2010年6月27日日曜日

この週末

 
救急救命科の学生実習は第2グループの2週目が終了した。25日は大事な資料を学校に持っていってもらうので、3人を花屋(食堂)に連れて行ってパリパリ焼きソバとチャンポンを食べた。家人がいないので丁度良い夕食になった。昨夜亡くなられた患者さんのお通夜に行ったのだが、駐車場が見つからず引き返した。
26日は緩和ケア病棟の家族会があった。1年半から1年前に亡くなられた患者さんのご家族・友人、9家族11名が参加された。ボランティアやスタッフと思い出を語りあった。素晴らしい看取りをされたご家族なので、次第に和やかになり思い出を笑いながら語り合うことができた。
この後、市医師会定期総会懇親会に参加した。長寿会員の表彰で米寿を迎えられた富〇先生が、「もう88歳、やっと88歳、まだ88歳」と心境を表現された。名言馴染みの店によってから帰宅した。
27日は考えられないほど朝寝をした。そのまま教会礼拝に行き、役員会の後病院に行った。家に帰って、北バイパスを1時間走った。家人が戻ってきたので夕食を作った。料理が苦にならないようになったが、レパートリーは増えない。
ドイツ対イングランド。イングランドのゴールを認めなかった主審はどうなることか・・・

2010年6月25日金曜日

決勝トーナメント進出

強化試合3連敗で、予選トーナメント全敗で敗退かとの大方の予想を裏切り、2勝1敗で決勝トーナメント進出が決まった。午後10時半には自宅ソファ(TV前)で就寝、3時に起きた。デンマークとの運命の戦いは始った。前半17分本田のFKのゴールからは安心して観戦、とは言え立って観ているか、吉〇先生から送ってきた臨床麻酔学会の抄録をチェックしながらの2時間だった。
家人は今日から2泊3日で東京に行く。トーンチャイムコンサートを聴きに9名の団体旅行だが、桃ちゃんにも会いに行く。この週末、25,27日は麻酔科当番で26日は緩和ケア病棟の家族会とし医師会の総会・懇親会があるので、結構忙しくなりそうだ。

2010年6月23日水曜日

当直明けのラン

 当直明けで少し寝不足のまま外来診療に突入した。今日は会議もなかったので17時30分から救急救命学科の学生(20歳)3名と白川縁、五福町、新町、藤崎台球場、二の丸公園コース約7kmを走った。ポイントポイントで記念撮影をした。途中熊本市立熊本博物館裏の公園に足を延ばした。こんなところに公園が・・・と新しい発見があったが、高校生のカップルがじゃれていたのは目の毒だった。6月になると学生実習が始るので、夕方の走る時間ができる。朝の時間も少し延ばしたいが、ワールドカップが終了するまでは無理だろう。











 最近時間を作ってはよく走っているので、体が軽くなってスピードが出てきたような気がする。阿蘇スーパーカルデラ100kmマラソンの登録費が返ってきたが、大会のこれからの継続のために寄付することにした。

同級生

 22日火曜日は熊○市民病院の中央手術室に行く。ここの責任者は同級生のM先生。久々に小児の開心術や帝王切開の麻酔につかせてもらった。お互いに医師になって30年が経過したがマダマダ頑張ろうとする気力がある。次々に入ってくる手術症例をテキパキと指示指導していくM先生を見ながら、よし自分も・・とリフレッシュできた。
 自院に戻り、入院患者さんの診察と実習に来ている学生のレポートなどの指導を済ませ17時からの当直業務に入った。救急車、飛び込み患者さんへの対応に追われながら、大量出血の肝臓切除後の患者さんを無事にICUに移し、研修医の発表を指導し、サッカー部の現役後輩の調査資料を準備した。一息ついてブログに向かったら、近くの特別養護老人ホームから84歳の40℃熱発の患者の診療(入院)依頼の電話があった。ワールドカップ観戦どころではなくなった、と思ったが、なかなか救急車到着せず。1時間後某医療センターに既に搬送されていることが判った。兎に角無事であれば良い。
 写真はM先生と記念写真。心臓外科の手術室が寒かったので、上着(割烹着)を貸してもらい着用した。

