの親たちにとって、くつろぐを提供しているという素晴らしいスピリチュアルケアを提供しているというまとめの言葉が印象に残った。
銀座の歩行者天国を東銀座駅に向かって歩いた。ウィンドショッピングなどとしゃれ込むと時間がかかる。中央通りの真ん中を歩かなければ意味がない。
東銀座駅から都営浅草線に乗り、押上駅に向かった。東京スカイツリーを開業前に観てみたいと思った。



押上駅を出てあたりを見回すがスカイツリーがない。真後ろのビルの陰(このビルに照明をあてたりするそうだ)になっていた。あまりにも近いので、高さが実感できない。写真を撮るが、逆光になり、うまく取れなかった。スカイツリーの切手を購入して帰ることにした。
母の日なので、義母に電話をした。家人を連れて近所の豆腐料理の和食の店に行った。

2012年5月13日日曜日

日本Schock学会

日本Schock学会が5月11,12日永田町の砂防会館で開催された。ミトコンドリストの道を選択した自分にとって、大いに参考になる学会であることに間違いない。11日の特別講演ではECMO(体外循環による呼吸不全治療)の話があったり、12日の会長賞候補演題の発表には敗血症による臓器不全はしばしば話題に上がった。基礎にしても、臨床にしてもここまで進歩しているのか・・・と思った。重症肺炎と診断され強力な化学療法が施されたにもかかわらず反応しなかった患者さんの聴診をしたところ、心雑音を認め心エコーで僧房弁の逸脱を認めて緊急手術(僧房弁置換)で改善した発表には、自分たちが大切にしている、視診、聴診、触診、打診などの基本診察の重要性に目を向けさせるものもあった。
数年後にはここで発表したいと思ったが、それにしてもこの二日間で脳は腫れあがり、鼻血が出てくるのではないかと思うくらい勉強した。
家人が熊本から来てくれているので、12日はまっすぐ帰った。あるのもので準備したという夕食を見て一品そえようと思った。3回目の挑戦になるが、スペイン風オムレツを作った。見かけだけは一番豪華にできた。

2012年5月8日火曜日

仕事再開

手術室では帽子にマスクなので顔は目立たない?が腕の日焼けが痛々しい。「どうしたのですか(日焼けが)?」の問いには、「高地合宿」と答えた。
学生クルズスでは、眠らないように要所要所で質問し、最後には今日一番印象に残ったキーワードの質問をした。「ECLA」{ECMO」「ウルトラマラソン」と答えた学生には、閻魔帳に◎をつけた。そして記念写真。





ECLAで危機を脱した患者さんがきょう退院された。わざわざICUに挨拶に来られたので、皆で記念写真を撮ったが、涙が出るほどうれしかった。
一年ぶりに術者でCVカテーテルを挿入した。右内頸静脈からエコーガイドに穿刺したので、解剖が良く分かった。助手をしてくれた初期研修医のサンマ君と「さつき」行って乾杯した。関〇先生もあとから駆けつけてくれた。
帰りも走ったので、5月に入って127㎞走った。これでないとウルトラランナーとは言えない・・・などと」勝手に思った。

2012年5月6日日曜日

メガネを注文し教会へ

100㎞走破を達成し、快晴の空を見て思った。今日はゆっくりしよう。めがね屋さんに行った。お気に入りのメガネは度が合わなくなり、フレームがプラスチックなので全体に緩くなっている。思い切って新しいメガネを作った。次に来るまでにはできているので、本番ではそれをかけて走ろう。
教会の礼拝に行った。姉が受付当番をしていた。説教テーマはヨハネによる福音書の15節で、この付近はイエスが弟子たちに対して行った「決別説教」である。世から理解されず迫害を受けようとも互いに愛し合い、正しいことを伝えることを説いている。福島のお母さんたちのことを思い出した。
礼拝後、お茶を飲み料理の師匠の島〇さんと料理談義をひとしきりした。姉が委員長の伝道委員会に顔を出して帰った。夕には東京に帰る。明日から日常が始まる。

山岳コース100㎞トレーニング達成

この連休は阿蘇を中心に100㎞以上走ろうと決めて帰省した。3日練習会で30㎞、4日龍田山を中心に16㎞走った。4日阿蘇スーパーカルデラ100㎞の前半のコースに挑んだ。車を未だ誰も来ていない旧長陽村ヴィーナス(温泉センター)の駐車場に停めた。7時25分スタート。朝食にうどんと柏餅を食べたが、柏餅がやけに胃に重い。最初の約1㎞の上り坂に9分もかかてしまった。ほとんど歩いていた。
そこからはカルデラ盆地を挟んでの向かい側の旧久木野村までは下りが多い。やっと一息ついた。外輪山内側の道を走る。




阿蘇山がくっきりと神々しく見える。快晴で雲がない。顔に日焼け止めクリームは塗ってきたが、短パンの足の防御を忘れている。


旧白水村から高森町に入った。途中のコンビニでポ〇リスエットと白クマ(かき氷)を買い、ベンチに座って食べ始めた。至福の時を満喫する。



これから清栄山の登山口の峠を越えるが高低差400m、2-3㎞続く。なだらかなところ以外は元気に歩く。
頂上が近づく。下の景色は素晴らしい。本番では午前8時には通過するのが完走への道だ。

峠を越えると九州山地の広々とした景色が目を楽しませてくれた。
5年前?制限時間オーバーでリタイアした29㎞地点を過ぎた。
赤羽根から左折して外輪山を横断してカルデラ盆地に向かう。が、途中道を間違って遠回りをした。外輪山からの下りも景色が元気づけてくれた。手元の水は空っぽだったが、高森町村山という地区に入って、自販機でコーラを買って飲んだ。月廻り温泉広場には家族連れがたくさん来ていた。今日は子どもの日だ。
高森からは時間7.5㎞のペースでヴィーナスへ走った。67㎞!8時間かかった。三日間で113㎞のトレーニングの終了。ゆっくり温泉に入った。おなかが空いた。そう言えば朝食から何も食べていない。3400Kcal消費している。桜アンパンを買って食べた。美味しかった。
帰りは渋滞の巻き込まれた。朝は30分で来たのに2時間かかった。しかし途中馬刺しを購入。夕食に花を添えた。顔と足は痛々しく赤く焼けていた。