2012年3月31日土曜日

柴田先生厚生労働大臣表彰祝賀会・柴田医院会員38周年記念感謝の集い

タクシーで鹿児島空港に行き、15時20分発東京行きを待った。東京地方は春一番で天候が悪いらしく、使用機が30分遅れた。羽田までのフライトも離陸着陸時にはかなり揺れた。特に羽田空港が混み合い、着陸を待たされたので空港に降り立ったのが17時40分を回っていた。京急羽田空港国内線駅にダッシュし、山手線に乗り継ぎ新宿駅へ。そこから京王プラザホテルに走った。到着が祝賀会開始の18時に50分も遅れたが、丁度最後の主賓挨拶が終わるところだった。
乾杯の前に鏡開きがあった。メンバーに名前を呼ばれた。良かった間に合った・・・隣には信州大学の岡〇先生が、恩師森岡先生は同じテーブルだった。熊大産婦人科関係の先生方や、東京医科大産婦人科の先生方とお話しする機会ができてよかった。




柴田先生人とのつながりを大切にするお人柄がよくわかる、多くのゲスト出演を交えた素晴らしい祝賀会だった。






スタッフの皆様の踊りや、息子さんのジャズバンドの演奏、先生ご夫妻のダンスなど、出席者を飽きさせない演出に感心した。
病院に戻り、手術室とICUに顔を出した。4月から熊本からT医科大に赴任する〇端先生や、息子さんが東京勤務になった大学時代の堤〇先輩に電話しているうちに23時を過ぎた。そろそろ帰って、来週の準備(スーパーポリクリなど)をしなければならない。

お義父さん安らかに

2月18日に86歳の誕生会をし、20日無事満86歳を迎えた義父が突然倒れ、2.5日後の3月29日に自宅で家族に看守られて人生の幕を閉じた。30日東京から長男一家と鹿児島へ。斎場に向かった。義父の若い時からの写真が飾ってあった。自分と並んで指宿の砂蒸しをしている時の写真もあった。家族葬との連絡だったが、近所の方々が大勢来られた。町内会長など地域でも活躍していたからだろう。ありがたく頭を垂れた。長いこと会っていなかった親戚とも会うことができた。義父が引き合わせてくれたと思う。T医科大麻酔科からも供花をいただいた。感謝。
ももちゃん、ひなちゃんは大勢人がいるのではしゃいだり、妙に緊張したりして神経質になっていたようだ。喪主の挨拶ではなく親族代表の挨拶になり、自分がすることになった。自分のほうが緊張している。通夜が済み、家人の実家に帰った。冷蔵庫に刺身とお弁当があった。冷蔵庫からビールを取り出し飲み始めた。自分が座る向かいにいつも義父が座っていた。ビールの次は芋焼酎のお湯割りだった。そうしているうちに風呂にも入らず寝てしまった。
31日10時から告別式となったので、斎場に向かった。式は仏式で行われた。司会の方が義妹の同級生?のようで、義父の人生を丁寧に紹介してくれた。弔電では2月18日に一緒にお祝いした姪からのメッセージが紹介された。孫たちから愛された義父だった。自分の挨拶は、簡潔にを心掛けたが、義母へのとりわけのご厚情を参列された方々にお願いした。
告別式が終わり出棺、火葬、納骨まで一緒にいた。家人に後を託し、長男一家と東京に戻った。写真は後で

2012年3月29日木曜日

医局送別会

今年度一杯でT医科大学麻酔科を対局される3名の先生方の送別会が近くの店であった。M尾先生は自分と同世代(もちろんお若い)で、新〇先生はお父様が自分と同郷、このお二人は麻酔科を形を変えて続けてくださる。吉〇先生は皮膚科の勉強をされるという。
大きな決心をされて飛び立たれる三名にエールを送りたい。
送別会の後、U野先生とさつきに寄った。新〇先生が後から来られた。さつきで一緒になり親しくなったT医科大学の先生方も多い。新任地に行かれる皆さんは明日まで勤務の方も多いだろう。明日明後日は急遽鹿児島に行くことになったが、日本のどこかできっとお会いすると思う。健康に留意されて頑張ってほしい。
写真は送別会の記念写真。

