2013年2月28日木曜日

やっと松本へ

27日は朝から雨。これをいいことに電車で通勤した。朝の麻酔導入を手伝いやICUカンファレンスに出席後、緩和医療部のスタッフと病棟回診をした。
患者さんを訪問する時は、笑顔と挨拶を心がける。お話をしながら場に合った笑いをとる話しをするように心がけている。
病院のレストランに行こうと6階に行ったら、入眠導入役の勉強会をしていた。ランチョンと書いてあった。中を覗いたらかなり席が空いていて、そこにはお弁当が置いてあった。「アザース」。勉強と食事ができた。午後の緩和ケア外来では、昼食が良かったからだろう、患者さんとよく話をした。
新病院建設の幹事会にU野先生の代理で参加するので、これまでの設計図と皆さんからの要望書を照らし合わせた。18時の電車で松本に行く予定だったが、この会議があるので20時の電車に予定変更していた。

あずさ33号に乗り松本へ。最初は準備した駅弁を食べたりしていたが、2時間半の旅は少しくたびれた。駅からタクシーでホテルへ。こじんまりとしたビジネスホテルだが、ラドン温泉があったので疲れを少し癒すことができた。写真はあずさで食べた夕食。
名古屋在住の大切なN先輩の訃報が届いた。学会プログラムをチェックしながら葬儀に参加できないかどうかをみた。チームの発表と重なったりして無理なことがわかった。N先輩天国でいつかお会いしましょう!

2013年2月27日水曜日

APRV


Airway pressure release ventilation(ARPV)で有名なHabashi先生の講演会が東〇大で開催された。彼の履歴を見ると、1990年代にECMO/ECLの研究をしている。新潟との往復の新幹線の中で彼の論文を読んでいた。写真は朝よくのカレーを食べた東京駅のカレー屋さん。
病院に戻り、読んだ論文をまとめて医局に行くと、Habashi先生ご夫妻がU野先生と打ち合わせをしていた。挨拶をして、熊大とECLAの研究臨床について話すと、喜んでくれた。
講演はエキサイティングだった。座長の内〇先生は専門外なので大変そうだったが、さすがは英語のスキルが高いので、立派にまとめてくださった。
終了後、ICUのS根先生たちと隣のヒルトンホテルで食事をした。昨日日本についたそうだが、タフな先生たちで眠そうな顔もせず12時前まで話が弾んだ。奥さんはICUの看護師さんでかなり臨床に詳しかった。写真はヒルトンホテルのひな人形。

明後日から日本集中治療学会が松本市で開催される。会長の岡元先生は熊大の先輩で熊本時代、一緒に実験をしたりICUでECLAの臨床をした。Hagashi先生に、岡元先生と話す時は、略語のECMOよりECLAを使う方が喜ばれると話したら、自分もECLAの方が理にかなっていると話してくれた。ECLAはExstracorporeal Lung Assistで体外式肺補助のこと。この略語は自分や岡元先生の師匠である森岡先生や寺崎先生がが最初に提案した。

2013年2月26日火曜日

ハッピバースデイツー桃也

2月22日がももちゃんの誕生日だったが、学会で忙しくお祝いできなかった。25日恵比寿に行ったのでアトレでケーキを買ってももちゃんち(長男のマンション)に行った。
ももちゃんはちょうどお風呂上がりでパジャマを着ていた。ジイジが顔を出すと、恥ずかしがって奥のリビングに入っていった。その仕草は、ジイジ早く中に入ってよ・・にも解釈できた。
ケーキをテーブルに置き、3(3歳)のローソクを立てた。あやちゃんと3人でハッピバースデイを歌った。歌がすんだら、ももちゃんは一生懸命拍手をした。ローソクの灯を消すのも上手になっていた。シャッターチャンスを逃すと、もう一度ローソクの灯消しをお願いするのだが、そのたびに歌を歌った。ももちゃんはおそらく何回も歌ったのだろう。上手に歌えた。

ケーキは4等分して食べた。ももちゃんはどれが大きいか少し気にしていたももちゃんは生クリームが大好きのようだ。3人で食べたので1/4残った。ももちゃんはもっと欲しいといったが、パパの分だからパパが帰ってきたら分けてもらおうねと言うと、素直にうなずいた。さすがに3歳のお兄ちゃんになったと感心した。