2010年6月20日日曜日

週末から父の日へ

6月18,19日は日本緩和医療学会で東京へ。緩和医療・ケアが次第に学問的になり、深みと広がりが実感できるようになってきた。今回の理事会で大阪大学の恒○先生が学会の理事長になられた。若い先生たちが生き生きと活躍できる良い学会に育っている。懇親会夕食を済ませて渋谷の息子のとこに行った。
 桃ちゃんにオレンジのお洋服を届けるように家人から託された。桃ちゃんは起きて待っててくれたが、ジージの声が大きいのでびっくりして泣き出した。クマのプーさんが音楽を聞きながらご機嫌になった。テレビではワールドカップサッカードイツ対セルビアが放映されていたが、ドイツのクローゼが退場になり、先制されていた。歩いてホテルに向かいコンビニでつまみと蕎麦を買った。
 土曜日は11時30分のJALで熊本へ。熊本麻酔フォーラム前に開催された役員会に10分遅れて参加できた。若手がエコーガイド下の星状神経節ブロックと帝王切開時の脊椎麻酔+硬膜外麻酔について発表し、広島大学から見えられた讃○先生がナンバと麻酔に関わる体の動きについて講演下さった。一旦病院に戻り患者さんを回診し、懇親会会場のオーデンに向かった。

 
二次会はプラス1でワールドカップ日本対オランダを観戦、日本の応援をしながら・・残念ながら0対1で敗れたが、まだチャンスはある!ラーメンで締めて帰った。
 写真は讃○先生を囲んで
日曜日は父の日。緩和ケア病棟には4名のお父さん方がおられる。今日は子どもさんたちもきっとお見舞いに来られることだろう。  東京の息子一家から向日葵の花束がわらび餅と一緒に送ってきた。嫁いだ娘が婿と訪ねてきてくれた。野菜を沢山持って帰った・・・。夕食には得意の?ゴーや料理で一品花を添えた。末の息子は夕食の時に「お父さん父の日ありがとう・・」と言ってくれた。お土産に買っていた黒のTシャツを最近着てくれている。嬉しい。
 写真は娘夫婦がプレゼントしてくれたポロシャツを着て向日葵の花束を持っているところ
 たまった書類作成をしているうちに、龍馬伝が始り、いつの間にかワールドカップサッカーイタリア対ニュージーランドが始った。

2010年6月13日日曜日

安芸の宮島

ワイズメンズクラブ国際協会西日本区第13回大会が広島で開催された。10万羽の折鶴が献納され、会場に飾られていた。お世話下さった広島クラブをはじめ西中国部の皆様に感謝。 写真は鶴神輿と5万羽の千羽鶴

村上会長も笑顔でバナーセレモニーの大役を果たされた。





懇親会ではむさしのメンバーやクリスチャニティー特別委員会のメンバーと記念撮影ができた。
日曜日は朝から雨、朝ランは中止した。聖日礼拝は流川教会の沖村牧師の説教で、原爆被災後の広島YMCAや流川教会の復興などを交えた平和へのメッセージを拝聴した。 その後、原爆ドーム近くの元安桟橋から高速艇「うらら号」に乗船し宮島へ。



昼食後厳島神社を見学した。これで日本三名景の2/3を観たことになる。丁度干潮になる頃だったが大鳥居までは歩かなかった。もみじ饅頭の揚げたて、焼きたてを堪能した。



 商店街の中に、「ももちゃん」という名の店があった。お店の方に名づけの理由を聞いたら、苗字が「百々(もも)」さんだった。
フェリーで宮島口に戻り、広島駅新幹線口で解散となった。案内してくださったスティーブ・コーラックさんはアメリカ生まれの広島YMCAのスタッフ。日本に来て30年以上たっているので日本語は大丈夫だが、外国人が日本人の団体のツアーーコンダクターをしているのはちょっと変だったかもしれない。