緩和ケアチームのお食事会

3月28日、4月から赴任されるS山先生の歓迎会を主目的で、T医科大学の緩和ケアチームの食事会があった。18時半開始だったが、手術室の安全会議や調整会議の日だったので遅れて参加した。
丁度S山先生と呼吸器外科の池〇先生の間に入ったが、テーブルの向かい側が看護師、薬剤師さんの女性陣でこっち側が男性医師4名になった。合コンのような錯覚になった。
S山先生の決意をお聞きしながら、大学病院のなかでの緩和ケア専従医の厳しさは自分が経験したものとはもっと厳しいものだろうと思った。自分には手術室やICUの役割があるので、これまでのように自分を必要としてくれる患者さんのもとに自分勝手な時間に訪問するだけになるだろう。
会食を終え、会場のあるホテルのロビーで記念撮影をした。
皆と別れ、さつきに向かって歩く自分がいた。

2012年3月27日火曜日

北〇先生の最後のコイル塞栓術

三〇町病院の日、脳外科の北〇先生は今月一杯で次の病院に転勤となった。自分と組む最後の手術は脳動脈瘤のコイル塞栓術。
いつもに増して気合が入っていたが、今日は北〇先生には病院の講演会の演者の仕事もあり、途中一時お色直し退席もあった。しかし指導医の伊〇先生の強力なバックアップがあり、無事終了。


麻酔からの覚醒も、患者さんが抜管した途端「よく眠っていて全然わからなかった・・・」とのお褒めのお言葉をいただくほど順調だった。
最後までお付き合いすると約束した自分は、新幹線の時間を変えて、無事午後10時過ぎに「さつき」に「到着し、無事夕食にありついた。
写真は気合の入ったカメラ目線の北〇先生とこの手術にかかわったスタッフ一同。

2012年3月25日日曜日

予定変更で全て良し

日曜日は琴湖クラブの皆さんと観光するつもりで最終便を予約していた。が、9時出発でハウステンボスの観光に向かうとのこと。9時前に宿泊ホテルに家人と行った。大崎会長と入佐国際交流担当が既にロビーにいた。部屋から次々にロビーに降りてきた琴湖クラブのメンバーたちと握手をして来年の琴湖クラブ20周年での再会を約束した。
熊本地域医療センターに入院している二人の患者さんを見舞った。春〇さんとはこの1か月のデジカメの写真を一緒に観ながらおしゃべりをした。〇高さんは自分が時々お世話になったおでん屋さんの奥さん。初対面と思うが、「東京に行った先生?」と尋ねられ「そうですよ、ご主人にはお世話になったのですよ。」と話すと打ち解けて下さった。直ぐに〇高さんも病室に来られたので暫くお話をした。
タクシーで熊本草葉町教会へ。4か月ぶりの草葉町教会の礼拝出席なので、皆さんから声をかけていただいた。母教会は居心地がいい。教会員の歳〇さんが描かれた「ルカ24章にあるエマオという村で復活したイエスとクレオバの晩餐」の絵画が壁に飾られたので写真に撮った。教会を出たら熊本医療センターの上〇先生ご一家と出会った。自分が熊本に残した慢性痛の患者さんを沢山引き受けていただいた。感謝。
家に戻り、娘のとこに行った。ひなちゃんの初節句のお祝いと、韓国海苔と東京土産を渡した。ひなちゃんは昨日とはうって変わって、ご機嫌で自分を見ても泣かず、笑顔一杯に愛嬌をふりまいた。ひなちゃんを抱っこして家に両親と家人を残して外に出ようとしてもニコニコしていた。ひなちゃんは本当はジージのことが好きなんだと確信した。昨日は見知らぬ人と大勢会ったのできっと神経質になっていたのだろう。帰り支度を済ませ写真を除くブログをアップし、熊大麻酔科同門会誌の原稿を書き始めた。最終便なので自宅に着くときは日付が変わっているかもしれない。
ところが最終便が使用機到着遅れで1時間25分遅れて出発。羽田・品川・高田馬場と通路ホームを走った。西武新宿線の終電に間に合った。走っていて良かった・・・。