2013年2月23日土曜日

第42回日本慢性疼痛学会


2月22、23日と京王プラザホテルで日本慢性疼痛学会が開催された。O瀬戸会長を中心とした準備状況をこの一年間間近で見させていただいた。これほどまでに打ち込めるのか、その集中力と周囲への気配りには感動すらした。
 
 
 

自分には、「がん長期生存者と遷延する痛み」というテーマでシンポジウムを企画しませんか?と発表の場を作ってくださった。アンケート作成には、一緒に座長をすることを受けてくださった京都○立医大の〇川先生やO瀬戸先生からアドバイスをいただいた。痛み治療の専門医1000名へのアンケートの発送、外来スタッフや秘書のS田さんには大変お世話になった。アンケート結果の打ち込みこそ自分でしたが、受け取ったアンケートの管理は〇田さんがきちんとしてくれた。写真は控室から見た東京都庁。



さて、開会の挨拶では、O瀬戸先生は学会準備や運営に協力してくださる全ての皆さんへ感謝の言葉を述べられた。
オープニングの招聘講演は「医療者のパフォーマンス学」と題して佐藤先生のお話を拝聴した。1分間で266文字分話すことができる。顔の表情を2秒間見ると相手の性格を判断してしまう。患者さんは観者さんになっている。など今後の臨床や発表に活かせることが多く勉強になった。
二人一組になって「ほめほめゲーム」をした。O瀬戸先生と組んだ。自分は先生のこれまでの学会準備や開会の挨拶を受け、先生の人柄の素晴らしさや仕事に対する凄さを話した。O瀬戸先生も自分をほめてくださった。思わず涙が出そうになった。写真は22日朝の受付準備風景。
昼休みの時間、シンポジウムの打ち合わせをした。シンポジウムで発信するメッセージを皆さんで確認した。これまで日本ではこのような発表はない。我々はパイオニアになろうとしている・・
さて、シンポジウム開始直前、〇川先生から、先生の略歴は?と聞かれた。シンポジストの紹介は慣例で行うが、「時間がもったいないので、所属だけを紹介いたしましょう」と申し上げた。実は略歴を各シンポジストに問い合わせることを忘れていた・・。
自分の発表時間をなるべく切り詰め、討論の時間を確保した。

メッセージは伝わった。終了後、参加された先生たちからお褒めの言葉をいただいた。少しだけ肩の荷が下りた。
教育セミナーでは熊大の〇代先生が模擬診察を交えた講演をされた。彼の師匠の細〇先生は心療内科医で慢性痛の診療研究を積極的にされている。教育セミナーを終えて記念写真。

情報交換会では、熊大出身の先生方をはじめ、多くの先生方と話すことができた。写真はペインクリニシャンの先生たちと。







会にはI藤先生のジャズカルテットが華を添えてくださった。写真は熊大関係の先生たちの中に、なぜか乱入してこられたI藤先生。






会の中締めが終わり、残った皆さんと記念写真を撮った。このようなアットホームな学会はあまりない。

23日、午後からは自分が代表世話人になっている「神経ブロックEBM研究会」が開催された。特別講演に先生方との打ち合わせでは、話す内容を紹介していただいた。前もってじっくり聴いておかないと、座長などできないような奥深い内容だった。活発な討議もあり、一般演題に移った。一般演題は3題でいずれも東〇医大からの発表だった。最後の「トリ」が自分の「疫学研究に関する倫理指針」で、これもO瀬戸先生から勧められた発表だった。全ての発表と関係があり、皆さん活発に意見をくださったのでうれしかった。

最後の情報懇親会では、医局員も皆集まってきた。ほっとして笑顔にあふれていた。O瀬戸先生には秘書の嶋〇さんから花束が贈られた(サープライズ)!

