2016年6月29日水曜日
区西部緩和ケア連携推進会議のあとで
29日、KO大学病院の区西部の会議があった。よき話し合いのあとT医科大学から参加の3人で、すし居酒屋まえ田に行った。いつものような注文だが、前回キープしたとっておきの芋焼酎がある。これを楽しみながら、緩和医療部のあり方や地域連携の話題に花が咲いた。
2016年6月27日月曜日
買い物と七夕チャリティー
27日、家人が東京にいる間に衣替えをしてもらったが、10年以上着ているズボンやシャツで修復不能になっているものがいくつか出てきた。下着や靴下はその都度捨てたり買い替えていたが、予算がかかるものの購入には同意が必要だ。むしろ家人の方から買い替えるように行ってくれるのでありがたい。さて、小田急でズボン、シャツ、上着を購入した。
料金に応じて星シールをもらえる。天の川をつくり、熊本地震の支援をするという。まだ4枚だから少ない応援かな。
料金に応じて星シールをもらえる。天の川をつくり、熊本地震の支援をするという。まだ4枚だから少ない応援かな。
2016年6月26日日曜日
ワイズメンズクラブ億歳協会第20回西日本区大会2日目

聖日早天礼拝は天満教会の春名牧師からの説教。テーマは「神の業が現れるため」聖句はヨハネ9章1-3節。自身の腰痛の体験と同じ腰痛に苦しむ方との出会い、私たちの苦難への気づきやめざめによる「苦しいことや悲しいことは二人で分かち合うと半分になり、嬉しいことや楽しいことは2倍になる」ことの真実。昨日の特別企画と繋がっていると思った。
交流会では大阪西、京都ウエスト、神戸西の皆さんと一緒になり良く話した。来年まではひたすら熊本で開催する第20回西日本区大会のアピールをせねばならない。
2016年6月25日土曜日
西日本区大会懇親会
25日、会員懇親会はホテルニューオータニ大阪で開催。開会の10分前にクリスチャニティー委員会のメンバーにはステージ前に集合していただき記念写真撮影。これが年一回のメンバーの義務?になっている。丁度HAPPY TWINSの演奏と重なり、良い背景になった。
懇親会終了後、畠平さんの部屋に行って二次会。一時間は皆さんとの話しに興じていた。
懇親会終了後、畠平さんの部屋に行って二次会。一時間は皆さんとの話しに興じていた。
ワイズメンズクラブ国際協会第19回西日本区大会1日目
休憩時間におひとり体調不良で救急車搬送があった。救急車に搬入する前に話をすることができた。ステージでライト直下におられ、かなり暑かったようだ。意識は清明で麻痺もなく、汗をかいておられたが昼ごはんはしっかり食べておられた。軽い熱中症のようだったが・・。
各部長の活動報告では、五嶋九州部長が良くまとめて発表して下さった。
特別企画として「東日本大震災をあらためて考える」をテーマにお二人の講演があった。立野牧師は2011年3月18日から1年間現場に出向いて個人住宅を一軒一軒訪問する。傾聴し苦悩に寄りそう。「乗り越えられる。だから今は寄り添って欲しい。祈ってくださいね、忘れないで祈ってくださいね。」と話してくれた被災者たち。
津波にさらわれた姉妹のランドセルを横に置き、茫然と学校をみつめる高齢の女性、二人のおばあさんだったのだろう。ランドセルは隣同士に並んでいたが、その女性との間に人一人座れる間があった。あの空間は何なのだろうか?ここに寄り添うことができる人になりたいと思う。