3月24日結婚式・披露宴とむさしクラブ15周年記念例会

朝5時40分布団から飛び出そうとしていると家人からメール。「ちゃんとおきたかな?」家を出ようとする5時58分「移動中?電車?車?返事するように」とのメール。7時43分「もうすぐ羽田空港国内線ターミナルに着く。」のメールを出したら、「ギリギリだね・・」との返事。ちなみに8時20分発。温かいメールに励まされて空港に着いた。搭乗口にいたら熊大医学部サッカー部の谷〇監督と会った。今日はサッカー部の追いだしコンパもある。谷〇先生には出席できないので卒業生によろしく伝えてくださいとお願いした。座席に着くと通路を挟んで横に遠〇サッカー部部長がおられた。今日はコンパに出席予定だったそうだがK医大小児科主任教授の退官祝賀会に参加されるという。重なる時は重なるものだと思いながら、遠〇先生や谷〇先生に3月24日にお会いした偶然に感謝した。
空港に迎えに来た家人の車で自宅に寄り、会場のKKRホテルに向かった。花婿は娘の義兄でロサンゼルス在住。花嫁はマレーシアのご出身で米国でキャリアウーマン。国際結婚なので日本語・英語で式が進行した。主賓の方がパワーポイントに英語訳を示してのご挨拶や、乾杯の音頭を取ってくださった新郎恩師が、いきなり花婿が目標にしているオスカー賞受賞の喜びを花婿に代わって英語で話し始めたり、和やかで笑いを誘う素晴らしい結婚式・披露宴だった。
娘の婿は3人兄弟で非常に仲が良い。今日は兄弟ふたりに娘が加わって歌の披露(娘が電子ピアノ、義弟がウクレレ、婿殿がタンバリンにボーカル)。このチーム結成までの様子がDVDで紹介されたが、孫のひなちゃんも一役買っていた。風が強く黄砂が飛んでいたが、間近に熊本城を望むホテルなので写真撮りにも忙しかった。




午後5時にメルパルクに移動した。熊本むさしワイズメンズクラブの15周年記念式典。数か月ぶりに会う仲間たちと再会を喜び、会場作りやお客様の出迎えに汗を流した。開会時間ぎりぎり前に韓国の兄弟クラブテグー琴湖クラブの一行が到着した。
大崎会長は2度目の会長、開会宣言点鐘挨拶、「いざたて」の斉唱の後、浅岡西日本区理事、琴湖クラブ会長、前京都部部長、武本京都みやびクラブ会長(代読)、中堀九州部部長たちから祝辞を受けた。熊本YMCAに「水中防水カメラ」贈呈と続き第1部記念例会を終了した。
続いて第2部祝賀パーティー。自分が食前感謝を述べた。この中で「多くの仲間たちを迎え互いに切磋琢磨しあい親睦を深めてきたこと、また何人かの仲間が次のが飛躍を求めてクラブを去って行ったが、自分たちには消えることのない思い出と友情が残っていること、国際兄弟クラブの琴湖クラブや国内兄弟クラブの京都みやびクラブの交流でワイズライフの大きな喜びを得てきたことなどに感謝いたします。これからも大きな祝福と導きをお願いします。」と祈った。
成瀬次期理事の乾杯の発声で、祝宴に突入した。暫く西日本区役員さんのテーブルにいたが、出席者の皆さんと出来るだけお話するように各テーブルを回った。琴湖クラブの奥様達はむさしクラブメンバーや他クラブの奥さんたちと大きな輪を作り楽しそうに話をしていた。
沖縄民謡のパフォーマンスもあり会場は、友情に満ち溢れた。
琴湖クラブから韓国海苔のプレゼントされた。.







みやびクラブからはむさしクラブバナーをデザインした切手のプレゼントがあり、琴湖クラブ・みやびクラブ・熊本以外から来られた皆さんには黒糖ドーナツ棒詰め合わせを贈った。
二次会には琴湖クラブ、みやびクラブを始め40数名が参加。カラオケで「乾杯」を歌い乾杯の音頭にした。韓国の皆さんは歌が上手だ。みな手拍子や掛け声で盛り上げてくれた。自分は最後まで眠ることなく(皆が奇跡だと言った)参加者にオークションで入手した十勝ワインを注いで回った。
帰りの車で眠気が襲った。翌朝こたつの中で寝ている自分に気付いた。まあ頑張ったから良し!

