2008年10月31日金曜日

11月への決意

 例年10月が一番忙しい。ここを乗り切るとルーチンワーク以外では11月の高校同窓会のお世話、1月の熊本麻酔専門医会の準備となる。9月から救急部(部に昇格していないが・・)の仕事も加わり病院の仕事が2割増しになった。入ってくる情報が多く、整理する情報が間に合わないので部屋の中は倉庫と化してしまった。11月15日の熊本市災害医療福祉訓練の病院実行責任者なのでその実行委員会も加わった。

 写真は倉庫と化した自室




 でも楽しみも作ろう!2日は大阪に行ってワイズの仲間と夢を語ろう。5日はにしクラブの例会。6日は熊本市医師会の将来を語る本荘地区再開発委員会、7日はCancer Pain Forumで座長、8日は宮崎に行って医療マネジメントを学ぼう。9日はスペシャルオリンピックスの会場担当医。15日の訓練が終わったらYMCA阿蘇キャンプに行こう!16日は九州ドクターサッカー大会だ。22日は大学サッカー部のコンパ。24日は鹿児島YMCAの設立準備委員会。29日は高校同窓会。30日は緩和ケアーセミナー開催。そうそう、熊本麻酔学会や日本麻酔学会の準備もあったっけ。11月はやっぱり1回の当直と5回の麻酔科当番、10回以上の病院会議もあった。

 一番楽しいのは、患者さんとのお話ししている時、麻酔をしている時、食事をする時、走っている時、寝ている時かな・・・ところで家に帰る時間はあるのかな???

2008年10月26日日曜日

地雷廃絶と被害者支援のチャリティーラン&ウオークとジャガイモ・カボチャ荷卸・配送

誇大表示多分今日を乗り切ればこの一年は乗り切れる日だろう。6時起床し昨夜準備した配送計画・領収書を準備し下江津湖端の広木公園へ。23日借用したドブヅケ2個とスポーツドリンクを運ぶ。チーフの奥○さんに応援に駆けつけた救急救命科の学生さんの指導を託す。7時には「てれっとウルトラマラソンクラブ」のメンバーが集まり、テント設営や受付準備が始った。
 直ぐに15km離れたむさしYMCAへ移動する。7時20分には到着し、雨模様の空を見上げてテント設営を決断した。ボランティアの臨床工学科の学生さんたちとテント設営そしてブルーシートを準備した。さて8時には3台のコンテナ到着。人海戦術でジャガイモ・カボチャ荷卸と、計画に沿った運搬車へ積載をする。じゃがいも800箱(10kg/箱/ 2000 円)とかぼちゃ400箱(10kg/箱/2500円)はスムーズに分配され、宅配分の荷造りも進んだ。10時頃宅配のトラック到着し、11時30分過ぎにはほぼ配送も終了した。メネット(奥さんたち)も手作りの昼食を皆で楽しむ。至福のひと時だ。
 今日手伝ってくれた学生さんたちにはジャガイモのお礼。これは救急救命科の学生さんにも同様。これから成績表を作るが、社会貢献の項を特別記入する予定。
 再び広木公園に行き、ジャガイモ・カボチャも販売した。学生さんをねぎらいドブヅケを回収し、最○代表をご自宅に送った。さて、今日はこれから。
 市内数箇所の配送と和水町(福岡県との県境近く)にある先輩の老健施設へジャガイモ10箱・カボチャ4箱計30000円の配達。家人が手伝ってくれた。途中道を間違い、自宅に帰ったのが20時だった。ああしんど・・・先輩から燃料差し入れ(ワインと焼酎)があり、夕食時に楽しんだ・・・
 明日から通勤時・昼休みを利用した配達が始る。これも秋の風物詩。