2010年6月11日金曜日

札幌

 日本医療マネジメント学会出席のために札幌にきた。福岡空港から名古屋中部空港まではプロペラ機だった。勝負ネクタイをして、札幌駅北口近くにあるアスペンホテルにお投宿する。
 札幌はよさこいソーラン祭が始まったばかり。早速大通り公園に出かけた。 北海道の味を楽しみ、ホテル近くにあった一国堂というラーメン屋さんで締めさせていただいた。 11日はなんと5時前から目覚めた。外はとっくに明るくなっていた。




北海道大学構内にジョギングに出かけた。北大は広い。たっぷり1時間以上走った。ホテルに帰り、朝食をとった。パソコンは重いので家においてきた。ホテルの貸しパソコンで(10分100円)でメールチェックし、ブログ作成した。 札幌駅からJRバスで会場へと思ったが、本数少なく予定変更。バス待合で偶然であった、Mさんと地下鉄を乗り継いで会場に行く。
札幌コンベンションセンターでは救急医療のシンポジウム、医療材料物流のシンポジウム、特別企画の医療崩壊から再生へを聴講する。評議員会前に宮○理事長にお会いし、挨拶。「君に何かお願いしよう・・」と意味深のお言葉があった。原稿かな?と思っていたら、評議会の議事録署名人だった。びっくりして(弁当を食べていた)思わず箸を落としてしまった・・・。

2010年6月10日木曜日

実習生のおかげで走る

先週から病院実習に来ている〇学院救急救命科の学生と研修医、Y先生と白川縁+女子アナコースを走った。17時半に病床管理委員会を済ませ、18時45分から予定している入院患者回診と退院時サマリー作成・介護保険申請書作成などの合間の1時間15分がその時間になった。


コース途中にある太洋(デパート)火災殉難之碑前では、全員で黙祷をした。昭和48年の秋だった。

全てを済ませて帰ったら23時を過ぎており、娘夫婦が来ていたのに帰った後だった。残念・・・
しっかり冷蔵庫をチェックし、豚肉を持って帰ったと家人が言っていた。よしよし・・・
 明日から学会で札幌。飛行機の中でまとまった本を読もうか、発表の構想を練ることにしよう。

2010年6月5日土曜日

幻の阿蘇スーパーカルデラマラソン

 口蹄疫の問題がなければ10km付近を走っているだろう時間【午前6時)に目覚めた。天気は晴れでひんやりとした外気が心地よい。走り始めると丁度良い気温だ。うっすらと汗ばんでくるのがまた良い。朝ランをしながらそう思った。書き出したのが6時50分なので高森町に入り、あと20-30分で清栄山に上がる標高差400mに挑む頃か。
 午前中から14時過ぎまでかかった外来終了した。パソコン記録を同僚にお願いし、手術室へ駆け込んだ。緊急手術の麻酔。今しがた無事に患者さんを病棟に帰室した(午後4時)。82-85km地点を走っている自分を想像する。あと30分で象ヶ鼻の急勾配下り坂にかかる。この坂を下ると8-9km平地でゴールなのだが、この平地が上り坂に感じる。
 阿蘇スーパーカルデラマラソンが中止になったので、今日は麻酔科当番を務めている。いい天気だ。暑い日が好きなので、気持ちよく走れたはずだ。何もかも上手くいかないのが人生。よく分かっているつもり。

2010年6月1日火曜日

学生と走る

今日は大学病院手術室で脳神経外科の開頭術2例の麻酔(指導)。20年前とは格段に発展した手術器具やモニターや麻酔科の電子麻酔表には感激する。15時から県がん診療緩和ケア部会に出席し、病院に戻った。
写真は麻酔科サイドの方から、麻酔器・モニタ・電子麻酔表



入院患者さんを回診し、昨日から実習に来ている研修医と救急救命科の学生3名を連れてジョッギング。約7kmを小一時間かけて走った。学生さん3名とも野球部出身だったので藤崎台球場から熊本城を回った。残念ねながら高校野球はしていなかった。 写真は研修医、学生さんと。遠近法の話しを写真撮影が終わってから教えた。