2012年3月24日土曜日

M岡さん送別会

M岡さんはT医科大学麻酔科の医局秘書を38年間勤められた。昨年退職予定だったが、諸事情で延び3月一杯で辞めることになった。医局主催での送別会は病院近くのRose Garden Hotelで開催。金曜は例のごとく脳外科と眼科の緊急手術や、Gyneや形成外科の手術延長があり夕方は混み合っていた。スタッフから、「送別会に行ってください。」優しい言葉があり、会場に駆け付けた。
Uの先生挨拶と1回目の乾杯は終わっていたが、M岡さんとは同じテーブルでお話しできた。自分も含め医局員は全てM岡さんに大変お世話になっている。自分が赴任する時も書類のやり取りなどお世話になった。何らトラブルなく来れたのもM岡さんあってのこと。
M岡さんは今の医局員にとってお母さんのような存在。「そっと出して下さるカルピスは美味しかった。」と医局員たちは思い出を語ってくれた。
締めの挨拶を託された。「いつも優しく医局員をお世話下さったM岡さんありがとうございました。医局の歴史を全てご存じのM岡さんの時にあった小言もお叱りには、T医科大学麻酔科が大切にしなければならないプロの麻酔科医としての誇り、他への礼儀と尊敬といった魂が込められていた。」ことを述べ、感謝の気持ちを伝えた。M岡さんには時々医局に遊びに来てほしい。
終了後、石〇医局長と嶋〇さんとさつきに寄った。嶋〇さんは初めて来たので「こんな高級な??お店がこんなに近くにあったんだ・・」とびっくりしていた。写真は後で。

2012年3月22日木曜日

ICU送別会

野〇先生が4月から移動するので、ICUの看護師さんたちがほかのスタッフの送別も兼ねて送別会を企画してくれた。場所は歌舞伎町。5月に来てから一回も歌舞伎町に足を踏み入れたことがない。行く途中、うちの研修医とあったので、ナビ代わりに連れて行ってもらった。夜なのに町全体がギラギラしており、新宿鮫がウヨウヨ泳いでいるような感じがした。
西武新宿駅に近い雑居ビルの4階が会場だった。隣に座った看護師の金〇君は鹿児島の出身!吉〇君はもう一度勉強をスタートするという。向かいの新〇さんは横浜から通い、寺〇さんは3月からICU勤務。一人おいて師長さんが座っていたので心強かった??
野〇先生は優秀で指導も熱心だ。この一年彼がいたから自分は安心して手術室に軸足を置いていた。H王子医療センターでもがんばって、出世して帰っておいで!
何回も周りのスタッフと写真を写した。二次会!という声も上がったが、流石に連日はきついので西武新宿駅に向かい各駅停車に乗った。

佐賀からようこそ

ロボット支援下手術の見学に、佐賀大から泌尿器科と麻酔科の先生が来られた。麻酔科の中〇内先生とは前もってメールのやり取りをしていた。
21日は朝カンファレンスの途中から麻酔科の方に来られた。ロボット支援下手術の麻酔は、教え上手な先生に割り振りしていた。他大学から若いバリバリの先生が来られると、T医科大の先生たちも良い刺激を受ける。22日は朝カンファは最初から、ICUカンファや外来も見学していただいた。
中〇内先生は大変な激務をこなす一方で、昨年麻酔科専門医試験に合格されたと言う。ささやかながら、21日夜は「さつき」にご招待した。折角新宿に来られたのに、芋焼酎であったが楽しい時間を過ごした。ここには熊本時代からの友人高〇くんも参加してくれた。二次会は少しだけで、その後走って帰るという厳しいトレーニングの一端をお見せした。東京ではこのくらいタフでないといけない。
今日の夕方、「お世話になりました。佐賀にお越しの際には是非お訪ねください。」と挨拶に来られた。実に礼儀正しい爽やかな先生だった。