2008年10月25日土曜日

トータルケア研究会

 癌終末期医療を考えるトータルケア研究会を立ち上げて7年になった。8年前某製薬会社の徐放性オピオイド「カデ○アン」発売周年記念講演会を発展的に改変し全人的なケアを考える会にした。8年前の最後の講演会を飾ってくださった内藤いづみ先生が10月24日の第7回トータルケア研究会の講演者。甲府市で在宅ホスピス患者さんと共に生きる熱血漢。その言葉の端々に患者さん・家族への深い愛情を感じる。担当する患者さんの数は多くない、なぜなら満足を得る関係を構築する時間が取れないから。患者さん・家族と向き合う基本はホスピタリティー。あなたの最後の友人となれて幸せ・・・
 無事座長を務め、一緒に食事の会を持った。偶然にもご主人が甲府ワイズメンズクラブのメンバーであることが分かった。話題は多岐にわたり話しは盛り上がった。8年後の3回目の講演を約束した。執筆活動、マスコミを介した在宅ホスピスケアの啓発など、バイタリティーに溢れる先生との再会には「頑張っていらっしゃいますね・・」のキーワードが必要だろう。そう言える様に長期目標をつくらなくっちゃ・・・
 25日、神戸に日帰り出張。第14回胸腔鏡下交感神経節遮断研究会に出席した。手掌多汗症の治療、合併症特に代償性発汗への対応について学んだ。帰りの空港リムジンのバス停で不妊症学会帰りの岩○先生と会った。情報交換する。
 明日26日は地雷廃絶と被害者支援のチャリティーラン&ウオークとジャガイモ・カボチャ荷卸・配送が重なった。配送の計画をつくり領収書を作っていたら午前2時になった。

2008年10月20日月曜日

小さな花

SONY Cyber-shot 7.2MEGAPIXELSで撮影をするのだが、近接撮影にセットしても小さな花だとぼけてしまう。



ホトケノザやヤマグミも上の解像が限界のようだ。









 近所に面白い花?袋があった。チロリンランプという名前だそうだ。「アブチロン・チロリンランプ・浮釣木」と、いろいろ呼び名があるようだが、チロリンランプが親しみやすい。

 今朝の病院打ち合わせ会で11月15日の熊本市災害医療福祉訓練について各部署に通達した。さて急いで計画をたてねばならない。11月16日は九州ドクターサッカーが熊本で開催される。忙しい行事はまとめてあった方が良い。この2つのイベントの合間に阿蘇YMCAキャンプ場に行き、ワイズ西日本区役員会に出席する。

 今日の外来で、患者さんから「先生は篤姫を観ながら眠ったんですか?」との質問あり。どうやら娘さんがブログに訪問してくれたらしい。先週の中学校の同窓会で「元気のでるブログ!!」と褒められて以来、良く書いている。褒められると人は倍の力を出す。
 
 月曜日は毎週医局会と術前術後症例検討会がある。その後19時から2つの会がバッティングした。熊本YMCAの60周年記念誌編纂委員会の評価会とサン・アントニオ訪問団の反省会(打ち上げ)だ。前者は責任者なので出席優先。でも後者にも行きたいので、作戦を練っている。少なくとも二次会(あれば・・・)には行きたいなと思う。

2008年10月19日日曜日

チャリティーバザーと家族(遺族)会

午前中むさしYMCAでのチャリティーバザーで焼き鳥を焼いた。
手馴れたもので火起こしから豚バラ、鳥身、鳥皮、つくねの4種類を焼き始める。食バザー開始30分前から8分焼きを始めストックする。開始5分前から本焼きに入る。とは言え、豚バラが人気で開始1時間で完売。鳥身は火が十分通るのに時間がかかる。今回は学生さんの応援が無く、ワイズと運営委員の皆さんで奮闘する。午後1時まで手伝ったが、病院緩和ケア病棟の家族(遺族)会があるので病院へ移動する。


 会場の会議室はテーブルが3箇所に設置され、暖かい雰囲気のテーブルクロスが掛けられきれいな花が花瓶に生けてあった。4年前に亡くなられた方のご家族から、1年前亡くなられた方のご家族が15名ほど参加された。村○さんの司会で開会。院長の挨拶の後、私の挨拶になったが、詩を読ませてもらった。