KO大学の橋〇先生と特別公演をされた川〇先生を「さつき」に招待した。たくさん食べていったので、ヘルシー豪華4点セットで締めくくった。明日の東京マラソンでは走らないので、心地よく焼酎を楽しんでいた。帰りはちゃんとして帰ったはずだ。

2013年2月21日木曜日

初期研修医との会食

20日、麻酔科で研修している初期研修医との食事会を病院近くの焼肉屋で開催した。当初初期研修医6名とスタッフ4名で計10名の参加予定だったが、スタッフ3名が新たに加わってくれた。これも講座発展への責任感と危機感をもってくれたからだろう。

食べ放題+飲み放題コースで、責任皿が済んだら自由に注文できる。ロースとハラミが多かったようだが、店の方は大丈夫だろうか?1か月分の肉を食べ、1日分のビールと焼酎をいただいた。
明日からは日本慢性疼痛学会+神経ブロックEBM研究会モードにフルチェンジせねばならない。
 
 
 
 
 

21日朝、ユトレヒトからの留学生ロバートとカミュラが朝のカンファレンスで感謝の挨拶。思い出をパワーポイントで紹介してくれたが、なんと飲み会や会食の写真がほとんど!!研修修了証明書をいただいたが、そのまま手術室に入り、仕事中の??写真撮影もしていた。

晴れて学長と病院長から証明書をもらった二人は満面笑みで医局にて記念写真。
 

2013年2月19日火曜日

不幸が重なる

今日のさそり座は最悪で、白い服が良いとTVの星座占いで言っていた。今週は学会と学会準備で忙しいので省エネと称して、走らず車で病院に行った。

新潟へ・・・トンネルを抜けると雪国!で新幹線では乗客の歓声が聞こえた。
三条の郵便局で来月分の駐車場料金を振り込もうと、財布から郵便貯金のキャッシュカードを出してダウンジャケットの右ポケットに入れた。
燕三条に着き、キヨスクでSuica Cardに1万円チャージした。おなかが少しゆるくなったのでトイレで用を足し、タクシーに乗った。郵便局で降りて、カードを出そうとしたら・・・ない!!
郵便局の方に断って中に入って服を脱ぎリュックをひっくり返した・・・・ない!
古い通帳、印鑑、運転免許証を持っていたので、再交付手続きは直ぐにできた。ここで、少しがっかりした。
帰りの新幹線では二度とへまをしないと誓った。金曜の発表パワーポイントもかなり出来上がった。東京駅で「かき弁当」を買った。
新宿駅に着き、寒いので手袋をしようとポケットを探った・・・ない!
今度はお気に入りの厚手のジョッギング用手袋が消えていた。電車の中で落としたのか?倒れるぐらいがっかりした。
病院に戻った。22日と23日の日本慢性疼痛学会の発表パワーポイントを一気に作り上げた。動物実験新規申し込みの書類を作って提出するだけにした。2つの論文の査読を抱えていたが、一つは査読結果を学会誌編集委員会に送った。もう一つは二回読んだ。
追い詰められないと力を発揮しない、悪い癖は治らないようだ。午後11時を過ぎた。帰って寝よう。数日して、キャッシュカードがダウンジャケットのポケットから出てきた。なってこった!!
 

2013年2月18日月曜日

ワインパーティー


17日日曜日、駐車場探しを兼ねて荻窪方面に走った。丁度青梅街道と環状7号線の交差するところに「空き駐車場有」と書いた駐車場を見つけた。以前も覗いたはずだが今回はしっかり見た。
不動産屋さんも近くにあり、説明を受けたら十分な広さがある。ここを逃したら憂いを引きずると思い、契約することにした。写真は早咲き桜??



その前に確定申告の資料を全てそろえた。後は熊本の税理士さんに送るだけになった。この2つのことができたので、心の重荷が軽くなった。天気がいいので、布団を敷きっぱなしにしたまま日干しにした。
夕方、池〇先生から電話をいただいた。ご自宅でのワインパーティーのお誘いだった。「22,23日の学会準備がまだできていないので・・・」と固辞するつもりだったが、心の重荷が取れていたので「参ります!!」と答えた。
スマートフォンの乗り換えナビで目的の駅についた。ここからは池〇先生の電話音声ナビで歩く、いや走った。無事に到着した。ご自慢?のワインセーラーも見せていただいた。焼酎「三岳」もなぜかあったが、今回はワインがメインだ。
次々に池〇先生のお友達や姪っ子さんが集まってきた。総勢6名、先生手作りの餃子(皮は市販)とステーキ、にぎり鮨の豪華な料理が並んだ。最初はベルギービール、そしてワイン。ワインは苦手・・・も意識は吹っ飛んでしまった。
会話も弾み、いつしか帰る時間となった。電車で帰ると危険であると察し、タクシーで帰ることにした。一緒に途中まで帰るF先生も確保した。確かに帰った。服もきちんとハンガーにかけていた。しかし、玄関から入った後のことを覚えていない。F先生の話では一緒にタクシーに乗っていないのでは?とのことだった。誰だろう横に座っていたのは??