2012年3月21日水曜日

チョコレートフォウンティン

20日の祝日、家人を長男の家に送り病院で仕事。スーパーポリクリの講義原稿が未だ80%。手術室もICUも比較的落ち着いていた。午後3時ごろ新宿駅に着いたとの電話。慌てて待ち合わせの小田急デパートに走った。小田急ではスプリングコートと靴を購入。
長男たちはホテルHのマーブルラウンジにいきたいらしい。軽食・スイーツ食べ放題。しかし、大人4500円子ども2500円位の料金。ここは、単品注文で食べ放題コースは断念した。スイーツコーナーの一角にチョコレートフォウンティン(チョコレートの噴水)があった。ももちゃんは、前に置かれたオレンジジュースは少し見ただけでチョコレートフォウンティンをじっと見ていた。

ママと家人のケーキだ来ると、「食べたーい!」を連発した。生クリームのないところを少し分けてもらい、むしゃむしゃ食べていた。自分のピザが来た。外側のカリカリしたとこを切ってあげたら、喜んで食べた。でも時々チョコレートフォウンティンを見つめていた。
家人は明日熊本に帰る。自分は土曜に熊本で結婚式や周年パーティーがあるので1泊2日で帰る。

2012年3月20日火曜日

iPod そして2か月目研修医との懇親会

長男夫婦からiPodのプレゼントをもらった。あやちゃんが自分の好きそうな曲とジョッギングの時に元気が出るような曲を選んで入れてく入れていた。ありがとう!
早速19日月曜の通勤ランで聴きながら走った。AKB48の「会いたかった」と「カチューシャ」で足がもつれそうになった。リズムが速すぎて足の動きが合わないのだ。後で気づいたのだが、「会いたかった」のフレーズで一歩走るとゆったりと走れる。「カチューシャ」のフレーズでは二歩のペースになる。が、未だ試してはいない。
今月で研修2か月目になる研修医と「さつき」でお食事会をした。行こうとしたらももちゃんから貰った手袋が見つからない!今朝は手袋をして走ってきて、部屋に着いたところで外したはず・・・?時間がないので、「むさしの想ひ」を2本を持ってさつきに向かった。
U野先生も駆けつけ、いつものことではあるが「さつき」は貸切状態になった。さつきで出してもらえる知っている限りの料理の注文をしながら、良く食べる研修医に感心していた。韓国のマッコリも出てきたので、ビールと焼酎とマッコリを交互に飲んでいた。研修医には麻酔科の魅力を話さねばならないのだが、それはU野先生に任せてブログのアイデアなどをしゃべっていた。皆で写真を撮った。後で写真を見たら、壁の絵画が変わっていた。(中略)
「お勘定は?」と言ったら、「U野先生が済まされましたよ」と「さつき」のあっちゃんに言われた。タクシーに乗り、しっかりしなくてはと頬をピチャピチャ叩く自分がいた。(後略)反省。

2012年3月18日日曜日

ゆったりとした日曜日?

さてももちゃんは朝が来てママがいないのに気付いたけど泣かなかった。お昼はスパゲッティーミートソースをお口やお手手を汚して食べていた。
荷物を長男の家に運んで、恵比寿駅のアトレであやちゃんと落ち合った。ももちゃんは今までの緊張から解きほぐされて泣き出しそうになったが、ママに抱っこされて笑顔が戻った。


つばめグリルでハンバーグを食べた。もっと食べる・・と言い張っていたが、途中でおなか一杯になったようで満足の顔になった。今度会うのは何週間後かな?
写真はママに抱っこされて笑顔が戻ったももちゃん

2012年3月17日土曜日

ももちゃんのお泊り

(仕事の)ある土で、手術室では緊急手術も含めて午前中で4例の麻酔科管理手術が行われた。午後2時に恵比寿の長男のとこに車で行き、長男一家と家人を乗せて五反田のアカチャンホンポに行った。自分の車はクルーガーなので荷物の収納スペースが広くとれる。ももちゃんのベビーカーも一緒に乗せた。ももちゃんの椅子や踏み台、おやつなどを買った。荷物で一杯になった。
今日はあやちゃんが友達の結婚披露宴にお出かけする。長男とももちゃんは、うちに泊まることになっている。ももちゃんはママがいなくなることも知らず、羽田空港に向かう車のチャイルドシートでいつのまにか寝ていた。あやちゃんは空港で降り、ももちゃんにバイバイしたがももちゃんは眠りこけていた。首都高速から新宿で降りて環状7号線に入ったところでももちゃんは目覚めた。
家に着くとももちゃんはご機嫌になった。早速お気に入りの階段を上って二階のリビングに行った。
リビングが自分ちに比べて広く一軒家なので飛び跳ねてもパパから叱られない。大喜びで飛び跳ねたり走り回っていた。