 いっしょに
         のぎく みちこ

ここで やすんでいきませんか
すこし おはなししませんか

きのうみた ゆめのはなしや
あしたの おてんきのこと
ぜの はしるすがたや
ひかりの こぼれぐあいについて

そして
あなたが どこからきて
どこへいくのか なども・・・

ゆっくりゆっくり
うなづきあって
しばらくいっしょに
すごしませんか
(工藤直子の「のはらうた」より)
写真はコスモスとほおずき

会はゆっくり流れ、参加者の皆さんと故人の思い出話に花を咲かせた。
終了後、参加者・スタッフ・ボランティアの皆さんとの記念写真


おもてなしの心が感じられる良い会だったと思う。終了後スタッフ・ボランティアが集まり反省会をした。
さあ帰ったら風呂掃除だ。

2008年10月18日土曜日

理想的な土曜日

朝はメールチェックしてルーチンワーク(朝ジョグ)、シャワー後果物とお茶だけの朝食。そして病院へ。8時からのICUカンファレンスと8時15分からの麻酔科週間カンファレンス。研修医の発表スライドチェック・指導。9時から外来開始。今日は研修医が陪席でついてくれたので大助かり。13時前には終了し、麻酔科合同昼食。 ここまでは普段どおりの土曜日。
 朝ジョグではコブシの冬芽を観察。オクラのきれいな花を写した。









 先日桜の葉っぱで最後の一葉の写真をアップしたが、今日は最初の一葉の写真を撮った。





 医局のソファに座って篤姫を観ていたら、眠りこけていた。今日は晴天、15時50分に白川縁20kmコースにスタートする。このコースがお気に入りなのは、小島橋まで走る間太陽に照らされること。いつも室内の仕事だから、直ぐに日焼けが褪めてしまう。天然紫外線は貴重だ。


 世安橋を渡っていると近所の小父さんが鯉が沢山いると喜んでいた。そうそうこの橋の下にはいつも黒い鯉がいるのだが、今日は小さな子供の鯉も沢山いた。



 草刈をしている人たちがいた。そう言えば種子島の家の庭は草ぼうぼうだろうか。そろそろシルバーさんにお願いして草刈をしなければ・・・今年は2つ台風が種子島付近を通ったので、家が一部壊れて雨漏りがしているという報告を受けた。帰って見たいのだがまとまった時間が取れない。家を手がけた工務店に電話をいれ見積もりをお願いしているが返事がまだない。

 西に向かい、太陽が沈む前にUターンだ。夕焼けがきれいだから明日は晴れるだろう。





 河川敷にススキとセイタカアワダチソウが競い合っていた。ススキ頑張れ!!!





 病院に帰ってシャワーを浴び、上○先生と平成20年災害医療訓練の打ち合わせをした。急に入った熊本市をあげて取り組む訓練だから、最優先せねばならない。自分の予定表を見て、何処に準備会を入れたら良いのだろうと悩む。今日は明日のYMCAバザーの値付けを手伝うことにしていたが、ここは家人に任せることにした。明日の予定も詰まっている。

2008年10月17日金曜日

最後一葉

K高の周りに植えてある桜の葉っぱも落ちてしまった。蓑虫の家になった葉もあるが、せっかくなので最後の一葉になるような被写体を探した。あったあった・・・記念撮影。


熊本は既に稲刈りのシーズンになったが、K高横の田んぼの稲刈りはいつだろうか?




そういえば野菊(カントウヨメナ)がK高向かいの空き地に咲いていた。しかも沢山。今週は節制を誓ったので、毎朝走っている。今日はワイズの企画例会なので明日はきっとピンチだろう。


昨夜「風のガーデン」というTV番組を観た。麻酔科医役の中井貴一がやけにかっこ良かった。ペインクリニックの授業風景や手術室での麻酔指導をプロの目で観察した。よく演じている、大したものだと思った。あの番組を観て、麻酔科志望の研修医が増えれば良いな・・・しかし、あんなにもてるのはフィクションだからだろうな。

2008年10月16日木曜日

ハナセンナ

朝走る時、近所の庭にきれいな黄色い花をつけた木があり写真に写した。


 匂いははっきりしない。「黄色いサルスベリがある!」と家人に言ったら笑われた。ハナセンナ(又の名をアンデスノオトメ)と言うそうだ。
 昨夜は熊本にしクラブの第4回仮例会が熊本全日空ニュースカイホテルで開催された。
皆でワイズメンズクラブの歴史や日本YMCA同盟の国際貢献活動について学んだ。また会場に熊本YMCAの60年の紹介パネルも展示したので何人かの方が興味を示してくださった。
 今日の朝、満月がきれいだった。 ひょっとしたら昨夜~今朝は十五夜なのかな?