清水さんはワイズメンズクラブ国際協会東日本区と西日本区の支援を紹介された。ボランティアセンターの立ち上げ、山元町いちご農園プロジェクト、被災地小学校サッカー交流大会、3.11希望の凧プロジェクト、高校生ボランティア養成の活動が、石巻広域ワイズメンズクラブの創立に至る。一方で災害公営住宅入居者の高齢化と孤独死、原発事故収束までの長期化は以前解決されず重くのしかかっている。
次の大震災に備える私たちの覚悟についても言及された。特別企画を涙なしで聴くことはできなかった。
2016年6月24日金曜日
大阪へ 義妹との会食
24日、午前中の麻酔科術前評価外来は8割の予約状況で時間をかけて診察し説明できた。とは言え緩和ケア外来までの休み時間は30分しかなく、医師室にあった雪塩ちんすうこうを2個食べただけで他の時間は入院患者さんのカルテチェックに当てた。
午後の外来を終え回診に移る時は。緩和ケアの専従看護師さんが既に目配りをしてくれており、数名の患者さんとゆっくり話し合うことができた。
夕から家人と大阪に向かった。明日からワイズメンズクラブ西日本区大会が開催される。役員会や代議員会の書類に目を通した。夕食は義妹がわざわざ宿泊ホテルまで来てくれたので久しぶりに話をすることができた。ホテル内のレストランで串揚げをいただいた。ライトアップされた大阪城が目前に見え綺麗だった。甥っ子や姪っ子もそれぞれ頑張っているようだ。
2016年6月23日木曜日
周術期輸血研究会
23日、周術期輸血研究会が開催された。初期研修医のS水先生が大量出血患者に生じた出血傾向をフィブリノーゲン製剤投与で乗り切った症例を報告した。この演題の座長はU野先生だったが、U野先生はトリを務める弘前大学の廣〇先生との打ち合わせが遅くなり、急遽自分がピンチヒッターで座長を務めた。
自分もこのような事例を経験したことがあり、以前勉強していたので何とか討論を盛り上げることができた。
この後の情報交換会などで廣〇先生と親しくお話しする機会を持つことができた。感謝。
2016年6月21日火曜日
2016年6月20日月曜日
2016年6月19日日曜日
2016年6月18日土曜日
日本緩和医療学会2日目
18日、案の定朝寝をしてしまった。早朝ランはできず。
9時からのシンポジウム「緩和ケアチームと院内のチームの連携:異なる医療チームの視点と緩和ケアチームの融合」に間に合った。ここではT医科大学MSWのS田さんがシンポジストとして堂々と発表した。海外講演「Evidenceに基づいた患者中心の悪液質管理」では、不可逆的悪液質までの栄養管理とリハビリの有用性を学ぶことができた。
ランチョンセミナーでは「メサドンの最新事情~米国と日本の実情~」をDr. Taylorと独協医科大の山口先生の発表で学んだ。山口先生の講演はいつも分かりやすい。9時からのシンポジウム「緩和ケアチームと院内のチームの連携:異なる医療チームの視点と緩和ケアチームの融合」に間に合った。ここではT医科大学MSWのS田さんがシンポジストとして堂々と発表した。海外講演「Evidenceに基づいた患者中心の悪液質管理」では、不可逆的悪液質までの栄養管理とリハビリの有用性を学ぶことができた。
本大会は興味ある講演も多く、会場入り口は長蛇の列となっていた。
総会では最優秀演題の表彰が行われた。この後、シンポジウム「現場で意思決定を支えるためのコツ」が始まったが、帰りの新幹線の時間が迫っており、北里大学の佐々木先生の講演の途中で席をたったのは返す返すも残念だった。
京都駅には早めに着いた。自動改札で切符を入れたら赤いランプがついてはねられた。駅員さんに見せたら、何と昨日の日付も切符だ!やはり何か起こる。親切な駅員さんは今日の日付の指定席に無料で交換してくれた。日頃の行いが良いからだろうか?