バーバがお買い物に行っている間に、パパとお風呂に入った。パジャマに着替えて再び遊び始めた。ご飯の時はパパの膝に座って大好きな海苔ご飯を食べていた。



自分が寝転んでテレビを見ていたら同じ格好をしてテーブルの下でTVを見ていた。自分は昨日の激務がたたり、10時過ぎには寝てしまったが、ももちゃんは11時ごろまで大活躍したらしい。

翌朝、何事もなかったようにももちゃんは目覚め、朝ごはんを作ると言ってバアバが準備したおかずをお皿に入れて混ぜていた。長男は上手くあやしながらご飯を食べさせていたが、自分は昔こんな育メンだったのだろうか?

金曜日と関連病院会議

今週こそは平穏な金曜日を!と念じていたが、午後3時過ぎに緊急開頭血腫除去の申し込みがあった。まれな血液凝固障害があり、急速に意識障害が進行しているという。別の緊急手術に準備していた部屋を提供し、チームを組んだ。。検査部の医師からのアドバイスで、同時進行で血漿交換もすることになった。
麻酔班、カテーテル挿入班と臨床工学技士さんの血液浄化班。看護師さんは血液準備や手術準備にてきぱきと仕事を進めた。手術は無事に終了したが、意識の回復が得られるかは経過を診ないとわからない。患者さんがICUに移ったところで、未だ5例の手術が残っていた。午後7時になり2例の手術が終了したところで、当直医・残り番チームに後を託して関連病院会議会場のHホテルに向かった。写真はスタンバイとなった血漿交換の器械と回路。
食事をしながらの会議なので、良く意見が出された。隣に座っておられたT中央病院の畑〇先生は、資料の配布や焼〇の注文など自分に気を使ってくださり恐縮した。1年前までは自分もそのような立場にあったのだな・・と思い出した。会議が終わり、数名で医局に戻った。意見交換の続きをしたが、ここでは「むさしの想ひ」が役立った。

2012年3月16日金曜日

むさしの想ひ

のぐち酒屋さんに注文した「むさしの想ひ」が届いた。キャッチコピー「気の合う仲間と酌み交わす そこに上質の味わいが生まれる」を読めば、飲む前から体が温まってくる。
1本購入するたびに200円が地域奉仕への基金に入る。1ダースの注文なので2400円ではあるが、来週は「さつき」にも持って行ってキープしておこう。
昨夜は冷たい風が強く寒かったが、走って帰った。午後9時ごろ都立家政通りのお気に入りのお店(昨日なくなっているのではないか!?と心配した店)の明かりが見えた。お店では大将が調理をしている。昨日見たのは何だったのだろう??
家に帰ると、家人が来ていた。自分の書斎以外はきれいに掃除されていた。

2012年3月15日木曜日

ロボット支援手術とサッカー応援

14日「さつき」に夕食に行くと、Y形大学のK前先生がU野先生と食事中だった。15日にロボット支援手術(ダ・ヴィンチ)を麻酔科・手術室の立場から見学し、14日は新宿の歌舞伎町??に泊まられるという。丁度鍋が食べごろになっていたので自分も仲間入りした。TVではサッカーオリンピック最終予選日本対バーレーンが始まっていた。前半は得点なく、3人で話しが弾んだ。後半になりS根先生やF井先生、I佐先生が加わり賑やかになった。2得点で2回も乾杯するなど、スポーツ居酒屋と化した。午後9時5分携帯の地震情報が響いた。10数秒後に縦揺れが始まった。1分ぐらい続いた。「さつき」は1階で造りがしっかりしているので、皆落ち着いていた。午後11時前には翌日の見学のことを考え解散、自分は走って自宅に向かった。途中都立家政通りにあるお気に入りの和食の店が閉まっており看板その他も無くなっていた。少し胸騒ぎがした。 写真は3月15日に手術室でK前先生と。