2008年10月13日月曜日

花岡山の花の名分かる!


遠い山から 吹いて来る  小寒い風に ゆれながら  けだかくきよく 匂う花  きれいな野菊 うすむらさきよ



<野菊>という花はありません。野原に咲く菊と言うほどの意味でしょうが、路傍に咲くキク科(キク属、ヨメナ属、ノゲシ属、シオン属)に属するものの総称です。歌詞にある<やさしい野菊うすむらさきよ>というのは、ヨメナ属に薄いむささき色のものがありますので、このカントウヨメナのことでしょう。葉の細いノコンギクだと言う人もいますが、これはあまり品がありません。ちなみに伊藤左千夫の「野菊の墓」の野菊はカントウヨメナということになっています。
というHPを見つけた!謎が解けた。

節制を誓う

 今日は病院当番の日。8時半には研修医と緩和ケア病棟のモーニングカンファレンスに参加した。緩和ケア病棟、集中治療室の他、麻酔科入院や術後疼痛管理をしている患者さんを回診したら10時が過ぎていた。
よく考えたら、この3日間夜は飲んでばかりいる・・・反省  溜まった書類の作成に追われていたら、急性虫垂炎の緊急手術が入った。デスクワークは中断、手術は49分で終わった。もう16時だ。陽が高いうちうに少しは走って距離を稼ごう。また肌が白くなっていく・・・焼酎焼けとネオン焼けは日焼けとは異なる。
この写真は10月8日に学生さんや救急救命士の○永さんと走った時のもの。左に不思議な光が見える。この時は7km走った。



花岡山から田崎陸橋脇をを通る13kmが今日のご褒美。花岡山山頂から八代に伸びる九州新幹線の線路を見る。



この花は?キク科?ディモルフォセカ??のようでもある。群生していなかった。
次のブログで正解を!




節制が今週のキーワードだ。
18時頃に病院到着。途中○谷先生と会った。彼女も走っていた。麻酔科に入局して一緒に走らんかな~っ。

2008年10月12日日曜日

熊本YMCA60周年

10月12日は7時18分の鹿児島中央駅発新幹線に乗り熊本へ。駅から病院まで歩いた。入院患者さんを診て帰宅、朝食兼昼食を摂った。
 15時から始る熊本YMCA創立60周年記念礼拝の司会を担うことになっているので、13時半に自宅を出発し歩いて会場の九州学院ブラウンチャペルに向かった。10月とは言え暑く、式服を着ているので汗をかく。45分ほど歩いたところでバスに乗った。しかしそれでも水道町から会場まで再び歩いた。
 記念礼拝会場に入る前に携帯がなった。係りの皆さんが私の到着時間を気にしているようだ。開始30分前だったので、皆さんや奨励をされる山下先生と打ち合わせ。朗読する聖書はエフェソの信徒への手紙6章10節~20節で、困難な時代に立ち向かう人々へのメッセージの箇所。間違えないように何回も読んだが、結局3ヶ所間違うしかし直ぐに言い直す。山下先生のお話しは力強く、元気をいただいた。 写真は舞台袖から見た山下先生。 






記念式典では会員歴60年(創立時代からの会員)の江○さん(第3代目の理事長)を始め4名の方や,私にYMCAの魅力を教えてくださったアメリカ在住の本間さんご夫妻(今回はご欠席)への感謝状が渡された。



 記念講演会ではスティーブン・ロイド・リーパー氏(広島平和文化センター理事長)による「平和の危機と日本の役割」というタイトルでのお話し。全ての人が幸せになれるようにするのが平和文化、競争するための(一見)公平なルール作りにこだわり競争でボスが治めるのが戦争文化の2つの文化を紹介、平和を守るためには闘いも必要と締めくくられた。全て日本語での講演で、一生懸命にメモを取った。
感謝会はキャッスルホテルだ。私のテーブルは韓国大邱YMCAからのゲストと同席だった。数名顔見知りの方がおられた。3年前訪問した中国杭州YMCAの皆さんや同じく3年前にお話したシンガポールYMCAの理事長らとも旧交を温めた。50周年に比べて少し大規模すぎたかな・・・?
写真は参加者全員で、「We all belong to you」を歌う。ギターは総主事の堤さん。








  

私たちが作った60周年記念誌は読みやすく、自画自賛!!