2016年6月17日金曜日
日本緩和医療学会1日目
17日、阪急線の河原町電停出口6から歩いて5分の場所に宿泊したホテルがある。温泉付きホテルでシンプル。昨夜は温泉に入った。朝8時半からの会長講演に間に合うようにホテルを出た。
会長講演のテーマは「日本人の死生観と宗教観」で、日ごろ興味を持って勉強していたので面白かった。
次に大学病院フォーラムに参加、テーマは「予期せぬ急変に対する対応医療者への教育と多職種連携」。日頃遭遇する事例と似たケースも紹介される。ここでは発言し、フォーラム終了後に数名のシンポジストや会場内の先生たちと話す機会を得た。「緩和ケアの地域連携」のセッションを聴講し、ランチョンセミナーは緩和ケアスクリーニングについての報告を聴いた。スクリーニングをどう生かすかが問題であることは言うまでもない。
19時45分に街道を出て河原町に行く。先斗町の川床の店を後輩が予約してくれている。串揚げの店で、ふつう12-14本食べるそうだが、我々は全ての種類20本を完食した。下を流れる鴨川沿いに以前は早朝ランをしていたことを思いだした。
会長講演のテーマは「日本人の死生観と宗教観」で、日ごろ興味を持って勉強していたので面白かった。
次に大学病院フォーラムに参加、テーマは「予期せぬ急変に対する対応医療者への教育と多職種連携」。日頃遭遇する事例と似たケースも紹介される。ここでは発言し、フォーラム終了後に数名のシンポジストや会場内の先生たちと話す機会を得た。「緩和ケアの地域連携」のセッションを聴講し、ランチョンセミナーは緩和ケアスクリーニングについての報告を聴いた。スクリーニングをどう生かすかが問題であることは言うまでもない。
「米国における慢性がん性疼痛、非がん性疼痛へのオピオイド療法:鎮痛、乱用、依存」、「緩和医療のための統計学」、「緩和ケアチーム:私のところはこうしている」に熱心に参加した。
懇親会にもしばらく出席した。京都らしく芸者さんの出し物もあった。
2年前の学会でお会いした福山の薬剤師さんと再会した。熊大の山本先生とも近況報告ができた。
懇親会にもしばらく出席した。京都らしく芸者さんの出し物もあった。
2年前の学会でお会いした福山の薬剤師さんと再会した。熊大の山本先生とも近況報告ができた。
19時45分に街道を出て河原町に行く。先斗町の川床の店を後輩が予約してくれている。串揚げの店で、ふつう12-14本食べるそうだが、我々は全ての種類20本を完食した。下を流れる鴨川沿いに以前は早朝ランをしていたことを思いだした。
2016年6月16日木曜日
2016年6月15日水曜日
相談教員、締めはラーメン
15日、相談教員のグループで会食をした。「久」の大将に無理をお願いして予算を切り詰めてもらった。最初のビール以外は持ち込みの焼酎。芋焼酎「風(ふう)」は残りわずかで直ぐに空いた。持ち込みじゃがいも焼酎は持ちこたえた。皆ちと緊張していたようだが、心配いらない。F西くんとM川君はサッカー部。F曳君はちょっとだけのアイスホッケー部。で体育系だから最初は硬くなるのだろう。
「久」を出て、久しぶりに萬龍軒に行った。ラーメンを注文し、瞬く間に全員完食した。学生さんは、やっぱり量かな?と思った。2016年6月12日日曜日
八重山トレイルレース
12日、上野原で開催される八重山トレイルレースに行った。麻酔科の濱田先生のお義父さまたちが作り上げたこの大会に、彼は毎年救護班医師として奉仕している。数か月前に行くよと言っていたが、先週からが夏休みだったので念押ししていなかった。
この大会はロング38.55㎞とショート22.86㎞がある。写真はロングのスタート。

エイドで水を飲み、水をかぶって走って行った。
この地点はロングの第一関門4時間になっており、ショートは5時間30分で締め切られる。レースにしてはずい分のどかだが、山岳コースだから途中関門を作っても収容や移動が難しい。
更にはスイーパーというゼッケンをつけた2名のランナーが締めくくるように走って来て、残っているランナーはいないことを知らせてくれる。
捻挫、切創や擦り傷、筋肉のけいれん、軽い熱中症(水分補給と冷却で改善)がおられたたが、骨折や点滴を必要とされる方は無かった。写真は石橋先生と。
スイーパーが到着してから救護所を撤収して中学校に戻った。丁度ロングのランナーが次々にゴールするところで、救護所もにぎわっていた。
濱田先生からおにぎりとふかしイモをもらった。お腹がすいていたのでむさぼるように食べた。買い物をし、また沢山お土産をもらって帰った。車も久々の長距離運転で喜んでいた。
家に戻って、走りたくなった。善福寺公園8㎞を走ったが、いつもより体が軽くなった気がした。
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