2013年2月14日木曜日

バレンタインデイ

2月14日はバレンタインデイ。ひょっとしたらと思い、家人に宅配で送ったか?とメールした。送ってないよの回答だった。午前中手術室、ICUで、昼から病棟回診に回った。

昼過ぎから、チョコレートが届き始めた。麻酔科一同様宛ての大きな箱もあったが、小さな箱のチョコレートなどを4か所(3か所は個人ーひみつ・・・-で、1箇所はICUから)から頂いた。例年のように写真に撮り記憶だけでなく記録にも残した。
この良き日、2年生の学生さんが手術室の見学に一日来てくれた。熱心な学生さんだ。帰る前に皆と記念写真を撮った。
この記事を書きながら新しいPCのリカバリーディスクを作成している。済んだらウイルス対策ソフトを入れて帰ろう。時間は未だ午後9時前なのでも少し良いことがあるかもしれない。

2013年2月13日水曜日

IT揃う


11日、台場海浜公園に近い不動産屋さんに行き、荻窪のマンションの正式契約をした。丁寧に説明をされたので1時間半もかかった。写真は契約に関する書類。

せっかくなので豊洲のドコモショップで思い切って携帯電話をスマートフォンに変えた。うれしくっていろいろ触っていたら、フリーズした。そこからどう開いていいのかわからない。午前1時半過ぎまで布団の中で格闘したが駄目だったので、潔く寝た。写真は携帯からスマートフォンへ情報を移すところ。

12日、画面を開いて触ったら、パスワードを打ち込む画面が出てきた。それから慎重に不要なところは触らないようにした。三〇町病院にスマートフォン達人のスタッフがいたので、昼休みに教えてもらった。ITへの意欲が高まったところで、帰りに新宿のB〇Gカ〇ラでウルトラブックを購入した。そのまま病院に持ち帰りセットアップを始めたが・・・結局セットアップ終了したのが14日夕までかかった。その間仕事はしているが・・・ 写真雪国の風景
13日、午後10時まで研究会発表の準備をしていたが、数日走っていないことに気付いたので走って帰ることにした。落とし穴があった。野方ホープについつい入ってしまい、チャーシューメンを食べてしまった。帰ってすぐにご飯を炊いた。翌朝、冷蔵庫に残っていた卵で卵かけご飯を作った。醤油の代わりに賞味期限の過ぎた瓶詰のイクラをかけた。味は絶品だった。たぶんコレステロールが上がったことだろう。翌14日、朝からランニング通勤に励んだ。
14日と言えば・・・続きは次のブログで。

2013年2月10日日曜日

面接試験とももやの回復祝


10日はT医科大の一般入試面接試験に日だ。11時に大学に集合し18時までの長丁場試験だ。試験官は3人一組になり、受験生と向き合う。受験生は大変緊張しているので、自分はできるだけ笑顔を絶やさないようにした。一人に8分程度の質問をするが、各受験生はそれなりに面接試験対策を受けているようだったし、質問を受けているうちに落ち着いてくるようだった。お昼の弁当は歌舞伎座の幕の内弁当だったが、写真を写すのを忘れ、今年春の竣工する歌舞伎座のパンフレットを写した。 面接会場を後にして、病院駐車場に置いていた車に乗ってももちゃん一家を迎えに行った。

ガーデンプレイスの三越でお買い物をして、ももちゃんの好きな38,39階に向かった。ももちゃんはイタリアンレストランのスパゲッティーを食べたかったようだが、予約がつまっていたので、うどんで妥協してくれた。豆乳しゃぶしゃぶの店に入った。ももちゃんは野菜とうどんを食べて満足した。大人しく座っているのに飽きたので、自分はももちゃんと店の外にでてパパ、ママが食事ができるように長い廊下でかけっこをして遊んだ。 ももちゃんは、ジイジのグレイの車に乗りたかったようだ。また遊ぼうねと約束して家に帰った。