そして21時30分に感謝会が終了し、岩○さんエルマークロウ賞受賞祝賀会に移動した。エルマークロウ賞は各区(ここでは西日本区)の部長さん(8つの部、岩○さんは九州部でむさしクラブ)の中で特筆する活躍をされた部長へのワイズメンスクラブ国際協会からの表彰である。 輩出した部にとっても、クラブにとっても名誉な賞となる。本人は部長を楽しく1年間務めました・・と言われたがそのエネルギーと代償は大きい。ご家族の支えがないととてもできない。私が彼のスポンサーということもあり、最後の挨拶をする栄誉をもらった。
セーノ チャチャチャ 素晴らしー!!で済ますには大きすぎる賞だ。おめでとう。

2008年10月11日土曜日

中学校の同窓会

 10月11日に40年前卒業した中学校の同窓会に行った。親友のS君が幹事だ。鹿児島中央駅裏のホテルにチェックインし、天文館の会場に行った。懐かしい顔に出逢う。92名が参加し、各クラスごとにテーブルが分かれていた。思わず恩師では??と思った人が同級生だったり、誰か思い出せない人もいたが、30周年の同窓会であった人は直ぐに分かった。
 意外に多くの同級生がこのブログを楽しみに見てくれていることが分かった。井○さんや西○さんから、元気がでるブログよ・・と褒めてもらった。うちのクラスの参加者は女性が多い。皆さん中学時代の面影を残しながらも輝いていた。ひ弱でやせっぽっちだった「たのうえクン(クンを強く言いイントネーションが上がる、鹿児島弁)」も少しは立派になっただろうか??

 ビールと焼酎の水割りを飲みながら語り合う・・・恩師の柳○先生と話す。息子さんが事故に遭い亡くなられたときに、母からもらった手紙のことを話してくださった。40年間も思い続けてくださっていた・・・
 中学1年の時1カ月以上入院したことがあった。その後、何か運動をして身体を強くしたいと思った。前○君と砂場で毎日のように走り高跳び(ベリーロール)に熱中した。その後サッカーにはまった。ゴリラーズという(指導してくださった体育の先生のあだ名から付けた)同好会をつくり練習した。柳○先生から、「君の両親から、『勉強はしなくてもいいから、サッカーをさせて欲しい。』と言われたよ。」との驚きの逸話を聞かせてもらった。
 そう言えば、保護者参観の時教室に棒グラフの表が張り出してあった。私と、坂○君とAさんがダントツで、一歩私がリードしていた記憶がある。種子島から出てきた父が、よう頑張ってるなと、しっかり見たら遅刻回数の表だった。もちろんシコタマ怒られた・・・思い出は尽きない。
東京から来た同級生が、今まで自分が持っていたプライドの一つがこの学校の卒業生ということだった・・と言った。すごい!
 お店の階段をつかって記念写真をクラスごとに撮った。カメラが何台もあるので、何処を見たらよいのか・・・もちろん自分のカメラを見ているので、自分だけがカメラ目線だ。
 幹事のS君やK君がそれぞれ高校は違うが、高校の同窓会のまとめ役もしている。頭が下がる。良い写真ができたら送って欲しいな・・・ あて先:
tanoue@bronze.ocn.ne.jp
 

麻酔の新しい風

麻酔科医をテーマにしたTV番組が始ったようだ。故緒方拳さんも出演しているという。さて熊本大学麻酔科では後期研修医セミナーを毎月開催し、大学病院を含めて関連病院で研修する若手医師の教育と親睦を図っている。私もペインクリニックの講義で2回講師を務めさせていただいた。
昨日はY製薬との共催で、調節性に富む静脈麻酔薬がテーマであった。4名の演者に我が病院のY先生がいる。麻酔科も全員参加で臨んだ。2年目の若手からY先生まで、夫々の切り口、興味の視点が違うので楽しんで聴けた。忙しい仕事の合間を縫って、準備をし敢えて批判を浴びる場に立つことは医師にとって大切なことだと思う。情報交換会があったが、久々にサッカー部の後輩が入局するようだ。嬉しいので記念撮影
 10月から麻酔科で研修中の研修医と救急救命士を連れて、夜の研修に行く。プラス1での飲み会、明日のこともあるので(中学の同窓会)深酒無し・・・だったと思う。

