午後、恵比寿南公園の桜は満開だった。
帰り強い西からの向かい風に逆らうように走って帰った。神田川の桜もほぼ満開になってきた。夜桜・・・と写真を撮ったがうまく取れなかった。天沼陸橋を渡り終えたころ、きつくなって萬龍軒に入り、ラーメンと餃子の夕食をした。明日は晴れるので桜の花が散らないことを祈った。風吹くな満開の桜散るは惜し
渋谷のLifeで買い物をして買い物袋を一杯抱えたももちゃん一家を車に乗せて連れて帰った。家ではいちごちゃんが帰りを待っていた。ももちゃんとレゴブロックをして遊んだが、アイデアはももちゃんの方がずっとおもしろかった。あやちゃんの作った昼食は美味しくて、ももちゃんと二人でお替りした。
サッカーワールドカップの開催年に、その年の3月31日までに還暦を迎えるサッカー部のOBの還暦祝いをするようになって第6回目を迎えた。今回は自分たちの学年も対象になる。4年前に既に開催日と会場は決まっていたので超早割でチケットを確保していた。受付に後藤先生から預かったワインを届けた。還暦対象者は無料なので、会費の金額を寸志(御樽代)として包んで渡した。写真は会の前に写した集合写真。約100名が参加する大祝賀会になった。
自分はG藤先生の言葉、サッカーを通した社会貢献の必要性(日韓医師サッカー交流やスペシャルオリンピックス日本・熊本など)を伝えながら、このように充実したOB組織は他にないことやその組織が継続していくことを願いお礼の挨拶をした。
卒業生には、個人的に関わりの深い後輩が紹介と祝辞を述べ花束を手渡した。卒業生からはサッカー部の思い出や感謝の言葉が述べられた。ユーモアに満ち先輩や同級生を尊敬し、後輩に温かい言葉をかける卒業生を見ながら、サッカーを通して随分成長したなと思いうれしくなった。
ここで、家人と別れ二次会場に歩いた。二次会には80人位来ていただろうか?祝賀会では時間の都合で挨拶できなかったOBから挨拶と現況報告がありまた旧交を温め合うことができた。村上先生からは麻酔科でもらったというシラバスのコピーや自分が書いた各科への人工呼吸器の使用に関する通達のコピーを貰ったが、良く保存しているものだと感心した。
22日、朝からよく晴れていた。K高に咲く桜は、まだ1,2分咲きのようだ。これから暖かい日が続けば来週には満開になるだろう。東バイパスの先まで走って約8㎞、いい汗かいた。
先輩は熊大医学部サッカー部の卒業生を中心として作っている「熊本ドクターズ」の初代会長で現在名誉会長。これまで多くの人生の教えをいただいた。熊本ドクターズの組織としての充実ぶりを喜ぶとともに、34年も続く韓国大邱の医師サッカーチームとの交流やスペシャルオリンピックス日本・熊本への関わりをあげ、医師としてサッカーを愛する者として社会に貢献することは大切だねと言われた。奥様も会話の中に入ってくださった。
21日春分の日で、午前9時過ぎまで寝ていた。ハムエッグ・サラダ、豆腐の味噌汁の朝食をとり、ジョッギングに出た。
善福寺公園には多くの親子連れが来ており、遊んでいる。大人の数の方が多いのは、少子化のためだろうか?
帰ってシャワー、掃除に洗濯をして午後1時前には家を出た。荻窪駅北商店街にはパチンコ店の宣伝のチンドン屋さんが演奏していた。
ひなちゃん一家がやって来た。ひなちゃんは玄関で靴を自分で脱ぎ靴を揃えていた。そして「ただしジイジ大好き」と頬を寄せてきた。なかなかできる孫である。
前任の病院で同僚で、ワイズメンズクラブでも一緒に社会奉仕をしていたK林さんが、南相馬市に移って老人ホームでボランティアをしている新聞記事をみせてもらった。
20日、明日が春分の日で休日、明後日がない土なので3連休になる。木曜日がひとまず週の終わりになってしまった。腹臥位の脊椎手術に午前と午後担当した。研修医を指導しながら、手術が落ち着いている間にICUに行ったり病棟回診をしたり忙しい。当直医に引き継ぎ医局会に出席した。Uの先生は盛岡に出張されるので電話参加となり、早く済んだ。
S根、N山先生の加わってなかなか賑やかな会いになった。T医科大学に赴任して1年以上水曜日のリーダーをM岡先生と務めた。いつも気配りをし、何かと立ててくれた。ペインクリニックに興味を持ち、術後鎮痛に神経ブロックを併用するなど、皆をリードしてくれた。おしゃべりも面白いので、地域の良いかかりつけ医になるだろう。