2013年2月9日土曜日

皇居ラン

9日、ユトレヒト大学からの交換留学生ロバートを誘って、皇居ランを楽しんだ。小さなリュックにタオルやシャツを入れて走ろうと準備したが、ロバートは自分が背負うと言う。T医科大を10時前に出発し、青梅街道から靖国通りに向かった。新宿大ガードをくぐり、東京マラソンのコースだと教えた。市谷の防衛省前では、中国との懸案事項の話をした。コースを一部変えて靖国神社に向かった。靖国神社をめぐる話しも英語での説明になると少し難しい。写真は出発前、医局の部屋にて。
皇居周回コースに出た。多くのランナーが走っているのにびっくりしたようだ。「ここはランナー専用の道路ではありません。」の立て看板も説明した。広場にはランナーが残していったリュックなどが整然と置いてあった。走り終わってまた取りに来るのだが、「盗まれないのか?」と再び驚いていた。コースには各県の花の敷石がある。」東京の花は何か?」の質問には答えられなかったが、運の良いことにすぐにその敷石の場所に来た。正解は「そめいよしの(桜)」だった。途中東京スカイツリーや国会議事堂も見えた。一周走り終え、もう一周走るかい?と誘ってみたが、以前彼は膝を怪我したとのことで無理をしないことにした。 せっかくなので昼間の歌舞伎町も走ってみた。夜の迫力とはまるで違った。 約20kmを走り12時半ごろ病院に戻った。手術室のシャワールームで汗を流し、医局の買い置きのカップめんやインスタント五目飯で昼食にした。また走ろう!

第8回東京輸液Jam Session

8日、T医科大学とKO大学の合同カンファレンス第8回東京輸液Jam Sessionが近くの会場で開催された。今回の発表者がS医科大出身の同級生なので、「同級生対決」との期待とあおりがあったが、二人とも堂々とした発表だった。KO大学のN村先生は大量輸液症例を術後追跡調査し得られた知見を示してくれた。T医科大のK子先生は手術中に循環血液量の約10倍の大量出血したケースで後遺症もなく救命できたケースレポートだった。二人ともよく勉強していて考察も充実していた。 懇親会ではKO大学のT田教授やM崎教授とも親しくお話しすることができた。
会場が「さつき」の近くだったので、発表打ち上げということで、N村先生をお誘いして「さつき」で二次会となった。KO大学の先生をお誘いするには若干?上品でなかったかもしれないが、N村先生は結構喜んでくれたようだ。珍しくカメラを忘れたので、後輩が写してくれた写真が届いたら写真をアップすることにしよう。

2013年2月8日金曜日

New PCT始動そして都庁に行きレクチャーを受ける

6日、2月から新しい体制となった緩和ケアチームの初めてのカンファレンスを行った。すでに外来や病棟回診は始めたが、Teamとして活動するので良いチームワークを作らなくてはならない。病院のHPにアップする記事や写真も準備しなければならない。
7日都庁福祉保健局医療政策部医療政策課がん対策係りに行き、東京都がん対策推進協議会・緩和ケアのありかた検討部会の報告、区西部緩和ケア推進事業運営会議のこれまでの活動、T医大の役割、新宿オレンジバルーン・フェスタについてレクチャーを受けた。2月から緩和医療部の出向になったので(麻酔科にも在籍で兼務になる)東京都新宿区、中野区、杉並区における緩和ケアの普及などの仕事もお手伝いすることになった。 これから新宿区にある大学病院や基幹病院の皆さん、診療所や在宅診療、訪問看護、介護をされているみなさんとのお付き合いが広がる。それにしても都庁は摩天楼のように威容を誇っている。

2013年2月3日日曜日

叔父叔母と会食そして節分豆まき

2月3日の日曜日、荻窪周辺の駐車場を探しているので紹介のあった駐車場に行ってみた。引っ越し先から540歩で5分弱であるが、入り組んでおり大通りからの出入り口が分かり辛い。
昼は亀戸駅近くの食堂で首都圏に住む叔父叔母と会食をした。今日は叔父が近々一緒になりたい・・と思っているKさんを紹介するとのことでとても楽しみにしていた。穏やかな優しい方なので、きっとうまくいくことだろう。会食後は前回と同様にカラオケで皆で歌った。
そこから恵比寿のももちゃんのところに行った。近くのお寺(福昌寺)で節分の豆まきがあるという。有名人も良く来て豆まきをするらしい。早速皆で出かけた。ももちゃんはヘルメットをかぶり気合が入っていた。
柔道の金メダリストで格闘家の吉田さんとやり投げのオリンピック選手村上さんが、その他の皆さんと豆まきを始めた。と言っても豆は袋に入っていたが。境内?には数百人は集まっていたので、豆ひろいの競争率は高かった。
しかし十分にGetしたので、家に帰ることにした。K中央病院で一緒に仕事をしているS先生が子供さんを連れてきていた。
ももちゃんは少し興奮していた。得意そうに豆の入った袋を握りしめていた。 夜は、「八重の桜」と「Railway」をゆっくり鑑賞して体を休めよう。