15日はいつもより早い電車で出勤した。朝のカンファレンスにはK前先生の参加してくださった。U野先生はK前先生を連れて手術室内を案内しておられた。自分は川〇君と整形外科の麻酔についていたが、途中ダ・ビンチ手術の部屋に入って記念写真。ICUのカンファレンス終了後、3人で記念写真を撮った。ICUカンファはいつもより力が入って時間も長かった。


夕は医局会の時にスウェーデン短期出張中の宮〇先生とスカイプを使用した話し合い?があった。逆光のために彼の顔は陰になっていた。

2012年3月14日水曜日

だるま弁当

毎週火曜日、新潟の三条市にある三〇町病院に着いたらすぐに昼食をとり病棟回診をして手術室に入る。13日は脳神経外科のダブルクリッピングがあるので、新幹線内で高崎名物だるま弁当を購入し昼食を済ませた。


だるま弁当は、オコワ?の上に良く味のしみた野菜・山菜・肉などが乗っており達磨の形をした容器に入っている。900円だが上げ底でないので得した感じになる。高崎の名物とか、・・・(山の幸を豊富に使い群馬の特色を活かした普茶料理風のお弁当です)はHPから拝借。
 病院到着して直ぐに手術室へ、患者さんを診察し麻酔導入・維持へ。手術の準備を済ませて手術開始。順調に手術は進み無事にクリッピング、そして閉頭。後は麻酔から醒めるのを待つだけとなったが、新幹線の時間が迫っており北〇先生に後を託して燕三条駅に向かった・・・
 東京駅から丸の内線で西新宿の病院へ。気になっているICU入院の患者さんを診る。部屋に戻りスーパーポリクリの講義や同窓会での講演の準備をしていたらあっという間に23時20分となった。未だ夕食を食べていないが帰りの電車にも間に合わねば。朝走って病院に来たので帰りは電車でもいいだろう。
 自宅について風呂の追い炊き、夕食はラーメンと冷やっこで済ませた。ノーアイロンでないワイシャツを自分で洗濯してアイロンをかけるがしわが取れない。熊本の「のぐち酒店」から15日に注文した「むさしの想ひ」1ダースを送るとの連絡が入った。ああシンド。

2012年3月11日日曜日

東京地区中学校同窓会

日曜の今日は11時過ぎから東京地区の中学時代の同窓会が予定されていた。自分は大阪で研修会があるので午後6時過ぎに東京駅に着くことを呼びかけ人の寺〇さんに伝えていた。着いたら八重洲口を出て電話をするようにとのメールが入った。4名の同級生が自分のために待っていてくれているという。
東京駅八重洲口の黒塀横丁の店の前に寺〇さんが待っていてくれた。女性3名男性1名が温かく迎えてくれた。寺〇さんと小〇さんは4,5年前の同窓会(鹿児島であった)で会っていたのですぐに判ったが、二人は最初は判らなかった。でも名前を言われたら面影があり、中学生の頃と結びついた。話題は定年後はどうするかとか、子どもさんの結婚など。そんな年になったんだなと思った。新〇くんは目黒に会社があるという。遊びにおいでよと言ってもらった。〇江さんは横浜から、小〇さんは京都からわざわざ来てくれた。
行動力のある寺〇さんに東京地区中学校同窓会の世話人になっていただくようにお願いした。皆さんが輝いて見えた。一次会には12名ほど集まったそうだ。写真を見せてもらった。女性は誰だか判ったが、男性はあまりもの変わりようで判らなかった。