2008年10月7日火曜日

長時間手術

 今日は当直明けから2例の手術の麻酔と患者さんのケースカンファレンス、治療方針の話し合い、救急車対応、研究会準備、会議に少しだけ出席・・をこなし、18時過ぎから朝からずっと行われている手術の麻酔についた。先ほど無事終了し、患者さんは麻酔から覚醒。集中治療室に搬送し、反射が強くなってきたので抜管(気管チューブを抜くこと)をした。今23時30分なので連続39時間30分勤務になった。しかしこの間3時間ほどの仮眠と、ブログへの写真貼り付けまでできた。
 しかし、思うのだがうちの外科医のタフなこと。10時間以上たったまま手術についておられた。麻酔科もその前後麻酔導入と覚醒についているので、どっちもどっちだろう。緊張する仕事だが、時には気の効いたジョークも必要。肩の力が抜ける。
 ああしんど・・・

2008年10月5日日曜日

第20回日韓YMCA医師蹴球交流

紆余曲折合ったが、第20回日韓YMCA医師蹴球交流が10月4日菊陽杉並木公園さんさん で行われた。韓国大邱からは19名の一行で選手は12名、最高齢のS先生は83歳であるが、かなりの時間グランド内におられた。日本熊本チームは16名のプレーヤーとお手伝いの学生さんとYMCAのスタッフ。また熊本YMCAの60周年の記念行事の一環なので熊本YMCA少年サッカーチームOBと中学生も参加してくださった。
 熊本のサッカーの父緒○さんも開会式・試合に出てきてくださった。うちの病院の麻酔科は4名で全てサッカー部出身なので、この1週間は日韓交流モードにしていた。準備は周到にしたつもりだが、ここでも多くの危機管理を学んだ。
 さて、試合は3対3の引き分け。6-4で熊本が押していたのだが、シュートがバーに何度も当たる不運もあった。が、2点得点した(たーさんが!!)ので気持ちは良かった。優勝旗と優勝カップは遠来の友、大邱チームにお渡しした。(来年持っていくのが重い・・・)
 今回は団長代理ということで、総務(主務)の仕事をY先生に随分やってもらった。ハプニングで試合中のケガで韓国の選手を仲間の整形外科クリニックに運んだが、通訳のTGさんについていってもらったので、懇親会の通訳が最初の30分(セレモニー)いなくなった。急遽、自分で通訳(韓国語でなく英語で)したが、途中出てこない単語が多く、困った。名誉団長のG先生の乾杯のご挨拶は、G先生と同期のN先生が英語で通訳してくださったが、余りにもお上手だったので、恥ずかしかった。しかしM先生から「たいしたもんだ」と褒められた(慰められた)。

家人が姫路に行っているので、代理で娘に出席してもらった。「とても素晴らしい交流で、最後に皆さんで輪になって手をつなぎ「サランヘ」を歌う時は感激して涙が出そうになった・・」と言ってもらえた。

写真は張団長ご夫妻と

 記念品に、2005年バージョンにロッソ熊本の赤シャツ(ロッソがJFAに昇格したときの記念のシャツ、今はロアッソに名称変更されたので、入手できない)と熊本大学医学部サッカー部50周年の記念ネクタイピンを贈った。大邱の皆さんから記念棒タイをいただいた。 写真は日韓麻酔科軍団、ロッソ熊本の記念Tシャツ
 二次会は「プラス1」へ。歌ありおしゃべりあり・・で盛り上がり、新市街にある老舗のラーメン屋で3次会をして帰った。
写真は歌を披露された韓国の奥様方とこっそり中に加わったN元教授。

 
5日6時20分には宿泊ホテルに行った。G先生ご夫妻も来られた。皆さんと朝食を一緒にとった。バスが出発するまで見送った。来年は大歓迎を受けそうだ。