漢方シンポジウムと築地での会食

二月最初のある土、二月から緩和医療部と兼務になったので、午前中は7名の入院患者さんの回診に病棟を回った。オーベン会議には遅れて参加したが、手術室では土曜の午前中も急患を含めて6例の手術が行われていた。
午後2時半からKOプラザホテルで開催された漢方薬・漢方医学のシンポジウムに参加した。全国から数百名の参加者があり、医学教育における漢方医学のあり方を熱く話しあった。自分はカリキュラム改編実行委員会の横断的領域グループで漢方医学の担当をしているので、先進的な教育機関の取り組みは参考になるし、うらやましい。 午後6時半から築地のレストランで、ユトレヒトからの学生2名と、麻酔科幹部4名、U井学長の7名で会食が設定されていたので途中で退席した。
レストランには既にU井学長が来ておられた。ユトレヒト大学との交流が本格的になり、交換留学生の勉強状況などがとても気になっておられたようだ。美味しい料理と美味しいワインが参加者の気持ちをほぐし、極めて友好的な雰囲気を作ってくれた。学生さんたちは、つたない英語であってもスタッフが一生懸命に英語のパワーポイントを作成し講義を一生懸命にしている姿を目の当たりにしている。
会食が終わり、U井学長とU野先生と別れた5人は、O原先生のつてで銀座のバーに繰り出した。支払いの段階で緊張したが、そこはO原先生の顔!以外に安かった。帰りはM田医局長をタクシーで送った。

2013年2月1日金曜日

研修医とさつきで懇親会

丁度麻酔科にラウンドしている初期研修医との懇親会を、あの「さつき」が満員になるように計画した。但し、木曜日も予定手術延長や緊急手術のため研修医が数名参加できなかったが、来月(2月)にも計画するので優先して参加してもらおうと思う。 さて、部屋に隠していた(温めていた)3Mといわれる芋焼酎「村尾」と熊本が誇る日本酒「瑞鷹(すいよう)」を持ち込んだ。
「さつき」には自分が一番乗り。節分の雰囲気を無理に作り出しているお飾りを先ず撮影した。
初期研修医4名とO原先生、I崎先生、H先生が到着し、最初の料理を食べつくそうとする頃、新手の初期研修医2名とICU初期研修医3名およびスタッフ4名が次々に参集した。最初の写真はまだ余裕のある時の写真。 17名というギネスブックに載るかもしれないギューギュー詰めの「さつき」となり、テーブルに出される豪華?な食事は瞬く間になくなっていった。A岡先生はけなげにみんなのお湯割りを作り、S本先生はビール注ぎに忙しい。2月から北海道の倶知安に地域医療の研修に行くという鹿児島出身のK子先生は、お兄ちゃん?金〇先生の横に座って雪に埋もれて動けなくなると皆から脅され目を白黒させていた。 自分は「先生は小さいときにたくさん食べたから・・・」と言いながら食べるのを控え(たつもり)、お湯割りをすすりながら好々爺の表情で皆を眺めていた。
写真はこれ以上入ると店が沈むかもしれない時の写真。I崎先生は先に帰ったので16名が写っている。 今回はイン〇〇エン〇で強制隔離されたU野先生は不参加だったが、さすがに講座のボスの責任感で自分に大枚を預けられた。自分は大枚と小枚で数こそ1枚多かったが合計額ではU野先生を越さないように気遣いの支払いをし、スタッフ参加者からは「これだけでいいのですか?」と聞かれる(多分ポーズ)の額を徴収した。 帰りはタクシーで自宅を回ってK沼先生が送ってくれた。玄関のチャイムを鳴らすと家人がすぐに出てきて「おかえりなさいませ・・」と言うかな?と「K沼先生とタクシーに乗ってる、もうすぐ帰る。」のメールを送ったら、「先に休んでいます。」とつれない返事が来た。 1月の走行距離は210kmを超えた。出だしが大切だ。