ワイズメンズクラブ2011年度次期会長・主査研修会

ワイズメンズクラブ国際協会西日本区次期会長・主査研修会参加のために大阪に行った。山手線で原宿駅に来たとき、渋谷駅での人身事故のために電車が止まった。仕方なく、地下鉄を乗り継いで東京駅に行った。携帯インターネットで乗り継ぎを調べると10分前に会場に着くことが分かり安堵した。
新大阪駅から御堂筋線で西中島南方駅に向かった。会場のホテルに着いたが、様子が違う。ホテルを間違えていた。慌ててタクシーで会場のホテルへ向かった。開会式開始1分前に滑り込んだ。
自分はクリスチャニティー特別委員会委員長なので、開会祈祷(キリスト教をベースにするYMCAをサポートする奉仕クラブなので開会と閉会の祈りを行う)、キリスト教理解講座A(初心者向け)の講師、日曜の早天礼拝の司会、閉会祈祷を担当する。約100名の参加者を前にしての開会の祈りは身が引き締まる。昨年の大地震・巨大津波そして原発事故のことを憶え皆の心が一つとなるように祈りの時を持った。
講座には60名ほどが参加してくださった。もっと基本的なことを話す方が良いのかもしれないが、ノンクリスチャンのメンバー(約8割)にもキリスト教を受け入れていただくように話した。神戸のOさん(被災者支援マラソンを昨年一緒に走った)の記事を引用。高石ともやさんが話したこと。「優勝者は優しいという字を使っているのは何故?ただ競争に勝つだけではなく、一緒に走り切った者同士、ともに喜び合おうとする優しさが必要だということ。優しい人は優しさを伝える行動力のある人だと思う。そんな人に近づきたい。」Oさんは、既に優しい人だと思う。
夜の懇親会では、多くのメンバーたちと交流を深めた。同じテーブルは研修会の講師の皆さんが座る。しかし写真は大阪中西部からこられた女性会員の皆さんと。

九州のメンバーのテーブルや、ほかの地区から来たメンバーのテーブルにも遠征した。いつもと違ったのは、午後9時過ぎたところで部屋に戻ってベッドに潜り込んだこと。少しは体をいたわろうとする自覚が出てきたようだ。 写真は九州から参加したメンバーと。
日曜は6時過ぎには淀川河川敷を目指してランニング開始。1月はこの時間は真っ暗だったが、朝日が昇ってきた。もう春だなと思った。
九州地区から参加の皆さんとの話し合いでは、皆さんの発表を聞きながら、川柳を考えていた。
「親睦の中から生まれる奉仕哉」
「例会は第一優先月二回」
「被災者に寄り添い続けるワイズメン」
閉会式では、3・11を思う希望の凧が披露された。全国で凧揚げをしながら被災地にエールを送っている。3月24日の再会(自分が所属する熊本むさしクラブの15周年記念例会)を約束して午後3時半の新幹線のぞみに飛び乗った。

2012年3月10日土曜日

怒涛の金曜日

午後4時までは手術室も平穏で予定手術は粛々と行われていた。局所麻酔の緊急手術は何例か入ってたようだが、午後4時から初期研修医対象行われたに中心静脈路確保のため試験にも2名を送り出した。ところが、午後5時前から緊急手術が入りだした。遂には産科の超緊急帝王切開の登場となった。
スタッフの動きは早かった。眼科緊急手術用に準備していた手術室があっという間に帝切用の手術室に変わった。麻酔科スタッフをいくつかの役割に振り分けた。妊婦さんの術野の消毒が済んだところで全身麻酔を導入・挿管した。手術開始、数分で胎児が取り上げられた。二人の命が救われた。
 午後7時過ぎ2例の手術を残すのみとなったところで、研修医説明会場のホテルに向かった。研修医説明会は医局の大切な行事だ。U先生が出張なので、U先生のパワーポイントを使っての説明。自分が作ったパワーポイントでないので、少々の間違いはご愛嬌だ。会も盛り上がり記念写真を撮った。
 二次会は「さつき」へ。人数は半分に減ったが、二次会に来てくれる心意気がうれしい。I先生のK先生も来てくれた。それにしても今日は大変な金曜日だった。
 東京に来て、初めての三次会をした。病院近くの店だが、割と雰囲気が良く、種子島の甘露と安納という焼酎があったのは感激した。三次会に参加した武〇君と別れ、川〇君とタクシーに乗った。冷たい雨が降っていた。


家に帰ってお腹が空いていることに気付いた。居直って(体重増加は気にせず)ラーメンを作った。見た目は悪いが美味しいラーメンだった。明日は大阪に行く。